ストラヴィンスキー 「ペトルーシュカ」の編曲版
2019 JUL 3 23:23:59 pm by 吉田 康子
古い楽譜が好きです。昔のものは経年劣化していても趣があります。私より年上の楽譜もありますが、表紙の活字や装丁からも当時の空気が伝わってくるような気がします。単なるデータであれば今はiPadでも用を成すのでしょうけれど。
これも中古で買い集めた楽譜のひとつです。
ペトルーシュカはいずれも作曲者自身による「4手編曲版」と「ペトルーシュカからの3章」という名前のついている独奏版の二つがあります。もともとは、ディアギレフ率いるロシアバレエ団のために、1910~1911年にオーケストラ用に作曲されました。老魔術師に命を与えられた人形のペトルーシュカ(ピョートルの愛称)、ムーア人、バレリーナの物語です。画家であり演出家であったアレクサンドル・ベノワの台本に沿って構想が進められました。ベノワの大きな貢献があったため「4手編曲版」にはべノワの名前が扉に記されていて、四つの場面の説明が曲ごとにはいっています。「ペトルーシュカ」の初演は1911年ですから「春の祭典」の2年前のこと。1912年にBerlin; Moscou; Leipzig; New York &c., Édition Russe de Musique から出版され、現在はブージー・アンド・ホークスから出ています。
2014年のライヴ・イマジン28で「春の祭典」4手版を演奏した時のアンコールとして、この「4手編曲版」から「ロシア舞曲」を取り上げました。一般的に4手版は1台のピアノを2人で弾きますが、この曲の場合は2人の音域が近く重複する音もあるので、詳しい打ち合わせが必要でした。場合によっては2台ピアノで弾くのもアリかもしれません。実際に2台でも試しましたが、今度はお互いの距離が離れてしまう為に呼吸を合わせるのが難しく、結局1台での演奏になりました。速いテンポで歯切れよく和音を弾き、2人で合わせるのは難しかったです。また独奏版にあるカッコいいグリッサンドがこの版には無かったので、勝手に入れて弾きました。
一方「ペトルーシュカからの3章」は1921年ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインに献呈されたもの。曲の並びも「4手版」と違います。「3章」のほうが今では有名になって時々コンサートにも取り上げられますが、ご覧の通り大変な技巧を要するため、とても高いハードルです。2人で弾いても大変なものを独りで弾くなんて・・私には、とても手の届かないところにある曲です。
ちなみにストラヴィンスキーの友人だったルービンシュタインは、以前献呈されたソナタが気に入らなかったようです。この曲はイゴールにとって「これなら、どうだ?」というリベンジの意味合いもあったとか。それでも自己流に変えて弾いてしまったルービンシュタイン独自の版が存在しますが、これは未出版。傍から見れば何とも贅沢な話ですが、それでも2人は仲良しだった様子がルービンシュタインの自伝からも伺えました。
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西村 淳
7/5/2019 | 5:44 AM Permalink
ベノワって何者かと思いましたがそんな立場だったと初めて知りました。ロシアバレーであればニジンスキーも何かの役で登場したでしょうし、ピアノ編曲版で練習している姿を夢想します。
アンコールでの演奏はあまり記憶にありませんが・・スミマセン。
吉田 康子
7/5/2019 | 1:17 PM Permalink
検索すると、ニジンスキーは主演ダンサーとして1911年『ペトルーシュカ』(ストラヴィンスキー)にペトルーシュカ役で出演したようです。 同年ウェーバー『舞踏への勧誘』の音楽での『薔薇の精』という演目では「まるで空を飛んだような高い跳躍」を見せて人々を驚かせ、『牧神の午後』では物議を醸しました。映画の『春の祭典』の振り付けと練習の場面でピアノを弾いていたのは、確かストラヴィンスキーだったような。
余談ですが日本人画家の石井柏亭と安井曾太郎はパリで、山田耕筰はベルリンで、音楽評論家・大田黒元雄はロンドンでニジンスキーの公演を見たという記録があり、第一次大戦前の芸術の豊饒の時に現地に居て本物に触れることが出来たのは何とも羨ましい限りです。