Sonar Members Club No.31

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水の上の霊の歌

2023 NOV 14 21:21:09 pm by 西村 淳

ゲーテについてはよく知らない。「ゲーテとの対話」(エッカーマン著:岩波文庫)を紐解いたが、その会話は、古代、古典文学、美術、土木・建築、自然科学、歴史、政治、音楽など幅広い分野に借り物ではない自身の言葉を重ねていく。さすが驚嘆すべき博学、知の巨人である。その会話の中で音楽の占める割合はほんの数パーセントに過ぎず、ここから窺い知れることは、モーツァルトを天才と評し、ベートーヴェンと知り合い、12歳のころから出入りしていたメンデルスゾーンなど、一流の音楽家が周りにいたにもかかわらず人生にとって音楽とはその程度のものでしかない、ということか。コロナ禍で劇場が封鎖されたとき、「私たちは本当に社会にとって必要なの?」と関係者が自問していた一つの答えがここにある。
「ゲーテとの対話」の中では、シューベルトへの言及はない。せっかく友人のシュパウンが送った献呈の楽譜も返送され、外から怨嗟の声も聞こえて来るが、多忙きわめる中、楽譜を送られてもゲーテ本人がそれを読めないのだから手間暇をかけたくなかったのだろう。
「水の上の霊の歌」が作られたのはゲーテ、30歳の時。公私ともども充実した時期にあたり、良く知られた「魔王」もこの頃の作品だ。1779年10月9日、ワイマールのカール・アウグスト公と2度目のスイス旅行に出かけ、ラウターブルンネン近郊のシュタウバッハの滝を訪れる。その時の感動を直ぐに歌った。「シュタウブ」の意味は塵。垂直に切り立った岩山の上約300mの高さから流れ落ちる水しぶきの飛び散る様であり、滝の名前そのものとなった。


Staubachfall(スイス政府観光協会HPより)

「水の上の霊の歌」
Gesang der Geister über den Wassern

人の心は
水にも似たるかな。
天より来たりて、
天に登り、
また下りては
地にかえり、
永劫つきぬめぐりかな。

一筋清く光る流れ、
高くけわしき
絶壁より流れ落ち、
虜なめらかなる岩の面に
とび散りては美わしく
雲の波と漂い、
軽く抱きとられては、
水煙りに包まれつ
さらさらと涙立ちつ
谷間に下る。

きりぎしのそびえ、
水の落つるをはばめば、
憤り泡立ち
岩かどより岩かどへ踊り
淵へ落つ。
平らなる河床の中せせらぎて、
牧場の間なる谷を忍び行く。
やがて鏡なす湖に入れば、
なべての星、
顔を映し若やぐ。

風こそは
波の愛人。
風こそは水底より
泡立つ波をまぜかえす。

人の心よ、
げになれは水に似たるかな!
人の運命よ、
げになれは風に似たるかな!
「ゲーテ詩集」 高橋健二訳 (新潮文庫)

シューベルトは4回もこのテキストを基に作曲している。完成したのはアカペラ版と弦楽合奏版(ヴィオラ2本、チェロ2本にコントラバス)であるが、ゲーテの詩の詩節構造に相応した2つの曲の構造はよく似ている。ただ後者は拡がり、深み、凄みを増しており、弦合奏の水流の描写などドラマチックな展開と星を映す水面の静けさのアーメン終止、さらにアヴァンギャルドな和声の使用に驚かされる。
・独唱D.484(断片)1816年
・男声四重唱曲2曲:D.538(無伴奏)1817年3月
 D.705(ピアノ伴奏、未完成)
・男声八重唱曲:D.714(弦楽伴奏)1821年2月
1821年3月7日にウィーンのケルントナートーア劇場での初演は新聞評でこき下ろされた。ちょっと難しすぎるということか。シューベルトの多声歌曲は140曲を超える。圧倒的な質と量を誇る歌曲に比べ隠れてしまいそうだがなんと魅力的な曲がたくさんあることだろう。オペラだって15曲もあるし私たちはそのほとんどを聴いたことすらない。
「水の上の霊の歌」のきっかけはガーディナーとモンテヴェルディ合唱団の演奏だ。いつものシューベルトとは違った雰囲気に引き込まれ即座にブライトコップ・ヘルテル社に楽譜をオーダーした。
次回(2024年5月11日(土);すみだトリフォニー小ホール)の『ライヴ・イマジン53』に栗友会の男声合唱団KuuKaiさんと共に10年来の夢が叶う。

チェロを弾く姿勢

2023 OCT 13 20:20:44 pm by 西村 淳

「仕事」から解放される前はチェロの練習時間は相当限られたものであった。日課は朝5時に起き、1時間。それもサイレント・チェロを使って主に指の練習。住まいがマンションで朝早くからチェロを鳴らすわけにはいかない。購入時のLL45の遮音性能をLL40にグレードアップしたが気休め。これを30年以上続けたわけだが、やはりマイ楽器とは形が異なるため、弾く時の姿勢が大きく違う。しかもこのエレキ・チェロは出張時に持ち歩き出来るようにサイズを極限まで切り詰めた特注品だ。アンプを通さない音が小さすぎて音程をよくする練習には全く適していなかった。弾く姿勢がそのたびに違うと、当然抑える場所も変わってきてまともな音は出ない。まして同じところを抑えてもその角度がほんの少し違うだけで(手の形がちがうだけでも)上ずったり、低すぎたり微妙なコントロールを要求されているのだ。
チェロを始めたのは25歳、一緒にやっているメンバーは小さなころから楽器に親しんでいる連中が多く、いわゆるアマチュアのエリートたち。今思うと散々迷惑をかけていたわけだ。今でも?もちろんさ!(笑)
音程が良くなるだけで「とても上手に」聞えるのが弦楽器。師匠が音程はプライオリティNo.1ではないと言ったことを盾にしたりしていたが、音程が良くないと「とても悲惨」なことになるのも弦楽器。だがここにきてようやく音程をよくする方法が見つかった。単純なことで「正しい姿勢」で弾くこと。エンドピンの長さ、肘の角度、脇の角度、前傾、楽器と頭の距離はいつも同じでなければならない。ただ言うは易し行うは難しで「良い姿勢」とは何か?初めて小林道夫先生にピアノの指導をしていただいたとき、最初に指摘されたのがやはり「姿勢」だったことを思いだす。背筋をピンとして腰に力を入れることで腕の自由度が高まり、脱力が容易になる。ピアニストであればルービンシュタインをはじめ、超一流の人たちの演奏姿勢は美しい。アンドラーシュ・シフも基本原則として言っているではないか。「人がピアノの前にどう座るか、というところから始まっていますよ。多くの人が無理な姿勢をとっています。聴く前に分かります。そこから良い音は決して生まれません。」一方、正しい指導をされてこなかった人の姿勢は決まっていないのだ。
このことはスポーツ選手にも100%当てはまる。当世話題の大谷選手のバッターボックスの立ち姿は美しい。不調で崩れている時にはセカンドゴロ。投手としてはまだ完成されていないと思う。閑話休題。
では最も美しい姿勢のチェロ弾きは?となるとエマニュエル・フォイアマン(1902-1942)に違いない。とにかく余分な動きがなく微動だにしないのだ。ハイフェッツのできることはチェロですべてできると言い放ったのも納得ができる。
  
自分でチェロを弾く姿勢を鏡に映して見る。こりゃあ駄目だ。全くダメ。ただ試行錯誤しているうちにチューニングメーターの振幅は確実に小さくなっている。ライヴ・イマジンではリハーサル時に写真を撮ってもらっているが、一瞬を切取った写真が多くを語る。次の公演が楽しみになってきた。

「三四郎」読書感想文

2023 AUG 18 12:12:13 pm by 西村 淳

暑い、とにかく暑い。散歩の歩数も半減、読書の秋にはまだ早いが時間もたっぷりある。
漱石の「三四郎」を再読した。おそらく半世紀前に読んで、爽やかな印象を持ったが、やはりとても面白く読了した。漱石は「草枕」もいいが、「三四郎」も勿論いい。
このところ世の動きに対し、私たちの時代が一番難儀だと思っている自分があるが、どんな時代にあっても人の心のありよう、持ちようは同じ。だからこそ100年以上前の文章であろうが物事の本質を突いたものであれば、今の私たちの心の情景をきちんと表現して揺らす。今まで洞ヶ峠で昼寝をしていたくせに目が覚め、何かできる、何かを変えられるという思い込みが儚い幻想だということも思い知る。でも大学に入学したての三四郎の気持ちとシンクロできるならまだまだこれからの人生だ。

『この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。洞ヶ峠で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。』(夏目漱石:「三四郎」(青空文庫))

さて、話は変わって「三四郎」の中にアフラ・ベーン(1640~1689)なる作家が出てくる。
知らないなあ、初めて聞いた名前なので調べてみると英国初の女性職業劇作家とある。
日本では紫式部にせよ清少納言であれ、先立つこと600年、日本の女性達はすでに活躍していたわけで、彼我の文化の差は圧倒的に日本の勝ちだ。
戦後女性の解放が進んだなんて学校で刷り込まれていたが、何のことはない、GHQ施策の一環だっただけのこと。日本には元々素晴らしい文化があったのだから。それにしてもさすが漱石、この時代の日本のインテリのレベルの高さに羨望すら覚える。

『「先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」
「アフラ・ベーンか」
「ぜんたいなんです、そのアフラ・ベーンというのは」
「英国の閨秀作家だ。十七世紀の」
「十七世紀は古すぎる。雑誌の材料にゃなりませんね」
「古い。しかし職業として小説に従事したはじめての女だから、それで有名だ」
「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」
「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」
 三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚だとして後世に信ぜられているという話である。」』
(同上より引用)

スクロヴァさんのブルックナー

2023 JUL 11 22:22:31 pm by 西村 淳

ブルックナーの弦楽五重奏曲をライヴ・イマジンで取り上げるのはプログラミング的に少々厳しい。理由はいろいろあるが手掛かりを探しているうちに、Youtubeに第三楽章、Adagioの弦楽合奏編曲版の演奏があった。
Anton Bruckner – Adagio from Quintet, orchestral transcription, Skrowaczewski – YouTube
何といってもこの曲はこの楽章があるからやりたいわけで、当然のことながらちゃーんとそれがわかっている先人がいたわけだ。この楽章のみやる、ということも「あり」かもしれない。
指揮はスクロヴァチェフスキ。編曲も自身で行ったようだが、これがなんとも素晴らしい。音楽の作り方の的確さ、テンポ、バランス、ダイナミクスなどブルックナーの意図をまっすぐに伝えてくれる「超」一級品だ。東さんもフィラデルフィアでの大興奮の出会いを伝えてくれている。

スクロヴァチェフスキーとの会話

でもどこかでこんな音楽を聴いたことがなかったか?少し調べてみると、この人、作曲を私が神様のように拝んでいるナディア・ブーランジェにも師事している。つまり楽曲分析によるアプローチが作曲家のものだということ。どこかで聴いた、潜在意識の中に眠っていたのはクリーヴランド管弦楽団を振ったピエール・ブーレーズのマーラーの7番だ。(DG; CD 4477562)これも大変見通しの良い演奏で苦手だった7番を引き寄せてくれた唯一のもの。勿論、ブーレーズはメシアンの流れを汲む「作曲家」だし(私にとって)やたらと演奏の難しそうな訳の分からない曲を書いているが、このパースペクティヴの良い表現方法はスクロヴァさんの音楽づくりに似る。ただ私の音楽的な感興はスクロヴァさんに寄りそうが。
普段、オーケストラは余り聴かないけれど、この勢いでNHKで放映された2016年の読響とのブルックナーの8番を見ていて感涙し、ここで欲が出た。
これだけのブルックナーを聴かせるならきっとベートーヴェンも悪かろうはずがない。
大好きな「エロイカ」や「田園」にそろそろスクロヴァさんと一緒にだったら戻ってもいい年齢かもしれない。何せこの2曲でクラシック音楽の扉を開けたのだから。そんなわけで早速
「スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ エームス・クラシックス全録音集(28CD)」(Oehms; CD OC090)
なるブルックナー、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンなど全部入っている一大セットを発注した。
やれやれこれで暑い夏を乗り切れそうだ。

下町散歩と東京都慰霊堂

2023 JUL 6 21:21:15 pm by 西村 淳

東京を生活の中心にしてからすでに35年以上経つ。その間に東京大空襲のことが話題になったことはない。下町のど真ん中、墨田区に移り住んでからも同様だ。
まず、学校では教わらない。戦争だし空襲くらいはあっただろう、程度にしか感じていなかった。実際、広島の原爆資料館や沖縄のひめゆりの塔を見ても今一つ実感が伴わなかったのも事実で、山陽国策パルプの勇払工場に勤務したてのころ、工場のボイラー建屋に機銃掃射された穴が残っていて、こんな所にまでアメリカの戦闘機が来たのかと驚いた程度だ。

朝夕の散歩コースの一つに東京都慰霊堂のある横網町公園がある。慰霊堂はちょっと独特の雰囲気のある場所で、それもそのはず関東大震災と東京大空襲の犠牲者あわせて16万3000体の遺骨が納められているそうだ。園内には日本庭園や一部に子供たちの遊戯具もあるが、この公園全体が祈りの場所であることに間違いはない。

建物のデザインはどこかエキゾチックでもあり、築地本願寺や神田明神と同じ伊藤忠太によるものだと言われると納得できる。
1945年3月10日未明の東京大空襲はナパーム弾まで使用され東京は焦土と化した。慰霊堂に併設されている復興記念館の横に高熱で溶けてしまった鉄塊が置かれている。ビール会社の電動機だったようだが鉄は一体何度になったらこんなになってしまうんだろう・・わずか78年前鉄をも溶かす火焔の中に焼かれた人々がここにいた・・憤怒、慟哭、そしてヒエロニムス・ボッシュの地獄絵がシンクロして言葉を失う。

軍隊が武器を持たない人たちを殺したのだから原爆も大空襲も大虐殺だ。もしアメリカ人がリメンバー・パール・ハーバーを言うなら本質的に違うしその主張は完全に間違っている。ピルグリム・ファーザーズの子孫たちは原住民たちの虐殺を繰り返しながら西へ西へと移動し黒船で太平洋を越え、その先にあったのが日本だ。価値観の違う奴らは絶対に赦さない、そんな傲慢な精神を支えにして奴らはやって来た。
散歩の途中ベンチで休んでいると、最近は外国人の観光客の姿をよく目にする。両国国技館や、旧安田庭園があるとはいえ、メジャーな観光地とは言えない場所なだけにガイドブックにでも載っているのだろうか。一人の年配の白人男性が手を合わせている姿を見かけたが、なぜか日本人の訪問者の数は少ない。本来であれば修学旅行のコースになって然るべきべきだろう。どこかおかしくないか?

散歩の別ルートに墨田電話局大空襲慰霊碑がある。場所は三つ目通りと蔵前橋通り交差点近くでここにも大空襲の記憶。

その日に電話交換手として働いていた28名の女性(最年少15歳)と3名の男性職員が避難もせずにここで命を落としたとある。殉職者碑には33名の女性の名前があるが・・いずれにせよ電信業務を全うするために命を捧げたのだろう。重い、本当に重い哀しい記憶ばかりだ。

ChatGPTと遊ぶ

2023 MAY 24 6:06:58 am by 西村 淳

ChatGPTを試してみた。怖いもの見たさもあるが、すでにイタリアで使用禁止になっているようだし「お試し」も今のうちかもしれない。
次回のライヴ・イマジンの前半のプログラムにはフーゴー・ヴォルフの弦楽四重奏による「イタリアン・セレナーデ」とソプラノと弦楽四重奏による「メーリケ歌曲集」からの抜粋を準備している。ヴォルフは資料が少ないため、ChatGPTがプログラム・ノートの作成に役に立つかもしれない。

結論としてはこちら側にそれなりの知識や知見がなければこの類のツールを使用し盲信することは極めて危険ということ。NHKを始めとするマスコミの言うことを鵜呑みにするのと同じことになってしまう。特に自分の得意分野でないものについては要注意である。
でも権威や専門家の言うことに弱いし、まして膨大なデータベースを基にAIで常に学習しているものが相手。結局は「人」を信じることしかないのかもしれない。ChatGPTの後ろにはどんな人物が隠れているやも知れず、警戒されているのは当然だ。

以下に実際のやり取りの抜粋を掲載する。

私:詩人メーリケについて教えてください。
ChatGPT:詩人メーリケ(Wilhelm Müller)は、19世紀ドイツのロマン派の詩人であり、1794年に生まれ、1827年に亡くなりました。彼は、詩集『冬の旅』(Die Winterreise)と『美しきミュラーの花』(Die schöne Müllerin)で最もよく知られています。

⇒ あれ?ミュラーとメーリケを取り違えていないか?メーリケは1804年生まれだし。

私:詩人メーリケと冬の旅のミュラーは同一人物でしょうか?
ChatGPT:おっしゃる通り、私の前回の回答に誤りがありました。お詫び申し上げます。
詩人メーリケ(Wilhelm Müller)と『冬の旅』(Die Winterreise)の主人公であるミュラー(Müller)は、同じ人物ではありません。メーリケは詩人であり、『冬の旅』は彼の作品の一つです。
『冬の旅』は、フランツ・シューベルト(Franz Schubert)や他の作曲家によって歌曲として作曲され、広く知られるようになりました。この詩集は、ミュラーという架空の人物が冬の旅に出かけ、失恋と孤独に苦しむ様子を描いたものです。
したがって、メーリケは『冬の旅』の作者であり、ミュラーはその詩集の主人公です。メーリケ自身がミュラーの名前を選んだ理由ははっきりとはわかっていませんが、この名前は詩の物語と主題との関連性を強める役割を果たしています。
おっしゃるように混同が生じた点について、混乱を招いたことをお詫び申し上げます。以上が正しい情報となります。

⇒ あれあれ?ますます深堀されてしまったぞ・・・きょえ~!!!?もしかすると目から鱗の大発見か!!心臓がドキドキしてきた。
半信半疑でボストリッジの「シューベルトの『冬の旅』:ARTES刊」を引っ張り出してみるがどこにもメーリケとミュラーのことは書いていない。それともこれは新説?珍説か?

私:シューベルトはメーリケの詩による作品を遺しましたか?
ChatGPT:申し訳ありませんが、私の前回の回答にも誤りがありました。フランツ・シューベルト(Franz Schubert)は、ヴィルヘルム・ミュラー(Wilhelm Müller)の詩集『冬の旅』に基づいて作曲しました。ヴィルヘルム・ミュラーとフランツ・シューベルトは共に19世紀のドイツの芸術家です。
『冬の旅』はミュラーの詩による詩集であり、シューベルトはこの詩集を基にして作曲しました。シューベルトの『冬の旅』は、ミュラーの詩の雰囲気やテーマを音楽で表現しました。シューベルトの『冬の旅』は、ピアノと声のためのサイクル(連作曲)として知られており、その美しいメロディと感情的な表現で広く称賛されています。
以上のように、シューベルトはヴィルヘルム・ミュラーの詩に基づいて『冬の旅』を作曲しました。再度混乱を招いてしまい申し訳ありませんでした。ご指摘いただき、正しい情報を提供することができて安心です。もし他に何か質問がありましたら、お気軽にお知らせください。

⇒ 安心したあ!上手の手から水が漏れたかと同時にちょっと残念な気持ちも。アブナイ、アブナイ。避けて通れないなら使うも使わぬもあなた次第。信じる者は救われるかも。

春の夢

2023 MAR 17 7:07:09 am by 西村 淳

東さんお薦めの本、「1984」をようやく手にした。出版が1949年ながらぞっとするほど今の世界情勢が二重写しとなって迫ってくる。ドキドキしながら読了した。
この本には全体主義国家の独裁者「ビッグ・ブラザー」が出てくるが、現代でもそれにあたる人、あるいは組織があるに違いないとコロナ禍は確信させてくれた。最初コロナが武漢で発生した時の映像は恐怖で人々を支配したけれど、それが茶番だと気づいた時、薄々と見えていた「ビッグ・ブラザー」がより鮮明なイメージとなった。桜が咲き始めた春の宵に妄想してみよう。
さて現代日本。「ビッグ・ブラザー」の企みはワクチンから始まり、食料、エネルギー、そしてCO2。次々と着々と。何しろアメリカにしろ、EUにしろ、もちろん日本政府もその手先。特に日本の政治家は「1984」の主人公、真理省・記録局に勤務する「過去の歴史改ざん」担当の小役人ウィントン・スミスとは違って、同じ小役人でもサラリーマン体質なので余計な考えを持ったり、与えられた仕事をさぼったりしない。「ビッグ・ブラザー」にとってはこんなに優秀な部下は他にないだろう。
今朝も救急車のサイレンが。このところ毎日のように4回も5回も救急車のサイレンが鳴る。前年比の超過死亡がとんでもない数になっているのは周知の話。1兆円不足した防衛費を増税で・・なんて言っただけで大騒ぎになっているのに、これに支出した100兆円はどうやって賄っているんだろう?「ビッグ・ブラザー」からの借入金?では担保は日本国そのもの?
「食」は鳥インフル陽性。PCR検査をして一羽でも陽性だったら地域一帯の鳥をすべて処分の流れらしいが、そもそもPCR法はCt値の調整で結果はいかようにもできる。恣意的に都合のいいように使って不安を煽るいつもの戦略だ。さらにこのところ養鶏場の火災が頻発し養豚場も。オランダでは牛がゲップをしていたと思ったら気候変動目標達成に3000の農場を政府が接収することで大規模なデモが発生している。ここまで露骨にやらないし、できないのは日本流だが、与えられた目標は同じはず。
もう一つの「食」は昆虫食。WEFのクラウス・シュワブがダボス会議で食糧不足の切り札として昆虫食を提案している。あらら、食料自給率のアップには金をかけずに、いつの間にか政府が昆虫ビジネスに積極的な支援をしているのを知ってびっくり!プロレ(大多数の国民はここに属する)はハエとゴキブリを食べる日がすぐそこまで来ている。
「エネルギー」。日本の石炭火力の占める割合は32%もある。廃止する期限を切れとG7の気候・エネルギー・環境省会議で追い込まれて困っているようだ。そりゃあそうだろう、北海道でブラックアウトを経験した北海道電力厚真発電所は石炭火力。この時は同時に水力発電所も、風力発電所も停止した。しかも水力発電は複数の送電線が切れた(!?)らしいが、詳細は不明ながらどこか養鶏場の火災と似ていないか?
最後にマイナンバー・カードとデジタル通貨。このカードがお金に紐づけされれば確実に国民の行動は可視化される。後で徹底した監視社会が待っているのに目先の小さな人参にぶら下がるプロレの愚かさは嘲笑されているに違いない。

「・・それとも君は前と同じように、労働者や奴隷が反旗を翻して我々を打倒するなどと思っているのかもしれんな。そんな考えは捨てることだ。連中は無力さ、獣のようにね。人類が党なのだ。他のものはどうでもいい・・価値などないのだよ。」
オーウェル「1984」を漫画で読む ジョージ・オーウェル/文 フィド・ネスティ/編・絵 田内志文/訳 いそっぷ社

春の夢・・ご存じシューベルトだ。美しい旋律に乗せた夢、そして荒んだ現実の落差。「希望」を胸にまどろむ。

スマイルとマスク

2023 MAR 1 17:17:24 pm by 西村 淳

チャップリンはチェロを熱烈に愛していた。同じチェロを弾くと言うだけで親しみが沸いてくる。稀な左利き。リバース・セッティングをしたらしいが、これではオケで弾くにはさぞかし肩身が狭かろう。そのチャップリンの「スマイル」という曲が大好きだ。「モダン・タイムズ」の最後に出てくる、ちょっとセンチで、粋だし、ナット・キング・コールの歌声にも胸がキュンとなってしまう。こういう曲が嫌いという輩とは友達になれない。


Charlie Chaplin playing the cello. United States Library of Congress’s Prints and Photographs division under the digital ID cph.3b11417. Public Domain.

スマイルは人間の表情の中でもっとも美しいものだ。また人が人たる所以であろう。昔、渋谷にあった「ジャン・ジャン」で美輪明宏氏のミニリサイタルを時々楽しませてもらったが「人に接する時は常にスマイルで」と言っていたのがとても印象に残っている。スマイルは人の心を和らげ、あなたのことが好きですよ、大切にしていますよ、というメッセージを言葉を使わずに伝えてくれる。そういえば子供のころ、おばあちゃんが淳ちゃんの笑顔はとてもいいよ、って言ってくれたっけ。スマイル、心掛けよう。
コロナ・パンデミックが起き、アベノマスクから始まったマスク着用はもともと日本人にはそれほど抵抗感がなかったこともあってしっかりと社会に根付いてしまった。ドイツを拠点に活躍する指揮者の上岡敏之氏はオーケストラ練習の時、マスクをした楽員の表情が見えなくて困った経験を話してくれたが、マスクの弊害の最たるものはそこにあると思う。表情が見えないのだからコミュニケーションが成り立たないのだ。人は集団でなければ生きられないのに。
そのマスクが3月13日をもって“個人の判断”になる。可笑しなもので法律があるわけでも、強制でもないものが解禁!?と思うがまあそれは置いておいて、未だに99%の人はマスクを着用しているのだから表現としては間違っていないのだろう。でも人とのコミュニケーションが苦手な人たちはますます内にこもってしまいマスクを外すことに大きな負担を感じているようだ。人それぞれでもやっぱりマスクがあるとそこにスマイルはない。なんとも寂しい限りではないか。小さなスマイルで殺伐とした世相も、ギスギスした人間関係も魔法のように溶けてしまうのに。

心が痛むときも、折れそうなときも、そして空が曇っていても笑顔でいよう。
きっと上手くいくから。
喜びで顔を輝かせよう。涙がすぐそばにあっても哀しみを隠そう。
その時はその時さ。
泣いてどうするんだ、笑顔でいれば人生にはまだ価値があるってことが見つけられるよ。
(「スマイル」:歌詞抄訳)

開演前のあんちょこ

2023 FEB 8 8:08:09 am by 西村 淳

ライヴ・イマジン51が終わった。折り返し点から最初の一歩。果たしてどこがゴールなんだろう。
いつも開演に先立ち5分間だけプログラムについてお話をさせてもらっている。たったの5分だが、されど5分。レスター・ヤングだったか忘れたが、「16小節のアドリブで物を言えない奴はいくら長いソロをとっても同じこと」と言っていたのを思い出す。そう、5分で何も伝えられなければ20分喋っても同じこと。だからしっかり準備をしてあんちょこを作り覚える。アドリブは封印しないとどこかに行ってしまう。

「51」のプログラムは、以下のようなものである。
・ ベンジャミン・ブリテン (1913-1976)
シンプル・シンフォニー Op.4(1933-1934)
・ レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958)
「揚げひばり」-ヴァイオリンと弦楽合奏のためのロマンス (1920)
・ ガブリエル・フォーレ(1845-1924)
ピアノ五重奏曲 第2番 ハ短調 Op.115 (1919-1921)

「あんちょこ」に少し手を入れて:
『本日のプログラムは2つの大戦の間、すなわち、第一次大戦の終わりから第二次大戦の始まり迄の25年の間に作曲された曲で構成しました。ここでは「1921年」の前後のお話を進めます。
どんな芸術も音楽もその時代から逃れることができません。時代の子であるということ。従ってそれを知ることは理解を助けます。この頃の世相を見てみましょう。今以上に不安定な状況だったことがわかります。
それには3つの大きな理由があります。
まず、その1。戦争から。1914年、 第一次世界大戦が勃発し、1000万人の兵士が戦死したと伝えられています。人類史上最初の世界大戦です。まだ幼かったブリテンは勿論、高齢者のフォーレは戦場には行きませんでしたが、従軍した42歳のヴォーン・ウィリアムズは砲兵隊の隊長として戦場で散々辛酸を舐めて帰国します。一方戦争がはじまるとサン=サーンスは、ドイツの作曲家の音楽をフランスで演奏しないことにしようと騒ぎ始めました。フォーレはその書類のサインを拒否しましたが。
2つ目。疫病です。1918年11月に大戦は終結したものの、ちょうどスペイン風邪が流行りはじめ、この史上最大のパンデミックで世界全人口18億のうち5億人が感染し5000万から1億人が亡くなったとされています。
そして3つ目はお金の話。戦争はインフレーションを招きます。敗戦国ドイツはそれに加え、途方もない賠償金を課せられ、1923年には1年間で例えば1000円が1兆円になるという事態が起きています。こうなると預貯金も年金も紙屑ですね。
歴史は繰り返すと言いますが、100年前の戦争、疫病、そしてインフレーションの3点セットは今の世界の状況と大変良く似ていると思いませんか?
一方、戦勝国たるフランスは、好景気に沸き返り、戦争が存在したことすら忘れてしまう有様。大気にはシャンパンの香りが漂い、街ではストラヴィンスキーが、ピカソが闊歩する中、コンサートではワーグナーとベートーヴェンが演奏され、「ここの支払いはドイツがするんだ!」と大騒ぎでした。
そんな中、1921年5月には「揚げ雲雀」、6月にはフォーレの五重奏曲2番が初演されました。前者はヒバリを通じ、自然と心の平安を謳いあげた作品です。イギリスのクラシックFMのリスナー投票で11年連続、栄光の殿堂第1位を獲得、イギリス人がもっとも愛する曲として知られています。またフィギュアスケート、韓国のキム・ヨナがこの曲を使って華麗に舞い上がりました。とてもいいセンスをしています。
フォーレの五重奏曲は仄暗いハ短調から始まり、晴朗なハ長調で堂々と締めくくった大曲です。私は第一楽章の終結部のコーダに教会で盲目の老婆に導かれて無心に小さなオルガンを弾くフォーレ少年の姿が目に浮かび、そこには教会の鐘の音も聴こえてくるようです。同年、7月ヒトラーはナチス党党首になり、そしてブリテンのシンプル・シンフォニーが作られた1933年にはドイツの首相になっています。もう次の戦争の足音がすぐそこまで迫っています。
そんな中で、1921年がほんのひと時の平和を味わっていた年であったと思います。』
・・私たちの今もほんのひと時の平和を味わっているだけなのかもしれない。

初詣とフォーレ

2023 JAN 3 22:22:43 pm by 西村 淳

新年。健康散歩のついでに初詣でも、と立ち寄ったのが昨年の六天大魔王さまのところではなく、本所にある江島杉山神社。ここは現代の鍼の主流である「管鍼術」の名人、杉山和一の係わりのあるところだそうだ。徳川綱吉のお抱えの鍼灸師、鍼を使って世直ししてほしいものだ。ただ「ついでに」なのでお願いを心に決めていたわけでもなく、次回のライヴ・イマジンの成功を祈願した。

その次回のメインはフォーレのピアノ五重奏曲第2番だ。フォーレの晩年の作品の味わいの深さは格別のものがあるが、目下この作品に首ったけ、練習していて夢中になっている。どこがいいのか。若い頃のフォーレの作品の「わかりやすい」抒情も大変魅力的だが、円熟の極致とも言うべき作曲技法により構成された譜面を読めば読むほど奥深さに驚嘆させられ、とてつもない共感を呼びおこす。
第1楽章、ヴィオラの主題からしてもうヘミオラが組み込まれ、各楽章そこかしこに顔を出すだけでなく、第4楽章に至っては全540小節のうちハ長調コーダの120小節を除くとその4割(も!)がヘミオラりになっている。流れるものに棹さすような効果があるのがヘミオラのリズムながら、ここまで大胆に使われると普通のリズムがわき役になってしまう。そこにお約束のフォーレの刻印がきちっと押され、とても懐かしさでいっぱいになる。
ティッサン=ヴァランタンとジャック・デュモン率いるORTF四重奏団が演奏したシャルランの録音がある。定番とされているものの一つだが、地味ながらとにかくいい味を出している。たとえば第1楽章。おとなしいフォーレ少年は父親の学校の校舎の一角の礼拝堂にあるハルモニウムに夢中になり遊んでいる、追憶が懐かしい響きに再現されている。そう、フォーレのスタートはオルガニストだったし、それをたっぷりと曲に注入したのだ。さらに、終曲で盛り上がりピアノの左手に出てくるアクセント。これをがんがんと鳴らしたティッサン=ヴァランタン。私には函館のハリストス正教会の鐘の乱打が、幼い耳が聞いた響きが蘇る。フォーレの鐘はパリのマドレーヌ寺院か。晩年の音楽に私小説を持ち込み回想するいたずら。最高だ。第2楽章と第3楽章の見事さはあまりにも語り尽くされているので、ここでは省略して第4楽章を。どちらかというと、「?」で語られることの多いヘミオラ攻撃の楽章だが、1楽章同様に全体としてヴィオラのソロがとても効いている。二重奏となったり三重奏となったり、明らかに20年後のショスタコーヴィチの透明な同じ編成の名曲へ受け渡されている。フォーレはこの頃にはもうほとんど耳が聞こえなくなってしまっているし、初演の時にも全く音楽を聴くことは出来なかった。実際この悲劇はベートーヴェンの第九初演時のエピソードに重なる。なるほど、高い音低い音がゆがんでしまって聴こえる、というのは晩年の作品が中音域を多用する理由の一つだろう。
いくつか新旧の録音を聴いてみたが、なにかのファンタジーを醸し出してくれるのはこのシャルラン盤以外にはない。譜面に書いてあるものを歌えばいいという単純なものではないのだ。

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