Sonar Members Club No.22

カテゴリー: 未分類

管理人からのお知らせ

2016 OCT 22 11:11:21 am by 中村 順一

 ソナー・メンバーズ・クラブの中核メンバーだった中村順一君は、かねてより闘病中でありましたが薬石効なく誠に残念ながらご逝去されました。
 事務局は故人の遺徳を偲ぶため、彼の残したブログを永く保存することでご冥福をお祈りします。

英国、ラドローの街 階級社会を覗く

2015 SEP 24 17:17:16 pm by 中村 順一

英国イングランドのウェールズボーダー、シュロップシャー州にラドローという美しい街がある。小職は仕事の関係もあり、昨年、一昨年と2年連続してこの町を訪れた。街の中心にラドロー城と教会がある。特に有名な観光地というわけではないが、典型的なイングランドの田舎町で、長い長い歴史を持っている。この地方の人々は英国人としては珍しく、昔から食事への関心が強かったらしい。数多くの3つ星っレストランがあり、美味しい英国料理が楽しめる。

さて、2回往訪し、仕事の関係で友人になったC夫妻の家に一昨年は泊めてもらい、昨年はC夫妻の家のすぐそばにあるローカル・インに泊まった。ともに週末を金曜日からじっくりと使えたので、ラドローの街にはすっかり馴染んでしまった。

C氏は地元の古い上流階級の家系である。パブリックスクールのイートン校を卒業しており、大学もオックスフォードやケンブリッジではないが名門校の出身である。地元のボランティア的な名誉職についており、収入は極めて限定されている。収入は筆者のカウンター・パーティーである金融人のご婦人に頼るところ大である。C氏の両親の家にもお邪魔した。これがものすごい家で領地は見渡すかぎり広がっていた。住宅はお城の様なマナーハウスで英国駐在経験の長い筆者も初めて行くような家で、正に圧倒されてしまった。英国の相続税は日本よりはるかに安いが、それでも最近改定され、増額されたらしく、40%を国に取られてしまうと、不満たらたらだった。日本の相続税の高さを知ったらひっくり返ってしまうだろう。このマナーハウスでイングリッシュ・ティーとスコーンをごちそうになったが、典型的な英国の雰囲気であり、味であり、すばらしく美味しかった。

英国に住むとすぐに気が付くのは、人々の話すアクセントが違うことである。しかもそれは日本のように地域によるアクセントの差では必ずしも無い。日本は関西弁、東北弁、鹿児島弁のように地域によってアクセントが違う。人々の出身階級による違いではなく、純粋に地域差だ。大阪南部に住むお金持ちが、同じ地域の貧乏人と話すアクセントが全く違うということはないだろう。英国の場合、同じ出身地でも階級によって話す言葉が異なるのだ。C氏一家の発音は典型的キングス・イングリッシュであり、小職にも聞きやすい。ところがC氏の運転手P氏は同じラドロー出身なのに、全くアクセントが違う。どうしてそんなことになるのか?英国在住の時から不思議に思えたことの一つだったが、ある日気が付いた。すなわち上流階級と下層階級では普段つきあう人間も違うし、通う学校も小学校時代から違うのだ。だからアクセントに差がでてしまうのだ。

次の年に再びラドローを訪れた。今度は地元のローカル・インに泊まった。インの主人はやたらと筆者に話しかけてきた。C氏の友人だと自己紹介すると、「私もC氏とは長い付き合いだ。お互いよく知っている。私もこのあたりでは有名人だからな。」などと自慢を始めた。C氏に後で聞いてみると、「このホテルの主人も運転手程ではないが、階級は異なる。付き合ってはいない。」とのことだった。確かに話ぶりや教養にはかなり差がある感じだった。C氏の教養はなかなかのもので、歴史が特に詳しかった。筆者も歴史はそれなりに詳しいので、幸いにも意気投合できたのである。運転手のP氏は「C氏の教養はすごい、彼はなんでも知っている。おいらとは住む世界が違うんだ。」と、いわゆるコックニイ英語で語った。インの主人のような背伸びをする感じは全くない、好感のもてる人柄だ。

2回目のラドロー訪問のメーン・イベントは地元の保守党の政治家のチャリティ・パーティーに招待されていることだった。C氏からタキシードを借りて、俄か英国紳士に変身し、これもものすごいマナー・ハウスで行われたパーティーに参加した、インの主人にこのチャリティー・パーティーに行くのだ、というと多少びっくりされた。そして「私も今日のパーティーに招待されている人々はほとんど知っている。私も有名人だからな。」と変な自慢をされた。C氏に言わせると「インの主人はこのパーティーに入れる階級の出身ではない、」とのこと、また、微妙な階級差が出てしまった。インの主人が入れるパーティーではないのだ。

パーティーはすばらしく食事の後は、正に全員で大騒ぎでチャリティが行われた。あらゆる品物が登場し、どんどんと売れていった。日本人で、こんな保守党びいきの上流階級のパーティーに招待されるチャンスはなかなか無い、正にラッキーだった。

日本も階級社会になっている、と社民党や共産党(民主党も)はがなりたてるが、小職に言わせると英国の社会とは全く違う。均一社会に近い。そもそも英国人は生活のパターンも日常の人々との付き合いも、もちろん教養や学歴も全く階級にによって違うのである。話すアクセントで出身階級がわかってしまう。日本ではちょっと考えにくい。

 
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英国の思い出、その1

2015 SEP 1 15:15:05 pm by 中村 順一

英国に滞在したのは1985年から1992年の約6年半の期間だった。僕にとって英国滞在の思い出は、一言でいって、”いいことばかり”である。もう今年で61歳になってしまったが、英国での生活の思い出は61年間の人生でもいちばん良かった頃かもしれない。

まずは何と言っても若かった。御巣鷹山でJALが落ちた直後に日本を離れたのだが、僕は31歳になったばっかりだった。家族は3か月後に呼び寄せたが、子供は息子が3歳、娘はまだ1歳になっていなかった。家内一人で2人の子供を連れてくるのは大変なので、家内の妹にもついてきてもらった。住まいはロンドンの北の郊外にあるサウスゲイトという住宅街だった。一軒家を見つけて借りたが英国らしいいい家で、結局その後6年間一回も引っ越しをしなかった。海外に家族で赴任するのは特に若いときはいいと思う。ほかに頼るものがないので、家族の団結は深まる。最も僕の場合は家内が健康だったのをいいことに、仕事や趣味のゴルフばかりやっていて、家庭のことはすべて家内におんぶにだっこだった。家内にとっても慣れない海外生活、大変だったとは思うが、良く2人の子供を育て、家庭内のことはすべて仕切ってくれた。今から考えても家内には頭が下がるが、僕が英国生活を半分は自己満足的に満喫できたのは、実は家内のお蔭である。この点は家内にいくら感謝してもしきれないところである。

英国は生活はしやすいところである。治安はいいし、気候も日本に近い。気軽に行けるレストランも多く、家が郊外だったので車で10分も走れば、大草原を満喫できた。あえて問題点を言えば、天気があまり良くなく曇り空が多く、いつもしとしと雨が降っていることと、食事があまりおいしくないことくらいか。英国人は一般的に食事を美味しく食べることにあまり関心がない。僕の会社の同僚などは、「ジョニー(僕のニックネーム)、食事は口の中にある時間はせいぜい2~3秒で、あっという間におなかの中に入ってしまう。その2~3秒の為にお金をかけるのはナンセンスだ。食事に高い関心を持つフランス人がどうも理解できない。あいつら、ちょっとおかしいんじゃないか?」などと真面目に言っていた。この考え方の国民が多いのだから、食文化は育ちにくい。

子供たちは、我が家のそばにあった現地校に行っていた。息子はすぐに入校、6年間同じ学校に通った。娘も2歳半から同じ学校に入り、すっかり英国人の子供たちに馴染んでいた。小さい学校で校舎も一般家庭の家屋みたいに小さかったが、ほのぼのとした郊外(田舎)の学校だった。子供たちもこの学校は気に入ってくれて友達もたくさんできた。サウスゲイトはまずまずのレベルの住宅街であり、学校には中産階級の英国人、サウスゲイトに数多く住んでいたギリシャ人、キプロス人、それに日本人など、国際色豊かにいろいろな人種が集まっていた。

海外に住むと日本での生活とは違う習慣に馴染むことがある。そのひとつは我が家に頻繁に人を呼んだり、逆に呼ばれて友人の家に行くということだ。日本ではあまりない習慣だ。よく人を我が家に呼んだ。英国の家は一般的に日本の家より広いし、庭なども整備されている。春から夏は日も長く、庭に出てシャンパンなどを楽しみ子供たちが庭で遊ぶのを眺めたりしてゆったりと時間を使っていた。(家内はディナーの準備をしている訳だが)。日が暮れてくると(もっとも英国では春から夏にかけては極めて日が長く暗くならない。5月6月などは夜10時前まで明るい。)家のダイニング・ルームに入ってディナーとなる。当時、同じ会社の同僚、先輩の家はほとんど行ったし、また我が家にも来てもらった。海外駐在を同じ時期にすると同僚と本当に仲良くなれるが、このような交流を通して、家族ぐるみの付き合いがあったこともその一因だと思う。

あと英国での思い出と言えば、旅行である。夏休み、冬休み、イースター、年末年始、バンクホリデー、あらゆる機会を使って欧州を廻った。ちょっと、これも度が過ぎて、途中からは家内の負担になってしまったくらいだった。自己満足の世界に家族を付きあわせた面がないとは言えず、家内や息子、娘には申し訳ないことをした。ロンドンは欧州のどの街とも飛行機が結ばれており、フライト時間は1~2時間でどこへも飛んで行ける。じっくり行けたという意味では、英国内(含むスコットランド)、フランス、ドイツ、イタリアがやはり一番良かったのではないか。それぞれの国はもちろんロンドン、パリ、ベルリン、ローマ等、首都の大都会はどこも素晴らしい。だが、時間をかけてゆっくり地方を回るのもこれに劣らず素晴らしいのだ。日本から行っても往復に時間と体力を使ってしまうので、なかなかじっくりと田舎を回るのは難しい。でも英国に6年半も滞在すれば、これが簡単にできるのだ。今でもNHK等で昔行ったことのある場所を特集してくれると、嬉しくて昔を懐かしんで見てしまう。

 
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英国はどこへ行くのか

2015 AUG 26 13:13:45 pm by 中村 順一

英国の国旗、ユニオン・ジャック

英国の国旗、ユニオン・ジャック

ちょっと古い話になるが、今年5月の英国総選挙の結果として、保守党が勝利して単独過半数の議席を確保した。キャメロン首相は自らの約束を実現して、2017年までに英国のEU加盟継続を問う国民投票を行う可能性が高い。それまでにキャメロン首相は、英国がEUとの間で調印批准した条約について再交渉を行うことになる。

今回の総選挙で最大の問題となったのは、英国が今まで通り、UNITED KINGDOMとしてのUNION(連合)を継続していけるか否かであった。それを破壊するものとして、二つのナショナリズム、すなわちスコットランド・ナショナリズムとイングランド・ナショナリズム、さらに欧州懐疑主義のイデオロギーが浮上してきた。

昨年、北西イングランドの小職の友人の英国人の家に泊めてもらった時、保守党支持の英国人主人と議論になった。「ジョニー(小職の海外でのファースト・ネーム)、英国の人口がとうとう7千万人を超えてしまったのを知っているか?」「この間まで6千万人だったじゃないか。ついに英国もフランスの如く、出生率の向上に成功したか、出生率の向上が人口増に寄与しているなら、めでたい話じゃないか」「残念ながら違う、違う、真の英国人は全く増えていない。すべて移民だ。EU各国から怒涛のように移民が押し寄せている。英国は徐々に英国ではなくなりつつある。昔は旧植民地からの移民が多かったのだが、今はEUからだ。そろそろ止めないといけない。」

キャメロン首相は2013年1月の演説において、2015年の総選挙で保守党が勝利した際には2017年までに英国のEU加盟存続を問う国民投票を行うことを約束した。

キャメロンは次のように言っている。「2015年の総選挙の際の保守党のマニフェストでは、次の会期で保守党政権は欧州のパートナーたちと新しい条件を求めて交渉することを、英国国民に約束することになる。それはその核心において、単一市場に関するものとなるであろう。そして、我々が新しい条件に関して交渉を終えた後に、保守党政権は英国国民に対して、そのまま加盟を存続するか、あるいは離脱するか、を問う国民投票の機会を提供することになる。新しい条件に基づいてEUへの加盟を続けるのか、あるいは完全に離脱してしまうのか。これは単純なYES, orNOを問う国民投票になる。」

イングランド・ナショナリズムである。イングランド・ナショナリズムは欧州懐疑主義とEUからの離脱を志向している。保守党の予想外の大勝は英国のEUからの離脱の可能性を高めた。もう一つのナショナリズムはスコットランド・ナショナリズムである。今回の選挙で保守党以外で大勝したのは、スコットランド国民党(SNP)である。選挙の結果、保守党はスコットランドに議席を持たないイングランド中心の政党となり、イングランド・ナショナリズムを体現し、SNPはイングランドやウェールズ、北アイルランドに議席を持たない、スコットランドのナショナリズムのみを体現する政党になった。この2つのナショナリズムが衝突し、連合王国が分裂に至る可能性が俄かに出てきたのである。

今回の総選挙の結果、保守党やSNP,民主統一党(DUP)、シン・フェイン党のような地域ナショナリズムに根ざした政党が得票率以上の議席を確保し、自民党や緑の党などのユニオニズムに基づいた全国規模の支持者を基礎とする政党が大幅に死票を生んだ。このことによって、次回以降の選挙でも地域ナショナリズムを利用した選挙戦術が拡大する可能性が高い。小選挙区制の宿命である。

保守党と労働党は過去半世紀で党員数が大幅に減少し、得票率も減った。1951年の選挙では二大政党の保守党と労働党の得票率の合計は97%だった。今回の選挙ではそれが67,3%まで減少している。もはや英国は二大政党の国ではなくなってきたのである。

英国は今後、英国内とスコットランド内の二つのナショナリズムにさいなまれ、身動きがとりにくくなっていくだろう。

BREXITとGREXIT

今年はギリシャのユーロ圏からの離脱(GREXIT)のみならず、英国のEUからの離脱(BREXIT)が真剣に考慮され議論される年となった。

欧州の政治は変わってきた。欧州の現代のデモクラシーは、肥大化する国民の不満に対処する能力を欠いてきた。その際には、意図的に外部に敵を作り、それを攻撃することで国民の支持を獲得せんとするポピュリズムが台頭してしまう。

「今日の政党間競争においては政策的な選択肢の差異が縮小し、政治的競争はスタイルやイメージを競うようなものになってきている。他方で、国民の政治的不満は大きく、正規の問題解決能力あるいはみずからの政治的有効性感覚への疑念もまた膨れ上がっている。ポピュリズム勢力は、既成政党を批判し、政治の現状に対する有権者の不満の代弁者として登場する。」(野田昌吾大阪市立大学教授)

ギリシャでは、2012年の財政危機の後に、IMFとEUからの緊急資金を得ることでこれまでつないでいた。しかし、国内の改革が十分に進んでいない一方で、財政再建のための緊縮財政を要求するEUやIMFへの国民の不満が高まり、1月には極左と極右の連立政権が誕生してツイプラスが首相となった。

ツイプラス首相はEUの提案する緊縮財政による財政再建案を拒否して、独自の緩慢な改革案をEUにむりやり押し付けようとしたが、それを拒絶したことによってIMFとEUはギリシャ支援を打ち切らざるを得ず、ギリシャはデフォルト寸前までいってしまった。

英国の場合はEUを外部の敵として、スコットランドの場合はイングランドを外部の敵として、ギリシャの場合はEUとIMFを外部の敵とみなした。その敵を攻撃することで国民の人気を獲得しようとするポピュリズムが英国とギリシャをはじめ、ヨーロッパのあちこちで台頭している。これこそが、今のヨーロッパ政治の混乱の最大の原因である。

 

英国はどこに行くのか

英国政治は大きな曲がり角に立っている。従来のような安定した組織票に基づいた二大政党制は過去のものとなりつつある。また、ユニオリズムを前提とした連合王国としての一体性も自明ではなくなっている。

今年のスコットランドの独立の是非を問うスコットランド住民の投票の時、小職はイングランドの友人に聞いた。「いくらなんでも、独立にはならないだろう。スコティッシュにも理性があるはずだ。」「ジョニー、これがきわどいんだ。労働党は独立を煽る言動をしているし、今回の投票率は普通の英国の選挙に比べてかなり高くなる。普段は選挙に行かないスコットランドの労働者が独立に賛成してしまうんだ。特にグラスゴーがやばい。深く本当の意義を考慮しないポピュリズムだよ。」結果は独立NOになったが、かなりの接戦だった。

欧州におけるデモクラシーは、より一層ポピュリズムに結びつくようになり、英国においても深刻な危機に直面している。そのようなポピュリズムは英国では、反移民、反EU, 反ユニオリズムと結びつきつつある。

英国独立党(UKIP)の台頭(今回の選挙では得票率12.6%、保守党、労働党に続いて3位)と、国民の移民規制の要望という圧力にさらされて、キャメロン首相は英国のEUからの離脱の方向に舵を切ってしまったように見える。キャメロン自体はEU離脱に反対の姿勢だが、保守党の党内の主流は欧州懐疑派であり、フィリップ・ハモンド外相をはじめEUからの離脱へと国民投票で投票すると公言する閣僚も存在する。

英国のEUからの離脱の可能性は、低くはない。むしろ高くなってきたのではないか。(英国でも離脱論が優勢になってきた)

英国はUNITED KINGDOMを維持していけるだろうか。欧州は激動の時代に入りつつある。

 

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やっと最下位脱出、東急線混乱でも間に合った

2015 AUG 26 11:11:49 am by 中村 順一

昨晩は早く自宅に帰りたかった。NHKのBSでオリックスー楽天戦を実況中継していたからである。オリックスは開幕以来ずっとビリでしかも5位のチーム(ほとんどのケースで楽天)との差が離れた状態が続いていた。ところが最近楽天が6連敗、オリックスもよろよろしているが、ついに楽天とのゲーム差が1になり、昨日のゲームに勝てれば、ゲーム差なしだが、勝率で上回ることになり、ついにビリの地位を楽天に譲ることができる状態になっていたのである。しかも投手は金子と則本のエース対決、ビリ勝負として最高に盛り上がる。

ところが、昨晩は東急線が信号故障で大トラブル、いつものように山手線で目黒まで行って、目黒線に乗り換えようとしたら、目黒線、東横線、多摩川線が運転見合わせ中、復旧の目途たたず、という状態であった。小職の駅は多摩川駅で、正にこの3つの線が走っている駅である。逆に言うとこの3つの線が止まったら、帰る方法がなくなる。 どうしようもないので、唯一の方法であるタクシーに頼るしかないのだが、これが当然のことながら長蛇の列、タクシーを捕まえるまで1時間以上かかってしまった。そしてタクシーに乗れた後も、目黒通りは渋滞、動きが取れず、我が家までかなり時間がかかった。それでもまだ昨晩の中では恵まれた方かも知れない。目黒駅の混乱は、渋谷駅よりはマシだったようだ。

さて、自宅に着いてBSをつけると、良かった、間に合った。9回の表が始まるところだった。1対0でオリックスリード中、マウンドには佐藤達が立っていた。金子と則本の投手戦、1回に今季絶不調の糸井が打ったホームランが唯一の得点だった。金子は7回まで好投、8回もやっと戻ってきた平野佳が抑えていた。でも、佐藤達は不安いっぱいのクローザーだ。先日も東、中島両氏と見に行ったソフトバンク戦で見事に逆転ホームランを食らったばかり。コントロールに難があり、四球で崩れるのがパターンである、直球、スライダー、フォークの威力自体は十分なのだが。昨晩も、三振で1アウトを取った後、四球。追い込んでからストライクが入らなくなる。しかし、昨晩はここからがラッキー、楽天打線が早打ちしてくれて、外野フライと内野ゴロでゲームセット、ついに念願の今季初の最下位脱出が達成された瞬間だった。

オリックスは3連戦の2戦目になる本日は東明、明日は西も使える。7連敗中の楽天に対しては有利だ。せめてビリだけはやめて、というのがファンとして最後のお願い。さえない話だが、もう3位になってCSに出るという夢は捨てている。あー、今シーズンはいったいどうなっちゃったんだろう。

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オリックス劇的敗北、惨め、しかし翌日復活

2015 AUG 13 16:16:29 pm by 中村 順一

正に劇的過ぎた。東、中島両氏のブログにあるように、3人で観戦した11日の試合はソフトバンクが9回の裏に5点を奪ってサヨナラ勝ち。中村のヒットで2点差になり、ヤフオクドームは異様な雰囲気に包まれてきた。いやな予感がした。マウンドの佐藤達はコントロールが定まらず、すでに本多と明石に四球を出していた。しかも球数も多く柳田が出てきたときは30球を超えていた。佐藤達は本来は8回を任されるセットアッパーだ。去年はいつも8回に出てきて完璧に役割をこなしていた。ところが、クローザーの平野佳が度重なる故障で戦列を離れているため、現在は臨時でクローザーを任されている。過去に抑えの経験があるとはいえ、慣れてはいない。自分の投球次第でチームの勝敗が決する緊張感は独特だ。佐藤達ではきついのだ。惜しいボールで四球が続きボディーブローのように緊張感が増していっていたことは想像に難くない。しかも相手は12球団トップの打線だ。

柳田が出てきたとき、ランナーは1塁2塁、ホームランなら逆転サヨナラだ。野球ではよくホームランが出れば同点だとか、逆転だとか、コメントするがそれが実現することはまずない。でも、これは本当にやばいぞ、と思った。佐藤達は投げる球は直球しかないのは見え見え、しかも余裕がまったくなく、きわどいコースには投げられないだろう。ど真ん中に直球を投げてしまうのではないか、四球でもいいじゃないか、でもそんな精神的余裕はないだろう。案の定、カウント1-1からど真ん中の直球がいってしまった。

柳田は機動力もある、最高の選手。今シーズンは3割、30ホームラン、30盗塁も達成できるのではないか。打った途端にホームランだ!とわかった。ドームの熱狂は最高潮に達した、野球漫画のストーリーのような幕切れ、ドームの9割9分の人間が熱狂していたが、小職はもちろん違った。こんな惨めな気持ちにはなかなかなれない。でも不思議なことに惨めな気持ちになったのは1時間くらいだけで、あとはむしろあきらめの開き直りの気持ちにすらなった。今シーズン、オリックスは柳田と松田にいつもやられている。それが究極の形で出ただけだ。もう優勝はソフトバンクに決まっているし、オリックスが3位に上がれる可能性もほとんどない。まあ、しょうがないよ。

帰路につきながら、東氏など、「この負け方は尾を引くぞ、佐藤達などはトラウマになってしばらく投げられないのではないか」とコメントしていた。それほどオリックスの負け方が劇的だったのだ。

ところが12日の試合はオリックスが3対2で逃げ切った。東明が7回を2点に抑えたのも昨日の金子と同じ、そのあとの抑えも8回岸田、9回佐藤達もまったく同じだった。驚くことに岸田と佐藤達はこの1点を抑えきった。9回は2死2塁で本多、昨日の佐藤達なら全く信頼できないケースだったが、本多を空振り三振でゲームセット。昨日の大きな借りを返した形になった。東の予想は外れ、佐藤達は自分の仕事を全うした。昨日と同じ救援陣をあえて使ったオリックス首脳陣を評価したい。劇的敗戦を忘れられる。3位は無理でもせめて4位ぐらいは何とかしろ、オリックス。頑張れ。

 

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日本で地震がいちばん少ない場所、大東諸島

2015 APR 8 17:17:43 pm by 中村 順一

大東諸島は沖縄本島の東、340キロに存在する絶海の孤島である。南大東島、北大東島、遥か南に離れた沖大東島の3つの島からなる。およそ100万年前から20万年前、珊瑚礁の隆起によって形成された海洋島である。島の面積は南大東島が約30.6平方KM, 北大東島が約12.7平方KM, 沖大東島が1.147平方KM.。人口は南大東島が約1400人、北大東島が約700人、沖大東島は現在無人島である。

沖大東島は南北大東島からは南に遥かに離れており、正に絶海の孤島である。ラサ島という別名もある。戦前はリン鉱石採掘で栄え、人口が数千人を数えた時期もあった。第二次大戦中は米軍上陸に備え、陸海軍が駐留していた。戦後は住民が引き揚げたため、無人島になり、その後長い間米軍による射爆撃訓練に使われていた。島全体が、現在でもラサ工業という私企業の私有地である。これは不思議なことに1937年以降変わっていない。この島の存在のお蔭で日本の排他的経済水域の面積はかなり増えている。国境にある日本にとって貴重な島なのである。皆さん、是非大東諸島、特に沖大東島の場所は地図で参照してほしい。

筆者は南大東島を15年ほど前に訪れたことがある。那覇から飛行機で1時間くらいだ。那覇から日帰りの旅だったが、島では頼んでおいてガイドに付いてもらった。島は平坦であり、大規模かつ機械化された農業が盛んである。島は周辺部の方が標高が高い、特異な地形のため、島の内部に行くと海が見えない。従って面白いことに島にいるという感覚が持ちにくかった。

ガイドが興味あることを言い出した。「中村さん、大東諸島はには地震がありません。島が開かれてから100年以上経ちますが、ほとんど地震に関する記録が残っていないのです。もっとも珊瑚が隆起した島なので、台風で大波が来ると、島が微妙に揺れるんですけどね。」 へえー、そうなんだ、と思い、東京に帰ってから調べてみると確かにそうだった。大東諸島はフィリピン海プレートに位置しており、大陸プレートの境界からかなり離れているために、地震が少ないのである。

大東島地方で観測した体に感じる地震は、地震観測が開始された1957年から2014年までの57年間で20回しかない。しかもそのほとんどが震度1である。2010年に震度4が2回あったのだが、その時を除くとほとんど揺れていない。日本のほかの地域に比べると特異な場所である。

沖大東島は絶海の孤島であり、現在無人島。地震もない。筆者は原子力発電のごみ最終処理地として最適、と長い間考えている。前職時代に当時某電力の会長だった、N前県知事とこの話題で盛り上がったことがある。3.11よりかなり前の話であるが。

日本もなかなか広い国である。おもしろい場所がたくさんある。

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早くも絶望?そんな馬鹿な、オリックス低迷

2015 APR 7 13:13:38 pm by 中村 順一

開幕3カード連続負け越し、オリックスは出口の見えないトンネルに入ってしまった。ピッチャーが全くいない。エース金子は、4月中旬には間違いなく出てこれると踏んでいたのにまだ目途がたっていない。それだけではない、中継ぎで去年大活躍した比嘉、準抑えの岸田、抑えの守護神平野佳、をすべて欠いてしまっているのだ。

9試合を終え、なんと1勝8敗、チーム防御率はリーグ5位の3.98、打率は12球団ワーストの1割9分8厘である。本拠地開催になって期待した4月3日からの日本ハム3連戦ではすべての試合で先制を奪うものの、ゲーム中盤で巻き返されての逆転負け。中継ぎ陣が不安だらけ、榊原ではどうしても少しは点を献上してしまうし、佐藤達、馬原にも去年の切れがない。この投手陣では、打撃陣のもうひと押しがほしいところだ。

わずか2厘差、ゲーム差なしでリーグ優勝を逃した昨年の悔しさを晴らすべく、オリックスはこのオフ最も積極的に動いた。補強費用は総額40億円以上とも言われている。米国帰りの中島、小谷野(日本ハム)の実績十分な内野手に加え、外国人でもバリントン(広島)、ブランコ(DeNA)の大物を獲得。加えてFA宣言していた金子、FA権を得たクローザー平野佳の両者とは複数年契約を結び、引き留めに成功していた。故障者が続いた昨年終盤には選手層の薄さがソフトバンクとの比較で特に問題になった。今年はむしろ巨大戦力をどうやってもて余すことなく起用できるか、森脇監督の手腕が大きな見どころと思っていた。

ところがである。早くも去年以上の故障者続出だ。打撃陣はちょっとひどすぎないか?ブランコは左膝痛で早くも抹消だが、それ以上に深刻なのは不動の3番、糸井ではないか。糸井は開幕から9試合にフル出場し34打数5安打、打率1割4分7厘、1本塁打、3打点。昨年のリーディングヒッターから快音は聞こえてこない。得点圏打率はわずか1割、あと1本が出れば、というところで凡退ばかりしている。何とかしてほしい。

まだ開幕して9試合である。開幕から15~20試合ぐらいは開幕直後ということで、不調であってもその後のリカバリーが効く期間かも知れない。しかし、今年のオリックスはひどすぎる。森脇監督も大変だろうが、そろそろ連勝していかないと、話にならない。早くも今シーズン絶望となってしまうぞ?

 

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ヨーロッパの小さい国々、ジブラルタルとアルバニア

2015 MAR 13 16:16:35 pm by 中村 順一

さすがに最近はそんなことは考えなくなったが、20年以上前にヨーロッパに住んでいたころは、いろいろな国に行くのが趣味で、できれば100か国以上の国に行ってみたいと思っていた。国境を100回以上跨ぐという夢である。

ヨーロッパは小さい国がたくさん、しかも比較的まとまった地域に存在しており、往訪した国数をかせぐのには適している。7年も滞在したので、時間も十分にあった為、1990時点で欧州に存在した国はすべて行くことができた。当時は住んでいた英国の同僚にも感心され、”GREAT TRAVELLER” というありがたいニック・ネームまで頂戴していた。その後、ソ連が崩壊し、ユーゴスラビアが崩壊し、行けてない国はたくさんできてしまったのだが。筆者の現時点での往訪国は80強になっているが、100にはまだ距離がある。

行ってみた小さい国(地域)を挙げてみると、ジブラルタル、アンドラ、モナコ、サンマリノ、バチカン市国、アルバニア、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、マルタ、カリーニングラード(ロシア飛び地)くらいであろうか。

なかでも印象的だったのは、ジブラルタルとアルバニアである。ジブラルタルはイベリア半島の南東端から地中海に突き出た小さな半島で、英国が実効支配している。これに対し、自国の領土だと主張しているのがスペインだ。スペインにとってみれば北側が陸続きであり、英国の飛び地であるこの半島はなんとしても奪還したいのだ。最も筆者に言わせれば、それなら対岸のアフリカ大陸にあるセウタとメリリャはモロッコに返せよ、ということになるのだが。交通の要衝というだけでなく、ジブラルタルは「ザ・ロック」と呼ばれる一枚岩によって形成されている風光明媚な土地で景勝地としての魅力もある。岩の頂上からの地中海や対岸のアフリカの見晴しが、素晴らしかったのを覚えている。歴史は古く1704年の王位継承戦争により、英国がスペインから統治権を獲得している。最近は英国とスペインの政府間交渉は進捗が図られてはいるものの、領有問題はいまだ解決していない。

 

アルバニアには1989年に行った。ベルリンの壁やソ連の崩壊前の話であり、当時のアルバニアはスターリン主義の独裁国家で、ほとんど鎖国に近い状態であった。英国からの特別ツアーに家族と共に参加したのだが、国中にトーチカが無数にあり(国営のアルブツーリストのガイドによれば敵の攻撃を避けるためとのこと)、近代的な建物や施設は極めて限られており、他のヨーロッパ諸国とは全く別世界の印象だった。人々は素朴で、夕方になると散歩する習慣があり(唯一の娯楽)、日本人など見たこともない存在であったためか、我々家族は散歩するアルバニア人の中ですっかり目立ち、私の息子も娘も首都のティラナの中心部のスカンデルベグ広場で大変な人気者になってしまった。人々の笑顔が印象的だった。

当時のアルバニア国民は国外に出ることは難しく、出れるのは医者とサッカー選手ぐらいとのことだった。筆者家族のガイドは流暢に英語を話したが、まだ外国には行ったことが無い、とのことだった。そのアルバニアも今ではすっかり変化しているらしい。また、行ってみたいが。どうだろうか。

 

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直線的な国境、カナダとアメリカの国境ー領土問題ー

2015 MAR 9 15:15:27 pm by 中村 順一

国境とは言うまでもなく、国と国との境であり、ある民族と違う民族との境であるケースも多い。国によっては、大きな山が国境になっていたり、大きな川が国境になっていたりする。自然の地形を基にした国境が多いのだが、直線的な緯線や経線を使った国境も世界中に見られる。

例えばアフリカである。エジプトとスーダン、エジプトとリビアなどである。1884年にビスマルクが欧州諸国に呼びかけてベルリン会議開き、アフリカの植民地分割の基礎を決定した。よく言われるように、欧州諸国は自分の分け前の確保ばかりを考え、アフリカの民族(部族)やその文化を考慮せず、経度や緯度に沿って地域を分け合ったため、直線的な国境線が数多く生まれてしまった。また中東もしかりで、これはオスマン帝国の分割を決めた1915年のサイクス・ピコ協定がベースになっている。何という自己中心的な発想であろうか。これが20世紀まで、平気で行われていた、領土の分捕り合戦なのである。

世界最大の国境はカナダ=アメリカ合衆国の国境である。国境の長さは8891KMにも及ぶが、カナダにとっては唯一の国境である。カナダは唯一の国と国境を接する国としては世界最大の国家である。現在のカナダ=アメリカ国境はアメリカ独立戦争を終わらせた1783年のパリ条約で創られた。その後、英国領北アメリカとアメリカ合衆国は共に西方への領土拡張を競い、1818年の2国間協議により、カナダのオンタリオ州とアメリカのミネソタ州の州境にあるウッズ湖の北西部分からロッキー山脈まで北緯49度線に沿って国境が西に延伸された。その後、両国の主張は食い違っていたが、1846年のオレゴン条約で解決され、ロッキー山脈を西に過ぎても北緯49度線を国境とすることになった。こうして世界最長の直線国境が誕生したのである。

カナダとアメリカ合衆国の国境は、調べてみると興味深く、山岳地や深い森林地帯、大草原、農地、5大湖、セントローレンス川、さらには太平洋、大西洋、および北極海の水上国境等さまざまだ。アフリカ・中東の事情に似ているが、両国の国境はモホーク族インディアンの領土アクウェサスネを2分してしまっており、バーモント州とケベック州では幾つかの建物の中を通っている。これらの建物が造られたのは国境が正式に決められる以前のことだった。メイン州とニューブランズウィック州の国境は古いゴルフ場の中を通っている。

あまり報じられていないが、カナダとアメリカにも国境論争は存在する。①ボーフォート海(アラスカ州とユーコン準州)、②ディクソン・エントランス(アラスカ州とブリティッシュコロンビア州)、③ファン・デフカ海峡(ワシントン州とブリティッシュコロンビア州)、④マチアス・シール島とノースロック(メイン州とニューブランズウィック州)等である。ボーフォート海では石油探鉱が発見されているが、領海に関し、カナダとアメリカの主張が異なるため、石油採掘すら中断している状況だという。日本とどこかの国みたいではないか。

領土問題は世界中に存在する。カナダとアメリカの例を見ても、経線や緯線での直線的な国境も、領土問題を発生させないためには意外に知恵なのかも知れない。もちろん、帝国主義的な植民地分割は論外だが。

国境を考える Ⅵ

 

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