3.01回、死を意識出来た2011年
2014 JAN 25 22:22:11 pm by 江崎 淳一
二月十四日 物理的に
北海道の全日本のレース会場観戦から帰る途中、夕方お互い70キロ同志で歩行者が横断しているのが見えていなかった対向車がいきなり自分のシート30センチ後ろにぶつかり(人生交通事故体験中初めて身構えれなかった)、その後、0.5秒以内で左側のガードレールに突き刺さり停車。これで交通事故後遺症認定者になりました。
(それから一年半激痛の毎日を過ごし、ついに図書館で神山先生の本と出会えました。)
三月十一日 距離的に
大地震。
(夏になってもボランティアに事故の後遺症で行きたいけど行けなった悔しさが今年3月に立ち上げていただけそうな、NPO団体に実りそうでとても楽しみです。)
地震後約一週間 遊びで
ドクターストップ掛かってましたが、アメリカジャクソンホールのヒルクライムのレースに向こうの友達のプロライダーの友達のマシーンを借りて出場。中学生あたりで読んでいた広瀬さんの「東京に原発を」の知識が鮮明に頭の隅っこににあり、妹夫婦もちょうどオーストラリアに一週間弱と重なっていたので両親に頼み込み、自分がアメリカにいる間だけ、奈良のウイークリーマンションに仮住してもらいまでして、レーススタート5秒でその日最初の前転一回転の大転倒。会場中からの歓声の中一度立ち上がり脳震盪を起しているので倒れこみ、それでも歓声にこたえるために立ち上がり、両手を上げるとさらに歓声を起してくれるアメリカン。ちなみにこの場所でその後に三人骨折、次の日にはコースから外れてました。(これが、0.01回分)
(今年3月第3週の木曜日そのレースに再度出ようと決心していましたら、アメリカのチューウニング屋さんからメールで 「ジュンイチ ウチノ ボアップシテアル デモシャ オマエ ジャクソンデレース二ツカウカ?」 で、「イエス」と言ったのが確か去年の10月下旬でした。)
九月上旬 意識して
アメリカでのスノーモービルのシーズンは、第2週末にミネソタのスノーモービルショウとともに始まるので、その週末前からホームタウン化してるアイダホホールで一週間ぐらい仕事?友達に会いに?いろんな会社やお宅にいくのですが、その町で世界一美しい音色(自分はそう聞こえます)を出すサイレンサー(マフラー)を、自分自身で手作りしているスコットに会いに行くと。「ジュンイチ 飛びに行くぞ」と彼のアクロバット飛行機での、7.5Gの世界へのお誘い。 その日自分は彼とのアクロバットは2回目で、彼と息子とデービットと自分四人で、彼ら自身が共同で所有している飛行場に。まず、最初にデービットとスコットとの飛行に出ていき、自分の番に。今回は後遺症が影響しかなり吐き気を感じてたのですが、「まだ大丈夫か」かとのイヤホン越しの会話の中(イヤホンでお互い喋らないとエンジン音で聞こえない)「もちろん大丈夫」とあおり続けければさらに絶叫が出るトリックをバンバン15発ほど経験させていただき、飛行場に平常飛行で帰る途中、「ユアドライブ」とのスコットの無線が入りその瞬間から自分が操縦幹を操作し始め、「左に旋回」とスコットの指令ともに左旋回、こないだの機体より鈍感だなーなんて思ってると「右に旋回」の指令で右旋回開始と共に、あれっエンジンボコついたんじゃんて本能的に感じ、スコットに話しかけようかなと思った瞬間スコットが自ら操縦幹を動かし初め、他の操作部品にも触りまくっている気配が。(自分が前席に座っていてパラシュートも付けた状態で5点式のシートベルトでびた一文動けない状態でいます) 前回飛んだときに、必ず操縦を交代する時「ユアドライブ」って声をかけ交代することと教えられてたので、「やばいじゃないみたい」なギャグを言ったら、スコットは真剣な声で「それはおもしろくない」とお互い5秒の沈黙後、、「ガス欠している緊急着陸する」と「OK」が最後の会話。
(機体をわずかに右に傾け地面を見始めたの感じ、それと共にスコットに命をあずけようって思い半分、あと数十秒は生きているなとの思い半分。アクロバットしてた時あれだけ叫んでいたから、今からは一言も発せず冷静に逝こうと次に考えていた着地までの20秒間。)
なぜに、いまこの文章を打てているのか。
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東 賢太郎
1/27/2014 | 12:20 AM Permalink
1度だけサンフランシスコで、夜の野原に一人でいて5-6匹のでっかい野犬に囲まれて死んだと思ったことがありました。どういうわけか犬が逃げました。お互いあんまりそういう思いはしない方がいいですね。