Sonar Members Club No.31

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バッハをピアノで

2026 MAY 15 19:19:27 pm by 西村 淳

バッハの器楽曲をピアノで弾く。たとえば100年前は?ランドフスカのモダン・チェンバロがあったにせよ、これが当たり前のことだった。もしそれが300年前だったら?もちろん、チェンバロが主体であったに違いないがどうもバッハもピアノで弾いていたようなのである。そんなバカな!と思うかもしれないが、それがゴットフリート・ジルバーマンのピアノ、正確に言うならフォルテピアノである。
ピアノを習いたての頃、バッハ事始めはインヴェンションだった。どう弾いていいか全くイメージがわかなかった。街のピアノの先生たちもチェンバロのために書かれた曲なんだし、(弾いたことがないのに)逆に強弱をつけるのはおかしいのだとか、スタカートだけで弾けだの今思うと滑稽な指導をしていた。よく解らないモードは最高潮。さらにHenle版を使うようになると、指遣いもない、強弱もない世界、大海原を見ているような感覚。
平均律クラヴィ―ア曲集を世界で初めてピアノで録音したのはエドウィン・フィッシャーだった。ここを端緒としてグールドをはじめ、リヒテル、バレンボイム、グルダ、シフさらにキース・ジャレットまで多くのピアニストがこの曲集に取組んでいる。ピアノで弾くバッハに魅せられるのは天才たちの絶妙な表現力に負う所が大きいが、演奏の中核にあるのは強弱の要素である。さらにピアノと言う楽器の特性をフルに活用し、それが高じてブゾーニのようにヴィルティオーゾの領域まで高める輩もあらわれた。
そんな中、20世紀の後半は古楽器の隆盛によりチェンバロもモダン・チェンバロが廃れ、オリジナルをはじめオーセンティックなレプリカも数多く現われた。ただ聴く側からすると音量を調整できないチェンバロでフーガをやられると正直なところきつい。いや、お前だけだと言われると身も蓋もない話だが、バッハのフーガはパッヘルベルや、ブクステフーデ等に比べとても複雑。これまで培った自分自身の感性を信じたい。つらつらと考えるにバッハもチェンバロと言う強弱のつけられない楽器の限界にもどかしさを感じていたのではないだろうか?だから晩年の作品に楽器指定すらないではないかと妄想してみる。
そうこうしているうちにジルバーマンのフォルテピアノを使用した録音が登場した。(Da Vinci Classics C01077)
このCDは1747年5月6日にベルリン、ポツダムのサンスーシ宮殿で行われた御前演奏会でバッハがジルバーマンのピアノで即興演奏を行った様子を再現している。ここで聴くジルバーマン・ピアノ(1749年/ケルスティン・シュヴァルツによる2013年のコピー)の響は私たちがピアノと言えばイメージする音(特に中音域)がしてビックリしてしまった。ただ、バッハのこのピアノについての感想はいいものではなかったと伝承される。これが今にまで一般に信じられている「バッハ=ピアノ嫌い」という定説になった。ところがそれ以前にもバッハとジルバーマンの接点があったようなのだ。
ジルバーマンは有名なオルガンの製作者だが、何を思ったのかピアノの元祖、イタリアのバルトロメオ・クリストフォリの発明(1698年)したモデルをもとにしたフォルテピアノを製作していた。アクションはクリストフォリとほぼ同じ、というか現代のピアノに至るまで、発音の基本原理は変わっていない。いかにその発明が正鵠を射たものだったかに感服。これが18世紀にはすでにヨーロッパの宮廷や、貴族の家で広く使われていた。武久源造氏によれば1717年のイタリア歌劇団のドレスデン訪問ではクリストフォリ・ピアノを持参し、そこに出張で来ていたバッハがこの楽器に触れる機会があったに違いないとしている。ヴェネツィアのアレッサンドロ・マルチェッロは1724年にクリストフォリにピアノを注文しドメニコ・スカルラッティは、マドリード宮廷の5台のピアノのうちの1台で演奏している。そう、ホロヴィッツを例にとるまでもなくピアニストの試金石とも言うべきスカルラッティのソナタもピアノで弾くと実に美しく響くのだ。
さて、バッハとジルバーマンの接点は1738年から1741年までバッハの弟子であったヨハン・フリードリヒ・アグリコラが後に回想している。
『ゴットフリート・ジルバーマン氏は最初にこの楽器を2台製作しており、そのうち1台は、ヨハン・セバスチャン・バッハによって試奏されました。彼は音色に好意的な印象を受けた一方で高音域が弱すぎて演奏しにくいと不満を漏らしました。
ところがシルバーマンは忠告を重く受け止めたものの、その時点で自らの楽器に欠陥があることを認めませんでした。このため、彼は長い間バッハといい関係ではなかったのです。シルバーマン氏自身が私に打ち明けたことですが、彼は当面この楽器を売らずに、バッハの指摘した欠陥の改善に長年取り組みました。楽器の改良を終えたジルバーマンは、ルドルシュタットの王室に楽器を売却し、さらにプロイセン王はこれらの楽器を数台注文しました。最初の楽器を見た者として私は彼がどれほど熱心にこの仕事に打込んだかがよくわかります。シルバーマンはまた、新作の楽器をバッハに弾いてもらい、全面的な承認を得たという称賛に値する誇りを持っていました。』(ベルリン、1768年)
ここにあるように改造に長年取り組んだとするなら、御前演奏会で初めてこの楽器と出会ったわけは無く、それよりずうっと以前、1730年前後の話だと推定できる。
武久さんの言説では6つのパルティータはジルバーマンのために作曲されたと。通りでリパッティの演奏の美しさはどうだ。
これで私の「バッハはピアノで」という音楽的な感性は裏打された。どや!?その通り!
謎解きは愉しい。空想、妄想が徐々に解きほぐされる過程には何物にも代えがたい悦びがある。ブランデンブルク協奏曲第5番の長大、巨大なカデンツァを出すまでもなく、チェンバロを協奏曲の独奏楽器に持ち上げた事は後のピアノ協奏曲の原点であった。バッハさん、さすが「音楽の父」の名にふさわしい。

中川さんのストアライブ

2026 APR 20 15:15:01 pm by 西村 淳

「みなさんと音楽を楽しむ時間を共有したい。私が感動したものを是非共有してほしい。あなたたちとの出会いは素晴らしいものでした。」
よく利用させてもらっているディスク・ユニオン新宿クラシック館の名物スタッフの中川さんが今月限りでさようならとのこと。購入に迷ったときにお世話になったり、ライヴ・イマジンのプログラムをお渡ししたりで音楽を通じての交流はお店を訪れるモチベーションにもなっていた。

食べ物についてはあそこの店が美味い、今までで一番!この感動を誰かと一緒に味わいたい。ネット上にはそんな声が溢れかえる。それは音楽も一緒で、私聴く人、食べる人。シェフの苦労なんかどうでもいいわけだが、もし気に入ったならちょっとだけ厨房を覗いてみたくなるのも人情。シェフとお喋りできたりしたら最高だ。
中川さんはその厨房の様子を「聴いて楽しむおしゃべりクラシック」と名付けてストア内ライブの形で語り、昨日が第15回目。そしてこれがFinだった。ご自身の経験を基に絶妙の関西弁でやってくれた。副題が「一期一会」。何やら意味深なものだ。覗き見が大好き人間にとって面白いエピソードが満載だった。
1時間半にわたるこの会のトリは中川さん絶賛のお勧め、カラヤンとベルリン・フィルによるエロイカのDVD。この最高の楽曲を会の、そして新宿からのフェアウェルにした見識も素晴らしい。私にとっても何しろ中学生の時に初めて買ったLPレコードがこの曲だ。この映像は他のカラヤンの映像のような演出のない1982年のベルリン・フィル創立100周年記念演奏会の記録だそうで、聴衆にはシュミット首相やVIP達も名を連ねる。音だけからもすごい集中力が伝わりそれが音楽となって直接心を鷲づかみに。カラヤンがカーテンコールでコンマスのシュワルベには手を差し伸べたのに、ブランディスはスルーみたいなお話があった。うわー、そうだったんだ、人間関係が垣間見られそう。この場面はどうしても見たいので(私の場所からでは映像はみえなかった)中古がHMVにあったので早速発注を。
完璧なショルティの「展覧会の絵」では凄腕シカゴ交響楽団の全盛期の映像。でもベルリンが出てくると、シカゴの影が薄くなるのはどうしてだろう?この点は他の人たちも頷いていたし意見が一致。
私はアマチュアのチェロ弾き。つまりシェフでもあるが、一流のシェフの技もないし、必要な知識も少しは身に着けても再現性においては街中華の親父に劣るだろう。であれば食通(音楽通)になって楽しむのも悪くはないな。美味いか不味いかくらいはわかるんだ。たまには腕を奮ってライヴ・イマジン。そう、冒頭の言葉はそのまま私たちの演奏姿勢に繋がっている。
岡本太郎の言葉を思い出した。素晴らしい芸術とは、きれいで心地よいものではなく、見る人の心に「爆発」のような衝撃を与えるものだと。絵画はただの「物質」に過ぎず、それを見て「感動した」「何かを感じた」と感じる、あなた自身の生きる姿勢や感性こそが、価値がある。そしてお前自身が主役として生きろと。
大阪にもディスク・ユニオンクラシック館があるらしい。中川さんの地元でのご活躍を祈念したい。

前口上の後半

2026 APR 6 21:21:25 pm by 西村 淳

「58」でお話ししたトリビアの2つ目。トランペットのことを少し。
1977年にNASAが打ち上げた宇宙探査機ボイジャー号、太陽系を離脱し50年経っても尚、通信が途絶えていない。今年の11月頃に、地球から1光日(光が24時間で進む距離約259億km)に到達する見込み。そのボイジャーにはGolden Recordと言うものが搭載されており、一種の「タイムカプセル」で宇宙人に向けたメッセージ。勿論、画像や音声、音楽が収められている。その中の一つに「クジラの歌」があり当時はそれがとても新鮮で印象に残った。では音楽のファーストトラックとして選ばれたのは?異星人が聴く初めての地球人の音楽は何だろう?答えは何とブランデンブルク協奏曲第2番 の第1楽章。この曲はトランペットが大活躍する。古くはエジプト、ツタンカーメン王の棺には2本入っていて、20世紀になって何とそれを吹いて壊してしまった人もいたようだ。一方キリスト教ではこの楽器は「神の声の象徴」とされ聖書の大切な場面で登場する。なるほど、そんな訳でこの曲が選ばれたのかと納得したが、選曲者のセンスには脱帽だ。普通はなかなかここまで行きつけない。
閑話休題。
昔よく松本零士さんのアニメ「銀河鉄道999」を愛読していた。当時、苫小牧(勇払)の工場へ勤務していた頃の話。その頃は地方にもジャズ喫茶があって豪華なオーディオを競っていた時代だ。苫小牧にあった「音蔵(おんくら)」は、なんとスピーカはJBLのParagon。ここにこのアニメが全巻あって夢中になって読んでいた。
さて、「999号」にもGolden Recordが乗っていると妄想した。因みにアニメの連載開始は1977年のこと。この年は記念すべきボイジャーの打上の年だしリアル宇宙探査とフィクションの宇宙冒険が交差した運命的なパラレルワールドではないか!?となると主人公、星野鉄郎はバッハでなければならないし、メーテルはアンナ・マグダレーナ。メーテルが黒いマントの下にバッハの楽譜を隠し持って、宇宙人に「この音楽をお聴きなさい。人の魂の旅ですよ」みたいなセリフを言うシーンとか、想像しただけで胸熱になってしまった。
・・ある晴れた日に、桜の木の下にはGolden Recordが埋められている。

バッハのカンタータ第82番。ハンス・ホッターの歌うこの曲でバッハの声楽曲に目覚めたのもこのころ。

(2026年4月4日 すみだトリフォニー小ホールにて)

ライヴ・イマジン58「前口上」

2026 MAR 27 22:22:41 pm by 西村 淳

いつもライヴ・イマジンでは開演前に5分間スピーチをしている。「58」はバッハ、ということでいろいろネタ探しをしてみたが、とにかくこの巨大な存在は切り口が多すぎてあれもこれもとなってしまう。前半のブランデンブルク協奏曲はさておき、あまり普段は聴く機会のないカンタータ第82番Ich habe genung「私は満ち足りています」のことを話すことにした。その内容を備忘する。

     

バッハはライプツィヒの教会のカントルになってから5年間、毎週の日曜礼拝のためにカンタータを作り、月(歌詞)火、水(作曲)木(パート譜作成配布)金、土(練習)日(礼拝)のような日課を5年間も続けた。これは大変過酷な労働で、仕事とはいえ休日はほぼなかったに違いない。1727年2月にはカンタータ第82番の初演、さらにその2か月後には大曲「マタイ受難曲」の初演と続く。この間に妻アンナ・マグダレーナとの間に6人の子供が生まれた一方で1726年から28年にかけては毎年のように幼いわが子を葬るという過酷な現実があった。特に26年には新しい娘(エリザベート)が生まれてわずか2ヶ月後に、3歳の長女(クリスティアーナ)を亡くしている。
彼の宗教音楽に漂う哀しみや、死を「安らかな眠り」と捉える特有の死生観には、こうした実生活での絶え間ない喪失も反映しているに違いない。
ただこの状況の中で妻アンナ・マグダレーナの献身を忘れてはいけない。むしろバッハが毎週カンタータを上演できたのは彼女の助けがあったからと断言してもいい。バッハがなぐり書きした総譜(スコア)を清書、演奏者が使う「パート譜」を作成する作業を担っていたのだ。実際アンナはプロの音楽家でソプラノ歌手としてバッハの倍近い金額で宮廷と契約していた。パート譜作成は私もやったことがあるが、とにかく時間がかかるしスタカート(・)ひとつを間違った音に付けただけで違う音楽になってしまう。とても神経を使う作業だ。勿論パート譜はオーケストラや合唱の人数分を用意しなければならない。
バッハはそんな妻への感謝をこめ、2冊の『アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳』を贈っている。中には多くのクラヴィーア曲と家族で楽しむための歌曲も収められており音楽帳全体が「夫婦で好きな曲を書き込む音楽で綴った交換日記」のようなものだった。勿論、この曲集は子供たちの教育用でもあり有名な「メヌエット(ペツォールト作曲)」は街のピアノ発表会の定番である。実はカンタータ第82番の第3曲のアリアも載っていてアンナのソプラノ音域に合わせオリジナルの変ホ長調がト長調に転調されている。余多あるカンタータの中からここに収められたのはこの曲だけだ。バッハの伴奏でアンナが歌う、二人のそんな姿が瞼に浮かぶ。さらに音楽ファンの心をときめかせるゴルトベルク変奏曲の有名なアリアもアンナの手で書き込まれており、これは後の大変奏曲へと発展した。
バッハのカンタータは行方不明のものを含めると300曲位あると言われている。ライヴ・イマジンで採り上げたのは初めてだが予感させるものは宝の山。その音楽はキリスト教と言う宗教を超えて人類の普遍的な感動を呼び起こす。

川口成彦さんのスペイン

2026 MAR 16 15:15:11 pm by 西村 淳

2026年3月15日(日)葛飾シンフォニーヒルズ アイリスホール

プログラム;
グリーディ:ノスタルジア(《3つの短い小品》より)
ファリャ:《三角帽子》より3つの舞曲
プーランク:ファリャの主題によるノヴェレッテ
ペドレル:夜想曲
アルベニ:港 (《イベリア》より)
ファリャ:4つのスペインの小品
ラヴェル:グロテスクなセレナード
ドビュッシー:ビーノの門 (《前奏曲集 第2巻》より)
       途絶えたセレナード (《前奏曲集 第1巻》より)
       グラナダの夕暮れ (《版画》より)
グラナドス:《スペイン舞曲集》より オリエンタル/アンダルーサ
ファリャ:アンダルシア幻想曲
     火祭りの踊り(《恋は魔術師》より)

コンサートの感想で川口さんを採り上げるのは何と2回目だ。それほどこの人の音楽に共感しているってこと。ここで使用されたのはエラールの1890年製のピアノで鋼鉄フレームに弦を並行に張ったもの。バレンボイムが従来の現代ピアノ(Steinway、Yamahaなど)に飽き足らず、昔の直弦ピアノの透明感と現代の力強さの両立を試みた例もあるが、ここでその効果を十分に味わうことが出来た。特徴は音色の透明感・明瞭さにあり、各音域(低音・中音・高音)の個性がはっきり分離して聞こえ、より色彩豊かでニュアンスに富んだ響きがする。絶対的な音量や低音の迫力は通常の交差弦ピアノより控えめになるとされるもバランス上からは何らの不足も感じなかった。

プログラムはファリャの生誕150年にちなみスペインとそれにまつわる考え抜かれたもの。ご自身が若いころからのスペイン音楽の大ファンで曲に対する共感と自家籠中となったその表現力は驚異的だ。演奏が始まるとすぐにミューズが彼の上に舞い降りたようだった。見事な遠近法の絵画を見ているようでもあり、轟くような強奏から弱音の凛とした美しさまでやりたいことがビシビシと伝わって来る。濁りのないエラールの響きはこれらの音楽を奏するのに最適な選択にちがいない。
「ピレネーを越えたらアフリカだ」とはナポレオンの言葉通り、スペインはイスラムの影響が色濃く残りヨーロッパ文明とは一線を画しているらしい。音楽からはひしひしとそれが伝わるし足腰が元気なうちに一度は訪れてみたいものだ。

アンコールは4曲。
ファリャ:賛歌『ドビュッシーの墓のために』
トゥリーナ:サクロ・モンテ
モンポウ:歌と踊り 第8番
ロドリーゴ:春の子守歌

ブダペスト四重奏団

2026 MAR 10 21:21:52 pm by 西村 淳

「ゴジラ」がYoutubeにあったので初めて視聴した。話題の-0.0では勿論ない。1954年に東宝で製作されたもので大ヒットしたゴジラのデビュー作。
ゴジラが東京を破壊しつくすワクワク感の一方、反核や社会派的な視点もあり当時の世相も垣間見る。しまいには原水爆をも凌駕する特別兵器でゴジラを葬り去るがストーリーとしては悪くない。
東京大空襲で焼け野原になり、サンフランシスコ講和条約により独立国になってわずか3年。セットの街並みは戦災の傷跡も見えず、昭和の風景だ。
まだ東京タワーは建っていないし、ここでゴジラが標的にして壊したのは銀座和光。これが当時のシンボルだったかな。時代としては黒澤明の「七人の侍」も同年の作品だし、戦前からの多くの才能が各分野にひしめきその後に続く昭和の大躍進につながる。
冒頭あれっと思ったのはゴジラの登場で主人公がデートを楽しみにしていたコンサートを諦めるシーン。なんと!これがブダペスト四重奏団のコンサートだった。1952年初来日の物だろうと推察したがワンカットとはいえ渋いですねえ。ここに弦楽四重奏を持って来るセンスに思わずにんまりと。

当時デパート(松坂屋)はソフトクリームだけでなく文化まで売っていたんですね。ちなみにブダペスト四重奏団のベートーヴェン後期の演奏はマイ・フェイヴァリッツだ。

「ファルスタッフ」さん

2025 DEC 30 7:07:48 am by 西村 淳

「ファルスタッフ」という名の中古CDを通販で扱うお店がある。時々利用させてもらっているが、とにかく店主のこまやかな心遣い、1枚1枚に曲名、演奏者や録音日時は勿論、録音プロデューサー、エンジニアなどの詳細データのほか、客観的なそして一部主観的なコメントまで付けて毎日ブログアップされる。注文したものが手元に届くと丁寧な梱包と保護ビニールまでつけてあり、商品に対する細やかな愛情が感じられる。
店主のブログも不定期ながら更新されているし、音楽愛好家にとってささやかな楽しみだ。そこで見つけたのがハイドンの交響曲第98番(!)「最後に現われる小さなバレリーナ」という副題までついている!なんと東さんの傑作、「さようならモーツァルト君」に先立つこと3年、心の琴線に届いたものを伝えてくれえていた。ここに辿り着くのは生半可な経験じゃ絶対に無理で、ほぼ天上の悦楽とも言うべきもの。恐れ入りました。日本の音楽愛好家のレベルの高さはまさに世界一かな。

https://falstafff.jugem.jp/?eid=160

個人的には(伝説の)公演からすでに8年が過ぎ、その間にコロナ騒動。またオケの編成をするきっかけさえ見つからないけれど、輝かしいジュピター交響曲が背中をドーンと押すような感じで2025年の〆に登場。きっと何かの僥倖だ!

サトケン追悼

2025 NOV 12 6:06:07 am by 西村 淳

訃報は先日のライヴ・イマジン57の終演後、お客様から届いた。
先週末、練習に顔を出さないので、と心配になり電話をしたところすでに救急搬送され亡くなっていたそうだ。
サトケン(佐藤健さん)がライヴ・イマジンに初めて登場したのは2009年1月9日、第7回、プーランクの「仮面舞踏会」だった。以来12回もライヴ・イマジンへ参加して会を支えてくれた。そして最後の公演はバルトークの超難曲、コントラスツ。誘った時に50歳の記念にやりたいんだという夢を語り、ライヴ・イマジンはそれを実現したが、ヴァイオリン、ピアノ、クラリネットのトリオは彼をおいて他の人材はなかった。

持病があったため、目が悪く練習の時にはいつも完璧な暗譜で臨んだ。たとえこれがオーケストラであっても同様にしていたようだし、不自由を逆手にとり、こうするしか音楽が出来なかったのかもしれない。それでもなおテクニックは安定し、巨大なダイナミクスの凄さは他を圧倒した。彼の前にも、彼の後にも誰もいない、素晴らしい音楽家だった。

今はなき錦糸町の名店、大三元の汁なしラージャー麺が大好きだったサトケン。
大汗かいて美味しそうに辛いスープまで完食して、あー美味しかった!って。
とっておいたブラームスのクラ5をいつか一緒に。誰がこのAdagioを吹ける?もう出来ないな。

おーい!!
お星さまは、どの星?

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。

合掌

ジャルスキー・イン・パーソン

2025 OCT 14 14:14:40 pm by 西村 淳

フィリップ・ジャルスキー&ティボー・ガルシア デュオ・リサイタル
2025年10月13日(月・祝)彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール

来日を心待ちにしていたジャルスキー。コロナの最中にその予定があったが、流れてしまったため、この日ほど楽しみにしていたものはない。
80分ほどのリサイタル。2曲のギターソロを挟み途中休憩なし。
カウンターテナーというちょっと特殊な唱法を知ったのはもうかれこれ50年も前の事。アルフレッド・デーラーの男声とも女声とも異なる柔らかな世界、ダウランドの曲に魅せられた。そしてジャルスキー。デーラーをより現代的にブラッシュアップした世界は、バロックオペラからシャンソンまでをカバーする。特にヴェルレーヌの詩を集めた万華鏡のような美しいCDは私にとってのエヴァー・グリーンだ。中でもノルマンディー上陸作戦に符合したシャルル・トレネの「秋の歌」、日本人なら誰でも知っている上田敏の「秋の日のヴィオロンの・・」というあれ。何とエベーヌ四重奏団がつけているのだから心躍らぬはずはない。

彩の国さいたま芸術劇場の音楽ホール。500名、ほぼ満席だったし響きもなかなかヨロシイ。来場者、ご婦人が少し多いのはアイドルだからなあなどと開演を待つ。いやあ出ましたよ、千両役者だ。カッコいいなあ。リサイタルなので上質なスーツとシャツ。背も高いしまるで映画スターの登場に会場の空気が変わる。ドミンゴを「観た」時もそうだったけれど、歌手には半端ないオーラと華があるのはまぎれもない事実。これだけは器楽奏者が逆立ちしても敵わないし、音楽の原点は何をさておき「歌」。
カウンターテナーの音域はアルトからメゾソプラノあたりまでか。その中性的な響は男、女をあまり意識せずに音楽そのものをストレートに伝えてくれる。シューベルトの歌曲すら独自の世界が拡がり、これを愉しむのも好きだ。調子がいいのか声の衰えも全く感じさせなかったし、繊細な表現を補う伴奏をピアノではなく、ギターを選ぶところが素晴らしい。ともすれば重くなりがちな鋼鉄の箱を選ばないところが、バロックやそれ以前の音楽に通暁しているからこそ。またガルシアさんのギターの切れ味と伴奏の域を超え自在に切り込んでいく凄さ。むしろ編曲だけにオリジナルにこだわらないことでそれ以上の効果をあげていたと思う。
アンコールは3曲。日本語で歌った「いつも何度でも」(千と千尋の神隠し)とヘンデルの「私を泣かせて下さい」、そして「枯葉」。これに涙しなかった日本人はいないだろう。

「夢」のかけら

2025 OCT 11 17:17:19 pm by 西村 淳

ブラームスの弦楽六重奏曲第2番にはよく知られたアガーテ・フォン・シーボルトとの恋愛エピソードがある。東さんのブログに詳しい。

ブラームスの “青春の蹉跌”

これを演奏するにあたり、頭の中が多くの??マークでいっぱいになってしまった。

第一楽章、主題の提示が一通り終わった後、それは突然やって来る。アガーテ、アガーテ、アガーテ!!と3回も叫ぶのである。最初これを目(耳)にしたときには、何という未練がましい男だ!と思ったものである。それもそのはず、自分から「自由がほしい」などと発言しておいて、アガーテからきっぱりと婚約解消を言われ別れたのに、6年も経ってから彼女の住むゲッティンゲンにのこのこと向かった。当然よりを戻そうとしていたに違いないがすでに彼女は別の男に走っており、失意のうちにその想いを託したのが弦楽六重奏曲第2番だ。
ブラームスははっきりものを言わない性格である。なのにどうして3度も?実際音楽的にはそれが2回であっても何一つ不自然さはない。

この印象深いa-g-a-h(b)-e(アガーテ)のモチーフが、突然第1ヴァイオリンの高音域に3回連続して現れ、同時にこの動機に内声にdが挿入され「adé」となることで、このメロディーの断片は「アガーテ、アデ」(アガーテ、さようなら)となる。(「アデ」は別れを意味するドイツ語の「Adé」)ここがポイントでこの点を抑えてないと私のように頓珍漢な受け止めをしてしまう。
つまり、ブラームスにとって、「アガーテ、カムバック!」ではなく「アガーテ、さようなら。」ということ。そしてその3回連呼は「3」という数字、つまりキリスト教文明の、神聖さや完全先生の象徴的な意味に繋がる。つまり三位一体、東方の三博士、ペテロの三回の否認、そしてイエスの死後三日目の復活だ。いやもっとあるのかもしれない。覚醒し、完全な、屹然とした彼女との別れがこの曲のテーマだったと理解した。

この曲に取り組まなければ、こんなことも考えなかっただろうし、正しく曲を理解することもなかったかもしれない。
ライヴ・イマジン57は11月8日。是非会場に足を運んで、ブラームスの叫びをご自身の耳で確かめてほしい。
http://liveimaginemusic.blog91.fc2.com/blog-entry-616.html

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