Sonar Members Club No.31

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春の夢

2023 MAR 17 7:07:09 am by 西村 淳

東さんお薦めの本、「1984」をようやく手にした。出版が1949年ながらぞっとするほど今の世界情勢が二重写しとなって迫ってくる。ドキドキしながら読了した。
この本には全体主義国家の独裁者「ビッグ・ブラザー」が出てくるが、現代でもそれにあたる人、あるいは組織があるに違いないとコロナ禍は確信させてくれた。最初コロナが武漢で発生した時の映像は恐怖で人々を支配したけれど、それが茶番だと気づいた時、薄々と見えていた「ビッグ・ブラザー」がより鮮明なイメージとなった。桜が咲き始めた春の宵に妄想してみよう。
さて現代日本。「ビッグ・ブラザー」の企みはワクチンから始まり、食料、エネルギー、そしてCO2。次々と着々と。何しろアメリカにしろ、EUにしろ、もちろん日本政府もその手先。特に日本の政治家は「1984」の主人公、真理省・記録局に勤務する「過去の歴史改ざん」担当の小役人ウィントン・スミスとは違って、同じ小役人でもサラリーマン体質なので余計な考えを持ったり、与えられた仕事をさぼったりしない。「ビッグ・ブラザー」にとってはこんなに優秀な部下は他にないだろう。
今朝も救急車のサイレンが。このところ毎日のように4回も5回も救急車のサイレンが鳴る。前年比の超過死亡がとんでもない数になっているのは周知の話。1兆円不足した防衛費を増税で・・なんて言っただけで大騒ぎになっているのに、これに支出した100兆円はどうやって賄っているんだろう?「ビッグ・ブラザー」からの借入金?では担保は日本国そのもの?
「食」は鳥インフル陽性。PCR検査をして一羽でも陽性だったら地域一帯の鳥をすべて処分の流れらしいが、そもそもPCR法はCt値の調整で結果はいかようにもできる。恣意的に都合のいいように使って不安を煽るいつもの戦略だ。さらにこのところ養鶏場の火災が頻発し養豚場も。オランダでは牛がゲップをしていたと思ったら気候変動目標達成に3000の農場を政府が接収することで大規模なデモが発生している。ここまで露骨にやらないし、できないのは日本流だが、与えられた目標は同じはず。
もう一つの「食」は昆虫食。WEFのクラウス・シュワブがダボス会議で食糧不足の切り札として昆虫食を提案している。あらら、食料自給率のアップには金をかけずに、いつの間にか政府が昆虫ビジネスに積極的な支援をしているのを知ってびっくり!プロレ(大多数の国民はここに属する)はハエとゴキブリを食べる日がすぐそこまで来ている。
「エネルギー」。日本の石炭火力の占める割合は32%もある。廃止する期限を切れとG7の気候・エネルギー・環境省会議で追い込まれて困っているようだ。そりゃあそうだろう、北海道でブラックアウトを経験した北海道電力厚真発電所は石炭火力。この時は同時に水力発電所も、風力発電所も停止した。しかも水力発電は複数の送電線が切れた(!?)らしいが、詳細は不明ながらどこか養鶏場の火災と似ていないか?
最後にマイナンバー・カードとデジタル通貨。このカードがお金に紐づけされれば確実に国民の行動は可視化される。後で徹底した監視社会が待っているのに目先の小さな人参にぶら下がるプロレの愚かさは嘲笑されているに違いない。

「・・それとも君は前と同じように、労働者や奴隷が反旗を翻して我々を打倒するなどと思っているのかもしれんな。そんな考えは捨てることだ。連中は無力さ、獣のようにね。人類が党なのだ。他のものはどうでもいい・・価値などないのだよ。」
オーウェル「1984」を漫画で読む ジョージ・オーウェル/文 フィド・ネスティ/編・絵 田内志文/訳 いそっぷ社

春の夢・・ご存じシューベルトだ。美しい旋律に乗せた夢、そして荒んだ現実の落差。「希望」を胸にまどろむ。

スマイルとマスク

2023 MAR 1 17:17:24 pm by 西村 淳

チャップリンはチェロを熱烈に愛していた。同じチェロを弾くと言うだけで親しみが沸いてくる。稀な左利き。リバース・セッティングをしたらしいが、これではオケで弾くにはさぞかし肩身が狭かろう。そのチャップリンの「スマイル」という曲が大好きだ。「モダン・タイムズ」の最後に出てくる、ちょっとセンチで、粋だし、ナット・キング・コールの歌声にも胸がキュンとなってしまう。こういう曲が嫌いという輩とは友達になれない。


Charlie Chaplin playing the cello. United States Library of Congress’s Prints and Photographs division under the digital ID cph.3b11417. Public Domain.

スマイルは人間の表情の中でもっとも美しいものだ。また人が人たる所以であろう。昔、渋谷にあった「ジャン・ジャン」で美輪明宏氏のミニリサイタルを時々楽しませてもらったが「人に接する時は常にスマイルで」と言っていたのがとても印象に残っている。スマイルは人の心を和らげ、あなたのことが好きですよ、大切にしていますよ、というメッセージを言葉を使わずに伝えてくれる。そういえば子供のころ、おばあちゃんが淳ちゃんの笑顔はとてもいいよ、って言ってくれたっけ。スマイル、心掛けよう。
コロナ・パンデミックが起き、アベノマスクから始まったマスク着用はもともと日本人にはそれほど抵抗感がなかったこともあってしっかりと社会に根付いてしまった。ドイツを拠点に活躍する指揮者の上岡敏之氏はオーケストラ練習の時、マスクをした楽員の表情が見えなくて困った経験を話してくれたが、マスクの弊害の最たるものはそこにあると思う。表情が見えないのだからコミュニケーションが成り立たないのだ。人は集団でなければ生きられないのに。
そのマスクが3月13日をもって“個人の判断”になる。可笑しなもので法律があるわけでも、強制でもないものが解禁!?と思うがまあそれは置いておいて、未だに99%の人はマスクを着用しているのだから表現としては間違っていないのだろう。でも人とのコミュニケーションが苦手な人たちはますます内にこもってしまいマスクを外すことに大きな負担を感じているようだ。人それぞれでもやっぱりマスクがあるとそこにスマイルはない。なんとも寂しい限りではないか。小さなスマイルで殺伐とした世相も、ギスギスした人間関係も魔法のように溶けてしまうのに。

心が痛むときも、折れそうなときも、そして空が曇っていても笑顔でいよう。
きっと上手くいくから。
喜びで顔を輝かせよう。涙がすぐそばにあっても哀しみを隠そう。
その時はその時さ。
泣いてどうするんだ、笑顔でいれば人生にはまだ価値があるってことが見つけられるよ。
(「スマイル」:歌詞抄訳)

開演前のあんちょこ

2023 FEB 8 8:08:09 am by 西村 淳

ライヴ・イマジン51が終わった。折り返し点から最初の一歩。果たしてどこがゴールなんだろう。
いつも開演に先立ち5分間だけプログラムについてお話をさせてもらっている。たったの5分だが、されど5分。レスター・ヤングだったか忘れたが、「16小節のアドリブで物を言えない奴はいくら長いソロをとっても同じこと」と言っていたのを思い出す。そう、5分で何も伝えられなければ20分喋っても同じこと。だからしっかり準備をしてあんちょこを作り覚える。アドリブは封印しないとどこかに行ってしまう。

「51」のプログラムは、以下のようなものである。
・ ベンジャミン・ブリテン (1913-1976)
シンプル・シンフォニー Op.4(1933-1934)
・ レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958)
「揚げひばり」-ヴァイオリンと弦楽合奏のためのロマンス (1920)
・ ガブリエル・フォーレ(1845-1924)
ピアノ五重奏曲 第2番 ハ短調 Op.115 (1919-1921)

「あんちょこ」に少し手を入れて:
『本日のプログラムは2つの大戦の間、すなわち、第一次大戦の終わりから第二次大戦の始まり迄の25年の間に作曲された曲で構成しました。ここでは「1921年」の前後のお話を進めます。
どんな芸術も音楽もその時代から逃れることができません。時代の子であるということ。従ってそれを知ることは理解を助けます。この頃の世相を見てみましょう。今以上に不安定な状況だったことがわかります。
それには3つの大きな理由があります。
まず、その1。戦争から。1914年、 第一次世界大戦が勃発し、1000万人の兵士が戦死したと伝えられています。人類史上最初の世界大戦です。まだ幼かったブリテンは勿論、高齢者のフォーレは戦場には行きませんでしたが、従軍した42歳のヴォーン・ウィリアムズは砲兵隊の隊長として戦場で散々辛酸を舐めて帰国します。一方戦争がはじまるとサン=サーンスは、ドイツの作曲家の音楽をフランスで演奏しないことにしようと騒ぎ始めました。フォーレはその書類のサインを拒否しましたが。
2つ目。疫病です。1918年11月に大戦は終結したものの、ちょうどスペイン風邪が流行りはじめ、この史上最大のパンデミックで世界全人口18億のうち5億人が感染し5000万から1億人が亡くなったとされています。
そして3つ目はお金の話。戦争はインフレーションを招きます。敗戦国ドイツはそれに加え、途方もない賠償金を課せられ、1923年には1年間で例えば1000円が1兆円になるという事態が起きています。こうなると預貯金も年金も紙屑ですね。
歴史は繰り返すと言いますが、100年前の戦争、疫病、そしてインフレーションの3点セットは今の世界の状況と大変良く似ていると思いませんか?
一方、戦勝国たるフランスは、好景気に沸き返り、戦争が存在したことすら忘れてしまう有様。大気にはシャンパンの香りが漂い、街ではストラヴィンスキーが、ピカソが闊歩する中、コンサートではワーグナーとベートーヴェンが演奏され、「ここの支払いはドイツがするんだ!」と大騒ぎでした。
そんな中、1921年5月には「揚げ雲雀」、6月にはフォーレの五重奏曲2番が初演されました。前者はヒバリを通じ、自然と心の平安を謳いあげた作品です。イギリスのクラシックFMのリスナー投票で11年連続、栄光の殿堂第1位を獲得、イギリス人がもっとも愛する曲として知られています。またフィギュアスケート、韓国のキム・ヨナがこの曲を使って華麗に舞い上がりました。とてもいいセンスをしています。
フォーレの五重奏曲は仄暗いハ短調から始まり、晴朗なハ長調で堂々と締めくくった大曲です。私は第一楽章の終結部のコーダに教会で盲目の老婆に導かれて無心に小さなオルガンを弾くフォーレ少年の姿が目に浮かび、そこには教会の鐘の音も聴こえてくるようです。同年、7月ヒトラーはナチス党党首になり、そしてブリテンのシンプル・シンフォニーが作られた1933年にはドイツの首相になっています。もう次の戦争の足音がすぐそこまで迫っています。
そんな中で、1921年がほんのひと時の平和を味わっていた年であったと思います。』
・・私たちの今もほんのひと時の平和を味わっているだけなのかもしれない。

初詣とフォーレ

2023 JAN 3 22:22:43 pm by 西村 淳

新年。健康散歩のついでに初詣でも、と立ち寄ったのが昨年の六天大魔王さまのところではなく、本所にある江島杉山神社。ここは現代の鍼の主流である「管鍼術」の名人、杉山和一の係わりのあるところだそうだ。徳川綱吉のお抱えの鍼灸師、鍼を使って世直ししてほしいものだ。ただ「ついでに」なのでお願いを心に決めていたわけでもなく、次回のライヴ・イマジンの成功を祈願した。

その次回のメインはフォーレのピアノ五重奏曲第2番だ。フォーレの晩年の作品の味わいの深さは格別のものがあるが、目下この作品に首ったけ、練習していて夢中になっている。どこがいいのか。若い頃のフォーレの作品の「わかりやすい」抒情も大変魅力的だが、円熟の極致とも言うべき作曲技法により構成された譜面を読めば読むほど奥深さに驚嘆させられ、とてつもない共感を呼びおこす。
第1楽章、ヴィオラの主題からしてもうヘミオラが組み込まれ、各楽章そこかしこに顔を出すだけでなく、第4楽章に至っては全540小節のうちハ長調コーダの120小節を除くとその4割(も!)がヘミオラりになっている。流れるものに棹さすような効果があるのがヘミオラのリズムながら、ここまで大胆に使われると普通のリズムがわき役になってしまう。そこにお約束のフォーレの刻印がきちっと押され、とても懐かしさでいっぱいになる。
ティッサン=ヴァランタンとジャック・デュモン率いるORTF四重奏団が演奏したシャルランの録音がある。定番とされているものの一つだが、地味ながらとにかくいい味を出している。たとえば第1楽章。おとなしいフォーレ少年は父親の学校の校舎の一角の礼拝堂にあるハルモニウムに夢中になり遊んでいる、追憶が懐かしい響きに再現されている。そう、フォーレのスタートはオルガニストだったし、それをたっぷりと曲に注入したのだ。さらに、終曲で盛り上がりピアノの左手に出てくるアクセント。これをがんがんと鳴らしたティッサン=ヴァランタン。私には函館のハリストス正教会の鐘の乱打が、幼い耳が聞いた響きが蘇る。フォーレの鐘はパリのマドレーヌ寺院か。晩年の音楽に私小説を持ち込み回想するいたずら。最高だ。第2楽章と第3楽章の見事さはあまりにも語り尽くされているので、ここでは省略して第4楽章を。どちらかというと、「?」で語られることの多いヘミオラ攻撃の楽章だが、1楽章同様に全体としてヴィオラのソロがとても効いている。二重奏となったり三重奏となったり、明らかに20年後のショスタコーヴィチの透明な同じ編成の名曲へ受け渡されている。フォーレはこの頃にはもうほとんど耳が聞こえなくなってしまっているし、初演の時にも全く音楽を聴くことは出来なかった。実際この悲劇はベートーヴェンの第九初演時のエピソードに重なる。なるほど、高い音低い音がゆがんでしまって聴こえる、というのは晩年の作品が中音域を多用する理由の一つだろう。
いくつか新旧の録音を聴いてみたが、なにかのファンタジーを醸し出してくれるのはこのシャルラン盤以外にはない。譜面に書いてあるものを歌えばいいという単純なものではないのだ。

万年筆を修理した

2022 NOV 12 10:10:47 am by 西村 淳

万年筆の書き味がとても好きだ。滑らかさ、味のある濃淡、自在な字幅、敏感に反応する筆圧、インクの発色の良さなど他の筆記具でこれに勝るものはない。カランダッシュのボールペンにしたところで所詮ボールペン。あて名書きであろうとちょっとしたメモであろうと専ら万年筆に頼っている。
その万年筆の修理に行って来た。コロナ禍でなかなか対応してもらえず、ようやく1年越しで使用できるようになった。修理予約を取るだけでも一苦労したが、結果大満足。感謝でいっぱいだ。
修理してもらったのは友人から譲り受けたモンブランのマイスターシュトゥック#149。最高峰の万年筆だ。たとえ響板が割れていようとスタインウェイのピアノは腐っても鯛、この万年筆も同様のステータスを持つ。
有楽町駅を降り銀座柳通りを行き左に曲がるとレトロな奥野ビルがある。手動エレベータで4階に。左に曲がると「ユーロ・ボックス(Euro Box)」。ここが魔界。綺麗にディスプレイされたヴィンテージ万年筆の魔力に思わず負けてしまいそう、いやいや、今日は大魔王様には修理をお願いしに来たのだ、正気を取り直そう。
持参した149の不調は軸尻を回すと途中で止まってしまい、インクを吸い込めない。とにかく固く、インクを入れたまま長い間放置された結果である。店主の藤井さんとは会話をしながら作業を見せてもらう。余ほどの自信がなければ対面修理は出来ないと思うが、作業に向かう姿勢はきれいな仕事と謙虚さ、穏やかな物腰でも一本芯が通っていること、そして何よりも絶対的な万年筆への愛情だ。この辺りは、弦楽器工房ドンマイヤ―の鈴木さん、今は亡きヴァイオリン・マスター陳昌鉉さんも同じスタンスだった。
「これは60年代のものですね。万一の場合軸を破壊してしまうかもしれません、覚悟してきましたか?」と。このままで使用できないわけだから勿論その覚悟ありだ。「実はこの方法は10回以上やってるけど、本当は破壊したことは一度もありません。でもドイツでは破壊したことがあると聞いています」とのこと。
作業を開始すると、去年(!)廻せた軸尻がいくら力を入れてもピクリともしない。悪化している・・超音波洗浄器を使用し、筆を温水に浸して軸胴をなぞり、マイルドに温める作業を何度も繰り返す。ヤットコで挟んでようやく廻った。ここまで来たらいよいよ特殊工具に固定して徐々に引っ張るわけだが、ここがハイライト。藤井さんの緊張の一瞬・・・成功!!!「ああ寿命が縮まった」と勝利宣言。ホッと息をついた。
これが藤井さんの特殊工具。
このあとはオーバーホールと名人の指先でペン先の調整を行い終了。書き味もコリをほぐした後の気持ちの良さ。ここまでほぼ1時間のコース、お疲れ様でした。
毎日使うものだからこそ、大切に扱いたい。愛着があるしそれが故障してしまったら元に戻す努力は惜しまない。価値を認め人生を共有して来ているわけだから。
余談ながら藤井さんはクラシック音楽が大好きで、五嶋みどりが御贔屓だとか。音楽の話にも小さな花が咲いたが、近ごろは耳が不自由になってきて、好きな音楽が聴けないのがとても残念だと。これだけは他人事ではない。
私たちにはあなたが必要です。お元気で!

やるせない世の中

2022 OCT 13 8:08:28 am by 西村 淳

サラリーマンを卒業したら大好きな音楽をやって、楽しい老後を迎えようと思っていたら昨今そう甘いものではなくなってしまった。コロナ禍、ワクチン、選挙不正、地球温暖化、安倍首相暗殺、旧統一教会・・そしてウクライナ戦争。そのどれもが裏で繋がっているやもしれず、まさに百鬼夜行の世界の出現だ。
政府もマスコミも支配(日本は株式会社でしたっけ!? 法人番号:2000012010019/会社法人等番号:000012010019)され、国(会社)は株主様の利益を最大にするように働く。国是も矜持もあったものではない。内部告発は「陰謀論」の一言で片づけられ、クビ。総理大臣(社長)だって業績不振なら即刻クビ。下手をすると命まで落としかねないオソロシイ世の中だ。
こんな状況下でも、いや、状況下だからこそ人間観察という点では随分学ばせてもらった。人間って何だろう?音楽をやるなら、「私はこう考える、さあどうだ」、がなければ感動を人に伝えることなんか絶対にできない。つまり自分の考えを持つことありき。人前で自分の意見も言えない奴に音楽なんかできるか!?ところがどっこい周りには自分の頭で考えようとしない人達ばかりが溢れているじゃないか。パンデミックが演出し炙り出してくれたことに心底驚いた。何と!自分の命に係わることですら、体のいい他人の迷惑になるからと言いながら偽善で受け入れる。ネット民たちがピープルをシープルと揶揄しているのにはあまりいい気分にはなれないが気持ちは十分わかる。
ギドン・クレーメルの「ちいさなヴァイオリン;リブロポート刊」という小伝を読んでいたら、思っていたことがズバリと出てきた。50年以上前、当時鉄のカーテンの向こう側にいた青年がはっきり書いたことが人種や時代に関係がないことも理解できた。
クレーメル、16歳。1963年7月4日の日記から。
「ほとんどの人間はバカで、考えもしないし、理想なんかないし、信仰もないわけで、我々はそんな人間と共に生きなければならない。唯一、助けとなるもの、それが芸術だ。」

スポーツ報知と紙のこと

2022 OCT 4 14:14:49 pm by 西村 淳

散歩コースにある両国国技館のお隣のビルに報知新聞社が移ってきた。アンチ巨人としてはふーん、程度の事だったけれど、最近はスポーツ紙はもとより日刊紙もほとんど手にすることがなくなった。街の小さな本屋が姿を消して久しいが、商売の柱は雑誌や週刊誌、漫画だったに違いなく、一過性の情報はデジタル世界に飲み込まれてしまったのだ。最近はこの傾向が拡大して楽譜にまで及んで来た。仲間うちでもタブレットPCを譜面台に置いてフットスイッチでページめくりをしたりしているが、どうも好きになれない。
コロナ禍の中でも保健所とのやりとりはファックスで、という情報が流れ、メール添付というやり方すらご法度なのには驚いた。野村證券の担当者とのやり取りもメールは×で電話のみ。古き良き技術を大切にしていると言えば聞こえもいいがその時点では「この時代遅れめ!非効率そのものじゃないか!」とイラっと来たものだ。ところがよく考えてみると「紙」として保存された記録は「歴史」として残っている。逆に「紙」のなかった時代の歴史は真っ白。
昨今ではデジタル大臣などというキワモノも出現しているが、行政文書などは絶対に紙として遺さなければならない。何処に保存されているかわからない、突然消えてしまうかもしれないクラウドなど、もってのほか。13世紀に無知なモンゴル軍が破壊の限りを尽くしたバグダードではギリシャ時代からの天文学に至るまでの貴重な書物を所蔵した「智恵の館」が葬り去られた。簡単ですよ、便利ですよという甘い誘いと共にデジタル軍襲来で同じことが現代に再現され、国家が滅亡してしまうかもしれない。アメリカの先の大統領選挙でも「投票用紙」が作れない、間に合わない(製紙会社が潰れてしまって)のでインターネット投票をなんて言っていたが、数字やデータの書き換えなんかやり放題だろう。選挙と民主主義はイコールなのにこのざまだ。ところで簡単・便利でQUOカードまで付いているマイナンバーカードの情報管理は一体どうなっているのだろう?
横道にそれてしまったが、その報知新聞(スポーツ報知)が地域コミュニティー紙を年三回無料版を発行している。地域密着で本気度を見た感じがする。さっそく両国駅前で手に取ったのが墨田区の「銭湯」特集。ちょうど浴室、洗面所のリフォームを計画中でもあり工事期間中の銭湯が気になりだしたのでこの号はドンピシャ。よーし、来年は巨人ファンにでもなろうじゃないか。

新宿西口

2022 OCT 2 20:20:49 pm by 西村 淳

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」にあるヒースの茂れる土地、この小説を実感したければ苫小牧市勇払原野に行くこと。
海風が強くて1m以上の灌木は育たない厳しい自然は開拓に入った八王子千人隊の人々を全滅させた。煙突の煙は常に横に棚引いたし、工場閉鎖の前にはエゾシカが場内を闊歩していたそう。
また日高本線の前身とされる王子軽便鉄道は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになったとも伝えられている。夜空いっぱいに煩いくらいに瞬く星の美しさに見とれたし、バードサンクチュアリから飛来する名もなき野鳥のかしましさは猫を驚かせ、社宅の庭にはグリーンアスパラが自生した。
そう、ここにあったのは自然だけ。
そんな所に6年もすごし、突然チェロを始めて60km以上離れた札幌交響楽団の先生の所にクルマを運転して毎週通っている姿は仕事仲間からはまるで火星人のように思われていたものだ。
火星人が一念奮起、西新宿の超高層ビルの一角で仕事を始めたのが36年も前のこと。田舎者ではない、火星人、東京へ。自身の可能性を求めて。映画「クロコダイル・ダンディー」の世界だ。
その頃の西新宿はまだ東京都庁も建っていなかったが日本一のビル群の威容に最初はキョロキョロ。私にとって都会とは銀座でも渋谷でもない新宿、そして窓外に眺める富士山だった。時々姿を見せる飛行船にツェッペリンを投影し「あ、すごい!」と発した素直な反応は職場の誰からもあえなく無視された。でもこんなものはすぐに飽きた。所詮はヒトの作ったもの。
新宿駅西口の一角には小田急デパートと京王デパートが肩肘突き合わせ、多くの人に親しまれていた。東口の伊勢丹、三越に比べると小田急がトロワグロで背伸びをしても所詮は私鉄の手掛ける商業施設故、庶民的なイメージは拭えなかった。一方新宿カメラ戦争を勝ち抜いたヨドバシ・カメラはまだ昭和を守っている。小田急デパートはそれほどお世話になった記憶はないけれど、歴史の一コマから消えてなくなった。とてつもなく大きな新宿西口地区改造計画がスタートし、10月2日をもって実質上に閉店。次は豪華になって2029年とのこと。いまさら感が漂うが、その頃まで生きているかどうかもわからぬ。
写真は昨日、小田急デパート最後のイルミネーション。

いまさらですが

2022 SEP 29 18:18:45 pm by 西村 淳

久しぶりにポリーニのショパン、それもエチュードを聴いた。
第6回国際ショパン・コンクールに優勝してすぐにEMIと契約、1960年9月にアビーロードの第3スタジオで録音したもの。18歳の記録だ。でもなぜかポリーニ自身の発売許可が下りず50年間もお蔵入りになっていたものだ。その後DGへの再録音は彼の名前を不動なものにしたのは周知のとおり。来日時のポリーニへの熱狂はロックスター並みだったと記憶している。


【TESTAMENT JSBT8473】

ところでこのCDの演奏はパーフェクト。
今年のプロ野球では佐々木朗希がパーフェクト・ゲームをやっている。20歳に記録。野球とショパンのエチュードを比べる愚は承知しているが、ポリーニの演奏を野球で例えるなら81球で27奪三振のパーフェクト・ゲームだ。バットにかすりもしない。起きるわけの無いことが、録り直しがあったにせよ現実に音となって目の前にある。それほど凄いものなのだ。好き嫌いの話ではない。
しかしバットにボールがかすりもしないパーフェクト・ゲームを観たいだろうか?それに感動するだろうか?完全なものへの憧れは達成されてしまうとすぐに飽きてしまう。
ポリーニは罪なものを作ったものだ。これに続くピアニストに課した試練のみならず、自分自身がこれ以上何をするべきかミケランジェリに師事を仰いでもその答えは見つけられなかった。
あまりにも衝撃的だったので、同じくポリーニのシューベルトの最晩年の変ロ長調ソナタD960も聴いてみた。実にすっきりした演奏だ。ショパンと同じアプローチだがやはり物足りない。エチュードだからこそ起きた奇跡だったのだ。

「美しき水車小屋の娘」、感動した!

2022 SEP 13 20:20:22 pm by 西村 淳

「半額」と書いてあるボックスの中にこのCDを見つけた。勿論、イアン・ボストリッジが現代最高のテノールだということを知っていたし、デイム・内田光子さん然り。いまさらですか・・有名な録音だし、という声がどこからとも聞こえてきそう。

(EMI 7243 5 57827 2 4)
第一曲のごとごとと廻る水車の前奏から一気に、本当に一気に別の世界に連れていかれた。イメージを寸分たがわず音にできる、内田さんの凄さに。「美しき水車小屋の娘」は私にとって重たい「冬の旅」とは違いテノールで軽さを演出できるヘフリガーやヴンダーリッヒであり、もっとインティメットなお付き合いができるものだった。そして甘酸っぱい青春の譜でもあった。悲劇的な結末であっても柔らかいF-durに乗せた「小川の子守唄」で終結することで「むかしむかしそんなことがあったとさ」みたいな雰囲気が好きだった。
ボストリッジ=内田のアプローチは違う。青年が恋をして、焦燥し、失恋し、絶望を実にドラマチックに再構築する。最後は死によって解放された青年が天国から見つめている。ボストリッジの歌は専門家筋の評価は素人のくせにとか、必ずしも高くないようだが、私にとっては音楽を共有してくれる最高の歌手。ここではピアノが歌と一体となり、また対向したりした器楽的な構成も衝撃的ですらあった。聴き進めていく途中で涙腺が何度も緩んでしまった。
2004年3月にこの二人は来日してこれを演奏している。その場に居なかったことに遅れてきた青年になってしまったが、幸い動画も残っていた。ライヴならではの大胆さがプラスされ小さく貧弱な画面でもサントリー・ホールの目の前で「水車小屋」が演じられているように錯覚したほどだった。

(NHK BShifi youtubeより)
この曲を演奏するのにボストリッジに声をかけたのは内田さんらしい。もし本当だとすると、伴奏者が歌手を選んだことになる。何てこと、そんなこと未だかつて聞いたことがない!!
内田光子さんはすでに日本国籍を離れている。そう、音楽をやるにはあまりにも日本の環境は無邪気で貧弱すぎる。いまだにコンサートを楽しむのではなく「お勉強」と思ってイベントに参加している人が多すぎないか?

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