Sonar Members Club No.31

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軍艦マーチ

2023 NOV 27 19:19:18 pm by 西村 淳

両国駅前にあった老舗のパチンコ屋が廃業した。相撲とパチンコのイメージは「のたり松太郎」だが、今どきの若い力士は暇なときはゲームでもしているのか・・昭和は終わりぬ。そのパチンコ屋の思い出となると「軍艦マーチ」だ。最近のことはわからないが昔は盛んにチーン・ジャラジャラのBGMはいやでも耳に突き刺さった。海軍出身者からはこれに批判もあったと聞くが、この曲は決して悪い曲ではない。アメリカの行進曲のようにあっけらかんとしたものではなく、「君が代」同様に多少和音の連結がおかしくても日本の叙情もちゃんと込められ心に染みる。もし「ふるさとを遠きにありて思う時」には確実に落涙しそうだ。冒頭の4小節目のズンチャ・ズンチャに心躍る・・そう、何を隠そうこの曲が好きなのだ。
「軍艦マーチ」ばかりを集めたCDがここにある。「軍艦マーチのすべて 瀬戸口剛吉生誕130年記念」(キングレコード・KICG3073)。

1903年の初録音や三島由紀夫指揮・読売日本交響楽団、最後の菊乃家(ちんどん)まで26曲も!これでもかと迫る。さすがに食傷気味だが、中にはドイツ録音が二つ。一つは独逸ポリドール軍楽隊でなかなか立派な演奏になっているが、クラシック好きにとっては1935年8月のアロイス・メリハル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のものにそそられる。フルトヴェングラーは前年12月にヒンデミット事件をきっかけにベルリン・フィルを辞任、翌年4月25日に復帰公演をしており熱狂的に迎えられている。そのオーケストラを使っての録音だ。弦楽器の入った編曲がなされ、合奏能力の高さも、拍節感が的確な表現の確かさも他とは一線を画している。
戦前、海軍と陸軍は仲が悪いことは仄聞していたが、軍楽隊でも事情は同じだったようで、(陸軍軍楽隊の生徒だった芥川也寸志・私の音楽談義)・・・何かというと海軍は眼の仇にされ、中でもどうにも我慢がならなかったのは、あの名曲“軍艦行進曲”の存在でした・・。ということで、悔しいので八紘一宇の大精神で「軍歌陸軍」やフランス人教官シャルル・ルルーの「陸軍分列行進曲」を繰り出し、近衛秀麿子爵と新交響楽団で録音だ。気持ちはわかるが、曲としては歌詞を変えればどこかの校歌と言ってもいいような代物。実際、「軍艦マーチ」のほうも宮沢賢治や石川啄木の母校、岩手県立盛岡第一高等学校の校歌に転用されている。
余談ながら、陸軍と海軍の確執をちょっと調べてみると出るわ出るわで、その一つがNHKのWEBに『なぜ陸軍が潜水艦を造ったのか「まるゆ」の真実』があった。補給船がやられてしまい、南太平洋への兵站の確保のために(陸軍が)潜水艦を造ってしまう。しかもヒミツなので海軍に頼まず、ドイツの技術を参考に。いや、海軍に頼むくらいなら我々で造ろう!鬼畜米英よりも優先度の高いものがここにあり!ところが案の定、建造したが使いものにならず、レイテ島に向かい、がんばって海上(潜ってない!)を航行していた虎の子の1艘も哀しいかな駆逐艦に見つかり海の藻屑となった。ただこの戦争、勿論陸軍だけがマヌケだったわけではないことは言うまでもない。

Tokyo male choir KuuKai 演奏会

2023 NOV 21 18:18:03 pm by 西村 淳

11月20日(月)夜、トッパンホールにお邪魔する。方向音痴はさっそく道が判らなくなる。開演10分前に無事着席。来年5月にご一緒させていただく栗友会の男声合唱団「KuuKai」さんのご招待を受けたが、合唱のコンサートは生まれて初めてのことだ。

プログラムは、
シューベルト 「夜」(詩:グルンマッハー)D.983c 「水上の霊の歌」(詩:ゲーテ)D.538
指揮 麻山皓太
詩:谷川俊太郎 曲:新見徳英 男声合唱とピアノのための「ことばあそびうたⅡ」
指揮 横山琢哉
詩:中原中也 曲:多田武彦 「冬の日の記憶」
指揮 高山太一
詩: 高野喜久雄 曲:高田三郎 男声合唱組曲「水のいのち」
指揮 栗山文昭

指揮者以外全員タキシードにボウタイという正装はやはり意味のあるもの。靴もピッカピカだ。出入りの順番もきちんとしている。Es muss sein!
舞台に緊張感も漂うなか1曲目のシューベルトのアカペラによる美しいハーモニーが鳴る。これだけでこのコンサートの成功が約束されたようなもので、最後の曲の一音が消えた時、批判的ではなく珍しく音楽そのものを愉しんだ自分がそこにいた。
仕事を抱えながら大好きな音楽を肌身離さずに持ち続けることの大変さはよく理解しているつもりだ。また4人の指揮者という変則的な形もうまく作用し、ハードな練習を乗り越え成功を導いた仲間たちに心からおめでとうと感謝を伝えたい。
合唱が器楽と違うのはハーモニー感だ。音律がどうのこうのではなく、人はハモるということを体で知っているし、それが楽器という道具を通すと四苦八苦が始まってしまう。どうしてかはかわからないけれど。
配られた他の演奏会のチラシを見ると半数以上が日本の作曲家のもので、人も作品もまったく知らないし、アマチュアの団体が依嘱することもよくあるようだ。このあたりは私たちとはいささか事情が違う。
以下簡単に備忘を。
最初のシューベルト、客席が埋まったホールの響きに手探り状態だったのは第一曲目というハンディを背負ったせいだ。実際、pから、ppにという繊細な出だしはプレッシャーだったに違いない。ドイツ語の発音練習の成果は歌いだしの発音がはっきり聞こえフレーズ感がよく伝わった。
2曲目の自信に満ちた発声は迫力満点。この難しい曲をどうやってものにしたのだろう。休憩後の3曲目は中原中也の詩であることから期待したが、曲はいたって凡庸な感じ。そして最後は私も知っている合唱曲の定番であり、学生時代にどこかで歌った記憶が蘇った。大御所の確固たる指揮のもと合唱団に生気と集中力が蘇り、嬉々として歌っている姿が楽しかった。
立派な演奏会だった。アカペラの最初に音をとる笛みたいのさえ新鮮だったし、アンコールに「つくば山麓合唱団」を是非聴きたかったなあ。コンダクターは山ガエル~♬

水の上の霊の歌

2023 NOV 14 21:21:09 pm by 西村 淳

ゲーテについてはよく知らない。「ゲーテとの対話」(エッカーマン著:岩波文庫)を紐解いたが、その会話は、古代、古典文学、美術、土木・建築、自然科学、歴史、政治、音楽など幅広い分野に借り物ではない自身の言葉を重ねていく。さすが驚嘆すべき博学、知の巨人である。その会話の中で音楽の占める割合はほんの数パーセントに過ぎず、ここから窺い知れることは、モーツァルトを天才と評し、ベートーヴェンと知り合い、12歳のころから出入りしていたメンデルスゾーンなど、一流の音楽家が周りにいたにもかかわらず人生にとって音楽とはその程度のものでしかない、ということか。コロナ禍で劇場が封鎖されたとき、「私たちは本当に社会にとって必要なの?」と関係者が自問していた一つの答えがここにある。
「ゲーテとの対話」の中では、シューベルトへの言及はない。せっかく友人のシュパウンが送った献呈の楽譜も返送され、外から怨嗟の声も聞こえて来るが、多忙きわめる中、楽譜を送られてもゲーテ本人がそれを読めないのだから手間暇をかけたくなかったのだろう。
「水の上の霊の歌」が作られたのはゲーテ、30歳の時。公私ともども充実した時期にあたり、良く知られた「魔王」もこの頃の作品だ。1779年10月9日、ワイマールのカール・アウグスト公と2度目のスイス旅行に出かけ、ラウターブルンネン近郊のシュタウバッハの滝を訪れる。その時の感動を直ぐに歌った。「シュタウブ」の意味は塵。垂直に切り立った岩山の上約300mの高さから流れ落ちる水しぶきの飛び散る様であり、滝の名前そのものとなった。


Staubachfall(スイス政府観光協会HPより)

「水の上の霊の歌」
Gesang der Geister über den Wassern

人の心は
水にも似たるかな。
天より来たりて、
天に登り、
また下りては
地にかえり、
永劫つきぬめぐりかな。

一筋清く光る流れ、
高くけわしき
絶壁より流れ落ち、
虜なめらかなる岩の面に
とび散りては美わしく
雲の波と漂い、
軽く抱きとられては、
水煙りに包まれつ
さらさらと涙立ちつ
谷間に下る。

きりぎしのそびえ、
水の落つるをはばめば、
憤り泡立ち
岩かどより岩かどへ踊り
淵へ落つ。
平らなる河床の中せせらぎて、
牧場の間なる谷を忍び行く。
やがて鏡なす湖に入れば、
なべての星、
顔を映し若やぐ。

風こそは
波の愛人。
風こそは水底より
泡立つ波をまぜかえす。

人の心よ、
げになれは水に似たるかな!
人の運命よ、
げになれは風に似たるかな!
「ゲーテ詩集」 高橋健二訳 (新潮文庫)

シューベルトは4回もこのテキストを基に作曲している。完成したのはアカペラ版と弦楽合奏版(ヴィオラ2本、チェロ2本にコントラバス)であるが、ゲーテの詩の詩節構造に相応した2つの曲の構造はよく似ている。ただ後者は拡がり、深み、凄みを増しており、弦合奏の水流の描写などドラマチックな展開と星を映す水面の静けさのアーメン終止、さらにアヴァンギャルドな和声の使用に驚かされる。
・独唱D.484(断片)1816年
・男声四重唱曲2曲:D.538(無伴奏)1817年3月
 D.705(ピアノ伴奏、未完成)
・男声八重唱曲:D.714(弦楽伴奏)1821年2月
1821年3月7日にウィーンのケルントナートーア劇場での初演は新聞評でこき下ろされた。ちょっと難しすぎるということか。シューベルトの多声歌曲は140曲を超える。圧倒的な質と量を誇る歌曲に比べ隠れてしまいそうだがなんと魅力的な曲がたくさんあることだろう。オペラだって15曲もあるし私たちはそのほとんどを聴いたことすらない。
「水の上の霊の歌」のきっかけはガーディナーとモンテヴェルディ合唱団の演奏だ。いつものシューベルトとは違った雰囲気に引き込まれ即座にブライトコップ・ヘルテル社に楽譜をオーダーした。
次回(2024年5月11日(土);すみだトリフォニー小ホール)の『ライヴ・イマジン53』に栗友会の男声合唱団KuuKaiさんと共に10年来の夢が叶う。

チェロを弾く姿勢

2023 OCT 13 20:20:44 pm by 西村 淳

「仕事」から解放される前はチェロの練習時間は相当限られたものであった。日課は朝5時に起き、1時間。それもサイレント・チェロを使って主に指の練習。住まいがマンションで朝早くからチェロを鳴らすわけにはいかない。購入時のLL45の遮音性能をLL40にグレードアップしたが気休め。これを30年以上続けたわけだが、やはりマイ楽器とは形が異なるため、弾く時の姿勢が大きく違う。しかもこのエレキ・チェロは出張時に持ち歩き出来るようにサイズを極限まで切り詰めた特注品だ。アンプを通さない音が小さすぎて音程をよくする練習には全く適していなかった。弾く姿勢がそのたびに違うと、当然抑える場所も変わってきてまともな音は出ない。まして同じところを抑えてもその角度がほんの少し違うだけで(手の形がちがうだけでも)上ずったり、低すぎたり微妙なコントロールを要求されているのだ。
チェロを始めたのは25歳、一緒にやっているメンバーは小さなころから楽器に親しんでいる連中が多く、いわゆるアマチュアのエリートたち。今思うと散々迷惑をかけていたわけだ。今でも?もちろんさ!(笑)
音程が良くなるだけで「とても上手に」聞えるのが弦楽器。師匠が音程はプライオリティNo.1ではないと言ったことを盾にしたりしていたが、音程が良くないと「とても悲惨」なことになるのも弦楽器。だがここにきてようやく音程をよくする方法が見つかった。単純なことで「正しい姿勢」で弾くこと。エンドピンの長さ、肘の角度、脇の角度、前傾、楽器と頭の距離はいつも同じでなければならない。ただ言うは易し行うは難しで「良い姿勢」とは何か?初めて小林道夫先生にピアノの指導をしていただいたとき、最初に指摘されたのがやはり「姿勢」だったことを思いだす。背筋をピンとして腰に力を入れることで腕の自由度が高まり、脱力が容易になる。ピアニストであればルービンシュタインをはじめ、超一流の人たちの演奏姿勢は美しい。アンドラーシュ・シフも基本原則として言っているではないか。「人がピアノの前にどう座るか、というところから始まっていますよ。多くの人が無理な姿勢をとっています。聴く前に分かります。そこから良い音は決して生まれません。」一方、正しい指導をされてこなかった人の姿勢は決まっていないのだ。
このことはスポーツ選手にも100%当てはまる。当世話題の大谷選手のバッターボックスの立ち姿は美しい。不調で崩れている時にはセカンドゴロ。投手としてはまだ完成されていないと思う。閑話休題。
では最も美しい姿勢のチェロ弾きは?となるとエマニュエル・フォイアマン(1902-1942)に違いない。とにかく余分な動きがなく微動だにしないのだ。ハイフェッツのできることはチェロですべてできると言い放ったのも納得ができる。
  
自分でチェロを弾く姿勢を鏡に映して見る。こりゃあ駄目だ。全くダメ。ただ試行錯誤しているうちにチューニングメーターの振幅は確実に小さくなっている。ライヴ・イマジンではリハーサル時に写真を撮ってもらっているが、一瞬を切取った写真が多くを語る。次の公演が楽しみになってきた。

「三四郎」読書感想文

2023 AUG 18 12:12:13 pm by 西村 淳

暑い、とにかく暑い。散歩の歩数も半減、読書の秋にはまだ早いが時間もたっぷりある。
漱石の「三四郎」を再読した。おそらく半世紀前に読んで、爽やかな印象を持ったが、やはりとても面白く読了した。漱石は「草枕」もいいが、「三四郎」も勿論いい。
このところ世の動きに対し、私たちの時代が一番難儀だと思っている自分があるが、どんな時代にあっても人の心のありよう、持ちようは同じ。だからこそ100年以上前の文章であろうが物事の本質を突いたものであれば、今の私たちの心の情景をきちんと表現して揺らす。今まで洞ヶ峠で昼寝をしていたくせに目が覚め、何かできる、何かを変えられるという思い込みが儚い幻想だということも思い知る。でも大学に入学したての三四郎の気持ちとシンクロできるならまだまだこれからの人生だ。

『この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。洞ヶ峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。』(夏目漱石:「三四郎」(青空文庫))

さて、話は変わって「三四郎」の中にアフラ・ベーン(1640~1689)なる作家が出てくる。
知らないなあ、初めて聞いた名前なので調べてみると英国初の女性職業劇作家とある。
日本では紫式部にせよ清少納言であれ、先立つこと600年、日本の女性達はすでに活躍していたわけで、彼我の文化の差は圧倒的に日本の勝ちだ。
戦後女性の解放が進んだなんて学校で刷り込まれていたが、何のことはない、GHQ施策の一環だっただけのこと。日本には元々素晴らしい文化があったのだから。それにしてもさすが漱石、この時代の日本のインテリのレベルの高さに羨望すら覚える。

『「先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」
「アフラ・ベーンか」
「ぜんたいなんです、そのアフラ・ベーンというのは」
「英国の閨秀作家だ。十七世紀の」
「十七世紀は古すぎる。雑誌の材料にゃなりませんね」
「古い。しかし職業として小説に従事したはじめての女だから、それで有名だ」
「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」
「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」
 三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚だとして後世に信ぜられているという話である。」』
(同上より引用)

スクロヴァさんのブルックナー

2023 JUL 11 22:22:31 pm by 西村 淳

ブルックナーの弦楽五重奏曲をライヴ・イマジンで取り上げるのはプログラミング的に少々厳しい。理由はいろいろあるが手掛かりを探しているうちに、Youtubeに第三楽章、Adagioの弦楽合奏編曲版の演奏があった。
Anton Bruckner – Adagio from Quintet, orchestral transcription, Skrowaczewski – YouTube
何といってもこの曲はこの楽章があるからやりたいわけで、当然のことながらちゃーんとそれがわかっている先人がいたわけだ。この楽章のみやる、ということも「あり」かもしれない。
指揮はスクロヴァチェフスキ。編曲も自身で行ったようだが、これがなんとも素晴らしい。音楽の作り方の的確さ、テンポ、バランス、ダイナミクスなどブルックナーの意図をまっすぐに伝えてくれる「超」一級品だ。東さんもフィラデルフィアでの大興奮の出会いを伝えてくれている。

スクロヴァチェフスキーとの会話

でもどこかでこんな音楽を聴いたことがなかったか?少し調べてみると、この人、作曲を私が神様のように拝んでいるナディア・ブーランジェにも師事している。つまり楽曲分析によるアプローチが作曲家のものだということ。どこかで聴いた、潜在意識の中に眠っていたのはクリーヴランド管弦楽団を振ったピエール・ブーレーズのマーラーの7番だ。(DG; CD 4477562)これも大変見通しの良い演奏で苦手だった7番を引き寄せてくれた唯一のもの。勿論、ブーレーズはメシアンの流れを汲む「作曲家」だし(私にとって)やたらと演奏の難しそうな訳の分からない曲を書いているが、このパースペクティヴの良い表現方法はスクロヴァさんの音楽づくりに似る。ただ私の音楽的な感興はスクロヴァさんに寄りそうが。
普段、オーケストラは余り聴かないけれど、この勢いでNHKで放映された2016年の読響とのブルックナーの8番を見ていて感涙し、ここで欲が出た。
これだけのブルックナーを聴かせるならきっとベートーヴェンも悪かろうはずがない。
大好きな「エロイカ」や「田園」にそろそろスクロヴァさんと一緒にだったら戻ってもいい年齢かもしれない。何せこの2曲でクラシック音楽の扉を開けたのだから。そんなわけで早速
「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ エームス・クラシックス全録音集(28CD)」(Oehms; CD OC090)
なるブルックナー、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンなど全部入っている一大セットを発注した。
やれやれこれで暑い夏を乗り切れそうだ。

下町散歩と東京都慰霊堂

2023 JUL 6 21:21:15 pm by 西村 淳

東京を生活の中心にしてからすでに35年以上経つ。その間に東京大空襲のことが話題になったことはない。下町のど真ん中、墨田区に移り住んでからも同様だ。
まず、学校では教わらない。戦争だし空襲くらいはあっただろう、程度にしか感じていなかった。実際、広島の原爆資料館や沖縄のひめゆりの塔を見ても今一つ実感が伴わなかったのも事実で、山陽国策パルプの勇払工場に勤務したてのころ、工場のボイラー建屋に機銃掃射された穴が残っていて、こんな所にまでアメリカの戦闘機が来たのかと驚いた程度だ。

朝夕の散歩コースの一つに東京都慰霊堂のある横網町公園がある。慰霊堂はちょっと独特の雰囲気のある場所で、それもそのはず関東大震災と東京大空襲の犠牲者あわせて16万3000体の遺骨が納められているそうだ。園内には日本庭園や一部に子供たちの遊戯具もあるが、この公園全体が祈りの場所であることに間違いはない。

建物のデザインはどこかエキゾチックでもあり、築地本願寺や神田明神と同じ伊藤忠太によるものだと言われると納得できる。
1945年3月10日未明の東京大空襲はナパーム弾まで使用され東京は焦土と化した。慰霊堂に併設されている復興記念館の横に高熱で溶けてしまった鉄塊が置かれている。ビール会社の電動機だったようだが鉄は一体何度になったらこんなになってしまうんだろう・・わずか78年前鉄をも溶かす火焔の中に焼かれた人々がここにいた・・憤怒、慟哭、そしてヒエロニムス・ボッシュの地獄絵がシンクロして言葉を失う。

軍隊が武器を持たない人たちを殺したのだから原爆も大空襲も大虐殺だ。もしアメリカ人がリメンバー・パール・ハーバーを言うなら本質的に違うしその主張は完全に間違っている。ピルグリム・ファーザーズの子孫たちは原住民たちの虐殺を繰り返しながら西へ西へと移動し黒船で太平洋を越え、その先にあったのが日本だ。価値観の違う奴らは絶対に赦さない、そんな傲慢な精神を支えにして奴らはやって来た。
散歩の途中ベンチで休んでいると、最近は外国人の観光客の姿をよく目にする。両国国技館や、旧安田庭園があるとはいえ、メジャーな観光地とは言えない場所なだけにガイドブックにでも載っているのだろうか。一人の年配の白人男性が手を合わせている姿を見かけたが、なぜか日本人の訪問者の数は少ない。本来であれば修学旅行のコースになって然るべきべきだろう。どこかおかしくないか?

散歩の別ルートに墨田電話局大空襲慰霊碑がある。場所は三つ目通りと蔵前橋通り交差点近くでここにも大空襲の記憶。

その日に電話交換手として働いていた28名の女性(最年少15歳)と3名の男性職員が避難もせずにここで命を落としたとある。殉職者碑には33名の女性の名前があるが・・いずれにせよ電信業務を全うするために命を捧げたのだろう。重い、本当に重い哀しい記憶ばかりだ。

ChatGPTと遊ぶ

2023 MAY 24 6:06:58 am by 西村 淳

ChatGPTを試してみた。怖いもの見たさもあるが、すでにイタリアで使用禁止になっているようだし「お試し」も今のうちかもしれない。
次回のライヴ・イマジンの前半のプログラムにはフーゴー・ヴォルフの弦楽四重奏による「イタリアン・セレナーデ」とソプラノと弦楽四重奏による「メーリケ歌曲集」からの抜粋を準備している。ヴォルフは資料が少ないため、ChatGPTがプログラム・ノートの作成に役に立つかもしれない。

結論としてはこちら側にそれなりの知識や知見がなければこの類のツールを使用し盲信することは極めて危険ということ。NHKを始めとするマスコミの言うことを鵜呑みにするのと同じことになってしまう。特に自分の得意分野でないものについては要注意である。
でも権威や専門家の言うことに弱いし、まして膨大なデータベースを基にAIで常に学習しているものが相手。結局は「人」を信じることしかないのかもしれない。ChatGPTの後ろにはどんな人物が隠れているやも知れず、警戒されているのは当然だ。

以下に実際のやり取りの抜粋を掲載する。

私:詩人メーリケについて教えてください。
ChatGPT:詩人メーリケ(Wilhelm Müller)は、19世紀ドイツのロマン派の詩人であり、1794年に生まれ、1827年に亡くなりました。彼は、詩集『冬の旅』(Die Winterreise)と『美しきミュラーの花』(Die schöne Müllerin)で最もよく知られています。

⇒ あれ?ミュラーとメーリケを取り違えていないか?メーリケは1804年生まれだし。

私:詩人メーリケと冬の旅のミュラーは同一人物でしょうか?
ChatGPT:おっしゃる通り、私の前回の回答に誤りがありました。お詫び申し上げます。
詩人メーリケ(Wilhelm Müller)と『冬の旅』(Die Winterreise)の主人公であるミュラー(Müller)は、同じ人物ではありません。メーリケは詩人であり、『冬の旅』は彼の作品の一つです。
『冬の旅』は、フランツ・シューベルト(Franz Schubert)や他の作曲家によって歌曲として作曲され、広く知られるようになりました。この詩集は、ミュラーという架空の人物が冬の旅に出かけ、失恋と孤独に苦しむ様子を描いたものです。
したがって、メーリケは『冬の旅』の作者であり、ミュラーはその詩集の主人公です。メーリケ自身がミュラーの名前を選んだ理由ははっきりとはわかっていませんが、この名前は詩の物語と主題との関連性を強める役割を果たしています。
おっしゃるように混同が生じた点について、混乱を招いたことをお詫び申し上げます。以上が正しい情報となります。

⇒ あれあれ?ますます深堀されてしまったぞ・・・きょえ~!!!?もしかすると目から鱗の大発見か!!心臓がドキドキしてきた。
半信半疑でボストリッジの「シューベルトの『冬の旅』:ARTES刊」を引っ張り出してみるがどこにもメーリケとミュラーのことは書いていない。それともこれは新説?珍説か?

私:シューベルトはメーリケの詩による作品を遺しましたか?
ChatGPT:申し訳ありませんが、私の前回の回答にも誤りがありました。フランツ・シューベルト(Franz Schubert)は、ヴィルヘルム・ミュラー(Wilhelm Müller)の詩集『冬の旅』に基づいて作曲しました。ヴィルヘルム・ミュラーとフランツ・シューベルトは共に19世紀のドイツの芸術家です。
『冬の旅』はミュラーの詩による詩集であり、シューベルトはこの詩集を基にして作曲しました。シューベルトの『冬の旅』は、ミュラーの詩の雰囲気やテーマを音楽で表現しました。シューベルトの『冬の旅』は、ピアノと声のためのサイクル(連作曲)として知られており、その美しいメロディと感情的な表現で広く称賛されています。
以上のように、シューベルトはヴィルヘルム・ミュラーの詩に基づいて『冬の旅』を作曲しました。再度混乱を招いてしまい申し訳ありませんでした。ご指摘いただき、正しい情報を提供することができて安心です。もし他に何か質問がありましたら、お気軽にお知らせください。

⇒ 安心したあ!上手の手から水が漏れたかと同時にちょっと残念な気持ちも。アブナイ、アブナイ。避けて通れないなら使うも使わぬもあなた次第。信じる者は救われるかも。

春の夢

2023 MAR 17 7:07:09 am by 西村 淳

東さんお薦めの本、「1984」をようやく手にした。出版が1949年ながらぞっとするほど今の世界情勢が二重写しとなって迫ってくる。ドキドキしながら読了した。
この本には全体主義国家の独裁者「ビッグ・ブラザー」が出てくるが、現代でもそれにあたる人、あるいは組織があるに違いないとコロナ禍は確信させてくれた。最初コロナが武漢で発生した時の映像は恐怖で人々を支配したけれど、それが茶番だと気づいた時、薄々と見えていた「ビッグ・ブラザー」がより鮮明なイメージとなった。桜が咲き始めた春の宵に妄想してみよう。
さて現代日本。「ビッグ・ブラザー」の企みはワクチンから始まり、食料、エネルギー、そしてCO2。次々と着々と。何しろアメリカにしろ、EUにしろ、もちろん日本政府もその手先。特に日本の政治家は「1984」の主人公、真理省・記録局に勤務する「過去の歴史改ざん」担当の小役人ウィントン・スミスとは違って、同じ小役人でもサラリーマン体質なので余計な考えを持ったり、与えられた仕事をさぼったりしない。「ビッグ・ブラザー」にとってはこんなに優秀な部下は他にないだろう。
今朝も救急車のサイレンが。このところ毎日のように4回も5回も救急車のサイレンが鳴る。前年比の超過死亡がとんでもない数になっているのは周知の話。1兆円不足した防衛費を増税で・・なんて言っただけで大騒ぎになっているのに、これに支出した100兆円はどうやって賄っているんだろう?「ビッグ・ブラザー」からの借入金?では担保は日本国そのもの?
「食」は鳥インフル陽性。PCR検査をして一羽でも陽性だったら地域一帯の鳥をすべて処分の流れらしいが、そもそもPCR法はCt値の調整で結果はいかようにもできる。恣意的に都合のいいように使って不安を煽るいつもの戦略だ。さらにこのところ養鶏場の火災が頻発し養豚場も。オランダでは牛がゲップをしていたと思ったら気候変動目標達成に3000の農場を政府が接収することで大規模なデモが発生している。ここまで露骨にやらないし、できないのは日本流だが、与えられた目標は同じはず。
もう一つの「食」は昆虫食。WEFのクラウス・シュワブがダボス会議で食糧不足の切り札として昆虫食を提案している。あらら、食料自給率のアップには金をかけずに、いつの間にか政府が昆虫ビジネスに積極的な支援をしているのを知ってびっくり!プロレ(大多数の国民はここに属する)はハエとゴキブリを食べる日がすぐそこまで来ている。
「エネルギー」。日本の石炭火力の占める割合は32%もある。廃止する期限を切れとG7の気候・エネルギー・環境省会議で追い込まれて困っているようだ。そりゃあそうだろう、北海道でブラックアウトを経験した北海道電力厚真発電所は石炭火力。この時は同時に水力発電所も、風力発電所も停止した。しかも水力発電は複数の送電線が切れた(!?)らしいが、詳細は不明ながらどこか養鶏場の火災と似ていないか?
最後にマイナンバー・カードとデジタル通貨。このカードがお金に紐づけされれば確実に国民の行動は可視化される。後で徹底した監視社会が待っているのに目先の小さな人参にぶら下がるプロレの愚かさは嘲笑されているに違いない。

「・・それとも君は前と同じように、労働者や奴隷が反旗を翻して我々を打倒するなどと思っているのかもしれんな。そんな考えは捨てることだ。連中は無力さ、獣のようにね。人類が党なのだ。他のものはどうでもいい・・価値などないのだよ。」
オーウェル「1984」を漫画で読む ジョージ・オーウェル/文 フィド・ネスティ/編・絵 田内志文/訳 いそっぷ社

春の夢・・ご存じシューベルトだ。美しい旋律に乗せた夢、そして荒んだ現実の落差。「希望」を胸にまどろむ。

スマイルとマスク

2023 MAR 1 17:17:24 pm by 西村 淳

チャップリンはチェロを熱烈に愛していた。同じチェロを弾くと言うだけで親しみが沸いてくる。稀な左利き。リバース・セッティングをしたらしいが、これではオケで弾くにはさぞかし肩身が狭かろう。そのチャップリンの「スマイル」という曲が大好きだ。「モダン・タイムズ」の最後に出てくる、ちょっとセンチで、粋だし、ナット・キング・コールの歌声にも胸がキュンとなってしまう。こういう曲が嫌いという輩とは友達になれない。


Charlie Chaplin playing the cello. United States Library of Congress’s Prints and Photographs division under the digital ID cph.3b11417. Public Domain.

スマイルは人間の表情の中でもっとも美しいものだ。また人が人たる所以であろう。昔、渋谷にあった「ジャン・ジャン」で美輪明宏氏のミニリサイタルを時々楽しませてもらったが「人に接する時は常にスマイルで」と言っていたのがとても印象に残っている。スマイルは人の心を和らげ、あなたのことが好きですよ、大切にしていますよ、というメッセージを言葉を使わずに伝えてくれる。そういえば子供のころ、おばあちゃんが淳ちゃんの笑顔はとてもいいよ、って言ってくれたっけ。スマイル、心掛けよう。
コロナ・パンデミックが起き、アベノマスクから始まったマスク着用はもともと日本人にはそれほど抵抗感がなかったこともあってしっかりと社会に根付いてしまった。ドイツを拠点に活躍する指揮者の上岡敏之氏はオーケストラ練習の時、マスクをした楽員の表情が見えなくて困った経験を話してくれたが、マスクの弊害の最たるものはそこにあると思う。表情が見えないのだからコミュニケーションが成り立たないのだ。人は集団でなければ生きられないのに。
そのマスクが3月13日をもって“個人の判断”になる。可笑しなもので法律があるわけでも、強制でもないものが解禁!?と思うがまあそれは置いておいて、未だに99%の人はマスクを着用しているのだから表現としては間違っていないのだろう。でも人とのコミュニケーションが苦手な人たちはますます内にこもってしまいマスクを外すことに大きな負担を感じているようだ。人それぞれでもやっぱりマスクがあるとそこにスマイルはない。なんとも寂しい限りではないか。小さなスマイルで殺伐とした世相も、ギスギスした人間関係も魔法のように溶けてしまうのに。

心が痛むときも、折れそうなときも、そして空が曇っていても笑顔でいよう。
きっと上手くいくから。
喜びで顔を輝かせよう。涙がすぐそばにあっても哀しみを隠そう。
その時はその時さ。
泣いてどうするんだ、笑顔でいれば人生にはまだ価値があるってことが見つけられるよ。
(「スマイル」:歌詞抄訳)

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