Soner Menbers Club No43

カテゴリー: 演奏会

リュビモフを聴きました。

2023 APR 20 22:22:02 pm by 吉田 康子

 

アレクセイ・リュビモフ ピアノリサイタル
2003年4月16日(日)16:00 蒲田御園教会 1921年製ベヒシュタインで聴くブラームスの夕べ
ブラームスの作品より7つの幻想曲 Op.116 、3つの間奏曲 Op.117 、ピアノ曲集 Op.118 、2つのラプソディOp.79 

アレクセイ・リュビモフのピアノリサイタルに行ってきました。リュビモフは古典から現代までの幅広いレパートリーを持つ世界的なピアニスト・チェンバロ奏者でロシア最後の巨匠とも言われます。シェーンベルクやシュトックハウゼン、ブーレーズ、リゲティなどの現代音楽の作品のソ連初演やフォルテピアノ奏者としてモーツァルトのピアノ・ソナタ全集やショパンのバラード全曲録音など多数あります。

この日の会場は、JR蒲田駅から徒歩10分程の小さな教会。ピアニストのベンジャミン・フリスが選定した1921年製ベヒシュタインでのブラームス晩年の作品の演奏を楽しみにしていました。リハーサルを終えて控室に戻ってきたリュビモフは小柄で華奢な印象。御年79歳ということもあって足取りもそろりそろりという感じ。ホロヴィッツの初来日を連想させるような雰囲気でした。リハーサルが終わった会場内では広島公演から随行している調律師が本番前の仕上げの調律を行っていました。木目の美しい楽器を珍しそうに眺めたり写真を撮る人が多数。自由席だったので私は客席最前列左側、演奏者の背中側から鍵盤を至近距離で見られる位置で聴く事にしました。狭い会場ならではの特権です。

いよいよ本番。スーツに着替えたリュビモフは、ピアノの前に座ると先程の頼りなさそうな様子とは打って変わってピシッと背筋を伸ばして弾き始めました。最初の一音から芯のあるしっかりとした響き。さすがロシアの巨匠!ブラームス晩年の渋くて地味で難しい曲ばかりのプログラムを生で聴く機会はなかなかありません。特有の厚みのある重い和音と深い低音が溢れ出しました。衰える事の無い確実なテクニックで時に激しく時には穏やかな曲想を素直に紡いでいたように感じました。「外連味」がないという点でこれらの作品はリュビモフにとても合っていたように思います。だから外連味たっぷりのホロヴィッツはこれらの曲は弾けなかったし、弾かなかったのだと。

アンコールは、最初にモーツァルトのソナタK311ニ長調の第3楽章ロンド。オペラの序曲を思わせるような多彩な音色で軽々と聴かせてくれました。そして盛大な拍手の後にはシューベルトの即興曲OP.90-3、D899。ロシアのピアニストはこの曲をよく弾きます。しみじみとした情感あふれる演奏に涙するお客さんも。そして最後にはアルヴォ・ペルトの「アリーナのために」。1枚の五線譜に手書きで書かれた短い曲。澄み切った音色の余韻が残りました。全てにおいて、さすがの演奏でした。

リュビモフは、2022年4月ロシアのウクライナ侵攻の最中に友人のウクライナの作曲家であるシルヴェストロフの作品を含むコンサートを開催。ロシア警察は「爆破予告が出ている」という口実でコンサートを強制的に中止させようとしました。警察官に取り囲まれる中、演奏中であったシューベルトの即興曲 作品90-2を最後まで弾き続けた動画は世界中に拡散しました。
皮肉にもウクライナ戦争が、一度は引退を宣言したにも関わらず、ロシアから脱出時に財産も年金もきっと失ったに違いなく、図らずも人前でまた弾かなければならなくなったのではと思います。

演奏の後には別室でワインやシャンパン、お茶と共にパンやケーキが振る舞われました。教会ならではの家庭的な雰囲気の中、歓談に花が咲きました。リュビモフが審査員を務めていた「ピリオド楽器によるショパンコンクール」入賞の川口成彦さんの姿も見られました。彼の活躍を見ていると、それぞれの作品が作られた時代の楽器で演奏するという姿勢が、常識になりつつある世界的潮流を感じました。

今回のリサイタルは、MCSという音楽家を支援する団体の力添えで実現したもの。そのおかげで諦めていたリュビモフを生で聴くことが出来ました。日本で次はいつ演奏を聴けるかわからないとても貴重な機会でした。

ピアソラへの旅路

2021 OCT 25 22:22:44 pm by 吉田 康子


吉田篤(Violin) 北村聡(Bandneon) 青木菜穂子(Piano) 鈴木大介(El-Guitar) 田辺和弘(Contrabass)
前半ゲスト:Cristian&Nao(Dance) 後半ゲスト:KaZZma(Vocal)

第1部古典タンゴ作品を中心に。
蝶々、プレパンセ、チケ、亜麻の花、ラ・プニャラーダ、タンゲーラ 他

第2部ピアソラ作品
プレパレンセ、スム、革命家 ロコへのバラード、アディオス・ノニーノ 他

久しぶりにコンサートに行ってきました。秋晴れの日曜日午後の上野は、美術館、動物園などに行く人達で相変わらずの混雑です。暫く行かないうちにJR上野駅公園口もリニューアルされて公園に渡る信号がなくなり見違えるように綺麗に。2020年2月に旧奏楽堂でのライヴ・イマジン44公演以来の上野ですから、時の流れを実感します。この公演の直後にコロナ禍となり、世の中の景色が一変しました。根津の「車屋」さんでの打上は大いに盛り上がりましたっけ。1年8か月ぶりの上野、今回は初めての東京藝術大学内にある奏楽堂が会場で、何と今回が初見参。こちらもとても興味がわきました。

生誕100年に当たるピアソラをクローズアップした企画。同じアニヴァーサリーのストラヴィンスキーを差し置いて、藝大がピアソラをやる、すごいことです。ライヴ・イマジンでもピアソラのタンゴは何回か取り上げた事があります。しかも今回の演奏者の中に吉田篤さんの名前がありました。昨年6月の公演でベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番を取り上げた時に、本番2週間前に強力な代奏者として出演して頂きました。直近の公演ではベートーヴェンの弦楽四重奏曲ラズモフスキー全曲をヴィオラ奏者として参加していましたが、今回はタンゴのヴァイオリン奏者として、そしてバンドリーダーの立場での演奏です。実際に彼のタンゴを聴くのは初めてでしたが、多彩な才能に感心するばかりです。


コンサート前半は、ピアソラと時代を同じくする作曲者のタンゴを中心に編曲を聞かせ、しかもダンスも入るという贅沢な構成。ヴァイオリン、バンドネオン、コントラバス、エレクトリックギター(!?)、ピアノで構成されるキンテート(五重奏)をバックにキビキビと踊るプロダンサーの完成された動きに目を奪われました。また各奏者の安定した技巧と息の合ったアンサンブルで次々演奏されるタンゴは、様々な側面を垣間見せてくれた感じがしました。曲の合間には吉田篤さんのトークもあり、ピアソラに魅せられ、それぞれの曲への熱い想いも語られ、何事にも真摯に取り組むお人柄が伝わるようでした。

休憩後はピアソラの曲のみが並びます。今度は歌手も登場して華やかな雰囲気に。ピアソラの曲は手を加えにくい完成されたもの、というトークの通り、曲自体に隙の無い音楽で、いわゆる伝統的なタンゴとは一味違ったものを実感しました。また歌手の参加でこれがアルゼンチンの歌曲、あるいはバラードなんだろうな、形は違うけど南米に渡った西洋音楽はこうなるんだと納得です。「ロコへのバラード」は曲の良さも相まって熱演、素晴らしい歌声が響きました。最後は「アディオス・ノニーノ」で締めくくり、アンコールは「リベルタンゴ」。5人で演奏しているとは思えない程厚みのある多彩な響きに酔い、存分に楽しみました。公演日前にチケット完売というのも頷けます。

ただ一つ気にかかったのは、エレクトリックギターに合わせたのか、各楽器にマイクが付けられていたこと。大きな会場ということでの忖度かもしれませんが、ギター以外は全てアコースティックの楽器なのに、その生音が拡声装置により大味になってしまい、折角の各奏者の聞かせどころが曖昧で混沌とした響きになってしまった事が残念でした。特にギターはコードを弾いていることが多く、ソロが少なかったのでバロック音楽の通奏低音的な役割なはずです。客席中央部分にミキシングのブースが設けられており、いくらでもバランス調整が出来た筈なのに惜しい結果となりました。舞台上の奏者は客席にどんな風に聞こえているか、音のバランスも判らないはずでこの責任は重いです。実際エレクトリックギターが終始必要以上に大き過ぎる響きに調整されたままで、全てがそれに覆われてピアノの音でさえ届いて来ない状況でした。歌手もマイクを口元に持って大音量で歌っていたので更に飽和状態に。マイク無しでも十分な声量と表現力があるのに。やはり各奏者を際立たせる為にも電子楽器は細心の注意を持って最小限で扱うべきだと痛感。演奏が素晴らしかっただけに、勿体ないと思いました。

終演後、奏楽堂から外に出ると上野の森はまだ明るく、駅に向かって歩を進めるにつれて日が暮れていきました。夕暮れと共に余韻を味わいながら現実に戻っていく、何とも満ち足りた気持ちになりました。

ファウスト&メルニコフの演奏会

2021 JAN 24 13:13:36 pm by 吉田 康子

ヴァイオリンのイザベル・ファウストとピアノのアレクサンドル・メルニコフのリサイタルに行ってきました。
 
年明け早々の緊急事態宣言発令で次々と来日公演が中止となる中、開催自体が無理ではないかと半ば諦めていました。この2人の公演は毎年のように王子ホールで行い、チケットは発売日に完売するほど人気があります。今回も予約開始の時点では電話が繋がらなくなるほどで、あっという間にチケットは売り切れて入手できませんでした。

ところが、たまたまネット検索をしていたら、2人は既に入国して、予定通りの公演を行っている!しかも川口のリリアホールの公演は残席がある!と判り、すぐに電話をかけて予約をしました。ギリギリセーフのタイミングでの滑り込み。こんな時に、いつ、どうやって来日したんだろう?!などと考えている間もありませんでした。因みにファウストは、王子ホールは勿論のこと2月12日のNHK交響楽団の演奏会にも出演します。

プログラムは;
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調 op.105
ウェーベルン:ヴァイオリンとピアノのための4つの小品 op.7
ブラームス:クラリネット・ソナタ第2番(ヴァイオリン版) 変ホ長調 op.120-2
***休憩***
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番 ニ短調 op.121

本来ならホルン奏者も来日予定だったのが、この状況で難しくなったとのこと。プログラムも当初のものが変更になっていたようですが、むしろシューマンたっぷりの曲目に惹かれました。

いつもCDジャケットで見ている本人達がステージに現れただけで、何ともいえない感激でした。1曲目のシューマンのソナタの最初の音から、いつもCDで聴き慣れた確信に満ちた音がホール後方の席にもしっかりと届いてきました。あの有名な「スリーピングビューティ」のストラドでしょうか。高音は甘く柔らかく軽い、中低音は芯のある深い音、そして淀みのないテクニックに幅広いダイナミクスを加えて自在な表現が伝わってきました。音楽を全て自分のものにしている、そんな感じがしました。2曲目のウェーベルンの最弱音やピッツィカートでさえ何かを語ってくれます。3曲目のブラームスのソナタは、元々は私が好きなクラリネットのソナタ第2番。作曲者自身のヴァイオリン版があるのを初めて知りました。

メルニコフのピアノも当たり前のように自然に息の合ったさすがの演奏。主張するところはしっかりと聴かせ、ヴァイオリンを支えるところは鉄壁の安定感。後半のシューマンの2番のソナタは大曲の迫力に圧倒される素晴らしい演奏。小柄なファウストのどこにこんなエネルギーが?と思うほど。心からシューマンを堪能できました。

蛇足ながら2人のお辞儀の様子も人柄が出ますね。舞台マナーというのでしょうか、演奏同様にファウストにピッタリとタイミングを合わせているメルニコフ。2人とも偉そうな感じが微塵も無いけれど確信を持っていて自然で誠実な印象が更に加わった感じがしました。

アンコールにはシューマンの「幻想小曲集」。最初の曲だけかと思ったら、拍手喝采の後に2曲目も。それなら終曲もと贅沢なサービスに客席も全曲演奏に納得のスタンディングオベーションのうちに終演となりました。

リリアホールは初めてでしたが、都心から川口までは思いのほか近く、駅前というロケーションはとても便利。

ホールは600名定員ですが前後左右を空け、かえって目の前の座席が空いているのは快適でした。竣工は1990年のようで一時代前の雰囲気。当時どこのホール競うように設置したパイプオルガンが舞台後方にあり、その下部が迫り出しているのが中途半端な感じで音響面の疑問も。舞台上のスタインウェイのフルコンも少しこもった感じの立ち上がりの鈍い音だったのは、公共ホールの管理の結果かもしれません。武蔵野市民文化会館のピアノもこんな感じだったと。休憩時間に調律師の姿を見かけなかったのも今にして思えば納得です。

加えて言うなら会場で配布されたプログラムには演奏曲目と奏者のプロフィールだけ。他に何の説明や文章も無いものだったのには呆れました。クラリネット・ソナタのヴァイオリン版なんて聴く機会は絶対と言っていいほどないはずだし、これが公共のカルチャーなんでしょう。
 
それにしても本当に久しぶりの本格的な演奏会でした。世界でも最高峰の2人の演奏をこんな時期でありながら思いがけず聴けた幸運をかみしめて雪交じりの雨の中を帰途につきました。ありがとう!ファウストさん、メルニコフさん!!

ブラボー!イッサーリス。

2018 NOV 7 16:16:52 pm by 吉田 康子


スティーブン イッサーリスのリサイタルに行ってきました。音楽ってなんて素晴らしいんだろうと心から愉しむことが出来ました。たった一度の東京でのリサイタル、もったいないですね。チケットは完売でした。

今回は「音楽に[失われた時]を求めて」という副題が付いた演奏会。熱狂的な音楽愛好家であったフランスの作家マルセル・プルーストの長大で難解な作品「失われた時を求めて」の世界と同時代のベルエポック期に活躍した作曲家フランク、サン=サーンス、フォーレ、アーンなどの作品を重ね合わせた、というのがコンセプト。そうは言われても、正直なところ、この時代の文学に疎い私にとっては縁遠い世界のように思えました。

久しぶりに登場したイッサーリスは少し恰幅がよくなり、トレードマークのカーリーヘアも幾分白くなっていました。共演のピアニストのコニー・シーも12年ぶりで落ち着いた雰囲気に。やはりこんなところにも時の流れを感じました。

イッサーリスの自然でのびやかなフレージングはますます磨きがかかり、音楽が溢れてくるよう。そしてコニー・シーのピアノはとても繊細に寄り添い息がぴったり合っていて、ため息が出るほど見事なものでした。この人は間違いなく一流。アーンの甘い旋律から始まり、晩年の美しい響きが散りばめられたフォーレのソナタも技巧的ながらもそれ感じさせない歌心を聞かせてくれました。

そして今回のメインテーマでもあるアデスの「見出された場所」。イギリスを代表する現代作曲家トーマス・アデスがイッサーリスの為に書いた作品でプルーストの「失われた時を求めて」に直接触発されたとか。2009年の初演は作曲者のピアノとイッサーリス。難曲中の難曲といわれるだけあって、チェロのあらゆる技巧を詰め込んだ印象。気迫のこもった演奏で緊張感がこちらにも伝わって一気に引き込まれました。2016年のプロムスではオケ伴でやったそうですが、フィナンシャルタイムズの記事に、アデスとイッサーリスとの間で、「こんな悪魔的で難しいものは弾けない!」「だったら他のチェロを探す!」などギリギリのやり取りの末行きついたもの、とありました。

休憩を挟んでの後半のサン=サーンスのロマンス、フランクのソナタは、アデスから解放されたのかリラックスしてのびのびと音楽を楽しんで演奏しているよう。客席の雰囲気はお馴染みのフランクのソナタを楽しみにしていた様子でしたが、私はアデスの作品がこの日一番の素晴らしい演奏だったと思いました。

あいにくの雨でしたが、楽器がよく鳴っていて最弱音から最強音までのダイナミクスの幅の広さが真っ直ぐに届いてきました。アンコールはサンサーンスのロマンスop.36と白鳥。ストラドにお辞儀をさせると「今日の演奏はこれでおしまい」という意味だということをお客さん達もよく解っていました。

終演後のサイン会に並びましたが、もうイッサーリスとは10年来の友人でもあるので、サインでなく久しぶりに会えたご挨拶を。気さくな彼は、つい数日前に会ったかのような相変わらずの様子でした。

オリ・ムストネンの印象

2018 FEB 11 17:17:18 pm by 吉田 康子

 
オリ・ムストネン ピアノリサイタル  
2018.2.10(土)14時開演 
すみだトリフォニーホール

■シューマン:子供の情景 op.15
■プロコフィエフ:ピアノソナタ 第8番 変ロ長調「戦争ソナタ」op.84
■ベートーヴェン:ヴラニツキーのバレエ「森のおとめ」のロシア舞曲の主題による12の変奏曲 イ長調 WoO.71
■ベートーヴェン:ピアノソナタ 第23番 へ短調「熱情」op.57

オリ・ムストネンのピアノリサイタルに行ってきました。彼の名前はピアニスト・作曲家として知っていました。また友人であるチェリスト、スティーヴン・イッサーリスの共演者という存在でもありましたが、演奏を聴くのは初めて。
彼の写真はいつも口を一文字に結んで何か言いたげにこちらを見ているものばかりでしたが、実際にステージに現れた様子は笑みを浮かべて穏やかな表情。

最初の曲、シューマンの子供の情景のは、私も弾いたことのある曲でしたが、美しい旋律を期待していた気持ちは冒頭部分から裏切られました。出だしの音が聞こえないくらい微かなものだったのに比べて3つ目の裏拍がアクセントごとく強打されてビックリ。わずか1ページの短い曲に本来知っていた旋律が違うフレーズと色合いを持っての演奏。腕を大きく回したり、手首をヒラヒラさせながら中に浮かせる様子に客席は戸惑いの空気が漂い、それとは対照的に彼はどの音も確信を持って弾き13曲から成るこの曲集を全く違ったものに聞かせました。

「聴き慣れた作品に新たな光を与えるもの。即興性と刺激に満ち、鋭敏な完成が隅々まで息づき、作品が今生まれたようなみずみずしさを放つ」という評論家の言葉がチラシに添えられていましたが、なるほど上手い事を言ったものだと感心。

続くプロコフィエフは、彼のアプローチがピッタリとハマる感じで鋭利なリズムや複雑な和声が説得力を持って迫ってきました。強靭なタッチと繊細なフレージングは十分な技巧と沢山の音のパレットを持っているのが伺われ、それを存分に駆使しての構築に圧倒されました。

後半のベートーヴェンの変奏曲と熱情ソナタは、もはやベートーヴェンに聞こえない、という印象。これが試験やコンクールだったら?と考えるのは野暮な話なのでしょうか?天才鬼才としての定評があれば、何でもアリで許される?結局のところ彼にとってこれらの作品は、作曲家の意図を汲んで表すものではなくて、自分の表現に置き換える素材でしかないのでは?と思い当りました。そういえばイッサーリスも「彼はいつも新鮮なアイデアを提供してくれる」とは言うものの、ベートーヴェンやショパンを一緒に演奏することは無さそうです。

演奏に際しては、楽譜持参で譜面台に楽譜を置き、しかも脇には譜めくりの人までずっと座っていました。アンコールのバッハも知らない曲に聞こえて不思議な感じがしました。先に読んだ本のランランとは全く違った世界を歩む人として特異な存在であることを強く印象付けられました。

代官山コンサートシリーズ 第6回 ラインハルト・オッペル作品の試演と後期ロマン派様式

2017 DEC 5 23:23:10 pm by 吉田 康子

ライヴ・イマジンの演奏会で度々ご一緒して頂いているヴァイオリンの前田 秀さん、薫さんご夫妻が年末に行う演奏会のご案内です。
 ■平成29年12月29日(金)19:00開演  
  代官山教会 東京都渋谷区代官山町14-3  (詳細はチラシをご覧ください。)

前田秀さんは、2015年10月ライヴ・イマジン32でR.シュトラウス「メタモルフォーゼン」を演奏するにあたり、資料を調べていて北テキサス大学のジャクソン卓越教授とお知り合いになりました。そのご縁がきっかけでオッペルの弦楽四重奏曲第4番に取り組むようになったと伺っています。以下、前田さんの文章を引用させて頂きます。

北テキサス大学のジャクソン卓越教授からのご依頼により、ラインハルト・オッペルの弦楽四重奏曲第4番の蘇演に取り組んで参りましたが、この度、雁部一浩先生のご尽力によりコンサートを開催することになりましたので、ご案内させていただきます。
 オッペルは、19〜20世紀のドイツの作曲家であり、フルトヴェングラーも強い影響を受けたハインリヒ・シェンカーの弟子です。ナチスに批判的だったせいか、その作品は日の目を見ないまま現在に至っております。今回、おそらく日本初演となると思われます作品群は、いずれも後期ロマン派の第一級のものであることは間違いありません。また、今回主催されておられます雁部先生の作品や、ほぼ同時代であるR.シュトラウスやM.レーガーの作品を併せて演奏することにより、オッペルの作品の特徴が分かりやすくなるのではないかと思われ、皆様に貴重な機会をご提供できますことを大変嬉しく思います。

この会についてのお問い合わせ先は、 concertoppel@gmail.com です。
ソナーメンバーズのブログをご覧になった旨お書き込み下さい。ご招待させていただきます。

前田 秀

■チラシの上でクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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