Sonar Members Club No.31

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通勤が楽しくなった

2019 JUN 13 21:21:13 pm by 西村 淳

よくもまあ30年以上にわたって満員電車に揺られ続けているものだと、我ながらその勤勉さに驚くが、どういう訳かその混み具合が最近とみにひどくなってきている。人様に迷惑をかけずに過ごすいい方法はないかと考えてみたが、やはり音楽が聴ければそれに越したことはないと結論付けた。以前はイヤホンを音漏れで注意されてしまったし、こんがらかるケーブルに辟易して止めてしまった。そんな折、ワイヤレスイヤフォンが徐々にその地歩を固めつつあることを知り試してみた。B&Oの音の良さは群を抜いているし、ルイ・ヴィトンなんてものもある。だが、いきなり高級路線よりもまずBluetooth初体験でその実力を知ろうと某中国製のものを手に入れた。まずパソコンのituneにCDの取込みを実行。iphoneと簡単にペアリングしてそれなりの音が聴こえてきたときには感動してしまった。周りが静かなところで聴くと細かなニュアンスまでよく浮かび上がるし、これでいいや、となりそうだ。

毎日の通勤でよく聴いているのは、先のブログに聴かずして知らずして死んでしまうのは勿体ないと書いたシューベルトの歌曲。マティアス・ゲルネの歌だ。そしてユリアーネ・バンゼのドビュッシーとモーツァルトの歌曲。ゲルネは驚嘆すべき美声の持ち主。いい声だなあ、そっと優しく包んでくれて惚れ惚れと。きっとシューベルトが入れ込んだフォーグルの声もこんなだったんだろう。バンゼのほうはピアノがアンドラーシュ・シフ。これほど歌と伴奏が混然一体となったものは他に知らないし、ドビュッシーとモーツァルトを続けて聴いても何の違和感もない奇跡的な演奏だ。ドビュッシーの「忘れられた小唄」の妖艶さに続き、突然始まる「春へのあこがれ」K596にドキッとする。次の春を迎えることが出来なかったモーツァルト。そして最後に置かれた最高傑作、死後の世界を先取りした「夕べの想い」K523に至る。日頃ライヴ・イマジンを通してプログラミングに腐心している者にとってこの凝ったプログラムがいかに素晴らしく、そして成功しているかがよく分かる。なるほどシューベルトを含めたこの三人の作曲家は神にいちばん近いところいる人たちだっけ。

おかげで毎日の通勤がギスギスしたものから柔らかな微笑さえ伴ったものになったし、どれほど混んでいても音楽の美しさはその苦痛を和らげる。そして何より他人にとても優しい気持ちを持てるし、大指揮者ブルーノ・ワルターも同じようなことをどこかで発言していた。当面この小さな丸いワイヤレスフォンは手放せそうもない。さあ明日も元気に出社しよう。

オッペルのCDついに登場!

2019 MAY 20 20:20:32 pm by 西村 淳

前掲、前田氏渾身のオッペルの録音がとうとうCDリリースされた。

ラインハルト・オッペルの試演

教会でのライヴ一発録りではなく、丁寧なプロセスを何度もやり直しを繰り返し製作されたものだけに音の分離も良く、この作曲家の再評価の一翼を担うに不足はない出来となっている。
最近ではめっきり減ってしまったクラシックCDの販売店だが、銀座・山野楽器の店頭に並んでいるそうである。メジャーレーベルも、自費出版のものも同じ棚に並ぶ。
ここまで来るには大変なご苦労があったに違いない。それをすべて引き受けるには心が折れそうになることも、難しい人間関係もあったろう。
同じく音楽を人生の伴侶としている者として心からおめでとうと、快哉を叫ぶ。

ひのまどかさんのシューベルト

2019 APR 30 21:21:43 pm by 西村 淳

著者ひのまどかさんの著作に初めて接したのは「戦火のシンフォニー:レニングラード封鎖345日目の真実(新潮社刊)」だった。ここで描かれた交響曲第7番出生の苦難は胸を打つものがあったし、意外にもドイツの包囲網の中、生死の狭間で行われたショスタコーヴィチその人のレニングラード初演に至る過程での冷淡な態度や、その後の指揮者エリアスベルクの恵まれない扱いに憤慨したりもした。ロシア大使館で行われたひのさんのレクチャーからは徹底した現地取材による借り物ではない彼女自身の想いがストレートに伝わってきたのを思い出す。
その後「作曲家の物語」シリーズという図書館では児童書のコーナーに置かれている著作を目にするたびに「ドヴォルジャーク」「モーツァルト」「バルトーク」などなど夢中になって読み進め、とうとう「シューベルト」を手にした。どれもが現地に足を運び掬い上げたものと歴史に刻まれた事実とが交錯し、まるでそこに作曲家本人がいるように生き生きとしたひのさんの言葉で語られる。

シューベルトのサブタイトル、「孤独な放浪者」はまさに正鵠を得たものだ。作曲のためにあらゆる束縛を嫌い、父の命じた代用教員の職を拒否したことから勘当され寝泊まりは友人たちのところに転がり込む。ただこの仕事はたったの年に45グルデン、年収45万の仕事だった。ホームレス、ただこのホームレスは落ちてなったものではなく自から自由の代償として選んだ道であり境遇に不満も迷いもない。一方でこんなシューベルトの才能を信じ生きることをサポートしてくれた多くの友人達がいたし、先日ライヴ・イマジン42で演奏した「八重奏曲 D802」はクラリネットの名手でもあったトロイヤー伯爵(ベートーヴェンのパトロン、ルドルフ大公の侍従長)からの依頼も彼らの成果だった筈だ。シャイなシューベルト。そっと後ろからついて歩いても声すらかけられなかった尊敬するベートーヴェン。人生の終わりを迎える直前にシントラ―の要請でベートーヴェンに会いに行く。その作品を「この若い作曲家の中には、神の火花が散っている!私はどんなにこの青年の才能を尊敬していることだろう!」とまで評価していたベートーヴェンが病床からシューベルトにくれた眼差しは、そこに神の姿を重ねたに違いない。そして翌年。死の直前に「ここにはベートーヴェンがいない、ぼくはベートーヴェンがいるところにかえりたい」と訴えたシューベルト。ウィーンの中央墓地。大好きなベートーヴェンの隣で彼に何を話しかけているのだろう。
ひのさんの本を読んで、シューベルトの人となりが明確な焦点を結んだ。前回のライヴ・イマジンの冒頭の挨拶で、モーツァルトとシューベルトを預言者とした。ベートーヴェンが見抜いたようにこの二人は間違いなく神に一番近いところにいて、神の声を私たちに届けてくれた人たちだ。モーツァルトはさておき、もっとシューベルトのリートを楽しまなきゃ人生洒落にもならない。

メロ・ハマヤ再び

2019 APR 4 21:21:41 pm by 西村 淳

今年の1月に小樽の可否茶館にコーヒーを注文しようとネットショップを見ると、メロ・ハマヤがない・・・・。そういう時期もあるかとも思いつつ電話をかけてみるとメロ・ハマヤは終わりましたとのすげない返事。以前に注文したモカを仕方なく飲んでいたがやはりメロ・ハマヤの味が恋しい。この名前をダメもとでググってみると同じ小樽で喫茶店をやっているじゃないか!?カフェ・ミ・カーサという名前でハイチの絵を飾っている。おお!ここだここ。素人っぽいHPながらきちんと豆情報も載っているし、地方発送も。そうか、小樽から見ると東京は地方になるわけだ。喜び勇んでその足ですぐに電話。ハマヤさんの奥様が電話口に出られて大変丁寧な対応をしていただいた。そうなんです、可否茶館さんとは契約が切れました・・でも直接注文が勿論できます。との言葉に選べる4種類の焙煎から2番と3番をそれぞれ400gと600gをオーダーした。
メロ・ハマヤのクオリティの高さは少し入りの浅いNo.2、慣れ親しんだ味のNo.3とも十分すぎるほどの魅力がある。アラビカ種のティピカとはコーヒーの原種の一つで病気に弱く生育にはとても気を遣う物らしい。ただ、原種が交配を重ねて病気に強いものを作ることに成功しても大切なものを代償として差し出さなければならない。それはどんなものでも同じことかもしれないが、メロ・ハマヤを口にして雑味のない、ほとんど完璧ともいうべきそのバランスの良さに感動しながらそんなことを考えてしまった。そして何とネットカタログの一番下にピーベリーが載っている!!ピーベリー、普通コーヒーの種子は半分に割れておわん型なのに対し、何かの拍子に丸い形のままで生まれてくるものがわずか数パーセントあるらしい。球形なので焙煎時の熱の伝わり方が均一になると説明されているが、その味はメロ・ハマヤ‐ノーマルフォルムに比べ一段と洗練されたものとなっている。透明感という言葉がふさわしいかもしれない。

この経験は特別な喜びを、人生に刻む。ああ、コーヒー党のベートーヴェンに是非飲ませてあげたかった。
19歳で海を渡りドミニカの地でこの宝石のようなコーヒーを生み出したハマヤさん。濱谷さん、決して若くはないでしょうし今がもしかするとこのコーヒーを入手できる最後のチャンスなのかもしれない。そして原種としてのティピカそのものも近い将来地球上から消えてしまうのかもしれないのだ。
小さな出会いかもしれないが、私の残された人生に一筋の光明を与えてくれた。北海道に行く時には何を措いてもカフェ・ミ・カーサを、ハマヤさんを訪ねずにはいられない。

特別なトリスタン体験

2019 JAN 20 20:20:40 pm by 西村 淳

新交響楽団第244回演奏会
指揮 飯守泰次郎
二塚直紀(トリスタン)、池田香織(イゾルデ)他

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」抜粋(演奏会形式)
第1幕 前奏曲
第2幕 全曲
第3幕 第3場

2019年1月20日(日)2:00PM
東京芸術劇場コンサートホール

「トリスタンとイゾルデ」は1991年10月、サンフランシスコの戦争メモリアルオペラハウスでの公演を見て、そして聴いたのが最初で最後だ。その頃働いていた横河電機でのアプリケーション・シンポジウムで一等になったご褒美にアナハイムでのISA(Instrumets Society of America)への視察旅行があった。帰国する前にサンフランシスコまでその足を伸ばしたわけだが、緊張感に満ちたアメリカ社会の中でこの街の安全と開放的な空気がいっぺんに好きになってしまった。昼は観光、夜はコンサートと短いながら充実した日々だったし、とうとうオペラまで観てしまったわけだ。それまで「トリスタン」は「前奏曲と愛の死」くらいしか知らなく粗筋をつまんだ程度の知識しかなかったが、この時の公演は第3幕でイゾルデの「愛の死」で涙が溢れ、止まらなくなってしまった。カーテンコールが終わっても呆然として人前を憚らず泣けた空前絶後の音楽体験だった。ワーグナーに媚薬を盛られてしまったわけだ。それ以来この曲は特別なものとして常に心のどこかにあり出来れば演奏体験もと思っていたが、アマオケの雄たる新響が取り上げてくれた。自分がその場にいない残念さもあったが、私にとっての音楽は聴く楽しみ半分でもあるので弾く楽しみは先に残しておこう。ライヴ・イマジンで度々お世話になっている新響のU夫妻からチケットをプレゼントされ、勇躍会場に。アマチュアのコンサートはいいところを聴くことが鉄則である。しかしながらワーグナーのスコアは易しくなくちょっと不安もあった。ところが前奏曲が鳴り始めてすぐにワーグナーの特別な世界が拡がり、それが杞憂であったことをすぐさま思い知らされた。そう、音楽そのものに入れたし最後にはやっぱり泣いてしまった。素晴らしい。本当に素晴らしい体験だった。この公演を聴けたことは一生の思い出となるに違いない。指揮の飯守さんはじめ新響の面々、そして何よりもトリスタンの物語を真摯に伝えてくれた歌手の皆さんに心から拍手を贈りたい。ブラーヴォ!

小林道夫さん、岩国、そしてゴルトベルク変奏曲

2019 JAN 3 8:08:47 am by 西村 淳

昨年末に畏友O氏が岩国からやってきて小林道夫さんの弾くバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の録音をプレゼントしてくれた。1980年4月27日、岩国の名曲喫茶「タキ」にはるばる東京からチェンバロをトラック輸送しての演奏会の記録だ。

O氏は食品関係の問屋を経営する一方、岩国音楽鑑賞会という名の下、音楽喫茶「タキ」にその趣旨に賛同する人々が集い毎年東京藝大の優秀なメンバーを集め室内楽の演奏会を企画・運営していた。その中には今なお現役で活躍している人たちも多数存在する。
「タキ」でO氏と意気投合し、仕事が引けた後ほとんど毎日コーヒー片手にやれティボーが、メンゲルベルクがどうだと音楽談義を続けていた。岩国音楽鑑賞会のお手伝いもする中で私が長年指導を仰いでいた小林道夫さんに弾いてもらったらどうだろう?と持ち掛けると願ってもないことと、とんとん拍子に(小林道夫さん)の演奏会を開催する運びになった。山陽国策パルプの南陽寮から小林先生に電話し快諾していただいたことを昨日のように思い出す。演奏会は岩国文化会館で2日間に亘り実現した。プログラムは1日目がJ.S.バッハ、2日目がモーツァルトとシューベルト。わずか6か月しかなかった岩国在住だがこの演奏会を置き土産にして勇払に転勤した。1978年のことだ。その後、岩国では何度も小林道夫さんのコンサートが企画され、その一環として私が去ってから2年後に「タキ」でのゴルトベルクが実現したわけだ。客席は100程度のはずで贅沢な音楽空間だったに違いない。

チェンバロという楽器の復権が今の古楽の隆盛と無関係ではない。小林先生の薫陶を受けた多くの音楽家のみならず、刺激を受けた若きチェンバロ制作者が旅立ったことが今の日本の音楽界を下支えしている。この頃は(今だって)生のチェンバロの音を一地方都市で聴いたことのある人はまず居なかったはずだが、岩国で多くの人々の情熱が咲かせた小さな花も「失われた30年」の間にいつの間にか枯れてしまった。

さて当時の録音を聴いてなんと爽やかだったことか!いきなり小林道夫さんの楽曲解説が始まり、その声に40年も前にレッスンをしていただいたことを想いだし思わず背筋が伸びてしまった。(笑)使用した楽器は一段鍵盤のチェンバロだったため二段鍵盤を要求されている箇所は技術的に少し窮屈なところもあるが安定した技巧とピンと張った緊張感に最後のアリアでは感動で胸がいっぱいになってしまった。まだ可能性の真っただ中で自分自身を探していたその頃の空気と鮮明な記憶が蘇った。

小林道夫さん、1972年以来12月に毎年ゴルトベルクを主に東京文化会館の小ホールで演奏している。これを聴いてその年を終えることにしている人も多いようだし毎回チケットは売り切れている。凄いライフワークだが、私の中ではその歴史に新たにこの岩国ヴァージョンが加わった。

ベートーヴェンのメトロノーム記号

2018 DEC 31 8:08:51 am by 西村 淳

APA(エイパ:NPO法人アマチュア演奏家協会)の会報に都河さんの音楽エッセイに早川正昭氏(東京ヴィヴァルディ合奏団;指揮、作曲家)から教わったことが紹介されている。曰く、「昔の作曲家が意図したテンポは今の多くの演奏家が弾いているテンポよりずっと速かった。今の若い人が早く弾くのは作曲家の意図に近づこうとしていると考えてあげるべき」という言葉を紹介し「そして演奏は再演の度にほんの少し遅くなっておりメトロノームの出現前は100年で8%、出現後は3%遅くなっている。20世紀前半の演奏の平均時間が年とともに遅くなるので、グラフに表しそれを逆に伸ばしたら、ベートーヴェンの時代に彼の指定したテンポとほとんど誤差もなくぴったり一致した。鳥肌がたち、それ以降演奏の遅延化を全く疑わなくなった。」とあった。
面白い視点だと思う。一つの音符を命を削って書きつける行為がある一方で速度指示がAllegroとかAdagioだけでは曖昧すぎて我慢が出来なかったであろうベートーヴェン。メトロノームを発明したメッツエルとはすぐに懇意になったようだ。そんな彼にとって発見したオアシスともいうべきメトロノームの登場は1816年のこと。すでに交響曲は第8番までを書き終えている。しかしそれ以前の作品にもメトロノーム記号を記入し、出版社に記載を依頼していることに書かれた数字への強いこだわりを感じる。機械が壊れていたとか、精度が悪かったなどの俗説はあまりにも程度が低くすぎる。
下図は1862年に出版された交響曲第7番のBreitkopf und Hartel版。速度指示は♩=76である。因みにSteiner&Co.1816年の初版にはここにあるメトロノーム記号はない。

速すぎるとされる指示は演奏不能ではないにしろ「今」の演奏を刷り込まれた耳には馴染まないが気づかぬうちに、ということか。ずうっと昔から気になっていたことだが、まずは書いてある通りにやってみないことには前に進まないのも事実。その上での議論がなければならない。
バレンボイムはサイードとの語りのなかで「(テンポは)時には作曲家が指定するのだが、それはどうしても速すぎることになる。作曲家がメトロノーム記号を記入する時には、まだサウンドの重量がないからだ。ただ頭の中で想像しているだけなのだ。暗記している詞を心の中で反芻することは2秒でできるけれど、声を出して読み上げることは絶対に2秒ではできない。それゆえ作曲家によるメトロノーム記号は速すぎることが避けられない。」(「音楽と社会」バレンボイム/サイード みすず書房)としていることも記しておこう。

目視検査の自動化

2018 DEC 23 8:08:55 am by 西村 淳

目視検査の自動化。なにやら小難しいことを言いだしたぞととられるかもしれない。これは10年くらい前に取り組んでいたテーマだった。いろいろと調査していて何を措いてもこの非人間的な「目視検査」作業から人を開放することこそ使命とも感じていた。その想いは今でも変わっていない。

きっかけはIVS(Industrial Video Solutions)というアメリカ、ワシントンDCのベンチャー会社との出会いと協業だ。スティーヴ・ジョブスがそうだったようにベンチャー企業には一人天才的な発想を持つ人がいる。このIVSにもCEOを兼務しているSlawekさんというポーランドの技術者がそれだ。一緒に仕事を始めて20年来の尊敬もし、深い知識と発想の豊かさ、そして欧米人に稀な謙虚な人間性も含めて惚れている人物の一人だ。

目視検査とは何だろう?ある製品を作った時にその基本性能が市場の要求を満たしていたとしよう。昨今の検査偽装はこの部分の数値を改ざんしたから罪は重い。ところがちょっと外観に傷があったり、凹んでいたりしたらそれは製品とならずに欠陥品となる。ちょうど曲がったキュウリが市場に出ないように絶対に市場に出してはいけないものである。
本質的ではないが、現実だしその為に曲がったキュウリを「目で見つけて」はじくこと。これが目視検査だ。つまり人の「目で見える欠陥」の除去としてよい。

多くの業種、企業の工場を訪問し最終の検査工程で製品の欠陥、欠点をどのように発見し、それをどのように欠陥製品として除去しているのかをこの目で見、そして耳で聞いた。そこから浮かび上がったのは、たとえば600人の工場で目視検査にあたっている人間が200人もいたこともあるし、ベルト・コンベヤの上を流れてくる製品をじーっと睨んでいることを仕事にしている人もいる。集中力の必要な作業を15分交替でやっていたが、この非人間的な作業のつらさに耐えられない人が多いとも聞いた。ユーザーからの品質要求が高くなればなるほどそのハードルが上がる。先ごろ日本の労働生産性が先進国中最低と報じられ、こんなところに人を配置しなければならないことがその原因の一つでもあるに違いない。目視検査のない製造業は存在しないし、一体どれほどの人たちがその作業に係わっているかは知らないが、この作業の「自動化」ほど待ち望まれているものはない、という確信を持っている。

目視検査を自動化されている専用機器は半導体製造に存在するものの、台湾の大手半導体メーカーでさえ機械検査の後、さらに目視検査を実施していた。これが実情である。

ではどのようにして目視検査の自動化を実現したか。高速の大容量デジタルカメラとLEDライト(ソナーが係っている青色LEDの中村教授の技術も含まれる)の使用が目の部分。その情報をPCに送り、良否判定は特別なフィルタリングとデータ処理によりIVSの技術で処理される頭の部分。これに汎用技術で自動化された欠陥品ピックアップ装置で構成される。人の認識、判断、行動が最先端技術に見事にそしてシンプルに置き換えられている。

事情があり道半ばでこの仕事に係わることから離れたが、Slawekさんとの友情は続いているし、東日本大震災の原発事故の時にいち早くウクライナ製のポータブル線量計を送ってくれたのも彼だ。いずれ何処かで再起を、とも考えている。生きているうちに一つくらいは世のために尽くそうではないか。楽しい写真は今年結婚した息子の結婚式でのSlawekさんだ。

音程

2018 DEC 2 19:19:37 pm by 西村 淳

音程のことで苦労している。
まず、基準となる音律はどれなのか?音律と言うのはドレミファのことで一番慣れ親しんでいるのが12音平均律と言われるピアノの調律だ。ところがこの平均律と言うやつはドミソの和音がきれいな響きにならないらしい。「らしい」と言うのは昔ピアノをやっていた時には本当はあまり美しく響いてなくてもそういうものだ、と納得していたし耳がそれに慣れてしまったこともあると思う。
かれこれ30年以上もの話だがピアノからチェロに転向すると一番の違いは楽器を自分で調弦しなければならいことだった。
A線、ラの音を当時は440Hzの音叉に合わせるようにしてとり、以下のD線、G線、C線とうなりを聴きながらアジャスターで調整する。これが完全五度。しばらくすると世にはチューニング・メーターなる便利なものが出回り始める。メーターがついていて音を出すと針が振れ「正しい」時には真ん中で止まるという仕組みだ。ところがその頃のメーターは平均律しかなかったし教わっていた先生も平均律できちんと弾けるならだれにも文句なんか言われない、みたいなことを仰る。その当時、桐朋学園には音程確認円盤みたいなものがあって出した音が高ければ右回転、低ければ左回転するような仕掛けがしてあったそうで、これが平均律。そもそも純正五度の調弦をしておきながら、平均律で弾く練習をするという窮屈なことを大真面目にやっていたわけだ。「権威ある」音大でこれだ。小澤征爾さん世代の人たちは多かれ少なかれ苦労をしたに違いないが日本のオーケストラがどこか響きが薄いことの一因かもしれない。
ではどうするか?最近やっているのはピタゴラス音律で弾くこと。どんな古典調律を使ったところで、長所短所は持っているのでこれで徹底的に耳を作り直そう。チェロは一番下の音を弾くことが多いのでこれでいけるはず。和音ではドミソのミがとても重要になるはずで、ぶれないドを弾けば、ミを担当しているヴァイオリンやヴィオラに迷惑をかけることはないはずだ。ピタゴラス音律のチューナーとにらめっこの毎日が続く。おお、針が中央に!さてさてこんなアプローチをこの歳になって始めている・・なんか遅れてきた青年そのものではないか・・。

イザイの「子供の夢」

2018 NOV 17 19:19:53 pm by 西村 淳

ライヴ・イマジン41でプログラムした、ショーソンの「詩曲」、「コンセール」はユージン・イザイに献呈されたものである。美の極致ともいうべき曲をショーソンから2つも献呈されるほどのイザイってどんなヴァイオリニストだったんだろう。フランコ=ベルギー学派のヴァイオリンの伝統を・・・その流派の特徴は、云々。そんなことを知りたいのではなくもしイザイの録音が残っているなら是非聴いてみたいものだ、と願っていたところ某音盤組合の積み重なった段ボール箱の中から顔を出しているではないか!?しばし目を疑ってしまうほどのタイミング。因みにあらゆるヴァイオリンソナタの頂点をなすフランクの作品はやはりイザイに献呈され、結婚式当日に届けられ早速その場で演奏された。


【SONY CLASSICAL MHK 62337】

嬉々として早速CDプレーヤーに載せる。おお、1912年の録音とある。この時代はまだアク―スティック録音のはずだし大きなラッパに向かって弾いたんだろうな、などと思いながらブラームスのハンガリー舞曲を聴く。早いところはやたら早いし拍子はいったいどこに行ったみたいな音楽。100%の賛同はしかねるけれど、デル・ジェスの美音は耳に残る。シャブリエ、ドヴォルザークに続いて、フォーレの子守歌を聴くころになってその音楽にどんどん引き込まれていき、最後のイザイ自身の「子供の夢」が始まるころにはもう至福感に満たされた。ヴァイオリニストとしてはティボーの高貴な表現に確実な技巧が安定感をもたらすノーブルという単語がふさわしい。G線の鳴り方も同じデル・ジェスを使っているハイフェッツのそれとは違い柔らかく、温かい。アイザック・スターンの献辞には偉大なヴァイオリニストは二人だけ、パガニーニとイザイだ、と。久しぶりにいい音楽を聴いた。
ティボー、クライスラー、イザイ、そしてカザルスが参加した弦楽四重奏が本当にあったそうな。そしてイザイはアントン・ルービンシュタインと演奏旅行をしたことも。そんな夢のような時代とワクワクするような感動を想いながら。
やれAIがどうのとデジタル・ワールドが拡がれば拡がるほどその反証として人が人としての証を求めたくなる。ここにイザイの演奏する「子供の夢」こそそれにあたる作品かとも思う。ちいさき者への優しい眼差し、愛情、慈しみ・デジタル世界では切り捨てるだろうものがたくさん詰まっている。一つ一つを確認し、大切にしてきたものが巨大な力の前に容赦なく切り捨てられるとき、人が生きる価値そのものが崩壊する。
私はこんなものは要らない。今すぐに止めるべき、そして止めさせなければならない。

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