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東京マラソンに瀬古を思う

2020 MAR 3 0:00:22 am by 大武 和夫

ご無沙汰してしまいました。今日は昨日(3月1日)の東京マラソンについて、どうして書きたいと思いました。

感動しました。井上の果敢な飛び出しにも感動しましたが、何といっても大迫の勝負強さに、最近二回のマラソンの失敗からの完璧な復活に、そして一度後退したのにズルズルと順位を下げるのではなく立ち直って日本新記録まで手にした気持ちの強さに、打たれました。あのゴールシーンでじんと来なかった人はいないでしょう。

今回は前半のペースが凄かったため、ネガティヴ・スプリットは無理だと期待もしていませんでしたが、それでも30キロから35キロは圧巻のスプリット・タイム。優勝者レゲセを10秒も上回っていたというのですから、やはり大迫は只者ではありません。

自身中高と陸上部に属していて(ただし「オールラウンド出ると負けプレーヤー」と自嘲する落ちこぼれ部員でした)半世紀以上にわたる陸上競技ウォッチャーであり、特に長距離・マラソンを熱心に追いかけてきた者として、今回のレースの感動は半端ではありませんでした。

しかし、この投稿の目的は大迫をほめたたえることではありません。大迫の快挙を称えながらも、この記録とレース振りではオリンピックのメダルは難しいという趣旨の冷静な意見をレース後に述べた瀬古俊彦氏がいかに偉大であったかを振り返りたくて、筆を執ったのです。

そう、大迫の激走は、かつてわが国には瀬古俊彦という不世出の大選手がいたことを強く思い出させてくれました。二人とも早稲田出身で強い、というような話ではありません。そうではなくて、本当に世界の圧倒的ナンバーワンであった瀬古に、少しは近づけるかもしれない、「世界で戦うことを、それだけを意識した」日本人マラソン選手が、40年ぶりについに我が国に現れたということを言いたいのです。

瀬古の自己ベストは2時間8分27秒で、大迫の昨日の記録より3分近くも遅いのですが、それは、40年の時の流れ、トレーニング方法の進歩、靴等の用具の改良、選手をサポートする体制の違い、スポーツ医学の進歩等々を考えると、問題になりません。それどころか、瀬古の記録は、今なら少なくとも2時間3分台に匹敵することは間違いないと思います。瀬古と同等の才能と勝負強さを持った選手が現在理想的な環境で育っていたとしたら、その程度の記録は優に出せていただろうということです。それくらい瀬古という選手はけた外れに凄かった。

出るマラソンはことごとく優勝し、最後まで競り合ってもスプリント勝負で相手を置き去りにすることは間違いない、そんな選手は後にも先にも日本にいたためしがありません。

1980年だったかに東京の旧国立競技場で行われた陸上競技大会(企業名が付いた冠大会でしたが名称も年もよく覚えていません・・・)で、あのラッセ・ヴィレンと1万メートルで対決した瀬古は、最後の1周の圧倒的なラストスパートで、相手を置き去りにして優勝しました。それはもうほれぼれするぐらい見事な、美しいスパートでした。マラソン・ウォッチャーと言っても沿道で見るのは嫌いで、専らテレビ観戦派ですので、瀬古を実施に見たのはそのときだけでした。そして、そのトラック・レースで瀬古を見ることができたことは本当に幸運でした。世界一の選手の全盛期。そのあまりにも鮮やかな勝ちっぷりは、脳裏に焼き付いて離れません。

モスクワ・オリンピックへの日本の不参加は本当に衝撃でした。瀬古が出ていたら、ぶっちぎりで金メダルだったと今でも確信しています。(モスクワの優勝者チェルピンスキーとは80年の年末に福岡で対決し、瀬古が勝っています。)それだけに、ロサンゼルス大会への期待は大きかったのです。

アメリカ留学中もアメリカのマラソン雑誌を定期購入していましたし、瀬古が出る日本のマラソンの結果は、自宅に国際電話をして尋ねました。ネット世代には想像もつかないでしょう。Those were the days. サラザールは雑誌インタビューで、一番マークする選手として瀬古の名を上げ、「彼の1万メートルの記録は27分35秒なんだよ。なんてすごいんだろう。彼のことはうんとリスペクトしているよ。」と語っていました。実際には瀬古の1万のベストは27分42秒ですが、そんな細かいことはどうでもよろしい。27分42秒も、当時としては大きなリスペクトに値する優れた記録でした。そして、そう瀬古をほめたたえるサラザールの記事を読んで、同じ日本人としてとても誇らしい思いがしたものでした。(サラザールはその後オレゴン・プロジェクトの指導者として晩節を汚しましたが、現役時代は世界最高のランナーの一人として尊敬を集めていました。)

1984年夏のロサンゼルス・オリンピックは、アメリカから移り住んだロンドンで見ました。マラソン当日はロンドン到着直後で、まだシティの法律事務所での研修生としての勤務は始まっていませんでした。そして、その日の午後は、1歳の長女を抱いて、家内とハイドパーク探索に出かけました。

ところが、どうしたことか、途中でめまいがして熱っぽくなったのです。このまま散歩は続けられないなと思い、サーペンタイン・レイク湖畔のカフェテリアで軽い夕食をとり、タクシーで帰宅しました。フラフラしながら帰宅して熱を測ると、38度の熱です。その時点では、瀬古も事前に血を吐き、下痢をして最悪のコンディションだったことなど知る由もありません。しかし、なんだか胸騒ぎを覚えました。体温を計ってすぐにベッドに直行して休み、マラソンが始まる直前に起きだして、小さなフラットのチッポケな安物テレビの前に陣取りました。

25キロあたりからの悪夢のような光景に呆然としつつ、ひょっとして瀬古も私のような体調の悪さに苦しんでいるのではないかという考えが頭をよぎりました。圧勝以外はありえないと信じていましたので、敗戦のショックは言葉では言い表せないほどでした。深夜長時間のテレビ観戦も手伝って私の熱は更に上がり、少し大げさに言うなら、もう何がどうなってもいいという厭世的な気分になりました。それぐらい瀬古に寄せる期待は大きく、敗戦の落胆も大きかったのです。

瀬古は、帰国後しばらくは殻を破ろうとしてお嫁さん募集中と言ってみたり、それまで見せなかった笑顔を振りまいたりしていましたが、そういう瀬古にはもうあまり興味を持てませんでした。その後のシカゴとボストンの圧勝で、さすがは瀬古、やはり本当の世界一は瀬古だとの確信は戻りましたが、後から振り返ってみると、この二つのレースは偉大な選手の偉大なキャリアの最後の輝きだったのですね。

昨日のレース後の瀬古の上記コメントを、失礼だとか、優しさが足りないなどと受け止めた人もいるだろうと想像します。しかし、世界広し、マラソンの名選手多しと言えども、瀬古以外にそういう直言ができる人はいないのです。瀬古以外にそのようなことを言う資格のある人も、いないのです。

瀬古よ、良く言った。そして、瀬古がそういうことを言う気になったのも、大迫の才能と努力、そして精神力の強さに感じ入ったからに相違ありません。

願わくば大迫が、往時の瀬古の存在に少しでも近づいてくれますように。夏のオリンピックが中止になりませんように。そして大迫が、瀬古の二つのオリンピックの記録(ロサンザルスは14位、ソウルは9位)をしのぐ成績を残してくれますように。頑張れ、大迫!

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