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下町散歩と東京都慰霊堂

2023 JUL 6 21:21:15 pm by 西村 淳

東京を生活の中心にしてからすでに35年以上経つ。その間に東京大空襲のことが話題になったことはない。下町のど真ん中、墨田区に移り住んでからも同様だ。
まず、学校では教わらない。戦争だし空襲くらいはあっただろう、程度にしか感じていなかった。実際、広島の原爆資料館や沖縄のひめゆりの塔を見ても今一つ実感が伴わなかったのも事実で、山陽国策パルプの勇払工場に勤務したてのころ、工場のボイラー建屋に機銃掃射された穴が残っていて、こんな所にまでアメリカの戦闘機が来たのかと驚いた程度だ。

朝夕の散歩コースの一つに東京都慰霊堂のある横網町公園がある。慰霊堂はちょっと独特の雰囲気のある場所で、それもそのはず関東大震災と東京大空襲の犠牲者あわせて16万3000体の遺骨が納められているそうだ。園内には日本庭園や一部に子供たちの遊戯具もあるが、この公園全体が祈りの場所であることに間違いはない。

建物のデザインはどこかエキゾチックでもあり、築地本願寺や神田明神と同じ伊藤忠太によるものだと言われると納得できる。
1945年3月10日未明の東京大空襲はナパーム弾まで使用され東京は焦土と化した。慰霊堂に併設されている復興記念館の横に高熱で溶けてしまった鉄塊が置かれている。ビール会社の電動機だったようだが鉄は一体何度になったらこんなになってしまうんだろう・・わずか78年前鉄をも溶かす火焔の中に焼かれた人々がここにいた・・憤怒、慟哭、そしてヒエロニムス・ボッシュの地獄絵がシンクロして言葉を失う。

軍隊が武器を持たない人たちを殺したのだから原爆も大空襲も大虐殺だ。もしアメリカ人がリメンバー・パール・ハーバーを言うなら本質的に違うしその主張は完全に間違っている。ピルグリム・ファーザーズの子孫たちは原住民たちの虐殺を繰り返しながら西へ西へと移動し黒船で太平洋を越え、その先にあったのが日本だ。価値観の違う奴らは絶対に赦さない、そんな傲慢な精神を支えにして奴らはやって来た。
散歩の途中ベンチで休んでいると、最近は外国人の観光客の姿をよく目にする。両国国技館や、旧安田庭園があるとはいえ、メジャーな観光地とは言えない場所なだけにガイドブックにでも載っているのだろうか。一人の年配の白人男性が手を合わせている姿を見かけたが、なぜか日本人の訪問者の数は少ない。本来であれば修学旅行のコースになって然るべきべきだろう。どこかおかしくないか?

散歩の別ルートに墨田電話局大空襲慰霊碑がある。場所は三つ目通りと蔵前橋通り交差点近くでここにも大空襲の記憶。

その日に電話交換手として働いていた28名の女性(最年少15歳)と3名の男性職員が避難もせずにここで命を落としたとある。殉職者碑には33名の女性の名前があるが・・いずれにせよ電信業務を全うするために命を捧げたのだろう。重い、本当に重い哀しい記憶ばかりだ。

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