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美術と音楽・雑感

2020 JAN 14 18:18:24 pm by 大武 和夫

明けましておめでとうございます。本年が皆様にとって良い年でありますように。

さて、コートールド美術館展(東京都美術館)について投稿する予定だと書いてから、ずいぶん時間が経過してしまいました。その間に当の展覧会は終了してしまったのですが、そもそも展覧会についてというよりも、展覧会に触発されて私のセザンヌ愛について書いてみようと思っていましたので、今からでも遅すぎることは無いのです(←弁解)。しかし、年末に書き始めてみたところ、自分がセザンヌについて、更に言えば近代フランス美術史について、いかに無知であるかを思い知らされ、結局当面は断念せざるを得ないという結論に達しました。現在はセザンヌに関する本をいくつか読んで勉強しています。いつになるか分かりませんが、いずれセザンヌへの思いをきちんと語らせていただきます。

その概要を少し予告しますと、こういうことになります。

私はマネの平面性が嫌いです。マネに限りません。ジャポニスムの洗礼を受け始めて以降、西欧の画家が平面性を強調・追求する例は枚挙にいとまがありません。しかし、日本美術を知っている私には、乱暴な一般化をお許し頂けるなら、西欧画家の平面性はおしなべて過度に人工的かつ装飾的で著しく洗練を欠き、かつ本当の「魂」を感じることができない場合が多い。セザンヌはその対極にあり、いつもどうやってこの世界の、この宇宙の構造を二次元の絵画に表現し尽くすかを考えていたのだと思います。どんなに平面的に見えるタッチで造形しても、その造形センスの根本には、宇宙の成り立ちをキャンバスに写し取るという強い意志が感じ取れます。

その意味で、セザンヌからキュビスムへは、ほんの一跳びであるように思われます。しかしその一跳びは、アームストロング船長の月面第一歩ではありませんが、単なる一跳びではなく巨大な跳躍であったように私には思えます。というのは、セザンヌにとっては、キュビスムのようにこの世界を捉え「直す」ことは、彼が信じるこの世界・宇宙の成り立ちを裏切ることになったのではないかと想像するからです。(キュビスム誕生はセザンヌの没後ですから、時代的先後関係を無視した論述に抵抗を感じる向きもおありだと思います。私が言いたいのは、仮にセザンヌ自身が長生きしてピカソやブラックの業績を目にしたとしても、彼らに共感は持ったかもしれません(両者ともセザンヌを近代美術の父と崇めています。)が、自らその方向に進もうとは思わなかったに違いない、ということです。)

セザンヌのこの宇宙の構造への確たる信頼は、ほとんど信仰と言っても良く、ブルックナーが「三和音」に自分の全存在を賭けるほどの全幅の信頼を置いていたことと軌を一にするように私には思えます。ブルックナーの方がセザンヌより10数年早く生まれ、10年早く亡くなっていますが、大雑把に言えば同時代人と言えなくもありません。その時代の時代精神、でしょうか。更に言えば、フォーレも。実際には、フォーレの生年はセザンヌより更に6年遅く、没年は18年も後ですから、セザンヌを挟んでブルックナーとは一世代近く離れていることになります。しかし、晩年のフォーレの作品が、どれほど複雑を極める転調や分析し切れないような和音を重ねても、最後には三和音に対する全き信頼で高らかに曲を閉じる、そのあり方には、やや我田引水ですが、ブルックナーとセザンヌと共通する、自らの信念に賭ける一種の信仰者としての崇高さが光り輝いています。

ついでに書いてしまいますと、セザンヌの青は、いつも私にブルックナーの5番の終楽章のコーダを思い出させます。というより、終結部コラールの588小節以下で吹き鳴らされるホルンの旋律・・・峨々たるアルプスの山容をバックに悠然と空を舞う大鷲さながらの雄大さ・・・を聴くとき、私の脳裏には必ずセザンヌの青が浮かびます。そして、ほとんど必ず涙腺が緩みます。逆にセザンヌの傑作を見ていると、私の頭の中では必ずと言って良いほど、同じ5番のコーダか、フォーレのピアノ・トリオが鳴り響き、これまた忘我の境地に入ってしまいます。(正確に申すなら、ブルックナーは7番や8番のこともありますし、フォーレは弦楽クワルテットやチェロ・ソナタ、さらにはピアノ・クインテットであることもあります。)今回のコートールド展で、私が永年愛してきた「アヌシー湖」に数年ぶりで対面したときも、全く同じでした。何度も足を運びましたが、あるときはブルックナーが、そしてまた別のときにはフォーレが、私の耳元で鳴り響いて止みませんでした。視覚と聴覚というのも興味深いテーマですが、そこまで一般化せずとも、このようなセザンヌ=ブルックナー=フォーレという私の感覚が何故生じたかについては、是非とも分析し、いずれはなにがしかの文章にして投稿してみたいと思っています。

さて、そのコートールド美術館展はもう終わってしまいましたが、美術外のことにも触れますと、1930年代初頭に、コートールド氏は、彼が定期的に開催していたコンサートに、なんとシュナーベルやホロヴィッツ、クレンペラーなどを招聘しているのですね。そういう記録も展示してあり、これには驚きました。その場に居合わせたかった! 美術の目利きは音楽の目利きでもあったということでしょう。人生の達人、と言ってみたくなります。

いずれにしても、大改装のためにコートールドが閉館中であることから、この展覧会は実現しました。ですから、次の大改装までは、同じ質と数量のコートールド収蔵品が日本にやってくることは無いでしょう。また、しばらくはロンドンでも見られないのですから、昨年日本に暮らしていた我々は、実に運が良かったと言わなければなりません。

そのコートールド展と同じくらい素晴らしい展覧会が、実は現在まだ開催中です。三菱一号館美術館の「印象派からその先へ」(1月20日まで)。これには舌を巻きました。というのは、ここで展示されている吉野石膏コレクションなるコレクションを全く知らず、どうせ二流品ばかり揃えたコレクションだろうと高を括っていた(吉野石膏と美術館の関係者に深くお詫びします)ところ、驚くほど質の高い見事な作品群だったからです。

高を括ったもう一つの原因は、ポスターに私が苦手なルノワールの絵があしらわれていたことです。そこで、話が脱線しますが、ルノワールについて一言。

私は昔からルノワールが苦手だったのですが、その程度が亢進して「嫌い」というレベルにまで達してしまったについては、ピアノの巨匠リヒテルを恨まざるを得ません。リヒテルに関する書籍は山ほどありますが、その多くに、彼がいかにルノワールを嫌っていたかが記述されています。と言っても、賢いリヒテルは、直接的にルノワールを非難するのではありません。彼は、ドビュッシーのプレリュード1巻は、2巻と違い、決して全曲を弾きません。何曲かを除外するのですが、除外曲に必ず含まれるのが「亜麻色の髪の乙女」でした。その理由として彼は、この曲は「まるでルノワールの桃色のブヨブヨした女性の裸体のように気持ち悪い」から弾かない、と言うのです。リヒテルにとってドビュッシーは著名作曲家の中でも別格の存在の1人なのですが、そのドビュッシー作品の中でもこの曲だけはこのように酷評され、必ずルノワールが引き合いに出されます。全くルノワールもいい迷惑です。そして、画家でもあるリヒテルの言葉に、若き私は感化されてしまったのですね。無論、生来ルノワールが苦手という生地があればこそ、リヒテルの言葉が一定の共感を持って受け止められたのですけれど。

「亜麻色の髪の乙女」がプログラムされている演奏会で、この曲だけを聴かないという訳にはいきません(そもそもこの曲自体特に嫌いな訳ではありません)が、展覧会でルノワール作品を避けて通ることは容易です。「ルノワール展」なら、行かなければよろしい。そういうわけで、これまでルノワールはほとんどちゃんと鑑賞せずに来ました。

それで、三菱一号館美術館の展覧会については、そのルノワールがポスターとチケットにあしらわれている展覧会など碌なものではない、という先入観が当初私を支配していたのです。

実際には、その前にコートールド展で出会ったいくつかのルノワール作品には、やや心が動いていました。こんなことなら食わず嫌いを止めて、もっと以前からちゃんと鑑賞していれば良かったとも思いました。(何度も訪ねたコートールドでも、その他の国内外の多数の美術館でも、ルノワールだけは素通りしていました。)それでも、感覚的にルノワールは(そしてフラゴナールやワットーやローランサンは)私に縁遠く、心に訴えるものがやはり少ないのです。恐らく私は、満ち足りて豊穣な芸術が苦手なのでしょう。(晩年の素晴らしい室内楽録音を除きルービンシュタインを好きになれないのも、このことと通底するように思います。)

そういう偏見をまだ持ったまま三菱一号館美術館に足を運んだ私は、ルノワールの本当の良さに、初めて目覚めかける体験をしました。そういう作品が展示されていた、ということでもあります。もっとも、この展覧会で更に強く私の胸を打ったのは、初めて見るセザンヌ(初期作品)と、何点かの初めて実物を見るモネ、それにピサロとシスレーの各数点でした。ピサロとシスレーがこれほど偉大だったとは。特にピサロの画面構成には脱帽。また、ユトリロの良さにも開眼しかけました。更に、これも私が近年ようやくその真価を理解するようになったシャガールも、驚くほど質の高い作品が多数来ていました。作品名を忘れてしまいましたが、窓の外に広がる遠景の山々を写実的に描写した作品の、その遠景には心底痺れました。何という技量!

個々の作品に触れて論じる力量は私にはありませんが、総体としてこの展覧会は、コートールド美術館展、そして夏に開催された西洋美術館の「松方コレクション展」と並ぶ、昨年東京で開催された最良の美術展の一つであったと思います。あと6日で終わりますから、未見の方は是非ともお運びください。目を開かれること間違い無し。

吉野石膏という会社には満腔の敬意を表します。今世紀に入ってから始めたコレクションだというのですが、一体どういう目利きがアドヴァイザー/キュレーターとして関わってこられたのでしょう。そんな短期間でこれほどの質のコレクションが出来上がるなど、現代のおとぎ話としか言いようがありません。そういえば同社は、「ぶらぶら美術・博物館」のスポンサーの1社でしたね。いつも同番組の同社のCMを見ては、一体どういう会社なのだろうと思っていました。吉野石膏さん、ごめんなさい。しかし、このコレクションの志の高さを見るに、恐らく大変立派な理念を持った会社なのだろうと推測します。展覧会を企画された三菱一号館美術館とコレクションを創られた吉野石膏の関係者各位に、心から感謝したいと思います。

最後に、少し脱線しますが、リヒテルがホロヴィッツの最後の録音だったか、あるいはグラモフォンの録音のどれかだったかについて、大略「ホロヴィッツは指に過ぎない。しかし、一体何という指だろう!」と賛嘆した(あきれた?)言葉を思い出しました。何故この文脈で思い出したかというと、勿論セザンヌがモネを評した「モネは眼に過ぎない。しかし、一体、なんという眼だろう!」と語った有名なエピソードを、まず思い出したからです。リヒテルのホロヴィッツ評が、このセザンヌのモネ評を下敷きにしていたかどうかは分かりません。しかし、美術にも造詣の深いリヒテルのことですから、パロディー狙いではなかったとしても、そのエピソードが念頭にあったことは想像に難くありません。実に面白いですね。私個人は、あらゆる譜面から、人によっては人工的で小賢しく煩わしいと思うほど徹底的に音楽の立体的構造(ロマン派的ポリフォニー構造と和声的構造)を抉り出し、刻み出しては止まないホロヴィッツのあり方は、セザンヌかモネのいずれかと引き比べるなら、むしろセザンヌのあり方にこそ近いように思われるのですけれど・・・。このあたりには大いに異論があるでしょうし、そもそも私はモネも大好きですから、仮にホロヴィッツがモネに近いという発想があったとしても、それに異を唱える必要は無いのかもしれません。(まさかホロヴィッツをルノワールに例える人はいないでしょう(笑)が、もしいたら大いに異を唱えないところです。)

以上、素人の感覚的論述に過ぎませんが、音楽と美術というテーマは、非常に興味深いものがあります。(そう考える私が、両分野の表現者であったクレーの作品を愛するのは、自然なことなのかもしれません。)今後は、この両分野の相互作用に関する考察を深めて、美術についても折に触れて発信していきたいと思っています。どうぞ今年もよろしくお付き合いください。

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