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蛍の光

2024 JUN 4 15:15:59 pm by 西村 淳

函館から青森へ。昭和33年の春、青函連絡船。出港のボーッ、ボーッという汽笛に続いて船内に「蛍の光」が流れた。この時若干4歳の子供が母に向かい「きれいなきょくだねえ」と言ったとか。その時のことを、個人的に本当に覚えている。でもいま改めて聞いてみてもメロディーと言い、ハーモニーと言い何と優美なことか。三つ子の魂百までも・・しっかりと私のDNAに刷り込まれた。函館のモーツァルト、音楽事始め。
「蛍の光」(Auld Lang Syne:懐かしいあの頃)、日本語作詞 稲垣千穎
調べてみると情報はいくらでもある。もともとはスコットランド民謡ということくらいしか知らなかったが、作詞者は英語の意味なんか無視して、「蛍の光」とやった。蛍、これは日本人の心情にズバリと嵌っている。
曲の成り立ちは1881年(明治14年)の「小学唱歌集初編」に掲載され、ここが実質的な日本の洋楽誕生である。

それにしても明治維新、大政奉還が1867年だからわずか14年で西洋音楽を受容した日本人の能力恐るべしである。その後、大日本帝国海軍の「告別行進曲」となり、戦後公開された名画「哀愁(Waterloo Bridge)」では3拍子のリズムに憂愁のメロディーを乗せた絶大な効果が涙の洪水を引き起こす。国民歌として深く日本人に共有され卒業式で流れるとまた涙腺が緩みっぱなし。その後デパートの閉店のBGMにまで採用されたりしたが、これはパチンコ屋が使った「軍艦マーチ」みたいなもので品位を落としてしまった。そういえば阪神タイガースの応援団が打込まれた相手投手がベンチに下がる時にやらかしていたことも思いだす。この曲は涙と共にあったのに何とも下品な奴らだ。

Saya(扇さや)さんが歌っている動画があった。文化人放送局に出演している人だし、日本への思い入れなしにはこうは歌えまい。表現もヴィヴラートが抑制され、大変美しくじわじわと心に染みる・・ああ、また涙腺が・・ありがとう!

そしてこの動画から3,4番の歌詞があることを知った。
文語体で書かれた歌詞は口語体に「翻訳」しないと難しいが、格調の高さは曲想にぴったりだ。翻訳はどこにでも転がっているので、元歌詞だけを記しておく。3番4番があることで1番2番の意味も変わってくるし、GHQ?がこれに蓋をしたのも頷ける。戦後骨抜きにされてしまった日本と日本人。今の子供たちはこの曲を知らないようだ。一体私たちはこれからどこに行くのだろう?

一 
蛍の光 窓の雪
書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ 今朝は 別れ行く
 

止まるも行くも 限りとて
互(かたみ)に思ふ 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を一言に
幸(さき)くと許(ばか)り 歌ふなり


筑紫(つくし)の極み 陸(みち)の奥
海山遠く 隔(へだ)つとも
その真心は 隔て無く
一つに尽くせ 国の為


千島(ちしま)の奥も 沖繩も
八洲(やしま)の内の 護(まも)りなり
至らん国に 勲(いさお)しく
努めよ我が兄(せ) 恙(つつが)無く  

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