Sonar Members Club No.15

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ポンペイ通信 バナナ

2016 OCT 26 13:13:07 pm by トム 市原

若者がバナナを買ってくれと持って来た。
あまりにも多すぎてジャイカにほとんど持って行った。
売値5$を3$にさせた。
種類はラカタンで美味しい種類です。

バナナ

バナナ

ポンペイ通信  ポンペイりんご

2016 OCT 22 12:12:08 pm by トム 市原

 庭のポナペアップルの木が大きくなりすぎ実が沢山落ちてきて,汚すので切り倒す事にしました。
 別名ベルアップルと言ってウエデイングベルの形で7cm位かな、熟したのを振ると中の種がコロコロと音がします。
 味は甘く少し酸味が有り、サラダに丁度良いです。
 昔は子供達が群がって拾っていきましたが,もっと「OISHI」と言う中国製の駄菓子になれて見向きもしません。
 写真は近所のおばさんが木に登って取るところです。rinngo

obasann

ポンペイ通信 仕事

2016 OCT 13 23:23:01 pm by トム 市原

久しぶりに仕事をしました。
友人が新しいビルを建てた。壁紙を仕入れたけどポナペには その経験者が居ない。
30年前経師屋で手伝ったことを思い出し、施行することになった。
やっている内に段々思い出して来て捗るようになった。
何事も経験ですね、何処で役立つか判らない物ですね。

ポンペイ通信 支倉常長の子孫

2016 OCT 2 15:15:35 pm by トム 市原

 

イタリアに残る油絵

イタリアに残る油絵

 歴史上名高い支倉常長、伊達政宗の命令を受け、ローマへ旅立ったのは、皆様の習った歴史上の事実で有りましょう。
 さて、彼は同時にかなりの艶福家でも有ったようです。
 ローマ法王に拝謁し帰国へと向かいましたが、時は移り秀吉の時代になり、キリシタン禁止令が施行されました。
 洗礼を受けていた常長は入国することが出来ず、アカプルコからフイリッピンの間を行ったり来たりを繰り返していたようです。
 ポナペの隣り、コズラエ島に「支倉常長の子孫」を名乗る一族がいます。
 シグラ大酋長です。
 なぜシグラと言う名前かというと、「支倉常長」の名は日本へ帰国してからの名前で、当時は支倉六之門(シグラロクエモン)と名乗っていたのです。
 賢明なる方はもうお判りとでしょう。
 今もアカプルコ、フイリッピンにも「シグラ」を名乗る家系が有るそうです。
 そのコズラエのシグラは、長年市長を務めていました。
 世が世なら、シグラ大酋長と言えばその家の前を通る時は頭を下げたまま通らなければならなかったそうです。しかし、最近(15年前ほど)になり,そう言う制度も廃止され、今では平民となりました。
 小生と彼(50代)とは長年の付き合いがあり、とても気さくなオッさんです。
 コズラエ島も同じく米国のコンパクトマネーで経済が成り立っているので、援助の金もほとんどが政府職員の給与となり、人の良い彼のオッさんも長年給与を貰っていなく、嘆いています。
「それならなぜ市長をやめないのか?」
「誰も立候補しないからさ」
とうとう、アメリカへ行ってしまいました。

ポンペイ通信 帰国の日(ミクロネシアに)

2016 SEP 28 21:21:14 pm by トム 市原

グアム空港にて
 レンタカーが12時まで、ホテルが12時までで追い出され、飛行場へ行きチェックインを済ませ、中で時間をつぶす。ボデイチエックで、あのぐるっと回るスキャンされるかと思ったら今回はなし、あれは一人ずつ勘定して10人目に、掛けるそうだ。

 気分の悪い物で、まるでフライヤーのチキンが電子レンジで焼かれるのに似ている。
 前回引っかかり、知り合いのフイリッピンの可愛い子ちゃんがニコッとして「パパサン、バンザイ、バンザイ」とからかわれた。

 ボーデイングタイムまで7時間も有るので21番ゲートが開いてないので17番ゲートに座る。

 丁度「キムチ国」へ帰る人参達と一緒、はてさて又うるさいこと。それにしても良く食う連中だ。そとから持ち込んだベントー(弁当、国際語)を広げている。椅子の上に食い散らかして、そのまま乗っていってしまった。

 腹が減ったのでドミノピザを買う、警備のポリスも買っている、見ていると持ったまま向かいのトイレへ向かう、中で食うのだろうか? ピストルをぶらさげて、 気になる。
 テーブルが満杯で、きれいな若い女性二人がおにぎりを持ってうろうろしているので、英語で「向かいへどうぞ」と言うと、こっくりうなずいて座った。「支那ですか?」と聞くとそうだという、まるっきり英語が通じなく,かろうじて上海からだと言うのが解った。

 まだ21番ゲートが開かないので18番に座るとここもキムチ国行きで、遅れる奴が出ていて大騒ぎ。唐辛子じいさん、白菜ばあさん、ニンニクねえちゃん達が来なくて20分遅れで出発していった。急に静かになる。
 キムチさん達もリッチになったものだ、かっての日本の「猫もしゃくしも」の状態。

 18番が閉まったので19番へ移ると今度は中華達の帰国へぶつかった。ガキどもがうるさい。ザーサイばあちゃんがカップ麺を食っている。
 二の腕に「END」とタトゥーを入れた焼売兄ちゃんが居た、何がENDなのか来れも気になる,聞いて見たい。中華国では墨を入れるのはうるさくないのだろうか?

 17番は「押し寿司国の通天閣地方」へ行く便の待ち合わせだった。ここは割と静かだった。時たま「たこ焼きばあちゃん」の団体が奇声をあげている。案の定、売店でバナナチップを「沢山買うから負けろ」と交渉している。あの地方の人たちは何処へ行っても同じ調子なのだろう。

 隣で白い毛唐が1リットルのコーラと山盛りのポテトチップを食いながらパソコンを広げた。キーを打つたびに指をテーブルの下のズボンで拭いている。
 どちらかにしろと思うのはじじいのお節介か。
 向かいの白毛唐の中年のオッさん、大きな枕を持って居る。あれが無いと寝れないのかな? きっと何処へ行くのも愛用の枕がなければいけないのだろうな。

 やっと21番ゲートが開いた。なにか甲高い声で 5,6人のグループが6組ほどわめいている。耳を澄ますと懐かしいヤポンスキー語だ,何処のなかよしグループで固まって、他のグループには無関心を装っている。話しかけるのもはばかられ、そのまま機上する。

 このままポナペへ行ってくれればポナペも賑やかになるだろうと思っていたら皆、チュック島で降りてしまった。せっかくナンマドール遺跡も世界遺産に指定されたのにまだまだ認識されてないのかなあ。

 とうとう大和魂一人になってしまった。それでなくても機内温度が低いのに、なおのこと寒くなった。温度の設定は乗客の為では無く、ワーカー達にあわせているのだろうな。

 やっと「第3の故郷」ポナペへ着いた。イミグレーションも税関も話しかけると皆笑顔でホッとした。

ポンペイ通信 酒

2016 AUG 18 21:21:28 pm by トム 市原

  北ポナペには「国酒」があります。
 シャカオと言って胡椒科の根を石で叩き、ハイビスカスの木の皮で包み、その絞った物を飲みます。
 全ての公式行事には必ずこれが出ます。
  一種のアルカロイドを含み、ある程度飲むと軽い陶酔感があり、アルコールと同じように倦怠感が出てきます。
従ってポナペには飲酒運転の罰則がありません。
 新大統領のパーテイに呼ばれたときは新大統領本人はもちろん、護衛のポリスも飲み、パトカーが道路を左右にふらふら揺れながら送って行きました。
 あるアメリカ人が人身事故を起こして困り、村の酋長に相談すると、シャカオを持って被害者の所へ行き、双方で飲み交わしました。
加害者のアメリカ人が「誠に申し訳なかった、この償いをどのようにしたら良いでしょうか?」
被害者側の代表が「シャカオを飲み交わしたのでこれであなたとは身内になりましたので、この事はもう済みました」
 これは日本の「手打ち式」と同じ考え方ですね。
 以前は1$で飲み放題のシャカオバーが有って、へべれけになるまで飲んで這うように帰る輩が多かったのですが、今では1本5$の瓶売りを買って家で飲む人が多くなったようです。
岩波新書の「茶の歴史」を読むとポリネシアなどの東の方から伝わって来たようです。かの地ではカバー、ポナペでシャカオ、マリアナでチュバ、そして日本でチャもしくはシュ(酒)、いずれも言語学的にはCが入って神に捧げる飲み物として伝わって行ったようです。
 フイジーでは市場に粉末が大量に売られていました。そこでは必ず飲み終わった後には「カバー」と言ってポンと柏手を打ちます。ポナペでは必ず目をつぶって飲むのが本式です。
公式の場でこれを落とすと、さあ大変ポナペ中を探し回ってマジッシャンを探しだし祈ってもらわなければならないのです。
 マリアナででは シャカウの木が無いので穀物をかみ砕いて発酵させたものを飲みますが、今ではそれはありません。バヌアツでは今でも当たり前らしく、JAIKAのシニアボランテアはそれを飲み、後で作って居るところを見てゲーしたそうです。
 それも可愛い巫女さんならともかく、ひげもじゃのむくつけき男どもだったそうです。
 赤道直下の島々ではほとんどアルコールが禁止されていますがチュッバだけは許されています。
 これは椰子の花序に瓶を差し入れ一晩置くと1リットルほど溜まり、それを陽向へ出しておくとアルコールが発生します。
試飲しましたがおそらくアルコール分は1,2%しかないでしょうがそれでも普段強い酒を飲んでいないのでこれで充分酔うそうです。

日本でも巫女さんが噛み砕いて作ったそうですが、日本語の「唾」の語源はマリアナのチュバから伝わって来たそうです。

ポンペイ通信 潜水病

2016 AUG 11 10:10:45 am by トム 市原

これから夏に向かって水の事故が多くなります。
特にダイビングは一歩間違えると死に繋がります。
以下は朝日新聞より求められた文で明日12日の医療コラムに乗るそうです。

 ●50年前のダイビング経験
 ダイビング歴五十数年になります。私が20代の頃は、まだライセンス制度はなかったので、潜る時間や深さは、自己判断でした。
 知識もろくになく、「急に浮上するな、自分が吐いた泡を追い越さない速度でゆっくり」という程度の認識しかありませんでした。
 潜る深さを計るのも、簡単な水深計だけが頼りでした。
 ある日、伊豆半島で水深30メートルほど潜ると、写真撮影に夢中になってしまい、酸素ー空気が少なくなって、呼吸が苦しくなりました。
 急上昇してから、車で帰る途中、ひざがちくちくと痛み始めました。「これは窒素がたまったな」と思い、車のヒーターを全開にしてひざに当てていると、1時間くらいで治まりました。
 体脂肪の多い人は、脂肪に窒素がたまりやすく、浮上後に症状が現れやすいといいます。一般的には関節などの毛細血管にたまりやすいようなので、注意が必要です。
(ミクロネシア 男性 75歳)

 3年前にはこんな事がありました。実名をいれます。
 東京海洋大学の佐藤教授(60歳くらい)がポナペに珊瑚の生息調査に来て、ミクロネシア大学からサポートを頼まれ一緒にもぐりました。
 水深15mで、ふと後ろを振り返ると教授がパニック状態で暴れ、レギュレーター(呼吸器)を外しています。
すぐさま捕まえ、羽交い締めにしてレギュレーターを口に押し込み、パージボタンを押して強制的に空気を送り込みました。そしてゆっくりと上昇し、ボートに引き上げました。
 落ち着いてから様子を聞くと、糖尿でめまいを起こしたそうです。
 小生は思いきり怒り、今後は絶対に潜らない事、そうしないと貴君は良いかも知れないが、周囲に多大な迷惑を掛けるからと、強く言いました。
 その後はポナペに来ても小生に声を掛けてきません。

 長いダイビング歴の内、身近な人が水中で亡くなり、同行した人たちの気の毒さは目も当てられません。
 フイジーでは別グループで潜っていたアメリカ人が食べたものを水中でもどし、誤嚥により亡くなりました。
 日本と違って誓約書を書いているのでツアー会社の責任はそれほど追求されなかったようです。
 日本では同行した人が亡くなりました。日頃、アスレチック、ヨガなど体を鍛えていましたが、自分の体力を過信していたようです。友人としてご家族に申し上げる言葉もありません。
 保険も6m以上の深さでは対象にならなかったようです。

 日本人に欠けているのはやはり「安全意識の欠如」では無いでしょうか。
 道路のセンターライン、ガードレール、それに沢山の法規が有り、それから踏み外すとペナルテイがあり、それでも事故がありますね。
 ここポナペでは全てが自己責任で、ボートで沖へ出ても万が一の事があっても、誰も助けてはくれません。
 この20年で2人の日本人が横波を食らって事故を起こし、亡くなっています。

ポンペイ通信 パンの実

2016 AUG 4 20:20:01 pm by トム 市原

昔「戦艦バウンテイン号の反乱」という映画が有ったのを知っている方も居ると思うけど、これにパンの実が登場する。
英国支配のインドの農場の奴隷に食わせるため、戦艦を使ってタヒチ島から「パンの実の苗」を大量に運んだ。
戦艦のブライ艦長はその使命を達成するため、過酷な規律を敷き乗組員をしごいた。
あまりの厳しさに反乱が起き、ブライ艦長と士官達はわずかな食物と共に本船を追放された。
19人の乗組員たちは1日スプーン1杯の水とマッチ箱程度の食物で過ごし、盗み水をした者は容赦なく銃殺された。
41日間の漕艇の後、東チモール(オランダ領)へたどり着いた。その時のドクターの記録に寄れば収容されたときの排便がうさぎの糞程度だったそうだ。
人間の食べて居る食物の内、必要な栄養素を除けば排泄にはいくらも無かったのが実証されたそうだ。
さて、本船を乗っ取った反乱軍は東へ行き、ピトケアン島ヘ原住民と共にハーレムを築いた。
やがてイギリス政府が海軍を派遣して島を襲い、全員を処刑した。
 今もその子孫が生きて居て、観光客に語り継いで居る。

 本題のパンの実は直径20~30cm、果物で有りながら熱処理して食べる。調理法は石焼きが一番うまい、日本の石焼き芋に似ている。
 煮るのはココナッツミルクと一緒にボイルする。
 その他、未熟な実を摺り下ろしバナナの葉に包み地面に埋める、やがて発酵してどろどろになる。ポリネシアでは「ポイ」と言う、なれないと臭くて酸っぱくて食べにくい。
 更に日にちを置くと玄米パンそっくりになる、これは我々にも食える。
 更に1年以上置くと虫が沸き、固まり、味もブルーチーズそっくりになる。これをシーぜと呼ぶが、Cheesと同じ語源になるのではないか。
 年2回のシーズンに実ると、家族8人でも食いきれず、又、飽きるのか転がって蹴飛ばしている。
 それを拾ってきて発酵させ蒸留すると焼酎が出来る。
 誰もやっていないので、作って農業博覧会に出品すると大騒ぎになり、大統領まで試飲に来て「これを企業する者には優先的に融資するように」と言ってくれた。その後CESと政府機関で講演を頼まれ、作り方を披露した。
 この趣旨は島で売られている安酒(ラム、テキーラ、ウイスキーなど)はほとんどが合成酒で米国では販売できない代物だ。ほとんどが肝臓をやられ、重病になる。
自分たちの酒は自分たちで作ろうと教えたのだが、其処まで手間暇を掛けてまで作る人は少ないようだ。

パンの実 焼酎

ポンペイ通信 おじさん虫

2016 JUL 24 13:13:49 pm by トム 市原

 世の中には人に似せた虫が何種類か居ます。
 一帯に似せるのは擬態が多く、中には南米に棲む昆虫の一種で遠くから見るとワニそっくりの為、鳥類からの捕食を逃れていると考えられます。
 さてポンペイの虫は、まるでその辺に居るおじさんの顔そっくりで見つけたときは驚きでした。
 昆虫図鑑をひっくり返してもどこにも出ていません。

小生は一応第一発見者として「おじさん虫、その子」と名付けています。
おじさんは体調5mm、子供は3mm位です。
どなたかこの「おじさん」の身元を明かしてやってください。

怒ってます

おじさん虫

おじさん虫 笑ってます

ポンペイ通信 異食文化

2016 JUN 13 9:09:33 am by トム 市原

日本人が鯨を食うと白人は怒る、では牛、豚は良いのか?

彼らは「あれは神から食として与えられたから許される」と、ハワイで言われた事がある。

ある日、小生の夢枕に出てきた神は「わしはそんなこと言った覚えがないぞ」と、のたまわっていた。

 

ここではワン公を食う、スペイン時代に豚、鶏と共に運ばれて来た、当然、家畜としてだ。

友人の友人が「無人島で結婚式を挙げたい」というので地元の有力者の協力のもと、ナーラップ島で華やかな演出で行った。

オーナーがかわいい犬を飼って居たので「名前は?」「無いよ、どうして?」「???」

「じゃ、私が名前を付ける、バービーキューだ」地元の人は大笑いしていた。

無事、式も終わりローカルフーズの宴会が始まった。

招待した大使館をはじめ、ジャイカ関係者も大勢来ていた。

日本人のあいだから誰からともなく「犬が焼かれている」あちゃー、余計な事を言わなければ良かった。

さすがに小生は食べる気は無かったが大使をはじめ、ご婦人方も「うわーとんでも無いことね」と言いながらも味見に行った。

 

24年前最初にここへ来たときに、ホームステイして、皆仕事へ行っていておばさんしか居なかった。

黒犬が居て、なついて来て、おばさんが「可愛いか?」と言っているらしい、彼女はポナペ語しか話せない、こちらは英語しか話せない。

なんと夕餉には焼かれた頭がでーんとお盆の上に載せてあり、客人には頭を出すのが礼儀らしい。

かわいそうなので鼻の所の肉を少しつまんであげた。

 

15年ほど前、一時勉学のためグアムに住んでいた。

ある日の Pacific Star新聞にこんな記事があった。

ニューギニアでおそらく最後の食人裁判が開かれた、一人の女性を二人の男が言い寄った。女性は両方とも好きだったが、自分の体は一つしかない、いっその事二人で食べて下さい、本当に食べてしまった。

それが罪に該当するかの裁判だった。

後日、友人のPeter Mailan(グアム大学)にその話をすると
「ん、俺は知っている、その後ニューギニアに行った時、通り掛かりの男に『あんた、人を食った事があるか?』。3人の男は「NO!」4人目の男は「忘れた」そうだ」
4人目が怪しい。

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