Sonar Members Club No.31

since February 2013

パスタハウスのスパゲッティ

2017 OCT 16 8:08:07 am by 西村 淳

三鷹からよく利用していた中古レコード・CDの「パレード」が消えてしまい、つまらない街になってしまったが、その三鷹駅から徒歩で北口から15分ばかり。五日市街道沿い、武蔵野市民文化会館の向かいにあるお店。
武蔵野市民文化会館、通称「アルテ」の1年のリニューアルも終わり、とても明るくなった練習室をお借りしたあと、お腹が空いたと見れば・・おお、ちゃんと営業しているではないか!久しぶりだなあ。ここのスパゲッティは私にとってはコーヒーのメロ・ハマヤと同じくらい価値のあるものだ。

写真は揚げナスと自家製ミートソース、質、量ともCPを考えるなら東京でも指折りのお店と再確信する。そりゃあなんちゃらイタリアンにはこれ以上のクオリティのところもあるかもしれない。ただ普段着でシンプルにお昼にスパゲッティをおなかいっぱい食べたい、となればここは外すわけにはいかない。麺のゆで具合、塩加減、惜しみなく使われる食材、そしてオープンキッチンの丁寧な仕事に満足感でいっぱいになる。練習の疲れはどこかに吹き飛んでしまった。

ライヴ・イマジン38 私的な反省

2017 OCT 12 18:18:54 pm by 西村 淳

ライヴ・イマジン38が終了。この場を借りてきちんと歯止めをしてこう。
37のオケ公演から本来の室内楽に戻り、今回も強力なメンバーに支えられた。。
音楽面で全面的に指導していただいたのがアンサンブル・メゾンのコンマスも務めるY氏。室内楽であろうとオーケストラであろうと船頭さんは一人でなければならず、それにふさわしい人材を得て理想的な形となったと思う。その分船頭さんにかかる負担はとても大きかったはずで、役割を最後までしっかりと貫いていただいた姿勢にはただただ感謝あるのみである。さらにY氏からは公演が終了してから練習の取り組み方の具体的なアドバイスまでいただいた。これを他山の石として大いに活用させてもらおう。
反省点は、特にブラームスにおいてよく出てくる半拍ずれるところとか、(正直なところまだコツはつかめていない。まるで複数のメトロノームが同期してしまうように他のメンバーに同期してしまう)三拍子系入りのタイミング。さらに移弦、とりにくい音程、ボウイングの不安定さも重なって大変な迷惑をかけてしまった。なかなかその場ではすぐにできないし、ちょっとくらいメトロノームで練習しても対応がなかなか難しい。ずいぶんと長い間弾いているが、このあたりの練習方法は教わったことがない。ソルフェージュ?
これを乗り越えたからといってその先に光明があるわけではなく、さらに新たな課題が山積する。どこまで行っても音楽をやることはイバラの道なのである。基本なのはよくわかるだけに、指摘が心に突き刺ささる。あのチャーリー・パーカーだって駆け出しのころはドラマーのジョー・ジョーンズにシンバルを投げつけられたじゃないか・・ちょっと違うか・・・。
そうこうしているうちに意識が足りなかったりすると、今度はI女史からも確実に矢が飛んでくる。もうボロボロである。言われるうちが華、正直なところこれほどきびしい練習は今まで経験していなかったし、わかっていても相当に甘々でやっていたなと反省しきりであった。
プログラミングではピアノの吉田さんのアクシデントでブラームスのピアノ四重奏曲第3番が実現できず、

代案としてハイドンの弦楽四重奏を入れたが、かえってバランスのとれたものとなった。偶然とはいえ、ハイドンからモーツァルト、ブラームスという機能和声の変遷を感じ取っていただけたはずだ。またNさんのオーボエとコールアングレを入れたのが大正解で楽器への興味のみならず、もう一つ色を加えることによる変化を楽しんでいただけたと思う。アンケートからもその点は確認できた。
会場は前回のオケに続き、豊洲文化センターでの公演だったが、ガラスの反響の具合なのか少々ほか楽器の音が聞きにくく、リハーサルでのセッティング時にもう少しベストポジションを探すべきであった。
いわゆる私の「死ぬ前に絶対にやっておかなければいけない曲リスト」の上位に入っていたブラームスの弦楽五重奏曲第2番ト長調を素晴らしいメンバーと共有できた。この曲を選んだ理由のひとつは第1楽章冒頭14小節にわたるチェロのテーマを弾きたかったから、という素人の発想があったがこれがまたとてつもなく弾きにくく難しい。3拍子×3で9拍子、さらに3オクターブの届かんとするメロディ。縦線は最後の最後まであいまいだしそれ以上に音程はブレるし。もう弾くだけでもやっとだったけれど、何とか本番では格好がついた感じ。
最後に共演者はもちろん、支えていただいたスタッフ、聴きに来ていただいた方々、皆さんに心から感謝の意を伝えたい。

静けさの中から (5) アマチュアとプロフェッショナル

2017 SEP 22 20:20:13 pm by 西村 淳

☘ 「あなたの書かれた本は、大変興味深かったです。特に、プロの演奏家の世界をのぞかせてもらったところが面白かった。私は若い頃、20年近くヴァイオリンをかじりましてね。アマチュア・レベルですが、けっこうあちこちで弾きました。でも、あなたの本を読んで、アマチュアとプロの間には、大きな海原のような隔たりがあることがわかりました。あなたのようなプロとしての経験は、私は全くないですから。」
私はアマチュアとプロの間に、大きな海原があるとは思わない。アマチュアの世界にも、プロになろうと思えばすぐにでもなれたけれど、たまたまそうならなかった、という人が沢山いるからである。それに、アマチュア音楽家の中には、音楽の愛情をそのまま持っていたいからあえて、音楽で生計を立てるなんて妙な考えを起こさないようにしてきた、という人もたくさんいる。

🍀 お金をいただいて、自分の生きる糧として音楽をやっている人がプロ。お金をいただかなくても自分の生きる糧として音楽をやっている人がアマ。糧の意味は違ってもようはお金を稼いでいるかどうか、の違いだけだと思う。お金をもらわなければ演奏しないのがプロと言い換えてもいい。ただここにある音楽の愛情をそのままもっていたいから、アマチュアというのはどう考えてもおかしい。プロの音楽家は音楽の愛情はないことになってしまう。プロになるだけの技術を身に着けるには想像を絶する厳しい練習が待っているし、それを乗り越えるのは並大抵のことではない。その上でアマチュアと言うならわかるけれど。
私のように何十年も続けているアマチュアは音楽への愛情は半端ない人が多いのは確かだが、技術的には練習時間の制約もあってプロのレベルにはなかなか到達しない。愛情があっても技術がない。
プロフェッショナルに音楽への愛情が加わった時、一奏者から一音楽家に、そして芸術家にと変貌する。ただそれが実入りの部分と必ずしも比例するとは限らないのは周知のことか。
最後にもう一つアマとプロとの違い。プロは演奏会のあとに打ち上げと称する楽しみがないらしい・・。

静けさの中から (4) いぶし銀のように

2017 SEP 9 21:21:43 pm by 西村 淳

☘ ある年齢にならなければ、弾けない。ピアノのレパートリーには、そんな風に言われる曲が山のようにある。たとえばベートーヴェンやシューベルトの、いわゆる「後期の作品」がそのよい例だ。
・・ある種の音楽作品には、神々しいほどの深い精神性が込められている。人生経験の浅い若造の解釈など、はなから拒絶するような近寄りがたさがあるのだ。でも・・とふと疑問がわく。これは私たちが作り出した先入観なのではないだろうか?後期の作品とは言うものの作曲家がその曲を書いた時には30代前半だったということが多いのだ。まだ青年の年齢である。それなのに若い音楽家をその曲から遠ざけてしまうのはどうかと思うのだ。

🍀 この指摘は常々疑問を持っていたことの一つである。人としての「成熟」を待っていなければ弾けない曲ってあるんだろうか?だいたい人は成熟するもの?衰えるもの?楽譜は譜面に音符が書いてあるものだけでそれ以上でもそれ以下でもないのではないか?
晩年の作品ではないが、パブロ・カザルスは「無伴奏チェロ組曲を公開の場で弾くにはすくなくとも40代、もしくは50代になってから」などと発言している。つまりその年齢にならないと演奏できないものがあるのだとでも言うように。チェロの神様の言うことだ。
本当か?ではバッハ晩年の作品、「フーガの技法」や「ゴルトベルク変奏曲」はどうだろう?個人的にはバッハの作品はそれほどそれが作られた年代による差異は感じられない。じゃあモーツァルトのピアノ協奏曲第27番K595はどうだろう?その第三楽章テーマは歌曲「春へのあこがれ」K596のメロディー。その来るべき春を迎えることなくモーツァルトはこの世を去っていった・・などときかされ、刷り込まれるとこの協奏曲が特別なものになってしまう、そして若造には早い、とされる。
作曲家は環境の変化がもたらすものと作曲技法の練達、が年齢と共に増していくかもしれない。「老い」を伴って。
結論:スーザンに同意する。人生経験を経ない限り演奏できない曲なんかないはず。私はベートーヴェンの後期の作品は中期の大傑作たちよりも好きなので、技術的に乗り越えられるなら後期の弦楽四重奏曲は生きているうちに是非演奏したと思っている。幸い人生経験年数だけはベートーヴェンに勝っている。

技術的な対応の一つの形

2017 SEP 2 19:19:22 pm by 西村 淳

いまや毎年ノーベル文学賞候補にあがる村上春樹氏。私は彼の小説が大好きだし、「ねじまき鳥クロニクル」は特別な作品だ。また彼は翻訳家とも知られていて、すでに野崎孝氏の定評あるサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」にあらたな翻訳を試みている。ハルキストであればだれでも知っているが、「1Q84]の冒頭のヤナーチェックを紐解かずとも、音楽は村上氏にとって避けて通られない重要な位置を占める。それは飾りだったり、重要なモチーフだったり、通奏低音だったりする。なにげなく手にした「雑文集」(新潮社)に以下のような文章を見つけた。ここにある「翻訳」を音楽の「解釈」と置き換えることが出来ないだろうか。こんなの当たり前だと言われるかもしれないけれど、人が生み出すものはその対象が何であれ根底にあるものは共通であるという真理を垣間見たような気持がする。特に演奏家と翻訳家には共通点がありそうだ。
曰く、『優れた古典的名作には、いくつかの異なった翻訳があっていいというのが僕の基本的な考え方だ。翻訳というのは創作作業ではなく、技術的な対応の一つの形に過ぎないわけだから、様々な異なった形のアプローチが並列的に存在して当然である。人々はよく「名訳」という言葉を使うけれど、それは言い換えれば「とてもすぐれた一つの対応」というだけのことだ。唯一無二の完璧な翻訳なんて原理的にあり得ないし、もし仮にそんなものがあったとしたら、それは長い目で見れば、作品にとってかえってよくない結果を招くものではないだろうか。少なくとも古典と呼ばれるような作品には、いくつかのalternativeが必要とされるはずだ。質の高いいくつかの選択肢が存在し、複数のアスペクトの集積を通して、オリジナル・テキストのあるあるべき姿が自然に浮かび上がっていくというのが、翻訳のもっとも望ましい姿ではあるまいか。』

暗譜について追記

2017 AUG 19 19:19:14 pm by 西村 淳

たまたま読んでいた「ショルティ自伝(草思社)木村博江訳」に暗譜のことが出てくる。この本はショルティが正直に、本音で語ってくれる、彼の音楽そのもののような感じだ。
暗譜の記述はショルティが1942年のジュネーヴ・コンクールで優勝した時のことに出てくる。このコンクールの第1回の優勝者はミケランジェリだ。課題曲はバッハのパルティータ・ハ短調、オトマール・シェックのトッカータ、シューマンのクライスレリアーナ、ドビュッシーの歓びの島、そしてもう一つはベートーヴェンのOp.110の変イ長調のソナタ。弾くだけでも気の遠くなるような難曲がずらりと並んでいる。
以下に本から引用するが、私が暗譜をしない、できないことへの正当化の根拠が出てくる。結末は本を読んでいただきたいが、譜面をおいて弾いていてさえ、書いてあることが目に入らなかったりすることはよくあること。目で覚えることの出来る人たちは、そうじゃないと言うのだろうか。こういったことは誰にでも起きることで、私だけが無能なわけではないはずと信じている。
『控室のピアノに向かい、指慣らしにベートーヴェンのソナタ終楽章のフーガを弾き始めた。3度目に主題が出てきた後、突然その先がわからなくなった。すべて頭に入っている自信があったので、楽譜は持参していなかった。どんなピアニストにも付きまとう悪夢が現実になったのだ。私はもう一度最初から今度は早目に弾きなおしたが、その箇所になると記憶が途切れた。まずいことに私はいつも曲を頭でではなく指でのみ記憶していた。-純粋に肉体的な筋肉の記憶である。これは最悪の方法だが、私はずっとその方法で暗譜していたのだ。その昔リストの弟子が自分は暗譜で弾けると自慢した時、リストは言ったという。「じゃあそこに座って、その楽譜を書いて見せてくれないか?」まさにその通りだ。一つの曲を記憶だけで、正確に書き写せたなら、そのときにこそ曲の細部まで確実に把握していると言えるだろう。・・・私は完全にパニックに陥った。』

静けさの中から (3) 暗譜について

2017 AUG 12 21:21:42 pm by 西村 淳

☘ 暗譜について

『ある若いピアニストが、バッハの協奏曲を楽譜を見ながら演奏していた。最近の傾向を象徴している。若い世代の音楽家は、本番でも、何のためらいもなく楽譜を使うようになっている。ピアニストが背負ってきた宿命、「暗譜で演奏」。楽譜を見ないで弾くという、その重圧からいよいよ解き放たれる時が来たのかもしれないと思うと、感慨深い。
歴史上、最も偉大なピアニストと言えば、フランツ・リストの名を上げることが出来るが、彼でさえ、レパートリーの半分は楽譜を見ながら演奏したという記録が残っている。・・かのクララ・シューマンは演奏会の場でもきちんと楽譜を立てて演奏するようにと、生徒たちに厳しく指導していた。・・ベートーヴェンも、弟子が暗譜で演奏するのをひどく嫌ったといわれている。途中で曲を忘れてしまったり、楽譜の細かい指示に従わずに雑にひいてしまったりするからだ。
ところが、19世紀末になると、にわかに変化が訪れた。コンサートでの即興演奏をしなくなるとその代わりにほかの人が書いた曲をもっと自然な様子で演奏したくなったららしい。そうなると聴衆のほうも、奏者が暗譜で演奏することを求めるようになったというから不思議である。ソリスト志望のピアニストは、暗譜をしなければならない事態に陥った。このようにしてピアニストたちを恐怖のどん底に突き落とす「暗譜は必須」という暗黙の了解ができあがっていったのである。
現在、ほとんどのピアノコンクールの応募要項には「すべての課題を暗譜で演奏すること」と書かれている。結果発表のあと、「練習時間のほとんどを、新作を暗譜するのに費やしました」と審査員に訴える出場者の様子は、何とも痛々しい。
現代のピアニストは膨大なレパートリーをひっさげて日替わりでどんどん違う曲を演奏しなければならない。ピエール・ローラン=エマールは何のこだわりもなく大きなコンサート会場でも楽譜を使って演奏している。
楽譜は教典のようなもの。見るたびに必ず新しい発見があるものだ。ベートーヴェンは弟子に厳しく楽譜を見るようにと教えていた。彼自身、楽譜にはたくさんの発見があることを知っていて、弟子にそれを伝えたかったからに違いない。』

🍀 小さなころやっていたピアノの発表会では、暗譜して演奏するという暗黙の了解があった。シャイな私は発表会が嫌で仕方がなかったが、その理由の一つに暗譜があった。いまでも小さなピアニストの卵たちは発表会では何の疑問も抱かずにそれをやらされているに違いない。ただ、小さいなりに楽譜があるのにどうして暗譜しなきゃならないんだろう?と常々思っていたし、誰も答えてくれなかった。実際、これをやるのは大変なことなのだ。結果、具体的にどうするかを教えられないまま、指で覚えていたように思う。その後、チェロという楽器を手にしてから、アンサンブルで皆と弾くときには楽譜をおいて弾くのが当たり前になっている。ただソロを弾く弦楽器奏者にはピアニストほど圧力はかからないが、さすがにコンチェルトは暗譜なしでやっている人はあまり見かけない。その真逆をやっている古典四重奏団などというオソロシイグループもあるが、その功罪については後ほど検証してみるとして、スーザンがもやもやとしたものを吹き飛ばすような一章を記してくれた。おかげでどんな場合にでも楽譜を見ながら演奏することになんの後ろめたさも躊躇もなくなった。(実際これまでだって暗譜なんかしていなかったが・・)

静けさの中から (2) スフォルツァンドをめぐって

2017 AUG 5 20:20:17 pm by 西村 淳

☘ スフォルツァンドをめぐって

『演奏会の日が迫り、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲ハ短調を練習している。・・(中略)・・
ゾルタン・セーカイ教授のレッスンでの一コマである。
楽譜にベートーヴェンの手でp(ピアノ。弱い音量で)の指示が書き込まれているパッセージで議論が始まった。問題は、このパッセージの全体にpと書かれているのと同時に、その中の特定の音にsf(スフォルツァンド。この音だけに突然アクセントを付けて)の指示があることだ。1小節から2小節おきにsf。一定の間隔で並んだsfの行きつく先は、f(フォルテ。強い音量で)。つまりpで始まりfに行きつくパッセージというわけだ。その間にクレッシェンド(だんだん強く)の指示はない。
議論の的になったのは、一連のsfがどのような意味か、である。弱いpからはじめて、sfを超えるたびに徐々に強くしていき、fに至るのか。それとも、sfのついている音だけ、それぞれ「突然強く」弾き、ほかの音は影響されずに弱いまま、fで突然全体を強くするのか?
私達トリオ三人も、リハーサルのときにこの部分には気づいていた。でもそれほど大事ととは思っていなかった。どちらの弾き方も突飛に聞こえないし、音楽的に無理なことと思えなかったからである。
でもセーカイ教授は違う。こういう問題を気楽に考えるなんてできないのである。』

🍀 楽譜に書いてある通りに弾く、まずそれが大原則のクラシック音楽の演奏法ながら、上のような問題には頻繁にぶつかる。逆にそれはイマジネーションの泉でもある。楽譜は不完全なものだと言う。でも書きすぎている、書かれすぎている楽譜は窮屈で窒息しそうだ。
練習ではこういった問題が起きるたびに一緒にやる仲間たちと意思統一を行い、バラバラにならないように努めなければならない。どちらの可能性も否定できない場合にはリーダーがその方法を決める。こうしてライヴ・イマジンの演奏スタイルを統一している。さて・・そうは言っても統一は簡単ではなく、技術的な不足、裏付けのないフィーリング、弾きやすさ、そして【経験】で決めているところはやはり甘くなりがちで、妥協の産物となってしまう。かといってそれほど深い博識があるわけではないし。こうなるとやはり田崎先生の登場と相成るわけである。実際レッスンの前と後では全く違う音楽になっていることに驚く。

静けさの中から (1) この時間にはこの音楽を

2017 AUG 1 21:21:42 pm by 西村 淳

スーザン・トムズの「静けさの中から」-ピアニストの四季(小川典子訳 春秋社)を読む。
主な活動だったフロレスタン・トリオでの演奏活動も終えたようで、実際にその演奏を聴くチャンスは日本にいるとさらに難しくなってしまった。
救いは彼女が文筆の腕も立ち、この本を読むことで、彼女の聲にじかに接することが出来ること。CDで、ということもあるが、どこか取り澄ました感じのするフロレスタン・トリオよりもより著作のほうが生身の演奏家、音楽家に会うことが出来て共感できる点も多いし、これは?ということもある。この本は同業者の小川典子の翻訳がとても良くすらすらと読めるし、ちょっと気になる表現とか「いいね」を感じたページとか、附箋だらけになってしまった。備忘録として気になったところを、一つ一つを紐解き、何回かに分けて反応してみたいと思う。

☘この時間にはこの音楽を

『演奏活動を始めて間もない頃、インドに旅行した時の出来事は、今もって忘れることが出来ない。・・ツァーが始まった数日後、関係者が突然、インドの伝統音楽のミュージシャンたちが出演するコンサートに出てほしいといってきた。開演時間は未定らしい。そこでそのミュージシャンたちと会って相談してみることにした。
最初に彼らが質問してきたことは、午前中の演奏会と想定した時のプログラムについて。「ハイドンとブラームス」。「じゃあ演奏会が夜だったら?」彼らの問いかけに、再び私たちは「ハイドンとブラームス」と答えた。すると、インドの音楽家たちは驚いた眼をして私たちを見つめ、「それじゃ、さっきと同じじゃないか!」と叫び声をあげた。・・・
それなら逆に、彼らはどんな心づもりがあるのか訊いてみた。すると、「午前中の演奏会なら《朝のラーガ》を使って即興演奏をするし、夜の演奏会なら《夜のラーガ》。その時間帯によってラーガを変える。」と答えるではないか。
インドの伝統音楽にはラーガと呼ばれる音階が何種類もあって、時間帯によってそれにふさわしいラーガ音階があるのだと彼らは教えてくれた。』

🍀ハイドンとブラームスは確かにいつでも演奏できるが、朝の演奏会だとブラームスはちょっと胃が重い。じゃあ朝は何と言われても朝向きの音楽というのは思い浮かばないし、そもそもクラシックの相場では演奏会は夜と決まっていたのではないか?「ライヴ・イマジン」は午後にやるのが恒例だがこれは伝統に棹さす行為なのかもしれない。実際に昼公演はわざわざマチネと断わるくらいだし、朝公演などお祭り以外あり得ないことではないだろうか。昼公演という時間帯を意識したプログラミングをやったことはない。インドという非常識が常識な国でのことが西洋音楽のフロント・ランナーを自任している人の心を揺さぶるところが何とも面白い。

広島 お好み焼き(2回目)

2017 JUL 22 22:22:59 pm by 西村 淳

「広島お好み焼き」のファンの一人として、どうしても行っておかなければならない店をとうとう訪問した。

広島の夏は暑い。日本全国暑い中、その日は本当に暑かった。スマホのマップを頼りに行きついた時間は木曜日の18時過ぎ。17時半に開店だが、すでに6人待ち、さらに後ろに6人。汗を流しながらじっと待つ。女二人、男一人の3人が中に入ってその後が私だ。メニューを渡され、躊躇なくなくネギ、肉玉そばを選択。
汗で下着が張り付いてめげそうになり始めたその時、おひとり様どうぞ、と神の声。一気に覚醒、気力充実でそのままカウンターに。
5分ほどしてとうとうご対面。観光客相手の店だとか、有名になるほど外野も姦しくなるものだが、広島ねぎの緑に心配は吹き飛んでしまう。

ここにはマヨネーズがあり、青のりがない。大した問題ではないが、一口入れた瞬間、これだこれ!固めのそばの歯ごたえが嬉しい。そして何よりも野菜、肉、そばのハーモニーが美しい。色々なところで「広島お好み焼き」は経験したがこれほどのバランスを感じたことがなかった。そして美味しいもの、いいものを食べたあとは胃もたれを感じないが、完食のあとの心地よさはまだ暮れなずむホテルへの道中、暑さを忘れさせてくれた。
広島は音大もある街。交響楽団もある。でもたまたまそうであったのか私の滞在した1週間、たったの一度もクラシックのコンサートの予定はなく、とても残念。

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