Sonar Members Club No.31

since February 2013

静けさの中から (7) はったりがたりない

2018 FEB 20 21:21:25 pm by 西村 淳

☘(スーザン):20年ほど前になるが、私が出演したウィグモア・ホールの演奏会に、グレアム(グレアム・ジョンソン:ピアニスト)が聴きに来てくれた。終演後、ひょっこり楽屋に顔を出した彼は、意味ありげな目配せをして、「君ね、一言だけ言わせてもらっていいかな・・はったりがたりないね」とだけ言って足早に帰っていった。
私は、グレアムのこの言葉に少なからず傷ついてしまった。グレアムは何であんな事をいったんだろう。私の舞台マナーはそんなに地味なのかしら。
こんなことをぶつぶつ言っていると、夫のボブが私の顔を覗き込んで、「まさか、その言葉が有名な一節からとられたって、君は知らないの?」何のことかわからずにいると、こういうことだ。「はったりがたりない」というのは声楽家のヨハン・ミヒャエル・フォーグルがシューベルトの演奏に初めて接した時に発した、最初の言葉だそうだ。フォーグルはそのとき、すでにオペラ歌手の重鎮といった存在で、名声をほしいままにしていた。キャリアとしては晩年にさしかかっていたフォーグルだが、こののちシューベルトと親交を深め、彼の歌曲の演奏会で共演を重ねていった。フォーグルは控えめでてらいのないシューベルトの人柄に魅了されていたという。「キミは役者としても不十分だし、だいたいはったりがたりないね」はこののち音楽史の一ページに記される有名なフレーズとなった。

🍀(私): 演奏家にも、表現の一つとして大見得を切ったり、はったりをかましたりをする場合ももちろんある。でも何度も聴かれることを前提にした録音の場ではそれはあまりいいことではない。ここのグレアムの意味深長なフレーズを著者は誤解ととらえているようだが、実際には核心をついていたのかもしれない。フォーグルにしても、これは本当に誉め言葉として理解すべきだろうか?恥ずかしながら、「有名な」フレーズを私はここで初めて知った次第。ただすくなくともフロレスタン・トリオの録音ははったりが足りないようにきこえるがどうだろう。

ピアニスト、ラン・ランのこと

2018 FEB 4 19:19:02 pm by 西村 淳

いま、世界を見渡して、ムジークフェラインを満席にできるピアニストはラン・ランだけだ、という言葉を思い出す。そして東日本大震災のあと、心からお悔やみを申し上げます、として哀悼の意をシューマン=リストの「献呈」に込めた姿に心を動かされた。しかし昨年のベルリン・フィルとの来日公演でバルトークを弾くことになっていたのに、キャンセル。その後腱鞘炎という報道。ピアノに、音楽に生きていたラン・ラン。どれほど打ちひしがれていることか・・心が痛む。
ふと手にした「郎郎自伝」(WAVE出版)を読んでみた。1982年に生まれたラン・ランがいまのステータスを手にするまでの苦闘の道を活き活きと素晴らしい文章力で書いている。息子の才能を信じ、仕事を捨ててナンバーワンになるために鬼と化した父親の姿にスパルタ教育を施したベートーヴェンの父親の姿を重ねてみる。文化大革命の後遺症がまだ影を投げかける反動なのか中国ではこの本が掛かれた2008年ころは音楽を目指す子供たちが5000万人、そのうち3200万人がピアノを学ぶとある。古くはフー・ツォンやシュ・シャオ=メイ。最近ではユジャ・ワンやユンディ・リを引き合いに出すまでもなくその層の厚さは日本の比ではない。それぞれが個性的だし、その頂点にいるのがラン・ラン。ここに2003年のカーネギーホールのライヴ・レコーディングのCDがあるが、会場の熱狂ぶりは凄まじく、完璧としか言いようのない見事な演奏だ。スタイルがなにやらショーじみていることからあまり好みのタイプではなく、距離を置いていたが、改めて目をつぶりその音だけを追うと涙を誘うほど美しく、そして感動させられる。リストの「愛の夢」をこれほど美しく磨き抜かれた、そして血の通った演奏を出来るピアニストがほかにいるだろうか?
ラン・ラン12歳の時に、ドイツにコンクールを受けに行く話がある。その中に偶然、18歳の盲目の日本人ピアニストとの出会いがあり、アドバイスをしてもらう話が載っている。コンクールで弾くリストの「タランテラ」に、この日本の友人の演奏からそれまでに感じたことのない情感と魂を見つけ、それを吸収し演奏に反映させたとあった。本の中では名前はあげてないが年齢から想像するに、この人は梯剛之にちがいあるまい。N響と共演し、想いを込められたラヴェルのピアノ協奏曲で涙が溢れ出た記憶がある。
ラン・ランはまだ若い。焦らずにケアして再びより円熟したピアノ演奏を聴かせてくれることを心待ちにしている。

素晴らしきマイナーレーベル

2018 JAN 27 21:21:44 pm by 西村 淳

テディ・ウィルソンこそ数多いジャズ・ピアニストの中で最高のマイ・フェイヴァリッツでマイ・アイドルでもある。こんな洒落たピアノが弾けたらどんなにいいだろうとどれほど思ったことか。最近Mosaic Recordsに発注したテディの1936年から42年にかけて録音されたセッションがもうそろそろ届く。

Mosaicというレーベルはもうかれこれ30年以上前になるが、LP時代からのお付き合い。モノクロの写真ジャケットに、詳しいレコーディングデータや写真など貴重なデータが満載のライナーノーツ、今のようにネットから簡単に発注できるような環境はなかった時代のことだ。手紙を書いて、見積書を送ってもらい、銀行にバカ高い手数料を払って海外送金。少しでもお金を節約しようとして、Air(航空便)ではなくSurface(船便)でレコードが到着するのを首を長くして待っていたものだ。MosaicのCEOのマイケル・カスクーナはBlue Noteレーベルのプロデューサでもあるし、膨大なジャズの録音を後世に遺産として伝えたいという強い思いが感じられる。これまで制作されたレコード(CD)セットのカタログはジャズの歴史そのもので、別テイクまですべて収録して楽しませてくれる。使命感に満ちた音作り、そして何よりもジャズそのものを慈しみ、大切に、そして愛していることが溢れ出ているのがこのレーベルの特徴だ。
ここと同じようにクラシックの歴史的な録音を掘り出し、最上のデジタル・リマスターを行ってリリースしているのがWard Marston率いるMarston Records。自分の名前をレーベルにする前、彼はメジャー、マイナーレーベルを問わずクラシック音楽の歴史的遺産のCD化に大いに貢献してきた。代表的なものはRCAのクライスラー全集がある。またイギリスのBiddulph(弦楽器工房でもある)からは大変良質な弦楽器やピアノのCDを多数リリースしている。ここのコルトーの復刻などはマーストンの手によるものがどこよりも素晴らしく、最高の音質を誇る。SP時代の音源、そしてそこにMarstonの名前があれば品質保証されたも同然で、中古店でCDを見つけたら何はともあれ入手してしまう。その音楽への接し方、情熱をもって音楽を慈しむ姿はMosaicのカスクーナに重なる。
現在、Marston レーベルは歌手とピアノの復刻の二本柱で会員(歌手会員とピアノ会員)になると、それぞれ特別に復刻したいくつかの録音をサービスで、送ってくれる。(もちろん新譜の正規品はお金を支払って買う)そのなかでもリスト、メンデルスゾーン、ベルリオーズ(!)らと親交を結び、ショパンの演奏に直接触れたことがあるとされるフランシス・プランテの復刻はクラシック音楽愛好家の宝物に違いない。


ここで耳寄りな話。とうとうテオドール・シャリアピンの全録音がMarstonからリリースのアナウンスがあった。もちろん、帝国ホテルのメニューにシャリアピン・ステーキとしてその名を遺すエンリコ・カルーソと並ぶ20世紀最大の歌手だ。
両方のレーベルとも、個人相手の通信販売のみ、限定盤として入手できる。

静けさの中から (6) 知らずに難しいことを

2018 JAN 5 8:08:16 am by 西村 淳

☘(スーザン):何年か前、コーンウォールのプルシア・コーヴで開催された国際音楽セミナーでチェロのマスタークラスを伴奏したことがあった。ヴァイオリニストのシャンドール・ヴェーグが創設した、素晴らしいセミナーである。
あるホルン奏者がチェリストのヨハネス・ゴリツキ教授のレッスンを受けたいと申し込んできた。チェロとホルンは音域が似通っているので、なるほど、ホルン奏者がレッスンを受けたいと思った理由は、ある意味納得がいく。曲はシューマンの「アダージョとアレグロ」作品70。
ゴリツキ教授はホルンという楽器の特性をよく知らない。だからホルン奏者にたいしてもチェリストに注意するときと全く同じ感覚でレッスンを進めていく。ゆっくりの部分で長い音が続くところも、「曲のクライマックスに向けて、一層力を込めて演奏するように」と指示する。一音ずつに意味を持たせた演奏を要求し、「ただ音を鳴らしている」ことは許されない。「ホルンの先生なら、あそこまで高い要求は絶対にしないね」。彼は後にレッスンを振り返ってこう言った。ホルンにとって技術的に無理なことは、ホルンの先生なら最初から要求しないのは当然だ。それなら「テクニック的に無理です、と説明すればよかったのに」とそういう私に、彼はきっぱりと「ゴリツキ先生がホルンのどこが技術的に難しいのかご存じないからこそよかったんだ。先生はただ純粋に、音楽的なことだけを考えて、そうすべきと思うことを要求された。ホルンの先生が立ち入らない領域に踏み込んだわけさ。それはホルンではできません、なんて言ったら、きっと先生は僕に同情して、手加減をしてしまったと思う」

🍀(私): この記事には戸惑いを感じてしまった。楽器の奏者はその楽器の限界を知り、その中でできることを探さなければならないものだが、そもそも出来もしないことを要求してどうするつもりなんだろう?
それは楽譜に書かれたものをいかに読みとり、それを音にできるか、ということになるのだが、言うは易し。レッスンの目的は二つ。一つは技術的な向上のためのアドバイス、もう一つは楽譜から作曲者の意図を読み取りどう演奏するべきかを伝えることであろう。決して根拠のない自分勝手な「解釈」を生徒に押し付けてはならない。その意味でゴリツキ教授はチェロで弾いたらこの譜面はこう弾くのがいいのではないか、ということを伝えたに違いないが、この曲の場合、シューマンは最初にホルンありきでイメージしていたわけで、楽器の特性を考慮し出版されているホルンパートとチェロパートは違ったものとなっている。ホルンの特性を知らなければきちんとしたレッスンはできない。歌曲を、そのメロディーを器楽に編曲して弾く場合、息遣いと歌詞を無視してフレージングされることが多い。フォーレの歌曲、「夢のあとに」をチェロに編曲したカザルスでさえそれをやっているが、出来上がったものはオリジナルの「歌」とは全く違ったものとなってしまった。フォーレの苦笑いが目に浮かぶ。
管楽器のフレージングは弦楽器のそれとは異なるのに、このホルン受講生の勘違いは青さを丸出しにしている。ゴリツキ教授はホルンを知らない。受講生はチェロを知らない。
このプルシア・コーヴのセミナーのダイレクターは敬愛するチェリストのスティーヴン・イッサーリスに引き継がれている。

ラインハルト・オッペルの試演

2017 DEC 30 22:22:52 pm by 西村 淳

楽しみにしていた、「埋もれてしまった作曲家」ラインハルト・オッペルの弦楽四重奏を代官山教会で聴いた。このような困難な取り組みに果敢にチャレンジされた、ヴァイオリンの前田さんご夫妻とヴィオラ、チェロ氏の並々ならぬ情熱に拍手!雁部一浩氏が主宰する「代官山コンサートシリーズ」の一環に組み込みされたが、この演奏会に足を運ぶ目的はオッペル試演のみ。師走の寒空の中、ライヴ・イマジンのメンバーたちも多数押しかけていた。
さて、初めて聴くオッペル(1878-1941)、後期ロマン派という触れ込みだが時代はドビュッシーは言うに及ばず、ストラヴィンスキーの「春の祭典」(1913)、そしてシェーンベルクの「ピエロ・リュネール」(1912)と動いている。そんな中、時代に取り残されたもののリヒャルト・シュトラウスのようにあらゆる技法を駆使した豪華絢爛の世界、あるいはラフマニノフのようにピアニズムの極致から生まれた陶酔の世界は確かに心の琴線に触れるものがある。
オッペルについては生涯も作曲活動も俯瞰できないでいて、(何しろGROVEの音楽事典にすらその名前を見つけられなかった)1曲の弦楽四重奏曲のみでこの人の音楽を判断することは困難ながら、いろいろな作曲技法の組み合わせと後期ロマン派風の和音の移ろいがベースになったものと聞こえた。仮に若い時の作品であろうと、そうでなかろうとその中に強烈な個性を感じることが出来なかったのはこの作曲家の今の立ち位置をあらわしていると思う。第1楽章 ソナタ形式、 第2楽章 スケルツォ、第3楽章 アダージョ 第4楽章 フーガ。
演奏内容はそれまで時間をかけてしっかりと準備していた成果がそのまま表れていたし、オッペルを音楽面から評価できるレベルに到達していた。
試演とした理由について雁部氏からは『過去に行った代官山コンサートシリーズは完成度の高いものを提供してきたが、今回は云々』というお話があったがこの四重奏の完成度と他に演奏されたものの内容、レベルにそれほど大きな違いは感じられなかった。

戦争の記憶 トレンチ・チェロ

2017 DEC 28 5:05:25 am by 西村 淳

第一次大戦は日本にとって戦死者の数も少ないせいか、日清、日露、そして第二次大戦に比べ扱いが小さい。実際戦争が勃発して100年の節目でも何もなかった。音楽好きの記憶は、青島への派兵によりドイツ兵を捕虜にし徳島の坂東俘虜収容所で、1918年に「第九」の日本初演が行われたことくらいだ。しかしながらヨーロッパの人々にとっては20世紀に2度も行われた世界大戦の記憶は未だに拭い去ることの出来ないもので、それがEU誕生の原動力の一つだということを理解する必要がある。
その戦争の記憶は文学や美術作品はもとより音楽作品にも影響を与えている。第二次大戦ではショスタコーヴィチの第7交響曲「レニングラード」のように隣家に爆弾が落ちているその最中に書かれているものもあれば、リヒャルト・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」のように破壊しつくされた国土、人々に想いを寄せた悲痛な作品もある。
チェリスト・イッサーリスは第一次大戦の記憶としてその当時に作曲された作品として先に協奏曲のCD(BIS BISSA1992)を、そして今度は「戦時のチェロ」ということで、同時代のチェロ・ソナタの作品集をリリースした。(BIS BISSA3312)余白にはジャケット写真にあるようにトレンチ・チェロ(!?)を弾いた小品が添えられている。

トレンチ・チェロは分解してネック、ペグなどは弓と共に胴に使う弾薬箱に収納して、持ち運び易くしてあるのが特徴。第一次大戦、ベルギー、フランダースのYpresの塹壕で実際に弾かれていたもので、ロンドンの楽器商Charles Beareが所有者のHarold Triggsから直接手に入れたものとのことである。楽器としてのアレンジはW.H.Hillによっているがイッサーリスによれば、ソフトでシャイな音色を持つとされている。重さは5キロくらいであろうか。
音楽大好き人間にとってはたとえそこが戦場であろうと楽器をもって行きたい、傍に置いておきたい気持ちは痛いほどよくわかる。遠い昔のことであるが私も仕事=出張のような生活をしていた時には、どこへ行っても練習の出来るようにアメリカのジェンセンにサイレント・チェロを機内持ち込みサイズで特注したことがある。これと同じような話として楽器ではないが戦場に蓄音機とSPレコードを担いで行ったドナルド・キーン氏の「戦場のエロイカ・シンフォニー」(藤原書店)がある。
また、加藤大介の有名な戦争手記、「南の島に雪が降る」(知恵の森文庫)では極限状態にあったニューギニアの戦場で劇団を結成し上演した話に泣けたが、ここにも三味線を持ち込んだ兵隊さんも出てきたはずだ。なるほど人はパンのみにて生くるものに非ず、AIだ何だと殺伐とした潤いのないデジタル世界にあって益々こういったものが輝いていくに違いない。
さて肝心のSACDに収録されたイッサーリスの弾くトレンチ・チェロであるが、どんなふうに響くのか期待半分、不安半分だったが思った以上にちゃんと鳴る印象。ストラドを駆使したソナタに比べるとやはり音そのものは確かにシャイだけど弘法筆を選ばず、フレージングの美しさに聴き惚れた。選曲もアマチュア・チェリストのTriggsが塹壕で音にしたであろう、「白鳥」や英国国歌など。一つの歴史遺産としていい仕事をしてくれたものだと思う。

メンデルスゾーンのオクテット

2017 DEC 3 6:06:59 am by 西村 淳

メンデルスゾーンの中では特別に親しまれている曲でもあるし、オクテットならシューベルトかこれ。メンデルスゾーンと言えば裕福な家庭に生まれ、早逝したものの幸福な人生を送った人。ドラマチックなストーリーがないせいかこの人について出版されたものは多くない。作曲だけでなく、指揮者としてマタイ受難曲そしてバッハを蘇生させた大きな功績、また水彩による風景画家として知られているが、多芸多才が災いしたのかその音楽に深みが足りないなどと言われることもある。実際にその通りであってもヴァイオリン協奏曲の魅力に抗える人はいないし、高校生のころ初めて聴いたハイフェッツの弓に身も心もトロトロになったのを思い出す。トスカニーニとの白熱のライヴは今聴いても最高だ。
  
オクテットはこの曲が15歳の時に書かれたものであること、つまりあの「真夏の夜の夢」の序曲よりも以前に作られたことに驚き以外ないし、何の衒いもない勢いと希望、甘酸っぱいような情熱にはたまらない魅力がある。私には「やりたい曲リスト」があって、ライヴ・イマジンのプログラムにはその中から必ず一つ入れているが、この曲はいつもリストの筆頭にありながら8人を揃えることがなかなか難しく今まで実現できなかった。素晴らしいメンバーに恵まれ、これを次回のライヴ・イマジン39で取り上げる。
メンデルスゾーンといえば「スケルツォ」。颯爽と、軽快に、精密に演奏できなければならない。事実オクテットのこの楽章を姉のファニーも激賞し、ゲーテのファウストの一節を音楽に重ねてみせ、曲全体をスタカートとピアニシモで、トリルの優しく軽い煌めきを伴って、と弟の言葉を報告している。
Flight of clouds and veil of mist / Are lighted from above / A breeze in the leaves, a wind in the reeds, / And all is blown away(ゲーテの翻訳は無理なので英訳原文のまま)
「スケルツォ」は自身でもよほど気に入っていたようで、第1交響曲Op.11のメヌエット楽章の差し替えとして、管楽器を加えてオーケストレーションして何度も演奏したそうである。
オクテットの録音では珍しいものでトスカニーニがNBC交響楽団の弦楽合奏で演奏したものが遺されている。あのNBCをもってさえもたもたして重々しくテンポも一定にならずにもどかしい。特にスケルツォは8人でやるからこそである。
ただ聴くのとやるのでは、大違い。メンデルスゾーンのどの作品にも言えることだが、譜面に書かれた音符の数はとても多く、技術的な練達のハードルの高さは半端なものではない。設定テンポを「弾ける」ところに設定して安全運転をしてしまうとその魅力はどこかに消えてしまうし、無謀なアクセルは事故のもと。何とも厄介なものである。今回は第2チェロのパートをコントラバスで演奏する。第4楽章、プレストの冒頭主題はこのバスが主役を務める。最近はこのスタイルでやる機会も増えてきているが、こうすることでスケール感がまるで違ってくるしやりがいのあるチャレンジだ。そして何といっても最大のチャレンジはファースト・ヴァイオリンにあり、ここに魅力があるかどうかが成功のカギを握っている。メンデルスゾーンはこの曲を彼のヴァイオリンの師、エドゥアルド・リッツ(Eduard Ritz)へのバースデー・プレゼントにしている。腕自慢たちは一度はこのヴァイオリンを経験してみたいものらしい。
傑作、オクテット。弾くほうも聴くほうにとっても最高の一期一会にしたいものだ。

カルメン幻想曲雑感

2017 NOV 14 5:05:00 am by 西村 淳

日曜日、風が少し冷たい昼下がりの神楽坂。路上パフォーマンスの賑わいの中、音楽の友社ホールに足を運ぶ。M氏からのお誘いで「みんなで音楽会」という催し物を聴きに出かけた。主催はグループピアノフォルテというタイトルの通りであるがピアノソロというよりはデュオ、歌、フルート、ヴァイオリンとピアノ+アルファの音楽会でライヴイマジンのような室内楽とはちょっと趣が異なる。音楽のアプローチは色々とあるものだ。
お目当てはM氏も師事したヴァイオリンの五十君門下生の一人、菅原泉さんのサラサーテの「カルメン幻想曲」である。少し遅れて入場したため席は正面中央、1列目の審査員席のようなところで、奏者の息遣いまでが届く距離。このホールの訪問は初めてで200席にピアノは97鍵のべーゼンドルファー・インペリアル、このサイズのホールにはちょっと大きすぎかなと心配したが、柔らかい音色とここぞというときの迫力は流石のものだ。
「カルメン幻想曲」はヴァイオリン技巧のてんこ盛りのような曲でこれをアマチュアの奏者が弾くのは並大抵なことではない。音符に追われてしまい、何一つ伝わらないことになりかねないが、菅原さんの演奏は最後の盛り上がりに向かって技巧も安定し、曲想が十分に伝わってくる熱演であった。サラサーテは手が小さかった故、パガニーニのように大きな手を必要とする特別な技巧は出てこないそうだがヴァイオリニストにとってはやはり高い山であることに違いはない。張りのある輝かしい響きをホールいっぱいに響かせてくれた。弦楽器奏者にとって楽器は宿命的といってもいいものだ。弘法筆を選ばずとは一理あるが弘法が二人いたらいい筆を持ったほうに軍配が上がるのは道理である。

フレージングのこと、ファーカス氏の指摘

2017 NOV 11 21:21:57 pm by 西村 淳

『・・私自身もそうだったが、若い頃にブラームスの交響曲第1番の最終楽章のかの有名な“Alphorn call”でホルニストとしてデビューして、しかも誤った解釈で初舞台をやってのけた!というひとは大勢いることだろう、誰でも最初は本能的に(しかし完全な誤解に基づいて)つぎのようにフレージングする。

つまり、Cにアクセントを付けてしまうのである。しかし、16分音符と譜店八分音符を4拍の(つまり4つの16分音符からなる)「ミニ小節」としてとらえれば、Dはそのミニ小節の1拍目であり、したがってその音群の中で最も大切な音であるからして、次のようなフレージングになるべきである。

アクセントを置く場所が変わるだけで、其のフレーズの性格は一変してしまう。このホルンのソロは、実はスイスの民謡のメロディであり、その歌詞を知ってみれば、なるほどD以外のところにはアクセントが付くはずがないとわかるだろう。この2小節の歌詞は“Hoch auf’m Berg”(高い山で)である。これを歌ってみれば、aufにアクセントが付くのが自然で合理的であるのに対して’mにつまりCの音にアクセントを付けて歌うのはほとんど不可能であり、かつ滑稽極まりない結果になることは一目瞭然である。』
この文章は「プロ・プレイヤーの演奏技法」フィリップ・ファーカス著 滝沢比佐子訳(全音楽譜出版社)のフレージングのページにあったものである。この本はライヴ・イマジン祝祭管弦楽団のコンサート・マスター、M氏のお勧めにより、購入したもの。これ以外にもリズム、テンポなど演奏するときに陥りやすい欠点の是正方法など具体的に書かれていて演奏するにこの上ない。M氏に感謝!
著者のファーカス氏はシカゴ交響楽団に最年少の首席ホルン奏者として入団、フリッツ・ライナーの下でこのオーケストラの黄金期を支えた人。その後ジョージ・セルのクリーヴランドでも首席ホルン奏者を務めている。実際にセルの指揮したブラームスのこの箇所をどのように吹いているか早速CDを購入して聴いてみた。二種類あるが、勿論両方とも「正しい」フレージングにのっとって演奏されている。ただファーカス氏が吹いているのは録音年から言って1966年のセッションだけかもしれない。実は私の耳にも、この部分についてスコアを見るまで「正しくない」ほうが刷り込まれていないだろうか?であれば当然それを吹き込んだ犯人がいたはずだ。高校生のころ最初に買ったブラームスの第一交響曲のレコードは、きっと多くの人がそうであったように黄色いレーベル、ベームとベルリン・フィルの立派なジャケットに入ったものであった。残念ながらこれは今手許にないのでYoutubeをいくつかあたってみた。邪道だがこういう比較をするにはとても便利だ。ここでフルートとあるのはホルンの後、同じメロディーを反復する箇所のこと。×はCにアクセント、○はDにアクセント。
・ベーム ウィーンフィル × (フルートはOK)
・パーヴォ・ヤルヴィ パリ管 ×
・トスカニーニ NBC × (フルートはOK)
・カラヤン コンセルトヘボウ(1943) ×
・カラヤン ベルリンフィル ○
・スクロヴァチェフスキー フランクフルト放送 ○
・アーノンクール ベルリンフィル ×(フルート、パユは◎、すごい!オケの音が変わる)
・セル クリーヴランド(1966) もちろん○
・セル クリーヴランド(1957) ○
・チェリビダッケ ミュンヘン・フィル ○(さすが)
・ショルティ シカゴ ○
などなど。
意外だったのはアーノンクールという古楽にも精通し、フレージングについても一家言ある人がこの大切なフレージングを気にかけていなかったこと。存命だったら是非その理由を訊きたかったくらいだ。カラヤンは二種類あるが、古いコンセルトヘボウでできなかったことがベルリンではできている。こうなると指揮者というよりは奏者の責任、あるいはその両方だろうか?ワーグナーの言うう通り指揮者はテンポを決めるだけであるなら、この類のことは奏者に委ねられることになる。
周りには指揮者絶対、先生絶対といい歳になっても盲従を言いだす輩がいっぱいだ(要は自分の頭で考えない)。だが声を大にして言おう。箸は箸、橋では決してないのだと。
長い音符は強く、というもう一方の原則もあるが、第1拍目より強くなることはない。むしろ弱くならないようにということが正しい表現となるかもしれない。
ブラームスの自筆譜もあたってみたが、この音型はどのパートに出てきても、必ずアーティキュレーション・スラーをつけているので、作曲家が意図したものは明らかでファーカス氏の指摘は正鵠を射たものであろう。

演奏家には作曲者の意図を正しく伝える義務もあるし、実際のところやるべきことをちゃんとやらないで悦に入ったところで世紀の名演も何もない。知らなかったでは済まされる問題ではないはずだ。

鈴木さんのポシェット

2017 OCT 30 18:18:13 pm by 西村 淳

台風接近の雨の中、東府中にある弦楽器工房「ドンマイヤー」に弓の毛替えをお願いしに行ってきた。ドン、鈴木さんの技術は天下一品である。実際の作業をしながら楽しいお話をいろいろと展開してくれるのはいつものことだが、今回は工房に見たことのない楽器が掛かっていた。これはいったい何で、どんな目的で作られたものなのか、???が頭の中を駆け巡る。細い。ちょっと小さめ。ピッコロチェロがあるなら、ピッコロヴァイオリンか?でも形そのものが全く違うし・・。

その名はポシェットと言う。美しい飴色をした楽器で、ストラディバリの1717年の作、「Clapisson」を鈴木氏がコピーし製作したものとのこと。ご本人に楽器を鎖骨の下にあてて弾いていただいたが、当たり前のことながらちゃんと鳴る。さてこの時期は太陽王ルイ14世の全盛期でもあり、バロック・ダンスもその頂点にあったに違いない。当時はダンスを踊れない貴族は粗野な品のない人物として相手にされなかったそうだ。

当然のことながら17-18世紀のダンスの先生は花形商売で楽器を弾きながら踊りを教授していたとのこと。実用としてはヴァイオリンでは大きすぎたので、よりコンパクトなものが求められたのであろう。ポシェットは標準的なヴァイオリンの3/4くらいの長さで細身。ヘッドはヴァイオリンと同等とみたが、ポケットに忍ばせたポシェットをさっと取り出し弾きながら優雅に舞う姿を想像するだけでも楽しく、しかもストラド(!)。粋の極致かもしれない。そうフランス語のポシェットは英語のポケットだ。
鈴木氏のポシェットはこれまで何度かステージに引っ張り出されたけれど、実際に日本のバロック・ダンスの先生たちでヴァイオリンが弾ける人がいないし、ヴァイオリンが弾ける人はダンスがダメとのことで当時を再現するのはなかなか難しいものらしい。
ヴァイオリンという楽器はストラディバリとガルネリのあと、彼らを超える作品を誰もつくることができていない。そして彼らの死と貴族階級の没落はその時期をを同じくするのである。パトロンの存在は文化を守っていく上では絶対に必要なものながら、弦楽器製作者はその最大の庇護者たちを失った。一方、小金を持った市民階級でも入手できるレベルの楽器が巷にあふれ、当然クオリティの面ではたかが知れたものに陥らざるを得ない。
たかがポシェット、されどその奥の深さと拡がりは古の世界に私を誘った。

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