Sonar Members Club No.22

since November 2012

ある中国人曰く「韓国人が大嫌いです」

2014 DEC 24 14:14:00 pm by 中村 順一

12月に北京に出張してきた。北京にはめずらしく、晴天で見晴しも極めて良かった。悪名高いスモッグも無かった。ものすごく寒く、最高温度が氷点下1度で最低が氷点下10度だったのには参ったが。ホテルはニューオータニ長富宮、日本人の資本なので何かと安心だ。北京への出張時はここに泊まることにしている。APECで北京を訪れた安倍首相もここに泊まっている。ホテルの部屋からは、遠くに山々が見渡せた。これは北京ではめったに無いことである。

昼間は、関係先往訪で多忙だったが、夜は、筆者の前職時代の同僚の中国人2人と久しぶりの再会を祝って、ゆっくりと中華料理を楽しんだ。この2人は日本語堪能の親日派で、日本と中国の両国の関係改善を真剣に願っている。筆者との付き合いも長く、筆者が高く信頼している良識のある人たちだ。

2人は男性と女性なのだが、男性の日本語能力は半端ではなく、最近読んだ日本語の本が。中公新書の「昭和陸軍の軌跡」だそうで、非常に面白かったとのこと。陸軍の統制派と皇道派の対立、永田鉄山の陸軍省での刺殺、等に話題が盛り上がったのにはびっくりした。筆者も海軍は詳しいのだが、陸軍はそれほどでもなく、ちょっとタジタジだった。

この男性が突然切り出した。「中村さん、私は韓国人が大嫌いなんです。何というエキセントリックな国民でしょう。たいていの中国人は、本当は韓国人のことは好きではありません、嫌いなんです。」

「えーそうなの、どうして嫌いなの」と聞いてみた。

「教育がおかしいんです。見てくださいよ。」といって見せてくれたのが、最近中国の中で問題になっている、韓国の歴史教育に関する記事だった。韓国の中学校では、歴史的に百済、新羅、高麗は中国のほとんどの領域を支配し、日本はその時代、完全に韓国の領土であった、ということになっているのだそうだ。「これが正しい歴史なのに、中国は国内で嘘の歴史教育をしている、許せん。」といって韓国内部ではソウルの中国大使館前でデモが頻発しており、中国の国旗も焼かれたりしているとのこと。「全く話になりません。国家と国民のレベルと品位の問題です。」。彼はかなり怒っていた。(記事の冒頭に彼が見せてくれた記事の一部を掲載)

確かに韓国は人の国の教科書の記述にギャーギャー言ってくるが、自分はどうなの、ふざけないで、ということなのかも知れない。習近平と某大統領は首脳会談で抱き合ったりしているが、韓国と中国の関係は極めて微妙なのだ、ということを再認識できた夕食だった。某大統領も調子に乗りすぎか。

やれやれ、疲れさせる国民性です。

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

○母神氏の講演を聞く

2014 DEC 18 16:16:34 pm by 中村 順一

今週、都内某所で、元航空幕僚長の〇母神氏の講演を聞いた。少人数の聴講者の中のスピーチで、臨場感があり、貴重な機会だった。以下にその講演を要約してみる。

 

1:自分の国は自分で守るべき

世界、その中でも日本はアメリカの陰謀にやられている。その成果は約45年ごとに発揮されている。まずは1945年の日本の敗戦。日露戦争に勝ったアジアの新興国日本を警戒し、戦争に引きずり込んで壊滅させた。次は1991年のソ連崩壊。冷戦の末やっつけた。1990年代初頭から再びターゲットは日本及びドイツに。経済面で脅威になった日本をあらゆる手を使ってしめつけている。お蔭で日本の経済はこの20年まったく成長できていない。

日本の自衛隊の装備は優秀、米軍との共同作戦であれば極めて強い。しかし、米軍から離れた独自行動になると途端に弱くなる。GPS等の精密機器はアメリカ製ばかり、アメリカにそのコードを意図的に変換されただけで自衛隊は機能不全に陥る。日米安保条約は、対等な国同士の条約ではもちろん無い。

世界の軍隊を規定する法律は国際法である。これはネガティブリスト、すなわち、こういう行為はやってはいけません、という考え方が基本にある。ところが日本の自衛隊だけは国際法でなく、自衛隊法に縛られている。これはポジティブリスト、すなわち、こういう行為だけはやってもOKです、という考え方なのだ。このために、たとえば海上自衛隊がインド洋に派遣され、同盟国への給油活動に限りOKとなると、仮に自衛艦の目の前で、民間の船が海賊に襲われ人が殺されても、自衛艦は民間の船を助けることはNGというバカなことになる。自衛隊は国防軍と名前を替えて、他の国の軍隊と同じように、国際法で規定されるべきである。

 

2:中国とは戦争にならない

中国は尖閣問題で日本と戦争する気があるわけがない。米軍と中国軍の戦力差は10対1程度ぐらいが正当な評価。自衛隊も中国軍には決して負けない。中国軍の戦闘機は航続距離が短く、尖閣に攻めてきても中国内の基地には戻れず東シナ海に墜落してしまう。潜水艦の性能も劣り、スクリュー音がうるさい為、日米軍にとって中国の潜水艦がどこにいるか、ということを把握することはたやすい。それに比較すると日本の潜水艦のスターリングエンジンは高性能で世界一音が小さい。

中国が尖閣水域に出没するのは、繰り返して日本を威圧すれば、やがて日本の左翼が出てきて、「中国とは戦争はいやだ、戦争になるくらいなら、あんな小さい島くらいくれてやれ」と言い出すのを待っているのだ。

 

3:〇明党は話にならない、I破もダメ

〇明党は日本を滅ぼしてしまう。彼らは日本のことはまったくどうでも良く、自分達のことしか考えていない。創価学会と〇明党は一心同体だが、不思議なことに選挙ではそれが全く語られない。自分は今回東京12区で次世代の党から立候補したが、これはともかく〇明党の〇田明宏を叩きたかったからだ。次世代の党からは、北海道の比例区なら通るかも、どうですかとか、東京18区に出てぜひ菅をやっつけてくれ、などと頼まれたが、断った。ともかく自分の真の敵は〇明党なのだから。落ちてはしまったが、思う存分〇明党の悪口を言えたのは良かった。〇明党は常に安倍政権の足ばかり引っ張っている。けしからん。

自民党のI破も評価できない。彼は靖国神社に一回も参拝したことが無い。自虐史観のアメリカ迎合主義者だ。彼が首相になってはいけない。一般的には自衛隊を愛する保守派と考えられているようだが、間違いだ。かれは異常な軍事マニアで、同型艦の大和と武蔵が正確にはここと、ここが違うとか言って知識を自慢している。まったくあほらしくて話す気にもなれない。集団的自衛権の議論でも彼は国民の皆様にわかりやすく説明することが大事、とか言って、10以上の具体例を挙げたが、全くナンセンス。中国に作戦を事前に全部教えているようなものだ。

今の政治家はアメリカ派と中国派はたくさんいるが、真に日本を愛する日本派は極めて少ない。

 

4:原発、TPP,  消費税

原発は再稼働すべき。化石燃料の輸入で国富が失われてしまう。3:11の時、菅がやった住民の避難を自分は「平成の強制連行」だと思っている。日本の放射能の基準は欧米の約1000倍も厳しい。福島の事故で放射能で死んだ人はゼロである、政府は放射能の恐怖をあおっているのだ。

TPPも反対、アメリカのいいようにやられてしまう。消費税の改定も反対。そもそも8%がゴールではなく10%まで決まってたわけだが、8%に上げて、案の定、景気は落ち込んでしまった。そもそも緊縮財政にして景気が良くなるわけがないのだ。これも日本を滅ぼそうとする〇明党の陰謀である。20年間緊縮財政を志向して、日本は全くおかしくなってしまったではないか。日本の政府の借金は大きいが、日本にはそれを上回る資産がある。問題はない、積極財政にして景気回復すべし。

 

5:核装備、憲法改正

現代の世界は核保有国でなければ、大国になれない。世界政治での発言力が違う。もちろん、核を持つには核拡散防止条約を脱退する必要があり、簡単ではない。しかし、道のりは長くても政府が核武装への意思を固めるだけでも全然違う。またドイツ、イタリア、トルコがやっているように核を持たなくても、核を持った場合に備えて、核使用を訓練するのもひとつの方法だ。アメリカに対しても正面から言うべき、「日本の周りは中国、ロシア、北朝鮮、みんな核を持っている。どの国もアメリカの同盟国ではないでしょう。どうして同盟国である日本だけに、核を持たせたくないのか、おかしいではないか」と。

憲法改正はやってもらいたい。現行憲法は、世界で悪いのは日本だけ、という精神から書かれている。とんでもない話だ。5~10年かかるだろうが是非実現したい。

 

6:戦前の日本に戻れ

戦前の日本は暗黒だとか、日教組は言うがとんでもない。戦前の日本は、国家として一種の”最適化構造”を達成していたのだ。大家族制度の方が日本に適している。おじいちゃん、おばあちゃんが傍にいて皆で暮らせば、母親が子供を殺す、なんとことはあり得ないのだ。核家族化、女性の自立、いかんですよ。子供の数が減ってしまう。そもそも子供の数で、払う税金とか、もらう年金を調整すべきだ。

 

講義の最後に、 「おいおい、それでは全部が敵になってしまう、日本にとって日米同盟は重要であり、アメリカとの関係は維持・発展させるべきでは、」 という聴講者からの質問に対しては、

「アメリカと手を切れ、と言っている訳ではない。日本が、より主体的に自分の国を自分で守ることが、引いては日米同盟の強化に繋がる、と申し上げているのだ。」

との回答あり。

全体的に、さすがに、これは危ない考え方だ、という印象。日本は友人の国を作り、それを維持・発展させなければ存立すら危なくなる。日本単独では、スマート・パワー(ジョセフ・ナイ)は維持できない。戦前の二の舞は避けなければならない。

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

 

 

いやーまいった、腰痛です

2014 DEC 7 18:18:31 pm by 中村 順一

皆様、お久しぶりです。ちょっと長い間投稿をしておらず、大変申し訳ありませんでした。やれやれ、10月から、ちょっと辛い腰痛になっておりました。

筆者の腰痛の歴史は長く、高校時代、ラグビーをやっていて、ちょっと痛めたのが始まり、次は80年代後半に、英国ロンドン駐在時代にぎっくりとやってしまったのが2回目。この時もかなりひどく、背中の左側の筋肉が硬直し、体の左右のバランスが崩れ、腰から背中がひん曲がり、立っていてもまともに垂直の姿勢を作れず、周りの同僚をびっくりさせてしまい、かなり心配をかけた思い出がある。ただ、基本的には筋肉の問題であり、骨に大きな異常はなく、その後は、時々問題は発生するものの、何とかごまかしつやってこれた。

ところが、今回はもっとやっかいなことに、椎間板に問題が発生したのだ。今年の6月くらいから、膝が痛いなと感じたのが始まり、膝のレントゲンを撮ってみると、膝に問題のないことがわかり、「これは腰からきていますよ」、と医者に言われたのが、7月ごろ。その後MRIを撮ってみると、背骨の4番と5番の間の左側の椎間板が弱っており、すぐ傍の神経を刺激していることがわかった。その頃はちょっといやだな、と感じていたが、まだ深刻ではなく、「まあ、命を取られるわけでないし」とか言って、平気でゴルフも続けていた。

ドジは、10月後半の欧州への10日間ほどの出張の際、無理をしてしまったことだ。昔の職場とは違い、同行してくれる同僚はいない。1人で行くのだ。投資家訪問のための出張なのだが、書類や衣類等でトランクはかなり重くなってしまった。途中の行程が最後まで決まらなかったことから、デンマークのコペンハーゲンのホテルは、出張を開始してから、ネットで予約した。次の日が早朝出発だったので、便利なところがいいと考え、コペンハーゲン中央駅のすぐ傍のホテルを選んだ。これが失敗。ヨーロッパに長く滞在し、出張も毎年のように行っている筆者が、駅の傍は”治安が悪い”ことをついつい忘れてしまっていた。誰のせいでもない、すべて筆者がドジなのだ。夜9時ごろ、ホテルに着くと、おいおいこれはやばいぞ、と感じるほど治安が悪そうな場所だった。2人の男が次々とやってきて、「金をくれ」とせがんできた。筆者も、ともかく早くホテルにチェックインしなければ、とちょっとあわててしまった。中級のぼろいホテルだ、前の道路からロビーに入る入口までには、ちょっと長い階段があった。通常ならポーターを呼ぶのだが、夜も遅くなっており、ホテルの係員などまったく見当たらず、あたりは真っ暗。ちょっとそんな雰囲気では無かった。しょうがなく、重いトランクを”えいや”とばかりに持ち上げて階段を上ってしまった。そこで、ついに”ぎくっ”ときてしまったのだ。長年腰痛とは付き合ってきたので、これはちょっと深刻だ、ということは自分でもすぐにわかった。あーあ、とうとうやってしまった、という感覚だった。MRIまで撮って、問題があることを知りながら、なんというドジか、と自分を呪ったくらいだった。

さて、帰国後、痛みも引かないので、しょうがなく、”ワラをもすがる”感じで、早速あらゆる治療院を回ることになった。近代医学(整形外科)、鍼、マッサージ、整体等である。鍼、マッサージ、整体は保険も効かず、まさにお金が飛んでいく感じの出費になっている。腰痛が悪化して、約1月半、少しずつだが、お蔭様で快方には向かっている。毎日の仕事には特段支障は無いし、その後、国内や北京への出張も問題なくこなした。

近代医学はいいのだが、要は、ヘルニアの手術をするほど深刻ではない、という結論なので、やたらと薬をくれるだけなのである。薬の一つが、最近解禁された”*リカ”という神経への刺激を抑える薬で、副作用もある。筆者の場合は、ひどい耳鳴りでこれには参ってしまい、薬を変えてもらった。鍼は、港区にある、政治家、スポーツ選手、芸能人等も使っている、腰痛に悩む人間には、一部で有名な治療院だ。ここはかなり前に、腰痛に悩んでいた部下から紹介を受け、行っていたことがあり、その時は効いた記憶があったので、10年以上ぶりにまた行きだしたわけだ。一回に50本以上の鍼を腰に刺す痛い治療だ。マッサージは普段はいい気持ちなのだが、椎間板を痛めるほどの重症になると、まったく効かないし、むしろもっと痛くなってしまう。これは今回は行くのを中止した。

整形外科、および鍼の先生の言うことは、基本的には全く違うが、ひとつだけ共通している。それは「うまくいけば、椎間板の緊張が緩み、神経への刺激が弱まり、腰痛が治る」というコメントだ。椎間板の骨のでっぱりが自然に引っ込んでいく、というシナリオなのである。そう願いたいが、うまくいくかどうか。

腰の痛みで困るのは、腰だけでなく、首や膝にまで、違和感が波及することだ。いやになってしまう。幸い、何とかなってはおり、生活は全く普段と変わりない。何とか年内に痛みを完全に取り、12月18日のSMC忘年会も完全な調子で参加したいものだ(ちょっと無理かな)。ゴルフも10月の3連休からまったくやっていないが、これは復活は来年の春になりそう。ゴルフの技術の 本でも読んで、復活に備えたい。

投稿も11月中は集中力の不足から、していなかった。これから徐々に復活していきます。皆様、よろしくお願い申し上げます。

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ソフトバンクおめでとう、CSでオリックス踏ん張れ 

2014 OCT 3 13:13:10 pm by 中村 順一

実力に勝るソフトバンクの貫録勝ちだった。ソフトバンク、中島さん、心よりおめでとうございます。オリックスは世紀の大逆転をかけた大一番、今季やってきた戦い方を貫いた。先発ディクソンは2回に1点を献上、5回まで行ったが、ピンチを招いて降板。その後は、今季の進撃を支えた救援陣が総動員された。岸田、馬原、佐藤達、平野佳、マエストリ、比嘉だ。最後は、今季の中盤を支えた比嘉が打たれて万事休した。比嘉は悔しかったろうが、マエストリが四球で自滅した後を、クローザーとして完璧に抑えるのは今季の経験からしても難しかった。途中で何故、松葉を使えなかったか、使っていれば平野佳をもっと後ろの回に温存できたのでは、とか考えてしまう。

いや、しかし、この試合の進め方で負けたのだから、納得感はある。最後は力尽き、18年ぶりのリーグ制覇はならなかった、ということだ。森脇監督も、5年連続Bクラスのしょうもないチームをここまで持ってきたのだから、大評価だ。これからのCSでもまた心機一転頑張ってほしい。

ところで、筆者は昨晩はこのゲームを観戦していない。仲のいい東京在住のロシア人が、何と南アフリカに行ってしまうことになり、その送別会を乃木坂のイタリアンでやっていたのだ。途中経過は携帯でチェックしていたので、あまり送別会に集中できなくなってしまった。ロシア人には申し訳ないことをした。南アフリカはあまりに遠い。今後はなかなか会えなくなる。また、SMCの皆さんにも、テレビ観戦を勧めながら、自分で見ていない事実を、あやまらないといけない。昨晩はオリックスの敗戦、ロシア人との別れ、筆者にとって、実に寂しい夜になってしまった。

是非CSを福岡に見に行きたいところだが、その時期、1週間以上の欧州出張で無理。これも残念である。いずれにしてもパリーグの覇者は是非、セリーグを叩きのめしてほしい(特に巨人が来た場合)。

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ついに決戦の日来る、ソフトバンク対オリックス 

2014 OCT 2 13:13:41 pm by 中村 順一

ついに決戦の日が来た。2週間くらい前には、まったく考えもしなかった展開である。本日の日経朝刊のスポーツ欄にも、結構大きく取り上げている。パリーグの盛り上げの為にも嬉しいことだ。ソフトバンクは勝てば優勝、オリックスは勝てば残りの2試合に連敗しなければ優勝、である。

さて、まず投手だが、オリックスは、ディクソンで行くらしい。中4日である。ディクソンは昨年オリックスに入ってきたアメリカ人で右投、ストレートは対して早くない、ツーシーム主体の癖玉が特徴、という印象だ。昨年の特に後半は安定した投球を見せていた印象はある。地味だが、安定感が”売り”である。今シーズンは今のところ、9勝10敗、しかし、ソフトバンクには勝てていない。夏前は、出れば打たれの印象で、何だよと、全く信頼していなかったが、最近は少し、持ち直してきた。でも、ディクソンが長いイニングを投げることは考えにくい。最近の森脇監督の作戦だと、おそらく早い機会に左腕の松葉にスイッチか。先発が2人というイメージだ。その後は、マエストリ、岸田、東明が中盤戦、終盤は馬原、佐藤達、平野佳に繋げる作戦だろう。オリックスは、この作戦しか無いのだ。中1日のエース金子はベンチに入らず。入ると思ったが。しかし、最終回、仮に一点差でオリックスが勝っていて、平野佳が投げたら、おそらく駄目だろう、逆転されそう。疲れている、平野佳のストレートは威力が落ちている。

ソフトバンクも、まさかの連敗で最終戦まで優勝を決められなかった。それどころか、今日負けると逆にオリックスにマジック1が点灯してしまう。大ピンチ。ただホームゲームなのは有利。ナインは秋山監督の号令のもと、ゆっくりと調整した。今日勝てば優勝、優勝祝賀会にはビール3000本が用意されているらしい。投手はオリックスと違い、スタンリッジ以外は休養十分、先発は大隣らしいが、武田、中田、摂津、どんどん投入だろう。オリックスから移籍した大砲の李大浩も、打倒オリックスで燃えているらしい。やっかいな奴だ。

いずれにしても、この対決はまれに見る大一番、最高に盛り上がる「10:2」の対決なのだ。思い出すのは、1994年のセリーグの「10:8」である。巨人対中日で、勝った方が優勝だった。当然、中日を応援したが、万全のはずの、エース今中がめった打ちされてしまった。巨人の圧勝だった。ガッカリしたのを良く覚えている。

両チームとも絶好調ではない。よれよれの印象である。チームの勢いはオリックス、と言いたいところだが、底力はやはり、ソフトバンクだろう。何せ、打線は打撃10傑に5人を並べている。これだけ連敗しながら、祝勝会の準備というのも、ちょっとどうかとも思うが。

パリーグを盛り上げる最高のゲームを期待したい。大差がつく試合にはなりそうもない。今からワクワクする。NHKのBS1 で中継される。是非皆さん見てほしい。

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

オリックス、やっと勝ったけど、投手が足りない

2014 SEP 30 15:15:45 pm by 中村 順一

昨日はオリックスが勝ちました。4連敗阻止であります。西がやっぱり駄目で4点を早々と3回までに献上。ただ森脇監督が、ここで西を替えなかったのは良かったかも。意外にその後は6回まで粘って投球、リリーフ陣に繋げた。そこから打撃陣の思い切りの良さが復活。T-岡田の特大3ランも飛び出して、7対4で逆転勝ちである。

西がノックアウトされる形にならなかったのは良かった。さすが森脇監督である。これで西は楽天との最終戦に投げられるかも。オリックスの残り試合は4。本日30日(楽天)、2日(ソフトバンクとの最終対決)、4日(楽天)、6日(楽天)だ。楽天ばかりである。さて本日は中5日で金子を投入、当然必勝を期すわけだ。

でも2日の決戦は誰が投げるの?順番的には、松葉だが、東明かも知れない。何れにしても先発は長くても4回くらいしか投げさせないだろう。その後は得意の継投策だ。金子を2日に持っていく手もあったが、今日使えば、6日も使えるので作戦としては仕方がない。今日金子が好投して、リリーフ陣は休ませて、2日に6人くらい投手を使えれば勝機ありか。でもソフトバンクはあと1試合しかない最終戦。総力戦だ。投手は誰でも行けるが、大隣だろう。その後は武田、帆足、摂津などの先発陣を全部投入できる。松葉や東明では奮起のソフトバンク打線は抑えられないよ。きついなあ。これからの4戦が全部アウェイなのもきつい。守護神、平野佳も、ちょっと信頼できないし。

2日の決戦がすべてなのだが、やはり、本日金子で勝てたとしても、ソフトバンクがまだ有利だ。オリックスは2日に負ければ、総てが万事休すなのだから。でも、ソフトバンクの突然の大崩れはちょっと信じられない。負け過ぎ。エース級が投げなくてもオリックスが勝利するかも。2日にオリックスが勝てれば、その後の2試合は西と金子で行ける。ついつい期待してしまう。

今年のパリーグは最後に驚異的に盛り上がってきた。目が離せない。

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

オリックス接近、パリーグ混沌

2014 SEP 25 13:13:21 pm by 中村 順一

決して絶好調とは言えないのに、オリックスが首位ソフトバンクに迫ってきた。昨日はエース金子の力投と、最近打たれてばかりで、心配の種だった平野佳が締めて、西武に1-0で競り勝った。金子はこれで15勝。勝利数、防御率、奪三振の3部門でトップに立った。堂々たるパ全体のエースと言えよう。

最近10試合は5勝5敗でフラストの溜まる試合ばかりしているのだが、なんと、首位ソフトバンクが2勝8敗と大失速しているのだ。昨日はエースの摂津が3回6失点でKO、いったいどうなっているのだろう。しかし、まだソフトバンク有利なのは事実。ソフトバンクが連勝し、オリックスが連敗すれば、即マジック1なのだから。しかし、オリックスに有利な点がある。残り試合が9試合と、ソフトバンクの4試合よりかなり多いのだ。要は自分が勝っていけばいいのだ。本日、オリックスが勝って、ソフトバンクが負けか引き分けると、オリックスに逆マジック7が点灯する。本日のソフトバンクの相手は楽天の則本。かなり手ごわい。オリックスのマジック点灯が現実味を帯びてきた。

両チームは10月2日に最終戦を残している。ここが優勝がかかる直接対決になる可能性大だが、オリックスはここで金子を使えそう。問題は最近まったく冴えない西だ。西さえ奮起の好投を見せれば、逆転ありうべし、である。もう一人のキーマンは、やはり平野佳だろう。疲れ気味なのが気になる。オリックスは、今全員が何とかしようと一丸になっているのがいい。まずは本日の西武戦だ。先発は松葉。5回まで押さえてくれれば、と祈りたい。

ソフトバンクの突然の絶不調で、意外にも盛り上がってきたパリーグの優勝争い、セよりはずっとおもしろいね。

中島さん、ソフトバンク、どうしちゃたんですか?

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

東北海道の物語、その3(道東を一気にドライブする)

2014 SEP 11 17:17:18 pm by 中村 順一

さて、根室を出発、帰りのJAL便は夜の8時20分、女満別発だ。ゆっくり時間があるので、レンタカーでドライブしつつ東北海道を満喫しようとするプランだ。まずは根室から厚床、別海を経由して中標津を目指す。

厚床の交差点を右折して北に向かう。根釧台地の大平原だ。いやー、広い広い。東京近郊、あるいは本州のどこでも、九州でも四国でも、これだけの直線道路が地平線までずーっと続く景観を味わえることは無いと思う。運が良く、雲は少し出ていたが、天気は申し分なく、道東名物の霧も出ていなかったので、見晴らしも素晴らしかった。

中標津は内陸部にあり、漁業の盛んな海岸部に比べ、開拓は大幅に遅れていた。1911年に入植者が団体で移住し、開拓が本格的にスタート、1924年には原野に人とモノを運ぶ殖民鉄道が開通した。1974年には国営の根釧パイロット事業が開始され、機械化による大規模酪農が推進された。このパイロット・ファーム事業は、小職世代は北海道の象徴的な事業として、学校で習ったものである。最近は中標津空港の開港もあり、釧路・根室地域では唯一人口が増加している町になっている。車で走っていても町の活気は十分に感じられた。

開陽台に着いた。開陽台は中標津を代表するビュー・スポット。高台にある為、根釧台地が300度方向ぐらい見渡せる。どこまでも続く牧草地、防風林、知床連山、国後島まで一望できる景観は圧巻の一言だ。東北海道の広さを大いに実感できる。

中標津の後は、知床の入り口の羅臼を目指した。根室海峡の海岸に沿って北に走る。海のすぐ向こうに国後島が良く見えた。大きい島だ。今回の週末旅行は国後島を眺めることが目的の一つだったので、これだけはっきり島を眺められたのには感激した。やっぱり、これだけ北海道から近い(ものすごく近い)島を、ロシアが占拠しているのは違和感がある。どうしても返してもらう必要があるが、プーチン先生はやっぱり信頼できないかも。安倍頑張れ。

羅臼でソフトクリームを食べ、ちょっと休憩。その後は知床峠を越えてオホーツク海側のウトロヘ抜けた。知床峠では、雲がかかり、羅臼岳の頂上は見えなかった。知床を観光している時間はちょっと無いので、通過するのみ。ウトロの後は、昨晩根室のショット・バーで、ちょっと美貌の謎の女性から、「是非行け」、と勧められた、「摩周湖(裏摩周展望台)」と、摩周湖のそばの「神の子池」を目指す。

摩周湖を見るのは約40年ぶり、神秘的で圧倒される湖だ。裏摩周展望台は初めてだったが、他の展望台に比べると、湖面により近く、観光客も少なく、摩周湖の雰囲気をじっくり味わえる。是非お勧めである。神の子池もいい。神の子池はまだあまり観光地化しておらず、車で行くにも、舗装されていない山道を走る必要がある。摩周湖の地下水が湧き出ている山の奥にある池だ。摩周湖は、湖に流れ込む川も流れ出す川も無いことで有名だが、それでも水位が変化しないのは、湖の周辺で、神の子池などの伏流水で調整しているからだという。池はコバルトブルーで本当に美しかった。不思議な色である。これは来たかいがあったと思った。謎の女性に感謝。

その後は、少しずつ日没であたりが暗くなってきたこともあり、女満別の空港を目指した。ずいぶんドライブしたものだ。女満別の空港で、レンタカーを返す時、トヨタレンタカーの係員が、「根室から来られたのですか。女満別はオホーツク海側で、釧路や根室とは天気が違います、根室は夏でもいつも霧がかかって寒いでしょう。僕らもオホーツク側が暑いと、向こうに避暑に行くんですよ。」と話しかけてきた。同じ道東でも北と南では少し、雰囲気が違うのだ。人々の感覚も微妙に違う。

さて、JALも定刻どおりに羽田に到着。筆者の「急に思い立った、東北海道への旅」という充実した週末は幕を閉じた。皆さん、道東への旅は是非お勧めです。

 
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
 をクリックして下さい。」
 

東北海道の物語、その2(最果ての街、根室)

2014 SEP 10 15:15:37 pm by 中村 順一

樺太北緯50度、日露国境の碑

樺太北緯50度、日露国境の碑

根室、花咲の車石

根室、花咲の車石

タクシーで厚岸に近い茶内の無人駅まで送ってもらった。ここから再び根室本線に乗って、東に向かう。

根室は日本の最東端にある正に最果ての町である。この最果ての寂寥感が好きで筆者は数回根室を訪れている。根室本線がゴトゴトと終点根室駅に到着したのは夜7時前だった。予約していた駅から徒歩数分の”イースト・ハーバーホテル”にチェックイン。ホテルに聞いて、まずは地元の魚がおいしい居酒屋へ。根室の魚はうまい。採ってすぐに居酒屋へ持ってくるからだろう。さんま、ブツ等、期待通りの味に大いに満足。そのあとはショット・バーに行った。一人で地方都市に行くときはショット・バーがいい。できるだけ行くようにしている。地元のショットバーのマスターとじっくり話し込むのだ、その地方の風土を実感できる。一人旅の魅力だ。今回もPというショット・バーでマスターと盛り上がった。

マスター「安倍ノミクスと言うけれど、根室では全く実感できません。根室の人口は2万数千まで減ってきています。昭和40年代は5万弱まで行ったんですけどね。北方領土は早く解決してほしいです。戦前の根室は、それはそれは千島との交流でにぎわったそうです。千島が帰ってこない限り、根室はやっぱり最果ての街です。これ以上、先に行くところがないのですから。宗男さんが、もう少しで歯舞・色丹だけでも解決寸前まで持って行ったのに田中真紀子がこわしちゃった。俺も根室生まれでずっと根室にいるの、根室が好きでしょうがないです、今47歳ですけど、えー、お客さんは今年還暦!若く見えるねー、55歳くらいかと思った(客へのワンパターンお世辞)。」

筆者「僕は亡くなった中川昭一の友達だったんだけど、昭一の評判はどうなの?」

マスター「お父さんの一郎さんの人気はすごかったけど、昭一さんは選挙区が変わって関心は十勝に移ってしまいました。根室ではやはり宗男さんです。」

バーには筆者以外に、筆者よりはかなり年上の親父が一人いた。バイクで北海道を回っているらしい。バイク親父とも適当に会話する。そこで40歳くらいのまずまず美貌の女性が入ってきた。マスターの対応は筆者やバイク親父とは違う、うーん、これはマスターと特別の関係だな、とすぐに気付く。女性も会話に参加してきた。

女性 「地方はやっぱり、何かを持ってきてくれる政治家がいいのよ。宗男さんは良かった、捕まって可哀そう。根室は人口も減ってきて、2つある公立普通高校も、生徒不足で近々ひとつに統合されるのよ、私は中標津生まれだけど、もう根室に住んで20年、いいところです。でも悲しいことに、最近は根室は病院も駄目、病院の建物を新築しても、いい医者が来てくれないんです。」

マスター「そうなんです。最近の根室の医者の質はひどいもんです。診断が全く信頼できない。これではわざわざ釧路まで行かざるを得ない。釧路も結構遠い(根室本線で2時間強)ので不便です。」

筆者「僕は根室は好きだけどなあ、もう少し観光をアピールしたら、日本の最東端、最果てのの街、いろいろ売り込めそうだけど。」

マスター 「市が下手なんですよ。根室には”車石”という奇岩もあるんですよ、こんな光景は日本では根室にしかありません。」

その後、バイク親父は明日も飛ばすぞ、とか言いながら退散。いろいろな話題で3人でかなり盛り上がった。気づけば12時を回っていた。2人を残してホテルへ帰った。

次の日曜日も天気は良かった。ホテルの部屋からは国後島の”爺爺岳”が見えた。運がいい。レンタカーを借りて、まずは「歴史と自然の資料館」に向かった。根室の歴史を覗いて見たかったのだ。資料館では管理主査が親切に説明してくれた。

「根室は、明治政府が蝦夷地を北海道と改め、北海道を函館、札幌、根室の3つの県に分けた時(明治15年~18年)の県庁所在地だったのです。千島への中継基地として栄えました。明治の中頃には、札幌、函館、小樽に次ぐ、北海道第4の都会だったのです。しかし、昭和20年7月の空襲で旧市街は完全に破壊されてしまいました。昔の道東の本府としての面影が残っていないのは、その為です。歴史に興味がおありなら、この資料館には、戦前の樺太の日露国境(北緯50度)の碑のオリジナルがありますよ。見て言って下さい。」

親切な係員だった。根室の寂しい歴史が良くわかった。資料館を出ると、近くにある、昨晩のマスターお勧めの”車石”をせっかくなので、見に行った。確かに、日本ではあまりお目にかかれない奇岩である。20年程前に、北アイルランドで見た、”ジャイアント・コーズウェイ”に良く似ていた。

根室の観光はここまで。レンタカーで道東を南から北に縦断して、女満別を目指すことにした。(続く)

 
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
 をクリックして下さい。」

東北海道の物語、その1(歴史の街、厚岸)

2014 SEP 10 15:15:41 pm by 中村 順一

急に思い立って、週末の土日で道東に行ってきた。北海道が好きなのだ。特に東北海道は特別だ。日本の他の地域にはない何かがある。

北海道は、札幌への集中が進んでいる。札幌は人口約190万人の日本第5位の大都会になった。でも北海道の他の地域の人口は減少している。道東も例外ではない。道東の最大の都市は釧路だが、かつて20万を越えていた人口は現在では18万人。今後も減少予想だ。でも道東には歴史もあるし、日本最大の大平原もある。北海道の中でも道東は歴史的に道央(札幌周辺)への対抗意識があり、人々は開拓に全力を尽くしてきたのだ。判官びいきの筆者は、そんな道東を応援してきた。

マイレージ活用の週末だけの短期旅行だ。飛行機のマイレージは直前にキャンセルしても、キャンセル料が3000円しかかからないのがいい。天気が悪くては意味がないので、金曜日まで、天気をチェックしていたが、まずまずそうなので、よし、行こうと決断。土曜の早朝のJALで釧路空港へ。その後、あこがれの根室本線(花咲線)に乗り、東へ。1両のローカル線で、超赤字路線だが、最果ての線路として、マニアには人気がある。1時間弱で厚岸に到着。

厚岸は道東では長い歴史のある街である。2回目の訪問であるが、前回は時間が足りず、十分に見れなかったので、再訪である。

厚岸は古来、東蝦夷地におけるアイヌ民族の居住地として栄え、松前藩は寛永年間(1624~44)にアッケシ場所を開設している。東北海道では最古だ。幕府はロシアの進出を警戒して、蝦夷地を幕府の直轄領に再編成し、人々の心の拠り所として3つの官立寺院を蝦夷地各所に建設した。東蝦夷地には、当時の中心地であった厚岸に”国泰寺”を開いた(設置の決定は1801年)。その後明治政府は近郊に屯田兵村を開設している。天然の良港に恵まれ、戦前は日本海軍も停泊地として使用していた。新鮮な牡蠣が一年中食べられることで有名。

さて、厚岸駅に着いた、早速タクシーをチャーター、費用はかかるが、効率よく観光するにはこれしか手はない。有名な”桜亭”という食堂で牡蠣にありつく。これが超美味。まずは大満足。昼食後、太田屯田兵村の記念館へ。記念館にいた女性は屯田兵村の歴史を語りだした。

「私の住んでいる家は、H家です。越後の古い武家で、本庄の地に城を持っていました。明治維新で没落した為に、当主の一大決心で、北海道の屯田兵に応募し、太田にやってきたのです。今でも、当時入植したところと同じ場所に住んでいます。私は、函館から嫁にきたのですが、H家とは血が繋がっていないので、未だに赤の他人です。今でも床の間に上がることは厳禁です。見合い結婚で主人とは結婚する前、ほとんど1~2回しか会っていませんでした。こんな昔の殿様の家に嫁に来るなんて、すごく大変なんです。この記念館での仕事も、私は歴史が好きなので、係員の募集があった時、是非やりたかったのですが、主人の親族から大反対がありました。私も頑張って、嫁の義務は必ず果たす、必ず両立させる、と約束して、やっと許してもらったんです。両立は結構大変で、今は毎日3時間くらいしか寝ていません。私の函館の実家は教育関係だったので、息子達の教育に関しては、私も必死でやりました。お陰様で、2人とも湖陵高校(釧路湖陵高校のこと、道東一の進学校、毎年東大に数人、北大に多数の合格者を出す)に入れました。学区域外からの受験だったので、すごく厳しかったんですけど。主人の親族からも評価してもらえました。」

いや、凄い女性だった。こちらが聞いてもいないのに、一方的に説明してくれた。どうも、H家には未だに明治の開拓時代の古い考え方が強く残っているようだ。H家以外にも、明治時代からの場所に住んでいる家はたくさんあるとのことだった。この女性の人生も大変そうだが、見るからに明るい性格、今後も何とか幸せに生きていくのだろう。ご主人の歳を聞いてみた。70歳とのことだった。歴史的には、太田屯田兵村は成功した事業とは言えない、との評価のようだが、ここには戦前の習慣がしっかり残っている。写真は撮らせてくれなかったが、女性の今後の人生の幸福を心より祈りたい。

女性と別れて、記念館の次は国泰寺に行った。徳川幕府が蝦夷地の教化を目的に作ったこの寺の所管は、十勝、釧路、厚岸、根室、国後、択捉の6場所に及んだ。ここの住職は定期的に所管地域を回っていたようだ。山門が当時のまま残っていて、扉には徳川家の表徴、”葵の紋”が彫り込まれていた。最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵等も訪れている。境内には近藤重蔵が色丹島から持ち帰った”色丹松”があった。

国泰寺の後は、見晴しのいい、”愛冠岬”へ。天気が良く、小島、大黒島もきれいに見えた。素晴らしい景色だった。(続く)

 

 
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
 をクリックして下さい。」
 

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊