ベートーヴェンのピアノ協奏曲 第1番 について
2020 JUL 16 21:21:10 pm by 吉田 康子
7/24(金祝)ライヴ・イマジン45でベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番Op.15を弾きます。ラハナー編曲の弦楽五重奏伴奏版で、ピアノはファッツィオリです。
この曲はベートーヴェンにとって0番と呼ばれる13歳の時の未完の作(補筆版が後に出版)、第2番Op.19に次ぐ3曲目ですが、出版順で1801年に第1番となりました。作曲家・ピアニストとしてウィーンデビューの勝負をかけた堂々たる自信作です。
以前から溌剌とした曲想に惹かれて弾いてみたいと思っていましたが、難所があるためにブレーキがかかっていました。それは第1楽章再現部前です。
この楽譜から当然右手だけの高速オクターヴを弾くものと思っていました。「う~ん、どう考えても弾けない」と。一番の見せ所をトロトロ弾くわけにもいかないし・・Wikiをみるとやはり「再現部の前のピアノの独奏移行部は非常に演奏が困難であるが、演奏の際には多くの場合、右手のみのグリッサンドで演奏される。」との記述。「な~んだ、やっぱり私だけじゃない」我が意を得たり!という気分でした。
ベートーヴェンの弟子だったカール・チェルニーもその著書“Uber den richtigen Vortrag der samtlichen Beethoven’schen Klavierwerke” (カール・ツェルニー著、パウル・バドゥラ=スコダ編・注釈、古荘隆保訳、全音楽譜出版社、148頁)に、「オクターブは犠牲にして単音のグリッサンドで弾きなさい」と指示しています。オクターブが弾けない場合は上部の音列だけをグリッサンドで処理し[筆者注:あるいは普通の音階として弾き]、バスは省略しないよう注意してください。と書いてありました。
早速You tube の動画で確認。バレンボイムが弾き振りしながら楽勝でオクターヴをキメていました。ブレンデルはグリッサンドで、ルビンシュタインは両手のスケールで。結局のところ弾き手の任意でしょうか。「それならいける!」とGOサインをもらって背中を押された気持ちになりました。「これを逃したら、もう弾けるチャンスは無い」といつもの一期一会ポリシーでチャレンジを決めました。
そして「私のお気に入り」は第3楽章の中間部にありました。ラグタイムのようなゴキゲンな2ビートが出てきます。初めて聴いた時には「え?」と思うような新鮮な驚きでした。「この時代に?」とビックリ。しかも手を変え品を変えてご丁寧に3回も出て来るのは余程気に入ったのでしょうか?有名な肖像画にある苦虫を噛み潰したような気難しい表情からこんな愉快な一面は想像もつきませんでした。以前弾いたショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番の終楽章にも速いテンポで似たようなリズムが出てきますが、なんせ時代が違うのに何という先見の明でしょう!9度がやっと届く私の手では左手10度の低音の跳躍はとても難しいですが、これを外さずにしっかり弾きたいところです。弦楽器の皆さんもノリノリでスイングしている楽しい部分です。
自筆譜より第3楽章中間部分(本当に書いてる!と思いました。)
また最近になって気づいたのは、3楽章の冒頭、ピアノソロでひとくさりある緊張の部分です。ゆっくりから少しずつテンポを上げて練習していると、どこかで聞き覚えのあるような・・何だったっけ・・?そう!トルコ行進曲でした。ラッパや太鼓でブンチャカ賑やかに打ち鳴らすあの雰囲気です。この曲の場合は中途半端な6小節まとまりですが、弾いてみるほどに似ている気がしてきました。
検索すると、トルコ行進曲Op.113は戯曲「アテネの廃墟」の付随音楽として、この協奏曲の11年後の1812年に作曲されています。トルコ風の趣味はオスマン帝国の1683年第2次ウィーン包囲の軍楽隊の影響だとか。色々な世界が広がります。
他にも第2楽章の始めの間奏に一瞬暗い和声が出てきてハッとします。変イ長調で書かれた穏やかな流れるような旋律にピリッとしたエッセンス。はじめは「音を間違えた?」と思ったくらいでした。
再現部前にはペダルを踏み変えずに混沌とした響きをきかせる部分があり新しい効果を試しているのが伺われます。これは他の楽章にも散見されます。ピアニストのパウル・バドゥラ=スコダ氏のレクチャー記録にもペダルについての例に付随し取り上げられていました。パウル・バドゥラ=スコダ氏のレクチャー記録
1楽章冒頭から独奏ピアノ登場前の105小節にも及ぶオケの長い前奏もショパンの1番やモーツァルトの25番の協奏曲を連想させました。レッドカーペットを敷いてもらって、いよいよ登場という感じが何とも言えない高揚感があります。
知れば知るほどにあちこちに仕掛けが用意されていて興味は尽きません。「意気軒高たる」という言葉が自然と浮かぶような意欲的なこの曲の魅力を是非ともお伝えしたいという思いを新たにしています。
Categories:ライヴ・イマジン
東 賢太郎
7/17/2020 | 10:10 PM Permalink
吉田さん、久しぶりです。
そうですか、1番は新進気鋭の意気込みが感じられて僕は大好きなのですが弾くのは難しいのですね。いつも、本人はどう弾いたのかなあと想像して聞いてます。
吉田 康子
7/18/2020 | 2:03 AM Permalink
ご無沙汰しておりました。いつも目先の練習に追われて、文章を書く余力が残っていない日々です。1番はモーツァルトを弾くような難しさも感じます。5番の偉そうな割にはこなれた弾きやすいものとは違う印象で「基本で真っ向勝負」の雰囲気ですね。私もタイムスリップして本人の演奏を聴いてみたいです。
西村 淳
7/18/2020 | 7:10 PM Permalink
この曲を初めて聴いたのは50年も前の話です。勿論LPレコード、リヒテルの前のめりなくらい迫力のあるものに魅せられました。以来大好きな曲の一つ、本番でご一緒させていただけることが実現して、ワクワクしています。
それにしても初演の取り合わせはモーツァルトのピアノ協奏曲の最高峰K466ニ短調、それから5年後に交響曲第1番の初演でも演奏しましたが、その時の取り合わせは交響曲第41番K551「ジュピター」でしたね。まさに青年よ大志を抱けを地で行きます。そしてモーツァルト亡きウィーンの盟主に君臨するわけですから何と凄いやつなんだと思います。
ベートーヴェン時代の扉を開いた作品、憎たらしいほどの自信、とてつもない傑作と信じます。
吉田 康子
7/18/2020 | 10:09 PM Permalink
数日前にはハフ&ハンヌ・リントゥ指揮フィンランド放送交響楽団のCDを、今日は1番と3番をアンスネス弾き振り&マーラーチェンバーのCDを聴きました。どちらも往年の大家とはひと味違った現代的で見事な演奏。ラッパや太鼓がこれでもかというくらい賑々しく主張しながらも少人数のオケがキビキビとして清々しい印象。
添えられていたブックレットにはアンスネスが「1番の3楽章は当時ウィーンで流行りのトルコ行進曲を思わせるもので、リズムはモーツァルト[後宮からの逃走]のようだ」と書いてありました。
今回一緒に演奏するヴァイオリンの方が[後宮からの逃走]のイメージだと昨日伝えてきたばかりでしたから、アンスネスも同じ!と嬉しくなりました。そしてハフもアンスネスも私と同じ一番短いカデンツァを弾いていたのも共感。大家は皆3番目の長いカデンツァかブゾーニ作を選んでいましたから。
それにしても1番の後に3番を聴くと「ベートーヴェンも大人になったなぁ」という感じがしました。「初々しい意気込み」から「余裕と深み」が加わったような伸びやかさが漂い、人としての成長が伝わってくるようでした。