初詣とフォーレ
2023 JAN 3 22:22:43 pm by 西村 淳
新年。健康散歩のついでに初詣でも、と立ち寄ったのが昨年の六天大魔王さまのところではなく、本所にある江島杉山神社。ここは現代の鍼の主流である「管鍼術」の名人、杉山和一の係わりのあるところだそうだ。徳川綱吉のお抱えの鍼灸師、鍼を使って世直ししてほしいものだ。ただ「ついでに」なのでお願いを心に決めていたわけでもなく、次回のライヴ・イマジンの成功を祈願した。
その次回のメインはフォーレのピアノ五重奏曲第2番だ。フォーレの晩年の作品の味わいの深さは格別のものがあるが、目下この作品に首ったけ、練習していて夢中になっている。どこがいいのか。若い頃のフォーレの作品の「わかりやすい」抒情も大変魅力的だが、円熟の極致とも言うべき作曲技法により構成された譜面を読めば読むほど奥深さに驚嘆させられ、とてつもない共感を呼びおこす。
第1楽章、ヴィオラの主題からしてもうヘミオラが組み込まれ、各楽章そこかしこに顔を出すだけでなく、第4楽章に至っては全540小節のうちハ長調コーダの120小節を除くとその4割(も!)がヘミオラりになっている。流れるものに棹さすような効果があるのがヘミオラのリズムながら、ここまで大胆に使われると普通のリズムがわき役になってしまう。そこにお約束のフォーレの刻印がきちっと押され、とても懐かしさでいっぱいになる。
ティッサン=ヴァランタンとジャック・デュモン率いるORTF四重奏団が演奏したシャルランの録音がある。定番とされているものの一つだが、地味ながらとにかくいい味を出している。たとえば第1楽章。おとなしいフォーレ少年は父親の学校の校舎の一角の礼拝堂にあるハルモニウムに夢中になり遊んでいる、追憶が懐かしい響きに再現されている。そう、フォーレのスタートはオルガニストだったし、それをたっぷりと曲に注入したのだ。さらに、終曲で盛り上がりピアノの左手に出てくるアクセント。これをがんがんと鳴らしたティッサン=ヴァランタン。私には函館のハリストス正教会の鐘の乱打が、幼い耳が聞いた響きが蘇る。フォーレの鐘はパリのマドレーヌ寺院か。晩年の音楽に私小説を持ち込み回想するいたずら。最高だ。第2楽章と第3楽章の見事さはあまりにも語り尽くされているので、ここでは省略して第4楽章を。どちらかというと、「?」で語られることの多いヘミオラ攻撃の楽章だが、1楽章同様に全体としてヴィオラのソロがとても効いている。二重奏となったり三重奏となったり、明らかに20年後のショスタコーヴィチの透明な同じ編成の名曲へ受け渡されている。フォーレはこの頃にはもうほとんど耳が聞こえなくなってしまっているし、初演の時にも全く音楽を聴くことは出来なかった。実際この悲劇はベートーヴェンの第九初演時のエピソードに重なる。なるほど、高い音低い音がゆがんでしまって聴こえる、というのは晩年の作品が中音域を多用する理由の一つだろう。
いくつか新旧の録音を聴いてみたが、なにかのファンタジーを醸し出してくれるのはこのシャルラン盤以外にはない。譜面に書いてあるものを歌えばいいという単純なものではないのだ。
万年筆を修理した
2022 NOV 12 10:10:47 am by 西村 淳
万年筆の書き味がとても好きだ。滑らかさ、味のある濃淡、自在な字幅、敏感に反応する筆圧、インクの発色の良さなど他の筆記具でこれに勝るものはない。カランダッシュのボールペンにしたところで所詮ボールペン。あて名書きであろうとちょっとしたメモであろうと専ら万年筆に頼っている。
その万年筆の修理に行って来た。コロナ禍でなかなか対応してもらえず、ようやく1年越しで使用できるようになった。修理予約を取るだけでも一苦労したが、結果大満足。感謝でいっぱいだ。
修理してもらったのは友人から譲り受けたモンブランのマイスターシュトゥック#149。最高峰の万年筆だ。たとえ響板が割れていようとスタインウェイのピアノは腐っても鯛、この万年筆も同様のステータスを持つ。
有楽町駅を降り銀座柳通りを行き左に曲がるとレトロな奥野ビルがある。手動エレベータで4階に。左に曲がると「ユーロ・ボックス(Euro Box)」。ここが魔界。綺麗にディスプレイされたヴィンテージ万年筆の魔力に思わず負けてしまいそう、いやいや、今日は大魔王様には修理をお願いしに来たのだ、正気を取り直そう。
持参した149の不調は軸尻を回すと途中で止まってしまい、インクを吸い込めない。とにかく固く、インクを入れたまま長い間放置された結果である。店主の藤井さんとは会話をしながら作業を見せてもらう。余ほどの自信がなければ対面修理は出来ないと思うが、作業に向かう姿勢はきれいな仕事と謙虚さ、穏やかな物腰でも一本芯が通っていること、そして何よりも絶対的な万年筆への愛情だ。この辺りは、弦楽器工房ドンマイヤ―の鈴木さん、今は亡きヴァイオリン・マスター陳昌鉉さんも同じスタンスだった。
「これは60年代のものですね。万一の場合軸を破壊してしまうかもしれません、覚悟してきましたか?」と。このままで使用できないわけだから勿論その覚悟ありだ。「実はこの方法は10回以上やってるけど、本当は破壊したことは一度もありません。でもドイツでは破壊したことがあると聞いています」とのこと。
作業を開始すると、去年(!)廻せた軸尻がいくら力を入れてもピクリともしない。悪化している・・超音波洗浄器を使用し、筆を温水に浸して軸胴をなぞり、マイルドに温める作業を何度も繰り返す。ヤットコで挟んでようやく廻った。ここまで来たらいよいよ特殊工具に固定して徐々に引っ張るわけだが、ここがハイライト。藤井さんの緊張の一瞬・・・成功!!!「ああ寿命が縮まった」と勝利宣言。ホッと息をついた。
これが藤井さんの特殊工具。
このあとはオーバーホールと名人の指先でペン先の調整を行い終了。書き味もコリをほぐした後の気持ちの良さ。ここまでほぼ1時間のコース、お疲れ様でした。
毎日使うものだからこそ、大切に扱いたい。愛着があるしそれが故障してしまったら元に戻す努力は惜しまない。価値を認め人生を共有して来ているわけだから。
余談ながら藤井さんはクラシック音楽が大好きで、五嶋みどりが御贔屓だとか。音楽の話にも小さな花が咲いたが、近ごろは耳が不自由になってきて、好きな音楽が聴けないのがとても残念だと。これだけは他人事ではない。
私たちにはあなたが必要です。お元気で!
やるせない世の中
2022 OCT 13 8:08:28 am by 西村 淳
サラリーマンを卒業したら大好きな音楽をやって、楽しい老後を迎えようと思っていたら昨今そう甘いものではなくなってしまった。コロナ禍、ワクチン、選挙不正、地球温暖化、安倍首相暗殺、旧統一教会・・そしてウクライナ戦争。そのどれもが裏で繋がっているやもしれず、まさに百鬼夜行の世界の出現だ。
政府もマスコミも支配(日本は株式会社でしたっけ!? 法人番号:2000012010019/会社法人等番号:000012010019)され、国(会社)は株主様の利益を最大にするように働く。国是も矜持もあったものではない。内部告発は「陰謀論」の一言で片づけられ、クビ。総理大臣(社長)だって業績不振なら即刻クビ。下手をすると命まで落としかねないオソロシイ世の中だ。
こんな状況下でも、いや、状況下だからこそ人間観察という点では随分学ばせてもらった。人間って何だろう?音楽をやるなら、「私はこう考える、さあどうだ」、がなければ感動を人に伝えることなんか絶対にできない。つまり自分の考えを持つことありき。人前で自分の意見も言えない奴に音楽なんかできるか!?ところがどっこい周りには自分の頭で考えようとしない人達ばかりが溢れているじゃないか。パンデミックが演出し炙り出してくれたことに心底驚いた。何と!自分の命に係わることですら、体のいい他人の迷惑になるからと言いながら偽善で受け入れる。ネット民たちがピープルをシープルと揶揄しているのにはあまりいい気分にはなれないが気持ちは十分わかる。
ギドン・クレーメルの「ちいさなヴァイオリン;リブロポート刊」という小伝を読んでいたら、思っていたことがズバリと出てきた。50年以上前、当時鉄のカーテンの向こう側にいた青年がはっきり書いたことが人種や時代に関係がないことも理解できた。
クレーメル、16歳。1963年7月4日の日記から。
「ほとんどの人間はバカで、考えもしないし、理想なんかないし、信仰もないわけで、我々はそんな人間と共に生きなければならない。唯一、助けとなるもの、それが芸術だ。」
スポーツ報知と紙のこと
2022 OCT 4 14:14:49 pm by 西村 淳
散歩コースにある両国国技館のお隣のビルに報知新聞社が移ってきた。アンチ巨人としてはふーん、程度の事だったけれど、最近はスポーツ紙はもとより日刊紙もほとんど手にすることがなくなった。街の小さな本屋が姿を消して久しいが、商売の柱は雑誌や週刊誌、漫画だったに違いなく、一過性の情報はデジタル世界に飲み込まれてしまったのだ。最近はこの傾向が拡大して楽譜にまで及んで来た。仲間うちでもタブレットPCを譜面台に置いてフットスイッチでページめくりをしたりしているが、どうも好きになれない。
コロナ禍の中でも保健所とのやりとりはファックスで、という情報が流れ、メール添付というやり方すらご法度なのには驚いた。野村證券の担当者とのやり取りもメールは×で電話のみ。古き良き技術を大切にしていると言えば聞こえもいいがその時点では「この時代遅れめ!非効率そのものじゃないか!」とイラっと来たものだ。ところがよく考えてみると「紙」として保存された記録は「歴史」として残っている。逆に「紙」のなかった時代の歴史は真っ白。
昨今ではデジタル大臣などというキワモノも出現しているが、行政文書などは絶対に紙として遺さなければならない。何処に保存されているかわからない、突然消えてしまうかもしれないクラウドなど、もってのほか。13世紀に無知なモンゴル軍が破壊の限りを尽くしたバグダードではギリシャ時代からの天文学に至るまでの貴重な書物を所蔵した「智恵の館」が葬り去られた。簡単ですよ、便利ですよという甘い誘いと共にデジタル軍襲来で同じことが現代に再現され、国家が滅亡してしまうかもしれない。アメリカの先の大統領選挙でも「投票用紙」が作れない、間に合わない(製紙会社が潰れてしまって)のでインターネット投票をなんて言っていたが、数字やデータの書き換えなんかやり放題だろう。選挙と民主主義はイコールなのにこのざまだ。ところで簡単・便利でQUOカードまで付いているマイナンバーカードの情報管理は一体どうなっているのだろう?
横道にそれてしまったが、その報知新聞(スポーツ報知)が地域コミュニティー紙を年三回無料版を発行している。地域密着で本気度を見た感じがする。さっそく両国駅前で手に取ったのが墨田区の「銭湯」特集。ちょうど浴室、洗面所のリフォームを計画中でもあり工事期間中の銭湯が気になりだしたのでこの号はドンピシャ。よーし、来年は巨人ファンにでもなろうじゃないか。
新宿西口
2022 OCT 2 20:20:49 pm by 西村 淳
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」にあるヒースの茂れる土地、この小説を実感したければ苫小牧市勇払原野に行くこと。
海風が強くて1m以上の灌木は育たない厳しい自然は開拓に入った八王子千人隊の人々を全滅させた。煙突の煙は常に横に棚引いたし、工場閉鎖の前にはエゾシカが場内を闊歩していたそう。
また日高本線の前身とされる王子軽便鉄道は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになったとも伝えられている。夜空いっぱいに煩いくらいに瞬く星の美しさに見とれたし、バードサンクチュアリから飛来する名もなき野鳥のかしましさは猫を驚かせ、社宅の庭にはグリーンアスパラが自生した。
そう、ここにあったのは自然だけ。
そんな所に6年もすごし、突然チェロを始めて60km以上離れた札幌交響楽団の先生の所にクルマを運転して毎週通っている姿は仕事仲間からはまるで火星人のように思われていたものだ。
火星人が一念奮起、西新宿の超高層ビルの一角で仕事を始めたのが36年も前のこと。田舎者ではない、火星人、東京へ。自身の可能性を求めて。映画「クロコダイル・ダンディー」の世界だ。
その頃の西新宿はまだ東京都庁も建っていなかったが日本一のビル群の威容に最初はキョロキョロ。私にとって都会とは銀座でも渋谷でもない新宿、そして窓外に眺める富士山だった。時々姿を見せる飛行船にツェッペリンを投影し「あ、すごい!」と発した素直な反応は職場の誰からもあえなく無視された。でもこんなものはすぐに飽きた。所詮はヒトの作ったもの。
新宿駅西口の一角には小田急デパートと京王デパートが肩肘突き合わせ、多くの人に親しまれていた。東口の伊勢丹、三越に比べると小田急がトロワグロで背伸びをしても所詮は私鉄の手掛ける商業施設故、庶民的なイメージは拭えなかった。一方新宿カメラ戦争を勝ち抜いたヨドバシ・カメラはまだ昭和を守っている。小田急デパートはそれほどお世話になった記憶はないけれど、歴史の一コマから消えてなくなった。とてつもなく大きな新宿西口地区改造計画がスタートし、10月2日をもって実質上に閉店。次は豪華になって2029年とのこと。いまさら感が漂うが、その頃まで生きているかどうかもわからぬ。
写真は昨日、小田急デパート最後のイルミネーション。
いまさらですが
2022 SEP 29 18:18:45 pm by 西村 淳
久しぶりにポリーニのショパン、それもエチュードを聴いた。
第6回国際ショパン・コンクールに優勝してすぐにEMIと契約、1960年9月にアビーロードの第3スタジオで録音したもの。18歳の記録だ。でもなぜかポリーニ自身の発売許可が下りず50年間もお蔵入りになっていたものだ。その後DGへの再録音は彼の名前を不動なものにしたのは周知のとおり。来日時のポリーニへの熱狂はロックスター並みだったと記憶している。
ところでこのCDの演奏はパーフェクト。
今年のプロ野球では佐々木朗希がパーフェクト・ゲームをやっている。20歳に記録。野球とショパンのエチュードを比べる愚は承知しているが、ポリーニの演奏を野球で例えるなら81球で27奪三振のパーフェクト・ゲームだ。バットにかすりもしない。起きるわけの無いことが、録り直しがあったにせよ現実に音となって目の前にある。それほど凄いものなのだ。好き嫌いの話ではない。
しかしバットにボールがかすりもしないパーフェクト・ゲームを観たいだろうか?それに感動するだろうか?完全なものへの憧れは達成されてしまうとすぐに飽きてしまう。
ポリーニは罪なものを作ったものだ。これに続くピアニストに課した試練のみならず、自分自身がこれ以上何をするべきかミケランジェリに師事を仰いでもその答えは見つけられなかった。
あまりにも衝撃的だったので、同じくポリーニのシューベルトの最晩年の変ロ長調ソナタD960も聴いてみた。実にすっきりした演奏だ。ショパンと同じアプローチだがやはり物足りない。エチュードだからこそ起きた奇跡だったのだ。
「美しき水車小屋の娘」、感動した!
2022 SEP 13 20:20:22 pm by 西村 淳
「半額」と書いてあるボックスの中にこのCDを見つけた。勿論、イアン・ボストリッジが現代最高のテノールだということを知っていたし、デイム・内田光子さん然り。いまさらですか・・有名な録音だし、という声がどこからとも聞こえてきそう。
(EMI 7243 5 57827 2 4)
第一曲のごとごとと廻る水車の前奏から一気に、本当に一気に別の世界に連れていかれた。イメージを寸分たがわず音にできる、内田さんの凄さに。「美しき水車小屋の娘」は私にとって重たい「冬の旅」とは違いテノールで軽さを演出できるヘフリガーやヴンダーリッヒであり、もっとインティメットなお付き合いができるものだった。そして甘酸っぱい青春の譜でもあった。悲劇的な結末であっても柔らかいF-durに乗せた「小川の子守唄」で終結することで「むかしむかしそんなことがあったとさ」みたいな雰囲気が好きだった。
ボストリッジ=内田のアプローチは違う。青年が恋をして、焦燥し、失恋し、絶望を実にドラマチックに再構築する。最後は死によって解放された青年が天国から見つめている。ボストリッジの歌は専門家筋の評価は素人のくせにとか、必ずしも高くないようだが、私にとっては音楽を共有してくれる最高の歌手。ここではピアノが歌と一体となり、また対向したりした器楽的な構成も衝撃的ですらあった。聴き進めていく途中で涙腺が何度も緩んでしまった。
2004年3月にこの二人は来日してこれを演奏している。その場に居なかったことに遅れてきた青年になってしまったが、幸い動画も残っていた。ライヴならではの大胆さがプラスされ小さく貧弱な画面でもサントリー・ホールの目の前で「水車小屋」が演じられているように錯覚したほどだった。
(NHK BShifi youtubeより)
この曲を演奏するのにボストリッジに声をかけたのは内田さんらしい。もし本当だとすると、伴奏者が歌手を選んだことになる。何てこと、そんなこと未だかつて聞いたことがない!!
内田光子さんはすでに日本国籍を離れている。そう、音楽をやるにはあまりにも日本の環境は無邪気で貧弱すぎる。いまだにコンサートを楽しむのではなく「お勉強」と思ってイベントに参加している人が多すぎないか?
グレン・グールドとの接点が出来た
2022 JUL 14 14:14:10 pm by 西村 淳
グレン・グールドとなるとちょっと苦手だ。彼の得意なバッハも手強いし、生来のへそ曲がり故、みんなが「いい、いい」となると「ほんとうか?」になる。フルトヴェングラー然り、そしてこのグールド然り。カラヤンは生前はもしかするとアンチのほうが多かったので大好きだったが。
軽い気持ちで読んでいた『半藤一利と宮崎駿の「腰抜け愛国談義」:文春ジブリ文庫』。教養豊かで歴史にきちんとした視点を持つ賢人二人の対談だ。夏目漱石の話題で、こんな記述にびっくり!かく言う私も「草枕」は無人島に持っていく一冊だ。
(H:半藤さん、M:宮崎さん)
H:グレン・グールドという音楽家は漱石の大ファンなんですってね。
M:みたいですね。なんでも「草枕」の大ファンだそうです。
H:死の床の枕元には、清書と、そしていっぱい書込みの入った「草枕」があったといいます。そのグールドが20世紀の最高傑作に上げたのが「草枕」とトーマス・マンの「魔の山」だというんです。「この二つだけ読めばいい、あとはいらない」と言っていたとか。「半藤さんも「草枕」は20世紀最高の小説と思いますか」と新聞記者に訊かれたことがあって困っちゃった。私は何度も言っている通り、小説読みじゃないんでねえ。でも考えてみると、最高傑作かもしれませんね。
グレン・グールドに親近感が急に湧いてきた。手始めにブラームス(この人も苦手だが)あたりを聴いてみようか。ちなみにとても情景の美しい「草枕」、言葉が古くて難しいから英語で読めなどとオソロシイことが書いてある。グールドも英訳を読んだ筈だが日本人だもの、私は日本語で。
パスタハウスが閉店
2022 JUL 12 8:08:49 am by 西村 淳
『6月28日をもちましてお店を閉めました。長い間のご愛顧に感謝します。』
ガーンと来た!!7月9日土曜日、武蔵野市民文化会館での練習の後、久しぶりにさあ行こうと皆を誘った矢先の出来事。
またも大切にしていたお店がなくなってしまった。ここはマスターが一人で切り盛りし、おばあちゃん、娘さんが手伝っていた小さなお店。パスタでは三鷹、吉祥寺界隈で抜群のクオリティを誇っていた。
コロナ、ワクチン騒動に続き、ウクライナ、そして引きずられるように円安と物価の高騰。パスタは小麦粉の値上がりがもろに跳ね返り、それを定価に上乗せできなかったんだろう。確かに20年くらい前からメニューも値段も変わっていなかったし、その間にサラリーマンのランチ価格は500円玉一枚にまで低下してしまった。今以上の価格設定は躊躇するのもよくわかる。他人事ながらパスタハウスの恰幅のいい親父さん、これからどうやって生活を切り盛りしていくのだろうか。
それにしても今起きていることすべてが人災じゃないのか!?しかも後戻りのできない片道切符だ。弱い者から順番に姿を消していく。
大手メディアの大本営発表も何が本当なのか、フェイクなのかが全くわからなくなってしまい世の中のあらゆることに淘汰の波が打ち寄せている。
結局その日は近所の蕎麦屋でのお昼、テレビから流れる安倍元首相暗殺のニュースに気まずい沈黙が流れた。
上岡敏之の室内楽
2022 JUN 2 9:09:36 am by 西村 淳
縁が無くなったのかすっかり足が向かなくなった銀座。暮れなずむ中、久しぶりに有楽町駅に降り立った。銀座口の改札を出ると、いつもそこにあった「フルーツ 百果園」が無くなっていた。昭和の灯がまた一つ。でもこの時間帯の銀座は華やぎが戻っている感じで悪くない。
王子ホールも何年振りか。ここでヴァインベルクのピアノ五重奏曲が聴けるということで参上。コロナ禍もようやく先に光が見えてきたし、向かいにある焼き鳥屋は健在だったのでほっとする。
読響室内楽のこのプログラムは昨年の2月と12月、2回も中止になったもので、三度目の正直となった。いとメデタシ。演目は次の二曲でドイツで指揮・ピアノで活躍している上岡敏之氏を中心としたメンバーによる。
・ フンメル:七重奏曲 ハ長調 作品114「軍隊」
・ ヴァインベルク:ピアノ五重奏曲 作品18
開演前の上岡さんのレクチャーが披露されいよいよ本番。フンメルよりはメインのヴァインベルクをもう少し深堀してほしかったが。
プログラム前半の。なかなか生で聴くチャンスのない作品だが、少しおさらいも兼ねて備忘とする。
1778年、スロヴァキアのブラチスラヴァに生まれたフンメルは8歳の時に父に連れられてウィーンに移住、モーツァルト家に住み込んで(!)2年間にわたってピアノを師事とある。この時期1786年、87年前後はモーツァルトにとって「フィガロの結婚」や「ドン・ジョヴァンニ」の成功によるその活動のピークを迎え、経済的にも大層うまく行っていた。そんな忙しい中、わざわざ住み込みまでさせて少年フンメルの面倒を見たのは同じように天才少年として厳父に連れまわされた自身の生い立ちを重ねたのかもしれない。ただ残念なのは作品の独創性という点では辛く、このプログラムにある「ゼプテット」ひとつからも凡庸さがのぞく。要はつまらない作品ということで段々と心地よい眠りに誘われた。なにせ1830年にもなってこれですか・・みたいなことを上岡さんも言っておられたが1810年にはシューマンも、ショパンも誕生している。
後半は期待のヴァインベルク。レクチャーでも初めて聴くのは少々辛く、きついかもと紹介があったが、作品の質は前半とは比べ物にならないもので、そのことは終演後の拍手の大きさからも伺い知れた。どうせわからない、なんてことは奏者の奢りで誰だって普段は寿司の並しか食べたことがなくても上の美味さはわかるものだ。
ピアノ五重奏曲はライヴ・イマジン47で昨年6月5日に演奏しているが、どのパートも難しく、特にチェロパートは舞台上の奏者の奮闘を見ていて「本当にこんなに難しいものをお客様を前にして弾いたんだろうか?」と思わず手に汗を握ってしまった。
上岡さんのピアノはさすがで指揮者の眼として全体を見通し、確かな設計図に基づいた演奏。超絶技巧的なパッセージも無事通り過ぎ、ダイナミクス、特にピアニシモが弦楽器の中を突き抜けてきた温かい、でもクリスタルな音の響きに魅了された。
全体的に安全運転を心掛けた印象が残ったが、たとえば第三楽章のスターリンと踊るワルツ。もっともっと下品なくらい、そしてグロテスクにやって欲しかった。メンバー間のコンセンサスなのか表現の問題なのかはわからないが、まあこれもありかと。
最後の舞台上のお辞儀ひとつとってもピッカピカシューズの上岡さん、西欧流の所作が完璧に身についている。こんなところでも指揮をしているかと思うくらい、他のメンバーを見事に統率していた。これは大切なことだ。
やはりみんなでそこに集まって聴く生の音楽はいいと改めて感じた。映画でも音楽でも演劇でも同じ。「集まる」ことが人が生きることの基本だろう。「集まるな」という言葉の重みを為政者はもっと感じてもらわないと。