Sonar Members Club No.36

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県警 VS オレ

2026 MAY 8 9:09:01 am by 西 牟呂雄

 本件、筆を取る気になるのにひと月を要した。
 まぁ福岡県警VS工藤會のような危険かつ迫力のある話ではなく、遥かに平和でセコい話だが聞いてほしい。
 某日、某県の片側1車線の国道をのんびりと走っていた。前にトコトコと軽トラが、まことに春ののどかな峠道を下っていた。もうすぐ多少開けた景色になって山間部の集落になる。
 なだらかな坂を下ると、道路工事なのか何かのアラームなのか、おっさんがチェッカー・フラッグのようなものでオレを誘導するではないか。前の軽トラはそのまま走って行ってしまった。あれ、ここは警察署の前じゃないの。
 導かれるままにハンドルを切ると、そこには本物のお巡りがいてオレに向かって抜かしやがった。「ここ何キロか知ってますか」「はぁ?40じゃないんですか」「そうです。チョット出し過ぎでしたよ」「エーッ、だって前の軽トラと同じでしょう」「いやー、あっちは引っ掛からなかったんですよ」
 やられた!こういう時にやたらと馴れ馴れしいお巡りにムカついた。
 まいったなー、と車を降りたらもう1台。オレの後ろを走って来た黒い車だ。アタマの悪そうなアンチャンが下りてきたが、こいつは文句タラタラで「あの軽トラはつかまえねーのかよ!〇〇ナンバーはやんねーのか」と叫んだ。バカだな、ケーサツは一回止めたらゼーッタイ判断を変えるようなことはしない。無駄な抵抗は止めよ。とは言え、目が合った時点で「オレ等あの軽トラを追い抜いたわけじゃないし後を走ってたよなー」などと相槌を打ってしまったが。
 で、2点減点されて車に戻り走り出した途端にオレも叫んだ。
「クソーッ、納得いかねー!」

 春の交通安全週間の始まりだったのだが、話はこれで終わらない。1週間後、菩提寺に行くところで突然ランプを点灯させたパトカーに呼び止められた、何だよ。するとなりたてのホヤホヤみたいなガキ・ポリが、いかにも新人の手慣らしという感じで寄って来る。
「いやー、慣れない道で(オレは多摩ナンバー)気が付かなかったんでしょうがその角、一時停止です」
 一時停止もクソも人も車もいねーの見て分かんだろ、このバカ・ポリが。だが、どうにもならない。そしてこれもまた2点。
 えっ、すると1週間前と合わせて4点、即ちあと2点で免停ではないか!私の脳裏にこの胸クソ悪い思い出が蘇る。

夏至の日に府中にて

から、それに続く屈辱の日々が。

夏至の日まで  長かったこの一年


 おまけに罰金合計〇万円というイタさ。これは安全週間の期間の免許取り立て新人のトレーニングだったのだろう。

 ことここに及んで、オレを目の敵にする〇〇県警に猛烈に腹が立った。このままでは済まないぞ、とばかりに闘うことを決断し、ひそかに復讐の計画を練ったのだ。
 要するにオレから巻き上げた罰金以上の無駄なコストを県警に償わせてやる。
 ただし、真面目に治安の安定を図る善良な警察官に迷惑をかけてはいけない。あくまで交通に絞っての作戦でなければならない。
 速度取締りレーダーは、特定の周波数帯の電波を使って速度を測定している。その周波数の電波を照射してジャミングするのはどうだ。罰金をとれなくなって交通課の収入は激減するはずだ。
 しかしこれは、まず周波数の特定が機密事項のため難しい。仮に知りえても、ジャミングに使う機器の開発と取り締まりポイントの調査、並びにこちらのジャミング発生のベースの設営といった手間がかかりすぎ、おまけに組織的に捜査をかく乱していたことがバレると意外に罪が重そうだ。成り立たない。
 次に百台近くのコンボイが一糸乱れずテール・トウー・ノーズのビタ車間で、取り締まっているポイントを25kオーバーので通過したら、ネズミ捕り程度の人手で全員捕まえることは無理だろう。意図的にやっておいて『なんであいつらは捕まんないんだ』と暴れ倒して捜査を攪乱するのもいい手だ。待てよ、これも初めの一台は捕まる。そこから芋づる式にやられてしまうかも知れない。
 よーし、それでは車高の高さで大きめのドローンを飛ばし、スピード・オーバーでレーダーを撹乱するのはどうだ。
 一瞬名案に思えたものの、航空法という法律があってやたらと細かく規制していた。車が常に走行して不特定多数の人がいるところは、航空法上の「人または物件との距離30m未満」の規制に引っかかりうるとか。国交省航空局がドローンなんか取り締まれるものか、と思いきや、取り締まり・摘発は県警だ。

こんなやつ

 終いには取り締まっているスピード検知器の前に立って妨害する、という肉弾作戦も考えたのだが、『じゃまだ、どけ』と言われてオシマイだろう。アホらしっ。
 要するに違反をしなけりゃいいだけなんだが、それにしても一週間に二度も捕まえることはないだろう、〇〇県警!

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ソトーバ

2026 MAY 1 21:21:46 pm by 西 牟呂雄

 中国は浙江省の省都である杭州(ハンゾウ)で工場を運営していたことがある。大運河の終点に当たる街で、あまり知られていないが下関条約により日本租界があった。西湖(シーフー)という美しい湖のほとりに古くからあるというレストランでおいしい豚の角煮を食べた。現地の人間が『ここ発祥の料理だ』と自慢したがトンポーロゥのことだった。
 その中国人は日本語が達者でその料理の由来を説明してくれた。
「有名な詩人のソトーバがここに左遷されたときに考案した料理ですよ」
 その時はうっかり聞き流し、ソトーバ(卒塔婆)?お墓にあるアレか、ずいぶん縁起の悪い名前の詩人だが知らんな、と。

 後で気が付いてギョッとした。蘇東坡(ス・トンポー)じゃないか?
 宋の時代の文人、蘇軾(そしょく)のことで、書画を良くし禅にも通じた大文化人である。
 若くして科挙の試験に合格し進士となり、その時弟の蘇轍も同時に合格したという秀才兄弟だった。
 彼が生きた宋の国は、ザッと考えても前後の王朝よりパッとしない感じで、絶えず北方から押されまくり内部もゴタゴタし続けていた。首都も開封から現在の杭州まで押され、モンゴルに止めを刺されて終わる。
 そのモンゴルが北に帰った後は極貧・流民から身を起こし側近を粛正しまくった朱元璋が明の洪武帝となっていく。
 話は戻って、そういうゴタゴタの中にいると内圧がかえって高まるのか、科挙の制度などはこの宋代に完成し、かの朱子(しゅし)が儒教の体系を朱子学として完成させる。つまり文化の華は咲き誇ったことになるのだ。朱子学はその後宋学として我が国に伝わり流行った。
 進士となった蘇東坡はなかなか頑固だったようで生涯で2回左遷されている。二度目の左遷が後に南宋の首都になる前の杭州だった。そこで上記西湖の水利工事に携わり完成を喜んだ現地の人々から豚肉・紹興酒を献上されると、それを煮込んだ料理を振る舞った。その美味なることをたたえて「東坡肉(トンポーロゥ)」と名付けたと言われている。
 蘇東坡と言えばこれだ。

 春宵(しゅんしょう)一刻値千金
 花に清香(せいこう)有り月に陰有り
 歌管(かかん)の楼台 声寂寂(せきせき)
 鞦韆院落(しゅうせんいんらく) 夜沈沈(しんしん)

 この詩を読むたびに、ドンチャン騒ぎが終わった後のライトアップされた桜の美しいシルエットが目に浮かぶ。『寂寂(せきせき)』と『沈沈(しんしん)』の韻が効いている。

 比較文学者デイヴィッド・ダムロッシュは、文学は翻訳を通して豊かになりうると述べたが、漢文を訓読で読み下すという優れた味わい方を編み出した日本の先人は、実に感性豊かだったと思う。今や維新の参議院議員になった石平氏は、漢詩は日本語の読み下しの方が味わいが出る、と言っていた。
 そこで思ったのだが、同じ漢字文化圏だった朝鮮・ベトナムではどう読んでいたのだろうか。ベトナムの方は語感が想像できるが(中国語のようにコンコンと言った感じ)、日本語のようにテニオハのある朝鮮語はどうだったのか。詳しい人、教えてください、返り点とか付けてたりして。

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六兵衛 維新語り

2026 APR 23 13:13:17 pm by 西 牟呂雄

 目が覚めた。夜が明けてきたようで山鳩の鳴き声が聞こえるわい。
 さて、今日も一丁稲刈りの指揮に精を出すかいな。秋の刈り入れ時というわけだ。
 ワシは甲斐の国〇○〇村の大庄屋である小森家の六男、六男だから六兵衛という。百姓だから表向き苗字はないことになってるから小森という名前ではなく屋号で呼ばれる、『酒屋』とな。通称サカヤの六兵衛だ。
 甲斐の国は甲府55万石、谷村3万石で米なんざあまり採れない。だが信玄公亡き後は徳川様の天領で、年貢は二公八民と軽い。もちろんお上に対しては食うや食わずの顔をしてみせるが、余程の飢饉でなけりゃ食べるにゃ困らない。しかも年貢は村全体で納める量が決まっているから大体こんなもんだ、ってオレッチの親父達がお代官様と決めるだけ。田んぼにしたって大雑把な境界線は畦道くらい、広い狭いは違うけどな。そんないいかげんなもんだから、時間が限られる田植えとか稲刈りみたいな仕事は大勢で片っ端からガーッとやる。それで普段は特に争いごとはない、お互い顔見知りだし親戚も多い。
 そりゃウチは庄屋だってことでデカい家をオッ立ててるけど女中だのなんだのと人数は多いから、六男のワシは身の置き所なんかない。オマケにヤレ水が出ただの道が崩れたのといっちゃ親父なんかがあれやれこれやれと口やかましく使うから、養子にいくアテもない次男以下は要するにタダ働きの人手でしかない。長男以外は嫁もとれねえ。ワシなんかの暮らし向きは水飲み百姓とそうは違わねえよ。
 ただ、抜け駆けだの勤めそこなったりすりゃ村八分はきついよ。ワシが知ってるだけでもこの10年で夜逃げはいくらもあったさ。それがねぇ、ここだけの話この辺は田んぼが少なくて年貢の石高はたかが知れてるけどどこもお蚕もやるんだよ。これはいい小遣いのつもりで地道にやる分にやソコソコ稼げる。だがお蚕の上りは糸を引いて機織りして染付して、とだんだん商いが大きくなっていく。すると中には大きな博打を張ろうとする輩は必ず出てくるが、そういうのが上手く行ったって話は聞いたことがないね。必ず相場が動いたり蚕でデキが悪かったりしてひっくり返る。 
 何しろ山深い所だから狭い世界に暮らしていて、これがズーッと続くのがいいのさ。そもそも今よりいい暮らしってのが想像もつかねえ。お武家さんは石和と谷村の陣屋にはいるけど、この辺りはその境目にあるから滅多に来るもんじゃない。谷村陣屋は韮山代官の配下でもあるしな。
 そうそう、参勤交代の行列がたまに通るけどここには本陣がないから素通りだ。あれもな、土下座してるのが面倒だからみんな隠れちゃってのぞき見してるんだ。行列だって誰も見てないとダラダラ歩いてるよ。
 嫁も貰えねえワシらのことは通称「オンジイ」ちゅうんだが、体のいい居候で置いてはもらえるが一人前には扱ってもらえない。女ぁ?まあ、小さな村といえどもそれなりにね。特にウチなんか住み込みの女中もいるし、そこいらにゃ後家さんだっている。もっといえばあそこの赤ん坊はひょっとしたらってのもいないわけじゃない。秋祭りの時なんかはそりゃね。
 ところで田んぼや畑の境界線なんかは村内で揉めることもないんだが、隣村との村境じゃ時々大喧嘩にもなる。特に山の中なんか目印も何もないから大きな大木や岩で見当を付けるんだけど、鉄砲水で岩が動いたり木が倒れたりすると双方で『昔から村境はここだった』と言い合って大変な騒ぎだよ。こっそり岩をずらしたりするのを「追い込む」と言ってね。鎌とか鍬や鋸を持ち出せば怪我人だって出るんだ。陣屋のお侍さんは面倒だから庄屋連中を集めては『何とかしろ』と言うだけ。ナニ、下手に騒がれて一揆にでもなったら自分の経歴にキズが付くから大概のことはお目こぼしさ。

 嘉永のご時世から安政にかけて、世の中は随分と騒がしかったらしい。ワシの生まれた頃に黒船が来たって大騒ぎになったそうだが、物心ついたのは文久の世で、そん時分はワシもあとあとこんな厄介者になるとは思ってなかったから、のんびり寺子屋で読み書きを教わったりして字も読める。
 街道沿いだから行ったこともない都やお江戸がやれ開港したの攘夷だので騒いでるのは知ってた。
 この頃からお武家様は何だか物入りでひどく景気が悪くなっていった。ワシらはお蚕をやるから商人とも付き合ってるんで分かるんだが異人さんとの商いが始まるにつれて物が高くなっていった気がする。ところがお武家様は百石取りとかあてがいぶちが決まったままなんで御大名様から旗本までみーんな借金だらけになったみたいだ。
 えー、時は流れて慶應のご時世。一挙に世の中はゴタゴタし始めた。将軍様が都まで上洛したらそのままお隠れになって、名望高い一橋様が15代目になられた。そしたら長州をお仕置きしたっちゅうんでこれで安泰か、なんて話してた。
 そうしたらいきなり将軍様が政りごとを返上したそうじゃない。いやたまげたね。ワシだって都には帝(みかど)がいて暦を決めたり官位を授けてたのは知ってたけど、まっお上の方は良く分かんないがね。
 それで将軍様と都にいた薩摩・長州が戰をやって、アッという間に幕府が負けたって。イヤ驚いたのなんのって天地がひっくり返るような話だよ。おまけに将軍様は舟で江戸に帰って来たなんてホントかね、と思った。
 それが本当だってわかったのは慶応4年が明けたら江戸から甲陽ナントカ隊っちゅうお侍達が大砲引きずって鉄砲担いでゾロゾロとやってきて甲府を目指して行った。その数200人くらいだったけど半分はとてもお武家様には見えないような連中で、聞けば都で散々人切りをしてた新撰組が化けた幕府の軍だった。あれじゃちょっとした大名行列の方が見栄えがいい代物だったね。例えばワシがのぞき見してた尾張様の大名行列はあの倍以上だったよ。
 ワシ等は八王子あたりは親戚もいたから新撰組はあの辺の道場の奴らだってのは聞いてたんで、百姓上りが大したもんだとは感心したね。

土佐の赤熊

 そう思ったのに2~3日したらバラバラになって逃げて来るじゃないか。どうも官軍の方が先に甲府に着いてたもんで、勝沼あたりで戰になり、これがまたあっさり負けたらしい。街道を避けたのもいたらしくて人数もだいぶ少なかったよ。
 するとすぐ後に今度は官軍が江戸を目指してやって来た。それが変な赤い被り物をしているのが大将だったんで驚いた。その大将は信玄様の武田二十四将の板垣様の子孫らしく、甲府のあたりではみんなそっちに御味方したそうだ。この辺りは信玄公の時代はその下の小山田様のお下知だったからあんまり関係ないんだが、そこはそれ、勝ちにはすぐ乗る習いなんでワシも炊き出しに行ってみた。だけどあの被り物の連中が喋ってる言葉が分かんない。『キニ』とか『ゼヨ』とか言うのは何なのかね。
 ところがワシの気働きが気に入ったのか谷という一隊を指揮していたお武家さんが「人手はいくらあっても足りないキニ。おまん一緒に江戸まで来るがいいゼヨ」とか言うじゃない。まだ3月で暇だしここにいても厄介者だから話のタネについていくことにした。良く聞いたら土佐藩兵で作られた官軍だそうだ。

中段左から二人目 谷干城

 その谷様という隊長はおっそろしく厳格なお人で、自分にも下にも厳しい。だがワシには『こりゃ、サカロク』と気さくに声をかけてくれた。ワシは屋号が『酒屋』だったからサカロクっちゅうわけだ。若い頃に江戸で勉学に励まれたんで関東訛りに慣れてたからワシも一行の中では話しやすかった。正式名称は東山道先鋒総督府迅衝隊(じんしょうたい)だってさ。
 小仏峠を超えれば武蔵の国で八王子宿。ここは幕府お抱えの旗本格である千人同心が守っていたから戦の一つもおっぱじまるかと楽しみにしていた。いや、ワシは戦なんかできないよ、見物だけど。ところがこれが大歓迎だよ。そんなに幕府は評判が悪いのかと思ったら何のことはない。千人同心はモトモト信玄公の遺臣の子孫だから、隊長の板垣様のご威光だ。さっきも話した武田四天王と言われた板垣信方様の十何代後だからって有難がってんだけどねぇ。
 ワシも一緒になって酒飲んだりしたけど、ここいらは親戚づきあいもあるんで面が割れやしないかとヒヤヒヤした。
 この官軍ってのも面白くて先頭に細長い『錦の御旗』ってのを掲げた後に笛を吹く奴が二列に並ぶ。で揃ってピーヒャーラピッピッピとやると全員が同じ歩調で歩き出すんだよ。おまけに節が付いていて『ミヤサンミヤサンオンマノマエニ』ってな。ワシ等はその節に従って『トコトンヤレトンヤレナー』って音頭を合わせてた。
 府中から調布五宿を抜けて高井戸・内藤新宿を通り四谷の大木戸を過ぎればお江戸御府内で半蔵門に着いた。その間大名行列に勘違いした連中が土下座したりして面白かったが、戦なんか何にもない。江戸だって、聞けば官軍の西郷という大将と幕臣の勝っちゅうのの間で話が付いたとかで拍子抜けしたさ。
 その後迅衝隊はもっと北に進むって言うからそんな遠くは御免とばかりに隊長には黙って脱走した。聞いた話じゃ会津まで行って大いくさになったそうだ。
 ほうほうの体で村に帰ったけど、そのうちに帝が京都から江戸に行幸されて江戸は東京なんて名前になった。東の京都ということらしい。
 それから先は藩が廃止されたりしたんだが、ワシ等がたまげたのは地租改正ってやつ。廃藩置県とか言って甲斐の国も山梨県になった。ワシ等は元々将軍様の天領で藩なんかないから全然関係ないけど、今まで村全体で年貢を米で納めればよかったのに、田んぼの土地ごとに銭で払えっちゅうんで参ったよ。それまで自分の年貢米はどの程度か、なんて考えもしない、ましてや銭なんぞ普段さわってもいない五反以下の小百姓はどうすりゃいいのか分かんない。お代官様は鷹揚なもんだったが、新政府の役人になったらやれ土地を測れのお前の田んぼの価格はこうだといちいち杓子定規なことこの上ない。ワシ等は田んぼを売り買いしたことなんかないから値段も何もわかんない。そしたら値段はお上が勝手に決めるんだとさ。
 困り果てた百姓共は終いにはうちの親父に『大旦那、訳わからんからウチの田んぼを引き取ってくりょうよ。ワシ等はそこで小作にさしとくれ』って頼み込んでくる始末。親父は親父で『なんだよ。それじゃワシが金とられるばっかじゃねえの。まあしょうがない、預かっとくわ』ってなもんで、おかげでウチは金にもならない土地ばっかり抱え込んで一人で税金を払ってる有様になった。
 もっと驚いたのは徴兵令。廃刀令とか言ってお武家様が二本差しをしなくなるんでビックリだったが、まさか百姓が戦をすることになるなんて想像もつかなかったな。二十歳になると体の丈夫な奴は兵隊になってお勤めを果たせって。そんなもんが役に立つとはとうてい思えないんだが、これからは刀を抜いて切りあうことはなくなるっちゅうんだ。働き手を取られるから初めはえらく評判が悪かったが、子供が多い小作人にとっちゃ口減らしにもなると次第に定着した。

前列中央 谷干城陸軍少将

 西の方では食い詰め士族が反乱を起こし、しまいにゃ官軍の大将だった西郷さんまでが戦を仕掛けた。今度は自分が朝敵になるなんてどういうこった。おまけにその徴兵で取られた兵隊が薩摩の士族に勝っちゃったから妙に納得したね。この時、熊本城で薩摩軍を止めたのが、ワシがくっついて江戸まで行った時の谷様だった。あの人は偉いんだね。
 それから20年も経つ間に支那とやるは挙句の果てに露西亜とやるはでいつのまにかすっかり戦争づいちまった。
 何しろ戦争やりゃ勝つもんだから軍人さんたちは偉くなるし、ワシのような門外漢も日本が強い国になった気がしたよ、軍人さんや兵隊さんは凄いねってね。ここいらでも兄弟が日清・日露の両方で死んだっていう家はいくらでもある。
 東京じゃあれよあれよという間に政党じゃ議会じゃが始まり、小学校はここあたりにもでき、鉄道もワーワーと引かれ、親父は地域の電灯会社の発起人になりすまし、何だか百姓でもほかにやることだらけになって、世の中は便利になってくるけどその分やたらとせわしなくなるばかり。四民平等とかいわれてもなァ。選挙なんかもあったけどありゃお祭りみたいなもんで、そもそもワシなんか投票もできないのにあいつじゃなくてこいつにしろ、とか終いには村同士の喧嘩だ。
 喧嘩といえば、鉄道を敷いた時にゃ土方が大勢いたから組同士の大きい喧嘩があったなぁ。ありゃ面白かった。

 往時茫々、東京においでなさった帝も身罷りなさったらしい。これからは大正の御代なんだと。
 ワシはもういい年になっちまったが、オンジイのまんまで嫁も子供も何にもない暮らしに不足はない。親父も代替わりして、跡取りが大旦那になってる。
 御維新の前と後でどうかだって?そりゃ将軍様のご時世の方が良かったに決まってる。気楽だったんでね。
 さて、と。稲刈りの仕切りでもやりに行かなくちゃ。

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愛しい(いとしい)と書いて かなしい と読む

2026 APR 13 0:00:32 am by 西 牟呂雄

 万葉の時代、『愛し』を『かなし』と読んだそうな。
 嘆き悲しむの度を越して、愛する対象がモノであれヒトであれ心の底からいじらしく思うところまで行ってしまうと『かなし』となるらしい。

ファームの枝垂れ『玲』

 アッという間に散ってしまう桜なんかを愛でる気持ちなぞは、誠に『かなし』いもの、といえば腑に落ちる。
 その『かなし』が『悲しい』と共存していたのか転訛していったのか、興味深い。
 古代の大和言葉の単語数が絶対的に不足していたので、日本人は同じ発音の語をその都度使い分けていたところ、便利な漢字が入ってきたので相応しい文字を当てていったのかもしれない。だとすれば、初期の『愛し(かなし)』を当てる際にこめられた『かなし』の、なんと細やかな思い入れだろうか。
 たとえて言えば、遠い彼方で異国の兵士が戦いの中で倒れて亡くなっていくのは悲しいが、目の前の赤ん坊が必死に泣いているのは愛しい(かなしい)。 
 そう考えて似たケースを想像してみると『おそれる』なども『恐れる』『怖れる』『畏れる』と表記するが、このうち『畏れる』は際立ってヤマト的な意味の『おそれる』ではないか。神韻縹渺の清々しさの中で八百万の神々を静かに敬う、という感情は一神教のGodを『恐れ』たり絶対権力者の皇帝を『怖れ』るのとは違う。

城山山頂の染井吉野

 
 この桜の時期にやたらと神主さんや坊さんの話しを聞き、些か我が魂は清らかになったようだ。
 改装中の喜寿庵には何と神棚がしつらえてあって、いっそこの際捨ててしまおうかと思ったが、大工さん達が「それだけはヤメろ」と寄ってたかって説得され、おまけに宮司さんまで紹介されてしまい、厳かに『霊移し』と『霊鎮め』の儀をやらされた。改装工事に従って神棚を移動させ戻したからだ。一般に建築・土木の従事者は神事を貴ぶので仕方なくやった。
 そのあたりで開花宣言がなされ、満開の頃は亡母の命日で今年は十三回忌にあたる。一昨年身罷った親父は三月(みつき)遅れで三回忌だから面倒なので一遍にお経を読んでもらい、両親を懐かしんだ(オヤジは『テキトーに早めやがって』と怒っていたかもしれないが)。

菩提寺の枝垂れ

 そして今年も満開になった菩提寺の枝垂れを見て気が付いた。
 今、命あるものをいつくしみ、しみじみと思うものが『愛しい(かなしい)』で、すでに亡きモノを儚く感じるのが『悲しい』なのだ。咲いた桜は愛しく、散った桜は悲しい。

春夏秋冬不思議譚(春の桜に愕然とした日)

透き通る桜の開花

桜三態 

オマケ 可憐なカタクリ

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屋形船大川堤桜(やかたぶねおおかわばたざくら)

2026 APR 3 20:20:07 pm by 西 牟呂雄

船宿 乗り口

お花見に屋形船を仕立てて隅田川を巡る、これ一度やってみたかった。
 浅草橋から柳橋までいそいそと歩くと船宿の看板。神田川から隅田川に抜けるところです。舟遊びの伝統はお江戸の昔から現代まで綿々と続いています。途中、戦中はそれどころじゃなく、戦後の高度成長時代には水質悪化や埋め立てで消えていましたが、70年代に釣り宿が観光用に今日の屋形船を復活させました。お陰でアタシなんぞもご相伴に預かれるわけです。なんたって柳橋ですからもうチョイとはずめば幇間も呼べますし御姐さんも。ただ、芸者衆は和装のアルバイト・コンパニオンですからお勧めしませんがね。

こんな感じの船内

 池波正太郎の江戸話は、このあたりから主人公が女を連れて船宿から上がってくる描写が秀逸で、憧れたもんです。
 まだ日のあるうちに船を出せば気分はもう高尾太夫をはべらせた伊達藩主綱宗公。

君は今 駒形あたり 時鳥(ほととぎす)

神田川を下って大川に出ると上流に向かいます。
 両国橋を右に見て蔵前橋へ、さらに上って厩橋(うまやばし)、駒形橋、妻橋(あづまばし)、言問橋(ことといばし)、桜橋(さくらばし、歩行者専用のⅩ字型の橋)をくぐったあたりから桜が見えてきます。白鬚橋(しらひげばし)の手前にアンカーを打って宴会が始まりました。
 ところでこの白髭橋から勝鬨橋まで14の橋が架かっていて(僕が子供のころは築地大橋はなかった)、かつて全部言えなきゃ江戸っ子じゃねぇ、なんて言われて必死に暗記した覚えがありますが、やってみたら忘れてた。

スカイツリーと桜

 カラオケが始まります。初めは無難なオジサン・ソング(平均年齢60代後半、僕が上から二番目の72才)でしたが、途中から時期的に『桜しばり』にしようとなったものの、さくら/ 森山直太朗、桜 / コブクロ、次は桜坂 / 福山雅治、あたりで続かなくなり盛り下がってしまった。
 ビールでお刺身、熱燗に天婦羅を堪能して酔っぱらった頃に柳橋に戻ってきました。
 フラフラと船を降りると気分は池波正太郎が描く『剣客商売』の秋山小兵衛。愛人である女将のおもとに別れを告げてもう一軒行きましたとさ。

現在の柳橋

 
 

さあ開幕だ 日本ハムファイターズ

2026 MAR 28 21:21:56 pm by 西 牟呂雄

 ミラノ・コルティナもよかった。WBCも楽しめた。大相撲ものこったのこった。それに春の甲子園ね。
 だが、やはり燃えるのはこれから始まる長丁場、プロ野球の開幕である。私にとっては勝っても負けてもイライラとストレスの日々が始まる。
 ところで普通リーグ2位のAクラスはフランチャイズで開幕するのだが、まだ寒い札幌を避けてなのか我がファイターズはよりにもよってC・Sで2年連続苦杯を舐めた宿敵ホークスと博多で戦う。
 上等である。今後の戦略を立てる意味でも相手にとって不足はない。昨年耐えに耐えていた新庄監督(一昨年まではバカ・ボス、B・Bと呼んでいた)への罵詈雑言を再び再開させるのか、今年は褒め殺しにするのかを占う3連戦と位置づけた。
 心配なのはWBCでメッタ打ちされて負け投手になった伊藤が立ち直っているかどうか。この点ではノーヒットでスタメン落ちした近藤を擁するホークスとはハンデ無しと見た。更に今年は、しばらくホークスに預けていた有原を引っこ抜いたからこの点はアドバンテージになる。ひとつ上沢にぶつけてみるのも面白い。
 先発は回るか、守備は充実しているか、バントは決められるのか、清宮はチャンスで打てるのか・・・、えーいキリがない。とにかく開幕戦だ。
 ホークスは元我がエースの上沢できた。ここは有原と行きたいが、やはりこちらもエースの伊藤だ。ところが間の悪いことに僕は夜桜の花見に行って、酔っぱらって帰って来ると何じゃこりゃ。外野は全部ホークスを応援している、完全アウェーどころではない。こっちも燃えてきたぞ。
 すると試合は清宮が打つ、万波が打つ、敵は栗原が打つ、近藤が打つ、山川デブが打つ、ホームランだらけだよ。エースもクソもあったもんじゃない。ふふふ、大味な野球ならフライヤーズ以来の伝統でこっちのもんだ。
 と、途端に追加点を取られて伊東は潰れる。小久保監督も上沢からフェルナンデスに代える、やるなぁ。うわっ、水谷H・R、これで5-5。だが古林(グーリン)が1点取られ、杉山に出られて負けた。ふぅ、いい試合でした、先は長い。
 よーし、次は負けない達だ。
 おォ、きょうも打つ。野村が打つ、新外人カストロが放り込む、いい出だしだ。
 だがいくら『負けのつかない』達とはいえ打たれる時はある。あれは新庄監督のミスだよ。近藤に打たれた時点で代えるのを、ナメたのか柳田・山川まで引っ張ることはないだろう。
 8回の満塁のチャンスには、何故かド下手キャッチャー清水を代打に送りあっけなく無得点。あいつを使うなとズーッと言ってたろうが、コラ。ついでに去年は二軍暮らしのロートル福谷を不用意にマウンドに上げて山川に二日続けてH・Rとはどういうことだ。
 杉山を出されてこりゃダメとあきらめたら、そこから粘った。ここはいいんだよ。それが2点返したところで再び意味不明の出戻り西川を代打に送ってオ・シ・マ・イ。連敗とは何事か。いいゲームだったと言えなくもないが、こういう負け方は2倍堪える。夜までブログが書けなかった。
 新庄監督!明日負けたら(影の)オーナー権限を行使するからな。
 あしたは満を持して有原。いいか、毎日毎日6点取られてるんだぞ、お前は点を取られるなよ。

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猛獣使いの話

2026 MAR 20 17:17:20 pm by 西 牟呂雄

 無分別に使いちらしてみて分かった!AIが飛躍的に進化して便利になるだろうが、人間のバカさ加減や根性の悪い犯罪者が減ることはない。
 社会が進歩しようが堕落しようが、現に世界中が19世紀の帝国主義時代に勝手に逆戻りした。さすがに原爆を撃ち合う事態に陥らないのは自分も滅びてしまうからだ。
 そう考えたら何も老人のオレが必死になって新時代に追いつく必要も理由もない、それも腑に落ちた。
 AI社会に勝者はいない。AIツールを一生懸命開発したところで安住の地にたどり着くことはない。ものすごいスピードで競争者が現れて抜き去っていく。ユニコーンは生まれ続け、新たに出てくる芽はおそらく買収されることになる、そうでなければ追い落とされる。当面はGAFAMが君臨するだろう。
 我が国はそちらの稼ぎはほっといて、帝国主義に巻き込まれることなくハリネズミのように、更にガラパゴス化を進めた方がいいと思うがな。まっ、飛び出したい方はどうぞ。
 それでですね、悪党帝国が疲れ果てるのをジッ待っていながら、宝石を磨くように日本自身が輝きを増すべくセッセと練磨してりゃ、5年から10年くらいすれば向こうから寄ってくるさ。そもそも30年も失ったんだからどうってことないでしょ。ソフト・パワーで行こうぜ。
 問題は30年の間に格差が広がったことか。ところが、数字的にみると実は2000年頃までは大したことない。ジニ係数は2020年あたりから上がり始めた。つまりコロナ禍以後の話だ。
 すると時期的には円安の進行とAIの飛躍的進化に重なるのは興味深い。つまり日本はお呼びでない、と。それなのに必死に喰らいつこうとするから歪むのであって、早い話がチャイナが簒奪していった(急速に富を蓄積した)皺寄せだと解釈すれば自ずと解は見えてくる。もっと長い(50~100年)スパンで考えて見ればジタバタしても始まらない。悪党帝国同士が張り合って疲れるのを待てばいい。
 その意地の張り合いをかつては冷戦と呼んだが、今は帝国主義の時代になってしまったから核武装でもしないかぎり我が国が食い込む余地はない、とワタシは考える。

 話が飛んでしまった。元に戻すと、あまりの便利さに結論だけを聞きたがるような連中はますます自分で思考することをやめて、そのうちに考えることができなくなる。思考も思想も理論も構築することのできない脳になった人間は一体人間だろうか。
 モノも考えられない人間がキーボードをサッと叩いて結論はお任せ、これではいかにもマズい。こうして日本人(いや、人類か)が2極分化してしまっても、まぁ私のような老人は構わないのだが、多少なりとも処方箋を考えなければ今まで好き勝手にやった者としては申し訳が立たない。
 直感的に、Z世代以下の世代はAIを使うなと言ったところでジャンジャン使うだろうから、せめて中等教育ではAIを仮にに使ったにせよプロセスや結論を音読し、鉛筆でも握って紙に書き取って、口と手を刺激して脳を鍛えた方がよかろう。
 というのも、私自身手で書こうとすると簡単な漢字を忘れている時がある(年のせいとの声もあるが)。ましてや「薔薇」だの「憂鬱」だのはお手上げだ(やってみた)。これからは孫の漢字の書き取りにでも付き合わなければならん。
 
 AIは例えて言えば猛獣である。優れた猛獣使いが必要なのだ。ゾウとかライオンやトラといった危険な猛獣を使いこなすノウハウを持ったインストラクターが鍛えてこそ火の輪くぐりのような芸をさせることができる。そうなるとAIに色々な芸をさせる展示会はサーカスのショウになり、それがビジネスになるかもしれない。
 そうなるとAIによって最もダメージを受ける仕事はソフト開発のヒューマン・リソースだろう。ナラティヴは熟練が必要だがストーリーは簡単にできる。
 その頃はもうベーシック・インカムが導入されて人間は芸術を楽しみスポーツに打ち込み恋愛を謳歌して遊んで暮らせる。僕は年寄りだからボケて桃源郷にいる(生きていれば)はずだ。
 ところで「AIは猛獣」という例えを電車の中で思いついて、あまりのハマりようにニヤニヤした。かなりアブナイおっさんに見えただろうな。

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セント・トーマス

2026 MAR 14 20:20:30 pm by 西 牟呂雄

 仲良しのビブラフォン奏者、大井貴司さんのライブで聞いた「セント・トーマス」が素晴らしかった。
 まずはお聞きください。

 一発撮りだけど、皆さん百戦錬磨なのでそれなりの音が拾えています。
 バランスといい、この形式のコンボでは目下日本で一番完成してるんじゃないかな。
 この明るい曲はテナーの巨人、ソニーロリンズの作品だが、元は英国の民謡「The Lincolnshire Poacher」だという事を最近知りました。そのメロディーが流れ流れてカリブ海の英領バージン諸島のセント・トーマス島にたどり着いたときは、母親がロリンズに歌って聞かせる子守歌に変貌していたという話(その後アメリカへ移住)。
 その話を聞いてうれしくなった僕は、曲の終わりの部分を
 「〇〇ちゃん ▽▽ちゃん
 〇っちゃん ▽っちゃん オジイチャン」
 と子守歌にして孫に歌って聞かせてみたのですが、受けなかった。

モヒカン時代

 ソニー・ロリンズは御年90過ぎでまだご存命のはず。戦後すぐにデビューしてかのマイルス・デイビスと出会います。
 偉大なミュージシャンだがそこはそれ、50年代にはヘロインに手を出して薬欲しさに強盗まがいのことをしてムショ行きになりました。
 するとヘロインを断ち切るため音楽活動を停止し、ケンタッキー州レキシントンの連邦医療センターで治療プログラムを受け、その後はしばらく雲隠れしてシカゴの工場労働者になって暮らしていたようです。 
 復活はしますが、どうもこの人は定期的におかしくなるらしく、それが外圧なのか内から来るものか。50年代の終わりには一度引退してしまうのです。
 約10年後の60年代末にもインドに行った後に3年ほど活動を休止しました。
 「禅」とか「ヨガ」といった東洋趣味に傾倒し、心の安寧を保っては復活する、といったところでしょうか。
 時が過ぎて、80年代には「テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲」を書き、東京で読響をバックに演奏しています。 
 かの9・11の時、ロリンズは目と鼻の先にいて危うく被害は免れたものの危なかった。しかしながらそのわずか4日後にボストンで演奏し、MCも含めた音源は発売されてますね。
 さすがに最近の活動は聞こえてきませんが、偉大な音楽家の長寿を祈っています。

 尚、蛇足ながらセント・トーマスは福音書にも出てくるイエスの12使徒の一人で、外典ではイエスの双子とも解釈されることもある「ディディモと呼ばれるトマス」のこと。イエスが復活した話を信じなかったが現れたイエスを見て脇腹の傷を確認し、伝承によれば遠くインドまで布教に行ったことになっています。

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贋作 ジェット・ストリーム 本邦田舎(カントリー)編

2026 MAR 8 12:12:18 pm by 西 牟呂雄

ーミスターロンリーのインストロメンタルが流れるー

 またお会いできましたね
 空の旅ともなると サンダル履きとはいきませんか
 そうでもありませんよ
 今では乗り継ぎをしながら
 結構な遠方まで一っ飛びという方もいらっしゃいます
 フラリと出かけて旅を楽しむ
 目的もないまま出かけて
 リゾートで3日ほどはいかがですか

 人一倍はしゃぐのが好きで いつも酔っぱらってた
 酔えば強がって自虐ネタを披露する
 ささいなことに勝手に気がついては
 役に立ちそうもないことを思いつく
 
 そういえば昔 あの娘に惚れてたな
 そのくせ 声もかけられなかった
 一番やりたいことには
 近づきたくないと言っていた

 旅に出ると 2~3年帰ってこなかった
 どこ行ってた と聞くと
 言葉も通じないような外国だった
 さびしくはなかったのか アイツ
 

 歌ってみなさいよ
 声を出して 口ずさむ ラララ
 読んでごらん
 声を出して 音読を
 もう少しリズムに乗せれば
 それは もう 妙なる詩
 目になじめば 美しい絵
 せっかくだからステップを ワン・ツー・スリー
 ほら もうダンサー

ーエデンの東が流れるー
 いかがでしたか
 かまやつさん 小坂忠さん 江利チエミさん 鬼籍に入られました
 ところで かまやつさんのバックのフィドル
 わたしの同級生です(彼は元気です)
 と言っても今から半世紀も前

 お相手はパーサーの
 ジェット・ニシでした
 また 空の旅でお目にかかりましょう

年男(古希+2)ゲレンデに挑む

2026 MAR 1 1:01:08 am by 西 牟呂雄

 今年は滑れるのか、今年やっておかなければもう二度とできないかもしれない、万が一コケて骨折でもした日にはバカ呼ばわりされる、様々な不安と相克を乗り越えて何とか滑走する気になった。
 もはや老人であることは疑いもなく、脚力の衰えは実感している。反射神経・動体視力・持続力、視力と全てアウトの満身創痍である。昔のように、天気がいいからチョイと一滑りという訳にはいかないのだ。だが、先日劣化が進んだスノー・ブーツを破棄し、新品を買ってしまった。もう後には引けない。

 ところがゲレンデでは様相が一変していた。クアッド・リフトが1回1500円!こんなところに物価高が顕著に押し寄せているとは知らなかった。僕は4~5回流せばいい、だからつい貧乏性が出て4500円の半日券を買ってしまった。
 この日はスノボを履いた。1本目、すでにリフトを降りる時点でヨタヨタする。
 シーズン初めはいつものことだが体が滑りを思い出すまで硬くなってつっぱる。一滑りしたところで息が上がり、右足の太腿がもう痛い。。
 初心者コースをもう一本滑ったところでコーヒー・ブレイク。
 何がなんでも元を取るために後三本意地で滑って精魂尽きた。
 これではまだ成仏できない。

 某日、今度はスキーを履く。スキーは昔ながらの長く(180cm)硬いスキーと今どきのカーヴィング・スキーの2本を使いこなす。今回も半日券を買った。感覚でいうと長い方は『しならせる』ように回転し、短いのはカラカラと滑らせる。
 それが、である。目下ミラノ・コルティナのオリンピックの競技を見てしまったためどうしても(ナンチャッテ)モーグルとかポールをくぐる大回転の真似はしたくなるのですよ。そしてこのゲレンデにはそういうトライアル・ゾーンがあって、誘惑に負けた。モーグルは見ていればわかるが、ギャップのところで膝が胸に当たるくらい下半身を柔軟に使って腰の高さを一定にする必要がある。

ナンチャッテのジャンプ

 結果はご想像の通りで、モーグル・モドキはカーヴィング・スキーでコブを一つ越えた時点でコース・アウト。
 ロング・スキーで挑んだポールも1本回転してリタイア。
 すると突如天から厳かな声が低く聞こえてきた。
「無駄な抵抗は止めよ」
 

 見上げれば西の方に飛行機も飛んでいないのに不吉な雲が・・・。
 おそらく飛行機雲が残っていたのだろうが、まれに地上付近で風と風がぶつかって空気が一直線状に上昇する時に上昇帯に沿って雲ができることがある。
 この雲の不吉さは、一番高いところの雲が今にも太陽を飲み込みそうなところだ。例の『白虹日を貫く』と言うアレだ。秦の始皇帝を燕の刺客、荊軻(けいか)が暗殺に行く際、天に現れたヤツ。『風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒く 壮士一たび去りて復た還らず』の故事で知られる。また、作家の井伏鱒二が昭和11年2月25日に見たと日記に残したが、果たして翌日2・26事件が起きた。
 即ち、テロの前兆で現れるが失敗するという天の知らせとも言える。
 などと思いを巡らしつつラーメンを食べた。

あれっ

 食べ終わってどっこいしょ、あれ!なんじゃこれ。一天俄かに暗くなった。これだから山の天気は恐い。
 上まで行ってみると雪も舞っている。そうか、天の声も白虹もこれを予言したのか。やーめたっと、さて来年は・・・。

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