Soner Menbers Club No43

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リフォーム工事完了

2018 OCT 14 18:18:09 pm by 吉田 康子

3か月に渡った自宅リフォームが完成しました。ほぼ毎日防音室に通っていたので、日々の進捗が手に取るように見えました。

大工さんが柱や壁、床、耐震補強、断熱材など家の構造に関わる部分から着手し、次いで階段、玄関の靴箱やクローゼットなどを作り終えるまでが全行程の3分の2くらいを要しました。今年の夏は特別の酷暑で年配の棟梁には気の毒な程でしたが、コツコツと丁寧な仕事をして下さいました。「一生懸命やっていると何だか自分の家を作っているような気持になる」という言葉が印象的でした。家の前に山と積み上げられた木材が柱や壁材になって家に収まっていく様子はパズルのピースのよう。そのあとキッチンやお風呂など設備が入るのと並行してボードを貼り、クロス屋さんに引き継がれました。家中の天井や壁紙、床のクッション材を貼っていくのは、お化粧をしている感じです。壁や天井が白くなると一気に明るくなりました。その後に電気工事、エアコン取り付け、最後にトイレと洗面台が入って水が使えるようになりました。仕上げにハウスクリーニングが入ると養生シートに覆われていた床材や設備が現れて、まさに「新築そっくりさん」に。昨日今日と「現地見学会」をして、モデルハウスとして公開しました。訪れた方々は新築さながらの仕上がりに一様に感心した様子でした。夕方見学会を終えて鍵を受け取ってようやく工事完成の実感が沸きました。

今回担当して下さった方は、建築士でもあるのでご自身で図面を作成し、色々なプランを提示してくれました。今まで沢山の現場を手掛けてきたのでしょう、的確なアドバイスはとても心強いものでした。階段の勾配を緩くしたり、間取り変更や空きスペースの有効利用、水道栓の位置に至るまで以前の生活に基づいたきめ細かな配慮を頂きました。どんな小さな事でもきちんと対応して下さる姿勢は大きな信頼に。やはり最後は「人」ですね。引っ越し、仮住まい探しからエアコン移動に至るまでの連携も滞り無く運びました。ご縁あっての今回のリフォーム工事はピッタリ予定通りに完了しました。明日、仮住まいからの引っ越しです。
     

新築そっくりさん

2018 AUG 17 19:19:07 pm by 吉田 康子

これ、リフォーム工事の名前です。以前、広告でこのネーミングを見た時は冗談かと思いました。でも一度見たら忘れないという点ではなかなかスゴイと改めて思います。

我が家は築25年になる小さな戸建てですが、経年劣化とでもいうのでしょうか、古さを感じ始めていました。数年前に浴室や洗面台を取り替えたものの今一つの感じで、次はキッチンを思っていました。やはり水回りが気になるものです。ショールーム見学をしたりリフォーム相談をしているうちに話はとんとん拍子に進み、ピアノのある防音室と外壁を残して内側を全て作り変えるという工期3か月の大々的なリフォームに。まぁ担当者に上手く乗せられたのかもしれませんが、「やるなら今でしょ」という機運に乗ってしまおうというイケイケの感じもありました。

住みながらの改築は出来ないので、3か月だけの短期仮住まい用のマンションに引っ越し。家財の半分は保管庫に、残りの半分を仮住まいに運搬という大ごとに。長年住み続けていると何かと物が増えるものです。ライヴ・イマジンの本番が終わってから一週間ほど、実際には正味3日で荷造りをしました。断捨離なんて言っている暇も無く、とにかく運び出して貰えるように梱包するだけで精一杯、引っ越し当日の早朝に最後に残った自分の荷物を全て段ボール箱に詰め込んで何とか準備完了というギリギリセーフ状態でした。

自宅から車で10分かからない近所のマンションなので生活圏は同じですが、ピアノが無いので毎日自分の練習とレッスンに通っています。家の中は床や壁を取り壊して大々的に工事中ですが、防音室に入れば今迄通り。電気、電話、インターネットは継続しているものの水が使えないのは不便ですが、贅沢を言ってられません。楽譜の他にお弁当や水筒、おやつまで持参して通う毎日は夏期講習にでも通っている気分。9月の始めから次回公演の合奏が始まるので、今は準備と練習に追われています。工事完了は10月半ば、本番1ヶ月前の予定です。
 

ライヴ・イマジン40のご案内

2018 JUN 16 23:23:45 pm by 吉田 康子


早いものでライヴ・イマジンは15年目、40回目の公演になります。奇しくも七夕の日に一番親しみのある会場である「すみだトリフォニーの小ホール」でお祝い出来るなんて、なんだか素敵な演奏が出来そう♪と考えるのは楽観的でしょうか・・・
折角の節目なので明るく親しみやすい名曲を、と大切にしてきたシューマンのピアノ五重奏を再び。そしてシューベルト晩年の2つの歌曲で彩りを添え、幸せに満ちたジークフリート牧歌を田崎先生の指揮で、という思い入れのあるプログラムになりました。ご案内チラシも色とりどりで華やかに仕上げました。

シューマン  ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44
シューベルト 歌曲 流れの上で D.943、  歌曲 岩の上の羊飼い D.965
ワーグナー  ジークフリート牧歌 (指揮:田崎 瑞博)

ソプラノ 鷹尾伏 紘子 フルート 大門 一夫 
オーボエ 野原 国弘 クラリネット 佐藤 健 、藤崎 香奈子
ファゴット 奥山 薫  ホルン 池田 真 、宮澤 久美子 
トランペット 奥山 宏 ヴァイオリン 玉城 晃子、 青山 千裕
ヴィオラ 須藤 麗子 チェロ   西村 淳
コントラバス 北村 隆男  ピアノ 吉田 康子

お問い合わせ  liveimagine@yahoo.co.jp

残念な楽譜

2018 MAY 25 10:10:37 am by 吉田 康子

最近残念だったもの・・・それはショーソン作曲「コンセール」のサラベール版の楽譜です。

ピアノとヴァイオリンと弦楽四重奏の為の、と副題があるOp.21の曲。
これは2007年に旧奏楽堂でのライヴ・イマジンで取り上げたことがあります。第2楽章のシチリアーノはNHK-FM音楽番組のテーマ曲にも使われたことがあるので、耳にしたことがある方も多いかもしれません。どの楽章もドラマチックでくぐもった美しさがあって、ぞっこん惚れ込んで練習を始めました。いやはやピアノの音が多すぎ!という感じ。しかも増6度とか増3度とか馴染みの薄い和音のアルペジオで譜読みに苦労しました。
    
当時はインターナショナル版しかセット楽譜が売っていなかったので、それを購入して使いました。そして図書館でフランスのサラベール版をコピー。比べてみると中身はほぼ同じでしたが、やはりフランスのサラベール版は、少し大きめサイズで表紙の文字からして雰囲気がありました。当時共演したヴァイオリニストが発注していましたが、結局は到着が本番に間に合いませんでした。
下の画像の左がインターナショナル版、右がサラベール版です。
  

もし機会があれば今度は是非サラベール版でと思っていました。ライヴ・イマジン41で演奏出来ることになったので早めに発注。値段を見てビックリ!インターナショナル版は全パートのセット譜¥7650に対して、サラベール版は何と弦楽器のパート譜セットだけで¥6170、別売りのスコアを兼ねたピアノ譜は¥8240もしました。全部買えば倍額近くになります。とりあえずピアノ譜だけ発注しましたが、ゆうに2か月を要してようやく届いたのが、これです。

 
何これ?!と思わず呟いたほどでした。間違った楽譜を頼んだかと焦りました。コピー譜を綴じたかのようなリング式で間に合わせのような装丁。しかも実際はA4より小さめサイズ。何でこんなに変わってしまったのか?図書館にあった昔の装丁の楽譜を想像して楽しみにしていたのに、子供のスケッチブックのようなもので¥8240は、ぼったくりでしょう?!なんか騙された気分でした。

細かい音が多い曲だけにこのままでは書き込みも出来ず使い物にならない・・と思案した挙句、拡大してB4版にと思い立ちました。先日キンコースに行ってクリーム色の紙を指定して両面印刷、表紙には透明なカバー、裏表紙には紙と同じクリーム色の台紙にしてリング式で仕立て直したら見違えるように。こちらの方が余程綺麗で見やすいです。
下の画像は、上から以前使ったインターナショナル版(ペヌティエとパスキエのサインも)、今回取り寄せたサラベール版、拡大してB4版にしたもの。
 
まぁこれも通販ですから、実物を見ないで買うというのはこういう事かもしれません。そういえば楽譜店のサイトにも画像が載っていなかった事に今更ながら気づきました。

改めてサラベール版について検索してみると「ドビュッシーやラヴェル、サン=サーンスの作品を出版しているデュラン社は1869年、サラベール社は1894年の創立ですが、現在では独立経営が難しくなったため1907年創設のエシック社と組んで共同経営する形をとっています。出版社が合併・統合を繰り返し次第にそれぞれが持っていた個性を失って行くのはなんとなく寂しい気はしますが、これも時代の流れの中ではやむを得ないことなのでしょう。」という記述があって共感。

学生時代には、ショパンのコルトー版といえばサラベール社から出版されている水色の高価な楽譜でした。ポーランドのパデレフスキー版が¥2000くらいだった時にコルトー版は¥6000くらいしていましたが今では全音からライセンス版が出ています。装丁や紙の質が悪かったパデレフスキー版は、すぐにページがバラバラになってしまっていましたが、これも下の画像の通り今では日本語解説が付いた何の変哲もない国内版になっています。

今では楽譜を売っている店が減り、ネット取り寄せや気に入った1曲だけをダウンロードできるサービスもあり、隔世の感があります。


上の画像は中古で買ったフランスの楽譜で廃版のものばかりですが、表紙の絵や文字に個性が感じられて味わいがあります。懐古趣味ではありませんが、私は旧いものの方に心惹かれます。効率だけを求めて合理化したものも必要でしょうけれど、こういう趣味のものにはそれぞれが持つ味わいを残して欲しいです。
    

ピカチュウ、ゲット!

2018 MAY 11 21:21:25 pm by 吉田 康子

「ポケモンGO」にハマっています。
ご存知の通り「ポケモンGO」は2016年にスマホ向けのゲームとして無料配信され、世界中で社会現象とまで言われた大ブームを巻き起こしました。位置情報と連動して現実世界そのものを舞台にして仮想のポケモンを捕まえるゲームは、幅広い年齢層に受け入れられました。もちろん私も2年前の配信初日にダウンロードして以来のファンです。
 

ポケモンは、架空の生き物「ポケットモンスター」の略称。題の「ピカチュウ」は、上の写真の通り一番人気の電気タイプの黄色いネズミの名前です。ポケモンはもともと1996年に発売された携帯用ゲーム機「ゲームボーイ」のソフト。収集、育成、交換、対戦の要素があって当時の小学生くらいの子供達に男女を問わず絶大な人気がありました。TVアニメや映画にもなり、当時の子供達は151匹いたポケモンの名前を覚える歌を毎日口ずさみ、文庫本サイズのポケモン図鑑や交換用通信ケーブル、お菓子のオマケのポケモン人形がお宝でした。

それが20年後に「Pokémon GO」として、こんな形で戻って来るとは!
「画面に現れたポケモンにボールをぶつけて捕まえる」という単純さで誰もが解りやすく、自分のペースで遊べる点が受け入れられたのだと思います。通常ゲームはモニターの中での室内遊びでしたが、これはスマホを手にポケモンを捜しに外に出て色々に場所に出かけて行くという点が新鮮でした。やはりGPSの発展した今ならではのものです。

街中あちこちにある「ポケストップ」で道具を手に入れ、出て来たポケモンを捕まえます。ポケモンは1匹ずつ身長や体重、強さや技など事細かに設定されていて感心してしまいます。SNSも行き届いたせいか珍しいポケモンが出る場所の情報がいち早く拡散して一気に大勢の人々が集まるという現象も。単純なだけに時間が経つにつれて若年層は飽きてしまったようです。現在まで続けている人達の中では40代以上の年齢層が大きな割合を占めるせいか「貧乏で暇な年寄のゲーム」だと揶揄されたりもしました。

それで終わってしまわないのが凄いところで、様々な形で「バトル」という対戦要素を盛り込み、離れかけていたファン層を一気に引き戻しました。時間限定で強力なポケモンに皆で立ち向かう「レイドバトル」やジムを守っているポケモンと戦う「ジムバトル」があり、最近では天気に連動する機能や毎月一回特定のポケモンが出現する日など次々とイベントを繰り出して飽きさせない工夫はさすがです。また強いポケモンを捕る時の技や各ポケモンの個体値測定アプリなど、オタク心をくすぐるウンチクの余地もあります。

この集客力に目をつけたのか、日本橋の老舗デパート「高島屋」がブランドショップを改修してポケモンセンターにして大盛況だとか。また昨年11月の鳥取砂丘でのポケモンイベントには8万7千人が訪れて砂丘までのシャトルバスが3時間待ちだったとニュースで見ました。私は、昨年夏の横浜のイベントに骨折で行けなかったのがとても残念でした。今年の横須賀イベントには是非!と思っています。

ゲームとは無縁でインドア派だった私が毎日外に出て楽しめるという点で、生活に彩りを添えてくれています。このゲームではレベル40が今の上限ですが、私はレベル38、まだまだ楽しめそうです。

完治報告

2018 MAY 9 20:20:15 pm by 吉田 康子

今日が手首骨折に関する最後の診察でした。2/20にプレート除去、1週間後に消毒、2週間後に抜糸。そして11週間後の今日、除去後の骨の様子をレントゲン確認して、一連の治療は終了しました。

手首の動きは、手のひらを内側に倒す「掌屈(しょうくつ)」や外側に反らせる「背屈(はいくつ)」また、手のひらを内側ねじる「回内(かいない)」や外側にねじる「回外(かいがい)」などがありますが、どれも9割くらいまで取り戻しました。そしてピアノを弾くことについても9割くらいの回復です。手首の中心部に硬さが残るものの、指に支障は無く元通りに動きます。既に2/17にバッハの協奏曲、3/21連弾版でのモルダウの本番を終えました。今は7/7ライヴ・イマジン40のシューマンやシューベルトの練習に追われ、11/24ライヴ・イマジン41の準備にも取り掛かっているところです。

久しぶりに顔を合わせた担当医師は、レントゲンで骨の様子を見てから私の手の動きを確認。そして「おかげさまで元通りに弾けるようになりました」と言う私の話を聞いて、相好を崩して「よかった、よかった」と喜んでくれました。

受傷後に次々と病院に行く度に悪くなっていく診断にとどめを刺すような結果に直面し「より良い回復を目指すなら手術しかない」という判断を聞かされた時には、目の前が真っ暗になったような絶望の気持ちでした。「元通りに弾けるようになるでしょうか」との私の問いに無言で答えなかったこの医師の様子を昨日の事のように思い出します。私も「大丈夫ですよ」というなまじかの気休めを求めていたわけではなく、「これがベストの治療で他に選択の余地無し」という医師の判断に委ねようと決めた瞬間でもあったと思います。

「この方のおかげでここまで治して頂けた」と思うと言葉にならないくらいの感謝の気持ちで一杯です。医師って尊い仕事だなと身をもって実感しました。骨折してから10か月。沢山の方々にご迷惑やご心配をかけてしまいましたが、皆さんに支えて頂き、おかげ様でようやく完治出来ました。どうもありがとうございました。

私のリハビリ報告

2017 SEP 26 13:13:24 pm by 吉田 康子

前の「骨折報告」から約1ヶ月。「リハビリは、最初の2週間が勝負!」と書いてあったサイトを見つけましたが、やはり最初が肝心ということでしょうね。今は一週間のうち平日3回は病院に行き、毎週末には電気治療に通っています。病院が家から5分という近距離であるのも助かりました。そして実を言えば、私の担当の理学療法士が27歳で爽やかなイケメンなのもささやかな励みになっています♪

先週医師の診察があり、レントゲンで骨がきちんと正しい位置に戻っていることを確認。骨に釘が刺さっていた穴も、プレートが6本のボルトで固定してあるのもハッキリ見えました。今回はその画像をプリントアウトして貰ってきました。なかなかリアルなもので、閲覧注意かもしれませんね。

手首の動きも順調に回復しているとのこと。手のひら側に手首を曲げる掌屈、手の甲側に曲げる背屈、回転、上下動など、以前は当たり前に動いた手首が抜釘直後は石のように固まっていました。それを少しずつ丁寧にストレッチしたり、マイクロカレントで癒着を外していきました。可動域としてはまだ7割くらい。一般的には「固定していた期間の倍の時間が回復に必要」とか。あと2ヶ月ほどかかりそうです。

握力も右手30kgに対して1か月前の左手はたったの5kgで歯ブラシも持てなかったのが、現在では17kgになりました。日常の動作には殆ど支障が無いくらいになり、見た目にも浮腫んでいた手首のあたりが徐々にスッキリとしてきました。釘の痕や手首のプレート装着の手術痕はまだ生々しく残っています。

ピアノは以前の8割くらいのペースで弾いています。右手も左手に伴って筋力が落ちているので徐々に取り戻さないと。10月公演を見送り、次回来年2月のバッハのピアノ協奏曲第1番で復帰予定です。練習予定や場所そして当日の調律まで全て段取りを随分前に済ませてあり、メンバーも着々と準備を重ねている便りが届いています。その合奏練習が11月に迫っています。骨折を言い訳には出来ません。これを励みにこれからペースを上げて練習していきます。

やっとここまで取り戻しました。前の「骨折報告」はなるべく客観的に描いたつもりでしたが、読み返してみると私にとって大きな試練だった悲壮感が伝わってきました。我ながらよく乗り切ったものだと思います。私からの説明代わりに読んで下さった方々からは「思いのほか大きな出来事だったことに驚いた」という感想と同時にその後どうしているのだろう?と気掛かりであることも聞きました。

あれから1ヶ月たってようやく気持ちにも余裕が出てきました。大丈夫、おかげ様で一歩ずつ確実に回復しています。心配して下さった方々に感謝の気持ちと共に今の様子をお知らせしたくてこの文章を書きました。まだまだ時間がかかりますが、これからもしっかりと対峙していきます。いずれプレート除去をして「完治報告」で一連の「報告」を締めくくれるように頑張っていきたいと考えています。

来年2月17日、私の復帰記念のバッハを楽しみにしていて下さい。

草炎

2017 SEP 5 21:21:19 pm by 吉田 康子

週末に竹橋にある国立近代美術館に行ってきました。
ここは学生時代に独りで静かな時間を過ごしたい時によく足を運んだ場所です。その後は行った記憶が無いので、本当に何十年ぶり。美術館の周辺は毎日新聞社の建物と皇居、そしてその間に車が行き交う片側3車線の広い道路だけ。皇居を周回してジョギングする人達以外には歩いている人も少ない風景は、都会にありながらそこだけ特別な空間のように感じられます。

先週8/29の日経の日曜版に川端龍子の「草炎」(1930年絹本着色、六曲一双、各176.8×369.5cm)という作品が紹介されていました。これを一目見て気に入り、是非本物を見たいと思ったのがきっかけです。恥ずかしいことに私はこの作品について知識が無く、この画家を知りませんでした。

9月最初の週末、秋の気配がする小雨の午前中。にわか雨を表す「驟雨(しゅうう)」という言葉がぴったりくるような空模様。あいにくの天気のせいか開館直後の会場は訪れる人も少なくて静まりかえっていました。この絵は6枚2組の屏風(六曲一双というそうです)に仕立てられていて、全体の幅7mを越える大作。濃紺の絹の生地の上に濃淡のある金色で描いてあるのは、観賞用に栽培した草花でなく、そのへんの草むらで見かけるような雑草。そういえば見たことのある草ばかり。もわっと草いきれが伝わってきそうな力強さを感じました。
 
夏の夜の闇を思わせるような濃い背景に浮かび上がる金色の草たち。ほぼ単色に見えるのに遠近が感じられるのは何故?と近づいたり離れてみたりしてどんな風に描いているのか目を凝らしてみました。微妙な色彩の差や筆のタッチの違いも計算した上でのことなのでしょうか。奥行を感じさせる画面の一番奥の方から手前にかけて明るく色鮮やかに輝いているのは、強い太陽光の残像?それとも夏の月光?
この絵を見ていると、バルトークの「戸外にて」の「Out of Doors 戸外にて」 (BB 89/Sz. 81、1926年)第4曲”The Night Music”の息が詰まるような熱気が聞こえてくるような気がしました。この絵の背景に同調するかのような薄暗い展示室に浮かび上がる様は、「草炎」という名が相応しいと実感しました。
https://youtu.be/cZT6-ifNqiY


薄暗い展示室は4階から下の階に降りる順路となっていて、途中には「眺めのいい部屋」という名前が付いたガラス張りの部屋もありました。目の前の皇居の緑がとても美しく、無造作に並べられた椅子に座って一息するにはちょうどいい場所でレイアウトの巧みさを感じました。

一通り展示を見終わって外に出ると、雨上がりの空に流れが早い雲、そしてその隙間から明るい陽射しが差し込んできました。久しぶりの美術館、絵を見るだけの余裕が出て来た私自身が嬉しく、心にも栄養をたっぷり貰ったような豊かな気分になりました。

追記1
■きっかけになった記事を以下に添えておきます。


また、これは犬好きとして知られた川端龍子です。草炎の豪奢な厳しさからは予想がつかない、そばに寄り添っている犬との様子が何とも微笑ましいです。

追記2
■以下は印象に残った作品をいくつか。私の備忘録でもあります。

川合玉堂《二日月》絹本墨画淡彩、1907年

いわゆる墨絵と言われるものでしょうか。掛け軸に仕立てられていて、白黒の濃淡だけで奥行を表し、水や木々、石、山の稜線など様々な質感を出しているところに惹かれました。

藤田嗣治《武漢進撃》、油彩、1938-40年

ターナーの絵を思わせる構図で軍艦を描いたフジタの戦争画分類に入る作品だと思います。立ち上る煙、水面のさざ波、水平線と空との境に向かって進む軍艦の動きが伝わってくるような構図が見事。

パウル・クレー「破壊された町」

クレーの作品は暖かい色彩の楽しそうなものというイメージだったのに、これは題名通りの不気味な空気。

アンリ・マティス (1869-1954)「ルネ、緑のハーモニー」

緑と灰色を主調に、肘掛椅子に座る女性。「近年のマティス研究で重視される描き直しや掻き落としのさまが顕著に見られる、国内でも数少ない作例。」 と解説にありました。
画家にとって絵というものはいつが完成なんだろう?と解説を読んで考えました。画家が伝えたい事を全て描ききった時点がその作品の完成となるのだろうか?作品自体が後世まで残り、独り歩きをして売買の対象となる商品にもなり得るものだし、このあたりが音楽を演奏するという事と違うのかな?と。

そしてこの美術館をよく訪れた当時の記憶をたどってみると、入り口を入ってすぐに大きな桜の日本画がありました。検索してみると、たぶんこれだったような。
菊池芳文《小雨ふる吉野》(左隻) 1914年だそうです。懐かしい友人に再会したような温かい気持ちになりました。

私の骨折報告

2017 AUG 29 0:00:10 am by 吉田 康子

私にとって今年の夏は悪夢のようでした。
7月の始めに私は出先で歩行中に転んで左手首を強打し骨折してしまいました。
「現場」は大理石のスロープ、雨上がりで濡れて滑りやすくなっていた場所。
今でも「その瞬間」は何度もフラッシュバックします。それまで見たことのないような自分の手首の様子に「ただ事ではない」「とんでもない事になった」と直感し、痛みよりもはるかに大きなショックに襲われました。

すぐに病院に行きレントゲン診断の結果「骨折」と言われてギプス固定という処置を受けました。これが足の骨折だったら、そのまま1ヶ月成り行きに任せたでしょう。でもピアノを弾く私にとって、手首だけに予後が心配でした。「このまま単なる固定だけにしておいて大丈夫なのか?」と。後悔よりこれから先の事の方が重要でした。不自由なギプスの左腕を抱えて、疑心暗鬼のまま納得がいく診断を求めて病院を次々とまわりました。休日診療の病院、地元の総合病院、リハビリの出来る整形外科、そして4軒目にようやくレントゲンだけでなくCTを撮ってきちんと現状把握をしてくれた手の専門の整形外科医に。

腕の太い方の骨(橈骨・・とうこつ)に縦に割れ目が入り、そこに手首の骨の一部が落ち込んでいる複雑な骨折であることが判明。このままでは、ずれた位置で固まってしまい手首の稼働域が大幅に狭まること、そして神経が癒着して痛みが残る可能性があるとのこと。元通りにピアノを弾く為には手術しか選択の余地はありません。私にとっては最悪の事態とはいえ、ようやく合点がいった気がしました。

翌日まで「手術の方針を考える時間が欲しい」と医師に言われた程の状況でした。結局手術は、手首全体を引っ張り上げて元の位置に戻してピンで固定、割れ目の入った橈骨にプレートをあてて修復するという方針に決定。それならすぐにでも手術をして欲しい気持ちでしたが、整形外科で有名な病院なので手術予定が立て込んでいて、骨が固まってくる2週間前ギリギリの受傷後12日目に何とか時間を空けてもらいました。

もし、あのままギプスのまま1ヶ月過ごしていたら?と思うとゾッとします。必死で最善の策を掴み取った自分を褒めて励ましてやりたい気持ちでした。「待つこと」が嫌いな私には、入院までがとても長く感じられ、「ここまで来たら、あとは医者に任せるしかない」と繰り返し自分に言い聞かせながら日々を過ごしました。

入院は一週間。「難しい手術」と医師が言っていた通り、全身麻酔で通常のプレート手術の3倍以上の時間がかかりましたが無事に終了。術後は創外固定といって手の甲と腕の中ほどの2箇所に直径3mm、長さ8.5cmのピンというより釘を2本ずつ垂直に刺し、その間を鉛筆のような金属棒で位置固定するものでした。この状態で骨が固まるまでの1ヶ月待たなくてはなりません。ギプスの半分の範囲とはいえ、自分の腕と手の甲に釘が直接刺さっている様子は何とも生々しいものです。疼痛が時折あるくらいで強い痛みが無かったのがせめてもの救いでした。手の平の下にはプレート装着の6cmほどの傷もありました。「見た目問題」という言葉を最近見かけますが、外観の異常に対する好奇の視線に晒されたくなくて退院後は人目を避ける生活を送りました。

退院一週間後に抜糸と消毒。2箇所の釘の根元に3針ずつ、他にも腕に3針、プレートを入れた手首の下には15針ほどの痕。ひと針ずつ抜糸をするのをしっかり目を凝らして見届けながら「1針、2針・・」と数えていました。こういうのを怖がる人もいますが、やはり自分自身の事なので正確な事実を知りたい気持ちが勝りました。

抜糸後にピアノを再開。左手首は動かないものの指は普段通り。手術前にもギプスのまま弾いていましたが、オクターヴもなんとか届き、ベートーヴェンの月光ソナタ1楽章、シューベルトの即興曲、ショパンの別れの曲冒頭部分など、左手に比重の少ない曲は意外にサマになるので、次々と夢中で弾きました。それまで絶望的で余裕が無く、音楽に背を向けていた気持ちにようやく暖かい光が射し込み「私の手にやっと音楽が戻ってきた」と感無量でした。

幸いにも傷口からの感染症も無く一歩ずつ回復をたどり、8月半ばにやっとその釘を抜く処置を終えたところです。麻酔無しで日曜大工と同じような六角レンチで金具を緩め、ワインオープナーのようなもので手回しで腕から釘を引き抜く・・考えただけでも恐ろしいものですが、周りの看護師が恐々と引き気味な中で、医師と共に私はしっかりと一部始終を見据えていました。事前検索で抜釘(ばってい・・釘を抜くこと)の痛みを覚悟していたものの、最初の1本目を回す時の強い痛みだけで案外簡単に4本の釘が抜けました。これでようやく普通に近い左手に戻ることが出来た、何とかやっとここまで漕ぎ着けた、という安堵の気持ちでした。私には本当に長い時間でしたが、この日が大きな節目となりました。

写真は、その創外固定です。2本ずつの釘の溝の部分が人差指の骨と橈骨に刺さっていました。

手術が決まった時点で10/8のライヴ・イマジン38への出演を見送ることに決め、メンバーの皆さんに曲目変更をお願いしました。まだ合奏を始めたばかりで、忙しい中を練習して準備して下さったメンバーの方々に大変申し訳なく残念でもありました。いつか必ずリベンジをしたいと思っています。10月は裏方仕事に徹して、その次の2/17ライヴ・イマジン39での復帰に備えるつもりです。

抜釘後のレントゲンで骨が正しい位置に戻ったことを医師が確認。骨には釘の穴が2つずつ見えましたが、次第に埋まっていくとか。人間の再生能力は本当に凄いものです。
先週からリハビリが始まりました。左手の皮膚に残っている釘の痕やプレートを入れた傷は日を追うごとに回復してきましたが、手首には浮腫みが残り、腕の筋肉は痩せて細くなっています。1ヶ月半の固定で手首周辺の筋肉は硬化していて癒着し、握力も驚くほど落ちて右手30kgに対して左手はたったの5kgでした。元の動きを取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうです。リハビリは、理学療法士がゆっくりとストレッチを行うもので、気長に繰り返していきます。

私には、今回の骨折について相談にのって下さった方がいます。20年以上のお付き合いのある指圧の先生で、整形外科では対応出来ない不調を今までに何度も助けて頂きました。初めてギックリ腰になった時に一度の治療で治して頂いて以来、腰痛、肩こり、眼精疲労、腱鞘炎などで困った時にしっかり治して下さる大変心強い存在です。またご自身の仕事柄、手に負荷がかかるために医療用マイクロカレントをお持ちです。これは体内に流れる微弱電流と同じものを流して血行をよくして筋肉の活性化を促進させる高額な機械です。数日前に伺った際に今の状態を瞬時に把握してマイクロカレントを用いて治療して下さいました。手首の動き、浮腫み、握力、指の動きなどが目に見えて改善して驚きました。これからも定期的に治療に通います。

医者の中には目に見えない電気治療を信用しない方もいて、自分の知らないところで他の治療を受けるなという指示があります。だからといって個々の患者の回復を最後まで面倒を見てくれるはずも無く、私には単なる責任逃れにみえます。どのような治療を選択するかは患者本人の自己責任である筈で、当初の病院選びと共通するものです。今回の手術の執刀医は、難しい手術を成功させてくれた腕のいい医師で、それだけに多忙を極める中での手術をやりくりしてくれました。当日私の手術の後にもう一件の手術を行ったと後で聞き、頭が下がる思いでした。ここまで尽力して頂いたのですから、その後のケアについてはリハビリの理学療法士と並行して指圧の先生にお力添え頂いて私自身が心して頑張らなければと思っています。

8月も残り少なくなり厳しい夏も終わりに近づいているのかもしれません。
今回の骨折は自分の中で大切なものが何かを改めて考える機会になりました。

医者の治療を要する期間が「全治」で、元通りの生活に支障が無い程度まで回復するのが「完治」と言うそうです。この次の医師の診察は1か月後でレントゲンを撮っての経過観察になります。今の私は全治の一歩手前あたりでしょう。ようやくここまで辿り着いたという気分です。これからは「完治」に向けて一歩ずつしっかり歩みたいと考えています。

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ルイ・ロット

2017 AUG 22 21:21:47 pm by 吉田 康子


今朝の朝刊で「ルイ・ロット」という懐かしい名前を見つけました。フランスのフルートのメーカーの名前です。「パウエル」や「ヘインズ」というアメリカのメーカーはさしずめピアノのスタインウェイでしょうか。ドイツの「ハンミッヒ」はベヒシュタイン、日本の「ムラマツ」はヤマハそして「ルイ・ロット」はプレイエルのようなイメージです。

フルートは高1の時に通っていた音大附属音楽教室の課外授業で始め、音大時代にはムラマツフルートのレッスンセンターに。当時マンハイムから帰国したばかりの先生がハンミッヒを使っていました。
また木管アンサンブルで仲良くなった元プロのフルート奏者はヘインズを、もう一人の方はパウエルを使っていました。3人目の先生がベルギーに留学経験がありそこで気に入って手に入れて来たのが「ルイ・ロット」でした。黒っぽく変色した古い楽器で甘い柔らかい響きの印象があります。

現在は、キーに装飾の彫刻が入っていたり、頭部管にダイヤモンドが付いていたり、18Kやプラチナなど見た目にも華やかな楽器をみかけます。その楽器の音色はこの記事にもあるように材質や、金属の厚み、製作方法に因るところが大きいようで、工房からの職人技で生み出されるのは、弦楽器でも管楽器でも同じですね。

それまでピアノ独奏だけだった頃にフルートを吹くことで初めて合奏を経験しました。室内楽、オペラのオケピットでの演奏、アマオケでの交響曲、木管アンサンブルなどなど、アンサンブルの楽しさに夢中になりました。成人式の着物よりフルートを買って欲しいと両親に頼み、ムラマツのフルートを買ってもらった程でした。もう10年近くフルートはお蔵入りしていて、ブランデンブルグ協奏曲の4番とか、モーツァルトのフルート四重奏曲を吹いた記憶が・・・という程度。この記事を読んで懐かしく自分のフルート史を振り返っていました。

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