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初春の言葉遊び

2022 JAN 19 10:10:07 am by 西村 淳

We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

さあ、この英文詩を見てどう訳すだろう?

DeepL翻訳ツール(無料): 
私たちは、前と後を見る
    そして、そうでないものを切望する。
  私たちの心からの笑いは
    何らかの苦痛を伴う。
私たちの最も甘い歌は、最も悲しい思いを語るものである。

この翻訳だと意味は通じても何の感興も感激もないが、普通の人がやると似たり寄ったりだろう。この詩は、大好きな夏目漱石の「草枕」の一節に出てくるもので少々長いが引用する。

『春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
 (冒頭の英文詩挿入)
私たちの最も甘い歌は、最も悲しい思いを語るものである。
「前をみては、後を見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」
なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よくばん万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。』

格調高い。漱石好きだなあ。到底こんなふうには訳せないし、只々感心あるのみ。自動翻訳機がAIを搭載してもこうは絶対にならない。新たな創造なんだから。
私が音楽に対してこだわり、表現しようとしているものを言葉に持っているのが詩人であろう。彼の言葉に対する半端ないこだわりは理解できる。チェロの練習はきれいな音を出そうとして指遣い、弓の速度、弓の圧力、弦の選択と場所を見つける。そこから伝えたい音が出た時のよろこびはきっとα波が大いに放出されているに違いない。手段、手法は違っても同じようなことが詩人の創作にも当てはまるのだろう。
表現手段としての言葉の力はイメージを直接的に伝えるものだけにそのエネルギーは音楽を圧倒する。そこに歌手がいるだけで総ての器楽奏者はそのしもべになってしまう。なるほど歌手のギャラは高いはずだ。リヒャルト・シュトラウスの最後のオペラ、「カプリッチョ」では音楽か言葉かをめぐる大論争を軸に展開するがその結末は闇の中で終わってしまう。類稀な作曲家としてリヒャルト・シュトラウスは音楽に軍配を挙げたかったに違いないが、そうもできなかったわけだ。

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