『飛行艇クリッパーの客』Ken Forettの乗客になる
2017 AUG 5 6:06:09 am by 野村 和寿

飛行艇を舞台にした海外小説『飛行艇クリッパーの客』(新潮文庫・上下巻1993年)を読了しました。前回『インペリアル航空第109便』(リチャード・ドイル著)の飛行艇は、英国のショート社製ショート・サザーランドと呼ばれる飛行艇でしたたが、今回の飛行艇は、アメリカ・ボーイング社が1938年に完成させたB-314飛行艇です。
B-314クリッパー機は全長109フィート(33.2メートル)、翼幅長さ152フィート(45.6メートル)通常、船だと大西洋横断に、4-5日かかってましたが、クリッパーだと、正味25-30時間で、イギリスとNYを結ぶことが出来ました。
1939年現在のポンドとドルの交換率は1対4.2 1ドルは3.5円でしたので、NYロンドン⇒NY運賃 片道90ポンド 2017年現在の円レートで概算すると、片道375万円です。ちなみに英国航空のファーストクラス現在のロンドン・NY片道運賃は、122万円ですので、当時の片道運賃は現在の運賃の約3.07倍ということになります。この価格がわずか19人の乗客になると思うと高いのか高くないのかさて・・・?
「空飛ぶ宮殿」と呼ばれ、いわく、美しくこわれやすいシャボン玉。世界一ロマンチックな飛行機、史上最大の大西洋横断旅客機といわれていた。19人の乗客をのせて、イギリスのサウンサンプトン河口域を離水のためにエンジンをパワー全開にして、風上に機首を向け、一路最初の着水地、アイルランドのフォインズ目指して、離水しました。B-314クリッパーは、4基の巨大星形1500馬力のエンジンを4基もち、航続距離は、ゆうに、アイルランドから一気にカナダ・ニューファンドランドまで3000㎞を飛行することができます。B-314クリッパーは1938年に完成し、全部で12機が製造されました。その中の1機が物語に登場する「クリッパー」とは、もともと快速の帆船の意味です。
前回取り上げた飛行艇の「インペリアル航空第109便」(リチャード・ドイル著)の物語が、飛行艇の乗員の話だったのに対して、今回とりあげるケン・フォレットの作品「クリッパーの乗客」は、飛行艇に乗り合わせた乗客を中心とする物語。「袖振り合うも多生の縁」ということで、ぼくもこのクリッパー機の乗客になったつもりで読み進んでみることにしました。

飛行艇クリッパーの乗客は平成5年(1993)年新潮文庫から刊行されましたが、現在絶版。古書ではアマゾンで1円から入手可能です。ちなみに1円でも怪しいものではありません。ほかに郵送料が257円(関東への送料)かかるため古書店はペイするのです。
ロンドンから特別仕立ての車両に乗車し、列車内では、フルコースのランチ(シュリンプ・カクテル、フィレミニヨン・ステーキ、アスパラガス・オランデーズソース、マッシュポテト添え、ピーチメルバ、プチフール、コーヒーこれだけみても英国的という感じで感心はしませんね)をいただき、飛行艇の出発地である、サウサンプトンの港へと向かう。ときは1939年の9月 ヒトラーによるポーランド侵攻で幕が落とされた第2次世界大戦の幕が落とされたその3日後ということになってい。ちなみに、9月1日は日曜日、最初のロンドンに出た独空軍空襲に対しての空襲警報は、英国国教会の礼拝の最中、11時28分に出されたとあります。このようなエピソードがわかって面白いです。
その3日後の9月4日、戦争の難をのがれアメリカを目指す幾多の人々のなかで、このNY行きのB-314クリッパー機も登場します。著者のケン・フォレットは、入念な準備による細かい描写で知られた作家です。代表作『大聖堂(ドゥオーモ)』で、ぼくは、ヨーロッパ各地にある大聖堂がなぜ、同じ形をしているかを知ることが出来ました。つまり大聖堂ばかりを建築して回っている職人集団が存在し、彼らがあちこちの大聖堂を建築したので、形が同じだったのです。
話をクリッパーの乗客に戻しましょう。
ここに登場する乗客にも、ぼくが今まで知らなかった1939年当時の事情がわかってとても興味深いものがありました。アルジャーノン・オクスンフォード卿一家が登場します。父親であるオクスンフォード卿は、なんとイギリスのファシスト党の党首をしていた人物に描かれています。英国ファシスト党の考えというのは、戦後タブーでなかなか真意がわかりませんでしたが、今回、それを知ることが出来ました。
英国ファシスト党の考え方は、「資本主義、社会主義、がともに破綻し、民主主義は結局一般大衆にはなんの利益ももたらさない。善意独裁者が、産業を統制する強権国家主義をめざし、大衆に訴える。世界はこのままいくと混血児とユダヤ人のものになってしまう」と信じる。なぜ、ファシスト党なのか? これには、第一次世界大戦後のイギリス経済、特に農産物価格の世界的暴落をもろに受け、オクスンフォード家は破産寸前になった。そこで、アメリカ人銀行家の跡取り娘を嫁に迎えている。
イギリス貴族の経済的衰退とファシズムとが結びついたという例は、ほかでもみたことがあります。日系の作家カズオ・イシグロが書き、映画『日の名残』(1993年・英国)となって名優アンソニー・ホプキンスが、その執事役として演じていました。また、史実でも、英国にもあった黒シャツ党は、ロンドンにも存在しデモ行進をしていたとありました。ファシズムはイタリア・ドイツだけではなく、英国にも、独伊以外でもっとも浸透をみせていたのでした。父の影響を受けた長女エリザベスは、21歳。熱烈な王制主義者でナチ崇拝者。「このままだと世界は混血児とユダヤ人のものになってしまう」と思い込んでいます。しかし父への反発は強く、旅行中に「ドイツ・ナチズムを崇拝する外国人」になりたくて、リスボン行きの船でドイツへと向かいます。
一方で、ユダヤ人に救いの手を差し出す人物も登場します。フランス人の銀行家ガボン男爵。シオニズムのようなユダヤ民族主義運動に莫大な富を投じ、イギリスの不興をかている。ガボン男爵の考えは「我々ユダヤ人自身の国家を作らねばならない。アラブ人を排除することにつながる。軍国主義と人種差別が合体したものがファシズムだ」とし、ドイツの世界的に高名な原子物理学者カール・ハートマンをアメリカへの亡命に手を貸そうとしています。
終始、モーツァルトの歌劇『魔笛』でいえば、パパゲーノとパパゲーナのように道化で登場するのが二人の若者。ハリー・バンデンポスト・アルビー 実名はハリー・マークス 22-3歳とオクスンフォード卿の次女マーガレット19歳。
マーガレットは、侯爵家によくあったように家庭教師に勉強を教わり、学校には通ったことがない。その恋人で、オックスフォードの最終学年だったイアン・ロチデールをスペイン市民戦争義勇兵として国際旅団に参加し戦死。社会主義者で、ジャズが好き、キュビズムの絵が好き、自由詩が好き、英国軍の傷病者運搬車の運転手になりたい。
一方のハリー・マークスは、父親が第一次大戦で戦死し、ビルの清掃婦の母親の手ひとつで、貧しいバターシーのアパート、共同流し場とトイレで育ったが、高級宝石店のショウウインドウをのぞき、宝石をみる目を磨いているうちに、近代的なブリリアント・カットと19世紀の旧式マインカットのダイヤモンドのカットの違いを覚え、午後のテニスの合間にお茶を飲みに戻ってくるという生活や、遅くに起き陶器のカップでコーヒーを飲み、華美な服装をし、高いレストランでの食事に憧れていた。アスコット競馬場で、器量のよくない金持ちの令嬢に次から次へと声をかけ、夜会に呼ばれ、ドーセット伯爵邸では、ジョージ王朝風の銀のボンボン入れや、同漆塗りのかぎ煙草入れ、ミセス・ハリージャスパーズ邸では、ティファニーのルビーの留め金付きパールのブレスレットを、マルボリ伯爵夫人邸では、銀のチェーンつきアールデコのダイヤモンドペンダントを失敬、2年間の盗みの総決算として247ポンドを盗みます。この若い二人は一服の清涼剤として登場します。
ちなみに、本ブログを書くにあたり調べていくうちに面白いことに気がつきました。当時、実際に、飛行艇の途中経由地である。アイルランドのフォインズ(首都ダブリンから4-5㎞)に、現在、フォインズ博物館飛行艇&海軍博物館のホームページを見つけてしまいました。こういうことはやっていて、なにかとてもうれしいことでした。下記からURLでいきつくことができるので、是非のぞいてみてください。

アイルランド・フォインズに、「フォインズ博物館飛行艇&海軍博物館」のホームページをみつけました。実際のB-314飛行艇のレプリカが展示されています。手作りのかわいい博物館です。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
インペリアル航空第109便その2
2017 JUN 4 15:15:16 pm by 野村 和寿

本の題名 インペリアル航空第109便とは実際にあった飛行機会社なのでしょうか?これをつきとめるのが、今回です。

これが1937年版インペリアル航空イギリス南アフリカ便のパンフレットです。Special thanks to HP airline timetable
インペリアル航空は確かに実在していました。インペリアル航空とは1924年から1939年まで実際に存在した英国の航空会社です。その後第2次世界大戦に突入したため、ブリティッシュエアウェイズ(今のとは異なります)と合併して、英国海外航空(BOAC)となり、さらに、1974年にBA(英国航空)となりました。ショート社のエンパイア、戦後には改造型の諸ショート・サザーランドといった飛行艇を擁していました。

インペリアル航空の運航図です。クリックすると拡大できます。この世界図では、イギリス・ササンプトンから南アフリカ・ヨハネスブルクに地図が伸びています。またアジアは、シンガポール、オセアニア・オーストラリアにまで便がのびていることがわかりますが、日本は当時まったくの蚊帳の外なのがわかります。
実際にインペリアル航空の運行表をみてみます。

インペリアル航空イギリス・サウサンプトン・南アフリカダーバン間の経由図です。Special thanks to HP airline timetable

インペリアル航空の運賃表です。ロンドンから11番目のDurbanをごらんください。225ポンドとあります。これは往復の運賃です。Special thanks to HP airline timetable
実際の費用は、インペリアル航空の航空運賃をみてみますと、ダーバン(南アフリカ)ロンドン(ササンプトン)間が、往復で225ポンド。
ちなみにインペリアル航空の時代設定である1930年代の貨幣価値は1ポンドが、当時の日本円で17円くらいでした。日本円に換算すると3,842円
なんと510万7393円! すごいお値段です。
現在の英国航空のロンドン・南アフリカ ダーバン便を検索してみます
ヨハネスブルク(南アフリカ)19:20発 ロンドン・ヒースロー着05:30着(いずれも現地時間 所要時間21時間40分 ファーストクラス77万6,700円)
1930年代はやはり飛行艇は10数名しか乗客が登場できず随分と割高だったのがわかります。
■飛行艇は英語ですと、Flying boat になります。Air shipですと飛行船です。船から航空機へ。確かに現在でも航空機の機長はみずからの機をシップと呼び、また自らをキャプテンと呼ばせています。この呼称も船の名残なのだと思います。
■インペリアル航空の運航時刻表をみましょう。不思議なことに、エジプトにはルクソール、カイロ、アレクサンドリアとなんども着水します。最初、これは何だろうと思っていたのですが、どうも観光旅行の一助だと推察します。つまりルクソールのファラオやピラミッドの上空を旋回し、乗客に観光してもらおうという計らいらしいのです。
また、着水場所を調べていくと、湖沼や河、港湾の最奥部のことが多く、なるだけ波静かな海を着水地点に選んでいたこともわかってきました。

実際のインペリアル航空南アフリカダーバンからイギリス・サウサンプトン間の運航旅程表です。Special thanks to HP airline timetable
南アフリカのダーバンを10:00発
1日め*ダーバン(南アフリカ)発10:00
*ロレンソ・マルケス(旧ポルトガル領モザンビーク現モザンビーク共和国)
着13:00 現在の名称はマプト モザンビークの首都 マプト湾テンベ河口
*べイラ(同)その日の午後着 時間未定 ベイラ1泊
ベイラはモザンビーク湾をのぞむモザンビーク第2の港湾都市
2日め*ベイラ発 06:00
*モザンビーク着10:40
*タンガニーカ・リンディ(旧英国領 タンガニーカ共和国をへて現在タンザニア連合共和国)着14:26タンザニア南部にリンディ湾億に位置する。
*タンガニーカ・タルエスサラーム(同)その日の午後着 時間未定 タラエスラム1泊 インド洋に面した都市 タンザニアの元首都(現在の首都はドドマ)
*なおタンザニア人は、第2次世界大戦では、イギリス軍ニ87000人が出征し、インパール作戦で、イギリス軍の一員として日本軍と戦ったことはあまり知られていません。
3日め*タンガニーカ・タルエスサラーム発08:00
*モンバサ(旧英国領 ケニア)着10:00モンバサはケニア海岸州モンバサ島の都市
*キスム(ケニア)着 その日の午後着 時間未定 キスム1泊キスムはビクトリア湖カビロンド湾奥部
4日め*キスム(ケニア)発07:00
*カンパラ・ポートベル(旧英国領 現・ウガンダ)着7:45
カンバラ・ポートベルはビクトリア湖北岸
*マラカル(英埃=エジプト領スーダン 現・南スーダン)着13:25 マラカルは、スーダン上ナイル地方東部ナイル州
*ハルツーム(スーダン)その日の午後着 時間未定 ハルツーム1泊 ハルツームはウガンダから流れる白ナイル、エチオピアから流れる青ナイルの合流地点の南岸
5日め*ハルツーム(スーダン)発07:00
*ワディハルファ(スーダン)7:45
*ルクソール(エジプト)着14:05 ルクソールはナイル西岸古代エジプトの都テーベがあった所。
*カイロ(エジプト)着16:55 ナイル川下流河岸の交通の要衝
*アレクサンドリア着 夜着 アレクサンドリア1泊 ナイル川デルタの北西部
6日め*アレクサンドリア(エジプト)発05:45
*アテネ(ギリシャ)着11:05
*ブリンディジ(イタリア)13:30 イタリア半島の靴のかかとに位置するプーリア州 19世紀スエズ運河開通以降、アジア、アフリカとヨーロッパとを結ぶ欧亜航路などの発着地の一つ 森鴎外「舞姫」の冒頭に登場します。
*ローマ(ブラチアーノ湖・イタリア)その日の午後着 時間未定 ローマ1泊
7日め*ローマ(イタリア)発8:15
*マルセイユ(フランス)着10:50
*サン・ナゼール(フランス)その日の午後着 時間未定 サン・ナゼール1泊 仏大西洋岸ロワール川三角州の右岸に位置する。
8日め*サン・ナゼール(フランス)発09:00
*ササンプトン(イギリス)着11:00
*ロンドン・ウォータールー駅 午後着 8日めにしてやっとロンドンに到着しました。おつかれさまでした。
そしてとうとうYou tubeで飛行艇の内部、サービス風景、飛行風景の動画を発見しました。BBCのHig Fryers How Britain Took to the Airという映像です。全部で58:11ですが、なかでも42:57前後からインペリアル航空のサウサンプトン発南アフリカ行きの映像が登場します。お楽しみにごらんください。
これも、BBCが制作したThe Last African Flyinfboat full documentary という1980年ごろのドキュメンタリーです。全部で1時間13分の長編ですが、最後にのこったエジプト・アレクサンドリアに残った飛行艇で飛行してみるという内容ですが、冒頭の4分までは、1930年代のインペリアル航空の実際の機内サービスが動画で捉えられています。飛行艇の内部が観られるなんてまさに夢のような瞬間でした。
写真はすべてウィキペディアのパブリックドメインを使用しています。ソナー・メンバーズ・クラブのホームページは、ソナー・メンバーズ・クラブをクリックしてください。
インペリアル航空第109便
2017 MAY 31 12:12:26 pm by 野村 和寿

長いこと読もう読もうと思っていましたが、ようやく暇が出来て、1ヶ月かかって読破いたしました。飛行艇ものの冒険小説としては名高い「インペリアル航空第109便」。2段組で403ページという長大な小説です。「飛行艇もの」は、当然、乗客も十数名に限られており、人間関係とそれぞれの事情が色濃く描かれます。飛行艇の旅程も長く、しかも世界中を飛ぶということからミステリーものには大変適している題材です。ちょうど、アガサ・クリスティが「オリエント急行殺人事件」が密室の殺人事件ものというのとどこか似ています。原題はIMPERIAL 109(Arlington Books;1977)著者はリチャード・ドイル。コナンドイルの甥孫(甥の息子)なのです。
舞台は1939年 ナチス・ドイツと英仏のミュンヘン宥和会談直後、オーストリアがナチス・ドイツに併合された後で、ナチス・ドイツによるチェコスロヴァキアに進駐した頃という戦争の足音までもが色濃く反映されています。
インペリアル航空G-ADHO第109便カテリナ号 登場人物もお金もちの乗客も多く、恋の話もあり、途中、機長デズモンドは、エジプト・カイロで自動車レースにまで出場(カイロ→ファイユーム往復 車1924年製イスパノ・スイザ・ブローニュ、好敵手はデステ男爵1938年製ドライエ ル・マン24時間レース1938年優勝)
登場人物は、1930年代に、長距離飛行の乗客なので当然お金持ち、鉱山資本家夫妻、やお金にいとめをつけない男爵夫妻、さらには、お金持ちを付け狙う泥棒、そして時代ということで、ナチスドイツの陰謀まで見え隠れし、ウィーン在住ユダヤ人の国外脱出にまで話しが行きつきます。
登場人物 操縦士 ●デズモンド・オニール(カテリナ機長主人公アイルランド人 冷静沈着な操縦、大西洋横断はこれで6度目。ただいま妻と離婚協議中、新しい恋人とつきあっている。1924年製イスパノ・スイザ・ブローニュを駆り自動車レースに出場)
操縦士●ケン・フレーザー副操縦士(告げ口好き)●ラルフ・ケンドリックス(通信士 元ユンカース機で墜落のトラウマ) ●サンディ・エヴェレット(パーサー客室係)●スチュワート・アンディ・ドレーパー(元客船キュナードの客室係スチュアードだった。スチュアード)
乗客●スチュアート・カーティス(実業家 クラークスドーブ南アフリカ鉱山を経営。しかし自社株がことごとく値を下げており、NYで自社株の速やかな売却をもくろみ、そのために大層急いでいる。)
●シャーロット・カーティス(根っからの金持ち妻 派手好き)
●アルフレッド・デュクロワ(ミセスカーティスのメイド) ●ルカ・デステ(イタリアの男爵 シャーロットと仲がいい。大型のドライエで、シャーロットをのせて、カイロ・ファイユーム自動車レースに出場、デズモンドと競う。)●ジャケッタ・デステ(妻 サヌーシと仲がいい)ローラ・ハートマン(アメリカ人 カーティスの若き秘書
●キング夫妻(アメリカ・アリゾナ州フェニックス在雄の中年夫婦)●ジョンソン夫妻(子連れ)●ドクター ヴァン・シュミット(鉱山技術士 実は泥棒)●イアン・ソーン海軍大尉(アフリカ・シャンベで鰐に襲われて死亡)●パメラ(デズモンド・離婚係争中の妻)
■まきおこる諸問題 ●燃料タンク漏れでアフリカ・シャンベに緊急着陸●若き海軍ソーン大尉がアフリカ・シャンベで大鰐に襲われる●ラシッド・アル・サヌーシ(若きアラブ人で敵デステを狙う。トルコ人アーメッド・ヤルチン・ベイになりすます)が一族の敵をうつため、ルカ・デステ男爵を狙う。●ダーフィト・ヴィーツマン(ユダヤ人ウィーン大学医 学部長)●ジーグレット(ユダヤ人 ヴィーツマンの娘)父娘がナチスの要人(ヒットラー)の出自の秘密を知る為追われローマから本機に乗り込む。●元米陸軍航空隊所属の操縦士だったパット・ジャレットが、ウォーレン湖で積み荷の金塊をねらうべく本機に襲いかかる。
■敵●パウル・リントレン(ナチス・スイスのエルンスト・ペルレル名義のにせパスポート) ●パット・ジャレット(第1次世界大戦に参戦した元陸軍航空隊所属のパイロット 全長27フィートのスーパーマリン機をもつ。ニューハンプシャー・ウォーレン湖で搭載の金塊を狙う )
■旅程 1939年3月10日金曜日南アフリカ(ダーバン)、シャンベ緊急着陸(スーダン) ウガンダ(ポート・ベル)マラカル(スーダン)エジプト(ハルトゥーム・カイロ・アレクサンドリア)、クレタ(ミラベル)、アテネ、ローマ(ブラチアーノ湖)、マルセイユ(マリニョーヌ)、イギリス(サザンプトン)、南アイルランド(シャノン河口フォインズ上空で空中給油)カナダ(ニューファンドランド=ポトウッド・モントリオール)、NY(イーストリヴァー・ラガーディア・マリン・ターミナル)1939年3月16日アメリカ東部標準時16:00約6日間もかかる豪華な豪華な旅行なのです。このあたりは船旅の影響を色濃く残しています。
SPECIAL THANKS TO HP airline taimetable images
http://www.timetableimages.com
■話のおもしろさ
事件は早々に起きます。燃料タンク漏れで、シャンベ(スーダン)に緊急着陸。ミセス・キングの上陸の際に、上陸用の船を動かそうとした海軍ソーン大尉が河の大鰐に襲われ命を落とすという事件が起きてしまうのでした。飛行艇は空港設備がなくても、大きな海や大きな河、大きな湖など係留設備がありさえすれば、どこでも着水することができます。シャンベにもインペリアル航空の支所が設けられ、給油の手配あ連絡員が配置されています。さらに、1939年当時イギリス軍払い下げの爆撃機を改良して、空中給油も行われていました。なにしろ一時に長距離は飛ぶことが無理なので、大都市に着陸する度に当地の有名ホテルに宿泊し、豪華な食事をいただくこともできました。
■操縦風景 カイロ到着予定は12分後、2千フィートまで降下 速度140ノットまで落とす。回転数2千 風速南西より20ノット 視界良好 スロットル全開 砂埃でわずか数分のうちに弁や空気取り入れ口がつまりたちまちにして複合した出力低下をきたす。エアポケット、400フィート降下 3番エンジンオーバーヒート 700フィート、650、600。デズモンドの眼は高度計に釘付けになった。480,45機首があがりはじめる・・・。/機首 係累索を解く。エンジン始動の準備 4基のエンジンがたてつづけにすばやく息を吹き返す。轟音響き渡る。4分の1フラップ プラッチアーノ湖からイタリア領海をんけだす。マルセイユまでのルート、30分でコルシカ島ロトンド山が見えてくる。高度7千・・・。マルセイユ12時15分前m民間空港マリニョーヌ着水・・・。
■本の紹介文
「1939年3月10日 世界大戦の迫りくるころ、インペリアル航空第109便は、200万ドル相当の金塊を摘んで、やがて悪夢へと突入することになる6日間の旅に出発した。インペリアル109は大英帝国の果てから果てへと郵便物や貨物、12人の乗客を運ぶ壮大豪華な飛行艇として知られていた。白く輝く胴体、高く伸びた翼、1000馬力の過給されたブリストル・ペガサス12ラジアル・エンジンを4基搭載し、喫煙室、個室、散歩用デッキや劇場の設備もあり、後宮な乗客を運んでアフリカ全土をナイル河デルタ地帯やカイロを経て、ギリシャ、イタリア、フランス、そしてロンドンを通って目的地のニューヨークまで就航している空飛ぶ宮殿として評判であった。だが、その便には復習の念に萌えるアラブの貴公子、冷たく妖しい美貌で男達を乱す女、冷酷なゲシュタポの手先、偏屈な金銭欲にかたまった億万長者らが同乗し、機長のオニールと乗員ともどもスキャンダルと政治、陰謀と恐怖、破滅と誘惑に巻き込み、やがてニューヨークでクライマックスに達する旅を開始するのである。やがて消えゆく大戦前夜の悦楽と華美のノスタルジックな背景とスリリングで緊張感あふれる物語を対照させてサンデータイムズ紙に評されたエンターテインメント巨編!!(裏表紙の紹介文より)1981年初版刊行当時の勢いが文章に表れています。本書を読みたくなってきましたか?本書はもちろん現在は絶版になっています。しかし好都合なことにアマゾンの古書店で1円から購入することが可能です。
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1949年のロンドンから東京へ飛行艇の旅
2017 APR 18 16:16:12 pm by 野村 和寿

BOAC(英国海外航空)1949年3月の時刻表から、ロンドンから遠く、ファー・イースト東京までの飛行機の旅を再現してみます。
ロンドンのBOAC(英国海外航空)の乗客ターミナルから、送迎車でサウサンプトンまで。サウサンプトンといえば、悲劇の客船タイタニック号の出発港として名高い港湾都市です。
港には、ショート社製の飛行艇サンドリンガム5型号が駐機中。1946年6月22日にデビューした「サンドリンガム号」は2層デッキの飛行艇。艇内は、プロムナードデッキ・ダイニング・カクテル・バーなどを備え、座席で22名、寝台で16名、を搭乗させることができます。
1949年3月6日日曜日
●ロンドン・ターミナル発7:00(送迎車移動)
- サウサンプトン(ロンドン)発11:00
▇第1経由地は、イタリアのシチリア島
イタリア・シチリア島アウグスタ着19:00
アウグスタといえば、イオニア海に面した港湾都市で、英国第8軍モントゴメリー将軍によって1943年に連合軍が上陸した都市であります。
この日はアウグスタに宿をとります。
▇3月7日 2日目は、エジプト・アレクサンドリアへ向かいます。
アウグスタ発 午前9:00
第2経由地は、エジプトのアレクサンドリア 午後15:15着です。
古代エジプトプトレマイオス朝の首都で蟻、エジプト第2の都市です。
ここでまた1泊 飛行艇は、海上のすれすれを飛行するため、昼間の飛行が原則でしかも長時間の飛行は、難しかったのです。
▇3月8日 3日めは、バーレーンヘ向かいます。
第3経由地は当時英国領バーレーンのバーレーン(現在はマナーマ)
アレクサンドリア発 午前7時
バーレーン着17:00 ここで1時間の休憩をとります。
▇第4経由地パキスタンのカラチヘ向かいます。
バーレーン発 午後18:00
パキスタンの首都カラチ着 日が変わって(3月9日)の日の午前1:45
ここで6:15の休憩 この日はさらに飛行します。
▇第5経由地は、インドのカルカッタです。
カラチ発 午前8:00
インドのカルカッタ(現コルカタ)着 午後16:00
コルカタでやっと1泊できます。やれやれ。
▇3月10日 第6経由地は、ビルマのラングーン(現在のミャンマーのヤンゴン)です。コルカタ発 午前6:00
ビルマのラングーン着 午前11:00 ここで1時間休憩を取ります。
▇第7経由地は、タイのバンコクです。
3月10日 ラングーン発 午後12:00
第7経由地は、タイのバンコク着午後15:00
ここで1泊します。
▇3月11日 第8経由地は、香港です。
バンコク発 午前8:00
香港着 16:45ここで1泊します。
▇3月12日 第9経由地は、上海です。
香港発 午前10:00
上海着 午後15:00ここで1泊します。
▇3月13日 いよいよ東京(横浜)に向け出発します。
上海発 午前8:00
日本の岩国・到着時刻は午後17:00
ここでさらに1泊し
3月14日 岩国発午前7:30
横浜(東京)着10:30
時刻表にはどこにもないのですが、たぶん、到着時刻は現地時間のような気が致します。
やっと横浜港に到着しました。なにしろ飛行艇なので、羽田飛行場ではなくあくまでも、横浜港というところが面白いです。
旅程をみると、後年、南回りヨーロッパ行き航路東京=マニラ=バンコク=ラングーン=カルカッタ=ニューデリー=カラチ=バーレーン=カイロ=ローマ=ロンドン(1952年:英国海外航空、機材:デハビランド DH.106 コメットI、経由地:9箇所) とよく似ていたことがわかります。
▇まとめてみますと
3月6日日曜ロンドン・ササンプトン発
3月14日月曜東京(横浜)着
実質飛行時間 73時間45分
所要時間8泊9日 どうですか?素敵な旅をご堪能いただけましたでしょうか?
気になるお値段ですが、往復387ポンド、片道215ポンドとあり、1949年の円・ポンド換算が1ポンド1,080円でしたので、単純計算すると往復370,046円、片道216,720円となります。昭和24年と平成27年とで7.75倍になっているので、現在の貨幣価値ですと、おおよそ、往復2,86万7,856円 片道1,67万9,580円。 ちなみにBA(ブリティッシュ・エアウェイズ)の正規ファースト・クラス・ロンドン往復航空運賃が1,34万2,690円
所要時間12時間20分(ノンストップ)ですので、約2倍のファースト・クラス運賃と思ってよさそうです。

これは当時のBOACのパンフレット(別の路線バーミューダ島路線)から乗り心地を想像できます。BOACは27年の実績からお客様に素晴らしいサービスをお約束いたします。 写真をクリックすると拡大できます。

英国ショート社製サンドリンガム5型機内の内部レイアウトです。艇内は、プロムナードデッキ・ダイニング・カクテル・バーなどを備え、座席で22名、寝台で16名を搭乗させることができます。写真をクリックすると拡大できます。
Courtesy of http://forum.keypublishing.com/showthread.php?79617-Need-a-Photo-of-Short-Sandringham-5-quot-Portland-quot
ちなみに、2015年 日本海上自衛隊の飛行艇US-2が、インドへ売却されることに決まりましたが、なぜ日本かといえば、現在飛行艇を生産している国は日本しかないからです。
Special thanks to:
The Collections of either Björn Larson or David zekria
“Airline Timetable Images”
http://www.timetableimages.com/ttimages/complete/complete.htm
資料 『時刻表世界史』曽我誉旨生著 社会評論社2008年刊
写真・ウィキペディア・パブリック・ドメインより
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