カメラのおけいこ その③ OLYMPUSにシネレンズ
2017 FEB 7 6:06:51 am by 野村 和寿
OLYMPUS E-P1とCマウント・シネ・オールドレンズと前回、FUJIFILM X-Pro1の「まん丸潜望鏡写真」に衝撃を受けたボクです。これって、普段使いで、受け容れられるのでしょうか? ボクにはとても難しいようにも思いました。しかしこの潜望鏡写真が好きな愛好者も存在するのです。 ミラーレス一眼カメラの草分けだった2009年発売のOLYMPUSのE-P1を持っています。冒頭の写真がOLYMPUS E-P1です。オールドレンズとのマッチングもいいのではないか?とボクは思いました。このカメラは、フォーサーズ(3/4)というイメージセンサー(撮像素子)サイズで、35㎜と比較しますと、焦点距離が2 倍になります。たとえば、しかし、今まで取り上げてきたCHINONの35㎜相当で7倍や、PENTAX Qの35㎜相当5.5倍に比べると、2倍というのは、うなずけそうな予感もします。ちなみに、FUJIFILM X-Pro1はイメージセンサー(撮像素子)が1.5倍でした。でも、まん丸にしか写りません。
▇Cマウントからフォーサーズ・マウントへのマウントアダプター HAWK’S FACTORY C5 C>>>M4/3を、ヨドバシカメラで入手しました。HAWK’S FACTORYは、台湾のメーカーです。Kodak Cine Ektar(シネエクター) 25mmは、35㎜相当で、焦点距離は50㎜、P.ANGENIEUX(アンジェニュー)17−68㎜ F2.2では、34ー136㎜になるはずです。 写真下は、OLYMPUS E-P1 KODAK Cineエクター25mm(35mm相当50㎜)の撮影例 藤の花です。
写真下は、 OLYMPUS E-P1 、オールドレンズP.ANGENIUX(アンジェニュー) 17-68mmの撮影例 藤の花です。アンジェニューは17㎜(35㎜相当34㎜)で撮影してみました。
アンジェニューは多少周囲が、蹴られた感はあるものの、十分使えるレベルだと思いました。
ちなみに、OLYMPUS 純正 ZUIKO 17mm 1:2.8(35mm相当 34mm)けっこう、ZUIKOはがんばっている写真だと思いました。 久しぶりに、さすがに、日本の名ブランドのZUIKOのレンズだけのことはあります。 Cマウントのシネ・オールドレンズと、フォー・サーズのミラーレスカメラとの組み合わせは、よい組み合わせでした。たしかに、ミラーレスカメラ中、フォーサーズは、最も初期のモデルですが、意外にもいちばんよかったと思います。まさに灯台もと暗しの感ありでした。
■ここまでの結論 Cマウントのシネ・オールドレンズを デジタルカメラに取り付けるのは、よほど難しいことを覚悟しないといけない! ミラーレス・デジタルカメラに、Cマウントのオールドレンズを組み合わせる。 CHINON Bellami HD-1、PENTAX Q、FUJIFILM X-Pro1、OLYMPUS E-P1に、 それぞれのマウントアダプターを購入して、Cマウントのシネレンズを装着することをやってみました。 ボクが、やってみてわかったのは、オールドレンズの本来登場した頃には、予期もしなかったデジタルカメラの出現です。すぐに、取り付けられると思う方が、少し、考えが甘いということを思い知らされました。でも、カメラ雑誌にもどこにも、直接的に、注意事項は書いていません。こうしてやってみると、正直オールドレンズを使い切るというところまで、とても達していないなと思います。 オールドレンズの、今のレンズに忘れられたような、色や描写力に魅せられています。一方、デジタルカメラのボディは、フィルムの代わりに、デジタルに像を結ぶために、イメージセンサー(撮像素子)が大事になります。きわめてアナログである、「オールドレンズ」と、きわめてデジタルである「撮像素子の大きさ」とのマッチングに、どう折り合いを付けるか?という問題になるかと思います。デジタルカメラは各社によってまちまちのマウント(ボディとレンズを装着する部分の規格)が存在します。簡単にいえば、Nikonとキヤノンは、それぞれのマウントがあって、それぞれ逆のレンズをそのままでは装着できないのです。 元々16ミリシネカメラ用に作られたCマウントレンズを、CHINONのDマウント、PENTAXのQマウント、FUJIFILMのXマウント、OLYMPUSの3/4(フォーサーズ)の各マウントに装着しようとしました。
■結果は、Cマウント⇔CHINON・Dマウントは、(35㎜相当で)約7倍、Cマウント⇔Qマウントは、5.5倍、Cマウント⇔OLYMPUS3/4マウントは2倍、Cマウント⇔FUJIFILM Xマウントは1.5倍 ということになりました。 一方で、イメージセンサー(撮像素子)があまり、大きいと今度は、得られる写真が、まん丸くなってしまうことがわかりました。結果として、Cマウントのシネレンズを取り付けるときは、3/4のOLYMPUSに取り付けて使うのが妥当でした。 Kodak25㎜は、OLYMPUSでは(35㎜相当の焦点距離)50㎜P.ANGENIUX17-68㎜は、OLYMPUSでは34-136㎜で使えることが分かりました。 写真はともに、アンジェニューのズームを17㎜(35㎜相当34㎜)で撮影した井の頭線です。
ただし、オールドレンズはハレーションにも弱く、補正機能をもっている現代レンズの方が、時として、よい場合もある。逆をいえば、オールドレンズの特徴であるコントラストの美しさを得るまでには、到底達しませんでした。 かようにオールドレンズをデジタルカメラに装着するのは、いうは易く、行うは難しでした。 しかしこれだけはいえます。現代のレンズのシャープな写りは、ピッカピカに写るのに対して、オールドレンズを使うと、まるで昔にもどったように写るのです。これは、ひとつの趣味の価値観ではないかな?とボクには思えるのです。さらにフォーサーズという規格はオールドレンズとよく合う感じがします。
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カメラのおけいこ その② PENTAX,FUJIFILMにシネレンズ
2017 FEB 5 7:07:42 am by 野村 和寿
オールドレンズを使いたい PENTAX Q+マウント・アダプター+Cマウント・シネレンズ ■PENTAX QにもCineレンズを付けてみました!
同じくCマウントレンズPENTAX Qに装着してみようと思いました。PENTAX Qは2011年に入手した小型のかわいらしいカメラです。センサー(撮像素子)は、1/2.3型C MOS 約1240万画素です。マウント・アダプターは、日本のRayqual(レイ・クォール)から、レンズ側Cマウント、ボディ側Qマウントをヨドバシカメラで入手しました。。シネレンズ コダックCineEktar(シネエクター)とP.アンジェニューともにCマウントを、ペンタックスQマウントにすると、Qの撮像素子が、CMOS 1/2.3型で、Bellami HD-1の撮像素子よりも、ちょっと大きいのです。
すると、35㎜換算では、5.5倍となり、KodakCineEktar(シネエクター)25mmは、35㎜換算では、137.5㎜P.アンジェニュー17〜68㎜は、93.5㎜から374㎜となります。(その後、PENTAX Qは、改良型第3世代ののQ7となり、センサー(撮像素子)が、1/2.3型から1/1.7型に大型になりました。これを35㎜換算にすると、4.6倍。Kodak CineEktar(シネエクター)25mmは、35㎜換算、115㎜となり、わずかに小さくなりました。) PENTAX Qに、PENTAXの標準レンズ 5−15㎜(35㎜相当27.5㎜から82.5㎜)を取り付けてみました。
STANDARD ZOOM標準 5mm撮影例①(35㎜相当27.5㎜)CHINONで見られた赤かぶりはなくなりましたが、色の濃いオールドレンズ独特の感じは、少しだけ出ていると思います。
撮影例②P.アンジェニュー 17㎜(35㎜相当93.5㎜)これでも大分望遠レンズになってしまいます。
撮影例③Kodak CineEktar(シネエクター)25㎜(35㎜相当137.5㎜)Kodak CineEktar(シネエクター)はなかなか色身が濃くていい感じに写っています。
■試し撮りの結果をみてみると P.アンジェニュー(フランス製)で撮影した写真は、一見、ぼーっとして、ピントがあまいようにみえるかもしれませんが、友人のプロ・カメラマン氏によると、写真にピントはきていて、1枚ベールがかかったように写っているのは、P.アンジェニューというオールドレンズの味なんだそうです。
■そしてここまでの結論 PENTAX Qは、CHINON Bellmi HD-1よりは、焦点距離が、短くなったものの、それでも実用で普段使いするというレベルには、ちょっと難しいのではないかというのが中間的な結論です。Cマウントのオールドレンズは、取り付ける方のカメラ本体に、大きく影響されること。ここでは、オールドレンズとの相性は、PENTAX Q>CHINONということに、少なくともぼくの感じではなりました。
▇FUJIFILM+マウント・アダプター+Cマウント・シネレンズ
FUJIFILM ミラーレス・レンジファインダーカメラ X−Pro1に、Cマウントが取り付けられることを知りました。このカメラは形状がLeicaっぽくてぼくは気に入りました。ちなみに、イメージセンサーのサイズは、APS-Cと呼ばれるチノンBellamiHD-1やペンタックスQよりも、大型のデジタルイメージセンサーを装備しています。ボクの考えでは、イメージセンサーが大きいので当然、いい感じになると思ったのです。 マウント・アダプターを使うと、Cマウントのオールドレンズを、XマウントのFUJIFILM X-Pro1に使えるようになるのです。レンズ・アダプターはKIPON C-FXをヨドバシカメラで見つけました。日本製の金型で作られた中国メーカーの製品です。X-Pro1のセンサー(撮像素子)は、さらに大きくて、35㎜相当では、1.5倍なのです。 Kodak CineEktar(シネエクター)25mmは、35mm相当で、37.5mmP.アンジェニュー17-68mmでは、35mmで、25.5ー102㎜焦点距離は、だいぶ、許容範囲に近づきました。そこで、さっそく、試し撮りをしてみました。これが、また、別の問題に直面するとは・・・
左の写真はFUJIFILM X-Pro1 Kodak CineEktar(シネエクター)25mmで撮った写真です。最初見た写真に唖然としました。なんと、潜望鏡のようなまん丸い写真!画面で、もうおわかりのように、周囲が、丸く、蹴られてしまいます。調べてみると、これは、もともとのCマウントレンズが小さいために、センサー上すべてには、レンズ画像を結ばないのです。
ちなみに、FUJIの純正レンズFUJINON ASPHERICAL LENS SUPER EBC f=35mm 1;1.4で同じ藤の花を撮影しました。X-Pro1とのコンビネーションで、美事な藤の写真になっていました。そうすると、別に純正を使えばいいんじゃないの?そこで、レンズで、蹴られた部分を、あとで、カットして使うことになります。
左の写真は、例の潜望鏡の写真を後で、フォトショップを使って、トリミングした写真です。井の頭線の電車では、オールドレンズらしい、渋い味わいが少しですが出ていると思うのですがいかがでしょうか?
■ここまでの結論 FUJIFILM X-Pro1 Kodak CineEktar(シネエクター)25mm 焦点距離は、だいぶ、普通状態に近い状態で、使えるのですが、周囲が蹴られたり、まん丸くなったり。これを百も承知で撮影しなければいけないということになります。
次にX-Pro1 アンジェニュー68㎜で撮影してみました。このズーム一番の望遠です。 井の頭線は、しっとりとした感じで、随分いい感じの色が出ています。トリミングしても、アンジェニューの柔らかな色は味わいがちょっとだけあるように思いました。なにか昔ながらの風景のように写りました。
■ここまでの結論 FUJIFILM X-Pro1はそのまま、純正のレンズでもよく写ります。さらに、Cマウントのオールドレンズ KodakやP.Angeniux(アンジェニュー)を取り付けることはできました。しかし「まん丸」なんです。このままではなかなか使えないので、トリミングが必要になります。たしかに味があるオールドレンズなんですが、これって実用になるんでしょうか? ぼくには、少なくとも、はなはだ、疑問です。
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カメラのおけいこ その① カメラをいじる
2017 FEB 4 8:08:56 am by 野村 和寿
カメラのおけいこ その①
ボクのいつもの趣味は、カメラをいじることです。上の写真の温かな色、少しピントがゆるめの感じ、これは、オールドレンズをデジタルカメラに装着して撮影した例です。 iPhoneのカメラがあれば、たいていのことは撮影できてしまう昨今、なにもカメラに凝らなくてもよさそうなものです。しかしです。酔狂と思われるかもしれませんが、趣味で、カメラをたしなんでいる人々がけっこういるものです。レンズは、IT時代になる前は、まさにハイテク機器でした。古いレンズも現在のカメラに装着して使うことも可能なのです。イメージセンサーといって、光をデジタル・デバイスによってデジタル信号に変換できることが出来るようになり、デジタルカメラは、生まれました。フイルムのときは、フイルムを買う、撮影する、現像する、引き延ばしするといった一連の作業を誰もが体験していたのですが、デジタルカメラの場合には、その多くのプロセスが不要になり、デジタルカメラで撮影してしまえば、その場でも撮影した写真を確認することもできますし、パソコンに取り込めば、大きく画面に映し出すことも可能となり、ずいぶんと楽になりました。そこで、ぼくがやっていること、それは、フィルム時代を謳歌したレンズを引っ張り出してきて、現在のデジタルカメラに装着して、一風アクセントのある写真が撮れないか?という趣味なのです。 オールドレンズを使いたい その1 ■目標 まずCマウントと呼ばれるシネレンズが流行中です。これは、昔、16㎜のムービー・キャメラがアメリカで人気だった1950年代に、人気だったレンズです。当時日本は、経済的にまだまだ余裕が生まれていなかったために、8㎜カメラはあったのですが、高嶺の花、ましてや、16㎜キャメラは、プロ用には使われていたものの、アマチュアで使っていた人は極めて少なかったのです。そこで、昨今のオールドレンズ・ブームになってから、16㎜に使っていたレンズCマウントが輸入されて、販売されるようになりました。 オールドレンズを、今のカメラに取り付けて味わいいっぱいの写真を撮りたい!って、いったい可能なのでしょうか?実際に、自腹で体験した、カメラ放浪記です。その1は、今のカメラ+レンズ・アダプター+Cマウントのオールドレンズ ■レンズアダプターのこと レンズが交換できるカメラに、オールドレンズを取り付ける。しかし、オールドレンズは、今のカメラには、そのままでは取り付けられません。カメラと、レンズとの間に、「変換アダプター」を介して、取り付けることになります。しかし、実は、あんまり知られていないことがありました。オールドレンズが、元々の焦点距離が、イメージ・センサー(撮像素子)の違いによって、2倍とか1.5倍になっていることを。 ▇イメージセンサーのこと 光をフィルム上に結んだのが、フィルムカメラだとすると、光をデジタルに変換して記録するための素子がイメージセンサーとか撮像素子といわれる部品です。 35㎜フィルムカメラの写真1枚をフルサイズと称し、デジタルセンサーはデジタルカメラの規模により、大きさが異なってきます。簡単に言えば、より簡便なカメラには、小規模のイメージセンサーがつき、本格的なカメラには大きなイメージセンサーがついています。
■CHINON Bellami HD-1 8㎜調の20年ぶりに長野の古くからのカメラメーカー「チノン」が出したデジタル・カメラです。中学生の頃、1960年代の日本橋・高島屋デパートで開催されていたカメラショーで、8㎜カメラはあこがれの存在で、もちろん、手が出るものではありませんでした。センサー(撮像素子)は、210万画素の1/3型MOS型イメージセンサーです。 今回の魅力は、8㎜調のデザインもいいのですが、一番の魅力は、なんといってもオールドレンズが使えるとアナウンスされていることでした。さっそく、ネットで「Bellami HD-1」を現物を見もしないで注文してしまいました。
別売アクセサリーとして、用意されていたのは、Cマウント、M42マウントのアダプターです。やっとのことで、CマウントのシネレンズをCHINON Bellami HD-1に装着してみようと思いました。 それは、カメラのイメージセンサーが小さかったことでした。つまりこうです。カメラのイメージセンサーが、35㎜カメラの1/7倍つまりレンズを装着するとレンズの実際の焦点距離は35㎜のときと比べると、7倍になっていまうのです。つまり、Bellami HD-1は、8mmのDマウントであり、付属のレンズは、4mm f1.2でした。これで、35㎜フィルム相当で、28㎜なのです。確認のために、サポートセンターに問い合わせると、やはり、35㎜フィルム相当では、約7倍にするとのこと。 ▇オールドレンズをカメラに装着してみる おもしろいことに、今のカメラはレンズを交換できる仕組みのカメラが多くあります。もちろんカメラメーカーは交換レンズ群をたくさん出しているのですが、 ここで注目したいのは、昔でていたオールドレンズを、デジタルカメラで再度使用してみるというのが、趣味になっているのです。 たとえば、ここで取り上げるのはKodakの16㎜キャメラ用のレンズ25㎜です。Cine Ektor(シネ・エクター)、 これをマウントアダプターで、チノンBellamiHD-1に装着できるのです。
ただし、留意したいのは、KodakのレンズCine Ektar(シネ・エクター)は、本来表示されている焦点距離25mmではなくて、35㎜相当の焦点距離は、チノンBellamiHD-1に装着した場合、175mmの望遠になります。もうひとつ取り上げたフランス製のズームレンズ・P.アンジェニューに至るとや、本来「17-68㎜」のところが、35㎜相当、「119㎜から476㎜」になってしまいます。 これでは、両方のレンズともに超望遠で使うということになります。
自宅近くの目黒区立駒場野公園で、試し撮りをしてみました。まずCHINON Bellami HD-1に装着したのは、CHINON標準の4㎜(Dマウント、やはり相当にぼけています。 次に今回のCマウントのレンズ・コダックCineEktar(シネエクター)25㎜で試し撮りです。絞りは、全部f8 15時曇りの日に撮影。ご覧のように、CHINONとコダック(アメリカ)、P.アンジェニュー(フランス)ともに、色が淡くて、絵画的な描写です。今のデジタルカメラとはかなり違う印象です。しかし、かなり赤かぶりが出ています。なにかピンボケじゃないの?ぜんぜんシャープじゃないね。とおっしゃるかもしれません。
また、写真には、赤っぽく赤のかぶりが出ています。あとで調べてみるとレンズ内の乱反射が関係しているようなのです。 製造当時のレンズ・コーティングはかなり初歩的で、よくこんなことが起こるのです。むしろこの現象を楽しむ姿勢でないとやっていけないのです。そうです。最初にいいましたように、オールドレンズとは、今のレンズでは、むしろ味わえない、独特のピンボケを楽しむという不思議な趣味なのです。
ばかみたいとお思いになるかもしれませんし、そのバカみたいが、とても味のあるワビサビにつながるのです。
■結論と課題 今回のチノン Bellami HD-1」に確かにオールドレンズを装着できましたが、望遠でしか使えませんでした。チノンのイメージセンサー(撮像素子)は1/3サイズでとてもサイズが小さいのが原因ともいえます。 確かにこうした試行錯誤もバカみたいなのかもしれません。でも、趣味とは誰も到達しない、そのバカみたいなところが好きともいえるのではないでしょうか? この2本のレンズのその後は?以下 続けさせてください。もしかすると、あなたもお好きになるかもしれないので。 ソナー・メンバーズ・クラブのHPはソナー・メンバーズ・クラブをクリックして下さい。
ホルン信号とポストホルンは別 追加を発見!
2017 FEB 3 6:06:04 am by 野村 和寿
先日ブログに書いた「ホルン信号とポストホルンとは別?」 で、最近もう1つ、クラシック音楽に使われているポストホルン(郵便ラッパのころ 今のホルンではないです)を模した曲について、このたび、発見いたしましたので、改めてここにアップさせていただきます。ブログは追加がきくので、こういうときにブログは便利ですね。
今でもドイツでは、郵便局のマークは、ポストホルンが使われていますが、シューベルトの歌曲『冬の旅』にも郵便という曲が第13曲目にありました。
詳しくは『冬の旅』は、第1部と第2部に分かれていて全24曲からなる連作歌曲集なのですが、その第2部の冒頭の、第13曲目に「郵便」と題する2分半ほどの歌曲がありました。郵便馬車がひづめを鳴らしながら近づいてきて、郵便が到着したことを示すポストホルンの響きが最初に出てきます。主人公は、もしかして恋人からの文ではないかと一瞬いろめきたつという曲です。
「郵便馬車」シューベルト 『冬の旅』より第13曲
通りの方から郵便馬車のラッパが鳴り響く。どうしてそんなに高鳴るんだ
僕の心よ? あの郵便馬車はおまえに何の手紙も持ってこないぞ。
なのにどうしてそれほど変に急かすんだ
僕の心よ? そうだ、あの郵便馬車はあの街から来たんだ
僕が恋人を愛したあの街から。
僕の心よ? きっとあっちの方を見てあの街がどんな様子なのか尋ねたいんだろ
僕の心よ?
シューベルト作曲D.911『冬の旅』ヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作歌曲集 第13曲郵便馬車より
最初の前奏の部分に、いかにも郵便馬車のポストホルンのラッパような節が出てきました。シューベルトも郵便馬車にお世話になっていたんですね。
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旅する哲学 イタリア最終話
2017 FEB 2 5:05:40 am by 野村 和寿
南イタリアピショッタ発13:22ローマ直行 インタシティでローマ着17:25 (走行距離363.7kmを所要時間約4時間です)インターシティーはおんぼろで、しかも、ずいぶんと遅いのですが、格好がとてもかわいくて、1950年代のデザインを彷彿とさせます。下はやっと無事ローマ・テルミニ駅についたところの写真です。
フィアット(現在はフランス・アルストム社に統合されています)がデザインした「ペンドリーノ」ETR450 1988年に投入された車両です。ペンドリーノとはイタリア語で、振り子という意味です。イタリアの鉄道は、海岸沿いに線路が走っているところも多く、急カーブが多いために、カーブをスピードを落とさずにクリアーできるというのが振り子電車のメリットです。それにしても、ものもちがいいですね。
南イタリア アグリツーリズモの部屋にてセルフポートレイト 2012年5月22日から30日の南イタリア単独行にて、ピショッタ アグリツーリズモ プリスコ・ファミリーの部屋にて撮影しました。今写真を振り返ってもとても元気そうな姿ですね。
朝早いローマのバルベリーニ広場です。。午前中のアリタリア便にて帰国予定。ホテルベルニーニ ブリストルは、近代的で広場に面した角部屋ですが、こういういい部屋に一人はむしろ旅の孤独がせまってきます。
昨日イタリア単独行より無事帰還いたしました。写真はアリタリアの帰り便で、売っていたAlitalia COCKPIT REMOTE CONTROL PLANEです。格納されたところえ2分充電すると、5分遊べます、でも実際には、2分でなくて遅れていて、10分以上かかります。このへんがアリタリアのアリタリアたるゆえんかも。
コックピット仕様のコントローラーにて、2段階のスピード切り替え、左右ターンができます。ぼくはラジコンで飛ぶとばかり思っていたのですが、滑走するだけでした。さすがにアリタリアだけ有りました。
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旅する哲学 南イタリア・サレルノへ②世界遺産パレストゥム 吉田秀和氏の訃報
2017 FEB 1 3:03:16 am by 野村 和寿
この世界遺産 正式名称は、「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントとティアノ渓谷国立公園とバドゥーラのカルトジオ修道院」といいます。この柱の太いこと!そして、外壁は、えんえんと海まで続いており、ギリシャの植民都市だったころから、この建築はあると思うと、一気に古代に思いをはせてしまいます。
このギリシャ神殿は、南イタリアの世界遺産「パエストゥム」です。ここの正式名称は、「パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントと、ディアノ渓谷国立公園とパドゥーラのカルトジオ修道院」といいます。整備された公園のなかに、こつ然と太い柱の神殿です。周囲の外壁は、なんと、海までずっと続いているのがすごいです。あまり知られていないのですが、ギリシャ時代に南イタリアにまで都市国家がたくさんあって、しかも、これだけ大規模な神殿が建てられていたとは! 南イタリア風の気候で、雲は一転かき曇り、スコールのような雨が。雨にそぼぬれつつ、神殿をながめるのもよしでした!さきほどの神殿にさらに近づいてみますと、この写真の柱が太く、そして、屋根の部分にかかる破風が見えます。ものすごく状態が良くて、なかなか幻想的です。なんか映画のシーンになりそうな。壮大なロマンとでもいいましょうか。
吉田秀和氏の訃報を知りました。吉田氏は、1972年頃、NHK FMで、芸術時評という番組に出演し、日曜の朝10時ごろに、私はよくこの番組に耳を傾けていました。この番組には当時の音楽評論家が集合していました。野村光一、大木正興、遠山一行、中島健蔵などそうそうたるメンバーで、代わる代わる、その月に行われた主な演奏家を、ライブで批評していったのです。その中でも異彩を放っていたのが吉田氏でした。いつも大方の意見とは大いに異なり、厳しく批評していました。カール・ベームのモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」のあまりのテンポの遅さに、吉田氏はとても厳しく反応しており、大方の「とてもいい」という手放しの意見に真っ向から反旗を翻していました。だんだんと大方の意見もそれに引きずられていくかのとき、最後に、吉田氏は「これだけのテンポでも、ウィーンフィルが演奏でき、そして、「フィガロ」をやるんだから、やはりこれはいいんだ」と、大方が吉田氏に傾きかけた後で、また批評を鋭くついたりして、とても過激な存在でした。よく、この演奏は認めないということもいっていました。ユージン・オーマンディのフィラデルフィア管弦楽団のときも、一人、音楽は美しいだけでいいのかと、鋭く迫っていましたが、最後に、でも「音楽はやはり美しいだけということにとても魅力があるんです」とも茶目っ気たっぷりといっていました。ぼくは、当時高校生で、そんなに多くの演奏会に行けなかったので、この番組の時間を楽しみに、まるで演奏会にいったことのように聞いていました。こういう気骨がある批評家に憧れていました。
個人主義のイタリアを旅するには、こちらも半端でない意思をもって、個人主義にならねばならないと思います。イタリア語の表現でも、必ず、自分がなにかしたいということをいわないと、当然のことながら誰もなにもやってくれない。この考え方は大切だと思います。お仕着せではないんです。まずは自分の意思なんです。ボーリオvuolioという言葉を何度も使いました。この原形ボレーレvolere、「欲する」という意味がようやくわかったような気持ちでした。
個人の旅は、なかなか厳しく、常に緊張感を伴い、半端じゃなく気を巡らして、疲れます。しかし、この疲れを乗り切るのは、なにか「巡礼」にも似ているような、そんなきもします。旅先で読む本を吟味に吟味を重ねて持ってきたのですが、あらかたの本はがさばるので、出会った日本人にあげてしまいました。残る本は恥ずかしいのですが沢木耕太郎の「旅する力~深夜特急ノート」でした。まるで、沢木氏が旅で経験したようなことが日々おこっていて、全く予断を許さないのです。
アグリツーリズモのオーナー、プリスコ氏の運転する車は、日本車よりもクッションがかたく、しかも道の曲がりくねり方は相当なもので、極端にいえば、山を越え越え道がついているので、10メートルでカーブ、といったところが右に左に延々と続き、真っ青になり顔面蒼白、ついには、止めてもらって、頭ががんがん、胃液のでるのを必死でおさえます。
行きも帰りも、もう大変で宿に帰るとそれだけで寝込んでしまうほどです。こうした受難のようなことが一方では起き、そのために、常に水分はとっておこうとか、あまり食べると胃によくないので、控えておこうとか、自分で考えて行動しないと行けないのです。 酒も飲んだ後にどうなるかをきちんと予測してから、ちょっと口にするといった感じで、野方図にビールをくらうなどということはしません。こうしたまったく予期せぬことが多々起きる「受難」にも似た状況が「旅」なんです。
遠くの方で稲光、さっきまでスコールのような大雨でした。今は朝の5時すぎなのであたりは静かです。なんの音もしていない。ようやく雨がやんだので、少しずつ小鳥のさえずりがもどってきた感じです。正しいことを正しくしているという自信のようなものが、自分がというところから、みなぎっているような気がします。自分のように迷っていてはたぶん駄目なんだろうなと。もっとはっきりしないといけないんです。 0527朝 アグリトゥーリズモ・プリスコにて
先日の日曜の朝、南イタリアの世界遺産パエストゥムの近く、サレルノを走っていたら対向車線(といっても対向の概念はないです)に、なんとバイクの群れが。それも小型バイクのヴェスパ愛好者だけが、ななんと、200台以上のレースをやっているのでした。
この写真だとあんまりわからないかもしれないのですが。アグリツーリズモ・プリスコ内の食堂です。お客はぼく一人というのが寂しいのですが。これで、1泊日本で代理店経由で、1万円くらいです。直接ここに申し込めばなんと1泊2食付きで、5000円です。ちょっと間にいろいろ入っているので、倍なのですが、ぼくは3泊して約3万円でした。宿に古いフィアットが置かれてありました。ルパン3世にでてくる車と同じ。ユーモラスなのでパチリ。
広大な庭には野草の花が咲き乱れており、遠くからモッツァレラ・チーズのための牛乳を出してくれる水牛の鳴き声がします。あと数時間で残念ながら出発です。
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旅する哲学 南イタリア・サレルノへその①アグリツーリズモの朝
2017 JAN 31 5:05:21 am by 野村 和寿
僕の泊まっているアグリツーリズモ・プリスコの門のまえです。客はオフシーズンらしく僕一人です!
旅は後半へ。ナポリからさらに南へ、列車で、約16:55 到着18:55 2時間。ピショッタ駅からさらに、迎えの車で、ものすごく曲がりくねった道をまるで、ラリーのように突っ走って、約30分。高台の山の上に、目指すアグリツーリズモ プリスコさんのアグリツーリズモはありました。もぎたてのトマトで作ったトマトソースに、これまたここでとれた黒オリーブをいっぱいつかったパスタ。手打ちの平打ち麺も自家製です。酸っぱくてどこか甘いトマトソース。こんなのいままで食べたことありませんでした。シンプル素朴そのものの、ピカンテのソテー小さな唐辛子をとってきて、やいたものです。それに、ここでとれた卵で作ったオムレツ。ワインはここで作った赤で濃厚かつさわやかな酸味。これで400円です。ここは1泊2食つきで、5000円です。
南イタリアの朝です。お菓子の朝食をいただいたところ。今日から旅は後半に。南イタリアのピショッタの農家プリスコさんのアグリツーリズモに宿泊第一日めの朝5時です。高台から眺めが最高の感。ここは、WiFIはつながらず、なぜか、ボーダフォンは、かろうじてつながります。そこで、ときどきはこれでアップしてみようかとおもいます。 ただいま朝の6時です。さきほどから1時間が経過し太陽が昇ってきました。小鳥のさえずりがどこからか、朝がきたことをおしえてくれます。静かです。きょうも南イタリアの農家の一日が始まろうとしています。オリーブの小さな花が咲いています。したにネットがあって秋収穫のときに揺すって落とすんだそうです。
さくらんぼの収穫を手伝いに、一家総出で、トラックに分乗していってきました。さくらんぼは、アメリカン・チェリーでしたが、ジャム用とそのまま食べる用に分けられていて、一家は、無心になってさくらんぼ採りに熱中しました。
ラッティチーニという、サレルノ県内にある水牛の乳で作る「モッツァレッラ」の工場を訪問しました。チーズとモッツァレッラは、完全に区別しています。水牛のお乳から、あたためてはこし、という作業を続け、かたまりを、手で小さくピックアップしています。工場で、ぼくと握手するときは、手ではなく、二の腕でした。衛生上のことなんだなと思いました。モッツァレッラは、水牛でないとだめ、新鮮でないとだめ、しかも、つくるときに塩をク加えているので、塩の味がついていて、美味しいです。
南イタリア・チレントのワイナリー「ボッティ」を訪問しました。ここのお嬢さんが、テイスティング用に、赤ワインをあけて、なみなみと、すてて、空気を通して試飲させてくれます。それにしても美人で、ちょっとわくわくしました。ここは広大で、赤、白、スプマンテからグラッパまですべてを製造しています。今はオフシーズンなので、ワイン蔵をみせてもらいました。なにしろ、若いワインですが、あけたばかりなのに、オレンジのような香りが若々しく、イタリアワインらしいストレートさがありました。イタリアのぶどうの種類は、1000種類以上もあるんだそうです。ここボッティさん親子でやっているワイナリーでは、赤と白、そして、スプマンテ、グラッパまで作っていて、赤ワインは、14.5%のアルコール度数を誇ります。テイスティングしたら、2010年のワインがとてもいい頃合いで、フルーティー オレンジの果実味の香り、花の香りがしました。ところで、お嬢さん美人ですよね。
BOTTI ワイナリーのご主人 ボッティ親子。ワイン蔵の前で。バックには広大なぶどう畑が広がっています。グラッパがこんなに新鮮だと美味しいです。グラッパで、茶色いのは、あれは、ワインの蔵の中で熟成しているんだそうです。有機栽培のワイナリー・ボッティです。赤と白2本をいただきました。このボトルを日本に運ぶのがとても大変でした。
アグリツーリズモ初日の夕食1 平打ち麺タリアテッレは、もちろん、自家製。これをトマトソースと、黒オリーブのソースでいただきます。なんといいますか、平打ちめンにトマトソースがからまります。まるでジュースのようなトマトソース、それに黒オリーブのしっかりとした食感とてもいいです。アルデンテで麺はとてもしこしこしています。こんなにかたくてもいいんだと感じさせるほどに、アルデンテです。アグリツーリズモ1日めの夕食2 リコッタパスタの次は、モッツァレッラと、トマトです。ただそれだけの料理です。オレガノ、オリーブオイル、それに、ほんの少しのにんにくで作ったドレッシングとともに、小さなここで獲れたトマト、それに近所の、モッツァレッラ工場でつくったばかりの、水牛のモッツァレッラ、日本では、これをきれいにはさんで、「カプレーゼ」ですが、これは、自分で作る、カプレーゼです。少しだけ塩が利いており、またトマトの酸っぱさととともに、いただきます。ここの夕飯は本当にシンプルそのものだった。リコッタチーズに、ここで採れたトマトのマカロニと、次はモッツァレッラと、トマト、要するにはこれは、カプレーゼなのですが、オリーブオイル、オレガノの干したもの、それに、少量のアーリオ つまりにんにくを小さいトマトにまぶしただけ。これがモッツァレッラのシンプルさによくあっていました。 レモンもすごくて、採りたてで香りがします。あまりのいい香りに、ガス入りのミネラルウォーターと一緒にして、レモンスカッシュみたいにしてのみました。
アグリツーリズモ1日めの夕食1 初日の夕食は、リコッタチーズと、トマトソースのリガトーニとう、パスタです。なんといっても、ここでとれたトマトを使った、トマトソースは、なんというか、ジュースのような新鮮さと、きめ細やかな涼しさとでもいえそうなすばらしいソースでした。リガトーニは、分厚い、マカロニの一種で、これはかなりなアルデンテでしこしこしていました。美味しい!ブォーノ!ご要望に沿うかどうかわからないのですが、さきほどアップしたパスタ リガトーニをアップにトリミングしてみました。上にかかっているのは、ここで獲れたペペローニ(唐辛子)で作った粉です。とても辛いです。パルメジャーノ・レジャーノも好みでかけます。
アグリツーリズモ3日めの昼食1,きょうのアグリツーリズモのお昼は、スパゲッティ カルボナーラでした。これがとても忘れられないものと生りました。ばりばりにかたいのではなく、しこしこした感じのアルデンテでちょっと柔らかめといえばそうなんですが、カルボのまとわりつき感もとても良かったです。ナポリの自然食のパスタだそうで、1つおみやげにくれました。本当はお昼はついていないのです。でも、造ってくれて、しかもただでした。本当にありがたかったです。
アグリツーリズモ3日めの昼食2 これは、肉のポルペッタと呼ばれる料理です。簡単にいえば、豚のひき肉をパルメジャーノレジャーノ(パルメザンチーズ)の多く含んだ、衣にして、オリーブオイルで揚げたものです。そのままでも美味しいし、日持ちもするので、冷たくなってからでも美味しかったです。これに、ほんの少しバルサミコ酢をかけていただいてみました。南イタリアの簡単にいえば、肉団子と行ったところでしょうか。
アグリツーリズモ3日めの夕食2 リゾットの次にでてきたのは、自家製のソーセージと、一緒の野菜は、なんとブロッコリーをニンニクと一緒にソテーしたものでした。ソーセージはなにしろ、つくったばかりで、味が濃く、セージの香りがしました。本当は3本もソーセージあったのですが、とても食べられず、1本だけにしました。
アグリツーリズモ3日めの夕食1 山の畑の中腹に自生しているフンギポルチーニ茸で作った、ポルチーニのリゾットです。ぼくのポルチーニ感は、とても、香りが強すぎてというのでしたが、このポルチーニは、優しくて、いくらでも食べられるという感じでした。パルメジャーノ・レッジャーノとともに、塩辛すぎず、いくらでも入るというお味でした。これはよかったです!しかもです。別にすごいシェフというわけでもなく、日本でいうなら、民宿のおじさんが、自分でつくってくれているのです。本当に美味しい!
アグリツーリズモ3日めの夕食3 これは自家製のドーナツです。しかも中身は、畑で採れたじゃがいもをすりつぶして、全部じゃがいも。でもでも、リゾット、ソーセージときて、デザートがこれ?ということで、とても全部はいただけなかったです。優しいとはなにかというお味で、きつくなく、本当はいくらでもたべられそうな、素直なお味だったのですが。アグリツーリズモ1日めの夕食3 さくらんぼの畑には、姫りんごのようなとても小さなリンゴがありました。しかし熟成するのは、秋になってからだそうです。これを収穫して、貯蔵していったのがこのリンゴです。とても小さいのですが、味がしっかりとあって、酸っぱくて甘くてなかなかの自然のお味です。
アグリツーリズモの朝飯です。基本的にイタリアでは、朝は甘いものをいただきそれでおしまいです。ここでとれたレモーネをいれた紅茶、そして、マーマレード、さらに、ここでとれた蜂蜜、大量のさくらんぼ、これは、まさに理想的みたいな朝飯みたいでした。宿でもらった取れたてのりんごと、レモンとみずで一人ピクニック状態です。
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旅する哲学 その⑦ナポリ中央駅にて出会う
2017 JAN 30 7:07:36 am by 野村 和寿
2012年4月28日に開業した「イタロ」というイタリアの新幹線です。正式名をヌオーボ・トラスポルト・ヴィアジャトーリというイタリアの高速鉄道TAVは、ミラノからナポリまでを高速300kmで結んでいます。と、ここまでは公式なのですが、新しい線路ができているわけでもなく、つまりは、fという旧イタリア国鉄と全く同じ線路を走るのです。小田急線の特急がJR東海の沼津駅まで乗り入れているのに、ちょっと似ていなくもないです。係員は、ちょっと昔風で、サーベルをさげ、おもちゃの軍隊みたいですし(写真最下段参照)、開業したばかりなので、車体もすごくきれい。ここナポリ駅構内に、つまりは2つの鉄道があり、案内所も別々にあります。車体はフィアットを買収してしまったフランス・アルストム社が製造し、内装はイタロ・デザイン(ジウジアーロ)が作っているようです。
写真上は、ナポリ駅を中心に出会った旧イタリア国鉄(トレニタリア)の列車たちです。まるでメルクリンのモデル模型のように、1両でとことこと近郊を走っている電車もありました。
ナポリ中央駅にある「旅行者案内所」の若きボランティア・スタッフたちとともに記念写真をとりました。みんなすごく、かわいいです。写真撮影に気軽に応じてくれたのですが、女子が随分とぼくと距離が近くて、おじさんはとてもドキドキしてしまいました。でもこういうのが旅行の醍醐味です。5月25日、ナポリ駅の旅行者向け総合案内所にて。スタッフみんなの写真をお願いしたら快く応じてくれました。ここにはうら若き女性スタッフが元気に働いています。みんな明るく、ここの情報はみんな無料です。気持ちがいいくらいにさわやかでした。なんと記念写真も撮影してしまいました。美人といっしょで、顔がにやけております。すみません。イタリア女性の前向きな気持ちは、若さ故か。こういう人たちがたくさんいてほしいなと思いました。
ナポリ中央駅前です。
ナポリ中央駅は、新装なっていて、とてもきれいです。中には、いわゆる、危ない人々は入れないように、常に警察がみはっています。周囲は危ない人たちも多いのですが、エキ中は安全でした。荷物の一時預かり所は、とても安心なところです。セキュリティーも厳しくて、パスポートのコピーをとり、チェック。チェックカードを差し出し、荷物を受け取る。5ユーロでした。ナポリ駅周辺は、見るからに危なそうな人たちばかりで昼日中にカードの博打を開いたりして緊張します。一方、駅は極めて新しく人種のるつぼであり、ヨーロッパ独特のカオスに満ちています。ちょっと沢木耕太郎になった気分です。一人旅はいろいろと困難を伴うことが多い。いつ列車がくるのか?それは何号車にのるのか?いったい途中の駅におりるのは何時頃なのか?ねすごしてはいけない。とにかくどこか緊張してきます。おなかが痛くなることを避けけて、極力食べないようにします。そして、適度な水分が必要なために、極力水をすこしずつ補給します。トイレがどこにあるのか? 安全なのか?お金をはらって入るトイレのほうが、結局安全でいいと思えてきます。
地下行きのエレベーターですがトイレ、地下鉄、などと共にカペラつまりチャペルがあるとあります。いかにもカトリックのお国柄といったところです。
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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその⑥スパッカ・ナポリ
2017 JAN 29 8:08:28 am by 野村 和寿
タクシー運転手のマリオさんに案内してもらって、ポンペイからナポリに戻ってきました。人生最良の日の午後は、スパッカ・ナポリです。
スパッカ・ナポリとは、ナポリの下町。通常はちょっと治安が悪いとも言われることがあります。タクシー運転手のマリオさんは、ここの出身で、案内してもらいました。
この人がマリオさんです。このあたりの顔で、このピッツェリア「ヴェスビアーナ」にもちょくちょく顔をみせるんだそうです。なんでも、若いときは歌手を目指し勉強していたが、サッカー応援で声を出しすぎたのか、大きな声が出せなくなり、やむなく断念したそうです。それで、タクシー内では、「オーソレ・ミオ」やロッシーニの「セビリアの理髪師の私は街のなんでも屋さん」など、つぎつぎと歌ってくれました。ぼくは、とてもいい人だと思いました。いくらなんでも、実家近くを案内して、ピッツァまでご一緒してくれるとは、こういうときに、イタリア語が少ししゃべれるということがよかったなあと思っています。
ナポリ ピッツァその2は、ナポリの下町「ピッツェリア・ヴェズビアーナ」にて。ピッツァ・フリットです。このお化けのようにでかいしろものは、中に、オリーブやトマト、ベーコン、それになんといってもモッツァレッラ、それにほかのチーズを入れ、そのまま揚げたものです。日本でいえば、イタリアンで、ピッツァのカルツォーネのお化けみたいにおおきいやつです。生ビールのグラスとひかくするといかにでかいかがわかると思います。これで、400円くらいです。もちもちとしたパスタ生地となかでとろとろになったモッツァレッラが融合して、甘く、酸っぱく、柔らかがいっぺんに味わえます。なんで2皿かといいますと、教えてくれたタクシーの運転手と一緒にお昼をしたんです。そのことはまた。前メールのピッツェリア「ヴェズビアーナ」は、漁師からの新鮮な魚介類を売る地区の、中にあり、これはなかなか見つかるものではありません。タクシー運転手のマリオさんとは、年齢が近くなぜかきがあい、この2日ほどご一緒し、あちこち案内してもらいました。この店は築地場外の「すし清」みたいな関係かもしれないです。
でも、生地をこねるところはもちろん大理石でなにしろ家族的、協力して取材させてもらった感あり。
こちらは魚屋さん。旬の魚は、アリーチかたくちイワシのことです。またイワシはほかにも大きさや産地で厳格に呼び名が違っており、もうひとつは、「サルディーナ」といういわゆる、オイルサーディンに使われるような、小さなイワシ。日本でいえば、新子に似ています。こちらは貝専門店です。ちゃんと砂だしはしているそうで、さすがにこのままボンゴレとして、パスタに使えますね。いつもお水はたやさずに、新鮮さを保っているんだそうです。
2階から顔を出しているのが、タクシーのマリオさんのお母さんアンナさん。とても気さくな方で手を振ってくれました。マリオさんは、ここで生まれ大人になるまで育ったんだそうです。活気あふれる下町の洗濯物がいっぱいの素顔のナポリです。
このサラミ屋さん。お店番をしているのは、タクシーのマリオさんのおばあさんです。もう80をとっくにすぎているんですが、ひがな1日こうして店番をしているんだそうです。サラミとチーズを一緒にうっているところが、下町的ですね。
漁師のお店がずらりと並んでいる下町近く。タクシーのマリオさんはこの町で生まれて育ったそうで、歩いていると知り合いばかりで声をかけあっています。この混沌そのもので活気あふれるお店は魚屋、貝屋、八百屋と多種のお店です。
こんな複雑に入り組んだ、魚や野菜の市民の台所にも、角角に、キリスト像がおかれて、みんなを見守っています。なんか日本でいえば、道祖神かお地蔵さんに似ていますね。とにかくみなさんカトリックで信心深いです。八百屋さんです。トマトの赤がまぶしいばかりです。普通こういった光景を取材させてもらうときは、(個人だから取材とはいわないかも?)気を使うのですが、なにしろ、マリオさんをみんながよく知っていて、これも撮れ、あれも撮れといわれて好意的そのものです。しかもたとえば、いんげんは、今の時期旬なので、フリットにするとうまいよ。とか説明もしてくれます。
タクシーのマリオさんと記念写真です。マリオさんは、52歳だそうで、ぼくと妙にうまがあいました。もちろん観光客に合わせてくれたんだと思いますが、イタリア語の教師であり、ぼくのイタリア語にもいやな顔ひとつせずにつきあってくれました。レモンチェッロをすすめられて飲んだ後で少し酔っています。
ここでワイシャツと、スーツを買ったんですよ。いや買ってしまったんですよ。こういうのが旅の醍醐味だと思います。シャツのお店です。マリオさんの親戚がやっているんだそうです。表通りの洋服屋よりも格安だよと紹介してもらいました。なにしろ、ぼくは、おなかがでっぷり体型でなかなかそろわないんですが、さすがにイタリアの下町にはぼくのサイズがありました。黒のジャケットとズボンともにフィット。さらに、生地のいいワイシャツを買って全部で、1万円ほどでした。おみやげにとてもすごい色のナポリらしいネクタイももらいました。もちろん少し調子に乗ってだまされたのかもしれないのですが、まあそんなこと考えないでいようと思います。スーツとワイシャツで1万円。今部屋にもってきているんです。こんなおみせ、自分だけじゃぜったい買わないですよね。
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旅する哲学 南イタリア・ナポリへその⑤ポンペイ遺跡
2017 JAN 28 12:12:43 pm by 野村 和寿
一生のうちで、たぶん何度か忘れられない日があると思います。ポンペイ行きはまさにそんな一日でした。素晴らしいとだけいってしまうのももったいないような充実した日々でした。
朝9時にマリオさんのタクシーを予約し、一路25km離れたポンペイへ。緑に囲まれた中に、ぽっかりと遺跡が並んでいます。よく整備されている遺跡ですが、炎天下を延々と歩かねばなりません。これはポンペイの入り口付近です。
ポンペイのよく舗装された石畳です。ポンペイの都市が埋まったのはAD79年8月24日だそうですから、その前に石で舗装されていたんだそうです。古代のトンネルに入り、ここを上りつつ、抜けると、ポンペイの町になります。
もともと古代ギリシャの植民都市として成立したポンペイには、ギリシャにちなんだ、アポロ神殿が建てられていました。その後、ポンペイは、ギリシャより独立して、自立していくのですが、まずは、古代ギリシャがあったんだなと思いました。
ポンペイの遺跡に初めて入った印象は、とにかく広大だということ、大きな都市がまるまるすっぽり埋まってしまい日常生活そのものが、埋まってしまったことです。大きなローマ神殿も飲み込まれてしまいました。炎天下の中、ふうふういいながら水分補給だけをたよりに、石畳を歩いていると、鳩がとまり、そして小鳥のなく声がします。きっとそんな光景は昔とぜんぜん変わっていないかもしれません。とにかく行けども行けども、遺跡だらけなんですよ。ここは本当にものすごい光景を見てしまった。あるいは心に宿ってしまったような、寂寥感みたいなものが、常につきまといます。まだ、観光客がいっぱいいることが逆になぐさめになっているかも。
もしも東京やお寺の多い京都が一夜にして廃墟と化したならば、いったいどんな遺跡になるんでしょうか? ベズビオ火山の突然の大噴火でくしくも都市ごとに埋められてしまったポンペイの石畳の道を歩きながら、ふと思いました。それまでの文化があっというまに、消えてなくなるかといえば、遺跡という形で残ります。それはずっと昔のポンペイに一気に戻ったような不思議な錯覚を覚えます。
ポンペイの入り口近くの売店にてsugo(スーゴ)と呼ばれるオレンジの果汁をいただきました。100%オレンジを手でしぼって、これで、約250円です。ほんとうにフレッシュでさわやか。このほかに、pompelno(ポンペルノ・グレープ・フルーツ)のスーゴもありました。
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