プロの領分 Ⅱ
2026 SEP 7 17:17:23 pm by 西 牟呂雄
以前のブログでも紹介した友人のライヴである。バンド名は Ichi&Acoustic・Univer・Souls。
初めはフィドル(Fマンドリン・バンジョー・ぼくの友人)、ギター、ギター(ヴォーカル・アルトサックス)、パーカッションのアコースティック・カルテットだったが、やはり音の厚みが欲しくなるらしく、ベースが入りキーボードをスペシャル・ゲストで呼ぶ6人編成になっている。で、提題の通り紛れもなくプロで、プレイヤーとしてはスゴ腕。が、こういう業界はバンド一本で食うのは難しいらしく、皆掛け持ちで活動しているからこのメンバーで出られるのは年に何回もないそうだ。
写真は一番右がバンマス(フィドル)の弟とスペシャルゲスト(キーボード)の兄のM兄弟が二人でバンジョーを弾き比べる珍しい趣向の一曲を写したもの。弟のMCが『兄貴のやっていたサウンドがうらやましくで教えてもらったら上達した』と言うと兄の方が『少し上達したところで、当時日本一のバンジョー・プレイヤーが「キミの弟は僕の次ぐらいの腕がある」と言っていた、とおだててプロデュースした』と応じて受けていた。今でも二人とも見事なモンだが、その日本一とは誰のことだったのだろう。案外自分のことだったりして。
実は時々僕の好きな曲をバンマスに密かにリクエストして気に入るとレパートリーにしてくれる、という楽しみを続けていて影のプロデューサーを自称しているが、今回は2曲も応えてくれた。一つはザ・バンドというグループがボブ・ディランのバックグループから独立してヒットさせた『The Night They Drove Old Dixie Down』という南北戦争の歌。重厚なテーマを歌い上げコーラスが秀逸だった。このDixieが南部を指していて(ディキシーランド・ジャズとかね)歌詞の中のyankeeはが北部人を指す(不良のことではない)。南軍の名将ロバート・リー将軍も出てくる、名画『風と共に去りぬ』の世界ですね。面白いことに作詞作曲したロボー・ロバートソンはカナダ人で、メロディが浮かんだ後に歌詞の構想を練ってわざわざ図書館で調べたそうだ。
もう一曲はドゥービー・ブラザーズの『Long Train Running』ノリが良かったですねぇ。因みにドゥービーは80年代のスラングではマり〇ァナのこどだったんだけど、良く名乗れたもんだ。おまけにブラザーズといっても兄弟は存在しない。動画を撮ってはダメと言われたのでホンモノで勘弁してください。
途中、ある曲についてこんなMCがあった。『次の曲は鬼門なんですよ』『う~ん、リハーサル散々やったよね』『いや、リハーサルやり過ぎたんだよ』『そう、やるたんびに「ここはチョット遅らせて」とか「抜きが早すぎるんだよ」とかみんな言うから終いに初めの頃言ってたこと忘れるだろ』実にふざけた話だと思ったが、演奏はまとまっていた。
しかしオーケストラのリハーサルでは指揮者が指揮棒を譜面台でカチカチさせて演奏を止め、いろいろと指示を出して曲を仕上げていく様子をテレビなどでみたことがあるが、あれはみんなその場で覚えてしまうのだろうか。「クラリネット、3小節前からもっと弱く」「第2ヴァイオリン、ここのアクセントを強調して」「チェロ、テンポが前へ行かないように」とかかなり細かい指示だと思うが、どんなものだろう。6人くらいのバンドなら(忘れるのはどうかと思うが)いざ知らず、あの大人数のオーケストラともなれば大変なはずだ。だが演奏者が譜面に何かを書き込んだりしている姿は見たことがない。
西村さんに会ったら聞いてみよう。
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マーシー・マーシー・マーシー
2026 AUG 1 0:00:29 am by 西 牟呂雄
僕がこの曲に初めて魅せられたのは今から半世紀以上前、クラブがまだディスコと言われていたころの大昔の話。新宿にサンダー・バードというバンドの入る店があって、ブームが去ったグループ・サウンズ崩れが演奏していた。
ある時、寺内タケシが作ったバニーズというバンドが(寺内タケシは抜けていたが)アップ・テンポでこの曲を演奏し、その迫力に踊りを忘れて聞きほれた。その後レコードを探したところ、実はジャズのインストロ・メンタルでヴォーカルは後付けの曲だとわかった。バニーズの音源はいくら探してももうない(あったら教えてください)。ノリが近い画像を検索すると、こんな感じ。
そこで仲良しのスティックの魔術師、大井貴司さんに遊びでリクエストしたところ、やってくれた。
リズムはオリジナルよりもずっと遅くして始まったところ、ブルージー!参った。
この人は頭の中に変換可能な自動メトロノームでもあって、どんなテンポでも自由自在、天馬空を征く感じで演奏します。カルテットの場合はやはりバンマスの意向が染み渡った時に一種の陶酔が訪れる。
この味はジャズに限る。高度に様式美が完成しているシンフォニーなんかに極端なリズムのアレンジを持ち込んでも逆にマヌケ感が漂うに違いない。磨き抜かれた作品の意志というものがあって、それの解釈は優れてもっと繊細かつ微妙な手心が加わる。もともとジャズははるかに単純なコード進行にアドリヴを聞かせるのが真骨頂なのだから。
それにしてもこのプレイ、泥酔するたびに寝る前に聞きたくなる味だ。
マーシー・マーシー・マーシー
慈悲を!お慈悲を!お恵みを!
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セント・トーマス
2026 MAR 14 20:20:30 pm by 西 牟呂雄
仲良しのビブラフォン奏者、大井貴司さんのライブで聞いた「セント・トーマス」が素晴らしかった。
まずはお聞きください。
一発撮りだけど、皆さん百戦錬磨なのでそれなりの音が拾えています。
バランスといい、この形式のコンボでは目下日本で一番完成してるんじゃないかな。
この明るい曲はテナーの巨人、ソニーロリンズの作品だが、元は英国の民謡「The Lincolnshire Poacher」だという事を最近知りました。そのメロディーが流れ流れてカリブ海の英領バージン諸島のセント・トーマス島にたどり着いたときは、母親がロリンズに歌って聞かせる子守歌に変貌していたという話(その後アメリカへ移住)。
その話を聞いてうれしくなった僕は、曲の終わりの部分を
「〇〇ちゃん ▽▽ちゃん
〇っちゃん ▽っちゃん オジイチャン」
と子守歌にして孫に歌って聞かせてみたのですが、受けなかった。
ソニー・ロリンズは御年90過ぎでまだご存命のはず。戦後すぐにデビューしてかのマイルス・デイビスと出会います。
偉大なミュージシャンだがそこはそれ、50年代にはヘロインに手を出して薬欲しさに強盗まがいのことをしてムショ行きになりました。
するとヘロインを断ち切るため音楽活動を停止し、ケンタッキー州レキシントンの連邦医療センターで治療プログラムを受け、その後はしばらく雲隠れしてシカゴの工場労働者になって暮らしていたようです。
復活はしますが、どうもこの人は定期的におかしくなるらしく、それが外圧なのか内から来るものか。50年代の終わりには一度引退してしまうのです。
約10年後の60年代末にもインドに行った後に3年ほど活動を休止しました。
「禅」とか「ヨガ」といった東洋趣味に傾倒し、心の安寧を保っては復活する、といったところでしょうか。
時が過ぎて、80年代には「テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲」を書き、東京で読響をバックに演奏しています。
かの9・11の時、ロリンズは目と鼻の先にいて危うく被害は免れたものの危なかった。しかしながらそのわずか4日後にボストンで演奏し、MCも含めた音源は発売されてますね。
さすがに最近の活動は聞こえてきませんが、偉大な音楽家の長寿を祈っています。
尚、蛇足ながらセント・トーマスは福音書にも出てくるイエスの12使徒の一人で、外典ではイエスの双子とも解釈されることもある「ディディモと呼ばれるトマス」のこと。イエスが復活した話を信じなかったが現れたイエスを見て脇腹の傷を確認し、伝承によれば遠くインドまで布教に行ったことになっています。
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アマチュアの粋 プロの通
2025 JUL 27 21:21:01 pm by 西 牟呂雄
どういう巡り合わせか、今月立て続けに生のステージを3つばかり楽しみました。普段はビブラフォンのJAZZを月イチだから随分と厚みが増した気がします。
一つ目は友人のバンドのライヴハウス。ミュージック・チャージ7千円+食事・ドリンク代で〇万円(ほとんどがドリンク=ピール)、メンバーはギャラを取るので、即ちプロですな。ソールド・アウトの入りで、ステージは盛り上がったのですが、集客には苦労するらしく同級生が塊になっています。バンマスは銀行マンだったこともあり、昔の同僚も駆けつけてきて身内感満載、従って年齢層はかなり高い。
以前にも書いたことのあるカントリー調のサザン・テイストは明るく楽しいものでした。デイ・ドリーム・ビリーバーとかザ・ウェイトなどはツウ好みのアレンジでしたね。
実は僕はこっそり選曲のアドバイスやらハコの紹介をして影のプロデューサーを気取っています。レパートリーにプレスリーを入れてアメリカ・ツアーを持ち掛けていますがさてどうかな。
彼らはプロとは言えメジャーなヒット曲があるわけでもなく、各メンバーもこのバンド1本では食えないのでいろいろ掛け持ちをします。
で、この日はゲストとして某キーボード・プレイヤーが参加しました(前回も来た有名人)。集客目的で引っ張り込んだのかと思っていたら、本当のところは普段スタジオ・ワークばかりなので入れてくれと言ったとか。それで花を持たせるために1曲ボーカルを取ったのですが、まっご愛敬。受けてはいました。
次にSMC仲間の西村さんや吉田さんがやっているクラシックのライヴ・イマジン。こちらはアマチュアを堅持されて入場は申し込みハガキのみ。スナップでも載せたかったのですが、演奏中の撮影・録音は厳禁とのことで、シビック・ホールのバックステージが開いたところを。
いや恐れ入りました、人気があるんですな。開演30分前に行ったら長蛇の列。熱心なファンの方やお身内でしょうか、常連さんらしくご挨拶をしたりしています。
僕はクラシックは素人ですので論評はできませんが、演奏者の皆様の情熱はしっかり伝わりました。もっと言えばこのステージは結果であって、ここに至るまでのプロセス(例えば選曲・練習スケジュール・会場手配・舞台設営・衣装に至るまでの一つ一つ)を楽しんでおられる。この手作り感が演奏に表れているようです。
今回のテーマは『ゴージャス』。中には僕も口ずさむメロディーもあって、いやはや詩情を掻き立てられましたねぇ。ツベコベいうほど聞き込んでない僕からすればもう十分。初めて聞いたブーランクの人を食ったような旋律は『本当のところは教えてやらないよ』と言われているような不気味さでした。
そして何と打ち上げの席にまで声をかけて頂いたので、多少ビビりつつもノコノコついて行きますと暖かく受け入れていただけて楽しめました。皆さん方は原曲に忠実に、と暗譜するにしてもメロディではなく譜面を記憶する、とのお話。
おまけに仕事は仕事でこなしながら他のアンサンブルにも参加されるなど、およそ1年中ヒマなしで練習・発表に励んでおられるとか、物凄いエネルギーです。遊び歩いているだけで疲れるのが恥ずかしい(治らないけど)。それをひけらかさないところが何とも粋なんですね。手弁当で20年も続けるのは大変でしょう、と言うと『会場の費用だけでも入場料にしたらどうか、とも言われますが、そうなると自由度がなくなるようで』カッコイイ!
そしてお酒の召し上がり方の上品なこと。ワインを軽く嗜まれ、僕のような安焼酎のガブ飲みなどは以ての外。もっとも高価な楽器を運ぶために泥酔などはできないのでしょうね。
最後はゴスペルです。ヨット・ハーバーの夏の出し物でこちらは入場料を取りますが、生ビール飲み放題なのでプロとは言い難い、16人編成、のっけから物凄いパワーに腰が抜けました。
開演は5時なので夕日の当たる海を見ながらのオープニングは『天使にラブ・ソングを』の『オー・ハッピー・デイ』
なかなかの迫力でした。ところがですな、ゴスペルは基本教会音楽であり、ソウル・ミュージックですからあんまり明るいオープン・スペースには向いていないのかもしれません。
やはり休憩をはさんで日が暮れてくるとメリハリが増します。
アレンジが巧みだったハレルヤ・コーラスは素晴らしかった。
メンバー紹介でわかったのですが、元ジャズやR&Bのシンガーだった先生の指導しているサークルで、さすがに先生がソロを取るとうまい。
このメンバーでもう25年続いているそうです。
何より皆さん楽しそう。次第にこちらも体が動く。手拍子が鳴る。踊りだす(僕が)。
神様の歌声が聞こえてきました。ハレルヤ!
ちなみに先生はなかなかカッコイイ立ち振る舞いですがポスターに載せていた写真は藤原紀香さんにそっくりでした(25年前の写真だとか)。こちらの皆さんも粋な方ばかりで、一緒になって(僕は)ガブ飲みしました。
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プロの領分
2024 MAR 13 0:00:38 am by 西 牟呂雄
ずっと以前にSMCメンバーの西村さんのブログで『アマチュアの領分』という印象深いものがあった。極めて高度な技量を持つプレイヤーが入場料無料でカルテットを演奏するという内容に感じ入った。無論、本業をお持ちで忙しい合間を縫っての演奏だったと。
或いは同じくSMCメンバーの中島さんは同好の方々と箱代のためのささやかなチケットで賄ったコンサートを聞いたが、演奏レベルは高く見ていて楽しかった。その後コロナもあり暫く音沙汰無いが、そろそろ活動されるのを楽しみにしている。そしてそのステージは(プロらしくないという意味で)アマチュアの矜持を保った最上位レベルのものと感じた。
少し前になるが、それなりの金額を払って古い友人のステージを見に行った。場所は渋谷で、食事もできる、無論酒も。で、例によってガブ飲みをして結構な額についた。従って彼らはプロなのだ。
この友人は学生(高校生)の頃からバンド関連での知り合いである。その頃テクは同じくらいで、いわゆるフォーク・ソング風の音楽をやっていた。その後、僕の方はだんだんやかましい方向にスライスしたが、彼は頑固にそのスタイルを崩さないで通し、彼はものすごく腕を上げ、お兄さんがその方面だった関係もあったのでレコーディンクのバックを務めるレベルになった。
卒業すると彼は銀行に、僕はメーカーに進み、長いこと疎遠となる。偶然再会したのは30年後である。
僕は同僚とそれなりにバンド活動を楽しんだが、腕は落ちっぱなしで尚且つパートもドラムに変えた。人前では滅多にやっていない。
すると風の便りに聞こえてきた、彼がロンドン赴任後に銀行を辞めたと。噂は色々飛び交った。サーモンを日本に輸出することを始めた、音楽プロデューサーになって演奏家を連れてきた、等々。
往時茫々、再会を祝して乾杯すると、プロとして演奏活動をしているとのこと。「勿論それだけじゃ食えないから色々やってるよ」とも。結構優秀な銀行員だったそうなので辞める時のイザコザも面白かった。
そして今回はプロの演奏を見極める意味で、リハーサルから聞きに行くことをお願いし快諾を得た。
メンバーはそれぞれこのバンド以外にも音楽活動をしていて、アルバムを出している人(ギター)、編曲が本職の人(ベース)、誰もが知っているプレイヤー(ピアノ、後ほどクイズを出します)、ジャズまでこなす人(パーカッション・ドラム)、日系アメリカ人(ギター)の編成で、友人はバンマスのポジションである。一曲を通して終わるとなにやらよくわからない用語が発せられて繰り返す。この辺は「アマチュアの領分」も同じだ。主にバンマスである友人が、強弱やリズムについて(結構頑固な)主張をし、他のメンバーは何かを譜面に書き込んだりしていた。
真剣そのもののリハーサルが進行し、さるコーラスのキメのところで上記有名プレイヤーが言った。
「あんまりハモらないのがいいって話もある」
この謎めいた言葉にメンバーは複雑な反応を示し、ミーティングが始まった。「確かにそうだけどさ」「だけどあれはライブの音なんだろ」「今のままでいいんじゃね」「セオリーからいったらこの通りなんですがね」と一部険悪なやりとりにもなった。
30分もやりあっただろうか、バンマスである友人は半ばヤケクソで「一番の高音を半音下げよう」と言ってやり直し。いや驚いた。コーラスの厚みが全く違う。すなわち、お客さんに聞かせるための工夫が見て取れた(いや、聞き取れた、か)。ここが「プロの領分」なのかな、と感心した。
ところで、さる高名なプレイヤーとはこの写真の真ん中で顔にボカしを入れた人。一番右が僕の友人でその人の弟だ。一体誰だかわかるかな。分かった方、お知らせください。例によって賞金は仮想通貨100万ソナー・ダラーをさしあげます。ヒント、ムーミン・パパ。
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ソウル・イリュージョン・イン喜寿庵
2023 OCT 31 23:23:31 pm by 西 牟呂雄
ヘッド・セットのボリュームはマックス。
外界の音は遮断されている。
難聴になりそうな大音量が体を揺さぶる。
ノート・PCに繋いだスクリーンからは
プリンスが爬虫類のような表情でギターを掻き鳴らす。
プロポーション抜群の双子の黒人女性が華奢な手足を振り回し
ヴォリューム満点の黒人女性コーラス。
リズム・リズム・リズム!プリンズはクネクネとギターを。
インド系が入っているものすごい美人のチョッパー。
さらにプリンスはギターをベースに持ち替えてますます熱を帯びる。
性的エクスタシーの高みに上ったような表情。
PLAY THAT FUNKY MUSIC
外に出れば満天の星。
僕はリズム感に高揚したまま実体を失っている。
強い酒がヒリヒリするほど食道を伝って滴る。
ファッキュー!!
影ができるほどの明るい月。
時差8時間の大地で兵士は血を流し、民間人も傷つき死の淵にいる。
十年前に勝手に国境を変えようとした独裁者。
私怨から元総理を銃撃したガイキチ。
真似をして爆弾を投げたガキ。
某国が支援疲れを起こしたのを見越して攻撃・人質を取ったテロリスト。
陰謀論ではカバーできない悪意の国家。
それどころか、その悪意に擦り寄りかねない国内諸派。
もう一度ファッキュー!!
寒くなって来たのでまた母屋に帰って酒を呷る。
徹底的に殺しあえ。
気が済むまで殺しあえ。
憎しみあえ。
数十年前に世界を相手にたった一国で戦っていた1945年に。
支援物資などどこからも来ず、
絨毯爆撃を食らって原爆まで落とされた。
人類は一晩に十万人を殺さなくなっても
1年に一万人は殺す戦争をやめられない。
これが人類の知恵の結果か。こんなものが進化か。
グローバリストの求めたものはこれか。
ガッデーム!攘夷!攘夷!攘夷!
もっと聞かせてくれ。
もっと揺さぶってくれ。
魂が震えるまで。
酔えばいい。
踊ればいい。
熱くなってきた。ボトル片手に外に出る。
雲が出て漆黒の闇。
欲しいのはこれさ。
音をあげろ。
輝け。叫べ。踊れ。飛べ。
狂え!狂え!狂え!
HOLD ON I’M COMMING
最後は夏の残りの花火を。
真夜中の小さな花火さびしかろ。
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番外 ジェット・ストリーム ジャニス・ジョプリン
2021 OCT 4 0:00:48 am by 西 牟呂雄
ーエデンの東が流れるー
皆様 大変お久しぶりです。
やっと、或いは ようやく緊急事態宣言が終わりました
こうして空の旅でお目にかかることもできるかと思います
いかがお過ごしでしたか
中には苦しい闘病生活を送られた方もいらっしゃるかと
くれぐれもご養生ください
60年代のピッピー・ムーヴメントの申し子のような無造作なロング・ヘアー。素ッピンで別に人が振り返る程の美人でもない。しかし誰よりも自由で誰れよりも激しい、情熱のようなものを常に身に纏った女。
自分を持て余し、周囲から浮き上がり、時に人一倍寂しげな表情になる。
多くの人に愛されるが、同じくらい多くの人に敬遠される。近づけば火傷しそうな、触れれば折れてしまいそうな女。決して美声ではないハスキー・ボイス。もう少し丁寧にと思う高音も、身体を震わせ髪を搔きむしり叩きつけるようにシャウトしてしまう。
テキサスの南東部というトコトン田舎町に生まれた彼女は、テキサス州立オースチン大学に進学したが、熱に浮かされるようにサンフランシスコに流れヒッピーに。即ちヘロ・スピード・酒と何でもありのジャンキーになった。
モントレー・ポップ・フェスティバルで注目を集めると、69年に自らのバンドを率いてウッドストックで衝撃的なステージを見せた。
ところが、その翌年アルバム制作中にモーテルの1室でオーバードーズで死んでしまう。
ジャニス・ジョプリンの歌声が突然テレビから流れたので、まるで夢から醒めたように驚きました。聞こえてきたのはジャニスが残した死の直前にスタジオ録音された名曲、クライ・ベイビーです。CMに使うとはなかなか腕のいいのディレクターだ。。ライブでは・・。
泣きなよ もっと泣きなよ 泣いたっていいんだ こんな日は
憎む 悲しむ 悔やむ そして愛する
言葉が次々と現れては消え
人は残らない 時は流れさる
泣きなよ もっと泣きなよ 泣いたっていいんだ こんな日は
出会う 別れる 求める そして去り行く
歩き続けて 疲れ果てる
祈りながらも 永遠の眠りに
泣きなよ もっと泣きなよ 泣いたっていいんだ こんな日は
笑う 怒る 恨む そして泣く
もう戻れない 失った思い出
静まりかえる 闇に取り残されて
(これはクライ・ベイビーの歌詞とは関係ありません)
ジャニスの最もいい味が出るのはブルース。生まれ故郷からルイジアナ・ミシシッピーといったデイープ・サウスの街道筋ではいつも流れていたメロディー。
メンフィスからニューオリンズまで二人でヒッチ・ハイクで旅する明るい歌、ミー・アンド・ボビーマギーでお別れです。
パーサーはジェット・ニシムロでした。
それではまた、空の旅でお目にかかりましょう。
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ルシールだぜ‼️
2018 JUL 15 13:13:47 pm by 西 牟呂雄
オールド・ファンには懐かしいスタンダードなロックン・ロール。
リトル・リチャードが右足を鍵盤に乗せるポンピング・ピアノを弾きながら歌ってヒットしたお馴染みの曲だ。ノリがいい曲なので多くのプレイヤーにカヴァーされていて、有名な所ではビートルズ、ホリーズ、アニマルズ、からジョニー・ウィンター、クイーン、ディープ・パープルにオーティス・レディングまでもがやっている。
日本でも盛んに演奏されたが、数十年前に六本木の今は無くなってしまったライヴ・ハウスでの演奏が印象に残っている。
その昔、グループ・サウンズというバンド・ブームがあって、当時私は小学校から中学校で女の子がキャーキャー言っていた。
グループサウンズ・ブームが終わって10年も過ぎた頃、そのOBとでもいう人々が秘かに集まっていたその店は、坂の下の半地下にあった。元ジャガーズというバンドのメンバーが演奏した時に偶然飲みに行ったのだった。
先日ジャガーズのルシールの動画を見付けて記憶が蘇った。
私がライヴで見た時は動画のようなユニフォームは着ていなかったので演奏が始まった時はジャガーズとは気が付かなかった。
なかなかノリがいいと聞いている内に久しぶりに本歌取りのアイデアが浮かぶ。
演奏を聴きながら読んでみてください。
Lucille, you won’t do your sister’s will?
(押しーーーーー 売りなどセコい)
Oh, Lucille, you won’t do your sister’s will?
(押しーーーーー 売りなどヤメロ)
You ran off and married, but I love you still.
(乱暴はやめて 頭を使いなよ)
Lucille, please, come back where you belong.
(ゆすーーーーり タカりは古い)
Lucille, please, come back where you belong.
(ゆすーーーーり タカりはダサい)
I been good to you, baby, please, don’t leave me alone.
(アイフォン片手に 頭で盗め)
ドラム・ラップ
I woke up this morning, Lucille was not in sight.
(オレオレ・サギなど恐くない)
I asked my friends about her but all their lips were tight.
(ハンパなハッカー 通じない)
Lucille, please, come back where you belong.
(押しーーーーー 売りなどセコい)
I been good to you, baby, please, don’t leave me alone, whoa
(アイフォン片手に 頭で盗め)
間奏・ギター
ドラム・ラップ
I woke up this morning, Lucille was not in sight.
(架空請求 騙されない)
I asked my friends about her but all their lips were tight.
(チャチな ウイルス 開かない)
Lucille, please, come back where you belong.
(ゆすーーーーり タカりは古い)
I been good to you, baby, please, don’t leave me alone.
(アイフォン片手に 頭で盗め)
間奏・キーボード
Lucille, baby, satisfy my heart.
(押しーーーーー 売りなどセコい)
Lucille, baby, satisfy my heart.
(ゆすーーーーり タカりは古い)
I played for it, baby, and gave you such a wonderful start.
(アイフォン片手に 頭で盗め)
Lucille, baby, satisfy my heart.
(押しーーーーー 売りなどセコい)
Lucille, baby, satisfy my heart.
(ゆすーーーーり タカりは古い)
I played for it, baby, and gave you such a wonderful start.
(アイフォン片手に 頭で盗め)
そして今思い出した。背中まで伸ばした髪を切って、キャロルのコピー・バンドを作る為にギトギトのリーゼントになり結成したバンドの名前がルシールだった。
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アコースティックの響き
2017 OCT 23 22:22:49 pm by 西 牟呂雄
ブログ・メンバーの中島さんとそのお仲間のライヴを見てきました。
中島さん、少しやせましたかね。相変わらずいい味出てましたね。
お仲間の聞き手の皆さんにも顔見知りができて全体にホノボノ感がただよってました。
得意の『アメリカン・パイ』でオープニングです。
中島さんが僕たちの3~4年上といった趣で、ビートルズをベースに日本で言えばフォーク・クルセダース世代のメロディー。
時代的には少し上に全共闘の先輩達がブイブイ言わせていて、結構シンドイ頃だったはずです。何と言っても冷戦下でしたからシニカルな歌詞も好まれたのです。
最初にサングラス姿を見て「アッ行けてる」と思ったのですが、歌詞が読めなくなったらしくて眼鏡に変えられたのはご愛嬌。
コミカルで達者なMCも交えて最初のコーナーが終わりました。
それから色々なバンドの方がステージを盛り上げます。
皆さん熟練というかベテランというか楽器の触り方が丁寧な音でした。
それにあのハモは随分練習したのでしょうか。
僕なんかは自分でやるのはもう少し荒い音が好みですが、聞くのは大好き。
どのバンドもナイス・ベースなのが嬉しい。勿論他のパートも上手い人ばかりでしたが、バンド屋はベースを聞いてしまいます。
『人間はハタチの頃に回帰する』
我が恩師の言葉なんですが、最もエネルギーのある時代に打ち込んだ物は一生ついて回る、と教えられました(それがどういうものかは人によります)。
ステージも客席も、おそらく近い時代に共有した『ナニカ』を感じていい雰囲気に包まれていました。
中島さんはSMC仮想プロ野球リーグでホークスの影のオーナーを勤めておられます。実はイーグルスとの熾烈なCSセカンド・ステージを戦っている最中でしたので、気が気でなかったと思います。結果は大勝利で日本シリーズへ、おめでとうございます(僕はファイターズなので蚊帳の外ですが)。
そして年末の12月11日、博多であの『燕尾服のサックス』ことドクトル梅津のライヴでステージに上がるとか。幼馴染だそうですが、アルト・サックスとのコラボは見に行きたい(月曜日なんですけど)!
中島さん、頑張ってくださいね。
懐かしいアコースティック・サウンドをどうぞ。
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忌野清志郎という伝説
2017 SEP 23 13:13:55 pm by 西 牟呂雄
僕がチャチなバンドを組んで、甚だしき時にはヘンテコリンなオリジナルを人前で歌ったりした頃には既にRCサクセションでプロとしてやっていた。デヴューがいつだったかはっきりしないが、このバンド名は高校生がある日作戦を練ったのでRCサクセションとなったと聞いた覚えがある。
独特の声のボーカルが清志郎という名前だという記憶は無い。
『僕の好きな先生』がヒットしていた。僕はアルバムにあった『2時間35分』という曲が好きでよく聞いて、そのオリジナリティにあこがれたものだ。
百恵ちゃんのご主人でもある三浦友和とは同級生で、バンドも組んだことがあったようだ。
それから暫く見かけなかったが、80年代に突如パンクバンドとして奇怪なファッションを纏い再登場してスターになる。
その頃は福生の米軍ハウスが売りに出て、仲間と今で言うシェア・ハウスのように暮らしていた。
当時のヒット曲に『ガ・ガ・ガ』とか『いいことばかりはありゃしない』があるが、一般には知られているだろうか。後者は
カラオケにもあって、僕のレパートリーなんだが。
「い・け・な・いルージュマジック」というCMに使われた歌なら知っている人も多いだろう。
結構過激なことをやっていて放送禁止・発売禁止をよく喰らったが、すると面白い事にザ・タイマーズというバンドが出現し、マイナーなテレビ番組に出た。ヴォーカルはZERRYと名乗る正体不明の人物という触れ込みで、ヘルメットをかぶりサングラスをしていたが一目で清志郎とわかった。
タイマーズのテーマという曲は往年の人気バンド、モンキーズのテーマの丸パクリで、サビのところを『ヘイヘイ、ウィーアー、タイマーズ、大麻が大好き』とやったのには笑えた。
秀逸なのはカヴァーをしても独特の清志郎節に仕上げて、オリジナルを凌ぐ歌にしてしまう。
同様に競演する場合も相手の歌手に”合わせる”ようにみせて、いつのまにか”取り込んで”みせるオーラがある。例えばデイ・ドリーム・ビリーバー。
以前エーチャンがジャンル違いの大物と武道館で競演する架空ステージを書いて遊んでみた。
実は今回この手のブログを書こうとして清志郎と石川さゆり、三波春夫といった組み合わせを考えてみたのだが、途中まで書いてヤメた。上手くコラボできなかったのだ。
同じオーラでも清志郎の方が子供がはしゃいでるようなところがあって、こう言っては失礼かもしれないがカワイラシク感じられる。エーチャンは、はしゃいでいるところは人に見られてはいけないのだ。どちらも好きだが。
2000年代に入ると気の毒な事に喉頭癌になってしまう。歌手として致命的なハンデを負うために外科的手術を拒否し、放射線と抗癌剤治療で病魔と闘う姿に感動したものだ。
間寛平と個人的にも親しく応援歌を作ったり、コンサートに寛平がシークレット・ゲスト『アメマ・マン』として登場して大受けしたユーチューヴがある。
その寛平はアースマラソン中に電話で清志郎の訃報を聞き号泣した場面が(やらせかもしれないが)TVで放映されている。
完全復活コンサートを武道館で行うまでにも回復したのだが、惜しくも2009年に逝ってしまった。
『あいつがいる頃は楽しかったなぁ』と思わせる奴がいる。僕にとってはそう思えるスーパースターだった。 -合掌ー
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