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オークス、ダービーの季節

2014 MAY 20 14:14:08 pm by 中村 順一

オークス、ダービーが行われる東京(府中)競馬場

オークス、ダービーが行われる東京(府中)競馬場

オークス、ダービーが迫ってきた。競馬が盛り上がるシーズンである。春の3歳馬の頂点を決めるレースであり、長い歴史がある。オークスは第75回、ダービーは第81回である。両レースとも戦前からの伝統があるのだ。距離は2400Mのクラシック・ディスタンス、東京府中競馬場のスタンド前からのスタートだ。各馬はスタートしてすぐ左回りに回っていくことになる。昔のダービーは今よりも出走頭数が多く(昭和30年代までは32頭、その後長い間28頭)、スタートの枠順が極めて重要だった。大外では、勝利はまず不可能とまで言われていた。ハクシヨウが勝った昭和36年のダービーで、不利な大外32番枠から直線強襲し、惜しくも鼻の差で2着のメジロオー、ダイシンボルガードが勝った昭和44年のダービーで、大外27番枠から果敢に逃げ、惜しくも3着のハクエイホウ、等々、枠順を巡るレース展開の議論は、昔からダービー、オークスに付いてまわってきた。現在は出走頭数が18頭までに制限されたので、昔ほどの内外の差はないが、やはり、内の方がかなり有利である。

既に寄稿済みだが、牝馬のみのオークスはハープスターがぶっちぎり人気だろう。2番手の馬は評価が分かれる。あまりにもハープスターの存在が大きいのだ。牡馬に交じっても最強かも知れない。ただ、待てよ。3歳牝馬のレースに絶対はない、とよく言われる。例えば2004年のオークスだ。4戦4勝のダンスインザムードが絶対的本命で単勝はなんと1.4倍だった。しかしレースはダイワエルシエーロが勝ち、ダンスインザムードは何と4着。先行策を採った福永祐一の好騎乗だった。ダンスインザムードはパドックから、明らかに入れ込み、発汗していた。自分に負けていたのである。今回もハープスターは自分さえコントロールし、実力を発揮できれば、相当の確率で勝てるだろう。当日は枠順とパドックでの体調に注意したい。追い込み一辺倒なので、先行馬がひょっとしたら番狂わせも、という予想もあるが、府中は直線も長く、あまり心配していない。距離の壁があるかも、という心配もあるが、それはどの馬にとっても初距離であることには変わりなく、血統的には問題なさそう。大外枠になって、外ばかり廻っていると内の馬に逃げ切られる心配はあるが。筆者のハープスター以外の注目馬は、良血のサングレアルとレーヴデトワールである。ただレーヴデトワールは賞金が足りず、出走できない可能性が高い。桜花賞が5着だったのが惜しまれる(4着迄、オークスに優先出走権)。

ダービーはオークスの次週。何といっても、競馬界の頂点といっていい、お祭りの大レースである。本命は皐月賞馬のイスラボニータだろう。6戦5勝、2着1回の堂々たる成績、ただその一回の敗戦はハープスターにぶっちぎられているので、どうも印象が悪い。2番人気は皐月賞2着のトウザワールドだろうが、こちらも弥生賞でやっと勝ったりしており、絶対的な強い印象がない。要は牝馬に比べると混戦ムードとも言えるのだ。予想は難しい。これから各馬の調教をじっくり見て、枠順、当日のパドック等、見極めていく必要がある。注目は既に寄稿した、牝馬のレッドリヴェール。小柄で馬体のキープがポイントだが、桜花賞の後もカイバの食いはしっかりしており、体調は良さそう。福永祐一がうまく乗れば、牝馬のダービー馬誕生もあり得よう。

皆さん、是非この2つのレースに注目してください。

パではオリックス絶好調

2014 MAY 20 11:11:03 am by 中村 順一

抑えのエース、平野佳

抑えのエース、平野佳

本日から交流戦が始まる。プロ野球も序盤戦が終わったところだ。セでは東が大ファンの広島がびっくりの首位だが、パでは、同じくびっくりのオリックスが首位キープ中である。交流戦前、最後のソフトバンクとの3連戦では、なんと3連勝である。どうなっているのか。ここまでやるとは、まったく期待していなかった。

筆者はかつての日本シリーズの常連、阪急ブレーブスのファンであった。熱狂的とも言っていいほど応援していた。突然の阪急からオリックスへの球団売却は、かなりのショックだった。何故、どうして?と、ずいぶんガッカリさせられたものである。その阪急の血を少しでも引き継ぐのがオリックスなので、近鉄との合体等もあり、益々阪急球団のイメージからは遠くなるものの、”一応”ファンであり、応援している。

今シーズン、オリックスは救援陣はいいが、先発のタマ不足、打撃陣もムラが大きく、せいぜいクライマックスシリーズに3位でぎりぎり潜り込めるかどうかだろう、と思っていた。ところが開幕から42試合をこなし、27勝15敗、2位のソフトバンクに1.5ゲーム差をつけて、堂々の首位である。

まず先発陣。西が凄い。7連勝中で防御率は0点台だ。球はちっとも早くないが、今年は変化球の種類が増え、コントロールも良く、凄い安定感である。金子は田中がいなくなった後は、パリーグ全体のエースと言ってもいいだろうが、3勝3敗と今ひとつ。しかし完封した2試合は凄いピッチングだった。今後も勝っていけそうな予感である。3番手以降はやや落ちるが、ディクソン、松葉、井川(相変わらず口を開いてマウンドに立つのは出来ればやめてほしい)が続いている。しかし、期待は何と言っても、ルーキーの吉田一将(24)だろう。JR東日本から、ドラフト1位でオリックスに入団した、長身の右腕。現時点ではストレートは150キロ出ていないが、体が大きく、まだまだ成長の可能性を感じさせる逸材。スライダー、チェンジアップは一流。現時点で2勝。楽天の松井に指名が集中したので、オリックスが単独で指名できたのはラッキーだった。

救援陣はもともといいのだが、今年は益々好調。佐藤達、比嘉、馬原、平野佳の強力4本建、プラス2年前までのストッパーエース、岸田も加わる。何せ、先発ピッチャーは5回まで押さえればいいのだから、かなり楽である。右肩故障もあり、寺原のFA移籍の人的補償として、ソフトバンクから昨年移籍した、かつてのセーブ王、馬原が故障せずに徐々にかつての威力を復活させてくれれば、と期待している。平野佳の安定感はパリーグ1と言ってもいいので、この層の厚さであれば、簡単には崩壊しそうもない。

打撃攻撃陣は従来はあまりあてにはならなかったのだが、今年は内部の競争が効果的に効いているようだ。糸井が首位打者キープ中だし、助っ人のヘルマン、ペーニャもまずまず期待以上。ソフトバンクに李大浩を出して心配したが、問題はないようだ。T-岡田、坂口もいる。手薄でどうしようもない、と思っていた下位打線もチームのいいムードのなかで、安達などいい味をだしている。まだまだ信頼していないが、勝利への執念が昨年よりずっと感じられるのはいい。

交流戦は、オリックスは2010年に優勝したこともある。どちらかといえば得意である。ここで益々勢いを付けてもらいたい。東さん、何十年ぶりに、オリックス(阪急)-広島の日本シリーズを期待しましょう。

 

面白かった春の天皇賞

2014 MAY 7 15:15:31 pm by 中村 順一

春の天皇賞、ゴール前のデッドヒート

春の天皇賞、ゴール前のデッドヒート

春の天皇賞が5月4日の日曜日に京都の淀競馬場で行われた。春の天皇賞は3200MでG1レースでは最長の距離である。明治からの帝室御賞典に繋がる長い長い伝統を持つ古馬の最高峰のレースであり、数えきれない程の名馬を輩出してきた。

ところがである。最近はこの春の天皇賞の地盤沈下が激しい。これは3歳馬クラシックの菊花賞にも言えることなのだが、どうも最近の馬主や調教師は長距離のレースを敬遠する傾向になってきた。これは実は世界的な傾向である。競馬のスピード化が進んでいるのだ。英国でも伝統のある3歳3冠レースの最後を飾るセント・レジャー(約3000M)には超一流馬は関心を示さなくなった。どの馬もセント・レジャーの直後にあるパリの凱旋門賞を目指してしまうのだ。日本でも1990年代からスピード化に対応する為に、いわゆるクラシックディスタンス(2400M,ダービー、オークス、ジャパンカップ、凱旋門賞等)と並び、より短い距離の成績が重視されるようになり、短い距離の競走体系が整備されてきた。秋の天皇賞は2000Mに距離短縮され、3歳馬の出走も可能になった。馬を消耗させる3000Mの菊花賞にわざわざ出走させる必要は無いのだ。安田記念(1600M)、マイルチャンピオンシップ(1600M)、スプリンターズS(1200M)、高松宮記念(1200M)等短い距離のGⅠも盛りだくさんである。長距離のクラシックの重要性は薄れ、どの馬も目指したいレースでは既になくなっている。筆者のような古い競馬ファンには寂しい限り。昔はどの馬も菊花賞、天皇賞を目指し、長距離をどうやって克服させるかが、騎手の腕の見せ所だったのに。長距離レースでの、淀競馬場の第3コーナーの坂の攻防は本当に面白かった。最近の春の天皇賞など、筆者としては、まったくつまらない、もう「古馬オープン長距離特別」とか冴えない名前に名称変更すべし、とまで考えていた。
 
ところが、今年の春の天皇賞は久しぶりに盛り上がった。ダービー馬キズナ、いくつものクラシックを勝っているゴールドシップ、惜敗続きだが復活してきたウィンバリアシオン、ダービー2着で去年の春の天皇賞を勝っているフェノーメノ等が出走してきた。出てこなかった牡馬の有力古馬(中長距離型)は去年の菊花賞馬のエピファネイアくらいである。エピファネイアは天皇賞を回避して香港で出走したが、ダサいことに4着に敗れていた。
 
レースは最後の直線のデッドヒートが凄かった。フェノーメノ、ウィンバリアシオン、ホッコーブレーヴ、キズナが叩き合った。ゴールドシップは出遅れて7着に惨敗。勝利はフェノーメノ、前走の日経賞で5着に敗れていたが、豪華メンバーを相手に見事に復活した。1番人気のキズナは伸びずに4着。
 
昔の天皇賞を思い出させる迫力だった。敗れたゴールドシップは、筆者は好きでない血統なのだが、遥か昔の天皇賞馬メジロアサマ、ちょっと最近の春天皇賞連覇馬メジロマックイーンに繋がっている。メジロアサマが絶対本命のアカネテンリュウを破った天皇賞、メジロマックイーンが無敗の天馬トウカイテイオーを破った天皇賞を思い出した。
 
残念ながらその後、キズナが骨折したことが発表された。全治6か月という。10月の凱旋門賞は当然出れない。復活できるかどうかも5分5分だろう。最も痛いのはキズナのお蔭で、少しずつ再び競馬社会のメインプレイヤーとして再認識されだした武豊ではないか。また干されるかも知れない。
 
フェノーメノは秋の日本国内のレースを目指すという。何れにしても、久しぶりに長距離レースの醍醐味を楽しませてくれた名レースでした。
 

春の競馬、3歳クラシックシーズン, 牝馬強し

2014 MAY 1 14:14:20 pm by 中村 順一

ハープスター

ハープスター

桜花賞でのハープスターとレッドリヴェールの競り合い。

桜花賞でのハープスターとレッドリヴェールの競り合い。

春の中央競馬が盛り上がるシーズンである。3歳クラシックは既に桜花賞、皐月賞が終わり、これから5月末、6月初めのオークス、ダービーを目指していくことになる。

でも、今年の牡馬戦線はちょっと盛り上がりに欠けている。皐月賞はイスラボニータとトウザワールドのたたき合いでイスラボニータが制した。この2頭が現在の3歳牡馬で最強と言ってもいいのだが、このイスラボニータは、去年の夏、新潟2歳ステークスで牝馬のハープスターに、3馬身もぶっちぎられて負けているのである。まだ古馬との対戦が無いので、確定的なことは言えないが、今年の3歳牡馬の迫力は去年のキズナやエピファネイアにはかなり劣ると見て間違いないだろう。

じゃあ、牝馬はどうなのか。これは相当のハイレベルである。桜花賞を勝ったのはハープスター、僅差の2着がレッドリヴェール。昨年末の阪神JF(GⅠ)ではレッドリヴェールがハープスターを負かしている。ハープスターは5戦4勝、2着1回、レッドリヴェールは4戦3勝、2着1回である。お互い他の馬には負けていないのだ。

特にハープスターが強い。父はディープインパクトで、祖母が桜花賞、オークスを勝ったベガ。馬群を抜けてくる迫力は特筆もので、最近にない最強の迫力。ダービーに行ってもかなりの確率で勝てそうである。しかし、陣営はダービーではなくオークスに向かうと言う。オークスを勝った後は10月のパリでの凱旋門賞だ。確かに凱旋門賞は3歳牝馬が特に斤量に恵まれている。昨年はフランスの3歳牝馬、トレヴが勝ったが、斤量は54.5kgだった。それに比べて、惜しくも敗れた日本の古馬の牡馬であるオルフェーヴルの斤量は59.5kgだったのである。ハープスターがこの後、精神的に成長できれば勝てるチャンスは十分にありそう。騎手は今までは一貫して川田将雅が乗っているが、フランスでは、また欧州出身の騎手に替えるんだろうなあ。

ではレッドリヴェールはどうするか。こちらはオークスではなく、ダービーに向かうらしい。追い込みに迫力があり、重馬場もこなす相当の実力馬だが、410キロ台の小柄な馬で、レースに使った後の回復に時間がかかる。オークスより一週間後(6月1日)のダービーの方が調整しやすいとのこと。父はステイゴールド、騎手はC.ウィリアムズ、岩田康誠、戸崎圭太と変わってきたが、今般、ダービーでは福永祐一騎乗と発表された。今年の福永は一昨年のワールドエース、昨年のエピファネイアほどの牡馬の乗り馬に恵まれていない。この段階でのGⅠ勝利馬への騎乗依頼はラッキーだが、祐一は牝馬には強い。ハープスターがイスラボニータをぶっちぎっていることから考えると、ひょっとしたら、少し前のウオッカに続く、牝馬によるダービー制覇もあるかも知れない。少なくとも、レッドリヴェールは、ダービーでイスラボニータ、トウザワールドに次ぐ、3番人気にはなるだろう。小柄の牝馬が、府中の直線で馬群を抜けてくるシーンを見たいものだ。

レッドリヴェールも秋の凱旋門賞に登録している。ダービーに勝てば挑戦するだろう。秋のパリでは、日本3歳牝馬のワンツー・フィニッシュが見られるかも知れない。それほどの可能性を感じさせる今年の牝馬陣である。昨年のオルフェーヴルの復讐戦だ。

盛り上がりますねえ。

 

 

謎のロシア人との会食

2014 APR 18 17:17:43 pm by 中村 順一

プーチン

プーチン

北方領土、択捉島の面積が半分以上

北方領土、択捉島の面積が半分以上

ウクライナ情勢が緊迫している。ロシアは3月のクリミア自治共和国の編入に続き、ウクライナ東部、南部への影響力拡大を狙っている。冷戦終結後、最大の危機といってもいいだろう。この緊迫した情勢の分析の為、筆者は先週、従来より筆者と仲のいい、東京在住のロシア人と会食した。話題は主に、ウクライナ情勢と、北方領土問題だったので、以下に会話の要点をまとめてみる。

 

ロシア人A氏との会話

A氏 「ソチ五輪に安倍さんが来てくれたことは感謝したい。」 筆者「習近平だって行ったじゃないか」 A氏「いやG7からは安倍だけだった。プーチンは喜んでいる。日本とロシアはもっと仲良くなれる。」 筆者「ウクライナ情勢をどう考える」 A氏「そもそもウクライナの存在自体に違和感がある。ウクライナが独立国だった期間は極めて短期間だ。西ウクライナはハプスブルグかポーランド。東と南は当然ロシアだ。」 筆者「フルシチョフが1954年にウクライナにクリミアを献上してしまったじゃないか」 A氏「そうなんだ。フルシチョフはロシア人だが、どういうわけかウクライナが好きだった。あれはソ連邦内部の話だけどな。しかし、オバマ(アメリカ)もあの地域をわかりもしないくせに手を突っ込まないでくれと言いたい。ドイツのメルケルは分かっているぜ。安倍はメルケルとは仲良くないのか。ドイツと連携しろよ。」

筆者「確かに第一次大戦の終結時にアメリカのウィルソンがやってきて、民族自決主義とかいう迷惑な概念を持ち出したので、そのあと中欧、東欧は苦労したな。本来はロシアとドイツでゆっくり議論して、納得できる国境を決めるべきだったかも知れないね。」 A氏「その通りだ。その後ヒトラーが出てきて、ズデーテンランドをその論理でドイツに併合した。挙句の果ては第二次大戦さ。日本だってえらい目にあったじゃないか」 筆者「ところで北方領土を返してくれよ」 A氏「うーむ。1956年に日ソで合意した2島は返すが、それ以上は難しいぜ。」 筆者「1956年の合意は、平和条約締結後に2島返却といっているだけで、国後、択捉は継続協議になったんだ。決めつけないでくれ。」 A氏「気持ちはわかるが、国境を変えるのは難しいのだ。ロシアも国後、択捉が日本になると、潜水艦が太平洋に自由に出ていけなくなるんで困るのよ。ドイツだってケーニヒスベルグを正式に放棄したぜ。」 筆者「国境をウクライナで変えようとしているのはロシアではないか。」 A氏「いや、ウクライナは正式な国家としては認めがたいとも言えるんだ。次元が違う話だよ」

 

ロシア人B氏との会話

B氏 「中村さん、プーチンを信頼してはいけません。あれはひどい奴です。今でも人をどんどん殺しています。プーチンではロシア国民は決して幸せになれません。」  筆者「でもプーチンは強いからいいじゃないか。強大なるロシア、ソビエト連邦の復活だろ。T34戦車で再度国境突破しろよ。強けりゃ何でもありだろ(冗談)。」 B氏「冗談ではありません。私は今のロシアが大嫌いなので、最近ロシアに帰っていません。中村さんのほうが、出張で私よりロシアに行っているくらいです。」 筆者「ウクライナ情勢はどう考える。」 B氏「日本は当然アメリカとEUに同調すべきです。議論の余地なしです。軍隊を送り込んで勝手にほかの国を操縦するなんて、今のロシアはひどい。ありえないじゃないですか。」 筆者「でもせっかくプーチンと安倍が仲良くなって、北方領土問題が少し進展しかけているんだ。」 B氏「プーチンでは北方領土は解決しません。北方領土が少し進展したのはエリツインの時でしょ。当時はロシアは今より民主主義でした。民主主義的な政府でなければ、北方領土問題は解決できません。」 筆者「僕としては4島の面積等分で解決したらどうか、と思っているんだ。最近ロシアは中国やノルウェーと領土問題を面積等分で解決したろ。即ち、択捉島の南部に日露国境ができるのよ。」 B氏「日本はそれでいいんですか。外務省はいつも4島一括に拘るじゃないですか。あれじゃあ解決できるものも解決できませんよ。日本は本気で北方領土問題を解決しようと思っているんでしょうか。ロシアは実効支配しているんですから、今のままで全く困らないんですよ。面積等分はすぐにOKとは言いませんが、ぎりぎり交渉の余地はあるような気はします。」 筆者「何とかその線で行こうぜ。」 B氏「でも本当に今のロシアは危険です。チェチェンとかモスクワの地下鉄のテロだって、プーチンが裏で操っている可能性がありますよ。」 筆者「本当かよ。いずれにしても何とか北方領土を解決して仲良くなろうぜ。そうしないと大量の中国人がシベリアに殺到して、シベリアなんか100年後には簡単に中国領になっちゃうぜ。」

 

ロシア人にもいろいろな奴がいる。東京にもロシア人は住んでいる。彼らとの会話は面白い。

 

 

 

 

 

桜の京都に行ってきました

2014 APR 8 13:13:46 pm by 中村 順一

宮川町京おどり

宮川町京おどり

今回でSMCメンバーでの京都旅行は2回目になります。去年も素晴らしかったですが、今年はもっと感激しました。アレンジしてくれた梶浦大兄には感謝感謝です。筆者は東京生まれ東京育ちであり、京都は全くの素人、去年は単に喜んで観光していただけでしたが、今年はもう少し考えながら歩く余裕があったから、より感激できたのかも。

筆者は金曜日(4月4日)からは参加できず。土曜(5日)の昼過ぎからの参加となった。土曜日はまず泉涌寺と清水寺に特別参拝。梶浦の手配で、普通は入れない場所も含む特別コースだった。泉涌寺で梶浦、東、江崎と合流したのだが、まずはこの泉涌寺が大感激。泉涌寺は真言宗の寺院なのだが、寺の域内には歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺」と呼ばれている。

凄かったのは、特別コースとして、天智天皇から昭和天皇に至る歴代天皇と皇后の位牌を安置している霊明殿と、京都御所にあったものを移築した、天皇が泉涌寺を訪れた時に使用する御座所に入れたことだった。

霊明殿でびっくりしたのは、全ての天皇が入っていないことだった。住職さんによれば、宮内庁の方針なのだそうだ。天武天皇と持統天皇が入っていない!壬申の乱で内乱を起し、大友皇子から帝位を剥奪した天武天皇など、天皇家としては自分のファミリーとして認めない、ということなのか。でもどうして持統は入っていないの?筆者は持統天皇のファンなので、ちょっと残念。持統は天武の皇后で、天武の死後、女性天皇として即位したが、それは自分の親である天智天皇の血を絶やさない為に、自分の孫に皇位を継承させるためのリリーフではなかったのか?この辺の歴史は東の専門なので、彼の投稿に期待します。それにしても、歴代天皇家の「気」を感じてしまい、大迫力の参拝でした。住職さんの解説が良かった。感謝です。一人で行っても、ここまで歴史に浸ることは到底できません。

その後、清水寺へ行って、阿曾女史と久留米レディーの寛乃さんと合流。清水寺を参拝した後、夕刻からは京都の五花街の一つである、宮川町へ行って、お茶屋「しげ森」で花見の宴。美味しい京都料理を頂きながら、美しい芸妓͡さん舞妓さんの踊りや、一同でのゲームを楽しんだ。京都の花街は何と言っても長い歴史を誇る京都の伝統であり、東京では絶対に味わえない趣きがある。現在でも15歳になると住み込みで修業し、舞妓さんになり、その後芸妓さんとして独り立ちするという、昔ながらの京都の伝統がしっかり守られていることに感激。阿曾先生(また教えてもらいました。阿曾女史は京都にゆかりの人で何でも知っている。)によると京都には上七軒、祇園、祇園東、先斗町、宮川町の五つの花街があるとのこと。筆者は昔の仕事の頃、祇園と先斗町に行ったことがあるが、宮川町が素人でも入っていける親しみやすさを、一番感じることができた気がします。気に入りました。

次の日(6日、日曜日)は、朝は町屋(梶浦の運営する、京都の民家をイメージできる一棟借りの旅館。外人にも大人気)でゆっくりくつろいだ後、タクシーで京都の幕末関連の名所を観光。これは去年に引き続いてのテーマ。去年は坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された近江屋跡や、新撰組が長州藩強硬派を討ち取った池田屋事件跡、などに行ったが、今年のメインは「禁門の変」の舞台である蛤御門であった。門には当時の銃弾の跡がそのまま残っており、臨場感抜群。ああここで長州藩が会津・薩摩連合軍に敗れたのか、と幕末に思いを馳せました。

しかし、京都で惜しいのは昔の街並みがほとんど残っていないことだ。寺は神社はしっかり保存されているのだが、街並みを保存する発想がなかったのだろう。池田屋事件の跡は居酒屋になっているし、近江屋跡は石碑のみ、パチンコ屋になってしまっていた。筆者は欧州駐在経験があるが、英国ならこれだけも素晴らしい歴史なら、街並みごとしっかり保存したろう。池田屋は1930年代まで、そのまま残っていたと言うし、京都は空襲にも遭わないで済んだのだから、余計に惜しいと思う。昔の街並みが保存されていたら、歴史観光地区としての価値は遥かに高いだろう。

昼は、宮川町花街のおどりである「京おどり」を鑑賞。美しい芸妓さん舞妓さんの踊りは良かったです。大迫力ですね。昨晩一緒に宴を楽しんだ、芸子さん舞妓さんが出演しているのも親しみがあって楽しかった。

京おどりの後は、一同で和食で昼食。ワインも入って盛り上がりました。名残惜しかったが、16時29分京都駅発の新幹線で帰京。

筆者はたったの一泊だったのですが、実に内容の濃い週末でした。桜は満開からはやや過ぎていましたが、まだまだ楽しめました。梶浦のアレンジのお蔭です。梶浦の町屋は京都に自分の家があるような、ゆったりした旅行が満喫できますね。皆さんにお勧めです。京都が長い長い歴史の宝庫であることを、今更ながら再認識しました。また近々行きたいです。

 

卒業 そして  『卒業式の思い出』 

2014 MAR 18 17:17:26 pm by 中村 順一

筆者の卒業した麻布学園

筆者の卒業した麻布学園

人生において、卒業式は4回は経験している筈なのだが、筆者の場合は2回である。大学と高校では残念ながら卒業式は無かった。高校は東京の私立の麻布なのだが、筆者が高2の時に学園紛争があり、40日以上学校自体がロックアウトされた余韻がまだ残っていた。卒業式どころではなく、職員室へ行って、卒業証書を先生から手渡された記憶がある。麻布はいい奴が多く、いい思い出が多い。先生とも仲がいいのだが、学校では何もやってくれなかったという記憶のみである。あんな自由放任のみで、生徒が良く大学へ入れるなあ、と思っていたが、今でもその校風はあまり変わっていないらしい。びっくりしたので、今でも覚えているのは、卒業証書と一緒に皆勤賞ももらったことだ。麻布は基本的には授業はサボり放題であり、1時間目が終わると、渋谷に映画を見に行き、昼過ぎに帰ってきて、5時間目と6時間目に出て、ラグビーの練習をやって帰宅、といった生活を繰り返していたので、皆勤賞にはアゼンとしたのだ。要は出席をまったく取っていないので、かなりの数の生徒に皆勤賞を渡したということだ。麻布での一番の記憶は、ともかく競馬に熱中していたことである。競馬の研究ばっかりやっていた。当時の競馬は今の競馬みたいに「家族そろって中央競馬」ではなく、地下鉄の駅の駅員や、工事現場のオジサンの専門科目だった。どうして、あそこまでのめり込んだのだろう、不思議な感じもする。ああ、これは卒業式とは関係ないですね。麻布の連中はあまり現役では大学に入れない(入らない?)、特にうちの学年は紛争ばかりやっていたので、現役受験はごく一部を除いて、ほぼ全滅。皆で、天下の名門、駿台予備校になだれこんだので、駿台が高校4年生みたいで、まったく高校の「卒業」が、人生の大きな出来事、という感じがない。

本郷で大学生活をおくっていて、さて卒業、ということになったのだが、今度も卒業式は催行されず。当時の東大はまだ東大紛争の名残があり、筆者の学年は入学式も卒業式も無かったのだ。最近の東大生は入学式で親も一緒に盛り上がるらしいが、隔世の感がある。安田講堂がまったく使えなかった時代であり、まあしょうがないか。本郷の時代は特に授業に毎日出た訳ではなく、卒業式が仮にあっても、あまり盛り上がらなかったと思う。

従って、良く覚えている卒業式の記憶は小学校のみである。何回も何回も予行演習をやったのが記憶にある。小学校6年生の時は、児童会の委員長だったので、結構プレッシャーがかかっていた覚えがある。「仰げば尊し」はなんといい歌なんだろう、とガキの分際で感激していた。結構気分も高揚していたのだ。筆者の小学校は千代田区立の番町小学校で、当時はほとんどが越境して通学する生徒ばかり、麹町中学、日比谷高校、に続く進学コースの入り口だった。東京に悪名高い「高校学校群」が導入される前で、旧制府立1中の日比谷高校が、東大リーグテーブルでぶっちぎり1位だった時代である。親も教育に熱心な人が多く、卒業式は一大儀式だった。先生も熱心だった。この卒業式だけは、自分が次のステップに進むのだ、と意識させられた僕にとっての大事件だった。

社会人になって、英国に駐在したが、英国は学校の過程終了が、Aレベル、とか、Oレベル、といった公的な試験で認定されるので、日本の様に、各学校で修了を祝う卒業式のような式典は無い。あったのは大学の学位授与の式典である。でも、日本の卒業式は1872年の明治初めの学制の施行に伴って始まり、明治10年代ごろに、現在のような形の儀式として定着した歴史を持つ。戦前からのいい歴史なのだ。あったほうがいい。若者にとって、人生の一つの区切りとなる、日本的ないい慣行だと思う。

 

 

 

ハムレットを満喫した土曜日(下北沢、本多劇場)

2014 MAR 11 13:13:43 pm by 中村 順一

本多劇場

本多劇場

先週の土曜日に下北沢の本多劇場にハムレットを見にいったのです。既に東、西室両氏が書いておりますが、すごく良かったです。

まずは井の頭線で下北沢下車。下北沢は駒場のキャンパスから近く、もっと来ていてもよさそうなものだが、ほとんど知らない町である。当時通っていた自動車免許教習所が小田急の駅からも行けたので、井の頭線からの乗り換えで使っていただけで、降りたことが極めて少ない駅なのである。そうか、駒場時代は渋谷でしか遊ばなかったんだ、当時、渋谷我が街、とか自分で言っていたのを思い出しました。僕は東横線沿線に住んでいるのだが、そもそも東京の街は自分の私鉄沿線から、違う私鉄沿線に行く機会が極めて少なくなる傾向になる構造になっている。皆、ひたすら山手線内の職場や繁華街を目指してしまうのだ。2週間ほど前、西室と小田急の祖師谷大蔵で飲んだのだが、これも東京生まれ育ちの僕が、生涯で降りたことのない駅だった。

さあほとんど20年ぶりに下北沢駅に降りてみると、一目でこれはなかなか面白そうな街だな、とすぐ分かる。スペースが少なくゴタゴタしてはいるが、雰囲気がある。駅から本多劇場へ行く道でやっていた青空市を思わずのぞいてしまった。聞けば劇場がたくさんある街だとのこと、これはどうも通の街だな、僕のようなトウシロで大丈夫だろうか、などと考えながら本多劇場に到着。東、西室、阿曾さんと合流。

本日の劇はハムレット、早速パンフレットを200円で購入、僕は映画に言っても必ずパンフレットを買うことにしている。後で思い出すのが楽しいからだ。あれ、でもストーリーが書いてないよ、と隣の東が言い出す。待てよ、考えてみれば、僕もシェークスピアの4大悲劇の一つで、舞台がデンマークのコペンハーゲン郊外のクロンボー城であることくらいしかわからない。シェークスピアの生まれ故郷のストラットフォード・アポン・エイボンには何回も行ったが、シェークスピアの劇の台本は読んだことがない。筋がわからないと困るな、と東がぶつぶつ、僕も同調。それを見て西室がバカにしだした。あれ、こいつは知っている感じだ、そういえば、僕よりは昔から文学青年だったか。パンフレットで早野さんの役がお妃のガートルードであることだけは認識。見かねた阿曾さんが、東と僕にハムレットのストーリーを解説してくれた。これが大いに助かった、劇を楽しく見ることができた。後で阿曾さんに、「先生、ありがとう」とお礼のメールを発信。

劇は良かった。セリフが多く、良くあれだけ暗記できるな、というのが第一印象。早野さんは、素晴らしい、さすがです。悪女の役を最高に演じていました。劇は演出がロシア人で、謎のロシア人も出演していた。ロシア語で、言っていることは意味不明なのだが、「東京大好き」とか「大丈夫」とか、笑いを誘う日本語も取りいれていた。最後にはほとんど全員が死んでしまい、「そしてだれもいなくなった」状態になるのだが、最後まで劇に引き込まれ、あっと言う間の3時間でした。ハムレット役が、かっこ良かった、キムタクみたいでした。でも待てよ、劇では、英国がデンマークに年貢を納めている設定になっているが、変だなー、確かクロンボー城は16世紀の建設の筈、当時デンマークがそんなに強かったわけはないのだが、とか考えたりした。

劇が終わると、下北沢の家庭的なレストランで、少し早い夕食を4人でスタート。少し遅れて早野さんも合流。レストランにはハムレットの劇に出ていた女性もいて、自分の息子と話していた。ああ、ここは劇関連の通が御用達の店なのだ、と思った。食事も美味しいし、下北沢の雰囲気を満喫できました。食事後、軽く2次会へ。帰りは、家が近い東とタクシーで一緒に帰ることに。そういえば東は前の晩、銀座で午前4時まで飲んでいた、とのことで、どう見ても寝不足。タクシーの中では爆睡でした。

天気も良く、お陰様で充実の土曜日でした。「熱演の早野さん」と「先生の阿曾さん」に多謝であります。

映画「ネブラスカ、ふたつの心をつなぐ旅」

2014 MAR 3 11:11:08 am by 中村 順一

父役のブルース・ダーンと次男役のウィル・フォーテ

父役のブルース・ダーンと次男役のウィル・フォーテ

「ネブラスカ」、すばらしい映画でした。正に現代のアメリカの家族と、保守的な中西部のアメリカの田舎が持っている現実、を切実に見事に描いている。

この映画を見に行こう、と決めたのは、アメリカ中西部の田舎を見たいと思ったからだった。ロードムービーを期待したのである。前職の国際金融という仕事の関係でアメリカには何十回も行った。特にニューヨークは中期的な滞在も含めて数えきれないぐらい出張した。残念ながらニューヨーク以外だと、出張では、やはりシカゴ、ロスアンゼルス、サンフランシスコあたりになってしまう。せいぜいアトランタ、ヒューストン、デンバーぐらいだ。アメリカの田舎を知らない。イエローストーン国立公園は、家族と一緒に夏休みのホリデーで、ゆっくり見たけれど。もっと見てみたい、行ってみたい、とずっと思っていた。

当選した懸賞金の100万$を受け取りに行く、と言う年老いた父を止められず、次男の息子はインチキと知りながら、モンタナ州の自宅から、ワイオミング州、サウスダコタ州を経由して1500キロも離れたネブラスカ州まで、車で送っていくことになる。ロードムービーとしても見ごたえがあった。中西部の田舎の風景を十分に楽しめた。でもこの映画の魅力は、やはり老父と次男の息子との心の触れ合いを温かく描写したところである。母は強く、既に夫にあきれている。長男は地方局のキャスターをしていて、父を厄介者扱いしている。

途中、父は酔って転倒し怪我をする。どうしようもないので、次男は父を目的地に行く前に、伯父の家に連れて行くことになる。そこはネブラスカ州の田舎町で、父と母の生まれ故郷だ。そこに父の怪我を聞いた母と長男も集合、伯父の一家や昔の仲間も出てきて、父や母の過去と対面していくことになる。父と次男はこの旅を通して、過去と向き合い、語り合う。なかなか話す機会もなかった2人だが、この旅で大いに心を通じ合わせるのだ。そして最後には次男は父の願いを実現させる。泣かせるラストシーンなのだ。

中西部は保守的な場所だ。次男の愛車は10年以上乗っているスバルだが、伯父の息子たちは不景気な田舎町で失業中でいらいらしており、「お前、そんなジャップの車に乗ってるのか」とも詰ってくる。でも次男はこのスバルを愛しているのだ。

監督はネブラスカ州生まれのアレクサンダー・ペイン。心温まる作品を見事に作り上げた。さすがヒューマン・ドラマの名手である。この作品は今年のアカデミー賞候補になっている。モノクロで描くアメリカ中西部の田舎町、老いた父のボケぶり、次男の父を見つめる目に満ちている愛情、見ごたえがあった。筆者の父は10年以上前に他界しているが、「ああ、僕もあの次男みたいにもっと親父と話せれば良かった。どうして話せなかったのだろう」とか、「待てよ、今の筆者の息子とも、今後この親子のように話す機会は作っていけるだろうか」、とか、いろいろとしんみりと考えさせられた映画でした。現在上映中です。お勧めできます。

スポーツを科学の目で見る(ソチ五輪閉幕)

2014 FEB 24 16:16:20 pm by 中村 順一

早いもので、アッという間にソチ五輪も閉幕してしまった。日本選手団もメダルは8個で長野に続く好成績とマスコミは騒ぐが、筆者には不満である。金メダルが羽生の1個だけだからである。

今回、個々の選手は凄く頑張ったと思う。羽生は天才ぶりを十分に発揮、チャンを寄せ付けずの金だった。真央ちゃんのショートプログラムは残念だったが、日本じゅうが息をのんで見守ったフリーは感激的だった。もしフリーで失敗したら、真央ちゃんのこれからの人生が、後悔の思い出で暗くなる、それではあまりに可哀そう、と思い、怖くて見ていられないくらいだったが、演技は素晴らしかった。鬼気迫るものがあった。この演技の成功は、今後の彼女の人生に大きな支えとなるだろう。本当に良かった。真央は8年前のトリノ五輪に出させてやりたかった。年齢制限で出れなかったのだが、あの時出ていればもっと無邪気に、はつらつと滑れたのでは。ちょっと長い間国民の期待を背負いすぎた。疲れて当然である。葛西も執念の銀だった。もう少しで金だったので残念だが、ひざを痛めている中でジャンプは完璧だった。沙羅ちゃんと上村愛子は4位。惜しかった。特に沙羅は大本命だっただけに悔やまれる。これからも彼女の競技人生は続くのだろうが、ここでメダルを取れなかったことが、トラウマにならなければ良いが。

結構多彩な顔ぶれが活躍した。スノーボード男子ハーフパイプの平野、女子パラレル大回転の竹内、は金も取れるか、という勢いだった。ノルディックスキー複合の渡部も、もう少しだった。フリースタイルスキー女子ハーフパイプの小野塚も立派だった。日本選手にとって新しい分野でのメダル獲得は、今後の競技の普及に大きな力となるだろう。

でも金は一個だけだったのである。特にスピードスケートは惨敗だった。2大会ぶりのメダルゼロである。週末は、筆者が期待した女子団体パシュートをじっくりと観戦し応援したが、まったく歯が立たず4位。前回のバンクーバーではあわや金と思わせ、タッチの僅差で銀だったのだが。準決勝を実質捨てて3位決定戦に賭けたのにロシアに大差の敗戦。日本チームは3人の連携プレーもバラバラで、筆者の目にも準備不足が感じられた。

もっとオリンピックに勝つための、国家を挙げての準備が必要なのである。オリンピックでの日本選手の活躍は、日本全体が盛り上がる非常にいい機会になるのだから。今のままではいくら個人の選手が頑張っても、外国の選手と張り合うのはなかなか難しくなるだろう。スピードスケートで、まるで精密機械のようなオランダ選手の滑りを見ていて、危機感を覚えたのは筆者だけではないだろう。

週末に、東京五輪へ向けての選手強化策として、スポーツ競技団体の負担を実質ゼロにして、全額国の負担にする方針が伝えられた。当然の策である。海外の国に比べて日本のスポーツ予算は極端に少ないのだから。東京五輪競技大会準備委員会の竹田恒和によれば、2020年の東京五輪では日本は25~30個の金メダルを目指すそうだ。このソチ五輪の日本選手の活躍と、にもかかわらずの、惜しい敗北、惨敗を教訓にして対策をたてていく必要がある。

ソチ五輪で日本選手、本当にご苦労様でした。感動をありがとうございました。

 

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