Sonar Members Club No.27

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劇詩劇 「死詩の詞(ししのし)」 加藤道夫へのオマージュ

2018 MAY 5 14:14:40 pm by 阿曾 靖子

 お久しぶりです。皆様のご様子何よりです。私も元気に過ごしております。
 早速ですが5月25日から27日まで、両国の「シアターX」で、新新演劇研究所による上記タイトル作品にSMCメンバーで俳優座所属の 早野ゆかりさんが出演します。
 戦前、加藤道夫という劇詩人が芥川比呂志らと新演劇研究会をたち上げ(後に文学座入座)、「なよたけ」「襤褸(ぼろ)と宝石」(俳優座上演時は千田是也演出)など、数々の作品、名舞台を創りました。劇作や戯曲翻訳から演出まで手掛ける多才な演劇人ですが、戦後1953年に自殺してしまいました。訃報を聞いた三島由紀夫は加藤邸に駆けつけたそうです。
 
 新演劇研究会とは、主催者・山本健翔さんが、加藤道夫さんを敬愛していらっしゃる為、そのように命名されました。
 内容は今年が加藤道夫生誕100年という事で、その演劇人生、出征を通じての苦悩と愛、友情などが描かれています。あの国民的大女優・加藤治子さんの御主人でもありました。
 早野さんは加藤さんが愛した蔵書の登場人物、執筆した戯曲のヒロイン、妻・加藤治子さん等を演じて歌も歌います。
 ジャン・ジロドゥ「オンディーヌ」、折口伸夫「死者の書」といった愛蔵書を知れば知るほど、加藤道夫が名作「なよたけ」を生む核のようなもの、そして共鳴する深い心をを感じずにはいられません。 
 お時間が許せば、ぜひ観劇をお勧めさせていただきます。

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節分の日

2016 FEB 10 12:12:40 pm by 阿曾 靖子

 皆様、節分の日はどうお過ごしでしたでしょう。勢ぞろい

 節分の翌日発売された週刊新潮(2月11日号)のグラビアで『悪質客引き撲滅』のキャンペーンに着物のお姉さん方が大勢写っている中に私がいたことに気が付いた方はいらっしゃいますか。
 1月27日午後6時頃からこのイベントに真面目に参加しておりました。グラビアは白黒だったのですがこの煉瓦色の着物だったのです。

 TBSのニュースアイの記事の表紙にもなっていました。

寒かった

 初めに中央区長様、警視庁様、GSK銀座社交料飲協会会長様のご挨拶を頂き、並木通りを七丁目から八丁目まで十五分くらいかけてトコトコ行きました。
 あれだけの人数ですとまるで着物の洪水の様で、歩道を歩いていらっしゃる方は皆様「何が起こったの」状態。
 せっかくですのでスタッフが撮ってくれた立ち姿ももう一枚。寒かったです。

 

「アルジャーノンに花束を」ダニエル・キイス 1990年上演舞台と「オンディーヌ」

2014 JUL 13 2:02:06 am by 阿曾 靖子

先月6月14日、米国の作家ダニエル・キイスが亡くなりました。
彼の名を一躍有名にしヒューゴ賞に輝いたこの作品を知ったのは
劇団昴 上演作品としてでした。(「文学座」から有志による「劇団雲」が生まれ
それが「劇団円」と「昴」に分かれた経緯があります)
1900年 千石の3百人劇場にて、主役は牛山茂。こちらのあらすじ
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n265/n265_04-01.html
またはWikiでも概要がありますが
このチャーリーという純粋で心優しい精神遅滞の大人、(のちに天才に
進化してしまう)主役は、作品の完成度の高さと衝撃度と共に
いわゆる「役者(男優)が演じてみたい役のベスト20」に入ると直感しました。
ストレートプレイでの上演は残念ながら最近あまり無いようですが、今年ミュージカルとして商業演劇ベースで秋に再演されるようです。
原作、映画、ストレートプレイ、ミュージカルと媒体が違うと、当然「別物」として味わうようにしていますが、「素材の優れた名作」としてお好みのもので機会があれば触れていただきたいです。

それからラヴェル「夜のガスパール」の項で、東さんが「オンディーヌ」に触れておられましたし、ジャン・ジロドゥの至宝の傑作、演じて見たい役(女優編)というカテゴリにも入るかなと思いますのでhttp://www2.tbb.t-com.ne.jp/meisakudrama/meisakudrama/ondinu.html
の詳細なあらすじもお薦めします。
これはまさに、劇団四季の記念碑的な作品でもあり、1981年版は、オンディーヌ、三田和代、ハンスは山口雄一郎。(初演は北大路欣也!日生劇場で大ヒットしたとか)
3度の水の精の呼び声に約束通り記憶を消されてしまったオンディーヌが、最愛の人の亡骸にそれとは気づかず、「なんて美しい人・・・。生きていれば、きっと好きになったでしょうに。」
という最後の台詞、透明感溢れる三田さんの声が今も耳に残っています。

八重垣神社 鏡の池の縁占い(出雲Ⅱ)

2014 JUN 22 3:03:51 am by 阿曾 靖子

出雲大社に行くなら、「縁には強い力がある八重垣神社にも参拝を」と、ご実家が神社関係の知人からSMCの柳井英里さんと私にご助言を頂き、前日鳥取で乗ったタクシーの方からも「奥の院の池の占いは・・」とさわりだけを聞いていましたが、帰京後に旅の情報誌などでもかなり取り上げられている事を知りました。
ご祭神はスサノオノミコトとイナタヒメノミコト。ヤマタノオロチ退治の際に、佐久左女の森の大杉を中心に八重垣を作って姫を隠し、退治の後に、この地で新婚生活を始めたという故事にちなんでいます。
この地から10キロの「須我神社」に夫婦は日本初の宮を造り、そこで詠まれた
三十一文字の歌が「八雲たつ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」で
和歌発祥の地といわれているそうです。まさに出雲の国名の起源ですが今回そちらには
残念ながら行けていません。048_R052_R
大鳥居の正面と境内に、2本の椿が地上で1本になった3本の夫婦椿があり
「連理玉椿」「乙女椿」「子宝椿」と言われていて、さらに年によって葉が2枚に分かれることもありまるでハート型のようだとか。
拝殿で参拝したあと、勝手が解らずとりあえずどんどん奥の院の方へ向かってしまいましたが実はまず社務所の神札授与所で、縁占いの用紙を購入しなくてはいけなかったんです。結局戻ってまず薄く白い占いの和紙を求めます。すでになにやら文字が書いてあるのが解りますが・・宮橋を渡り稲田姫命(イナタヒメノミコト)が水を飲み姿を映した鏡の池へ。
脇にある天鏡神社へお参りして、看板を見ると和紙を浮かべて硬貨10円か100円を中心に置き15分以内に沈め縁は早く、岸から近いと身近な人と縁があり遠いと離れた所に縁ありとか。つまり縁に至る時間と距離を占うようです。
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小雨の中ドキドキ乙女2名で「明日まで浮いてたりしてー」なんて言いながら和紙をうかべると、すぐに占いの文字が浮かび上がってきました。柳井さんはすぐにその上に硬貨を置き、私も見習ってそおっとおいたところ、彼女の方は約10秒でめでたく池底へ。
私のほうは・・・・う~ん、やはりしっかり粘ってましたねー。でもなんとか雨に助けられて3、4分?、で微妙な距離で無事に沈みました(苦笑)池のイモリが横切ったり、引っ張ってくれると大ラッキーだそうです。
住宅街の中に突然現れたような雰囲気の場所でしたが、確かに参拝者は多く、当然奥の院は女子率9割といった感じでしょうか。
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前日は米子の皆生温泉泊で、このあと前回投稿の出雲大社に向かったという行程です。
次回は前日の鳥取~米子紀行をレポートします。

念願の出雲大社へ  (出雲Ⅰ)

2014 JUN 15 4:04:18 am by 阿曾 靖子

数年前から思いがつのりつつ、でも実現までに2年かかった「出雲大社への参拝」が
ようやく実現しました。
風水気学による時期と現地のアテンド、さらに同行者がこの2ヶ月で急に整い
さらにまた偶然にも今月のテーマは「出雲」。まさに「機が熟した」という感覚でした。
写真を沢山撮ったのですが、PCを買い替えたばかりで画像ソフトに手間取り
今のところ小さい用量のものしか載せられませんが、これは宇迦橋の大鳥居「一の鳥居」胸が高鳴り始めたのを記憶しています。
大社には材質の異なる大小4つの鳥居があり、すべてをくぐって参拝することは
「四逢わせ」(しあわせ)後利益が増すそうです。
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「二の鳥居」木造、正面正門をくぐり祓社をお参りし、ここは中島さんのブログのお写真で拝見しましたね。
そして鉄製の「三の鳥居」を過ぎて長く広い松の参道で、なぜか急に不思議な温かく強い気を感じて感涙してしまいました。
右に現れたのが出雲風土記「高層建築」追体験事業で吉栗山から300名で運ばれた御柱です。(上の写真)
御本殿の高さは平安時代には48mとの記録が貴族の教科書「口遊」に記されていて、出雲古代歴史博物館に十分の一の模型があるそうです。
「四の鳥居」は「荒垣」の正面入り口になり、神域を邪気から守る青銅の鳥居で日本最古、
重要文化財です。そして拝殿078
その奥に瑞垣と玉垣に囲まれた後本殿。実は今回特別なご縁があって「正式参拝」をさせていただきました。
白い羽織をきせていただき、手を清めたあと八足門から中へ、そこでまた神主さまから祓いをしていただき
楼門前に設えられた玉串案に願いと祈りを込めて玉串をささげます。
そしてご案内いただいた神官の方に、式年遷宮のいわれや実際の修理の部分をご説明いただき、なぜ伊勢神宮が20年で大社は60年なのかとか、屋根を中心にどの部分をどのように修理してゆくのか等質問の嵐でした。大社は国宝なので全面建替えではなく屋根はすべてですが細部は部分的に修理、補強されている所をいくつかご説明いただけました。
現在大社の屋根の檜皮は当然日本製ですが、すでに別の寺社では国内の材だけでは間に合わず・・といった所もあり「平成の大遷宮」も御本殿だけで5年、摂社、末社はまだ来年までかかりまさに「10年がかりの事業」伝統の継承を配慮しても60年というのは納得です。
御本殿は横と後ろしか撮影できませんが、この大社造りという日本最古の建築様式は背後に出雲山をいただき、その骨太の美しさと包容力には、かつてない最も強いインパクトを受けました。
もちろん最後に見た神楽殿の大注連縄長さ13・5m太さ8m、4・4tも圧巻でしたが。
「出雲」雲いずる、「八雲」八というのは多いという意味で、本当にいつも雲がかかっていて湿度も高いので肌には最高の環境、紫外線もその分遮られ「美肌の産地」というエピソードまで伺えました。
実はこの日、もう一つ重要なパワースポットを訪れる事ができたんです。
山陰滞在30時間の旅の最後からお伝えしてしまいましたので、また次回にアップします。

「ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン」インカの黄金伝説と共に

2014 MAY 18 5:05:34 am by 阿曾 靖子

今月のテーマ「黄金」で記憶が蘇りました。

「ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン」

私にとって忘れ得ぬ衝撃を受けた名舞台ベスト3に入る名作です。
1985年パルコ劇場 にて
ピーター・シェーファー作 テレンス・ナップ演出
伊丹十三翻訳 山崎勉 主演

太陽を父とする帝国2400万人を従えるインカの王と
粗野な成り上がりスペイン将軍のピサロ
ならずもの167人でその太陽を生け捕りにしてしまうという
インカ帝国征服を主軸にした作品なのですが
作者のピーターシェーファーは「エクウス」「アマデウス」「ブラック・コメディ」等
20世紀のシェークスピアと賞され、私の観劇体験の中でも
この劇作家は突出しています。

巨大な日輪と縁取る花弁が印象的な装置の中で
驚きは当時まだ「演劇集団 円」の研究生だった
渡辺謙の鮮烈なデビューの存在感でした。
「アマデウス」におけるモーツアルトとサリエリのごとく、
この芝居では山崎勉と渡辺謙の対立する二人の主人公の
葛藤の上に構築されているのですが、このインカ帝国の王
アタウアルパのスケール感に、名優山崎勉も食われてしまう程の
名演でした。(事実そういう「役」でもあるのですが)
王の自由を得る為に、民が2ヶ月をかけて国中の黄金を運び込み
巨大な部屋を埋め尽くすという場面を今月のテーマ「黄金」で
懐かしく思い出してしまった訳です。
(長さが22フィート、幅が7フィート、黄金は高さ9フィートの
しるしまで積まれることになった、とあります)

ベスト3に入るもう一つの「アマデウス」は
サンシャイン劇場にて、確かこちらは1982年の日本初演時
あるいは翌年の最初の再演時、
(この作品は1979年にトニー賞を受賞しています)
主演の二人は松本幸四郎と江守徹でした。
終演後、確実に観客が衝撃で静まり返った様に感じたこの時の
感覚は、芝居にかかわる者として幸せと絶望感が
入り混じったような忘れ得ぬ体験でした。

演劇の悲しさー 名作名演の数々が「生もの」ですので
ご紹介していても悔しさがありますが
優れた作家の作品はまたどこかで上演されるかもしれませんので
ぜひ機会があれば見ていただきたいです。

伊丹十三訳のこの作品「ザ・ロイヤル・・」のあとがきに
「・・・・このような文化的、パラダイム間の葛藤は、実は手品の仕掛けに過ぎず
シェーファーはこの仕掛け使って、より深く、より根源的な、
人間そのものに根ざす対立へと観客を導いてゆく。
愛と憎しみ、希望と絶望、信頼と裏切り、純粋と打算、崇高と汚辱
祈りと呪い、偉大と矮小、純真と卑劣、許しと拒絶、連帯と孤独、等の
対立を、グロテスクな事件の連鎖のうちに綯いまぜて、
シェーファーは胸の詰まるようなやり方で、人間という不可解な縄をあざなって
ゆくのである。」と評しています。

劇書房ベストプレイシリーズ等、翻訳劇の戯曲として
作品に触れることは可能です。

2014 桜花爛漫の京都で・・・

2014 APR 14 5:05:20 am by 阿曾 靖子

先週の土曜日、私と黒田さんは午後3時8分に京都駅に着き
タクシーに飛び乗り、清水寺の門扉へ。
普通は五条坂、清水通を行くので「茶わん坂」を上がるのは
初めてでしたが、進まないタクシーを降りて二人でようやく皆様と合流
(ちなみに坂の下にある大谷廟は母方祖父母の菩提寺です。)

清水さんはおそらく5回くらい訪れていますが、ご住職のご案内で
非公開の行程はまさに一生ものの思い出です。
大講堂の中央棟・多宝閣には「仏足石」といって4メートルの
大仏足跡が大理石に彫られているのですが、15メートルの高さから
蓮の花ひらを模った色紙を4枚、祈りと願いを込めてはらはらと撒く瞬間が
とても記憶に残っていて、まるで仏像の体内にいるようで・・
都の時の流れに「帰ってきたなと」実感した瞬間でした。

成就院の「月の庭」、縁側から見る風情ももちろん
室内から望んでもまた別格の優雅さでした。
視線を数センチ変えるだけで、見事に変化してゆき
借景の山々との調和が楽しめます。

それから「しげ森」での宮川町初体験。
5花街では祇園のお座敷に一度上がった事がありましたが
まず、御家が新しいですしお座敷遊びは今回が初めてで
大興奮、笑わせていただきました。
もちろん「小ふく」さん「ふく苗」さん、文句なしの技芸です。

2次会の閑臥庵のバーは、あまり人に教えたくない程の風情で
「普茶料理」を出すお座敷も昼夜を問わず、庭を望めて
お酒が進みそうです。

翌日は町屋でデリバリーモーニング。
岡持ちで出てきた(まさに楽屋ご飯です)サンドイッチが
美味で、歌舞伎役者後用達の喫茶店とは・・納得です。

金戒光明寺では山門、御影堂の堂々たる風情と桜の
彩り、ここは紅葉時も必見と感じました。
広大な敷地に18もの塔頭寺院、会津藩1千名の本陣
だったんですね。。
御所の蛤御門には激戦の後の銃弾穴がはっきりと残っていました。
このあたりは祖父母の家に近いので、幼少期の思い出が一気に
思い出されて胸が一杯でした。

祇園芸妓による「都をどり」は4度体験していますが5花街には
それぞれの技芸公演があり、宮川町は「京おどり」
これは初めてでした。
まず、舞台の箱(キャパ)が大きく違います。
これはそれぞれに1長1短があり、ぜひ機会があればどちらも見ていただきたいです。
おどりの本質は、それぞれ「井上流」「若柳流」で前者は、能楽系、地唄舞の流れですし
後者は動きに「しな」や「艶」をより感じさせ、日舞もまた流派によって
の違いを再確認できました。
(自身の履修は桐朋時代に花柳流でしたが、そういえば名取まで進んだ叔母と従姉妹、
母も若柳流でした)

打ち上げの昼食のお店でいただいたお豆腐がとても美味しくて・・
南禅寺の湯豆腐ももちろんお勧めですが。
大阪のおうどんのように、京都の豆製品にはずれはありません。

懐かしさと新たな発見に満ちた1日半、
貴重な前半の行程に参加できなかったのは本当に残念でしたので
次回はなんとか早めに参加したいです。

梶浦さんはじめ皆様にあらためて感謝の旅でした。

シェイクスピア作品の魅力

2014 JAN 26 2:02:03 am by 阿曾 靖子

いまさら・・ですが
17世紀の英国の劇作家であるシェイクスピアの戯曲は
世界中の多くの国に翻訳され、上演され続けているという点で
まさにゆるぎない地位を確立し続けています。
もちろん世界的に上演されている人気古典作家も数名浮かびますが
翻訳者の数、上演形態も無限の可能性があり
「翻案」といいますが場所を他国にしたり、時代を現代にしたり
「映画」は当然ながら、「狂言、歌舞伎」にまで原作として登場する
マルチプレーヤーぶりです。
日本だけでも黒澤明「乱」、蜷川マクベス、野村万斎・・等等
作品の持つ強い魅力が、他ジャンルのアーティストを触発しつづけて
いるからだと思います。

「百万人の心を持つ」といわれる多種多様な登場人物の優れた台詞は
脇役からさらに新しい作品がこれも世界中で生まれていますし。

小田島先生の授業以前にも、「アンソニーとクレオパトラ」を偶然高校生の頃
大阪で見ていましたが、(このときのクレオパトラは栗原小巻さんでした)
以降は、「リア王」「ロミオとジュリエット」「マクベス」「ハムレット」
「真夏の夜の夢」「リチャード三世」「12夜」「テンペスト」「じゃじゃ馬ならし」
「恋の骨折り損」「ヴェニスの商人」「お気に召すまま」「空騒ぎ」
上演劇団も俳優座、文学座、円、青年座、東演、シェイクスピアカンパニー、さらに東宝やその他劇場企画など同じ作品を様々な場所と形態とキャストで観劇しました。
出演作は「真夏の夜の夢」(レ・キャンズ)ですが、なぜかご縁がある作品で
桐朋の専攻科時代の卒業公演もこれでした。

歌舞伎もそうですが、まさに「演出家と役者」が試されるお芝居でもあり
だから面白さが増す訳です。

一昨年早野さん出演の「ハムレット」を見て、このロシアの演出家から感じられる
不思議な風土感が交じり合い、独特の空気をかもし出していると感じました。
いわゆる「4大悲劇」といわれるシェイクスピア後期の円熟期
世界中で上演回数もトップスリーの作品です。

今回も楽しみに伺いますね!

聖夜に「新橋芸者」?

2013 DEC 30 6:06:56 am by 阿曾 靖子

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今月のまさに「13日の金曜日」。某イベントの特別企画の為

人生で2度目の芸者の正装をする事になってしまいました。

メイクも着付けも、これは京風「ではなくまさに新橋「東をどり」の出で立ちです。

裾を曳くと動きにくいので、わざと帯に挟み込んでいただいた独特の着付けは今回が初めてでしたが、赤い蹴出しや帯の下に巻く2mの長さの帯揚げ、懐紙を挟む織物等、赤い帯枕も独特ですし・・身につけて見て判るこれも一つの「文化体験」です。

所属している劇団の演目によっては、鬘や白塗りは日常的ですが

洋物や現代劇が多かったので実際の舞台では未経験でした。

演劇科時代に日舞、三味線を2年だけですが(仕舞、謡、狂言は4年)

茶道は母の師に習うべく中学時代に大阪から西陣まで通っていたので

こんな時多少は役に立った気がします。

ただやはり・・・当然というか、この衣装を身に着けると何か血がざわざわして「舞ったり、唸ったり、演じたくなりました。(笑)

芸妓の出で立ちの中にも、東西文化の感性の違いがくっきりと

通常の和装もそうですが、色彩、文様、帯の結び方、頭の結い上げ方、化粧、舞、三味線の演目等等、

やはり「京の雅」に「江戸の粋」ですね。

 

 

 

 

 

 

 

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