三省堂ビルの閉鎖
2022 MAY 8 20:20:56 pm by 西村 淳
中学生になった時に「国語辞典」を買ってもらったのがこの三省堂のものだった。20年以上お世話になったと思う。神保町といえば三省堂というくらいJR御茶ノ水駅、駿河台から靖国通りにむかって坂を下った先にそれはいつもあった。その三省堂ビルが本日、2022年5月8日をもって閉鎖、新しいビルになるそうだ。
神保町はバブルの地価狂乱の時代を生き延びた。いよいよそこにも再開発のメスが入る。水餃子の「スヰート・ボーズ」が、「岩波ホール」が無くなったのは親しい友人が一人、また一人と去っていくのに似ていたが、由緒ある古書店も、懐かしいカレーの味も、周恩来の中華料理店も、これで何もかもが一気にリセットされる。空虚感から喪失感に。
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西 牟呂雄
5/8/2022 | 9:36 PM Permalink
三省堂の広辞林を子供のころから使ってました。
ところで僕ら地元民はサンセイドウと呼んでいて、念のために見たウィキペディアにもそう振ってあるのですが、本当はサンショウドウと読むのだ、と言い張る一派がいてモメました。西村さんはどちら派でしたか?
作家の庄司薫のお父さんが専務をしていました、どうでもいいですが(笑)
西村 淳
5/9/2022 | 6:06 AM Permalink
広辞林、うちにもあります!あまり活躍の場がなかった一冊が研究社の英語辞典と一緒に存在感だけを漂わせています。
読み方はサンショウドウ、とかアキバガハラとか戦中派のひとたちのこだわりでしょうかね。庄司薫氏は中村紘子のダンナのイメージだけでしたがなるほどな、と納得。
昔、紙屋にいたころ「鉄は国家なり」だけど「紙は文化なり」と教わりました。随分前の話ながら駿河台下の「主婦の友社」の破綻はカザルスホールまで無きものにしてしまい文化破壊のはしりでした。
三省堂は2025年に新しいビルに生まれ変わる、とのことですが果たしてその頃に売るものとしての本が生き残っているのか怪しいものですね。
S.T.
5/9/2022 | 1:37 PM Permalink
横から失礼します。
神保町の再開発、80年代生まれにも寂しいです。高校が水道橋だったので(その後、錦華通りで働いていました)、カザルスホール跡を見に行きましたが、面影はあるものの既に日大敷地となっていて無念でした。坂上のレモン画翠や穂高はずっとなくなりませんように。ろしあ亭も!
紙の本が売るものでなくなるとわたしの現職の雲行きも怪しくなってきます…いつまでもつか…。仕事柄、竹橋の紙屋さんにはちょくちょく通っています。
西村 淳
5/10/2022 | 3:28 PM Permalink
S.T.さん
まだまだ神保町は魅力を保っていますが、これからが正念場ですね。実際三省堂の向かいの三角形の土地は高層マンションになるらしいです。
竹橋に通勤していた頃は毎日お昼休みは至福の神保町散歩でした。残念ながら岩波の裏にあったササキレコード社もコロナから立ちあがる兆しもないようです。
S.T.
5/11/2022 | 12:49 PM Permalink
西村さん
三角形というのは、サラファン・エチオピア・カロリー・古瀬戸ですか?!!! あんなところに高層って誰が住むんでしょう。リバティタワーとツインですね…あの谷底感がよいのに。
実はわたし、錦三ビルではフリーランスだった1年間アルバイトもしたことがあるんです、今はなき出版社ですが。気象庁のアンテナ仰いでお昼を食べておりました。
西村 淳
5/13/2022 | 7:10 AM Permalink
仰られる通りです。ここにはお昼は勿論、中古レコードなんかも漁りによく行きました。3年後には景色が一変します。
錦三ビルの裏手には「神田スクエア」とかいうこの辺りでは異形のビルも建ちました。集英社、小学館までは新しくてもなんとなく赦せたのですが不動産屋の味もそっけもない貸しビルには愛着なんか微塵もありません。そこら中に林立するワンルームマンション、ひいてはレオパレスまでつながります。