Soner Menbers Club No43

Since May 2014

久しぶりに

2017 NOV 15 16:16:07 pm by 吉田 康子

ブログ記事を書きました。[忘れていたわけではない」というのは言い訳ですが、日々「何か書かなきゃ」と思いつつも他の方の記事を読んでは、圧倒されて気後れしていました。一つの物事に対しての知識、経験の足りなさを痛感し、また何かを表現出来る言い回しや語彙、気持ちの表し方の絶対量が少ないなと。
まぁそこまで気負わなくても私なりに身の周りの出来事や思った事を書けばいいかなと自分を励ましています。やはり勉強不足というのが一番の反省点ですが。

11月に入って、次回のライヴイマジン39の練習が始まりました。弦楽器の方々は大半が3曲全部に参加なので、準備だけでも大変そうです。イマジン以外にも他のオケや室内楽の団体にも所属している方ばかり。私はバッハのピアノ協奏曲第1番のみの参加でも大変なのに一体どうやって時間を工夫しているのだろう?と感心してしまいます。

「バッハの協奏曲をピアノで弾く」ということ自体に一つのハードルがありましたが、私はチェンバロが弾けないし巷でもピアノで弾く場合が多いことを踏まえて「ピアノでの」協奏曲という形に落ち着きました。ブランデンブルグ協奏曲第5番を弾いたことはあるものの、今回は更に大きな役割を担う立場になります。

ロシアもののような分厚い和音やショパンのような大きな跳躍は無いので、そういう点での左手の負荷は少ないですが、和声の移り変わり、拍節感やリズム、主題の展開やフレーズには独特の難しさがあります。やはりバッハの音楽の深さに改めて姿勢を糺す思いです。

まだまだ駆け出したばかりですが、26日の初顔合わせに向けて万全の体勢で臨むべく全力で取り組んでいる、といったところです。色々な参考文献や音源などをアドバイスして下さる方、レッスンをお願いしたい先生方が身近にいて、とても心強いです。これからが私自身の勉強です。

私のリハビリ報告

2017 SEP 26 13:13:24 pm by 吉田 康子

前の「骨折報告」から約1ヶ月。「リハビリは、最初の2週間が勝負!」と書いてあったサイトを見つけましたが、やはり最初が肝心ということでしょうね。今は一週間のうち平日3回は病院に行き、毎週末には電気治療に通っています。病院が家から5分という近距離であるのも助かりました。そして実を言えば、私の担当の理学療法士が27歳で爽やかなイケメンなのもささやかな励みになっています♪

先週医師の診察があり、レントゲンで骨がきちんと正しい位置に戻っていることを確認。骨に釘が刺さっていた穴も、プレートが6本のボルトで固定してあるのもハッキリ見えました。今回はその画像をプリントアウトして貰ってきました。なかなかリアルなもので、閲覧注意かもしれませんね。

手首の動きも順調に回復しているとのこと。手のひら側に手首を曲げる掌屈、手の甲側に曲げる背屈、回転、上下動など、以前は当たり前に動いた手首が抜釘直後は石のように固まっていました。それを少しずつ丁寧にストレッチしたり、マイクロカレントで癒着を外していきました。可動域としてはまだ7割くらい。一般的には「固定していた期間の倍の時間が回復に必要」とか。あと2ヶ月ほどかかりそうです。

握力も右手30kgに対して1か月前の左手はたったの5kgで歯ブラシも持てなかったのが、現在では17kgになりました。日常の動作には殆ど支障が無いくらいになり、見た目にも浮腫んでいた手首のあたりが徐々にスッキリとしてきました。釘の痕や手首のプレート装着の手術痕はまだ生々しく残っています。

ピアノは以前の8割くらいのペースで弾いています。右手も左手に伴って筋力が落ちているので徐々に取り戻さないと。10月公演を見送り、次回来年2月のバッハのピアノ協奏曲第1番で復帰予定です。練習予定や場所そして当日の調律まで全て段取りを随分前に済ませてあり、メンバーも着々と準備を重ねている便りが届いています。その合奏練習が11月に迫っています。骨折を言い訳には出来ません。これを励みにこれからペースを上げて練習していきます。

やっとここまで取り戻しました。前の「骨折報告」はなるべく客観的に描いたつもりでしたが、読み返してみると私にとって大きな試練だった悲壮感が伝わってきました。我ながらよく乗り切ったものだと思います。私からの説明代わりに読んで下さった方々からは「思いのほか大きな出来事だったことに驚いた」という感想と同時にその後どうしているのだろう?と気掛かりであることも聞きました。

あれから1ヶ月たってようやく気持ちにも余裕が出てきました。大丈夫、おかげ様で一歩ずつ確実に回復しています。心配して下さった方々に感謝の気持ちと共に今の様子をお知らせしたくてこの文章を書きました。まだまだ時間がかかりますが、これからもしっかりと対峙していきます。いずれプレート除去をして「完治報告」で一連の「報告」を締めくくれるように頑張っていきたいと考えています。

来年2月17日、私の復帰記念のバッハを楽しみにしていて下さい。

ライヴ・イマジン38公演ご案内

2017 SEP 14 2:02:43 am by 吉田 康子


次回のライヴ・イマジン38の公演の葉書が出来上がりましたので、ここでご案内させて下さい。前回5/7公演の数週間後から合奏練習を始めて準備を進めてきましたが、私の手首骨折での出演見送りにより曲目変更をお願いしました。今まで15年間活動を続けてきて初めての「不測の事態」でしたが、メンバー皆さんのお力により新たな曲目で公演を行える運びとなりました。皆様のご来場をお待ちしております。

ライヴ・イマジン38
2017年10月8日(日)13:30開場 14:00開演
江東区豊洲シビックセンターホール

ハイドン 弦楽四重奏曲 ト長調 Op.64-4
モーツァルト オーボエ四重奏曲 K370
モーツァルト コールアングレと弦楽の為のアダージョ K580a
ブラームス 弦楽五重奏曲第2番ト長調 Op.111

野原 国弘(オーボエ・コールアングレ)
柳生 峰人(ヴァイオリン) 井ノ口 上杖(ヴァイオリン)
畑 修一(ヴィオラ) 吉水 宏太郎(ヴィオラ) 西村 淳(チェロ) 

詳しくはこちらをご覧ください。http://liveimaginemusic.blog91.fc2.com/

草炎

2017 SEP 5 21:21:19 pm by 吉田 康子

週末に竹橋にある国立近代美術館に行ってきました。
ここは学生時代に独りで静かな時間を過ごしたい時によく足を運んだ場所です。その後は行った記憶が無いので、本当に何十年ぶり。美術館の周辺は毎日新聞社の建物と皇居、そしてその間に車が行き交う片側3車線の広い道路だけ。皇居を周回してジョギングする人達以外には歩いている人も少ない風景は、都会にありながらそこだけ特別な空間のように感じられます。

先週8/29の日経の日曜版に川端龍子の「草炎」(1930年絹本着色、六曲一双、各176.8×369.5cm)という作品が紹介されていました。これを一目見て気に入り、是非本物を見たいと思ったのがきっかけです。恥ずかしいことに私はこの作品について知識が無く、この画家を知りませんでした。

9月最初の週末、秋の気配がする小雨の午前中。にわか雨を表す「驟雨(しゅうう)」という言葉がぴったりくるような空模様。あいにくの天気のせいか開館直後の会場は訪れる人も少なくて静まりかえっていました。この絵は6枚2組の屏風(六曲一双というそうです)に仕立てられていて、全体の幅7mを越える大作。濃紺の絹の生地の上に濃淡のある金色で描いてあるのは、観賞用に栽培した草花でなく、そのへんの草むらで見かけるような雑草。そういえば見たことのある草ばかり。もわっと草いきれが伝わってきそうな力強さを感じました。
 
夏の夜の闇を思わせるような濃い背景に浮かび上がる金色の草たち。ほぼ単色に見えるのに遠近が感じられるのは何故?と近づいたり離れてみたりしてどんな風に描いているのか目を凝らしてみました。微妙な色彩の差や筆のタッチの違いも計算した上でのことなのでしょうか。奥行を感じさせる画面の一番奥の方から手前にかけて明るく色鮮やかに輝いているのは、強い太陽光の残像?それとも夏の月光?
この絵を見ていると、バルトークの「戸外にて」の「Out of Doors 戸外にて」 (BB 89/Sz. 81、1926年)第4曲”The Night Music”の息が詰まるような熱気が聞こえてくるような気がしました。この絵の背景に同調するかのような薄暗い展示室に浮かび上がる様は、「草炎」という名が相応しいと実感しました。
https://youtu.be/cZT6-ifNqiY


薄暗い展示室は4階から下の階に降りる順路となっていて、途中には「眺めのいい部屋」という名前が付いたガラス張りの部屋もありました。目の前の皇居の緑がとても美しく、無造作に並べられた椅子に座って一息するにはちょうどいい場所でレイアウトの巧みさを感じました。

一通り展示を見終わって外に出ると、雨上がりの空に流れが早い雲、そしてその隙間から明るい陽射しが差し込んできました。久しぶりの美術館、絵を見るだけの余裕が出て来た私自身が嬉しく、心にも栄養をたっぷり貰ったような豊かな気分になりました。

追記1
■きっかけになった記事を以下に添えておきます。


また、これは犬好きとして知られた川端龍子です。草炎の豪奢な厳しさからは予想がつかない、そばに寄り添っている犬との様子が何とも微笑ましいです。

追記2
■以下は印象に残った作品をいくつか。私の備忘録でもあります。

川合玉堂《二日月》絹本墨画淡彩、1907年

いわゆる墨絵と言われるものでしょうか。掛け軸に仕立てられていて、白黒の濃淡だけで奥行を表し、水や木々、石、山の稜線など様々な質感を出しているところに惹かれました。

藤田嗣治《武漢進撃》、油彩、1938-40年

ターナーの絵を思わせる構図で軍艦を描いたフジタの戦争画分類に入る作品だと思います。立ち上る煙、水面のさざ波、水平線と空との境に向かって進む軍艦の動きが伝わってくるような構図が見事。

パウル・クレー「破壊された町」

クレーの作品は暖かい色彩の楽しそうなものというイメージだったのに、これは題名通りの不気味な空気。

アンリ・マティス (1869-1954)「ルネ、緑のハーモニー」

緑と灰色を主調に、肘掛椅子に座る女性。「近年のマティス研究で重視される描き直しや掻き落としのさまが顕著に見られる、国内でも数少ない作例。」 と解説にありました。
画家にとって絵というものはいつが完成なんだろう?と解説を読んで考えました。画家が伝えたい事を全て描ききった時点がその作品の完成となるのだろうか?作品自体が後世まで残り、独り歩きをして売買の対象となる商品にもなり得るものだし、このあたりが音楽を演奏するという事と違うのかな?と。

そしてこの美術館をよく訪れた当時の記憶をたどってみると、入り口を入ってすぐに大きな桜の日本画がありました。検索してみると、たぶんこれだったような。
菊池芳文《小雨ふる吉野》(左隻) 1914年だそうです。懐かしい友人に再会したような温かい気持ちになりました。

私の骨折報告

2017 AUG 29 0:00:10 am by 吉田 康子

私にとって今年の夏は悪夢のようでした。
7月の始めに私は出先で歩行中に転んで左手首を強打し骨折してしまいました。
「現場」は大理石のスロープ、雨上がりで濡れて滑りやすくなっていた場所。
今でも「その瞬間」は何度もフラッシュバックします。それまで見たことのないような自分の手首の様子に「ただ事ではない」「とんでもない事になった」と直感し、痛みよりもはるかに大きなショックに襲われました。

すぐに病院に行きレントゲン診断の結果「骨折」と言われてギプス固定という処置を受けました。これが足の骨折だったら、そのまま1ヶ月成り行きに任せたでしょう。でもピアノを弾く私にとって、手首だけに予後が心配でした。「このまま単なる固定だけにしておいて大丈夫なのか?」と。後悔よりこれから先の事の方が重要でした。不自由なギプスの左腕を抱えて、疑心暗鬼のまま納得がいく診断を求めて病院を次々とまわりました。休日診療の病院、地元の総合病院、リハビリの出来る整形外科、そして4軒目にようやくレントゲンだけでなくCTを撮ってきちんと現状把握をしてくれた手の専門の整形外科医に。

腕の太い方の骨(橈骨・・とうこつ)に縦に割れ目が入り、そこに手首の骨の一部が落ち込んでいる複雑な骨折であることが判明。このままでは、ずれた位置で固まってしまい手首の稼働域が大幅に狭まること、そして神経が癒着して痛みが残る可能性があるとのこと。元通りにピアノを弾く為には手術しか選択の余地はありません。私にとっては最悪の事態とはいえ、ようやく合点がいった気がしました。

翌日まで「手術の方針を考える時間が欲しい」と医師に言われた程の状況でした。結局手術は、手首全体を引っ張り上げて元の位置に戻してピンで固定、割れ目の入った橈骨にプレートをあてて修復するという方針に決定。それならすぐにでも手術をして欲しい気持ちでしたが、整形外科で有名な病院なので手術予定が立て込んでいて、骨が固まってくる2週間前ギリギリの受傷後12日目に何とか時間を空けてもらいました。

もし、あのままギプスのまま1ヶ月過ごしていたら?と思うとゾッとします。必死で最善の策を掴み取った自分を褒めて励ましてやりたい気持ちでした。「待つこと」が嫌いな私には、入院までがとても長く感じられ、「ここまで来たら、あとは医者に任せるしかない」と繰り返し自分に言い聞かせながら日々を過ごしました。

入院は一週間。「難しい手術」と医師が言っていた通り、全身麻酔で通常のプレート手術の3倍以上の時間がかかりましたが無事に終了。術後は創外固定といって手の甲と腕の中ほどの2箇所に直径3mm、長さ8.5cmのピンというより釘を2本ずつ垂直に刺し、その間を鉛筆のような金属棒で位置固定するものでした。この状態で骨が固まるまでの1ヶ月待たなくてはなりません。ギプスの半分の範囲とはいえ、自分の腕と手の甲に釘が直接刺さっている様子は何とも生々しいものです。疼痛が時折あるくらいで強い痛みが無かったのがせめてもの救いでした。手の平の下にはプレート装着の6cmほどの傷もありました。「見た目問題」という言葉を最近見かけますが、外観の異常に対する好奇の視線に晒されたくなくて退院後は人目を避ける生活を送りました。

退院一週間後に抜糸と消毒。2箇所の釘の根元に3針ずつ、他にも腕に3針、プレートを入れた手首の下には15針ほどの痕。ひと針ずつ抜糸をするのをしっかり目を凝らして見届けながら「1針、2針・・」と数えていました。こういうのを怖がる人もいますが、やはり自分自身の事なので正確な事実を知りたい気持ちが勝りました。

抜糸後にピアノを再開。左手首は動かないものの指は普段通り。手術前にもギプスのまま弾いていましたが、オクターヴもなんとか届き、ベートーヴェンの月光ソナタ1楽章、シューベルトの即興曲、ショパンの別れの曲冒頭部分など、左手に比重の少ない曲は意外にサマになるので、次々と夢中で弾きました。それまで絶望的で余裕が無く、音楽に背を向けていた気持ちにようやく暖かい光が射し込み「私の手にやっと音楽が戻ってきた」と感無量でした。

幸いにも傷口からの感染症も無く一歩ずつ回復をたどり、8月半ばにやっとその釘を抜く処置を終えたところです。麻酔無しで日曜大工と同じような六角レンチで金具を緩め、ワインオープナーのようなもので手回しで腕から釘を引き抜く・・考えただけでも恐ろしいものですが、周りの看護師が恐々と引き気味な中で、医師と共に私はしっかりと一部始終を見据えていました。事前検索で抜釘(ばってい・・釘を抜くこと)の痛みを覚悟していたものの、最初の1本目を回す時の強い痛みだけで案外簡単に4本の釘が抜けました。これでようやく普通に近い左手に戻ることが出来た、何とかやっとここまで漕ぎ着けた、という安堵の気持ちでした。私には本当に長い時間でしたが、この日が大きな節目となりました。

写真は、その創外固定です。2本ずつの釘の溝の部分が人差指の骨と橈骨に刺さっていました。

手術が決まった時点で10/8のライヴ・イマジン38への出演を見送ることに決め、メンバーの皆さんに曲目変更をお願いしました。まだ合奏を始めたばかりで、忙しい中を練習して準備して下さったメンバーの方々に大変申し訳なく残念でもありました。いつか必ずリベンジをしたいと思っています。10月は裏方仕事に徹して、その次の2/17ライヴ・イマジン39での復帰に備えるつもりです。

抜釘後のレントゲンで骨が正しい位置に戻ったことを医師が確認。骨には釘の穴が2つずつ見えましたが、次第に埋まっていくとか。人間の再生能力は本当に凄いものです。
先週からリハビリが始まりました。左手の皮膚に残っている釘の痕やプレートを入れた傷は日を追うごとに回復してきましたが、手首には浮腫みが残り、腕の筋肉は痩せて細くなっています。1ヶ月半の固定で手首周辺の筋肉は硬化していて癒着し、握力も驚くほど落ちて右手30kgに対して左手はたったの5kgでした。元の動きを取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうです。リハビリは、理学療法士がゆっくりとストレッチを行うもので、気長に繰り返していきます。

私には、今回の骨折について相談にのって下さった方がいます。20年以上のお付き合いのある指圧の先生で、整形外科では対応出来ない不調を今までに何度も助けて頂きました。初めてギックリ腰になった時に一度の治療で治して頂いて以来、腰痛、肩こり、眼精疲労、腱鞘炎などで困った時にしっかり治して下さる大変心強い存在です。またご自身の仕事柄、手に負荷がかかるために医療用マイクロカレントをお持ちです。これは体内に流れる微弱電流と同じものを流して血行をよくして筋肉の活性化を促進させる高額な機械です。数日前に伺った際に今の状態を瞬時に把握してマイクロカレントを用いて治療して下さいました。手首の動き、浮腫み、握力、指の動きなどが目に見えて改善して驚きました。これからも定期的に治療に通います。

医者の中には目に見えない電気治療を信用しない方もいて、自分の知らないところで他の治療を受けるなという指示があります。だからといって個々の患者の回復を最後まで面倒を見てくれるはずも無く、私には単なる責任逃れにみえます。どのような治療を選択するかは患者本人の自己責任である筈で、当初の病院選びと共通するものです。今回の手術の執刀医は、難しい手術を成功させてくれた腕のいい医師で、それだけに多忙を極める中での手術をやりくりしてくれました。当日私の手術の後にもう一件の手術を行ったと後で聞き、頭が下がる思いでした。ここまで尽力して頂いたのですから、その後のケアについてはリハビリの理学療法士と並行して指圧の先生にお力添え頂いて私自身が心して頑張らなければと思っています。

8月も残り少なくなり厳しい夏も終わりに近づいているのかもしれません。
今回の骨折は自分の中で大切なものが何かを改めて考える機会になりました。

医者の治療を要する期間が「全治」で、元通りの生活に支障が無い程度まで回復するのが「完治」と言うそうです。この次の医師の診察は1か月後でレントゲンを撮っての経過観察になります。今の私は全治の一歩手前あたりでしょう。ようやくここまで辿り着いたという気分です。これからは「完治」に向けて一歩ずつしっかり歩みたいと考えています。

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ルイ・ロット

2017 AUG 22 21:21:47 pm by 吉田 康子


今朝の朝刊で「ルイ・ロット」という懐かしい名前を見つけました。フランスのフルートのメーカーの名前です。「パウエル」や「ヘインズ」というアメリカのメーカーはさしずめピアノのスタインウェイでしょうか。ドイツの「ハンミッヒ」はベヒシュタイン、日本の「ムラマツ」はヤマハそして「ルイ・ロット」はプレイエルのようなイメージです。

フルートは高1の時に通っていた音大附属音楽教室の課外授業で始め、音大時代にはムラマツフルートのレッスンセンターに。当時マンハイムから帰国したばかりの先生がハンミッヒを使っていました。
また木管アンサンブルで仲良くなった元プロのフルート奏者はヘインズを、もう一人の方はパウエルを使っていました。3人目の先生がベルギーに留学経験がありそこで気に入って手に入れて来たのが「ルイ・ロット」でした。黒っぽく変色した古い楽器で甘い柔らかい響きの印象があります。

現在は、キーに装飾の彫刻が入っていたり、頭部管にダイヤモンドが付いていたり、18Kやプラチナなど見た目にも華やかな楽器をみかけます。その楽器の音色はこの記事にもあるように材質や、金属の厚み、製作方法に因るところが大きいようで、工房からの職人技で生み出されるのは、弦楽器でも管楽器でも同じですね。

それまでピアノ独奏だけだった頃にフルートを吹くことで初めて合奏を経験しました。室内楽、オペラのオケピットでの演奏、アマオケでの交響曲、木管アンサンブルなどなど、アンサンブルの楽しさに夢中になりました。成人式の着物よりフルートを買って欲しいと両親に頼み、ムラマツのフルートを買ってもらった程でした。もう10年近くフルートはお蔵入りしていて、ブランデンブルグ協奏曲の4番とか、モーツァルトのフルート四重奏曲を吹いた記憶が・・・という程度。この記事を読んで懐かしく自分のフルート史を振り返っていました。

ピアノのムシ

2017 JUN 22 22:22:32 pm by 吉田 康子


作者 荒川三喜夫
出版 芳文社

巽(たつみ)ピアノ調律所に勤務する蛭田敦士(ひるた あつし)は、超一流の腕を持つピアノ調律師。 どんなピアノでも蛭田の手にかかれば、再び美しい音色を奏でる。 しかしその性格は難アリで…。 気高くも毒がある、調律師の世界へいざなう第1巻!という宣伝文句で紹介されています。

ピアノ関連の漫画は今までにも色々ありましたが、調律師を主人公としたものは私にとって初めてでした。時々行く中古CDショップの方から「面白い漫画がある」と教えて貰ったものです。音楽を、しかもピアノの調律だと音そのものを漫画でどう表現するのだろうか?という点にも興味がありました。

主人公は漫画にありがちな「天才的」な調律師。集団に属さない一匹狼で歯に衣着せない言葉や酒浸りで仕事をする状況も完全にアウトロータイプ。接客に不向きでも余りある才能で他の人には到底出来ない事を軽々とやってのける・・・学校や音楽教室の先生、音大生だけでなく、コンサートチューナー、ピアノ製作に携わる技術者、自社製品の専属調律師、調律師養成学校の様子など業界の関係者や、ピアノを金儲けの対象として企むひと癖もふた癖もありそうな怪しい人物も登場して様々な人間模様が繰り広げられます。

曰く付きのピアノが複数出現した、ピアノ線を作る職人、粗悪品の部品の流通、調律不可能なコンサートグランド、ピアノロールの再生、ピアノにヴィヴラートのある音を・・などなど謎解きを含めたストーリー展開に思わず釣り込まれて一気読みしてしまいます。またピアノについてのウンチクもたっぷり盛り込まれていていました。失語症ならぬ失音楽症やピアノの巻き線の作り方など知らなかったことも沢山あり、とても新鮮な印象がありました。

ある時私のピアノの調律師の齋藤さんにも「ご存知ですか?」と見せたら、興味深そうに眺めていました。その存在だけは小耳にはさんでいたようです。プロの立場から見ると紙面で「ダーン」という音で描かれている音出しの仕方や調律の手順などは、実際の作業ではあり得ない光景が多々見受けられるようです。やはり音を文字や画像で表す為には大袈裟なくらいの表現が必要なのかもしれません。「今度買ってじっくり読んでみますね」と齋藤さんは言っていましたが、その後の感想をお聞きしたいものです。
先月5月16日に第10巻が発売されたばかり。もちろん私も一気読みしました。

調律師 齋藤 勉さん

2017 JUN 14 16:16:55 pm by 吉田 康子


私の自宅にはNYスタインウェイがあります。ご縁あって4年ほど前に米国から個人輸入したもので、クリーブランドから航空便で運びました。このピアノの調律師を探していた時に知人からご紹介頂いたのが齋藤勉さんでした。そして斎藤勉さんのお父様、齋藤義孝さんの著書ということでこの本に出会いました。

齋藤義孝さんは、前回掲載記事の宇都宮さんより10歳下の明治39年生まれ。戦前戦後を通して調律の第一線で活躍されました。その次男にあたるのが前述の勉さんで、ご兄弟でお父様の仕事を継いで今に至ります。

この本はグランドピアノの基礎知識という副題の通り、グランドピアノの歴史的変遷や構造、響きなどについて、調律師の立場から丁寧に説明してあります。当時外国ピアノ輸入商会の技術部に在籍していた義孝さんは、世界各地の代表的ピアノで音色やタッチを学ぶ機会を得たそうです。来日演奏家からの信頼も厚くクロイツァー、レヴィ、コルトー、バックハウス、ルービンシュタイン、ケンプ、スコダなど歴史を彩るピアニストとの交流が添えられていて、私もタイムスリップしてその場に居合わせたかったと羨ましく思いました。またポーランドのピアニストであり首相も務めたパデレフスキーの自伝を愛読書として挙げ、そこから多くを学んだようです。この本は戦後の楽団演奏の資料としての回想録という意味合いも込めたと書いてありました。


長旅を経て私の自宅の小さな防音室に収まったピアノは、少し暗くてくぐもった音をしていました。ピアノ到着の一報ですぐに様子を見に来て下さった齋藤勉さんは、製造番号を見るなり大きな溜息をついて「あぁ、NYスタインウェイの一番いい時代のものです。いい楽器を手に入れましたね。」と言って下さいました。その言葉で今までの不安や心配が溶けていくような気持になりました。そして、一か月後こちらの気候に馴染ませてからの本格的な調律を約束してくれました。「今日は軽く調整程度で」と言って慣れた手つきで蓋や譜面台を外して調律を始めました。1時間もかからないうちに作業を終え、弾いてみると、まるで魔法でもかけたかのようにピアノの音が生き生きと明るく輝かしいものに変わっていました。あの感動は今でも忘れません。

昨年五反田文化センターホールでジュノームを弾いた時にも、前日に調律をして頂き大変心強く本番に臨むことが出来ました。また音楽学者としてモーツァルトの校訂者としても著名なロバートレヴィンのコンサートに行った時には、会場の紀尾井ホールで奇しくも仕事中の齋藤さんにバッタリ会い、お互いにビックリしたこともありました。

私のピアノがこちらの気候に慣れるまでには、夏が過ぎ、冬を越し、四季を巡って1年かかりました。こうして齋藤勉さんは私とこのピアノにとって信頼のおけるとても大切な方となりました。

調律師 宇都宮さん

2017 MAY 24 22:22:58 pm by 吉田 康子


【東京音楽社刊】
「宮さんのピアノ調律史」―ピアノ調律一筋に歩んだ70年間の記    宇都宮信一著

先日はファッツオリの調律師の越智さんについて書きましたが、それに続いて気にかかっていたこの本について書いてみます。

東さんのアウグストピアノの調律をご近所にお住まいの宇都宮さんのご長男、誠一さんにお願いしたという記事を読んだのがきっかけです。
アウグストのピアノ

検索してみると宇都宮信一さんは、ピアノ調律師の草分け的存在であり、日本調律師協会の設立に貢献した方であること、NHK番組「四季ユートピアノ」出演で知られる方です。日本のピアノ調律の黎明期にあって70年間をこの道一筋に歩んでこられた半生を振り返って語りかける内容になっています。

文中に出て来る同業者の方々の中で広田米太郎さんといお名前に聞き覚えがあり検索してみたら、広田ピアノの創始者とのこと。三代目広田芳一さんは現在「広田ピアノサービス」を設立されていて、奇しくも私が以前使っていたヤマハピアノの調律を長年お願いしていた方でした。

三鷹のスタジオに素晴らしいスタインウェイのフルコンがあり、そこをお借りした時に管理している方にご紹介頂きました。こうやって人と人がつながっていくんですね。狭い世界なだけに偶然とはいえ、不思議なご縁を感じました。

ファッツィオリの調律

2017 MAY 15 23:23:42 pm by 吉田 康子

公演に先立ち4/22に全員が本番会場でリハーサルを行いました。
おそらくファッツィオリに初対面だった指揮者の田崎瑞博先生は、指揮をしながら耳をすませ、途中で舞台を離れて客席に行ってみてから響きを確認していました。「今までのピアノとは全く違う響きがする。オーケストラの音と綺麗に溶け合う。これでショパンを弾いたらどんなだろう?!またロシアもののコンチェルトの場合は?」と興奮気味に話していました。

今回はファッツィオリの調律を頼みませんでした。費用でなく時間の問題でした。マチネ公演だと午前中がリハーサルで午後2時開演となるために最短でも2時間を要する調律を入れる時間がありません。公共ホールの常で、9時開館という規定を繰り上げるという融通を効かせてくれるところは稀にしかありません。今回の豊洲も典型的なお役所的運営でしたから例外など望めませんでした。しかもGWの最終日とあって、前日にも全く空き無しの状況。「度々調律は行っているから」みたいなホールスタッフの言葉にも半信半疑でしたが、今回はせめて私自身が楽器に慣れるつもりで、本番直前の5/1にホールを借りて個人練習を行いました。
https://sonarmc.com/wordpress/site43/2017/05/02/%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%83%e3%83%84%e3%82%a3%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%82%92%e5%bc%be%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%8d%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f%e3%80%82%e6%ba%80%e5%93%a1%e5%be%a1%e7%a4%bc/
弾いているうちに楽器の様子も実感としてつかめるようになってきました。キーの深さ、遊び、戻り具合、ペダルの効きなど。初対面の人でも時間をかけて話していれば少しずつ親しくなれる、そんな感じに似ているのかもしれません。
ただ一つ、気になることが出てきました。ひとつだけ他の音のように響かない音がありました。

隣のキーは柔らかく適度な残響もあるのに、その音だけコツンとした堅い音しか出ません。無理に鳴らそうとすれば、他との音量もタッチのバランスも崩れてしまいます。しかも、その音は中心から2オクターヴ高い「ド」の音だったんです!今回弾く25番はハ長調です。事もあろうにハ長調の主音のドが不調でした。すぐさまホールスタッフを呼んで直近の調律はいつだったかを確かめました。3日前の4/28だったとのこと、そして私の本番の5/7までに調律の予定は無いとのことでした。その場に居たスタッフは事の重大さを理解していない様子、そして後で立ち寄った東さんもファッツィオリの響きに酔うばかりで、ひとつだけ違う音の事など気に留めていない感じでした。
やっぱり調律を何としても入れるべきだったと後悔してもあとの祭りです。練習の時間が終わってホールを後にしての帰りの電車でさんざん考えた末に、どうしても気持ちが収まらなくて電車を降りた駅からファッツオリの会社、ピアノフォルティに電話をしました。車中でホールの使用状況を検索したら、その日の午後と夜間、翌日の午前がメンテナンスとなっていました。可能なら調律師と一緒に豊洲へ引き返すつもりで、帰宅後でなく駅からの電話でした。「社長のワイルさんを」と言いましたが、海外出張で不在とのこと。電話に出た方が調律師だと言うので、事の次第を詳細に伝えました。もちろん調律を頼んでいないのだから、無理を承知の上だとも言い添えました。「私はアマチュアのピアノ弾きだからプロのようなわけにはいかないけれど、5/7本番には満席に近い多くのお客様が来て下さることになっている。そういう場でピアノ自体に問題があるのはファッツオリのメンツにかかわることではないか?」と。

相手の方は穏やかに話を聞いてくれて「実は明日1時間半しか時間を貰えていないが、メンテナンスで豊洲行く予定をしている。問題の音を完璧に直せる時間が無いかもしれないが、気に留めておく」と約束してくれました。「ただ、それ以降にも使用の予定が入っているようなので、5/7まで良い状態を保てるかどうかは保証の限りではない」とも。「それでも結構です、少しでも良い状態になれば十分有難いです。」と私も返事しました。電話を切り際に、相手の方が「調律師の越智です。」と名乗ってくれました。それを聞いて全員の力が抜けて救われた気持ちになりました。先の記事で紹介した通り、FAZIOLIを興したFAZIOLI氏からも「100万人に一人の耳を持つ天才」と認められショパンコンクールにも派遣されていた調律師の越智 晃氏、当の本人でした。これで私の出来る事は全てやり切って条件は整った、あとは本番まで練習を重ねて臨むばかりだと納得と安堵の思いでした。
 
そんな事があった6日後の5/7の本番。リハーサルでファッツオリの前に座って一番先にドの音を確かめました。予想通り完璧ではないけれど前回よりかなり良い状態になっていました。越智さんのおかげです。やっぱりちゃんと仕事をしてくれました。
指揮者の田崎先生は、前回同様に指揮台からだけでなく客席や通路を歩いて色々な位置からの響きを聴いていました。「このピアノは通常よりオクターヴの高い音を強調しない調律になっている、このピアノの特性をよく理解している人が調律したようだ。Aの音を442.5でなくて442.3にあわせて」とコンマスに伝えているのを傍で耳にして、その耳の鋭さに改めて感嘆しました。そこで5/1の事の次第と調律師の越智さんについて田崎先生に伝えました。「公共のホールだから、何も知らない人が鍵盤を思い切り引っぱたいてしまって、アクションに狂いが出たのかもしれない」とのこと。「とにかく直して貰えてよかった」と。
 
今思えば、思い切って電話したこと、しかも翌日に調律に行く前日であったこと、越智さんに直接話せたこと、など絶妙なタイミングと運に恵まれました。自分が一歩踏み出したからこその結果を得られたのだと思います。もちろん本番での演奏もファッツオリの美しい音色と田崎先生の指揮のもと、しっかりとしたオケの皆さんに支えて頂いてのモーツァルト、幸せな時間でした。

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