バッハをピアノで
2026 MAY 15 19:19:27 pm by 西村 淳
バッハの器楽曲をピアノで弾く。たとえば100年前は?ランドフスカのモダン・チェンバロがあったにせよ、これが当たり前のことだった。もしそれが300年前だったら?もちろん、チェンバロが主体であったに違いないがどうもバッハもピアノで弾いていたようなのである。そんなバカな!と思うかもしれないが、それがゴットフリート・ジルバーマンのピアノ、正確に言うならフォルテピアノである。
ピアノを習いたての頃、バッハ事始めはインヴェンションだった。どう弾いていいか全くイメージがわかなかった。街のピアノの先生たちもチェンバロのために書かれた曲なんだし、(弾いたことがないのに)逆に強弱をつけるのはおかしいのだとか、スタカートだけで弾けだの今思うと滑稽な指導をしていた。よく解らないモードは最高潮。さらにHenle版を使うようになると、指遣いもない、強弱もない世界、大海原を見ているような感覚。
平均律クラヴィ―ア曲集を世界で初めてピアノで録音したのはエドウィン・フィッシャーだった。ここを端緒としてグールドをはじめ、リヒテル、バレンボイム、グルダ、シフさらにキース・ジャレットまで多くのピアニストがこの曲集に取組んでいる。ピアノで弾くバッハに魅せられるのは天才たちの絶妙な表現力に負う所が大きいが、演奏の中核にあるのは強弱の要素である。さらにピアノと言う楽器の特性をフルに活用し、それが高じてブゾーニのようにヴィルティオーゾの領域まで高める輩もあらわれた。
そんな中、20世紀の後半は古楽器の隆盛によりチェンバロもモダン・チェンバロが廃れ、オリジナルをはじめオーセンティックなレプリカも数多く現われた。ただ聴く側からすると音量を調整できないチェンバロでフーガをやられると正直なところきつい。いや、お前だけだと言われると身も蓋もない話だが、バッハのフーガはパッヘルベルや、ブクステフーデ等に比べとても複雑。これまで培った自分自身の感性を信じたい。つらつらと考えるにバッハもチェンバロと言う強弱のつけられない楽器の限界にもどかしさを感じていたのではないだろうか?だから晩年の作品に楽器指定すらないではないかと妄想してみる。
そうこうしているうちにジルバーマンのフォルテピアノを使用した録音が登場した。(Da Vinci Classics C01077)
このCDは1747年5月6日にベルリン、ポツダムのサンスーシ宮殿で行われた御前演奏会でバッハがジルバーマンのピアノで即興演奏を行った様子を再現している。ここで聴くジルバーマン・ピアノ(1749年/ケルスティン・シュヴァルツによる2013年のコピー)の響は私たちがピアノと言えばイメージする音(特に中音域)がしてビックリしてしまった。ただ、バッハのこのピアノについての感想はいいものではなかったと伝承される。これが今にまで一般に信じられている「バッハ=ピアノ嫌い」という定説になった。ところがそれ以前にもバッハとジルバーマンの接点があったようなのだ。
ジルバーマンは有名なオルガンの製作者だが、何を思ったのかピアノの元祖、イタリアのバルトロメオ・クリストフォリの発明(1698年)したモデルをもとにしたフォルテピアノを製作していた。アクションはクリストフォリとほぼ同じ、というか現代のピアノに至るまで、発音の基本原理は変わっていない。いかにその発明が正鵠を射たものだったかに感服。これが18世紀にはすでにヨーロッパの宮廷や、貴族の家で広く使われていた。武久源造氏によれば1717年のイタリア歌劇団のドレスデン訪問ではクリストフォリ・ピアノを持参し、そこに出張で来ていたバッハがこの楽器に触れる機会があったに違いないとしている。ヴェネツィアのアレッサンドロ・マルチェッロは1724年にクリストフォリにピアノを注文しドメニコ・スカルラッティは、マドリード宮廷の5台のピアノのうちの1台で演奏している。そう、ホロヴィッツを例にとるまでもなくピアニストの試金石とも言うべきスカルラッティのソナタもピアノで弾くと実に美しく響くのだ。
さて、バッハとジルバーマンの接点は1738年から1741年までバッハの弟子であったヨハン・フリードリヒ・アグリコラが後に回想している。
『ゴットフリート・ジルバーマン氏は最初にこの楽器を2台製作しており、そのうち1台は、ヨハン・セバスチャン・バッハによって試奏されました。彼は音色に好意的な印象を受けた一方で高音域が弱すぎて演奏しにくいと不満を漏らしました。
ところがシルバーマンは忠告を重く受け止めたものの、その時点で自らの楽器に欠陥があることを認めませんでした。このため、彼は長い間バッハといい関係ではなかったのです。シルバーマン氏自身が私に打ち明けたことですが、彼は当面この楽器を売らずに、バッハの指摘した欠陥の改善に長年取り組みました。楽器の改良を終えたジルバーマンは、ルドルシュタットの王室に楽器を売却し、さらにプロイセン王はこれらの楽器を数台注文しました。最初の楽器を見た者として私は彼がどれほど熱心にこの仕事に打込んだかがよくわかります。シルバーマンはまた、新作の楽器をバッハに弾いてもらい、全面的な承認を得たという称賛に値する誇りを持っていました。』(ベルリン、1768年)
ここにあるように改造に長年取り組んだとするなら、御前演奏会で初めてこの楽器と出会ったわけは無く、それよりずうっと以前、1730年前後の話だと推定できる。
武久さんの言説では6つのパルティータはジルバーマンのために作曲されたと。通りでリパッティの演奏の美しさはどうだ。
これで私の「バッハはピアノで」という音楽的な感性は裏打された。どや!?その通り!
謎解きは愉しい。空想、妄想が徐々に解きほぐされる過程には何物にも代えがたい悦びがある。ブランデンブルク協奏曲第5番の長大、巨大なカデンツァを出すまでもなく、チェンバロを協奏曲の独奏楽器に持ち上げた事は後のピアノ協奏曲の原点であった。バッハさん、さすが「音楽の父」の名にふさわしい。
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