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皇軍未ダ屈セズ

2024 SEP 8 15:15:23 pm by 西 牟呂雄

 玉音放送は、竹中中佐の妨害を払いのけて流された。
衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 衝撃は甚だしかった。ソ連の南下備える千島の部隊、素通りされたシンガポール・ラバウル、潔しとせずに抵抗を続ける南洋諸島の部隊、個別戦闘ではほぼ負けていない大陸の部隊等、簡単に武装解除できるはずもない。
 現に北方占守島では8月18日にソ連軍が攻撃を開始、果敢にこれを撃退した。フィリピンのルバング島では中野学校の教育を受けた小野田少尉はその後30年に渡ってゲリラ活動を続けた。
 本土においても混乱は生じる。厚木にあった第三〇二海軍航空隊は小園安名大佐の元、一致団結して継戦完遂の意思を固めていた。中央の武装解除命令を無視し、しきりに周囲にビラを撒く。

 一方、一度はフィリピンから追い払われたマッカーサーは、さすがにいきなり日本に上陸することは避け、連合国最高司令官が作成する降伏文書を受理することに関し、十分な権限を有する使者を連合国最高司令官の許へ派遣することを命じて来た。
 『十分な権限』とはすなわち天皇の勅使である。この場合、国体を護持できるか否か、それ次第では決裂し再び戦闘が始まるかも知れない。誰もが引き受けたくない役目として腰が引ける中、恥辱を受けたらその場で切腹する覚悟をもって事に臨んだのは、陸軍参謀本部次長河辺虎四郎、随員として、外務省から岡崎勝男(調査局長)外1名、陸軍から天野正一少将(参謀本部作戦課長)外6名、海軍から横山一郎少将(軍令部出仕)外6名だった。輸送指揮官は寺井義守海軍中佐が指名された。
 この人数を運べる大型機のほとんどを失っていたため、一行を1番機一式大型陸上輸送機と2番機一式陸上攻撃機の緑十字機で沖縄の伊江島まで送り迎えすることとなった。
 緑十字機とは、事実上空を飛べなくなった日本で米軍が飛行を許可した航空機で、その機体は白く塗られて緑の十字をペイントされた。調子に乗ったマッカーサーは『平和の白い鳩』と呼んだ。

 一番機機長の須藤大尉と駒井上飛曹は指揮官寺井中佐に呼び出された。海軍省の一室に通され、待っていると寺井少佐は一人のスーツ姿の紳士を伴って入って来た。思わず立ち上がり敬礼をすると寺井はそれを制した。
『本日は事情により挙手の礼は必要ない。掛けたまえ』
『ハッ』
『これからの話は一切他言しないでくれ。書面による命令も残せない』
 こう告げると一層声を潜めて何事かを告げた。
 羽田から飛ぶと厚木の反乱部隊のゼロ戦に撃墜されるかもしれないので、木更津から要人を乗せて離陸すること。事実、米軍機に対する攻撃は散見されていた。旧式の機体のため沖縄の伊江島経由まで飛び、そこからは米軍機で一行はマニラに向かうこと。そして・・・・、整備兵を二人指名された。
 勅使団は木更津に集合する。
 寺井中佐が、今回同行する整備兵だ、と西兵曹長と室田兵曹長の二人を一行に紹介した。二人とも精悍な印象ではあるが実に暗い眼つきをしていて、ほとんど喋らない。
 須藤大尉は気になったことを寺井中佐に尋ねた。
『中佐。ところで海軍省にいたあの商人服の紳士は何者なんですか』
『聞かない方がいい』
『本作戦は生きて帰れるかどうかわかりません。勅使は恥辱を受けた場合の自決用の拳銃を用意しました。我々もその際には帰れないでしょう。どういう者が関係したかは知っておきたいのです』
『む、一切他言無用。某宮様とだけ言っておこう』
『ハッ』

 それだけ聞くと出発していった。
 厚木の反乱部隊はいまだに健在。その目をかすめるように太平洋上に出てひたすら西に飛んだ。
 命がけの決死行は、その後次々と困難に見舞われる。
 まず、伊江島に着陸の際に1晩期のフラップが下りず、危うく滑走路から飛び出してしまうところだった。その先は崖である。
 勅使はマニラニ行ってしまった。周りは米兵ばかりである。
 ところが、4年にわたった激しい戦闘が終わった解放感からかやたらと明るく、昨日までの敵兵である一行に親切なのだ。それは商社の余裕かもしれないが、明日死ぬかもしれないという恐怖感が亡くなった方が大きいのであろう。扱いも丁寧だったため、寺井中佐以下の面々も多少は打ち解け始めた。
 しかし例の整備兵二人は米兵どころか日本人一行とも世間話一つしないのだ。
 そうこうしているうちに勅使団はマニラから帰ってきてしまう。自決するほどの恥辱こそ受けなかったものの、日本側の要望である国体の護持については言質は与えられず、一方的にマッカーサーの進駐計画を告げられ降伏要求文書を受領したのみ、会談自体は1時間にも満たなかったのだった。
 そしていよいよ帰国の途に就こうとすると、またもトラブル見舞われる。二番機が滑走路へ動き出したところ突如ブレーキの油圧がゼロとなり、制御不能に陥ってそのまま滑走路脇に止まっていたトラクターにぶつかった。結局勅使たちは文書を携えて1番機単独で日本に向かうことになってしまった。
 機が遠州灘の南方を飛行している時点でメインタンクが空になるので予備の増設タンクに切り替えた途端、エンジンは空転しだした。操縦桿を握る須藤大尉の悲痛な声が響いた。
『何だこれは、燃料がないぞ!』
『そんなバカな』
 副操縦士だった駒井上飛曹も目を疑った。これは・・・。
 河辺中将は一瞬にして事態を飲み込んだようだった。この降伏文書がもし届かなければ。停戦はなし崩しになり再び戦闘が始まるかもしれない。何がなんでも届けなければならない。
 須藤大尉には誰が発したかはわからないが切羽詰まった声が聞こえた。
『海岸線に沿って不時着しろ!』
 無論言われなくてもそれが唯一生き残る道だ。須藤大尉と駒井上飛曹は目配せして機体を北に向け、同時に降下し始めた。
 薄暮未明の中、うっすらと遠州灘の海岸線が見えてくる。岩礁のない砂浜の近く、それもあまり海岸に近ければ胴体着陸になり危険が増す、という難しい局面になった。
 全員待機姿勢をとりつつ、機体は水煙を上げながら絶妙な角度で着水した。海は荒れておらず、海岸から20mほどの沖にしばし漂った。
 勅使一行は強い衝撃にもかかわらず全員何とか脱出し、何とかハマに泳ぎ着いた。とにもかくにも降伏文書を持って帰京しなければと必死の脱出だった。

 結局文書は多くの関係者の協力と強い意志で届けられ、マッカーサーは無事に進駐を果たし、ミズーリ艦上での降伏文書に署名ができた。
 だが、この緑十字飛行には多くの謎が残った。度重なるトラブル、極め付けが燃料切れ、あまりにも不審な点がある。整備兵を同行させてまでこうも連続して起こるものであろうか。特に燃料切れについて、関係者は口裏を合わせたように『こちらはリッターでやっているが米軍はガロンで測るので積み込む燃料の量に行き違いがあった』という。そんな程度の意思疎通のミスで増設槽が空で飛ぶとも思えない。
 しかも、その整備兵の名前は正規の軍籍には無く、その後の消息が全く不明なのだ。名乗りは偽名だったのである。そこから推論するに、降伏文書を日本に持ち帰らせたくないさる筋が妨害工作を仕掛けたのではないだろうか。緑十字飛行に関わった海軍の一部が工作し、命を賭しての飛行だった可能性はある。
 冒頭の話に戻る。樋口中将率いる北部軍は樺太・千島を南下するソ連軍と対峙し、大陸には殺気立った部隊が健在。無論邦人の帰還は未だであり、南方での戦闘も燻っていた。
 厚木航空隊の小園大佐は、マラリアの発作を発症した際にモルヒネを打たれそのまま海軍病院に幽閉され部隊は鎮圧された。尚、小園大佐は斜銃搭載夜間迎撃機「月光」の発案者である。
 海軍軍令部の富岡少将は密かに土肥中佐を平泉澄の元に遣わし、国体の護持を三種の神器と皇統の継承であると確認すると、343空の源田司令に九州某所に宮様を動座する工作を始めた。富岡少将はミズーリ艦上での調印に海軍代表として参加している。土肥少佐はその後台湾海軍の創設に深く関わった。
 以上は史実である。
 その後の政治的推移は読者ご案内の通りだが、水面下ではコミンテルンの介入並びに大陸・半島のスパイ活動は激しく、片やアメリカの治安機関の陰謀とそれにスリ寄る日本人、あるいは中野学校関係者による長期に渡る地下工作といった裏の戦いは続き、今も継続されているとしか思えない。
 そのうち抗戦派の流れは民間に継承され、今日なお健在である。皇軍は未だに地下にあり、しばしば姿を現す。SECRET・MACHINATIONS・CONSPTIRACYとして。SMCのことである。

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