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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその①

2017 JAN 24 9:09:37 am by 野村 和寿

『旅する哲学 〜大人のための旅行術 アラン・ボドン 安引宏訳 2004年集英社刊』という本があります。この本はなぜ人は旅するかを哲学から考察した本でとても面白いのですが、の後書きにジャーナリストのジャン・モリス(英国)の旅行術について要約すると下記のようになります。

旅する哲学

アラン・ド・ボトン著(1969〜)安引宏訳 著者はロンドン生まれ ロンドン大学大学院哲学指導教官 2004年集英社刊

1,      何処に行こうと、初めての土地だと自分に言い聞かせること

2,      どんな経験でも、旅人を豊かにする素材であることを忘れるな

3,      都市を見る最良の方法は、「目的もなくさまようこと」(E・Wフォースター)にある。

4,      他の人が見に行くからといって、見に行ったりしない。

5,      カメラではなく、スケッチブックを持って行こう。

6,      バスツアーに参加することを羞ずかしがるな。

7,      一人で旅をしよう。

まさに、そんな旅を経験したことがあります。2012年の5月にイタリアのナポリを1週間ほど旅をしました。当時のボクは、大きな仕事が一段落し、そのときの自身の結果の失望落胆のもとに、すっかりと自信を失っていました。そこで、休みをとってたった一人で、旅行に行くことを思い立ちました。おりからイタリア語をやっていましたので、それを試すのにもよいと思ったからです。それでは2012年の5月に、時計の針を戻すことにします。

成田空港出発ゲートにて

成田空港出発ゲートにてアリタリア9:00発

成田空港は雨。アリタリアの朝便でローマ経由ナポリへ一人旅。もちろん休暇です。旅の始まりです。

 

 

 

 

 

アリタリア航空キャビン

アリタリア航空成田発ローマ行き航空機内の後部キャビンに集うキャビンアテンダント達

 

成田発ローマ行き、アリタリア航空ボウイング777の最後部のキャビンです。客室乗務員のおねえさんたちは、井戸端会議に余念がありません。なにしろ、お客様は満席で、やることないわけでもないんですが、ここに飲み物とかをとりにいく方式なので、別に待機しているだけなんですが。ボウイング777は、1つ前の新鋭機で、座席もけっこう幅が広くよかったです。やはり、やりたいことを最初にやるというイタリアの気質でしょうか?

ローマの空港にて

乗り継ぎ便の小さな飛行機に乗る。

アリタリアの国内線は、世界中で使い古された1980年代ものの、MD80(その昔はDC9-80ともいわれた)が使われています。もう席はあちこちで、がたがきていて、ぼろぼろです。乗り降りは、最後部から階段でおりるという懐かしい形です。まあ、ローマナポリ間は、ほんの25分くらいなので、安全を祈りつつ。懐かしいです。TDAがまだあった頃に乗った記憶が,,,,,

 

ローマ発ナポリ便の飛行機

ローマ発ナポリ便の飛行機内で、救命胴衣を説明するいかついキャビンアテンダントのおじさん

アリタリア・ナポリ便の白眉は、海外ドラマ「24」のキーファー_サザーランドみたいないかついおじさんが、救命器具の実演をやってくれることです。あのもしたりないときは口から空気をいれて、なんかもなかなかによい演技でした。席はBがないAとCを含む、2席、3席の5席で、たてがうんと長いのです。席はすごくて、リクライニングにしないのに、リクライニングになってしまい、離陸のときに乗務員のおじさんが、もとにもどそうとしてももとにもどらないような席があちこちで見受けられたことです。なれもあってか誰も驚かない。おんぼろ飛行機でした。ボクは20年以上前、コリアン・エアでヨーロッパに行った際に意図しないリクラインシートを初めてみました。機内の窓などにやたら日本語表示があるので、よく見たら、JALのお古の機材だったようです。 この章つづきます。

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イタリア人の考える神道

2016 DEC 27 21:21:10 pm by 野村 和寿

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今回は、フォスコ・マライーニ著『随筆日本 イタリア人の見た昭和の日本』(2009年松籟堂刊)という本を紹介します。この本の著者、マライーニは、戦前の1938年に、日本の外務省の国際学友会の奨学金を得て日本に留学、1941年には京都大学でイタリア語を教えていましたが、1943年に日本と同盟関係にあったムッソリーニの後継であるサロ共和国への忠誠を拒否して、名古屋の敵国人収容所に収容され、1945年敗戦後に開放され一時帰国し、1954年に再来日したという数奇な経歴をもった学者です。写真家、人類学者、東洋学者です。2001年には25000枚にも及ぶ彼の撮影した写真が、東京・恵比寿の東京都写真美術館で「イルミラモンド レンズの向こうの世界」と題する展覧会まで開かれたくらいです。
さて、本書はイタリア語で書かれ、それを*人の日本人が翻訳したという名作ですが、なにしろ、大著728ページにも及ぶ大著で新刊で価格も7500円しました。今は、絶版になっていますが、古書店などで探すと3万円(アマゾン)で今でも入手可能です。
ちょっとかなり高価な古書ですが、人にもよると思いますが、ボクは読む価値があると思っています。

この本の面白いところは、ボクの感想は、以下のようになります。
・・・通常、なんとなく通り過ぎている当たり前のような日本の景色、仕草、行動、季節的な行動、初詣のような、初日の出のような。こうしたことが実は西洋人からみると、随分不思議に映るらしい。日本人のアイデンティティを喝破されているのに等しいかもしれない。

日本人のアイデンティティとはなにか?
神社にお参りする気持ちは? 山河を愛でる気持ちはどこからきているのか? 神仏をいっしょくたにし、信じる神仏はいないと、無宗教を気取るも、どうして初詣には行き、七五三には、そして、厄年には、神社にお参りする気持ちになるのか?
何故、おみくじをひき、お札を奉納して、商売繁盛を祈る気持ちにもなるのか?
日本人とはなにか?
日本人の中に脈々と流れているものを、外国人のマライーニに言われて、ようやくわかってくるとはいったいなんと言うことだろうか?
日本人自身が、西洋的になったと思っているのに、どうして、西洋人にはない考え方を元から持っているんだろうか?

ちなみに、マライーニの本書から「神道」の項目から引用しますと
「神道の世界はきわめて複雑かつ多様である。それは、いわゆる世界宗教とは本質的に異なり、創立者も聖典も存在せず、神学としての教義を形成したこともなければ、厳密な倫理的価値観をつくることもなく、純粋に日本国内の民俗信仰のレベルにとどまった。神道は日本のあの魅惑的な風景のひとつに似ており、梅雨の日の神秘的な雲煙に霞んで見え隠れする山々の頂、滝や森、遠くの寺院の瓦屋根などからなる眺望の全体像を、想像で補ってみるのと同じようにして思い描かなければならない。神道の生命は、信条や教義ではなく、シンボルや直感、示唆やささやき、仄めかしや、詩情、魅力的な典礼や儀式、建築や庭園、音楽や沈黙、だが時には突如として想像しい民衆的な歓喜の表現になることもある。その内にこそだるのだ」引用終わり。

マライーニのイタリア的な知性にみる、日本人というものへの眼差しは、正直とても優しく、ほっとします。そして、これから正月の初詣に、神社にいくときに、備えて少しでもこんなことを感じてみてはいかがでしょうか?

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