技術者が死にかけている
2018 JUL 29 21:21:11 pm by 西村 淳
勇払工場の閉鎖が決まり日本の製造業について考えてみた。
なぜ製造業はこれほど疲弊してしまったのだろう?製造業の疲弊は日本そのものの疲弊だ。
あれほど高い評価を受けていた技術者たち、職人たちは一体どこに行ってしまったのだろう?原点に立つなら技術者であれば誰だっていいモノを作りたい、より一層いいモノを作りたい。その結果、社会に貢献しているような気もしてやりがいも満足感も得られた。仕事の生きがいはこのことと支払われる給与との両輪だった。
ところが1980年以降に会社でしている仕事は目先のコストダウンのことばかりだ。鉄板を1mm薄くしたらいくら儲かるかなんて経営者じゃなくたって小学生だって計算できる。いやいややらされる一時の利益確保のためのコストダウン、行きついた先は能力給という言葉に置換された減給、挙句の果てリストラだった。人がいなくなった工場で始めたのは苦し紛れの検査偽装、そして開発遅れに納期遅れと信用失墜。国内への投資も先細り、「経験」するという貴重な場を奪われ人が育つわけがなく今ではメーカーのプレゼンテーションは60歳を超えたベテランばかりだ。
コストダウン、省エネだけでは技術革新はなく、ちまちました改善ばかりである。そう、仕事に生きがいなんかなくなっちまった。これでは技術者は死んでしまう。これが今の日本が失ったものの一つだろう。
より良いモノではなく、より安いモノ。別にルイ・ヴィトンのバッグを持つことが良いとは思わない。バブルの頃、持っていない人を探すほうが大変だったのに、持って歩いている人を見かけることはほとんどなくなった。安物が好きなんじゃない、お洒落だってしたい、
でもこれしか買えないんだよ!!安くて良いものをと言う。よく言うよ、そんなものは夢か幻か。
希望を失い、理想を失い、生涯働いても家の一軒すら持てない。外を歩けば心を閉ざし目の輝きを失った疲れた顔の人ばかり。白髪のおじいちゃんには過酷な建築現場の作業はさぞかし辛かろう。
今、私たちのようなロートルが頑張っている間に新たな価値へのチャレンジと創造がなければ本当にこの国は死んでしまう。
まだ言うか!?何とかなる?甘く見ないほうがいい、残されている時間は限られている。
そして外ではとてつもないスピードで技術革新が進んでいるのだから。
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maeda
7/31/2018 | 11:09 AM Permalink
人ごとのようで恐縮ですが、栄枯盛衰なのだろうと思います。英国も米国も下り坂で苦しんでも、GAFAやダイソンが生まれたり下るだけではないです。私は下り坂で汲々とするなら、新興国でもどこでも新天地を求めて行く人が増えることを期待します。国籍が変わっても血は水よりも濃い。子孫まで含めてルーツにアイデンティティを見出す人は沢山現れますから、次の日本の隆盛を作る力になるでしょう。
西村 淳
8/12/2018 | 12:43 PM Permalink
下り坂で汲々と、ということは実感できますがこれと企業の業績とは必ずしも一致しないので表面上は見えにくいのです。ただその業績の内容をよく見るなら儲けの半分以上は海外投資からのリターンだったりしています。そして多くの有名企業の不祥事のように自家中毒に陥り、内部崩壊しつつあるようにも見えます。
血は水よりも濃いのは日本人よりも中国人かもしれないし、新しい血を受け入れることもなかなか難しい。コメントの筆が止まってしまいます。
maeda
8/12/2018 | 9:30 PM Permalink
華僑のつながりは強いですしユダヤ系も言うまでもありませんが、人口が多いと目立つというのもあるように思います。日系人の場合、ブラジルの190万人を筆頭に次が米国。あまり知られていませんが毎年大会も開いています。ルーツが日本というのは心を分かち合う兄弟ですね。今週からブラジルに行って移住地も訪問します。
西村 淳
8/13/2018 | 7:40 AM Permalink
華僑やユダヤ系は国よりも家族でしょう?だからどこに行ってもやってられる。その昔満州に移住?移民した人たちは帰国したのでちょっと訳が違うのかしら。日本という帰るところがある、これがとてもいい。ブラジルの食事は口に合いましたが、ここの文化はいけませんね。
西室 建
8/12/2018 | 9:39 PM Permalink
ご指摘の80年代で日本型経営は姿を消して、企業のステイタスそのものが変質してしまったようです。
その後グローバル化がどんどん進んでしまって、ある意味空洞化は起きたのだと考えています。
90年代には東南アジアに、2000年代になると中国に多くのメーカーは進出し稼ぐことは稼いだのですが、デフレは続き賃金はあがりませんでした。
また、当時リストラされたエンジニアが随分と海を渡っていました。
ですが、ここへきて風向きが変わったのではないですか。トランプ流アメリカ第一主義や英国のEU離脱がきっかけかもしれません。
私はアメリカ抜きのTPPが鍵だと思います。日下公人氏がしばしば書いていますが、日本流がデファクト・スタンダードになる可能性があります。
西村さんが『新たな価値へのチャレンジと創造』と表現されたのはこのことを指しているのではないでしょうか。
西村 淳
8/13/2018 | 7:33 AM Permalink
TPPも言葉が先に歩き始めた時には反対の大合唱だったのがいつのまにか静かに。不思議ですね。TPPはいいカンフル剤かもしれないし悪いカンフル剤かもしれない。どちらにせよ国内に大きな構造変革をもたらす可能性がありますからね。工業規格ひとつとってもJISも風前の灯火でしょう。ただこれがまた国際金融の仕掛けた罠かもと思うともろ手を挙げて賛成してもいいのかと思います。
最近は長い間かけて議論しコツコツと積み上げてきたものが、思い付きだけで根底から崩れ去ることが多すぎます。
maeda
8/13/2018 | 10:41 AM Permalink
新たな価値は、次の世代から出てくるものじゃないかという気がします。浮き沈みしながら何百年やってきていますから。今まで作り上げたものは長い目でみれば文化として引き継がれるでしょう。
東 賢太郎
8/14/2018 | 9:26 AM Permalink
株価という鏡に写せば原因は一目瞭然です。バブルの頂点だった1989年の世界の株式時価総額ランキング上位10社のうち7社が日本企業でした(トヨタは8位)。現在は米国8社、中国2社であり、上位50位にランクインした日本企業はトヨタ1社のみ(それも35位)で、中国企業は9社もあるのです(5社がトヨタより上)。
時価総額は利益で決まりますから、この30年で日本企業は利益が出なくなった、つまり製品が売れなくなったということです。売れないものを作ってヴィトンを持つのは無理です。2001年のWTO加盟まで中国が眠っていてくれたから持てただけで、代わりに持ったのが銀座を闊歩する彼らなのは誰の目にも明らかでしょう。つまり、何度もブログに書きましたがギリシャ問題と根っこは同じです。
最後に残ったトヨタ(22兆円)もアップル(100兆円)の5分の1で、モノづくりだけで世界に君臨できる時代はとうの昔に終わってます。ではIT産業、サービス業で勝っているかというと日本2位のソフトバンクが11兆円。アップルの10分の1、中国のアリババ、テンセントの5分の1です。
自国市場が巨大な米中が売り上げで勝つのは自明ですが、日本人が自閉症になって海外へ出ず中途半端に大きい自国市場に頼る守勢の現状を打破しなければいずれそれもダイソンのような外資に食われるでしょう。シリコンバレーで技術革新を学び自国市場で儲ける中国をトランプが関税で叩きに行くのはそれが怖いから、つまり勝つための正攻法だからです。
僕は現にシリコンバレーの技術を見て仕入れて日本企業に売っていますが、多くの企業はそれもしない。しかも人口は確実に減る。青色LEDの中村修二先生のようなノーベル賞を取れる宝物のような学者が米国に流出してしまう。それでいったいこのゲームにどうやって勝つんでしょう?ルイ・ヴィトンはあきらめるか、中国人に習うか、物が売れる国に移住するしかないと思います。
西村 淳
8/14/2018 | 10:15 AM Permalink
小日本とバカにされて中国に尾を振るのは屈辱ですね。売るものがないのに売れる国に行っても腐るだけ。となるとルイヴィトンをあきらめて、清貧の思想を食べながら生きながらえる・・・それも嫌だなあ。
maeda
8/15/2018 | 12:50 PM Permalink
まあ、こう言っては何ですが、多くの投資家が評価することは本当に大事なことではないのだろうと最近は思います。敗戦のリセットが強烈だったからその後の高度成長があった訳で、一度負けて残らなくなってしまうような物は本物ではないのではないかと。そんな先の成長まで見越して投資するようは非効率なことは普通はできないでしょうね。
東 賢太郎
8/15/2018 | 9:54 PM Permalink
そうですね、西村さん、前田さんのお気持ちはごもっともです。しかしこう書くと身も蓋もないのですが、時価総額はマクロ的には投資家が主観で評価して決まるのではなく(個々の投資判断プロセスをミクロで見ればそうですが)、集合的、統計的には2つのファクターつまり企業収益と金利で決まるのです。時価総額 = 純利益 × PER(株価収益率)です。PERは金利と純利益成長率の関数ですから両者の予測によって時価総額は変動し、そこに投資家の判断の誤謬というものが、これは前田さんのおっしゃるとおり発生します。しかしそれは「常に」発生するのであって、多少の大小の変動はあっても、例えば事後的にバブルと評価されるものは「大き目の誤謬」の事例であるわけですが、それにしてもそれは比較的短期に修正されます。日本が30年もの長期にわたって米中に負け続けている時価総額対比値の看過できない下方変動が誤謬であると考えるのは無理がある、それほどに数値が大きく長期である、というのが僕の結論です。これは構造的な負けなのです。
ここまで絶対値の差がつくと相当なファイトバックによって米中を上回る成長を長期に続けなければ逆転はありません。いや、もう頑張ったんだからいいではないか、そこまでせずとも日本人としてのプライドを持って堂々と生きれば良いではないかという方もおられるし、いや私はヴィトンを持ちたいという人もいる。何が本当に大事かは人生観、価値観の問題であって、経済の尺度から是非や正当性を論じることはできません。ただ、大負けではヴィトンは持てないという事実は残念ながらシンプルな真理であって、価値観では変えられないのです。そして対策なく未来も負け続けでいけば小日本と見下される事態も避けられません。それも他国の主観だから無視すればいいのですが子孫のプライドとモチベーションには関わってくるでしょう。だからこそ、いま日本人は現実を直視してチャレンジし続ける必要があると思います。僕個人としては、我々世代はヴィトンを持っていながらここまで負けてしまったことの責任があると思っています。孫、子の代もヴィトンを持って欲しいし、ここで「ほな、さいなら」はないなと思う者であります。
西村 淳
8/16/2018 | 10:00 PM Permalink
ヴィトンを夢と置き換えられないでしょうか。
私も夢追い人のために何かを残したい。それは音楽を真剣に追いかけることで見えてくるものがあるかもしれない。経験したことはおそらく私達の代で終わるものなんでしょう。その意味では前田さんのおっしゃるように次の世代が作るものは別のものですね。
老兵は死なず、ただ消え去るのみ。
西室 建
8/17/2018 | 10:55 PM Permalink
シリコン・バレーは30年前からあの調子ですから厚みが違います。勝ち組は波に乗りますが影の部分もあって、成功率は3割もありません。オピオイド系の鎮痛剤が蔓延していることも有名ですが、表には出ませんので知る人は少ない。
その環境に耐えられる人は日本人も含めて大勢いて、そこでガンガンやるの結構なことだと思いますね。それを日本にそのまま持ち込むことは難しいでしょう。そういう人は自分でそっちに行きます。
翻って西村さんがブログでおっしゃる”技術”という言葉は”文化”に近いのではないでしょうか。
私もメーカー出身なので”技術”とは”磨き上げるもの”という感覚です。天才が紡ぐイノベーションとは別です。
製造ラインは、スイッチを入れれば同じ物が出て来るという訳にはいきません。
この精神を最も昇華させたのが我が国だったのですが、グローバル化の過程で競争力を失ったのは仕方がありません。
ですがその”文化”および”精神”は死んだわけではなく、産業構造の変化を超えて継承されるだろうと考えています。
『ヴィトンは夢に置き換え』ることはできると思いますよ。
老兵は死なずに見届けるのが勤めではないでしょうか。
西村 淳
8/18/2018 | 10:16 PM Permalink
実際のところ「計測と制御」という会社に勤務していて目にし、実行しようとしていたものは自動化ということでした。
私が最初に勤務したのは製紙会社でしたが1970年代の紙をつくる現場には「神様」と呼ばれる人がいたし、紙を作るときにうっかり失くした「指」は一つの勲章でもありました。それがここに「計測と制御」が登場し「神様」に成り代わって高品質の紙を製造できるようになりました。やがてその「計測と制御」を導入すれさえすれば中国は勿論、インドネシアであろうとアフリカであろうと紙をつくることができるようになりました。いつの間にか今ではコピー用紙は100%輸入紙がとって替わってしまっています。その後紙以外の業種を経験して同じようなことが起きていたことに驚き、振り返ってみるなら日本の技術は「神様」たちが元気なころがピークでした。このイノベーションは近い将来さらに進んでAIを搭載した「計測と制御」によりボタン一つを押せば必要な品質と生産量を確保することが可能になります。
産業構造の変化はもはや避けることの出来ないものでしょう。でもその先を見通すことが出来なければ、技術者は何を身につけたらよいかすら手探りだし、投資家にとっても何に投資したらいいのかわかりません。この30年の悩みはここにきて加速してきました。
ここで何とかしなければ。
maeda
8/19/2018 | 10:21 AM Permalink
仮に現代のような市場価値評価の精緻なシステムがあったとしても、
当時のモーツァルトやシューベルトに価値を見出すことは難しかったでしょう。技術の世界でも、何に使えるのか分からないものが意外なきっかけで花開いたりします。ヴィトンの価値観は今見えるものしか見ていない。
地道な努力を買い叩くことも可能ですが、創造する行為に対するタダ乗りと思います。
東 賢太郎
8/20/2018 | 10:19 AM Permalink
「先を見通す」ことは証券アナリストが人生をかけている仕事です。分析に昼も夜もないので裁量労働制適用候補の筆頭にあがっています。能力ある人が時間をかければ見通す確率は上がりますが、それでも100%はありません。
職業選択とはその業種に「逃げられない投資」をすることですからその栄枯盛衰を見通す努力は必須です。しかし「栄」「盛」の業界、企業は人が集まり内部の競争が激烈になります。うまく選べても、恩恵少なく終わるリスクもあります。
月並みですが、それは運と実力いうあたりまえの結論に行き着くように思います。ということは必要なのはむしろリスクヘッジであって、自分の好きな仕事を選ぶことではないかと思います。そうであれば最悪のケースでも気持ちのボトムラインは確保できるでしょう。
私見ですが、ヴィトンや夢があってもなくても他人は評価も同情もしてくれません。意味があるとすれば自己満足としてだけと思います。だから自己さえ満足できるなら要らないですし、他人の目を気にすることなどさらに要らないです。
良い仕事さえすれば評価してくれる唯一の例外は、子孫です。建築家が「あのビルは俺が建てた」と言うのを羨ましく聞いたことがあります。彼が所有者でもなくただの自慢でしたが、それでも彼の子孫はそれを語り継ぎ、力をもらえるだろうと思いました。
「神様」の技術者のかたは子孫が代々誇りに思ってくれるのではないでしょうか。動力が電気になったといってジェームズ・ワットの子孫が先祖の功績を忘れることはないでしょう。幸運な職業選択をされたと思いますし、それはヴィトンより貴重ですし、技術者しかできないことのように思います。
西村 淳
8/20/2018 | 8:53 PM Permalink
職人技が必要な分野が変わってくると同時に「神様」たちは絶滅危惧種となってしまいました。子孫が代々誇りに思うようにテレビでは回顧番組が数多く放映されましたが、後ろを向いているようで好きにはなれませんでした。
人類2000年の歴史を支えてきた書物がなくなる日も近いのでしょう。宗教もルネサンスでも産業革命でも人類の進歩を支え続けたものすら消えゆくアナログからデジタルへの急激な変革期。もしかすると技術者どころか人類そのものの存続の話だったのかもしれません。