連弾版「モルダウ」
2018 MAR 16 16:16:50 pm by 吉田 康子
来週ピアノの発表会があります。「生徒の独奏と連弾、そして最後に先生達の連弾」という形で18回目、すなわち18年目。出演する生徒だけでなく「先生」という立場の私達にとっても年一回のイベントです。同窓の1年先輩の方との連弾で、今迄色々な曲を弾いてきましたが、今回は「モルダウ」にしました。
交響詩「モルダウ」
下は冒頭部分のスコアです。フルートソロから第1の源流。もうひとつフルートで第2の源流、クラリネットも入り次第に本流に。
「モルダウ」は、スメタナ作曲の6曲から成る交響詩「わが祖国」の中で特に有名な第2曲目。1874年に作曲されヴルダヴァ川(ドイツ語名モルダウ川)の流れを描写したもので哀愁漂う旋律で人気の曲です。これに何とスメタナ自身編曲のピアノ連弾版があることを初めて知りました。
連弾版「モルダウ」
下の連弾用の楽譜は有名な主旋律のところ。左が低音部分担当のセコンド、右が高音部分担当のプリモのパート譜です。さすがに作曲者自身の編曲だけあって連弾でも相方の指にぶつからないように巧みに避けながら原曲に近い表現が出来る配分は見事なものです。川の流れを細かな16分音符で伝えてきますが、連弾の場合は2人でピッタリと合わせないと「氾濫」をおこしそうになります。楽譜の各場面に情景の描写を示す言葉が添えられていて標題音楽の形をとっています。「森・狩り」や「村の婚礼」「月の光」「水の精の舞」などの場面があり、実際にはエルベ河となってドイツ領に流れていきますが、チェコの人々の暮らしに溶け込んでいるモルダウの存在の大きさを感じさせます。
私にとって「モルダウ」は原曲の通り「オーケストラで演奏される曲」であり「プラハの春音楽祭のオープニング曲」いう認識がありましたが、歌詞がついて立派な合唱曲にもなっています。作曲者スメタナは知る由も無いでしょうけど、やはり美しい旋律に歌を添えたいと思う人がいるようです。これと同様にホルストの組曲「惑星」の中の「木星」は「ジュピター」という名前の歌の方が一般的には有名だったり、ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」の第2楽章も歌としての編曲があるようです。こうやってみると「クラシック」と呼ばれるジャンルの旋律は大事に仕舞っておいたり飾っておく古めかしい骨董品ではなくて、現代にも通用する応用範囲の広い身近な実用品という感じがします。
合唱曲「モルダウ」
合唱曲「モルダウ」は、中高生の学校行事である「校内合唱コンクール」の定番になっていて、合唱曲として知っている人も多いようです。多少教訓めいた歌詞に学校教育用を前提にしているような意図を感じるのは、私だけかもしれませんが。
別にウケ狙いを考えたわけではありませんが、耳慣れた旋律という点でこういう場で弾くには相応しいものだと思いました。以前ラヴェルの「ラ・ヴァルス」よりチャイコフスキーの「花のワルツ」の方が「感動した」という方々が多かったこともあります。親しみのある曲なだけに、滞りない流れを感じさせる演奏が大事だと思います。本番まであと少し、会場のピアノはベヒシュタインのセミコン。小ぶりながらも美しい響きとパワーのある楽器です。当日を楽しみに練習しています。
Categories:雑感
東 賢太郎
3/18/2018 | 5:13 PM Permalink
モルダウはシンセサイザーでオケのまま録音しました。川の流れの16分音符が上がって→下がっての繰り返しで、あっこれは川面の波だと思いました。北斎の例の波みたいな、あれの小さいのですね、それを「歌」の裏で第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが伴奏でざわざわやっていて「川」のイメージが巧みに出ます。全曲にわたって、隠し味なんですがそういう意匠がちりばめられていて、僕はスメタナはまずオーケストレーションの大家という印象を持っています。「歌」の旋律の魅力も圧倒的でパワフルですね、こういうのを書ける能力に古いも新しいもないと思います。これを聴覚がなくなってから書いたというのも驚嘆に値します。ベートーベンだけがそれで有名ですががスメタナはもっと知られてもいいと思います。
吉田 康子
3/19/2018 | 1:32 AM Permalink
「オケのまま録音した」ということは、原曲のスコアをよくご存知なんですね。ご指摘の通り、川の流れのような16分音符が背景に常に鳴っていて、時に厚い響きになったり水のうねりのようにアクセントがついていたりと巧みなオーケストレーションだと思います。またそしてそれを過不足なくピアノ連弾に置き換えてしまえるところにスメタナ自身の力量を感じます。
聴覚障害についてもベートーヴェンだけではなくスメタナも最盛期に短期間で聴力を失ったようですから、その精神力が音楽の深化をもたらしたのでしょう。同様にフォーレも初老期に音程がずれて聴こえる障害を発症したと記憶しています。
maeda
3/19/2018 | 1:40 PM Permalink
スメタナの管弦楽法というと、モルダウも入っている我が祖国の終わり2曲、ターボルとブラニークを弾いた時のことを思い出します。えらく鳴りの悪い曲で最強音で弾いても音が籠もってしまい届かず虚しい状況で、例えばリムスキーコルサコフのように十二分に性能を発揮させてくれるのとは対極的でした。
ですが、この一見功を奏しない徒労が鬱々と怨念のこもった響きを作り出すのです。そこまで考慮した管弦楽法なら凄いですね。
東 賢太郎
3/19/2018 | 8:38 PM Permalink
シンセに「オケのまま録音」というのはスコアの全音符を楽器ごとに鍵盤で弾いて「ひとり合奏」するということなので、これ一曲で半年ほどかかったと記憶しております。特に波の伴奏が大変で何度やっても気に入らず、しかも中低音がかぶさって混濁することがわかってヴィオラ、チェロの音量を要所要所で下げるのに大変苦労したのが楽しい思い出です。ひとまず全曲を完成した時の喜びはひとしおでした。それを今度は部分部分で速さやダイナミクスを変えて「自分のモルダウ」にする過程は指揮とはこういうものかという仮想体験でとても価値あるものでした。
東 賢太郎
3/20/2018 | 11:21 AM Permalink
前田さん、スコアをご覧ください。24小節目から入るヴィオラのシです。これがフルート、クラリネットの波動に合わせて16分音符でシドシド・・・と単純な反復をひっそりと奏します(pで!)。これを弾いた時の驚きは、シンセで何十曲も弾きましたが、1,2を争うものです。水面の小波で映った月が揺れているような・・・とにかく劇薬的効果で、ストラヴィンスキーが春の祭典の練習番号8に入れたコントラバスのソロ(シ♭)に匹敵します。
吉田 康子
3/20/2018 | 2:56 PM Permalink
音楽の楽しみ方って色々ありますね。
聴くだけ人は、曲そのものだけでなく演奏や録音についても独自の見解があると思います。「誰それの何年の録音は素晴らしい」みたいに語り合う喜びがあるでしょう。
楽器を演奏する人は、自分が演奏することそのものを味わう喜びがあります。自分の技量はともかくも表現するという点において一期一会の瞬間を楽しめます。たぶんmaedaさんや私はこちらの要素が大きいでしょう。
それ以外にも東さんのように楽譜の音符を音に置き換えてみる作業で、演奏者や指揮者の気分を味わうと同時に作曲者の意図を汲むという楽しみ方があるのだと思いました。
西村 淳
3/20/2018 | 9:44 PM Permalink
この曲は有名なテーマより、中間部の月の光に照らされた水面とそこに立ち昇ってくる精霊。その情景にああ、なんて美しいんだろうって思ったことを思い出します。
アルルの女の「アダージェット」とか私の音楽の原点がここにありそうです。
maeda
3/21/2018 | 9:39 AM Permalink
このVlaは確かに重要な要素ですね。この音をVlaに担わせるのは味わい深い効果があります。楽器毎に様々な得意・不得意があるので、機械のように現場は操作できませんけれど、大家の譜面は色々配慮されています。
吉田 康子
3/22/2018 | 12:42 AM Permalink
中間部はとても美しいですね。
ミュートをかけた弦のやわらかな響きが幻想的な雰囲気を出しているのかもしれません。また、物語を読んでいるように場面転換があり、それぞれを引き立てているように感じます。
吉田 康子
3/22/2018 | 12:43 AM Permalink
今日は雪交じりの冷たい雨の春分の日でしたが、無事に発表会を終えました。もちろん「モルダウ」の本番でもありました。演奏については色々と反省点はありますが、やはり耳慣れた旋律というのは、それだけで聴く人にそれぞれの思い出を甦らせるようです。あの哀愁漂う旋律に助けられたせいか、皆さんには好評でした。先ず「弾く」という点において大変でしたが、とてもやり甲斐のあるもので、存分に楽しめました。