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20年前から昨年秋そして昨日までの友達の命と神山先生 (前編)

2014 APR 23 0:00:37 am by 江崎 淳一

去年夏の終わり、1、2年間隔位でたまにくる彼からの電話が鳴る。

彼と最後に会ったのは約10年前。九州に移り住み、新しい奥さんと連れ子の長男、自分の3歳位の子供とを連れて、モービルに乗せるために新潟に旅行に来たのが最後の顔合わせ。

その後、彼から掛かってくる来る、3分の電話。 お互い、まだ電話が繋がってる確認のような会話で終わる電話。 それだけで蘇るあの年の思い出。彼への感謝の気持ちとともにいつも心の片隅にある感情。

20年位前のあの年、自分は24歳か25歳。 モービルに乗り始めて3シーズン目位で、夏にアルバイトで冬のモービルに焚くガソリン代の微々たるお金作っていた。当然新潟から実家の市川に帰るなんて出来ないわけで、20年落ちのランドクルザー40での寝泊り。 冬場になると関越の高速の下に、夏は農家の人が田んぼの行き来に使う雪に埋もれたトンネルで、毎日ランクルで雪を押しつぶし自分用トンネルを作り、そのトンネルの中にモービルも停め、晴れると朝から一人で黙々と田んぼを乗り越え魚野川河川敷をひたすら走っていた。当時越後湯沢あたりは、一晩で1メーターの積雪が当たり前、外に車を停めるなんかとんでもない。モービルを3日も外に置くと、雪から掘り出すのに軽く1時間の発掘土方作業だった。当時のモービルも2月以降でないと山に入れないような性能だった。

 

生意気盛りで、モービルを始めるきっかけになったレンタル・スノーモービル・ランドから飛び出し、誰にも拘束されないソロライダーに。当時からモービルは一人きりで乗るものではなく、今でも日本で出会ったモービル乗りでソロの本格的経験者は4人しかいない。

週末に人が居る山に独りで乗り入れた時、そこでスノー・モービル・ランドのメンバーになりたての彼と出会った。彼はその年に今までの仕事を辞めた人生の転換期で、学生時代全日本に出ていたスキーを15年ぶり再開するため、越後湯沢に滑りに来てモービルに出合ったばかりだった。

それから数週間、確か2月中旬頃から毎日彼と二人で乗り始める事に。自分と一緒に乗り始めた彼は、それはそれは悲惨な目に。雪に埋まる、木にぶつかる、体をぶつける、しかし汗だくになりながらもめげなかった彼。一週間経ち、ははーこのおじさん半端じゃないな、よし、一緒に乗るか、今は下手だけど上手くなるな。そんな思いを起こさせた男だった。

乗りましたよ、75日以上。雨が降ろうが、霧で10メーター先が見えなかろうが。一日も休まず5月まで。彼は1年目で、人が週末に10年乗っても達するかどうかのレベルになった。あの当時の自分は理論的に乗り方を説明出来なかったから、自身の本能に任せて乗るのを、彼は後ろから私のてラインについて来て、それだけでした。

朝起きると、毎日モービルにガソリンを積んでくれ、朝飯食べさせてもらい、飲み屋の2階の宴会場に毎日一緒に泊まっていた。本当にさりげなく面倒みてもらった。迂闊にも(本当に何で気が付かなかったのだろう)何年も経ってからその当時の事に気が付き、その借りを返さねばと心の片隅に。

そして、20年後の去年の夏の電話が。

いつもは、毎年一回のみの電話が、週一で来るようになり3日に1回、毎日になった時「何かトラブルあるでしょ」と聞くと、「実は、、、、」。20分後にチケットを取り、翌日初めての九州に。

こちらも、昨シーズンは交通事故以来悪かった調子が神山先生の針で回復したため、5月末まで毎週モービル乗っていたのがアダになり、6月には右半身麻痺。少しよくなりかけてきていた体に不安を抱えながら、スイッチを入れた。

降り立った九州の、湿度の低さに体は絶好調に、とりあえず夕飯を食べて眠った。

 

続きます。

 

 

 

 

 

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