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ライヴ・イマジン58「前口上」

2026 MAR 27 22:22:41 pm by 西村 淳

いつもライヴ・イマジンでは開演前に5分間スピーチをしている。「58」はバッハ、ということでいろいろネタ探しをしてみたが、とにかくこの巨大な存在は切り口が多すぎてあれもこれもとなってしまう。前半のブランデンブルク協奏曲はさておき、あまり普段は聴く機会のないカンタータ第82番Ich habe genung「私は満ち足りています」のことを話すことにした。その内容を備忘する。

     

バッハはライプツィヒの教会のカントルになってから5年間、毎週の日曜礼拝のためにカンタータを作り、月(歌詞)火、水(作曲)木(パート譜作成配布)金、土(練習)日(礼拝)のような日課を5年間も続けた。これは大変過酷な労働で、仕事とはいえ休日はほぼなかったに違いない。1727年2月にはカンタータ第82番の初演、さらにその2か月後には大曲「マタイ受難曲」の初演と続く。この間に妻アンナ・マグダレーナとの間に6人の子供が生まれた一方で1726年から28年にかけては毎年のように幼いわが子を葬るという過酷な現実があった。特に26年には新しい娘(エリザベート)が生まれてわずか2ヶ月後に、3歳の長女(クリスティアーナ)を亡くしている。
彼の宗教音楽に漂う哀しみや、死を「安らかな眠り」と捉える特有の死生観には、こうした実生活での絶え間ない喪失も反映しているに違いない。
ただこの状況の中で妻アンナ・マグダレーナの献身を忘れてはいけない。むしろバッハが毎週カンタータを上演できたのは彼女の助けがあったからと断言してもいい。バッハがなぐり書きした総譜(スコア)を清書、演奏者が使う「パート譜」を作成する作業を担っていたのだ。実際アンナはプロの音楽家でソプラノ歌手としてバッハの倍近い金額で宮廷と契約していた。パート譜作成は私もやったことがあるが、とにかく時間がかかるしスタカート(・)ひとつを間違った音に付けただけで違う音楽になってしまう。とても神経を使う作業だ。勿論パート譜はオーケストラや合唱の人数分を用意しなければならない。
バッハはそんな妻への感謝をこめ、2冊の『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』を贈っている。中には多くのクラヴィーア曲と家族で楽しむための歌曲も収められており音楽帳全体が「夫婦で好きな曲を書き込む音楽で綴った交換日記」のようなものだった。勿論、この曲集は子供たちの教育用でもあり有名な「メヌエット(ペツォールト作曲)」は街のピアノ発表会の定番である。実はカンタータ第82番の第3曲のアリアも載っていてアンナのソプラノ音域に合わせオリジナルの変ホ長調がト長調に転調されている。余多あるカンタータの中からここに収められたのはこの曲だけだ。バッハの伴奏でアンナが歌う、二人のそんな姿が瞼に浮かぶ。さらに音楽ファンの心をときめかせるゴルトベルク変奏曲の有名なアリアもアンナの手で書き込まれており、これは後の大変奏曲へと発展した。
バッハのカンタータは行方不明のものを含めると300曲位あると言われている。ライヴ・イマジンで採り上げたのは初めてだが予感させるものは宝の山。その音楽はキリスト教と言う宗教を超えて人類の普遍的な感動を呼び起こす。

川口成彦さんのスペイン

2026 MAR 16 15:15:11 pm by 西村 淳

2026年3月15日(日)葛飾シンフォニーヒルズ アイリスホール

プログラム;
グリーディ:ノスタルジア(《3つの短い小品》より)
ファリャ:《三角帽子》より3つの舞曲
プーランク:ファリャの主題によるノヴェレッテ
ペドレル:夜想曲
アルベニ:港 (《イベリア》より)
ファリャ:4つのスペインの小品
ラヴェル:グロテスクなセレナード
ドビュッシー:ビーノの門 (《前奏曲集 第2巻》より)
       途絶えたセレナード (《前奏曲集 第1巻》より)
       グラナダの夕暮れ (《版画》より)
グラナドス:《スペイン舞曲集》より オリエンタル/アンダルーサ
ファリャ:アンダルシア幻想曲
     火祭りの踊り(《恋は魔術師》より)

コンサートの感想で川口さんを採り上げるのは何と2回目だ。それほどこの人の音楽に共感しているってこと。ここで使用されたのはエラールの1890年製のピアノで鋼鉄フレームに弦を並行に張ったもの。バレンボイムが従来の現代ピアノ(Steinway、Yamahaなど)に飽き足らず、昔の直弦ピアノの透明感と現代の力強さの両立を試みた例もあるが、ここでその効果を十分に味わうことが出来た。特徴は音色の透明感・明瞭さにあり、各音域(低音・中音・高音)の個性がはっきり分離して聞こえ、より色彩豊かでニュアンスに富んだ響きがする。絶対的な音量や低音の迫力は通常の交差弦ピアノより控えめになるとされるもバランス上からは何らの不足も感じなかった。

プログラムはファリャの生誕150年にちなみスペインとそれにまつわる考え抜かれたもの。ご自身が若いころからのスペイン音楽の大ファンで曲に対する共感と自家籠中となったその表現力は驚異的だ。演奏が始まるとすぐにミューズが彼の上に舞い降りたようだった。見事な遠近法の絵画を見ているようでもあり、轟くような強奏から弱音の凛とした美しさまでやりたいことがビシビシと伝わって来る。濁りのないエラールの響きはこれらの音楽を奏するのに最適な選択にちがいない。
「ピレネーを越えたらアフリカだ」とはナポレオンの言葉通り、スペインはイスラムの影響が色濃く残りヨーロッパ文明とは一線を画しているらしい。音楽からはひしひしとそれが伝わるし足腰が元気なうちに一度は訪れてみたいものだ。

アンコールは4曲。
ファリャ:賛歌『ドビュッシーの墓のために』
トゥリーナ:サクロ・モンテ
モンポウ:歌と踊り 第8番
ロドリーゴ:春の子守歌

ブダペスト四重奏団

2026 MAR 10 21:21:52 pm by 西村 淳

「ゴジラ」がYoutubeにあったので初めて視聴した。話題の-0.0では勿論ない。1954年に東宝で製作されたもので大ヒットしたゴジラのデビュー作。
ゴジラが東京を破壊しつくすワクワク感の一方、反核や社会派的な視点もあり当時の世相も垣間見る。しまいには原水爆をも凌駕する特別兵器でゴジラを葬り去るがストーリーとしては悪くない。
東京大空襲で焼け野原になり、サンフランシスコ講和条約により独立国になってわずか3年。セットの街並みは戦災の傷跡も見えず、昭和の風景だ。
まだ東京タワーは建っていないし、ここでゴジラが標的にして壊したのは銀座和光。これが当時のシンボルだったかな。時代としては黒澤明の「七人の侍」も同年の作品だし、戦前からの多くの才能が各分野にひしめきその後に続く昭和の大躍進につながる。
冒頭あれっと思ったのはゴジラの登場で主人公がデートを楽しみにしていたコンサートを諦めるシーン。なんと!これがブダペスト四重奏団のコンサートだった。1952年初来日の物だろうと推察したがワンカットとはいえ渋いですねえ。ここに弦楽四重奏を持って来るセンスに思わずにんまりと。

当時デパート(松坂屋)はソフトクリームだけでなく文化まで売っていたんですね。ちなみにブダペスト四重奏団のベートーヴェン後期の演奏はマイ・フェイヴァリッツだ。

「ファルスタッフ」さん

2025 DEC 30 7:07:48 am by 西村 淳

「ファルスタッフ」という名の中古CDを通販で扱うお店がある。時々利用させてもらっているが、とにかく店主のこまやかな心遣い、1枚1枚に曲名、演奏者や録音日時は勿論、録音プロデューサー、エンジニアなどの詳細データのほか、客観的なそして一部主観的なコメントまで付けて毎日ブログアップされる。注文したものが手元に届くと丁寧な梱包と保護ビニールまでつけてあり、商品に対する細やかな愛情が感じられる。
店主のブログも不定期ながら更新されているし、音楽愛好家にとってささやかな楽しみだ。そこで見つけたのがハイドンの交響曲第98番(!)「最後に現われる小さなバレリーナ」という副題までついている!なんと東さんの傑作、「さようならモーツァルト君」に先立つこと3年、心の琴線に届いたものを伝えてくれえていた。ここに辿り着くのは生半可な経験じゃ絶対に無理で、ほぼ天上の悦楽とも言うべきもの。恐れ入りました。日本の音楽愛好家のレベルの高さはまさに世界一かな。

https://falstafff.jugem.jp/?eid=160

個人的には(伝説の)公演からすでに8年が過ぎ、その間にコロナ騒動。またオケの編成をするきっかけさえ見つからないけれど、輝かしいジュピター交響曲が背中をドーンと押すような感じで2025年の〆に登場。きっと何かの僥倖だ!

サトケン追悼

2025 NOV 12 6:06:07 am by 西村 淳

訃報は先日のライヴ・イマジン57の終演後、お客様から届いた。
先週末、練習に顔を出さないので、と心配になり電話をしたところすでに救急搬送され亡くなっていたそうだ。
サトケン(佐藤健さん)がライヴ・イマジンに初めて登場したのは2009年1月9日、第7回、プーランクの「仮面舞踏会」だった。以来12回もライヴ・イマジンへ参加して会を支えてくれた。そして最後の公演はバルトークの超難曲、コントラスツ。誘った時に50歳の記念にやりたいんだという夢を語り、ライヴ・イマジンはそれを実現したが、ヴァイオリン、ピアノ、クラリネットのトリオは彼をおいて他の人材はなかった。

持病があったため、目が悪く練習の時にはいつも完璧な暗譜で臨んだ。たとえこれがオーケストラであっても同様にしていたようだし、不自由を逆手にとり、こうするしか音楽が出来なかったのかもしれない。それでもなおテクニックは安定し、巨大なダイナミクスの凄さは他を圧倒した。彼の前にも、彼の後にも誰もいない、素晴らしい音楽家だった。

今はなき錦糸町の名店、大三元の汁なしラージャー麺が大好きだったサトケン。
大汗かいて美味しそうに辛いスープまで完食して、あー美味しかった!って。
とっておいたブラームスのクラ5をいつか一緒に。誰がこのAdagioを吹ける?もう出来ないな。

おーい!!
お星さまは、どの星?

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

合掌

ジャルスキー・イン・パーソン

2025 OCT 14 14:14:40 pm by 西村 淳

フィリップ・ジャルスキー&ティボー・ガルシア デュオ・リサイタル
2025年10月13日(月・祝)彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール

来日を心待ちにしていたジャルスキー。コロナの最中にその予定があったが、流れてしまったため、この日ほど楽しみにしていたものはない。
80分ほどのリサイタル。2曲のギターソロを挟み途中休憩なし。
カウンターテナーというちょっと特殊な唱法を知ったのはもうかれこれ50年も前の事。アルフレッド・デーラーの男声とも女声とも異なる柔らかな世界、ダウランドの曲に魅せられた。そしてジャルスキー。デーラーをより現代的にブラッシュアップした世界は、バロックオペラからシャンソンまでをカバーする。特にヴェルレーヌの詩を集めた万華鏡のような美しいCDは私にとってのエヴァー・グリーンだ。中でもノルマンディー上陸作戦に符合したシャルル・トレネの「秋の歌」、日本人なら誰でも知っている上田敏の「秋の日のヴィオロンの・・」というあれ。何とエベーヌ四重奏団がつけているのだから心躍らぬはずはない。

彩の国さいたま芸術劇場の音楽ホール。500名、ほぼ満席だったし響きもなかなかヨロシイ。来場者、ご婦人が少し多いのはアイドルだからなあなどと開演を待つ。いやあ出ましたよ、千両役者だ。カッコいいなあ。リサイタルなので上質なスーツとシャツ。背も高いしまるで映画スターの登場に会場の空気が変わる。ドミンゴを「観た」時もそうだったけれど、歌手には半端ないオーラと華があるのはまぎれもない事実。これだけは器楽奏者が逆立ちしても敵わないし、音楽の原点は何をさておき「歌」。
カウンターテナーの音域はアルトからメゾソプラノあたりまでか。その中性的な響は男、女をあまり意識せずに音楽そのものをストレートに伝えてくれる。シューベルトの歌曲すら独自の世界が拡がり、これを愉しむのも好きだ。調子がいいのか声の衰えも全く感じさせなかったし、繊細な表現を補う伴奏をピアノではなく、ギターを選ぶところが素晴らしい。ともすれば重くなりがちな鋼鉄の箱を選ばないところが、バロックやそれ以前の音楽に通暁しているからこそ。またガルシアさんのギターの切れ味と伴奏の域を超え自在に切り込んでいく凄さ。むしろ編曲だけにオリジナルにこだわらないことでそれ以上の効果をあげていたと思う。
アンコールは3曲。日本語で歌った「いつも何度でも」(千と千尋の神隠し)とヘンデルの「私を泣かせて下さい」、そして「枯葉」。これに涙しなかった日本人はいないだろう。

「夢」のかけら

2025 OCT 11 17:17:19 pm by 西村 淳

ブラームスの弦楽六重奏曲第2番にはよく知られたアガーテ・フォン・シーボルトとの恋愛エピソードがある。東さんのブログに詳しい。

ブラームスの “青春の蹉跌”

これを演奏するにあたり、頭の中が多くの??マークでいっぱいになってしまった。

第一楽章、主題の提示が一通り終わった後、それは突然やって来る。アガーテ、アガーテ、アガーテ!!と3回も叫ぶのである。最初これを目(耳)にしたときには、何という未練がましい男だ!と思ったものである。それもそのはず、自分から「自由がほしい」などと発言しておいて、アガーテからきっぱりと婚約解消を言われ別れたのに、6年も経ってから彼女の住むゲッティンゲンにのこのこと向かった。当然よりを戻そうとしていたに違いないがすでに彼女は別の男に走っており、失意のうちにその想いを託したのが弦楽六重奏曲第2番だ。
ブラームスははっきりものを言わない性格である。なのにどうして3度も?実際音楽的にはそれが2回であっても何一つ不自然さはない。

この印象深いa-g-a-h(b)-e(アガーテ)のモチーフが、突然第1ヴァイオリンの高音域に3回連続して現れ、同時にこの動機に内声にdが挿入され「adé」となることで、このメロディーの断片は「アガーテ、アデ」(アガーテ、さようなら)となる。(「アデ」は別れを意味するドイツ語の「Adé」)ここがポイントでこの点を抑えてないと私のように頓珍漢な受け止めをしてしまう。
つまり、ブラームスにとって、「アガーテ、カムバック!」ではなく「アガーテ、さようなら。」ということ。そしてその3回連呼は「3」という数字、つまりキリスト教文明の、神聖さや完全先生の象徴的な意味に繋がる。つまり三位一体、東方の三博士、ペテロの三回の否認、そしてイエスの死後三日目の復活だ。いやもっとあるのかもしれない。覚醒し、完全な、屹然とした彼女との別れがこの曲のテーマだったと理解した。

この曲に取り組まなければ、こんなことも考えなかっただろうし、正しく曲を理解することもなかったかもしれない。
ライヴ・イマジン57は11月8日。是非会場に足を運んで、ブラームスの叫びをご自身の耳で確かめてほしい。
http://liveimaginemusic.blog91.fc2.com/blog-entry-616.html

ジャコブの世界

2025 JUL 28 20:20:51 pm by 西村 淳

ライヴ・イマジン56が終わり、早いものでもう一週間が経ってしまった。「56」のメニューはアペリティフにモーツァルト、メインにプーランクの「仮面舞踏会」という豪華さ。(Gorgeous!)個人的には「仮面舞踏会」に入れ込んでいたので備忘としたい。
プーランクは『歌曲日記』の中で《この作品は、100%プーランクである。もし、カムチャッカ半島に住む見知らぬ女性から「あなたはどんな方なのでしょうか」と手紙が来たら、私はその人に私の肖像画を二枚(コクトーが描いたピアノに向かっている姿とベラールが描いたもの)、そして「仮面舞踏会」を送ろう・・》と記している。クラシック音楽を聴き始めた頃に10インチLPから聞こえてきたこの傑作をまさか半世紀後に自身で演奏する日が来るとは夢にも思っていなかった。
ジャコブの詩にプーランクが曲を付けたわけで、何よりもまず、この男について書かないわけにはいかない。
マックス・ジャコブ(Max Jacob、1876年7月12日 – 1944年3月5日)はフランスの詩人、小説家、劇作家、画家、美術評論家、ピアノ教師であり、特に詩や散文の実験的なアプローチはとても新鮮で「仮面舞踏会」で使われている詩集『中央実験室』は代表作とされる。また若きピカソの出世を後押しした恩人で、モンマルトルの「洗濯船」(芸術家たちのアトリエ)で共同生活を送った。ピカソを代父として1915年にカトリックに改宗していたものの1944年、ユダヤ人としてゲシュタポに逮捕されドランシー収容所で亡くなる。ただ、コクトーらのジャコブ救済嘆願書への署名にピカソの名はなく、巨匠の功成り名を遂げた後の打算と弱さが垣間見える。
初めてこのジャコブの詩に接した時、こりゃあ駄目だ、頭がこんがらかると思ったものだ。言葉は、イメージを正確に伝えその論理的な繋がりが感動を呼び起こすと習った。たとえばゲーテがスイスの滝を見学し、大いなる感動を人生に投影して詩作を行う、更にその詩から霊感を得たシューベルトは曲を付ける、こういった一連の流れを論理的と言う。
一方、頭の中にはイメージのほかに「感覚」とか「驚き」ある。これらは五感や、経験などから生まれ、それは頭の中を常時駆け巡っている。1+1=2は論理の世界である。ジャコブはそれを3にも4にもしてしまう、場合によっては0に。つまり私たちが生きている世界は論理的なことのほうが例外であって非論理に満ちているわけ。ここまで考えてジャコブの詩を得心した。
井戸端会議でも「うちの犬が最近食欲がないんだけど、そういえば蝉がなくのが遅いわよ。旦那がこの前自転車でお隣の(ウ~ッ:サイレンの音)・・あ、また救急車だ。」こんな調子。大きな刺激が加わるとすべてがリセット。主語も述語もない日常はまさにジャコブの世界じゃないか!?なるほど学校の勉強が窮屈だったのはこの論理を嵌め、それを詰め込もうとするからだったわけか。
ここで、「仮面舞踏会」第1曲目の詩を掲載する。我らがバリトン、金子快聖さんの訳詩だ。曰く、「中国の百姓は皆互いに監視し合い,ブーツを履くために,両足を切ってしまう.」井戸端会議とクオリティの違いを実感してほしい。

**********

フランス王太子妃さまは
ご覧にならないだろう
その美しいフィルムをご覧にはならないだろう
人が巧みに秘密を嗅ぎ付けて作ったフィルムを,
というのも彼女は埋葬されたからだ
彼女が最初に産んだ息子とともに
大地の中にそしてナンテールに彼女は埋葬されているからだ.

中国の百姓は
初めてが欲しいとき,印刷屋に行くかそれか隣の女の家に行く.
中国の百姓は
皆互いに監視し合い,ブーツを履くために,両足を切ってしまう.

アルトワ伯爵は屋根に上った
月の石板を数えるために
そして望遠鏡を通して見るために,月を見ようとして
月が指よりも大きいかどうか確かめようとして.

蒸気船とその積み荷が家に衝突して座礁した.
ガチョウの脂をちょっと取ってこよう,大砲を作るために.

一方プーランクはこの詩に的確なフレーズを被せていく。たとえば中国の・・なんてところは五音音階をすかさず入れ、チャルメラ風にオーボエに吹かせてみたり、一つのセンテンスを音楽的な4小節、8小節の最小単位にまとめて非論理的に接続していく。教科書の転調なんかどこ吹く風、器楽の性能の限界を探りながら。考え、練習してプーランクの真の才能を受け止めたし、初めてサティを理解できたように感じることもできた。何よりもやっていてとても楽しかったのは大収穫だった。
ジャコブの詩は「(中央)実験室」なので、弾く人、吹くひと、叩く人、そして聴く人が
「実験者」としてその中で一体となって遊ぶことができた。言わずもがな、人生最高の場だったことを報告する。

点と線について考えた

2025 MAY 2 17:17:10 pm by 西村 淳

「点と線」となると、このお題からは切り口がいくらでもありそうだ。例えば、
・ エンタメ:
松本清張とくれば昭和ど真ん中の世代、質の高い社会派のサスペンスで「ゼロの焦点」、「砂の器」と一時期は嵌ったものだった。
・ 科学:
トン・ツー、トン・ツーのサミュエル・モールスも忘れてはいけない。「トラ・トラ・トラ」、「ニイタカヤマノボレ」はこのモールス信号だった。19世紀の技術が現代でも生きていることが驚き。
・ 音楽:
そしてトリはモーツァルト。音符の上に書かれた「・」(点)と「|」(線)は区別が難しいものもあり学者さんたちの議論は絶えない。どうでも良さそうだが、演奏上は大きな違いがあるかもしれないので看過できない。
ここからはやはりモーツァルトを中心に展開してみよう。
一例を引くと下は名曲「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K525の第三楽章メヌエットの自筆譜。音符の上にある点と線が確認できるだろうか?

ところが昔、日本で出版された楽譜ではこれをすべて点として扱いスタッカートとして音を切って演奏すれば良いことになっていた。それどころか(少なくとも私が子供のころ使用していたソナタアルバムなどは)フォルテ、ピアノ、クレッシェンドやスラ―なども付加され添加物たっぷりにされて指遣いまでご丁寧に記載されていたし。先生方も何の疑問も持たずに指導していたと思う。
80年代に入りHenle版などが市場に現れ本来あるべき姿(原典版:Urtext Edition)として幅を利かせ始めた。初めて買ったJ.S.バッハの原典版の「インベンションとシンフォニア」には音符しか書いてない(!)楽譜だったので強弱はじめとして自分で何もかもを決めなければならず、始めは面食らったのを覚えている。ただ原典版も校訂者により数種類出版されて何が何だか分からなくなっているのが実情である。

「点と線」に戻るが、アマデウスの偉大なる父、レオポルドは息子の誕生した年に出版した「ヴァイオリン奏法」(久保田慶一訳;全音楽譜出版社)の中に「線」のことを記述している。『作曲者がしばしば書く音符には、ひとつひとつの音を強く弾いて互いに区切って演奏してほしいという音符がある。このような場合、作曲者はこのように演奏してほしいという気持ちを音符の上または下に短い縦線を記入して示す』一方、スタッカートについては簡潔に『音を区切って弓を引かずに短い弓裁きで演奏することを意味する』と。
これを個人的に解釈すると「線」は「点」の延長線上にある集合であって長短は関係なく、そこにあるかどうかだけ。アマデウスが書いたのは「線」であり、その奏法も示されているわけだ。こう考えると「レクイエム」の補筆もしたことで知られる私の尊敬するロバート・レヴィンが校訂したウィーン原典版を出版するにあたり、すべて「線」に統一したことも理解できる。
天才を育て、指導した父レオポルドの言葉はとても重いものだ。その子アマデウスは教えに従って記譜したに違いないのである。いつの世にも「お言葉ですが」という輩は必ずいるものだけど、権威の解釈など必要ない。すべて自分の目で見て判断し決めるもの。そのためにも出来る限り自筆譜に一度は眼を通すように心がけたい。これ以上の一次資料はないし作曲家の感情までが読み取られることもあるのだから。

イッサーくんとの邂逅

2024 DEC 8 20:20:01 pm by 西村 淳

12月6日、今年最大のハイライト、スティーヴン・イッサーリスのチェロを聴きに王子ホールへ。冒頭のベートーヴェンからアンコール、フォーレの「シシリエンヌ」まで。すべてが彼の長いキャリアの中で自家薬籠中にしている作品たちとの素晴らしい音楽体験だった。そしてブラームスの第2ソナタが本当に偉大な作品だと言うことを得心できたひと時でもあった。1886年にヨアヒム四重奏団のチェリスト、ロベルト・ハウスマンと作曲者のピアノで初演されたこの作品はガット弦を弾くイッサーリスの響きに近かったに違いない。終演後のサイン会では気さくにお話しもできたし、お礼に所有していた第2ソナタのN.Simrockが1867年に出版した初版楽譜(とてもレア)をお渡しした。持つべき人のところに収まって本当に良かった。

私がチェロを始めたのは25歳の時だった。ようやく第4ポジションまでレッスンが進んだ頃、彼の27歳(1985年)のデビューレコードを手にした。その柔らかい音色は心をくすぐり、あくまで自然で美しいフレージングにググっと引き付けられた。フルニエやカザルスの音楽すら作り物に感じてしまうほどで、ああ、こういう音楽を、こんな風にチェロを弾きたいなという憧れが芽生えた。


Hyperion – A66159

そしていよいよ待ちに待った1994年の初来日。今は無き駿河台下のカザルスホール。しかも小林道夫大先生のピアノ伴奏で。ここでもファイナルにブラームスの2番が選ばれており、大いに感動したのは勿論のこと、アンコールの一つで弾いたのが後述するビートルズの「When I‘m sixty four」。サージェント・ペパーズのアルバムにある曲だ。小林先生が人前でビートルズを弾くのは初めてです。「64歳になりせば」くらいの意味でしょうかなどと言われたのを想い出す。

ここからはトピックをいくつか。実は何度目かの来日の折、宿泊しているホテルに凸電で交渉しレッスンが実現、これまで3回彼のレッスンを受けている。今なお私のことを「スチューデント」と呼んでくれているが、至誠は天にも届けと、ひたすらお願いし頭を下げた。霊南坂教会近くの音楽スタジオではシューマンの幻想小品集の指導。姿勢とか基本的なことは勿論、何と言っても音楽そのものへ注入される情熱に圧倒された。
その後は日本財団が所有していたストラディヴァリ(exフォイアマン)を貸与されたことにより毎年来日することになった。一緒に食事をしたり、非公開の特別なコンサートに招待してくれたり、こちらからはアジアンユースオーケストラとの来日公演で息子のガブリエル君のためにマイチェロをお貸しした。長大なプログラムでエグモント序曲、ハイドンのチェロ・コンチェルトと第九。アジアの若手演奏家たちに交じってオケパートにイッサーリス親子が座ったわけだ。
そして最高で最大の交流は「今年64歳になるぜ、来日したらまたアンコールで『64』を弾いて欲しいなあ」とメールしてみたら、何と彼の自宅で無伴奏で弾いた『64』の動画を「Jun-kun, happy birthday!」と共に贈ってくれた!!!!考えてみてくださいよ。現役最高のチェリストがたった一人のためにしてくれたことを。その後、彼の64歳には『64』の動画を収録して、「Isser-kun, happy birthday!」とお返しして喜ばれた。長生きしているといいこともあるものだ。幸せ者だと思う。

別れ際、シャドウ・ボウイングをして見せて、リラーックス!!と一言。レッスンありがとうございました!
2025年7月にはまた来日がありそうだけれど、これ以上世界が渾沌とし何もかもが消し飛んでしまうようなことにならないことを心から祈っている。

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