広島、お好み焼き
2017 APR 28 21:21:15 pm by 西村 淳
出張で広島まで行ってきた。40年前にはお隣、広島から山陽線で50分の山口県岩国市に住んだこともあり、20年くらい前には広島方面への出張はのべ100回を超えていたはずなので、この地の人々には馴染みもあり、また愛着もある。今のライヴ・イマジンの芽生えはシンフォニア岩国で企画してもらった演奏会でベートーヴェンの5番のソナタを弾いたことに始まる。この時は心臓が口から飛び出すくらい緊張してしまい、譜面があるのに真っ白になるわ、弓は震えるわで散々なデビューだった。終演後もこの興奮状態は続きほとんど一睡もできずに、折からの台風に追われるように始発の広島行きに飛び乗って逃げるように帰京したことを思い出す。この電車がこの日の最初で最後だった。考えてみるにこれを出張中にやっていたわけで、当然チェロも持って出かけていたわけだ。
久しぶりに訪れに、名店「バッケン・モーツァルト」のザッハ・トルテも定番の地位を守っているようだったし、流川あたりの賑わいもそのまま。「お好み村」も現役だ。とても心を研ぐような旅ではないが古くからのクラシック喫茶「小夜曲-セレナーデ」も健在だ。
ただここは何といっても「お好み焼き」。
大阪焼きよりも広島焼きが好きだ。広島は野菜中心なので関西とは食感が明らかに違うし、潔い。出張の野菜不足を補うには大いに助かる。

訪問したのは流川にある「ふみちゃん」。カウンターに陣取ると生地、野菜を焼く人、ソバの人、卵と仕上げ、これが流れるように右から左に鉄板の上を滑る。

「そば肉玉」を堪能して750円也。美味い!
青海苔を歯に付け満足してホテルに帰る。
ベートーヴェンのコーヒー
2017 APR 20 20:20:21 pm by 西村 淳
ベートーヴェンはコーヒーを淹れるときに、きっちり60粒を数えていたと伝記は伝えている。有名な話ながら勿論彼の音楽とは何ら関係もない。下世話な話だが実際に数えてみると私の場合は61粒であった。ベートーヴェン君、なかなかいい線いってるじゃないか、と思ったが大体このあたりの数字は中央値なのかもしれない。
一日に3度のコーヒーを欠かすと干からびてしまう、と歌ったバッハの「コーヒー・カンタータ」(1732年ころ)にあるが、それから60年後、コーヒーは広く世間に行き渡りウィーンには多くのカフェがあった。シューベルトは仲間たちとカフェに集っていたが、耳の聞こえない哀しいベートーヴェンはそれを横目で見ながら自宅で淹れていたのであろう。淹れ方はメリタ方式のような便利グッズはまだなく、トルコ式のミルで挽いた豆をガラス製のサイフォンか布のフィルターで落としていたにちがいない。
一方コーヒーとくればケーキはどうだろう?砂糖はすでにヨーロッパ全土に行き渡っていたので、これに卵があればそれなりのお菓子は出来たに違いないし、「パンがなければ、ケーキを食べればいいのに」とマリー・アントワネットの言葉も伝えられている。ただウィーンの銘菓ザッハトルテが登場するのは1832年なので、ベートーヴェンは食べていない。それにしてもコーヒー片手にケーキを食べるベートーヴェン、なんとも微笑ましい。
コーヒーの抽出から
2017 APR 16 21:21:59 pm by 西村 淳
コーヒーの淹れ方はいろいろな方法が考案されているが、最近はペーパー・フィルターが手軽でもっぱらこれでやっている。この方法は20世紀に入り、ドイツのメリタさんが考案した方法で、その淹れ方は合理的、かつ経済的なもので豆を極細に挽いて湯との接触面積をできるだけ大きくすることで、豆そのものの量を減らすことができると聞いた。手軽さはもちろん、ペーパーの質もいわゆる「紙臭い」と言われた時代から脱してクオリティの面でも十分レベルは高い。
その昔、パルプを作る会社にいたことがあるが、コーヒー・フィルターはパルプから作られているので、そのあたりのことを考えてみた。
木材の組成は繊維とそれをくっつけているリグニンから成るが、このリグニンを除去した繊維がパルプで、絡み具合を密にしてデンプンで固めて薄く引き伸ばしたものが紙である。
パルプを作るには木材チップをアルカリ性の薬液に浸し高温高圧で5時間ほど煮る。
そうするとリグニンが溶け出して繊維のみ残る算段だ。これをコーヒーに例えるなら、細かく挽いた豆に湯が浸透するまで20-30秒くらい待って、そのあとはお湯を注いでコーヒーを抽出する。あらら、これはパルプを作るのと同じことだわと妙に納得した。
有機物である木材から一定品質のパルプを作ることはプロにとっても容易ではなく、今日でもこの分野の永遠の課題となっている。まったく同じことがコーヒーの抽出にも言えるわけで、最高に美味しいコーヒーを抽出するために豆の種類、量、湯の温度、抽出時間、焙煎具合、挽き具合、サイズ、ペーパー品質などのパラメータを経験と理論から適当に決めるが、これらのパラメータがまた相互に関連を持つので複雑だ。30年以上やっていても未だ可(飲める)のレベルにしか到達していないのは我ながら情けない。
だが一方、パルプにしろコーヒーにしろなかなか奥が深いようでいて物事の考え方が結局一つのやり方に収斂していく様は人智とその限界を垣間見るようだ。
アマチュアの練習方法
2017 MAR 14 5:05:24 am by 西村 淳
本来「その曲」を演奏するなら音を出してみる前に自分のパートのみならず、すべての楽譜を読み、知らなければならない。まずイメージを持ち、出すべき音を作ってから、音符を音にする。言われてみるとその通り、そうあるべきだよな、とは思っても、これを実践している人が一体どれ程いるのだろうか?大好きなピアニスト、ギーゼキングは音にする前に暗譜してしまい、あとは指が動くだけ、なんて言っているけれどそんな天才と同じことができるわけがない。
私の場合はパート譜を見て、書いてある音符を音にできるか、というハードルがまず第一にある。その音を適当な速さで音にできるか、がその次。その上でどれほどの強さで(この段階では大きくも小さくも自分の楽器の限界を知っていなければならない)、どんな色合いで、どんな表情で、隣り合った音との関係は・・と考え、出すべき音を選択していく。そしてすべての音についてこの作業が付きまとう。ああ、なんとも厄介で気の遠くなるようなことよ!
ここまで出来てもそれはまだ音楽とは何のかかわりのないものにすぎない。冒頭に書いたことを抜きにしてやっているからだ。これでは何をしたいのかを人に伝えるなんてことからは程遠い。
実際にはアマチュア奏者の場合多かれ少なかれ、最初のハードルで躓いてしまう。それは時間が仕事という、止めると生死にかかわるようなプライオリティの高いものに支配されており、折り合いをつけて練習の時間を確保しなければならない大きな制約があるからだ。周りから飲みに誘われても「断る」勇気がどうしても必要となるし、出張に楽器を帯同してホテルで練習する場合もあれば(海外まで楽器を持って行っている人も!!)私のように不器用で人と同じことができるようになるまで3倍も5倍も練習をしなければならない者にとっては尚更のことである。
されどモーツァルトへの渇望は癒しがたく、日々細々と続ける(大切なこと!)努力はちょっとはマシになってきたと実感できることで救われる。これが唯一のご褒美だ。
ジュピターのデジャヴ
2017 MAR 7 21:21:19 pm by 西村 淳
「ジュピター」交響曲を練習していてデジャヴに襲われる。曲を練習するときにはこれは鐘の音とか、笛の音とかそんな風にイメージすることがよくある。でもデジャヴとなるとこれからお話しする以外には経験がない。
マタイ受難曲。言わずと知れたバッハの最高傑作のみならず人類の最高の遺産のひとつとして知られている。ただお恥ずかしい話、これをレコード(ヨッフムの指揮のものしか持っていないが)で通して全曲を聴いたことがない。バッハの音楽に敷居の高さを感じるのは単に感受性の問題だけではなく受け入れる能力の欠如と思う。チェロ弾きにとって聖書といわれる無伴奏チェロ組曲であってさえ、なかなか友達になれない。もちろん弾いてみるといいなあと思う瞬間だってあるけれど面白く聴いた演奏はカザルスでもフルニエでもなくて、聖書読みではなく踊りにしたビルスマだけだ。
実際にマタイ受難曲を通して聴いたのは実演では一度だけ。ただこの時の演奏は特別に胸に響いた。エヴァンゲリストに老エルンスト・ヘフリガーを迎え、マタイ研究会と合唱団。その中でイエスが十字架を背負わされ、ゴルゴダの丘へ引かれていく場面で、どういうわけか群衆の一人となって罵声の中いる情景が浮かんだのだ。キリスト教徒でもなく、聖書だってまともに読んだことがないのに、それは妙な既視感だった。
モーツァルトのジュピター交響曲、第2楽章のチェロパートを弾いていて妙な感覚に襲われた。このアンダンテ・カンタービレの楽章では印象的なウォーキング・バスのラインがある。ここにくるとなんとマタイの光景が浮かび同じイメージが重なるのだ。そして強烈なfとpの交錯とそれを支えるヘミオラにはイエスの絶望が聞こえる。無論、私はその想いを込めてここを弾く。
ベートーヴェンは「エロイカ」にナポレオンの葬送行進曲を堂々と挿入したが、そんな人間臭いものではなく、モーツァルトはもっと悲痛なイエスの葬送をここに編み込んだように思えてならない。当然その歩みは重くそのあとの響きはイエスの昇天か。東さんのブログではこの部分を鋭く洞察している。
コーヒー飲歴と可否茶館
2017 MAR 4 20:20:41 pm by 西村 淳
私にとってコーヒーは変わることのない人生のパートナーの一つである。
これなしに一日は始まらないし、空間と時間に潤いを添える。
★札幌・1971年。狸小路しかなかった札幌にモダンな地下街の誕生と時を同じくして「可否茶館」なる専門店がオープンした。生意気盛りの高校生が背伸びして足を踏み入れたのが(校則は喫茶店の出入りは禁止)大通りにカウンターのみでオープンしたてのこの店だった。もちろんコーヒーの味なんかわかるはずもなく、ただ大人の雰囲気に浸りたいだけだったに違いない。よく通ったジャズ喫茶「act」ではアルバート・アイラーのテナーサックスに浸りながら口にした鍋で再加熱した焦げたコーヒーの不味さは格別で記憶に鮮明だ。
★岩国・1977年。名曲喫茶「タキ」。駅前にあったこの店はいわゆるクラシック喫茶だった。おじいちゃん、おばあちゃんがやっていたっけ。巨大なスピーカーと真空管アンプから流れ出るペーター・マークと素晴らしいバランスのコーヒー。今でもこの味わいは思い出す。地方都市の音楽文化を支えていたが今はもうない。
★東京・1986年。新宿「トップ」。サイフォンで落とすコクと香りの空間。レベルの高いコーヒーは最高に美味しかったが、喫煙自由空間は時代遅れになって消滅してしまった。
★東京・2015年。スターバックス独り勝ち。いつ行っても満席なのは平均化された社会の象徴。クルマ1台が買えると豪語するドリップマシンで淹れたスペシャリティ・コーヒーは一ランク上のクオリティ。
自宅で飲むために良い豆を探していたところ、なんと可否茶館がまだやっていることを発見、それどころか札幌でチェーン店を展開までしているではないか!
至福の時を演出してくれたのは、「メロ・ハマヤ」(ドミニカ)。なんとも芳醇でキレがありフルーティな味わいは奥の深さを感じさせる。何より部屋に漂う豊かな香りは圧倒的。このコーヒーを知ってしまうと他のものは手を出す必要がないほど。しかもこれはミルクを拒否しているのだ。また可否茶館の看板となっている「カンデリージャ・ミエル」(コスタリカ)も「メロ・ハマヤ」を知らなければきりっとした逸品である。
「1971ブレンド」はその名の通りオープンした時のものを復元したもの。当時の苦いノスタルジックな思い出が蘇ることはなかったけれど、時代の波にのまれ多くが廃業に追い込まれた喫茶店で数少ない成功体験を語れる可否茶館。
コーヒー飲歴の原点に還ることができたことに感謝し、何よりもコーヒーそのものへの愛情すら感じるその経営姿勢はすべてに通じる。これから先も共にあってほしいものである。
継続は力なり
2017 FEB 27 22:22:30 pm by 西村 淳
ライヴ・イマジンの仲間でクラリネットのSさんとのお話の中で、アマチュアは歳を取ってから上達する、プロは歳をとるとダメになる、とありました。学生時代に夢中になって音楽をやっていた人たちでも就職、結婚、子供(出産)という人生の節目に音楽からだんだん足が遠のいてしまう人はたくさんいます。その中で歯を食いしばって弾き続けた人には上達というご褒美が待っています。そう、単に憧れでしかなかったものが手に入るかもしれないご褒美が。
練習はやらなきゃ腕は落ちる、やれば上がる。練習をする時間に相当にきつい制約があったサラリーマン生活が一段落すれば(練習時間が増えて)歳を取ってからでも上達する単純な理屈。
プロ=職人という構図は音楽にもあてはまるわけで、目いっぱい毎日その技量を磨いていた職人が歳とともに体力が衰え、その時間を維持できなくなれば技術は落ちて当然となってしまう。
私の場合、チェロを始めたのは25歳の時、北海道苫小牧市にある紙パルプの工場に勤務していた時のことでした。工場のサイレンが鳴るのは午後4時。自由に使える時間はまだたくさんあった時代でした。チェロとヴァイオリンの区別のつかない同僚に火星人と言われようと、なんのその。ウェルナーの教則本を持ってクルマで片道一時間を飛ばし札幌の先生のところへ毎週通い続けました。
爾来苦節35年。ベーム・ベルリンフィル。憧れの黄色いレーベルのレコードの中にしかなかった「ジュピター交響曲」が隣にあるじゃないですか!?次はもしかして黄色いレーベルから・・なんてことがもしかすると。
「さようならモーツァルト君」とSMC入会
2017 FEB 25 5:05:33 am by 西村 淳
初めてこのサイトにたどり着いたのは「さようならモーツァルト君」の東さんのブログからでした。
そのインパクトはあまりに強烈で、さっそくご本人へ連絡を取りそしてご本人を巻き込んでのライヴ・イマジン祝祭管弦楽団の次回公演(No.37)の実現にまっしぐら、今年5月7日の公演を企画しました。
たったひとつのブログの投稿記事が人を動かすことができる、ということ。ご本人からは一生懸命に調べたし、時間もかけて書いた記事とのことをおうかがいして、やはり姿勢を正し熱き心で本当のことに向かい合うならそれは必ず誰かの心に届くということを改めて実感し、ならば私もとSMC入会に至ったわけです。
音楽を人生の伴侶とできたことの素晴らしさ、そしてこの広く、深い世界を誰かと分かち合うきっかけかもしれない。
2017年2月25日が私の第二の人生の旅立ちです。




