Sonar Members Club No.31

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静けさの中から (8) 音楽家の一代目

2018 APR 15 21:21:14 pm by 西村 淳

☘(スーザン):成長する過程で、両親から「音楽家を志すなんて、おかしなことはやめなさい」と言われ続けたら、どうだろう?
演奏家は、自分の考えを音を通じて披露すると同時に、批判の対象になることも覚悟して舞台に出なければならない。そんな時、一番の心の支えになってくれるはずの家族から「音楽を職業にするなんて、世の中のためにならない」といわれつづけた経験があると、いざというときに自分に確信がもてなくなってしまう。
生徒の一人に三十代で音楽学校に入学した女性がいる。やっと音楽家を目指す決心がついたという。子供のころから音楽の専門教育を受けたいと思ってきた。でも家族からは「音楽は趣味でやるものでしょう」と言われ続けた。とりわけ母親は毎日のように、練習中でもおかまいなしで部屋に入ってきて、「スーパーの買い物をするとか、アイロンがけをするとか、もっと家族のためになることをやってちょうだい」と迫ったという。この女性の家族は「ピアノを弾いているなんて、身勝手。日常生活の何の役にも立っていない」とにべもなかった。彼女自身が自信を失ったのは当然と言える。
私も音楽家一世である。「本当にこんなことをやっていてよいのかしら」という一抹の不安と迷いから逃れられないでいる。

🍀(私): 考えさせられる。音楽はわたしにとって生きることそのものになっているし、やはり子供のころピアノを習わせてくれた親に感謝するものの(まだピアノが一般家庭に普及する前のことで、クラスの男子でピアノを習っていたのは私だけ、というか全学年で一人だけだったかもしれない)家族はそれを生業とすることには絶対的な拒否の姿勢を持っていた。やれ「音楽を職業にしたって食べていけるわけがない」、「それは趣味でやるものだ」、「東京の音大はとても高いんだ。それに○○さんなんかは毎週飛行機で△△先生のレッスンを受けに入っているし、それなしには入学もできないんだ」などがみがみと小学生の高学年あたりから風当たりがだんだんと強くなって行ったのを思い出す。田舎に音大などは勿論なく「東京藝術大学」だの「武蔵野音楽大学」「国立音大」なんていう名前は後光が射していたものだ。後発組の「桐朋音大」はまだ地方まで名前は届いていなかった。
結果として音楽を志したところで音楽家になれたかどうかは別にしても、今になって振り返ると音楽を職業にしなくてよかった、と人生の進路選択は正しかったに違いない。音楽はどこまで行っても解らないものだし、今はその過程を下手な演奏であっても十分楽しんでいるわけだから。ただもし音楽家となっていた場合、ピアノ弾きだったらアルゲリッチがポリーニがバレンボイムがライヴァルであったに違いないし、それを考えるとはっきり言って私の怠惰な性格では彼らに太刀打ちどころか、箸にも棒にも掛からぬものなのは明白だ。スーザンの文章にはその道に踏み込んだ人のことが書いてあるが、スーザン自身それなりの地位と栄光を手にし喝さいを浴びてさえ、まだどこかにわだかまりが残っているようだ。

I(アイ)教授の訃報

2018 APR 1 21:21:04 pm by 西村 淳

日ごろアイ教授、と呼んでいた国立音大教授、礒山雅さんが2月22日に亡くなったことをコンマス・前田さんからのメールで知り愕然としてしまった。今年の1月27日、雪の日に転倒し、外傷性頭蓋内損傷、71歳とのこと。
日本の、否世界のバッハ研究の第一人者であり、特に「マタイ受難曲」への思い入れは部外者たる私のところにもその空気は届いていた。また2006年、国立音大での鈴木秀美さんのチェロ、平井千絵さんのフォルテ・ピアノによるベートーヴェンのチェロソナタ第1番が演奏された。秀美さんの素晴らしい演奏が終わった後で、最前列に座っていた礒山教授が感極まって大泣きしたのを思い出す。これが生前、唯一の接点であったが、その柔らかな語り口と類まれな感受性は独特の音楽観を伝えてくれた。
2月17日のライヴ・イマジン39の公演ではバッハのピアノ協奏曲二短調もプログラム冒頭に置いていた。事前準備には礒山さんの「J.S.バッハ」(講談社現代新書)を読んだりもしていたし、あまり馴染みのなかったバッハ作品の羅針盤にさえなってくれた。まさかそんなこととはつゆ知らず、この日、バッハの力強い音楽はホールに鳴り響いた。
まだブログはそのまま公開されているが、その中のおススメ本に「神坐す山の物語」浅田次郎著(双葉文庫)があったので今日早速丸善で買い求めた。I教授の余韻を噛みしめながら読み進めよう。

ジークフリート牧歌

2018 MAR 23 21:21:30 pm by 西村 淳

この幸せに満ちた曲が大好きである。
クリスマスの朝、最愛の妻コージマへのバースデー・プレゼントのために、そして息子ジークフリートを生んでくれたことへの感謝を込めて作曲したとある。幾多の困難を乗り越え1870年、8月25日にルツェルンのプロテスタント教会で結婚式を挙げたワーグナーとコージマ。感慨ひとしおの中、同年12月25日にトリープシェンに鳴り響いた音楽は幸福と歓喜の絶頂に違いない。
そりゃあこんなことがあれば、どんな女性だって相手を惚れ直すに決まっている。まどろみの中、コージマは美しい冒頭のメロディーに目を覚ます。それはチューリッヒから招かれた楽人たちが階段に配され奏でる愛のテーマ。なんて粋な演出だろう!
ワーグナーは人としては毀誉褒貶のあった人だし、とてもじゃないがついていけないし友人になりたいタイプじゃないけれどこの逸話だけは特別だ。
この曲が演奏された機会をショルティの自伝に見つけた。1992年、ショルティ80歳の誕生日、バッキンガム宮殿。ダイアナ妃にエスコートされそこに用意されたものは、シカゴ交響楽団のレジェンド、トランペットのアドルフ・ハーセス、(コージマの誕生日に演奏された時、ハンス・リヒター(「ニーベルンクの指輪」の初演指揮者)が引き受けたポジション:おそらくこの仕掛け人はハーセスか!?)日本ツアーから飛んだウィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒル、ベルリン・フィルの首席コントラバスのルドルフ・ワッツェルなどなど綺羅星の如く豪華メンバーを揃えた「ジークフリート牧歌」だったそうだ。ところでショルティが指揮したウィーン・フィルの録音はヴァイオリンがキュッヒルかどうかは不明だが最高の出来栄えだ。
そんなこともありこの曲は他にも多くの幸せの瞬間を演出してきたに違いない。これをライヴ・イマジンの40回記念に演奏する。指揮は37回でモーツァルトのジュピター交響曲で驚異的な名演を導いた田崎瑞博先生。「ジークフリート牧歌」は大好きな曲と言っていただいた。
しっかり練習して、この音楽の持つ幸せをもぎとってみたいものだ。

ギトリス、オクテットを弾く

2018 MAR 11 19:19:00 pm by 西村 淳

音盤組合を覗いていると、メンデルスゾーンのオクテットがかかっている。これはライヴ・イマジン39のトリで演奏した曲だ。おもわず聞き耳を立てた。ファースト・ヴァイオリンがすごい迫力なので、カウンター横の「Now Playing」のCDを手に取ると、おや、イヴリー・ギトリスの名前が。1993年に行われた第1回の「ストラディヴァリウス・サミット・コンサート」のライヴ録音だ。
・メンデルスゾーン 八重奏曲 変ホ長調 Op.20
イヴリー・ギトリス(Vn1)木野雅之(Vn2)堀正文(Vn3)タマヨ・マイヨル(Vn4)ヨッシー・グットマン(Vla1)ジャンパオロ・グァテリ(Vla2)ユリウス・ベルガー(Vc1)山下泰資(Vc2)
(Strad ONSO-53781)
ギトリスはアクが強すぎて今までパスしていたヴァイオリニストだったが、曲が曲だしということで購入して全曲を聴いてみた。いくつか気づいたことを留めるなら、あまりにも自分勝手すぎる解釈が目立つこと、そして音程の悪さ、さらに雑音の多さも気になる。必然的にいいところを聴こうと耳が切り替わったが、使用しているストラドが時折放つ透明感と存在感を両立したキリっとした美しい音、さらにソリストだけが持つオーラのようなものも同時に感じる。そしてこの曲のファースト・ヴァイオリンはこれくらいの存在感を示すことが、より曲を栄えあるものとすることも違いない。
ギトリスは3.11大震災の後、外来演奏家のキャンセルが相次ぐ中、下を向いてしまった日本人をすこしでも励まそうと自分自身でできることを精一杯やってくれた人。例えそれが「奇跡の一本松」であろうがその尊い気持ちをいささかも減じるものではない。おそらく音楽を正しく理解している人でも、このヴァイオリニストの芝居がかった表現やその立ち居振る舞いで、時にはその正確な判断力はどこかに飛んでしまうこともあるのだろう。心の交流には感動し涙すら誘うものもあるが、録音という厄介な媒体は冷酷に、残酷にその仮面を剥いでしまう。どちらが良いか、それは受け取る人の生き方次第ということか。

静けさの中から (7) はったりがたりない

2018 FEB 20 21:21:25 pm by 西村 淳

☘(スーザン)20年ほど前になるが、私が出演したウィグモア・ホールの演奏会に、グレアム(グレアム・ジョンソン:ピアニスト)が聴きに来てくれた。終演後、ひょっこり楽屋に顔を出した彼は、意味ありげな目配せをして、「君ね、一言だけ言わせてもらっていいかな・・はったりがたりないね」とだけ言って足早に帰っていった。
私は、グレアムのこの言葉に少なからず傷ついてしまった。グレアムは何であんな事をいったんだろう。私の舞台マナーはそんなに地味なのかしら。
こんなことをぶつぶつ言っていると、夫のボブが私の顔を覗き込んで、「まさか、その言葉が有名な一節からとられたって、君は知らないの?」何のことかわからずにいると、こういうことだ。「はったりがたりない」というのは声楽家のヨハン・ミヒャエル・フォーグルがシューベルトの演奏に初めて接した時に発した、最初の言葉だそうだ。フォーグルはそのとき、すでにオペラ歌手の重鎮といった存在で、名声をほしいままにしていた。キャリアとしては晩年にさしかかっていたフォーグルだが、こののちシューベルトと親交を深め、彼の歌曲の演奏会で共演を重ねていった。フォーグルは控えめでてらいのないシューベルトの人柄に魅了されていたという。「キミは役者としても不十分だし、だいたいはったりがたりないね」はこののち音楽史の一ページに記される有名なフレーズとなった。

🍀(私)演奏家にも、表現の一つとして大見得を切ったり、はったりをかましたりをする場合ももちろんある。でも何度も聴かれることを前提にした録音の場ではそれはあまりいいことではない。ここのグレアムの意味深長なフレーズを著者は誤解ととらえているようだが、実際には核心をついていたのかもしれない。フォーグルにしても、これは本当に誉め言葉として理解すべきだろうか?恥ずかしながら、「有名な」フレーズを私はここで初めて知った次第。ただすくなくともフロレスタン・トリオの録音ははったりが足りないようにきこえるがどうだろう。

ピアニスト、ラン・ランのこと

2018 FEB 4 19:19:02 pm by 西村 淳

いま、世界を見渡して、ムジークフェラインを満席にできるピアニストはラン・ランだけだ、という言葉を思い出す。そして東日本大震災のあと、心からお悔やみを申し上げます、として哀悼の意をシューマン=リストの「献呈」に込めた姿に心を動かされた。しかし昨年のベルリン・フィルとの来日公演でバルトークを弾くことになっていたのに、キャンセル。その後腱鞘炎という報道。ピアノに、音楽に生きていたラン・ラン。どれほど打ちひしがれていることか・・心が痛む。
ふと手にした「郎郎自伝」(WAVE出版)を読んでみた。1982年に生まれたラン・ランがいまのステータスを手にするまでの苦闘の道を活き活きと素晴らしい文章力で書いている。息子の才能を信じ、仕事を捨ててナンバーワンになるために鬼と化した父親の姿にスパルタ教育を施したベートーヴェンの父親の姿を重ねてみる。文化大革命の後遺症がまだ影を投げかける反動なのか中国ではこの本が掛かれた2008年ころは音楽を目指す子供たちが5000万人、そのうち3200万人がピアノを学ぶとある。古くはフー・ツォンやシュ・シャオ=メイ。最近ではユジャ・ワンやユンディ・リを引き合いに出すまでもなくその層の厚さは日本の比ではない。それぞれが個性的だし、その頂点にいるのがラン・ラン。ここに2003年のカーネギーホールのライヴ・レコーディングのCDがあるが、会場の熱狂ぶりは凄まじく、完璧としか言いようのない見事な演奏だ。スタイルがなにやらショーじみていることからあまり好みのタイプではなく、距離を置いていたが、改めて目をつぶりその音だけを追うと涙を誘うほど美しく、そして感動させられる。リストの「愛の夢」をこれほど美しく磨き抜かれた、そして血の通った演奏を出来るピアニストがほかにいるだろうか?
ラン・ラン12歳の時に、ドイツにコンクールを受けに行く話がある。その中に偶然、18歳の盲目の日本人ピアニストとの出会いがあり、アドバイスをしてもらう話が載っている。コンクールで弾くリストの「タランテラ」に、この日本の友人の演奏からそれまでに感じたことのない情感と魂を見つけ、それを吸収し演奏に反映させたとあった。本の中では名前はあげてないが年齢から想像するに、この人は梯剛之にちがいあるまい。N響と共演し、想いを込められたラヴェルのピアノ協奏曲で涙が溢れ出た記憶がある。
ラン・ランはまだ若い。焦らずにケアして再びより円熟したピアノ演奏を聴かせてくれることを心待ちにしている。

素晴らしきマイナーレーベル

2018 JAN 27 21:21:44 pm by 西村 淳

テディ・ウィルソンこそ数多いジャズ・ピアニストの中で最高のマイ・フェイヴァリッツでマイ・アイドルでもある。こんな洒落たピアノが弾けたらどんなにいいだろうとどれほど思ったことか。最近Mosaic Recordsに発注したテディの1936年から42年にかけて録音されたセッションがもうそろそろ届く。

Mosaicというレーベルはもうかれこれ30年以上前になるが、LP時代からのお付き合い。モノクロの写真ジャケットに、詳しいレコーディングデータや写真など貴重なデータが満載のライナーノーツ、今のようにネットから簡単に発注できるような環境はなかった時代のことだ。手紙を書いて、見積書を送ってもらい、銀行にバカ高い手数料を払って海外送金。少しでもお金を節約しようとして、Air(航空便)ではなくSurface(船便)でレコードが到着するのを首を長くして待っていたものだ。MosaicのCEOのマイケル・カスクーナはBlue Noteレーベルのプロデューサでもあるし、膨大なジャズの録音を後世に遺産として伝えたいという強い思いが感じられる。これまで制作されたレコード(CD)セットのカタログはジャズの歴史そのもので、別テイクまですべて収録して楽しませてくれる。使命感に満ちた音作り、そして何よりもジャズそのものを慈しみ、大切に、そして愛していることが溢れ出ているのがこのレーベルの特徴だ。
ここと同じようにクラシックの歴史的な録音を掘り出し、最上のデジタル・リマスターを行ってリリースしているのがWard Marston率いるMarston Records。自分の名前をレーベルにする前、彼はメジャー、マイナーレーベルを問わずクラシック音楽の歴史的遺産のCD化に大いに貢献してきた。代表的なものはRCAのクライスラー全集がある。またイギリスのBiddulph(弦楽器工房でもある)からは大変良質な弦楽器やピアノのCDを多数リリースしている。ここのコルトーの復刻などはマーストンの手によるものがどこよりも素晴らしく、最高の音質を誇る。SP時代の音源、そしてそこにMarstonの名前があれば品質保証されたも同然で、中古店でCDを見つけたら何はともあれ入手してしまう。その音楽への接し方、情熱をもって音楽を慈しむ姿はMosaicのカスクーナに重なる。
現在、Marston レーベルは歌手とピアノの復刻の二本柱で会員(歌手会員とピアノ会員)になると、それぞれ特別に復刻したいくつかの録音をサービスで、送ってくれる。(もちろん新譜の正規品はお金を支払って買う)そのなかでもリスト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ(!)らと親交を結び、ショパンの演奏に直接触れたことがあるとされるフランシス・プランテの復刻はクラシック音楽愛好家の宝物に違いない。


ここで耳寄りな話。とうとうテオドール・シャリアピンの全録音がMarstonからリリースのアナウンスがあった。もちろん、帝国ホテルのメニューにシャリアピン・ステーキとしてその名を遺すエンリコ・カルーソと並ぶ20世紀最大の歌手だ。
両方のレーベルとも、個人相手の通信販売のみ、限定盤として入手できる。

静けさの中から (6) 知らずに難しいことを

2018 JAN 5 8:08:16 am by 西村 淳

☘(スーザン)何年か前、コーンウォールのプルシア・コーヴで開催された国際音楽セミナーでチェロのマスタークラスを伴奏したことがあった。ヴァイオリニストのシャンドール・ヴェーグが創設した、素晴らしいセミナーである。
あるホルン奏者がチェリストのヨハネス・ゴリツキ教授のレッスンを受けたいと申し込んできた。チェロとホルンは音域が似通っているので、なるほど、ホルン奏者がレッスンを受けたいと思った理由は、ある意味納得がいく。曲はシューマンの「アダージョとアレグロ」作品70。
ゴリツキ教授はホルンという楽器の特性をよく知らない。だからホルン奏者にたいしてもチェリストに注意するときと全く同じ感覚でレッスンを進めていく。ゆっくりの部分で長い音が続くところも、「曲のクライマックスに向けて、一層力を込めて演奏するように」と指示する。一音ずつに意味を持たせた演奏を要求し、「ただ音を鳴らしている」ことは許されない。「ホルンの先生なら、あそこまで高い要求は絶対にしないね」。彼は後にレッスンを振り返ってこう言った。ホルンにとって技術的に無理なことは、ホルンの先生なら最初から要求しないのは当然だ。それなら「テクニック的に無理です、と説明すればよかったのに」とそういう私に、彼はきっぱりと「ゴリツキ先生がホルンのどこが技術的に難しいのかご存じないからこそよかったんだ。先生はただ純粋に、音楽的なことだけを考えて、そうすべきと思うことを要求された。ホルンの先生が立ち入らない領域に踏み込んだわけさ。それはホルンではできません、なんて言ったら、きっと先生は僕に同情して、手加減をしてしまったと思う」

🍀(私)この記事には戸惑いを感じてしまった。楽器の奏者はその楽器の限界を知り、その中でできることを探さなければならないものだが、そもそも出来もしないことを要求してどうするつもりなんだろう?
それは楽譜に書かれたものをいかに読みとり、それを音にできるか、ということになるのだが、言うは易し。レッスンの目的は二つ。一つは技術的な向上のためのアドバイス、もう一つは楽譜から作曲者の意図を読み取りどう演奏するべきかを伝えることであろう。決して根拠のない自分勝手な「解釈」を生徒に押し付けてはならない。その意味でゴリツキ教授はチェロで弾いたらこの譜面はこう弾くのがいいのではないか、ということを伝えたに違いないが、この曲の場合、シューマンは最初にホルンありきでイメージしていたわけで、楽器の特性を考慮し出版されているホルンパートとチェロパートは違ったものとなっている。ホルンの特性を知らなければきちんとしたレッスンはできない。歌曲を、そのメロディーを器楽に編曲して弾く場合、息遣いと歌詞を無視してフレージングされることが多い。フォーレの歌曲、「夢のあとに」をチェロに編曲したカザルスでさえそれをやっているが、出来上がったものはオリジナルの「歌」とは全く違ったものとなってしまった。フォーレの苦笑いが目に浮かぶ。
管楽器のフレージングは弦楽器のそれとは異なるのに、このホルン受講生の勘違いは青さを丸出しにしている。ゴリツキ教授はホルンを知らない。受講生はチェロを知らない。
このプルシア・コーヴのセミナーのダイレクターは敬愛するチェリストのスティーヴン・イッサーリスに引き継がれている。

ラインハルト・オッペルの試演

2017 DEC 30 22:22:52 pm by 西村 淳

楽しみにしていた、「埋もれてしまった作曲家」ラインハルト・オッペルの弦楽四重奏を代官山教会で聴いた。このような困難な取り組みに果敢にチャレンジされた、ヴァイオリンの前田さんご夫妻とヴィオラ、チェロ氏の並々ならぬ情熱に拍手!雁部一浩氏が主宰する「代官山コンサートシリーズ」の一環に組み込みされたが、この演奏会に足を運ぶ目的はオッペル試演のみ。師走の寒空の中、ライヴ・イマジンのメンバーたちも多数押しかけていた。
さて、初めて聴くオッペル(1878-1941)、後期ロマン派という触れ込みだが時代はドビュッシーは言うに及ばず、ストラヴィンスキーの「春の祭典」(1913)、そしてシェーンベルクの「ピエロ・リュネール」(1912)と動いている。そんな中、時代に取り残されたもののリヒャルト・シュトラウスのようにあらゆる技法を駆使した豪華絢爛の世界、あるいはラフマニノフのようにピアニズムの極致から生まれた陶酔の世界は確かに心の琴線に触れるものがある。
オッペルについては生涯も作曲活動も俯瞰できないでいて、(何しろGROVEの音楽事典にすらその名前を見つけられなかった)1曲の弦楽四重奏曲のみでこの人の音楽を判断することは困難ながら、いろいろな作曲技法の組み合わせと後期ロマン派風の和音の移ろいがベースになったものと聞こえた。仮に若い時の作品であろうと、そうでなかろうとその中に強烈な個性を感じることが出来なかったのはこの作曲家の今の立ち位置をあらわしていると思う。第1楽章 ソナタ形式、 第2楽章 スケルツォ、第3楽章 アダージョ 第4楽章 フーガ。
演奏内容はそれまで時間をかけてしっかりと準備していた成果がそのまま表れていたし、オッペルを音楽面から評価できるレベルに到達していた。
試演とした理由について雁部氏からは『過去に行った代官山コンサートシリーズは完成度の高いものを提供してきたが、今回は云々』というお話があったがこの四重奏の完成度と他に演奏されたものの内容、レベルにそれほど大きな違いは感じられなかった。

戦争の記憶 トレンチ・チェロ

2017 DEC 28 5:05:25 am by 西村 淳

第一次大戦は日本にとって戦死者の数も少ないせいか、日清、日露、そして第二次大戦に比べ扱いが小さい。実際戦争が勃発して100年の節目でも何もなかった。音楽好きの記憶は、青島への派兵によりドイツ兵を捕虜にし徳島の坂東俘虜収容所で、1918年に「第九」の日本初演が行われたことくらいだ。しかしながらヨーロッパの人々にとっては20世紀に2度も行われた世界大戦の記憶は未だに拭い去ることの出来ないもので、それがEU誕生の原動力の一つだということを理解する必要がある。
その戦争の記憶は文学や美術作品はもとより音楽作品にも影響を与えている。第二次大戦ではショスタコーヴィチの第7交響曲「レニングラード」のように隣家に爆弾が落ちているその最中に書かれているものもあれば、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」のように破壊しつくされた国土、人々に想いを寄せた悲痛な作品もある。
チェリスト・イッサーリスは第一次大戦の記憶としてその当時に作曲された作品として先に協奏曲のCD(BIS BISSA1992)を、そして今度は「戦時のチェロ」ということで、同時代のチェロ・ソナタの作品集をリリースした。(BIS BISSA3312)余白にはジャケット写真にあるようにトレンチ・チェロ(!?)を弾いた小品が添えられている。

トレンチ・チェロは分解してネック、ペグなどは弓と共に胴に使う弾薬箱に収納して、持ち運び易くしてあるのが特徴。第一次大戦、ベルギー、フランダースのYpresの塹壕で実際に弾かれていたもので、ロンドンの楽器商Charles Beareが所有者のHarold Triggsから直接手に入れたものとのことである。楽器としてのアレンジはW.H.Hillによっているがイッサーリスによれば、ソフトでシャイな音色を持つとされている。重さは5キロくらいであろうか。
音楽大好き人間にとってはたとえそこが戦場であろうと楽器をもって行きたい、傍に置いておきたい気持ちは痛いほどよくわかる。遠い昔のことであるが私も仕事=出張のような生活をしていた時には、どこへ行っても練習の出来るようにアメリカのジェンセンにサイレント・チェロを機内持ち込みサイズで特注したことがある。これと同じような話として楽器ではないが戦場に蓄音機とSPレコードを担いで行ったドナルド・キーン氏の「戦場のエロイカ・シンフォニー」(藤原書店)がある。
また、加藤大介の有名な戦争手記、「南の島に雪が降る」(知恵の森文庫)では極限状態にあったニューギニアの戦場で劇団を結成し上演した話に泣けたが、ここにも三味線を持ち込んだ兵隊さんも出てきたはずだ。なるほど人はパンのみにて生くるものに非ず、AIだ何だと殺伐とした潤いのないデジタル世界にあって益々こういったものが輝いていくに違いない。
さて肝心のSACDに収録されたイッサーリスの弾くトレンチ・チェロであるが、どんなふうに響くのか期待半分、不安半分だったが思った以上にちゃんと鳴る印象。ストラドを駆使したソナタに比べるとやはり音そのものは確かにシャイだけど弘法筆を選ばず、フレージングの美しさに聴き惚れた。選曲もアマチュア・チェリストのTriggsが塹壕で音にしたであろう、「白鳥」や英国国歌など。一つの歴史遺産としていい仕事をしてくれたものだと思う。

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