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「鱒」の五重奏曲(D667)気づき

2024 APR 2 21:21:21 pm by 西村 淳

シューベルト以上に自然の描写をうまくやった作曲家は他にいない。急流、せせらぎ、淀み。水しぶき、川面のきらめき、森に降り注ぐ明るい光などすべてが音楽となって対象のイメージはクリアに導かれる。歌曲を通して言葉を音符にすることには長けていた。でも器楽曲を作るには「形式」に則らなきゃできないし、有名になるには交響曲も書かなきゃならない。さてどうすればよいか。永遠の「さすらい人」は1823年にその答えを見つけたようだ。

【鱒のピアノ五重奏曲】
この曲は有名な割に生で聴く機会が少ないのは通常のピアノ五重奏曲の編成、弦楽四重奏+ピアノではなく、弦楽三重奏+コントラバス+ピアノという編成が大きい。こうすることで弦楽四重奏という完成されたフォーマットより透明度の高い響きが得られる。なにしろ弦楽器は3本、三和音しか出せないわけだから。これに両手ユニゾンでの出番が多いピアノが加わり、ピアノ・デュオのプリモの役割を負わせている。このユニットはシューベルトお得意のピアノ連弾の延長線上にあると言ってもいい。コントラバスをセコンドのベースラインとすることで安定し、形がピタッと決まる。第4楽章の有名なヴァリエーションでは各楽器それぞれに出番を与えるという奏者にとっても嬉しい構成にしてくれている。

【曲の気づき】
前述のように、ピアノの扱いが独特であることと、内容にいくつもの斬新な試みが行われている。その一つ目は3つの楽章の後半が調性を代えて、前半を再現していることにある。シューベルトは、この方式により、これ以降の大規模な作品を、他の方法よりも労力をかけずに書くことができるようになったとされている。1818年から1823年まで未完成の弦楽四重奏曲D703以外に室内楽作品はパタッと途切れており、逆に「鱒」の五重奏曲(1823年作として)から吹っ切れたように、弦楽四重奏曲「ロザムンデ」D804、「死と乙女」D810、八重奏曲 D803、そして特別な弦楽五重奏曲 D956に至る名曲が誕生している。それまではこんなものじゃ恥ずかしくて世に出せない、と作曲途中で中断したり、投げ出してしまったものが数多くあったのにシューベルト様式の確立はベートーヴェンの束縛から逃れることができた。
二つ目は第一楽章の再現部が主調のイ長調ではなく、ニ長調になっていることが挙げられる。このアプローチは以前の作品としてはモーツァルトのピアノ・ソナタハ長調K545に存在し、ベートーヴェンの作品では例外として、弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132にあるのみ。こうすることで主題はベートーヴェンが完成したガッチリした巌のような構成から柔和な微笑みに姿を変える。しかもシューベルトは聴き手に意識させぬ目まぐるしい転調により目的を達成する。
第二楽章は第1テーマが♭一つのヘ長調で始まって24小節目から第2テーマが♯3つのとても遠い嬰へ短調に転調する。この間でシューベルトは転調に5小節を使っていてその真ん中の小節はナポリの六と呼ばれる1小節を嵌め込む。基本、西洋音楽は4小節をひと固まりとするため、この小節が無くても成立するがより柔らかい響きを滑り込ませることで自然に第2テーマが導かれる。
最終楽章の冒頭のドミナントのEのオクターヴはピアノ・ソナタハ長調「グラン・デュオ」D812や第21番変ロ長調 D960の終楽章を予感させるもので、毅然と鳴らすべきだろう。その後のロンドの主題との対比と、目まぐるしい転調は自然に行われやはりそれを意識させない。この楽章は展開部を持たないソナタ形式として捉えることもできるようだが、Hのオクターヴが再現部に屹立する。巧みな和声の組合で反復性は感じ取れず、最後に主調、イ長調に帰納する。
シューベルトが終生、頭を垂れていた大ベートーヴェンが”Es muss sein!”(かくあるべし)と弦楽四重奏曲第16番Op.135 に書き込んだ。逆にシューベルトからは”Muss es sein?”(そうでなければならないのか?)と素晴らしい切り返しが聞こえるようだ。英雄の時代は終わりを告げ、表題に「幻想」とか「さすらい」など、まだ見ぬものへの憧れを込めここにロマン派芸術が花開いた。

近況と「鱒(D550)」

2024 MAR 21 21:21:25 pm by 西村 淳

しばらくソナーブログの投稿がストップしていた。1月1日の能登半島沖の大地震、3日のJALと海保機の衝突大炎上から始まった令和6年。17日には腰痛がひどくて神山先生にとうとうご対面。見立ては何と椎間板ヘルニア(!)。鍼治療2回でバッチリ直していただいた。秋にはアメリカ大統領選挙、そしてその頃にはキシダくんはもういないだろうし、ウクライナとパレスチナはこれから一体どうなるんだろう?「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ならばと歴史を紐解くとこれがまた凄まじい。人間そのものへの不信が沸々と湧いてきて、そりゃあ宗教が必要だわとなる。そして今度はイッペイくんがやらかした。彼のポジションは過酷だ。ストレスに押しつぶされそうになった精神状態を慮るなら同情を禁じ得ない。そんなわけで日々の出来事がすごすぎて落ち着いて文章を書く気になれなかった。密かな希望であってもすがるしかない世の中、音楽というすがるもの、逃避場所があることは幸いだった。かのショスタコーヴィチだってスターリンの圧政、暴政の前に死んだふりをしながら弦楽四重奏曲を書きどっぷりと自身の音楽に浸かっていたし、だったら全体主義、New World Orderの下でも音楽さえ取り上げられなければ案外精神は自由でいられるかもしれない。

閑話休題。シューベルトの歌曲「鱒」について記憶をたどってみよう。
1966年頃、小学館から「世界の音楽」全15巻が隔月で発売され、それを情操教育とか言って母が買い与えてくれた。3枚のソノシートが付いてていて発売日にはワクワクしていた。指揮者の渡邊暁雄やピアノの安川加寿子、ヴァイオリンの田中千香士ら、当時の日本人のオールスターキャストでこの企画のために新たな録音をしたようだ。その中にはベートーヴェンの第九交響曲の第4楽章もカットされていたが収録されていた。ソノシートの収録時間は短い。これでアンソロジーを完成させようという意気込みはすごい。その後、類似の企画にLPレコードが付属した、しかも演奏がガイジンというものが出回った。ちょっと羨ましかったが、先鞭をつけた小学館の立派な企画は西洋音楽に興味を持つようになったし、その後の音楽人生の原点となった。早速、赤い半透明でペラペラした円盤をステレオ装置のターンテーブルに載せ初めて「鱒」を聴いた。余多あるドイツ・リートの中でも特に人気のある曲。美しいメロディーと見事な躍動感のピアノ伴奏に一気に魅せられ、大好きになって今でも変わらない。何となくもっさりした印象の「未完成」交響曲、「野ばら」や「菩提樹」なんかはピンと来ず、あまり好きにはなれなかった。

そんな「鱒」を使った五重奏曲(D667)を練習していいる。シューベルトは大歌手ヨハン・ミヒャエル・フォーグルと共にシュタイヤーという町を1819年、1823年、そして1825年の3度にわたって訪問した。この時、フォーグルの友人でもある鉱山の副支配人パウムガルトナーは2つの条件を出してシューベルトに作曲の依頼をした。1つは当時流行していたフンメルの「ゼプテット第1番Op.74」の作曲者によるピアノ五重奏編曲(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノ)と同じ編成のものとすること。2つ目は歌曲「鱒」を素材に使ってほしいとのことだった。編成上の難しさからなのか当時から演奏や出版の記録はなく、評価も不明ながら「鱒」を使ったことは後世も含め大成功をもたらした。
5月11日の「シューベルティアーデ in 錦糸町」で五重奏曲を演奏する。2度目の機会ともなると色々なものが見えてくるが、初めての時は書かれている音符を音にするだけで必死。今回見えてきたものについてはまた別稿で書いてみようと思う。

軍艦マーチ

2023 NOV 27 19:19:18 pm by 西村 淳

両国駅前にあった老舗のパチンコ屋が廃業した。相撲とパチンコのイメージは「のたり松太郎」だが、今どきの若い力士は暇なときはゲームでもしているのか・・昭和は終わりぬ。そのパチンコ屋の思い出となると「軍艦マーチ」だ。最近のことはわからないが昔は盛んにチーン・ジャラジャラのBGMはいやでも耳に突き刺さった。海軍出身者からはこれに批判もあったと聞くが、この曲は決して悪い曲ではない。アメリカの行進曲のようにあっけらかんとしたものではなく、「君が代」同様に多少和音の連結がおかしくても日本の叙情もちゃんと込められ心に染みる。もし「ふるさとを遠きにありて思う時」には確実に落涙しそうだ。冒頭の4小節目のズンチャ・ズンチャに心躍る・・そう、何を隠そうこの曲が好きなのだ。
「軍艦マーチ」ばかりを集めたCDがここにある。「軍艦マーチのすべて 瀬戸口剛吉生誕130年記念」(キングレコード・KICG3073)。

1903年の初録音や三島由紀夫指揮・読売日本交響楽団、最後の菊乃家(ちんどん)まで26曲も!これでもかと迫る。さすがに食傷気味だが、中にはドイツ録音が二つ。一つは独逸ポリドール軍楽隊でなかなか立派な演奏になっているが、クラシック好きにとっては1935年8月のアロイス・メリハル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のものにそそられる。フルトヴェングラーは前年12月にヒンデミット事件をきっかけにベルリン・フィルを辞任、翌年4月25日に復帰公演をしており熱狂的に迎えられている。そのオーケストラを使っての録音だ。弦楽器の入った編曲がなされ、合奏能力の高さも、拍節感が的確な表現の確かさも他とは一線を画している。
戦前、海軍と陸軍は仲が悪いことは仄聞していたが、軍楽隊でも事情は同じだったようで、(陸軍軍楽隊の生徒だった芥川也寸志・私の音楽談義)・・・何かというと海軍は眼の仇にされ、中でもどうにも我慢がならなかったのは、あの名曲“軍艦行進曲”の存在でした・・。ということで、悔しいので八紘一宇の大精神で「軍歌陸軍」やフランス人教官シャルル・ルルーの「陸軍分列行進曲」を繰り出し、近衛秀麿子爵と新交響楽団で録音だ。気持ちはわかるが、曲としては歌詞を変えればどこかの校歌と言ってもいいような代物。実際、「軍艦マーチ」のほうも宮沢賢治や石川啄木の母校、岩手県立盛岡第一高等学校の校歌に転用されている。
余談ながら、陸軍と海軍の確執をちょっと調べてみると出るわ出るわで、その一つがNHKのWEBに『なぜ陸軍が潜水艦を造ったのか「まるゆ」の真実』があった。補給船がやられてしまい、南太平洋への兵站の確保のために(陸軍が)潜水艦を造ってしまう。しかもヒミツなので海軍に頼まず、ドイツの技術を参考に。いや、海軍に頼むくらいなら我々で造ろう!鬼畜米英よりも優先度の高いものがここにあり!ところが案の定、建造したが使いものにならず、レイテ島に向かい、がんばって海上(潜ってない!)を航行していた虎の子の1艘も哀しいかな駆逐艦に見つかり海の藻屑となった。ただこの戦争、勿論陸軍だけがマヌケだったわけではないことは言うまでもない。

Tokyo male choir KuuKai 演奏会

2023 NOV 21 18:18:03 pm by 西村 淳

11月20日(月)夜、トッパンホールにお邪魔する。方向音痴はさっそく道が判らなくなる。開演10分前に無事着席。来年5月にご一緒させていただく栗友会の男声合唱団「KuuKai」さんのご招待を受けたが、合唱のコンサートは生まれて初めてのことだ。

プログラムは、
シューベルト 「夜」(詩:グルンマッハー)D.983c 「水上の霊の歌」(詩:ゲーテ)D.538
指揮 麻山皓太
詩:谷川俊太郎 曲:新見徳英 男声合唱とピアノのための「ことばあそびうたⅡ」
指揮 横山琢哉
詩:中原中也 曲:多田武彦 「冬の日の記憶」
指揮 高山太一
詩: 高野喜久雄 曲:高田三郎 男声合唱組曲「水のいのち」
指揮 栗山文昭

指揮者以外全員タキシードにボウタイという正装はやはり意味のあるもの。靴もピッカピカだ。出入りの順番もきちんとしている。Es muss sein!
舞台に緊張感も漂うなか1曲目のシューベルトのアカペラによる美しいハーモニーが鳴る。これだけでこのコンサートの成功が約束されたようなもので、最後の曲の一音が消えた時、批判的ではなく珍しく音楽そのものを愉しんだ自分がそこにいた。
仕事を抱えながら大好きな音楽を肌身離さずに持ち続けることの大変さはよく理解しているつもりだ。また4人の指揮者という変則的な形もうまく作用し、ハードな練習を乗り越え成功を導いた仲間たちに心からおめでとうと感謝を伝えたい。
合唱が器楽と違うのはハーモニー感だ。音律がどうのこうのではなく、人はハモるということを体で知っているし、それが楽器という道具を通すと四苦八苦が始まってしまう。どうしてかはかわからないけれど。
配られた他の演奏会のチラシを見ると半数以上が日本の作曲家のもので、人も作品もまったく知らないし、アマチュアの団体が依嘱することもよくあるようだ。このあたりは私たちとはいささか事情が違う。
以下簡単に備忘を。
最初のシューベルト、客席が埋まったホールの響きに手探り状態だったのは第一曲目というハンディを背負ったせいだ。実際、pから、ppにという繊細な出だしはプレッシャーだったに違いない。ドイツ語の発音練習の成果は歌いだしの発音がはっきり聞こえフレーズ感がよく伝わった。
2曲目の自信に満ちた発声は迫力満点。この難しい曲をどうやってものにしたのだろう。休憩後の3曲目は中原中也の詩であることから期待したが、曲はいたって凡庸な感じ。そして最後は私も知っている合唱曲の定番であり、学生時代にどこかで歌った記憶が蘇った。大御所の確固たる指揮のもと合唱団に生気と集中力が蘇り、嬉々として歌っている姿が楽しかった。
立派な演奏会だった。アカペラの最初に音をとる笛みたいのさえ新鮮だったし、アンコールに「つくば山麓合唱団」を是非聴きたかったなあ。コンダクターは山ガエル~♬

水の上の霊の歌

2023 NOV 14 21:21:09 pm by 西村 淳

ゲーテについてはよく知らない。「ゲーテとの対話」(エッカーマン著:岩波文庫)を紐解いたが、その会話は、古代、古典文学、美術、土木・建築、自然科学、歴史、政治、音楽など幅広い分野に借り物ではない自身の言葉を重ねていく。さすが驚嘆すべき博学、知の巨人である。その会話の中で音楽の占める割合はほんの数パーセントに過ぎず、ここから窺い知れることは、モーツァルトを天才と評し、ベートーヴェンと知り合い、12歳のころから出入りしていたメンデルスゾーンなど、一流の音楽家が周りにいたにもかかわらず人生にとって音楽とはその程度のものでしかない、ということか。コロナ禍で劇場が封鎖されたとき、「私たちは本当に社会にとって必要なの?」と関係者が自問していた一つの答えがここにある。
「ゲーテとの対話」の中では、シューベルトへの言及はない。せっかく友人のシュパウンが送った献呈の楽譜も返送され、外から怨嗟の声も聞こえて来るが、多忙きわめる中、楽譜を送られてもゲーテ本人がそれを読めないのだから手間暇をかけたくなかったのだろう。
「水の上の霊の歌」が作られたのはゲーテ、30歳の時。公私ともども充実した時期にあたり、良く知られた「魔王」もこの頃の作品だ。1779年10月9日、ワイマールのカール・アウグスト公と2度目のスイス旅行に出かけ、ラウターブルンネン近郊のシュタウバッハの滝を訪れる。その時の感動を直ぐに歌った。「シュタウブ」の意味は塵。垂直に切り立った岩山の上約300mの高さから流れ落ちる水しぶきの飛び散る様であり、滝の名前そのものとなった。


Staubachfall(スイス政府観光協会HPより)

「水の上の霊の歌」
Gesang der Geister über den Wassern

人の心は
水にも似たるかな。
天より来たりて、
天に登り、
また下りては
地にかえり、
永劫つきぬめぐりかな。

一筋清く光る流れ、
高くけわしき
絶壁より流れ落ち、
虜なめらかなる岩の面に
とび散りては美わしく
雲の波と漂い、
軽く抱きとられては、
水煙りに包まれつ
さらさらと涙立ちつ
谷間に下る。

きりぎしのそびえ、
水の落つるをはばめば、
憤り泡立ち
岩かどより岩かどへ踊り
淵へ落つ。
平らなる河床の中せせらぎて、
牧場の間なる谷を忍び行く。
やがて鏡なす湖に入れば、
なべての星、
顔を映し若やぐ。

風こそは
波の愛人。
風こそは水底より
泡立つ波をまぜかえす。

人の心よ、
げになれは水に似たるかな!
人の運命よ、
げになれは風に似たるかな!
「ゲーテ詩集」 高橋健二訳 (新潮文庫)

シューベルトは4回もこのテキストを基に作曲している。完成したのはアカペラ版と弦楽合奏版(ヴィオラ2本、チェロ2本にコントラバス)であるが、ゲーテの詩の詩節構造に相応した2つの曲の構造はよく似ている。ただ後者は拡がり、深み、凄みを増しており、弦合奏の水流の描写などドラマチックな展開と星を映す水面の静けさのアーメン終止、さらにアヴァンギャルドな和声の使用に驚かされる。
・独唱D.484(断片)1816年
・男声四重唱曲2曲:D.538(無伴奏)1817年3月
 D.705(ピアノ伴奏、未完成)
・男声八重唱曲:D.714(弦楽伴奏)1821年2月
1821年3月7日にウィーンのケルントナートーア劇場での初演は新聞評でこき下ろされた。ちょっと難しすぎるということか。シューベルトの多声歌曲は140曲を超える。圧倒的な質と量を誇る歌曲に比べ隠れてしまいそうだがなんと魅力的な曲がたくさんあることだろう。オペラだって15曲もあるし私たちはそのほとんどを聴いたことすらない。
「水の上の霊の歌」のきっかけはガーディナーとモンテヴェルディ合唱団の演奏だ。いつものシューベルトとは違った雰囲気に引き込まれ即座にブライトコップ・ヘルテル社に楽譜をオーダーした。
次回(2024年5月11日(土);すみだトリフォニー小ホール)の『ライヴ・イマジン53』に栗友会の男声合唱団KuuKaiさんと共に10年来の夢が叶う。

チェロを弾く姿勢

2023 OCT 13 20:20:44 pm by 西村 淳

「仕事」から解放される前はチェロの練習時間は相当限られたものであった。日課は朝5時に起き、1時間。それもサイレント・チェロを使って主に指の練習。住まいがマンションで朝早くからチェロを鳴らすわけにはいかない。購入時のLL45の遮音性能をLL40にグレードアップしたが気休め。これを30年以上続けたわけだが、やはりマイ楽器とは形が異なるため、弾く時の姿勢が大きく違う。しかもこのエレキ・チェロは出張時に持ち歩き出来るようにサイズを極限まで切り詰めた特注品だ。アンプを通さない音が小さすぎて音程をよくする練習には全く適していなかった。弾く姿勢がそのたびに違うと、当然抑える場所も変わってきてまともな音は出ない。まして同じところを抑えてもその角度がほんの少し違うだけで(手の形がちがうだけでも)上ずったり、低すぎたり微妙なコントロールを要求されているのだ。
チェロを始めたのは25歳、一緒にやっているメンバーは小さなころから楽器に親しんでいる連中が多く、いわゆるアマチュアのエリートたち。今思うと散々迷惑をかけていたわけだ。今でも?もちろんさ!(笑)
音程が良くなるだけで「とても上手に」聞えるのが弦楽器。師匠が音程はプライオリティNo.1ではないと言ったことを盾にしたりしていたが、音程が良くないと「とても悲惨」なことになるのも弦楽器。だがここにきてようやく音程をよくする方法が見つかった。単純なことで「正しい姿勢」で弾くこと。エンドピンの長さ、肘の角度、脇の角度、前傾、楽器と頭の距離はいつも同じでなければならない。ただ言うは易し行うは難しで「良い姿勢」とは何か?初めて小林道夫先生にピアノの指導をしていただいたとき、最初に指摘されたのがやはり「姿勢」だったことを思いだす。背筋をピンとして腰に力を入れることで腕の自由度が高まり、脱力が容易になる。ピアニストであればルービンシュタインをはじめ、超一流の人たちの演奏姿勢は美しい。アンドラーシュ・シフも基本原則として言っているではないか。「人がピアノの前にどう座るか、というところから始まっていますよ。多くの人が無理な姿勢をとっています。聴く前に分かります。そこから良い音は決して生まれません。」一方、正しい指導をされてこなかった人の姿勢は決まっていないのだ。
このことはスポーツ選手にも100%当てはまる。当世話題の大谷選手のバッターボックスの立ち姿は美しい。不調で崩れている時にはセカンドゴロ。投手としてはまだ完成されていないと思う。閑話休題。
では最も美しい姿勢のチェロ弾きは?となるとエマニュエル・フォイアマン(1902-1942)に違いない。とにかく余分な動きがなく微動だにしないのだ。ハイフェッツのできることはチェロですべてできると言い放ったのも納得ができる。
  
自分でチェロを弾く姿勢を鏡に映して見る。こりゃあ駄目だ。全くダメ。ただ試行錯誤しているうちにチューニングメーターの振幅は確実に小さくなっている。ライヴ・イマジンではリハーサル時に写真を撮ってもらっているが、一瞬を切取った写真が多くを語る。次の公演が楽しみになってきた。

「三四郎」読書感想文

2023 AUG 18 12:12:13 pm by 西村 淳

暑い、とにかく暑い。散歩の歩数も半減、読書の秋にはまだ早いが時間もたっぷりある。
漱石の「三四郎」を再読した。おそらく半世紀前に読んで、爽やかな印象を持ったが、やはりとても面白く読了した。漱石は「草枕」もいいが、「三四郎」も勿論いい。
このところ世の動きに対し、私たちの時代が一番難儀だと思っている自分があるが、どんな時代にあっても人の心のありよう、持ちようは同じ。だからこそ100年以上前の文章であろうが物事の本質を突いたものであれば、今の私たちの心の情景をきちんと表現して揺らす。今まで洞ヶ峠で昼寝をしていたくせに目が覚め、何かできる、何かを変えられるという思い込みが儚い幻想だということも思い知る。でも大学に入学したての三四郎の気持ちとシンクロできるならまだまだこれからの人生だ。

『この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。洞ヶ峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。』(夏目漱石:「三四郎」(青空文庫))

さて、話は変わって「三四郎」の中にアフラ・ベーン(1640~1689)なる作家が出てくる。
知らないなあ、初めて聞いた名前なので調べてみると英国初の女性職業劇作家とある。
日本では紫式部にせよ清少納言であれ、先立つこと600年、日本の女性達はすでに活躍していたわけで、彼我の文化の差は圧倒的に日本の勝ちだ。
戦後女性の解放が進んだなんて学校で刷り込まれていたが、何のことはない、GHQ施策の一環だっただけのこと。日本には元々素晴らしい文化があったのだから。それにしてもさすが漱石、この時代の日本のインテリのレベルの高さに羨望すら覚える。

『「先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」
「アフラ・ベーンか」
「ぜんたいなんです、そのアフラ・ベーンというのは」
「英国の閨秀作家だ。十七世紀の」
「十七世紀は古すぎる。雑誌の材料にゃなりませんね」
「古い。しかし職業として小説に従事したはじめての女だから、それで有名だ」
「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」
「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」
 三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚だとして後世に信ぜられているという話である。」』
(同上より引用)

スクロヴァさんのブルックナー

2023 JUL 11 22:22:31 pm by 西村 淳

ブルックナーの弦楽五重奏曲をライヴ・イマジンで取り上げるのはプログラミング的に少々厳しい。理由はいろいろあるが手掛かりを探しているうちに、Youtubeに第三楽章、Adagioの弦楽合奏編曲版の演奏があった。
Anton Bruckner – Adagio from Quintet, orchestral transcription, Skrowaczewski – YouTube
何といってもこの曲はこの楽章があるからやりたいわけで、当然のことながらちゃーんとそれがわかっている先人がいたわけだ。この楽章のみやる、ということも「あり」かもしれない。
指揮はスクロヴァチェフスキ。編曲も自身で行ったようだが、これがなんとも素晴らしい。音楽の作り方の的確さ、テンポ、バランス、ダイナミクスなどブルックナーの意図をまっすぐに伝えてくれる「超」一級品だ。東さんもフィラデルフィアでの大興奮の出会いを伝えてくれている。

スクロヴァチェフスキーとの会話

でもどこかでこんな音楽を聴いたことがなかったか?少し調べてみると、この人、作曲を私が神様のように拝んでいるナディア・ブーランジェにも師事している。つまり楽曲分析によるアプローチが作曲家のものだということ。どこかで聴いた、潜在意識の中に眠っていたのはクリーヴランド管弦楽団を振ったピエール・ブーレーズのマーラーの7番だ。(DG; CD 4477562)これも大変見通しの良い演奏で苦手だった7番を引き寄せてくれた唯一のもの。勿論、ブーレーズはメシアンの流れを汲む「作曲家」だし(私にとって)やたらと演奏の難しそうな訳の分からない曲を書いているが、このパースペクティヴの良い表現方法はスクロヴァさんの音楽づくりに似る。ただ私の音楽的な感興はスクロヴァさんに寄りそうが。
普段、オーケストラは余り聴かないけれど、この勢いでNHKで放映された2016年の読響とのブルックナーの8番を見ていて感涙し、ここで欲が出た。
これだけのブルックナーを聴かせるならきっとベートーヴェンも悪かろうはずがない。
大好きな「エロイカ」や「田園」にそろそろスクロヴァさんと一緒にだったら戻ってもいい年齢かもしれない。何せこの2曲でクラシック音楽の扉を開けたのだから。そんなわけで早速
「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ エームス・クラシックス全録音集(28CD)」(Oehms; CD OC090)
なるブルックナー、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンなど全部入っている一大セットを発注した。
やれやれこれで暑い夏を乗り切れそうだ。

下町散歩と東京都慰霊堂

2023 JUL 6 21:21:15 pm by 西村 淳

東京を生活の中心にしてからすでに35年以上経つ。その間に東京大空襲のことが話題になったことはない。下町のど真ん中、墨田区に移り住んでからも同様だ。
まず、学校では教わらない。戦争だし空襲くらいはあっただろう、程度にしか感じていなかった。実際、広島の原爆資料館や沖縄のひめゆりの塔を見ても今一つ実感が伴わなかったのも事実で、山陽国策パルプの勇払工場に勤務したてのころ、工場のボイラー建屋に機銃掃射された穴が残っていて、こんな所にまでアメリカの戦闘機が来たのかと驚いた程度だ。

朝夕の散歩コースの一つに東京都慰霊堂のある横網町公園がある。慰霊堂はちょっと独特の雰囲気のある場所で、それもそのはず関東大震災と東京大空襲の犠牲者あわせて16万3000体の遺骨が納められているそうだ。園内には日本庭園や一部に子供たちの遊戯具もあるが、この公園全体が祈りの場所であることに間違いはない。

建物のデザインはどこかエキゾチックでもあり、築地本願寺や神田明神と同じ伊藤忠太によるものだと言われると納得できる。
1945年3月10日未明の東京大空襲はナパーム弾まで使用され東京は焦土と化した。慰霊堂に併設されている復興記念館の横に高熱で溶けてしまった鉄塊が置かれている。ビール会社の電動機だったようだが鉄は一体何度になったらこんなになってしまうんだろう・・わずか78年前鉄をも溶かす火焔の中に焼かれた人々がここにいた・・憤怒、慟哭、そしてヒエロニムス・ボッシュの地獄絵がシンクロして言葉を失う。

軍隊が武器を持たない人たちを殺したのだから原爆も大空襲も大虐殺だ。もしアメリカ人がリメンバー・パール・ハーバーを言うなら本質的に違うしその主張は完全に間違っている。ピルグリム・ファーザーズの子孫たちは原住民たちの虐殺を繰り返しながら西へ西へと移動し黒船で太平洋を越え、その先にあったのが日本だ。価値観の違う奴らは絶対に赦さない、そんな傲慢な精神を支えにして奴らはやって来た。
散歩の途中ベンチで休んでいると、最近は外国人の観光客の姿をよく目にする。両国国技館や、旧安田庭園があるとはいえ、メジャーな観光地とは言えない場所なだけにガイドブックにでも載っているのだろうか。一人の年配の白人男性が手を合わせている姿を見かけたが、なぜか日本人の訪問者の数は少ない。本来であれば修学旅行のコースになって然るべきべきだろう。どこかおかしくないか?

散歩の別ルートに墨田電話局大空襲慰霊碑がある。場所は三つ目通りと蔵前橋通り交差点近くでここにも大空襲の記憶。

その日に電話交換手として働いていた28名の女性(最年少15歳)と3名の男性職員が避難もせずにここで命を落としたとある。殉職者碑には33名の女性の名前があるが・・いずれにせよ電信業務を全うするために命を捧げたのだろう。重い、本当に重い哀しい記憶ばかりだ。

ChatGPTと遊ぶ

2023 MAY 24 6:06:58 am by 西村 淳

ChatGPTを試してみた。怖いもの見たさもあるが、すでにイタリアで使用禁止になっているようだし「お試し」も今のうちかもしれない。
次回のライヴ・イマジンの前半のプログラムにはフーゴー・ヴォルフの弦楽四重奏による「イタリアン・セレナーデ」とソプラノと弦楽四重奏による「メーリケ歌曲集」からの抜粋を準備している。ヴォルフは資料が少ないため、ChatGPTがプログラム・ノートの作成に役に立つかもしれない。

結論としてはこちら側にそれなりの知識や知見がなければこの類のツールを使用し盲信することは極めて危険ということ。NHKを始めとするマスコミの言うことを鵜呑みにするのと同じことになってしまう。特に自分の得意分野でないものについては要注意である。
でも権威や専門家の言うことに弱いし、まして膨大なデータベースを基にAIで常に学習しているものが相手。結局は「人」を信じることしかないのかもしれない。ChatGPTの後ろにはどんな人物が隠れているやも知れず、警戒されているのは当然だ。

以下に実際のやり取りの抜粋を掲載する。

私:詩人メーリケについて教えてください。
ChatGPT:詩人メーリケ(Wilhelm Müller)は、19世紀ドイツのロマン派の詩人であり、1794年に生まれ、1827年に亡くなりました。彼は、詩集『冬の旅』(Die Winterreise)と『美しきミュラーの花』(Die schöne Müllerin)で最もよく知られています。

⇒ あれ?ミュラーとメーリケを取り違えていないか?メーリケは1804年生まれだし。

私:詩人メーリケと冬の旅のミュラーは同一人物でしょうか?
ChatGPT:おっしゃる通り、私の前回の回答に誤りがありました。お詫び申し上げます。
詩人メーリケ(Wilhelm Müller)と『冬の旅』(Die Winterreise)の主人公であるミュラー(Müller)は、同じ人物ではありません。メーリケは詩人であり、『冬の旅』は彼の作品の一つです。
『冬の旅』は、フランツ・シューベルト(Franz Schubert)や他の作曲家によって歌曲として作曲され、広く知られるようになりました。この詩集は、ミュラーという架空の人物が冬の旅に出かけ、失恋と孤独に苦しむ様子を描いたものです。
したがって、メーリケは『冬の旅』の作者であり、ミュラーはその詩集の主人公です。メーリケ自身がミュラーの名前を選んだ理由ははっきりとはわかっていませんが、この名前は詩の物語と主題との関連性を強める役割を果たしています。
おっしゃるように混同が生じた点について、混乱を招いたことをお詫び申し上げます。以上が正しい情報となります。

⇒ あれあれ?ますます深堀されてしまったぞ・・・きょえ~!!!?もしかすると目から鱗の大発見か!!心臓がドキドキしてきた。
半信半疑でボストリッジの「シューベルトの『冬の旅』:ARTES刊」を引っ張り出してみるがどこにもメーリケとミュラーのことは書いていない。それともこれは新説?珍説か?

私:シューベルトはメーリケの詩による作品を遺しましたか?
ChatGPT:申し訳ありませんが、私の前回の回答にも誤りがありました。フランツ・シューベルト(Franz Schubert)は、ヴィルヘルム・ミュラー(Wilhelm Müller)の詩集『冬の旅』に基づいて作曲しました。ヴィルヘルム・ミュラーとフランツ・シューベルトは共に19世紀のドイツの芸術家です。
『冬の旅』はミュラーの詩による詩集であり、シューベルトはこの詩集を基にして作曲しました。シューベルトの『冬の旅』は、ミュラーの詩の雰囲気やテーマを音楽で表現しました。シューベルトの『冬の旅』は、ピアノと声のためのサイクル(連作曲)として知られており、その美しいメロディと感情的な表現で広く称賛されています。
以上のように、シューベルトはヴィルヘルム・ミュラーの詩に基づいて『冬の旅』を作曲しました。再度混乱を招いてしまい申し訳ありませんでした。ご指摘いただき、正しい情報を提供することができて安心です。もし他に何か質問がありましたら、お気軽にお知らせください。

⇒ 安心したあ!上手の手から水が漏れたかと同時にちょっと残念な気持ちも。アブナイ、アブナイ。避けて通れないなら使うも使わぬもあなた次第。信じる者は救われるかも。

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