イタリア人の見た富士山
2017 JAN 2 5:05:14 am by 野村 和寿
あけましておめでとうございます。ぼくは冬になるとほぼ毎日、ぼくの自宅のある東京・世田谷のマンションから、富士山の写真を撮っています。
最近、東京の空気が冬で澄んでいるのに加えて、大気が昔よりも乾燥しているそうで、世田谷からでも、富士山は綺麗にみることが出来るようになりました。
ぼくの好きなイタリア人学者・エッセイスト、登山家、写真家、人類学者と多彩な活躍をみせてフォスコ・マライーニの綴った富士山への思慕を綴った記述は、我々日本人に、とても新鮮な示唆を与えてくれます。少し長いのですが、『随筆日本イタリア人の見た昭和の日本』より引用してみます。
ある曲がり角にさしかかるとまことに天高く世界で最も知られた火山のひとつ、
そして最も美しい富士山が姿を現した。17世紀の終わり頃、魅惑的な詩人であり、強い情熱の持ち主であった松尾芭蕉は、冬の一日、この峠を越えながら嵐をはらむ雨雲の下にいた。富士山を目にすることを願ったが、それは叶わぬ願いだった。舗装された道路を自動車で行く現在と違い、芭蕉の時代にあって旅をすることは、徒歩または馬の背に揺られていくことであり、労苦をともなう企てだった。失望は残酷なものであったが、芭蕉は備忘録に次のように書き置いた。
霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き
(素晴らしいのはまた曇りの日 その日は雨が富士を隠してしまうから)
きょうもまたそんな1日だった。すでに昼前に地平線に一群の綿雲が姿を現した。もっと遅い時間になれば、逃れることのできない靄の天井がその周囲を補うことだろう。けれども、そのあいだにも富士はひとりその稜線の気高さのうちに聳え立っている。
もちろん、その偉大な山がいっそう高く、いっそう荘厳で、またいっそうカレイに見ることができる場所はほかにもたくさんある。だがわたしの脳裏に浮かぶのは、富士山の北側に宝石のごとく煌めく富士五湖の岸辺で過ごした冬の日々である。
その時、富士の頂は、一月の穏やかな太陽の赤い残光を受け、氷りに埋もれた輝く秘宝のように、ガラスの光を彼方へ反射していた。あるいは、山麓の田園での春の日々、歩を進めるたびに、咲き乱れる桜の花と純白の頂きの運命的な出会いが繰り返される。あるいはまた夏の海での日々、太平洋の波は、長旅の果てにミホの松原(原文通り)の砂浜で勢いを失って散っていく。
曲がりくねった老松の縦列が、海岸の柔らかい曲線を辿り、その輪郭に砂浜と渚の輝き、打ち寄せる波の飛沫の曲線が重なり合う。すべての線は水平線上の一点へと収斂していく。そして彼方では、また別の線が、まったく別の次元で天へ向かってあらたに突き進む。まるで神秘的なリズムを刻む見事な舞踊のように、それが富士なのである。ひとつひとつの波が浜で砕けるあいだ、水は海へと引き返して流れ、砂浜は鏡に変わり,一瞬富士が逆向きの姿をあらわす。地球の胎内に納められたシルル紀の無限の空間の幻覚だ。
(フォスコ・マライーニ『随筆日本イタリア人の見た昭和の日本』より引用)
思いも寄らないレベルで富士山という存在を活写しているようにボクには思えます。
富士山はやっぱり「いい」ですね。
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小津安二郎の『小早川家の秋』は大人の映画です。
2017 JAN 1 5:05:55 am by 野村 和寿
念頭にあたり、新春を飾るにふさわしい、ボクが好きな映画の中でもとびきりの作品を紹介しようと思います。1961(昭和36)年の東宝(宝塚)作品、『小早川家の秋』です。監督は小津安二郎です。タイトルは、これで、「こはやがわけのあき」と読ませます。古くからの伏見の蔵元、小早川家の人々を舞台にした小津安二郎監督の映画は、当主である小早川万兵衛が、焼けぼっくいに火がついた京都・祇園通いがメイン・ストーリーになっています。
小早川家の秋 予告編はこちらからどうぞ
人情を俳優になるだけ、小気味よいほどさばさばと一見なにも情のこもっていないように喋らせる小津流の演出は、最初、観る側に、疑問符をもって迎えられるかも知れません。しかし、よくよく味わうとこの淡泊なせりふの言い回しは、観客を、ストーリーへの没入を喚起させ、「より詳しく登場人物をみていかないとだめだぞ」と思わせてしまいます。
つまり、惚れた、腫れたということを、盛大に人物が語りすぎるとかえって、観客はストーリーに没入することができなくなると考えていると、ボクには思うのです。
音楽は、タイトル曲からして、バッハの「2声のためのインベンション」のさわりの部分や、ヨハン・シュトラウス2世の、喜歌劇『こうもり』序曲、はては、ストラヴィンスキーの舞踊音楽「春の祭典」、ケテルビーの『ペルシャの市場にて』などを、軽妙洒脱に翻案したフランスのプーランク風の、皮肉交じりのウィットに富む映画音楽になっていて、その軽妙さは、ストーリーを何気に補足しながら面白くしています。音楽は、黛敏郎が担当しています。よくよく練られたストーリーに呼応するよくよく練られた映画音楽です。
ストーリーは、19年前、祇園の芸者だった佐々木つね(浪花千栄子)には、21歳になる娘(団令子)がいて、彼女は神戸の外国商社のタイピスト。女性として生きていく術を親子で引き継ぐかのように、パトロンに、いかにおねだりするかと言うことに長けている母と娘。小早川家当主・万兵衛は、競輪の帰り道に、ばったりと佐々木つねと駅で出会います。その万兵衛は、佐々木つなの娘が、自分の子だと思っていますが、どうも、そう思っているのは万兵衛ひとりで、本当のところは、どうだかわかりません。
一方、小早川家では、伏見の造り酒屋の当主・万兵衛は、娘婿(小林桂樹)に家業をまかせて、半ば隠居状態。最近、当主の京都通い(伏見からみると、京都というのは別の地なのです)に気づき始めます。しっかりとした長女(新珠三千代)、そして、阪大の学者だった長男は既に他界、長男の嫁(原節子)の後妻の口の話、次女(司葉子)の見合いと自由恋愛の相手(宝田明)、当主の妹(杉村春子)と、きわめてしっかりした女性たちに対して、男性陣は、しごく駄目男ばかりです。
当主の義弟(大阪 亡くなった嫁の実家の弟・加藤大介)は、大阪の文化のわからぬ御仁ですが、小早川家にいまだに口をはさみたくなる。後妻(原節子)の見合い相手で下世話な鉄工所の社長(森繁久弥)を紹介したりします。小早川家をめぐる、当主・万兵衛も実は、養子なのです。駄目男たちと、賢い女たち實にさまざまな境遇の人々が、万兵衛を中心にさまざまな出来事を繰り広げる、それが小早川家の初秋に近い夏に起きる出来事なのです。
万兵衛を演じるのは2代目中村鴈治郎(今の中村玉緒の父)です。歌舞伎役者らしい、軽妙な足の運び、粋を知るものでなければ出せないような、元芸者とのやりとり、みていて、思わず嬉しくなるキャラクターを演じます。孫とのかくれんぼうごっこを利用して、家を抜け出して、いそいそ京都に通ったりします。あわてていたので、駅前のたばこ屋で千円借りて、電車賃を都合したりする、家ではなにもしないのに、昔の妾宅では、裾をまくり上げて、嬉しそうに廊下の雑巾がけを頑張る。そんな、おばかさん。昔はこうした旦那が京都にはあちこちに存在して、飲み屋をちょっと1杯で、また次の飲み屋へ、といった粋な遊び方を心得る人々が存在していました。
この映画がさらに興味深いところは、小津安二郎がメガホンをとった数少ない松竹大船撮影所以外の作品だということです。この映画は東宝映画配給ですが、実は、東宝の元会社でもある宝塚映画の作品です。小津監督は、ドイツのアグファー社製のカラーフィルムを使って、京都の古さを、渋い赤の色調は印象的に描き出しています。
公開された1961年当時は、映画全盛の頃で、五社協定といって東宝・松竹それぞれ俳優たちも専属でした。登場する、長女役の新珠三千代も、その夫役の小林桂樹も義弟の加藤大介に加えて、森繁久弥や若大将映画のヒロインだった団令子も登場します。情念を過剰に描く傾向にあった東宝映画の俳優たちが、いつもとは大いに異なる小津の演出方法で、感情を過度に吐露せずに、演じる姿は、かえって、いつもと違う雰囲気をよく出しています。
小津映画の常連の笠智衆もほんの少しだめ押しのように、いい場面で登場してきます。そして淡々としたいつもの小津調で語る締めの役を演じています。
日本では本作は、当時から現在まで小津映画の失敗作といわれてきましたが、フランスでは絶賛されて今でも上映されています。フランスのタイトルは”Dernier Caprice”。日本語に訳すと『最後のきまぐれ』)になります。いいタイトルです。ぼくは、小津映画のなかでも、突出していい映画だと思っています。今回、これを書くにあたり、1日じゅう本作品を何度も見返しましたが、見返すほどに発見があり、改めて面白いと思った次第です。
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英国の美味しい「食」BELGOとCHOP HOUSE
2016 DEC 30 5:05:06 am by 野村 和寿

| 1998年7月今から18年も前に、ロンドンに音楽の取材にいったときに、面白いレストランに行きました。日記から拾ってアップしてみます。 |
| 「英国生活 ム−ル貝を食す/料理学校のレストラン 」 |
| ▇英国生活 ム−ル貝を食す |
| ベルギー料理のチェーン店 BELGOは 、日本で言うならピザハットみたいな気軽な店なのですが、造作がかわっていて、近未来映画に出てくるような金属の廊下、地階に料理場がみえ、客は長蛇の列、刑務所の監視のようなごっつい案内係に地下に誘導され、30分後にブリキの大きなエレベーターにのります。そして、案内されたところは、地下1階でしたが、地下2階にもあるようすです。日本の居酒屋のようなすし詰め状態。ここの売りはなんといっても修道服をきたウェイターとマッスルつまりは、蒸したバケツ一杯のムール貝でした。単に、バターとアーリオ(にんにく)でもって、ムール貝を蒸しただけに過ぎませんが、これが、またバケツに入って登場します。 |
| 同じくベルギー・ビールの「シメイ」を飲み、トマトスープと、ムール貝を、とにかく、ひたすらに、バケツいっぱい分、一人で食べ続けました。バターの香りはちょうどよくて、ムール貝は新鮮そのものです。 |
| ▇ 英国生活2 料理学校のレストラン |
| ロンドンの北テームズ河を上がったところにある THE BUTLERS WHARF BUILDINGは、日本で言えば大阪阿倍野の辻調理師学校のような所で、コンラン卿というデザイナーが経営しています。 コンランショップはデザイナーズ・ブランドで、西新宿にもあるみたいです。ただし レストランはまだ 日本にはないみたいですが、簡単に言うとここの生徒たちが料理を作って出すのが CHOP HOUSEです。 |
| ここが、一番ランク下のなんと料理学校の生徒たちの店。生徒たちが真剣につくり、ギャルソンからなにからみんな生徒、隣にはもう少しランク上のレストラン、そこには、当時のアメリカ大統領だったビル・クリントンも来訪したそうで、主人はハバナ・タバコの大きなトランクケースを彼に全部渡して、選んでくれと いっ た とのこと。もしかすると、キューバ問題へのいやみだったのかも。 |
| イギリスの料理というと、まずいので有名だったのですが、ずいぶん最近は様変わりを見せています。市場に近いので、新鮮な魚介類を入手し、シーフードは、カキ やハドックなど、相当なおいしさで、もしも日本でもこれだったら、充分、流行すると思いました。 |
| 面白かったのはここのまかない飯に並んでいる、料理人達。日本のご飯に、デミグラソースみたいのをかけて、チキンがあったのですが、これがまた、うまそうでした。 ぼくらは、ものすごくいっぱいの海老のむしたのと、カキ、それにフィッシュ&チッ プス、それにロゼのワイン、そして、たっぷりのチーズと、たっぷりのデザート(当地では、 デザートのこ とをプディングといいます。) 昔ここでも話題になったプディングですが、ものすごく濃いグランベリーで似たものすごく甘いプディングが人気でした。つまりは、あまり煮すぎるということがなくなった。極端な味付けがなくなった。という感じ。 |
| 料理の現場 をのぞいたら、本日のディナーを1つ1つさして、ギャルソンたちへのレクチャーが 始まったところでした。もしも生徒達が個々でいい成績を得られれば、コンラン卿の経営するお店で働 けるので真剣です。
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映画『バベットの晩餐会』を賞味する
2016 DEC 29 6:06:36 am by 野村 和寿

久しぶりに、映画『バベットの晩餐会』をみました。この映画、もう30年も前のデンマーク映画(1987年公開)なんですが、グルメ好きにはたまらない映画です。圧巻なのはクライマックスの食事のシーンです。貧しい寒村で、干した塩鱈(たら)を戻したスープをごく少しのパンにひたして日々の食事をする人々。ウミガメを調理すると聞いて、なにがなんでも食事の間に食事の感想を述べ合うのを一切辞めようとする村人たち。それが、パリからやってきた女性シェフの料理をひたすら黙っていただきます。料理は、ただもうそれだけで人を幸せにするということが、映像に満ちあふれていて、観ているだけで、こちらも幸せになってきます。
今回観て、改めて細部に気がつきました。食前酒アモンティラード(スペインのシェリー酒)とウミガメのスープ、シャンパン ブーブ・クリコと前菜 ブリニのデミドフ風(自家製のビスケットの上に、キャビアとサワークリームをのせたもの)、うずらのパイ詰め石棺風(うずらのフォアグラ入りパイ包み)とブルゴーニュの赤ワイン クロ・ヴージョと組み合わせの妙と、食事には食後酒と珈琲まで、流れというのがあるんだなということを思いました。
1,海がめのスープ 飲み物はアモンティラード
2,キャビアのドミドフ風ブリニ添え
飲み物はヴーヴ・グリコ(1860年の シャンパン)
3,うずらのフォアグラつめパイケース入りソースペリガール
飲み物はクロ・ヴージョ1845年
4,季節の野菜サラダ
5,チーズの盛り合わせ カンタル・フルダンベール フルーオーベルジュ
6,クグロフ型のサヴァラン ラム酒風味
7,フルーツ盛り合わせ マスカットなど、色んなの。
8,コーヒー
9,コニャック フィーヌ・シャンパーニュ
公開当時、以前銀座にあった「ホテル西洋銀座」の企画で、「映画と同じコース料理をいただく」というイベントに参加したことがありました。「うずらのパイケースフォアグラ詰め」の味は、サクッとしたパイの食感とともに、うずらの嘴(くちばし)までいただいてしまったことを今も覚えています。
**映画に出てくるお酒について**
*アモンティラード スペイン・アンダルシア産の酒精強化シェリー酒です。白葡萄からソレラ・システムという独自の方法で作られます。日本でも成城石井などの高級スーパーではみかけます。ボクも飲んでみましたが、日本人には甘ったるくて、しかもアルコール度が高いので、そう何杯でも飲むというよりも、食前に1杯だけいただくという感じです。
*ヴーヴ・クリコVeuve Clicquot Ponsardin
日本でもすでにおなじみになったシャンパンで,ヴーヴクリコジャパンから販売されています。あまり知られていないのですが、この会社の上部会社はLVMHエルヴァエム・アッシュ・モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンという名前のコングロマリットで、つまりは、ルイ・ヴィトンが親会社なのです。この会社には、ほかに、ヘネシー モエエシャンドン ドンペリニオンなどを傘下に収めています。なあんだ! 同じ穴の狢かと最初、ボクも最初思いましたが、こうした傾向は、スイスの時計メーカーにもいえることで、たとえば、オメガやブレゲ、ブランバン、ハリー・ウィンストンも、上部会社は、格安時計メーカー スウォッチの傘下にはいっていることなどとともに、ブランドを維持していくためにはしょうがないのかもしれないな、と最近思うようになりました。
『バベットの晩餐会』1987年 デンマーク映画 監督/脚本 ガブリエル・アクセル 製作・ボー・クリステンセン 原作・アイザック・ディネーセン
出演 ステファーヌ・オードラン ビルギッテ・フェンダースピール ポディル・キュア 撮影・ヘニング・クリスチャンセン
* 原作者のアイザック・ディネーセンは、本名をカレン・ブリクセンといい、デンマークのアイザックと称していましたが女流小説家です。「アフリカの日々」という自伝的小説がありますが、こちらも、『Out of Africa(日本名 愛と哀しみの日々)』という題名で映画になりました。ロバートレッドフォードとメリル・ストリーブ主演で1985年、映画になりました。とてもいい映画でした。こちらも、のちのち語ることになるかも知れません。
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小津『晩春』に出てきた巌本真理
2016 DEC 28 9:09:31 am by 野村 和寿
昭和24年(1949年)完成の映画『晩春』(小津安二郎監督・松竹)をデジタルリマスター版で見ました。
書斎で書き物をしている笠智衆扮する父・曾宮周吉。大学で経済学を教えている学者。執筆の清書を手伝っている助手・服部昌一。服部が、文献のところで、フリードリッヒ・リスト(1789−1846 ドイツの経済学者)のつづりをLisztと。誤記する。曾宮は、本当は、Listが正しく、Lisztは音楽家のリストだとたしなめます。助手の服部に主人公曾宮紀子(原節子)が、音楽会に誘われます。
ポスターには、巌本真理提琴演奏会 4月26日土曜日 午後3時開演。音楽芸術家協会主催 入場料350円450円 演奏会場は、東京・築地にあった東京劇場(後に映画館・東劇)。
潔癖症の紀子は、誘われ演奏会には姿をみせず、服部の隣の席が1つ空いたままにになっています。観ている側に、空き席をみせるだけで、紀子が、誘いを断った。ちょっといえば、ファザーコンプレックスで実に男性に関して奥手だということを示します。
画面に巌本真理の演奏場面は出てこず、ヴァイオリンが聴こえてくるだけです。
ただそれだけなのです。小津の映画らしく、音楽があくまでもとても品の良い添え物として使われています。でもヴァイオリンの調べがあまりにもきれいなので、弾いていた曲を調べてみました。
ヨアヒム・ラフ(1822−1882年・スイス)の作品で、ヴァイオリンとピアノのための6つの小品 Op.85 (1859)の中のカヴァティーナ Op.85-3でした。
小津を観るときに音楽は実は相当に暗示的でしかも、なかなかよいのです。音楽がしゃべりすぎることがないのです。それでいて品がいいのです。
映画『晩春』監督 小津安二郎 脚本 野田高悟、小津安二郎 原作 広津和郎 出演 原節子、笠智衆、月丘夢路 音楽 伊藤宣二 製作 松竹大船撮影所 フォーマット 白黒スタンダードサイズ(1.37:1) 1949年9月公開
巌本真理(1926−79年)は、弦楽四重奏団を自ら組織していて、上野の東京文化会館小ホールでベートーヴェンのカルテットの全曲演奏会を定期的に開催していました。ぼくも一度、聴きにいったことがあります。たしか1970年頃だったと思います。ぼくには正直、なにしろ高校生だったので、ベートーヴェンのカルテットは、あまりわからなくて難しい曲だなと思ったくらいで、今考えるともったいないことをしました。ぼくも未熟でした。
写真は、1948年頃の巌本真理 映画内に登場する巌本真理提琴演奏会の案内板今は建て替えられてありませんが東京・築地にあった東京劇場(東劇)は、ヨーロッパ風の劇場で、ぼくも1971年頃に高校の放課後に、ここでマルチェロマ・ストロヤンニとソフィア・ローレンの共演した『結婚宣言』という洋画を観た記憶があります。
下の写真は、1949年映画公開時のポスターです。原節子と笠智衆、月丘夢路のほかに、三宅邦子や杉村春子の名前も連ねています。モノクロ作品でも、ポスターは天然色だったんですね。
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イタリア人の考える神道
2016 DEC 27 21:21:10 pm by 野村 和寿
今回は、フォスコ・マライーニ著『随筆日本 イタリア人の見た昭和の日本』(2009年松籟堂刊)という本を紹介します。この本の著者、マライーニは、戦前の1938年に、日本の外務省の国際学友会の奨学金を得て日本に留学、1941年には京都大学でイタリア語を教えていましたが、1943年に日本と同盟関係にあったムッソリーニの後継であるサロ共和国への忠誠を拒否して、名古屋の敵国人収容所に収容され、1945年敗戦後に開放され一時帰国し、1954年に再来日したという数奇な経歴をもった学者です。写真家、人類学者、東洋学者です。2001年には25000枚にも及ぶ彼の撮影した写真が、東京・恵比寿の東京都写真美術館で「イルミラモンド レンズの向こうの世界」と題する展覧会まで開かれたくらいです。
さて、本書はイタリア語で書かれ、それを*人の日本人が翻訳したという名作ですが、なにしろ、大著728ページにも及ぶ大著で新刊で価格も7500円しました。今は、絶版になっていますが、古書店などで探すと3万円(アマゾン)で今でも入手可能です。
ちょっとかなり高価な古書ですが、人にもよると思いますが、ボクは読む価値があると思っています。
この本の面白いところは、ボクの感想は、以下のようになります。
・・・通常、なんとなく通り過ぎている当たり前のような日本の景色、仕草、行動、季節的な行動、初詣のような、初日の出のような。こうしたことが実は西洋人からみると、随分不思議に映るらしい。日本人のアイデンティティを喝破されているのに等しいかもしれない。
日本人のアイデンティティとはなにか?
神社にお参りする気持ちは? 山河を愛でる気持ちはどこからきているのか? 神仏をいっしょくたにし、信じる神仏はいないと、無宗教を気取るも、どうして初詣には行き、七五三には、そして、厄年には、神社にお参りする気持ちになるのか?
何故、おみくじをひき、お札を奉納して、商売繁盛を祈る気持ちにもなるのか?
日本人とはなにか?
日本人の中に脈々と流れているものを、外国人のマライーニに言われて、ようやくわかってくるとはいったいなんと言うことだろうか?
日本人自身が、西洋的になったと思っているのに、どうして、西洋人にはない考え方を元から持っているんだろうか?
ちなみに、マライーニの本書から「神道」の項目から引用しますと
「神道の世界はきわめて複雑かつ多様である。それは、いわゆる世界宗教とは本質的に異なり、創立者も聖典も存在せず、神学としての教義を形成したこともなければ、厳密な倫理的価値観をつくることもなく、純粋に日本国内の民俗信仰のレベルにとどまった。神道は日本のあの魅惑的な風景のひとつに似ており、梅雨の日の神秘的な雲煙に霞んで見え隠れする山々の頂、滝や森、遠くの寺院の瓦屋根などからなる眺望の全体像を、想像で補ってみるのと同じようにして思い描かなければならない。神道の生命は、信条や教義ではなく、シンボルや直感、示唆やささやき、仄めかしや、詩情、魅力的な典礼や儀式、建築や庭園、音楽や沈黙、だが時には突如として想像しい民衆的な歓喜の表現になることもある。その内にこそだるのだ」引用終わり。
マライーニのイタリア的な知性にみる、日本人というものへの眼差しは、正直とても優しく、ほっとします。そして、これから正月の初詣に、神社にいくときに、備えて少しでもこんなことを感じてみてはいかがでしょうか?
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はじめまして
2016 DEC 27 19:19:47 pm by 野村 和寿
野村和寿と申します。
まずは、本クラブのブログに入るきっかけと自己紹介をさせてください。
*きっかけ
世の中不思議な出会いがあるものです。ネットを閲覧していたら、まったく偶然に、当ソナー・メンバーズ・クラブの発起人である東賢太郎君のブログを発見しました。内容をよくよく拝見してみると、ボクと同じような音楽傾向をもっているのでもしやと、プロフィールを拝見したところ、ボクと中学1年のときに、同じクラスで、野球を共にしていたあの東君ということがわかり、まったく驚きました。高校、大学、社会人と一度も接触することなく、なにしろ、49年ぶりなのです。また東君の相棒が、SMCを管理している西室建君で、これまた、不思議なことに、ボクと同じ高校の同期で隣のクラスに在籍していたことも判明してしまいました。
東君とは49年ぶり、そして西室君とは、46年ぶりに顔を合わせ、すっかり話が通じるのはやはり、同時代を生き抜いてきたからでしょうか? まったく職業も畑も異なる昔の友にブログを書かないかと誘われました。そして、これを、今、書いています。
*自己紹介
1978年から2015年まで37年間、総合出版社で編集者生活一筋でした。ボクらの頃は、出版といえば、雑誌が隆盛を極めていた時代です。ボクのいた出版社は、いろいろなジャンルの雑誌を出版していましたので、まんが雑誌、オーディオ雑誌、テレビの雑誌、映画の雑誌、大人の趣味の雑誌、さらには世界遺産のDVDがついた書籍全集、般若心経のDVDのついた書籍、世界遺産のウィークリーマガジン、百科事典などなどありとあらゆるジャンルの編集を手がけて参りました。その意味では、生涯一編集者を自認しています。
まんが週刊誌には、写真まんが、バイクまんが、サッカーまんがなど、なんでも編集を担当させてもらいましたが、特に当時のまんが週刊誌には、グラビアのページがあり、女の子のグラビアでは、当時AKB48の元祖のような「おニャン子クラブ」の修学旅行と題して、「旅館で枕投げ」のページを作ったり、とにかく存分に遊ばせてもらいました。当然、編集者には寝る暇も無く、印刷所が休みの正月を除き、ほとんど、毎日、編集部におり、必ず帰るのが夜中か明け方という生活をずっと続けてきました。
不思議動物では、一時流行したウーパールーパー(両生綱有尾目トラフサンショウウオ科)の初めて紹介したことから、一時、ウーパー野村などとも揶揄されておりました。
スポーツは、マラソンを科学的に分析するというのが好きで、沿道で、スペシャルドリンクの飲み残しを拾ってきて当時強かったタンザニアのイカンガーとか、東ドイツのチェルピンスキーらの強豪がレース中にいったい何を口にしているかを分析したりもしていました。話せば編集者の頃のことは長くなりますので折に触れてご紹介していくことになるかもしれません。
現在の趣味は、ライカというカメラ、ライカは手に持つだけで、往年の名カメラマン ロバート・キャパにでもなったような気分になれます。楽器でチェロを弾くこと。頭で運指を考える必要があり、頭を非常に多く使う難しい楽器です。クラシック音楽を聴くこと、長くて分厚い本を読破すること。イタリア語にも興味をもっていてイタリア語で話すのも好きです。イタリア語は料理にとどまらず、古くからの言語なので、表現がとても論理的でなおかつ、イタリア人は、人生を謳歌しているところが気に入っています。
本や映画では特に、1950-60年代の話を追求していき、時代に埋もれたいろいろな事実を発見したりするのが好きです。なぜかといえば、クラシック音楽の演奏でも、たとえば、名指揮者フルトヴェングラーは第2次世界大戦中にもドイツに残って指揮をし続けたので、緊迫した歴史そのものと対峙した音楽の演奏が記録に刻まれています。
また、本で、歴史の隙間を埋めるような記述を探すのも好きです。たとえば、1945年にドイツが敗戦した後、唯一の同盟国でまだ戦争最中の日本では、どのように対応したのか?ドイツ大使館はどうなったか? 第2次世界大戦中に、日本とドイツの間を潜水艦は何度行き来したのか?といった歴史に埋もれた事実を発見して、一人納得したりもしています。また当時制作・公開された邦画、洋画からも、風俗を知ることが出来、新しいことを発見することにこの上ない歓びを感じています。最近観た映画はイングマール・ベルイマン監督の『野いちご』(1957年スウェーデン映画)これは人生を描いた最高のロードムービーだと思います。
ということで、長くなりましたが、今後ともよろしくお願いいたします。
写真は、1985年頃 少年週刊誌のグラビアの撮影カメラテストで、撮ってもらったもの
そして、もう1枚は、今は閉館してしまったお茶の水にあったカザルスホールのカザルスの前でチェロを友にちょっと古いのですが、2009年に撮った写真です。
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