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新宿西口

2022 OCT 2 20:20:49 pm by 西村 淳

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」にあるヒースの茂れる土地、この小説を実感したければ苫小牧市勇払原野に行くこと。
海風が強くて1m以上の灌木は育たない厳しい自然は開拓に入った八王子千人隊の人々を全滅させた。煙突の煙は常に横に棚引いたし、工場閉鎖の前にはエゾシカが場内を闊歩していたそう。
また日高本線の前身とされる王子軽便鉄道は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモデルになったとも伝えられている。夜空いっぱいに煩いくらいに瞬く星の美しさに見とれたし、バードサンクチュアリから飛来する名もなき野鳥のかしましさは猫を驚かせ、社宅の庭にはグリーンアスパラが自生した。
そう、ここにあったのは自然だけ。
そんな所に6年もすごし、突然チェロを始めて60km以上離れた札幌交響楽団の先生の所にクルマを運転して毎週通っている姿は仕事仲間からはまるで火星人のように思われていたものだ。
火星人が一念奮起、西新宿の超高層ビルの一角で仕事を始めたのが36年も前のこと。田舎者ではない、火星人、東京へ。自身の可能性を求めて。映画「クロコダイル・ダンディー」の世界だ。
その頃の西新宿はまだ東京都庁も建っていなかったが日本一のビル群の威容に最初はキョロキョロ。私にとって都会とは銀座でも渋谷でもない新宿、そして窓外に眺める富士山だった。時々姿を見せる飛行船にツェッペリンを投影し「あ、すごい!」と発した素直な反応は職場の誰からもあえなく無視された。でもこんなものはすぐに飽きた。所詮はヒトの作ったもの。
新宿駅西口の一角には小田急デパートと京王デパートが肩肘突き合わせ、多くの人に親しまれていた。東口の伊勢丹、三越に比べると小田急がトロワグロで背伸びをしても所詮は私鉄の手掛ける商業施設故、庶民的なイメージは拭えなかった。一方新宿カメラ戦争を勝ち抜いたヨドバシ・カメラはまだ昭和を守っている。小田急デパートはそれほどお世話になった記憶はないけれど、歴史の一コマから消えてなくなった。とてつもなく大きな新宿西口地区改造計画がスタートし、10月2日をもって実質上に閉店。次は豪華になって2029年とのこと。いまさら感が漂うが、その頃まで生きているかどうかもわからぬ。
写真は昨日、小田急デパート最後のイルミネーション。

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