Soner Menbers Club No43

カテゴリー: ピアノ

ピアノの蓋は全開で

2020 SEP 18 20:20:01 pm by 吉田 康子

今日は久しぶりのピアノ調律の日。本番やコロナ禍で伸び伸びになって半年くらい遅くなっていました。調律師の齋藤さんは、お変わりなく穏やかな雰囲気と共に登場。

コロナ暗雲と共に仕事が減り、緊急事態宣言中はコンサートが全く無かったので調律の仕事が途絶えたそうです。社員のお給料をどうしようかという気苦労はあったけれど、時間があった分だけ普段出来ないYou Tubeで海外の演奏会を聴いたりしながらじっくりと考える機会を持てたとのこと。そして緊急事態宣言解除後の6月から堰を切ったように調律依頼が殺到して、また以前のように忙しくなってきたようです。

開口一番に「ピアノは普段から蓋を全開にして弾きましょう」と再認識なさったことを伝えて下さいました。今迄は部屋の広さとか響き方の具合など様々な理由で半開や蓋を閉めた状態で練習している方が多く、そのために楽器の音を閉じ込めてしまって無駄な力を使ったり、細かな共鳴や雑音にとらわれがちな傾向でしたが、本来全開にして弾く楽器なので、自宅での練習やレッスンの時点から、そうあるべきだと。最初は以前と違う響きに戸惑うが、耳がよければ次第にその開放された響きに慣れて十分なニュアンスをつけられる。そして本番ホールでの楽器の鳴り方にも順応し易いとのこと。

調律の終わったピアノを弾いてみて、綺麗に揃ったタッチと澄んだ深い響きの見違えるような仕上がりに感激しました。この驚きはこのピアノを最初に調律して頂いた時と同じくらいの大きな変化でした。忙しさに追われていた仕事についても改めて見直すことが出来たとのことですが、それによって更なる進化であり深化された成果だと感じました。今日の仕上がりにご自身も満足の様子でした。

You tubeでヴェルヴィエ音楽祭を見て、そこで使われている楽器が特別のものであったとのこと。世界の超一流の演奏者が使うだけあって、横にVerVieの文字が入った特別なスタインウェイであることは、私も以前から気になっていました。またミュンヘンで無観客で行われたテノールのヨナス・カウフマンとピアニストのヘルムート・ドイチェのシューマンの詩人の恋が素晴らしく、出だしの前奏がピアノから匂い立つようにホール全体に広がった様子に感動したそうです。もうひとつ、カフェのテーブルに座ってコーヒーを前に軽いウィーンの歌を歌い、口笛を吹く動画も素敵でした。後ろにはドイチェが弾くベーゼンドルファーから流れる柔らかな響き、音楽はこうでなくちゃ。
ヘルムート・ドイチェさん来日の際には仕事でご一緒したこともあったようで、調律が終わったピアノの蓋を当たり前のように全開にしてさっとソリスティックに弾いていたことを話して下さいました。歌の伴奏や他の楽器とのアンサンブルだと音量を気にして蓋を半開などにしがちだけれど、全開にして演奏でバランスをとってこそピアニストだと実感したようです。

そして演奏の姿についても。
腰がしっかり安定して上半身は脱力した良い姿勢で軽々と弾いていることを改めて感じたそうです。これは私も大いに頷けることで、昔からホロヴィッツやルビンシュタインなど歴史に名前を残すような名ピアニストは皆背筋の伸びた美しい姿勢で弾いています。

日本では女性ピアニストというと芸能人と区別が出来ないような外観重視の傾向が何とも貧しい発想。ピアノの前でのたうち回るように弾くのが熱い演奏だと思い込んでいる人が多いですが、あれはみっともないだけだと思います。やはりアルゲリッチもきちんとした良い姿勢で弾いているし、ユジャ・ワンのハイヒールも小柄な彼女が良い姿勢でペダルを踏むためのものではないかと。そりゃあピアノの方を自分に引き寄せる巨漢ギーゼキングのような訳にはいかないですね。初来日公演で見た彼女は本当に小柄でどこにそんなタッチが?と思いました。他にも若手人気ピアニストでいえばカティア・ブニアティシビリも良い姿勢で弾くし、歌伴奏しても素晴らしいと話して大いに盛り上がりました。

他にも近所に見つけた個人のホールのピアノの様子など話は尽きません。こうやって色々とお喋りする中で教えて頂くことが沢山あって・・という言葉と共に齋藤さんはお帰りになりました。

その後に練習しながらも、そういえば私の師匠のレッスンに伺った時にも、ご自身のスタインウェイのフルコンは蓋を閉めたままでしたが、生徒用のヤマハC3の蓋を全開にしてくれたことを思い出しました。

我が家の場合は、レッスンに来た子供達が中のダンパーを触ってみたり、フレームのふちにぶら下がろうとしたり、蓋を支える棒に触ってみたりとヒヤヒヤするのが煩わしくてレッスン中は蓋を閉めがちでした。でもこんな素晴らしい音色になったピアノを是非とも味わって欲しい、面倒を避けるより、やはり楽器の扱いをしっかり教えてこそだと考えを改めた次第です。

「小劇場」での調律

2018 FEB 27 1:01:29 am by 吉田 康子

ライヴ・イマジン39の本番会場は、落語や踊りの会といった和風の催しの為の舞台でした。1年前の抽選で音楽用のホールにことごとく落選してしまい、演奏に不利なのを承知の上でやむを得ずの選択でした。公演開催については、会場ありき、が大前提で背に腹は代えられない気持ちでした。

今回の会場は「小劇場」という名前の通り、舞台の上下左右全てに反響板が無く音が四方に散ってしまう仕様、要するに音響については配慮されていない作りでした。しかも楽屋は舞台袖の延長上の廊下の両脇にあって仕切りの扉さえありませんでした。上演中に楽屋出入りの物音まで舞台に筒抜けになる状態。それなのにトイレの奥には使われないようなシャワー室までありました。また舞台上に仮設される反響板も衝立のような気休め程度、舞台の演奏者同士の音が聞き取りにくい状態でした。

そしてピアノは開館以来使われているヤマハの30年前のフルコン。しかも保管がピアノ庫ではなくて空調の無い物置のような舞台脇の倉庫。大道具小道具と一緒に仕舞われている状況を見て、これでバッハの協奏曲を弾けるのだろうか?と不安を感じ何としても調律を頼まなければ使い物にならないかもしれないと心配になりました。家のピアノを調律して下さる齋藤さんにお願いしたのは、半年以上前だったと思います。幸いにも齋藤さんの予定が空いていたので、状況を伝えて調律をお願いしました。快く受けて下さったものの、申し訳ないやら心配やら。

当日会場入りしてピアノを舞台の本番位置に置いて貰ってすぐに取り掛かって貰いました。2時間弱の間で見違えるほどの音に仕上げて下さいました。後は本番まで沢山弾いて自分の音にして下さいと言われて、時間の許す限り弾いていました。ライトの熱や舞台の空気に馴染んで弾いているうちに少しずつピアノが鳴ってきたのが感じられて嬉しくなりました。

バッハの協奏曲はピアノを斜めに置いて、左側後方にヴァイオリンとヴィオラが立ち、右側手前にチェロとコントラバス、という位置で演奏します。ピアノや反響板の位置でも響きが変わってくるので、客席でバランスを聞いてもらいました。実際にピアノ位置40cmほど動かしただけで随分と聞こえ方が良くなりました。反響板をもっと前方に、というアドバイスも戴きましたが、リハーサル時間が無くて出来ないままになってしまいました。

大抵の音楽ホールでは顔パス出来るくらいの信頼と実績のある齋藤さんも、今回のような音楽が主流でない会場は初めてでした。古い運営体質のスタッフは「ハンマーでピンを回すのが調律作業」という認識があるのか、それ以外は認めないらしく逐一見張っていて、とても窮屈でした。

譜面台のレール上で手前を開ける位置にすると私自身が自分の音を聴き易くなる、といことで譜面台両側の裏に滑り止めのテープを貼ってくれました。通常よくある事で演奏後に跡を残さずに剥がせるテープでしたが、見張っていたスタッフの辞書には無い事だったのでしょう、「ピアノの塗装が剥がれる」と認めて貰えませんでした。

また鳴りが悪いFの音があったので、本来ならばピアノアクションを全部引き出してハンマーを削って調整をすれば解決出来たのに、やらせて貰えませんでした。こういう会場でスタッフの想定外の作業で押し切ってしまうと後々私達に迷惑がかかることを懸念して作業を諦めたようです。二短調の曲の主和音の1つであるFはよく出てくる音なので残念でした。

今回のピアノは20日間くらい空調無しの物置倉庫に入りっぱなしで使われていなかったこと、移動に際しては舞台スタッフの手が足りずピアノの扱いが素人である出演者に手伝って貰っていること、「1か月前に年一回の大々的な調整をしたから良いコンディションだ」という認識だけがあって実際の整音し過ぎ状態を理解出来ていないこと、などが実際のピアノの状態にどういう影響を与えているかを全く考えていない様子でした。

公共のホールではよくありがちの現実です。使用料金が安いのは管理運営のクオリティの低さも含みなのかと思ってしまうくらいです。開館当初は建物や楽器を含む備品に税金を投じて立派なものを揃えますが、運営を丸投げ委託してしまう為に生じるお役所仕事の典型です。

以前に世界の三大ピアノが自慢のホールで、そのうちの一台をロビーに放置したままになっていて真新しい本体に大きな傷がつけられていたのを見かけたことがあります。またピアノ庫が無くて舞台上の日当たりの良い片隅に常時置かれていたり、需要の無い人里離れたホールに最新の最上機種の高価なピアノを導入して殆ど使われない状況であったりと、枚挙にいとまがありません。哀しいかなカルチャーの差でしょうか。

会場のヤマハはフルコンといえど、素人管理のせいか鳴りの悪い響きの少ないものでした。バッハには合っていたかも?と多少前向きに考えることが出来ますが、やはり分が悪いです。ピアノ弾きは自分の楽器を持ち歩けないだけに、会場の楽器を最大限に使いこなさなければならないのは、大変なものだと改めて実感しました。

当初は午前中の調律のみの予定でした。1曲目のバッハ演奏後のピアノ移動までを手伝って下さる心づもりだったようですが、最後のアンコールでピアノを使うことを知って公演が終わるまでと考えられたようです。結局夕方の終演まで立ち合って下さいました。

「コンサートの仕事は必ず何か勉強させて頂きます。立会というより勉強させて頂く時間です。益々音楽の奥深さを求めご活躍下さい」との言葉を戴き頭が下がる思いでした。

ピアノのムシ

2017 JUN 22 22:22:32 pm by 吉田 康子


作者 荒川三喜夫
出版 芳文社

巽(たつみ)ピアノ調律所に勤務する蛭田敦士(ひるた あつし)は、超一流の腕を持つピアノ調律師。 どんなピアノでも蛭田の手にかかれば、再び美しい音色を奏でる。 しかしその性格は難アリで…。 気高くも毒がある、調律師の世界へいざなう第1巻!という宣伝文句で紹介されています。

ピアノ関連の漫画は今までにも色々ありましたが、調律師を主人公としたものは私にとって初めてでした。時々行く中古CDショップの方から「面白い漫画がある」と教えて貰ったものです。音楽を、しかもピアノの調律だと音そのものを漫画でどう表現するのだろうか?という点にも興味がありました。

主人公は漫画にありがちな「天才的」な調律師。集団に属さない一匹狼で歯に衣着せない言葉や酒浸りで仕事をする状況も完全にアウトロータイプ。接客に不向きでも余りある才能で他の人には到底出来ない事を軽々とやってのける・・・学校や音楽教室の先生、音大生だけでなく、コンサートチューナー、ピアノ製作に携わる技術者、自社製品の専属調律師、調律師養成学校の様子など業界の関係者や、ピアノを金儲けの対象として企むひと癖もふた癖もありそうな怪しい人物も登場して様々な人間模様が繰り広げられます。

曰く付きのピアノが複数出現した、ピアノ線を作る職人、粗悪品の部品の流通、調律不可能なコンサートグランド、ピアノロールの再生、ピアノにヴィヴラートのある音を・・などなど謎解きを含めたストーリー展開に思わず釣り込まれて一気読みしてしまいます。またピアノについてのウンチクもたっぷり盛り込まれていていました。失語症ならぬ失音楽症やピアノの巻き線の作り方など知らなかったことも沢山あり、とても新鮮な印象がありました。

ある時私のピアノの調律師の齋藤さんにも「ご存知ですか?」と見せたら、興味深そうに眺めていました。その存在だけは小耳にはさんでいたようです。プロの立場から見ると紙面で「ダーン」という音で描かれている音出しの仕方や調律の手順などは、実際の作業ではあり得ない光景が多々見受けられるようです。やはり音を文字や画像で表す為には大袈裟なくらいの表現が必要なのかもしれません。「今度買ってじっくり読んでみますね」と齋藤さんは言っていましたが、その後の感想をお聞きしたいものです。
先月5月16日に第10巻が発売されたばかり。もちろん私も一気読みしました。

調律師 齋藤 勉さん

2017 JUN 14 16:16:55 pm by 吉田 康子


私の自宅にはNYスタインウェイがあります。ご縁あって4年ほど前に米国から個人輸入したもので、クリーブランドから航空便で運びました。このピアノの調律師を探していた時に知人からご紹介頂いたのが齋藤勉さんでした。そして斎藤勉さんのお父様、齋藤義孝さんの著書ということでこの本に出会いました。

齋藤義孝さんは、前回掲載記事の宇都宮さんより10歳下の明治39年生まれ。戦前戦後を通して調律の第一線で活躍されました。その次男にあたるのが前述の勉さんで、ご兄弟でお父様の仕事を継いで今に至ります。

この本はグランドピアノの基礎知識という副題の通り、グランドピアノの歴史的変遷や構造、響きなどについて、調律師の立場から丁寧に説明してあります。当時外国ピアノ輸入商会の技術部に在籍していた義孝さんは、世界各地の代表的ピアノで音色やタッチを学ぶ機会を得たそうです。来日演奏家からの信頼も厚くクロイツァー、レヴィ、コルトー、バックハウス、ルービンシュタイン、ケンプ、スコダなど歴史を彩るピアニストとの交流が添えられていて、私もタイムスリップしてその場に居合わせたかったと羨ましく思いました。またポーランドのピアニストであり首相も務めたパデレフスキーの自伝を愛読書として挙げ、そこから多くを学んだようです。この本は戦後の楽団演奏の資料としての回想録という意味合いも込めたと書いてありました。


長旅を経て私の自宅の小さな防音室に収まったピアノは、少し暗くてくぐもった音をしていました。ピアノ到着の一報ですぐに様子を見に来て下さった齋藤勉さんは、製造番号を見るなり大きな溜息をついて「あぁ、NYスタインウェイの一番いい時代のものです。いい楽器を手に入れましたね。」と言って下さいました。その言葉で今までの不安や心配が溶けていくような気持になりました。そして、一か月後こちらの気候に馴染ませてからの本格的な調律を約束してくれました。「今日は軽く調整程度で」と言って慣れた手つきで蓋や譜面台を外して調律を始めました。1時間もかからないうちに作業を終え、弾いてみると、まるで魔法でもかけたかのようにピアノの音が生き生きと明るく輝かしいものに変わっていました。あの感動は今でも忘れません。

昨年五反田文化センターホールでジュノームを弾いた時にも、前日に調律をして頂き大変心強く本番に臨むことが出来ました。また音楽学者としてモーツァルトの校訂者としても著名なロバートレヴィンのコンサートに行った時には、会場の紀尾井ホールで奇しくも仕事中の齋藤さんにバッタリ会い、お互いにビックリしたこともありました。

私のピアノがこちらの気候に慣れるまでには、夏が過ぎ、冬を越し、四季を巡って1年かかりました。こうして齋藤勉さんは私とこのピアノにとって信頼のおけるとても大切な方となりました。

調律師 宇都宮さん

2017 MAY 24 22:22:58 pm by 吉田 康子


【東京音楽社刊】
「宮さんのピアノ調律史」―ピアノ調律一筋に歩んだ70年間の記    宇都宮信一著

先日はファッツオリの調律師の越智さんについて書きましたが、それに続いて気にかかっていたこの本について書いてみます。

東さんのアウグストピアノの調律をご近所にお住まいの宇都宮さんのご長男、誠一さんにお願いしたという記事を読んだのがきっかけです。
アウグストのピアノ

検索してみると宇都宮信一さんは、ピアノ調律師の草分け的存在であり、日本調律師協会の設立に貢献した方であること、NHK番組「四季ユートピアノ」出演で知られる方です。日本のピアノ調律の黎明期にあって70年間をこの道一筋に歩んでこられた半生を振り返って語りかける内容になっています。

文中に出て来る同業者の方々の中で広田米太郎さんといお名前に聞き覚えがあり検索してみたら、広田ピアノの創始者とのこと。三代目広田芳一さんは現在「広田ピアノサービス」を設立されていて、奇しくも私が以前使っていたヤマハピアノの調律を長年お願いしていた方でした。

三鷹のスタジオに素晴らしいスタインウェイのフルコンがあり、そこをお借りした時に管理している方にご紹介頂きました。こうやって人と人がつながっていくんですね。狭い世界なだけに偶然とはいえ、不思議なご縁を感じました。

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