愛しい(いとしい)と書いて かなしい と読む
2026 APR 13 0:00:32 am by 西 牟呂雄
万葉の時代、『愛し』を『かなし』と読んだそうな。
嘆き悲しむの度を越して、愛する対象がモノであれヒトであれ心の底からいじらしく思うところまで行ってしまうと『かなし』となるらしい。
アッという間に散ってしまう桜なんかを愛でる気持ちなぞは、誠に『かなし』いもの、といえば腑に落ちる。
その『かなし』が『悲しい』と共存していたのか転訛していったのか、興味深い。
古代の大和言葉の単語数が絶対的に不足していたので、日本人は同じ発音の語をその都度使い分けていたところ、便利な漢字が入ってきたので相応しい文字を当てていったのかもしれない。だとすれば、初期の『愛し(かなし)』を当てる際にこめられた『かなし』の、なんと細やかな思い入れだろうか。
たとえて言えば、遠い彼方で異国の兵士が戦いの中で倒れて亡くなっていくのは悲しいが、目の前の赤ん坊が必死に泣いているのは愛しい(かなしい)。
そう考えて似たケースを想像してみると『おそれる』なども『恐れる』『怖れる』『畏れる』と表記するが、このうち『畏れる』は際立ってヤマト的な意味の『おそれる』ではないか。神韻縹渺の清々しさの中で八百万の神々を静かに敬う、という感情は一神教のGodを『恐れ』たり絶対権力者の皇帝を『怖れ』るのとは違う。
この桜の時期にやたらと神主さんや坊さんの話しを聞き、些か我が魂は清らかになったようだ。
改装中の喜寿庵には何と神棚がしつらえてあって、いっそこの際捨ててしまおうかと思ったが、大工さん達が「それだけはヤメろ」と寄ってたかって説得され、おまけに宮司さんまで紹介されてしまい、厳かに『霊移し』と『霊鎮め』の儀をやらされた。改装工事に従って神棚を移動させ戻したからだ。一般に建築・土木の従事者は神事を貴ぶので仕方なくやった。
そのあたりで開花宣言がなされ、満開の頃は亡母の命日で今年は十三回忌にあたる。一昨年身罷った親父は三月(みつき)遅れで三回忌だから面倒なので一遍にお経を読んでもらい、両親を懐かしんだ(オヤジは『テキトーに早めやがって』と怒っていたかもしれないが)。
そして今年も満開になった菩提寺の枝垂れを見て気が付いた。
今、命あるものをいつくしみ、しみじみと思うものが『愛しい(かなしい)』で、すでに亡きモノを儚く感じるのが『悲しい』なのだ。咲いた桜は愛しく、散った桜は悲しい。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/
をクリックして下さい。
屋形船大川堤桜(やかたぶねおおかわばたざくら)
2026 APR 3 20:20:07 pm by 西 牟呂雄
お花見に屋形船を仕立てて隅田川を巡る、これ一度やってみたかった。
浅草橋から柳橋までいそいそと歩くと船宿の看板。神田川から隅田川に抜けるところです。舟遊びの伝統はお江戸の昔から現代まで綿々と続いています。途中、戦中はそれどころじゃなく、戦後の高度成長時代には水質悪化や埋め立てで消えていましたが、70年代に釣り宿が観光用に今日の屋形船を復活させました。お陰でアタシなんぞもご相伴に預かれるわけです。なんたって柳橋ですからもうチョイとはずめば幇間も呼べますし御姐さんも。ただ、芸者衆は和装のアルバイト・コンパニオンですからお勧めしませんがね。
池波正太郎の江戸話は、このあたりから主人公が女を連れて船宿から上がってくる描写が秀逸で、憧れたもんです。
まだ日のあるうちに船を出せば気分はもう高尾太夫をはべらせた伊達藩主綱宗公。
神田川を下って大川に出ると上流に向かいます。
両国橋を右に見て蔵前橋へ、さらに上って厩橋(うまやばし)、駒形橋、妻橋(あづまばし)、言問橋(ことといばし)、桜橋(さくらばし、歩行者専用のⅩ字型の橋)をくぐったあたりから桜が見えてきます。白鬚橋(しらひげばし)の手前にアンカーを打って宴会が始まりました。
ところでこの白髭橋から勝鬨橋まで14の橋が架かっていて(僕が子供のころは築地大橋はなかった)、かつて全部言えなきゃ江戸っ子じゃねぇ、なんて言われて必死に暗記した覚えがありますが、やってみたら忘れてた。
カラオケが始まります。初めは無難なオジサン・ソング(平均年齢60代後半、僕が上から二番目の72才)でしたが、途中から時期的に『桜しばり』にしようとなったものの、さくら/ 森山直太朗、桜 / コブクロ、次は桜坂 / 福山雅治、あたりで続かなくなり盛り下がってしまった。
ビールでお刺身、熱燗に天婦羅を堪能して酔っぱらった頃に柳橋に戻ってきました。
フラフラと船を降りると気分は池波正太郎が描く『剣客商売』の秋山小兵衛。愛人である女将のおもとに別れを告げてもう一軒行きましたとさ。
さあ開幕だ 日本ハムファイターズ
2026 MAR 28 21:21:56 pm by 西 牟呂雄
ミラノ・コルティナもよかった。WBCも楽しめた。大相撲ものこったのこった。それに春の甲子園ね。
だが、やはり燃えるのはこれから始まる長丁場、プロ野球の開幕である。私にとっては勝っても負けてもイライラとストレスの日々が始まる。
ところで普通リーグ2位のAクラスはフランチャイズで開幕するのだが、まだ寒い札幌を避けてなのか我がファイターズはよりにもよってC・Sで2年連続苦杯を舐めた宿敵ホークスと博多で戦う。
上等である。今後の戦略を立てる意味でも相手にとって不足はない。昨年耐えに耐えていた新庄監督(一昨年まではバカ・ボス、B・Bと呼んでいた)への罵詈雑言を再び再開させるのか、今年は褒め殺しにするのかを占う3連戦と位置づけた。
心配なのはWBCでメッタ打ちされて負け投手になった伊藤が立ち直っているかどうか。この点ではノーヒットでスタメン落ちした近藤を擁するホークスとはハンデ無しと見た。更に今年は、しばらくホークスに預けていた有原を引っこ抜いたからこの点はアドバンテージになる。ひとつ上沢にぶつけてみるのも面白い。
先発は回るか、守備は充実しているか、バントは決められるのか、清宮はチャンスで打てるのか・・・、えーいキリがない。とにかく開幕戦だ。
ホークスは元我がエースの上沢できた。ここは有原と行きたいが、やはりこちらもエースの伊藤だ。ところが間の悪いことに僕は夜桜の花見に行って、酔っぱらって帰って来ると何じゃこりゃ。外野は全部ホークスを応援している、完全アウェーどころではない。こっちも燃えてきたぞ。
すると試合は清宮が打つ、万波が打つ、敵は栗原が打つ、近藤が打つ、山川デブが打つ、ホームランだらけだよ。エースもクソもあったもんじゃない。ふふふ、大味な野球ならフライヤーズ以来の伝統でこっちのもんだ。
と、途端に追加点を取られて伊東は潰れる。小久保監督も上沢からフェルナンデスに代える、やるなぁ。うわっ、水谷H・R、これで5-5。だが古林(グーリン)が1点取られ、杉山に出られて負けた。ふぅ、いい試合でした、先は長い。
よーし、次は負けない達だ。
おォ、きょうも打つ。野村が打つ、新外人カストロが放り込む、いい出だしだ。
だがいくら『負けのつかない』達とはいえ打たれる時はある。あれは新庄監督のミスだよ。近藤に打たれた時点で代えるのを、ナメたのか柳田・山川まで引っ張ることはないだろう。
8回の満塁のチャンスには、何故かド下手キャッチャー清水を代打に送りあっけなく無得点。あいつを使うなとズーッと言ってたろうが、コラ。ついでに去年は二軍暮らしのロートル福谷を不用意にマウンドに上げて山川に二日続けてH・Rとはどういうことだ。
杉山を出されてこりゃダメとあきらめたら、そこから粘った。ここはいいんだよ。それが2点返したところで再び意味不明の出戻り西川を代打に送ってオ・シ・マ・イ。連敗とは何事か。いいゲームだったと言えなくもないが、こういう負け方は2倍堪える。夜までブログが書けなかった。
新庄監督!明日負けたら(影の)オーナー権限を行使するからな。
あしたは満を持して有原。いいか、毎日毎日6点取られてるんだぞ、お前は点を取られるなよ。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
猛獣使いの話
2026 MAR 20 17:17:20 pm by 西 牟呂雄
無分別に使いちらしてみて分かった!AIが飛躍的に進化して便利になるだろうが、人間のバカさ加減や根性の悪い犯罪者が減ることはない。
社会が進歩しようが堕落しようが、現に世界中が19世紀の帝国主義時代に勝手に逆戻りした。さすがに原爆を撃ち合う事態に陥らないのは自分も滅びてしまうからだ。
そう考えたら何も老人のオレが必死になって新時代に追いつく必要も理由もない、それも腑に落ちた。
AI社会に勝者はいない。AIツールを一生懸命開発したところで安住の地にたどり着くことはない。ものすごいスピードで競争者が現れて抜き去っていく。ユニコーンは生まれ続け、新たに出てくる芽はおそらく買収されることになる、そうでなければ追い落とされる。当面はGAFAMが君臨するだろう。
我が国はそちらの稼ぎはほっといて、帝国主義に巻き込まれることなくハリネズミのように、更にガラパゴス化を進めた方がいいと思うがな。まっ、飛び出したい方はどうぞ。
それでですね、悪党帝国が疲れ果てるのをジッ待っていながら、宝石を磨くように日本自身が輝きを増すべくセッセと練磨してりゃ、5年から10年くらいすれば向こうから寄ってくるさ。そもそも30年も失ったんだからどうってことないでしょ。ソフト・パワーで行こうぜ。
問題は30年の間に格差が広がったことか。ところが、数字的にみると実は2000年頃までは大したことない。ジニ係数は2020年あたりから上がり始めた。つまりコロナ禍以後の話だ。
すると時期的には円安の進行とAIの飛躍的進化に重なるのは興味深い。つまり日本はお呼びでない、と。それなのに必死に喰らいつこうとするから歪むのであって、早い話がチャイナが簒奪していった(急速に富を蓄積した)皺寄せだと解釈すれば自ずと解は見えてくる。もっと長い(50~100年)スパンで考えて見ればジタバタしても始まらない。悪党帝国同士が張り合って疲れるのを待てばいい。
その意地の張り合いをかつては冷戦と呼んだが、今は帝国主義の時代になってしまったから核武装でもしないかぎり我が国が食い込む余地はない、とワタシは考える。
話が飛んでしまった。元に戻すと、あまりの便利さに結論だけを聞きたがるような連中はますます自分で思考することをやめて、そのうちに考えることができなくなる。思考も思想も理論も構築することのできない脳になった人間は一体人間だろうか。
モノも考えられない人間がキーボードをサッと叩いて結論はお任せ、これではいかにもマズい。こうして日本人(いや、人類か)が2極分化してしまっても、まぁ私のような老人は構わないのだが、多少なりとも処方箋を考えなければ今まで好き勝手にやった者としては申し訳が立たない。
直感的に、Z世代以下の世代はAIを使うなと言ったところでジャンジャン使うだろうから、せめて中等教育ではAIを仮にに使ったにせよプロセスや結論を音読し、鉛筆でも握って紙に書き取って、口と手を刺激して脳を鍛えた方がよかろう。
というのも、私自身手で書こうとすると簡単な漢字を忘れている時がある(年のせいとの声もあるが)。ましてや「薔薇」だの「憂鬱」だのはお手上げだ(やってみた)。これからは孫の漢字の書き取りにでも付き合わなければならん。
AIは例えて言えば猛獣である。優れた猛獣使いが必要なのだ。ゾウとかライオンやトラといった危険な猛獣を使いこなすノウハウを持ったインストラクターが鍛えてこそ火の輪くぐりのような芸をさせることができる。そうなるとAIに色々な芸をさせる展示会はサーカスのショウになり、それがビジネスになるかもしれない。
そうなるとAIによって最もダメージを受ける仕事はソフト開発のヒューマン・リソースだろう。ナラティヴは熟練が必要だがストーリーは簡単にできる。
その頃はもうベーシック・インカムが導入されて人間は芸術を楽しみスポーツに打ち込み恋愛を謳歌して遊んで暮らせる。僕は年寄りだからボケて桃源郷にいる(生きていれば)はずだ。
ところで「AIは猛獣」という例えを電車の中で思いついて、あまりのハマりようにニヤニヤした。かなりアブナイおっさんに見えただろうな。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
セント・トーマス
2026 MAR 14 20:20:30 pm by 西 牟呂雄
仲良しのビブラフォン奏者、大井貴司さんのライブで聞いた「セント・トーマス」が素晴らしかった。
まずはお聞きください。
一発撮りだけど、皆さん百戦錬磨なのでそれなりの音が拾えています。
バランスといい、この形式のコンボでは目下日本で一番完成してるんじゃないかな。
この明るい曲はテナーの巨人、ソニーロリンズの作品だが、元は英国の民謡「The Lincolnshire Poacher」だという事を最近知りました。そのメロディーが流れ流れてカリブ海の英領バージン諸島のセント・トーマス島にたどり着いたときは、母親がロリンズに歌って聞かせる子守歌に変貌していたという話(その後アメリカへ移住)。
その話を聞いてうれしくなった僕は、曲の終わりの部分を
「〇〇ちゃん ▽▽ちゃん
〇っちゃん ▽っちゃん オジイチャン」
と子守歌にして孫に歌って聞かせてみたのですが、受けなかった。
ソニー・ロリンズは御年90過ぎでまだご存命のはず。戦後すぐにデビューしてかのマイルス・デイビスと出会います。
偉大なミュージシャンだがそこはそれ、50年代にはヘロインに手を出して薬欲しさに強盗まがいのことをしてムショ行きになりました。
するとヘロインを断ち切るため音楽活動を停止し、ケンタッキー州レキシントンの連邦医療センターで治療プログラムを受け、その後はしばらく雲隠れしてシカゴの工場労働者になって暮らしていたようです。
復活はしますが、どうもこの人は定期的におかしくなるらしく、それが外圧なのか内から来るものか。50年代の終わりには一度引退してしまうのです。
約10年後の60年代末にもインドに行った後に3年ほど活動を休止しました。
「禅」とか「ヨガ」といった東洋趣味に傾倒し、心の安寧を保っては復活する、といったところでしょうか。
時が過ぎて、80年代には「テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲」を書き、東京で読響をバックに演奏しています。
かの9・11の時、ロリンズは目と鼻の先にいて危うく被害は免れたものの危なかった。しかしながらそのわずか4日後にボストンで演奏し、MCも含めた音源は発売されてますね。
さすがに最近の活動は聞こえてきませんが、偉大な音楽家の長寿を祈っています。
尚、蛇足ながらセント・トーマスは福音書にも出てくるイエスの12使徒の一人で、外典ではイエスの双子とも解釈されることもある「ディディモと呼ばれるトマス」のこと。イエスが復活した話を信じなかったが現れたイエスを見て脇腹の傷を確認し、伝承によれば遠くインドまで布教に行ったことになっています。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
贋作 ジェット・ストリーム 本邦田舎(カントリー)編
2026 MAR 8 12:12:18 pm by 西 牟呂雄
ーミスターロンリーのインストロメンタルが流れるー
またお会いできましたね
空の旅ともなると サンダル履きとはいきませんか
そうでもありませんよ
今では乗り継ぎをしながら
結構な遠方まで一っ飛びという方もいらっしゃいます
フラリと出かけて旅を楽しむ
目的もないまま出かけて
リゾートで3日ほどはいかがですか
人一倍はしゃぐのが好きで いつも酔っぱらってた
酔えば強がって自虐ネタを披露する
ささいなことに勝手に気がついては
役に立ちそうもないことを思いつく
そういえば昔 あの娘に惚れてたな
そのくせ 声もかけられなかった
一番やりたいことには
近づきたくないと言っていた
旅に出ると 2~3年帰ってこなかった
どこ行ってた と聞くと
言葉も通じないような外国だった
さびしくはなかったのか アイツ
歌ってみなさいよ
声を出して 口ずさむ ラララ
読んでごらん
声を出して 音読を
もう少しリズムに乗せれば
それは もう 妙なる詩
目になじめば 美しい絵
せっかくだからステップを ワン・ツー・スリー
ほら もうダンサー
ーエデンの東が流れるー
いかがでしたか
かまやつさん 小坂忠さん 江利チエミさん 鬼籍に入られました
ところで かまやつさんのバックのフィドル
わたしの同級生です(彼は元気です)
と言っても今から半世紀も前
お相手はパーサーの
ジェット・ニシでした
また 空の旅でお目にかかりましょう
年男(古希+2)ゲレンデに挑む
2026 MAR 1 1:01:08 am by 西 牟呂雄
今年は滑れるのか、今年やっておかなければもう二度とできないかもしれない、万が一コケて骨折でもした日にはバカ呼ばわりされる、様々な不安と相克を乗り越えて何とか滑走する気になった。
もはや老人であることは疑いもなく、脚力の衰えは実感している。反射神経・動体視力・持続力、視力と全てアウトの満身創痍である。昔のように、天気がいいからチョイと一滑りという訳にはいかないのだ。だが、先日劣化が進んだスノー・ブーツを破棄し、新品を買ってしまった。もう後には引けない。
ところがゲレンデでは様相が一変していた。クアッド・リフトが1回1500円!こんなところに物価高が顕著に押し寄せているとは知らなかった。僕は4~5回流せばいい、だからつい貧乏性が出て4500円の半日券を買ってしまった。
この日はスノボを履いた。1本目、すでにリフトを降りる時点でヨタヨタする。
シーズン初めはいつものことだが体が滑りを思い出すまで硬くなってつっぱる。一滑りしたところで息が上がり、右足の太腿がもう痛い。。
初心者コースをもう一本滑ったところでコーヒー・ブレイク。
何がなんでも元を取るために後三本意地で滑って精魂尽きた。
これではまだ成仏できない。
某日、今度はスキーを履く。スキーは昔ながらの長く(180cm)硬いスキーと今どきのカーヴィング・スキーの2本を使いこなす。今回も半日券を買った。感覚でいうと長い方は『しならせる』ように回転し、短いのはカラカラと滑らせる。
それが、である。目下ミラノ・コルティナのオリンピックの競技を見てしまったためどうしても(ナンチャッテ)モーグルとかポールをくぐる大回転の真似はしたくなるのですよ。そしてこのゲレンデにはそういうトライアル・ゾーンがあって、誘惑に負けた。モーグルは見ていればわかるが、ギャップのところで膝が胸に当たるくらい下半身を柔軟に使って腰の高さを一定にする必要がある。
結果はご想像の通りで、モーグル・モドキはカーヴィング・スキーでコブを一つ越えた時点でコース・アウト。
ロング・スキーで挑んだポールも1本回転してリタイア。
すると突如天から厳かな声が低く聞こえてきた。
「無駄な抵抗は止めよ」

見上げれば西の方に飛行機も飛んでいないのに不吉な雲が・・・。
おそらく飛行機雲が残っていたのだろうが、まれに地上付近で風と風がぶつかって空気が一直線状に上昇する時に上昇帯に沿って雲ができることがある。
この雲の不吉さは、一番高いところの雲が今にも太陽を飲み込みそうなところだ。例の『白虹日を貫く』と言うアレだ。秦の始皇帝を燕の刺客、荊軻(けいか)が暗殺に行く際、天に現れたヤツ。『風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒く 壮士一たび去りて復た還らず』の故事で知られる。また、作家の井伏鱒二が昭和11年2月25日に見たと日記に残したが、果たして翌日2・26事件が起きた。
即ち、テロの前兆で現れるが失敗するという天の知らせとも言える。
などと思いを巡らしつつラーメンを食べた。
食べ終わってどっこいしょ、あれ!なんじゃこれ。一天俄かに暗くなった。これだから山の天気は恐い。
上まで行ってみると雪も舞っている。そうか、天の声も白虹もこれを予言したのか。やーめたっと、さて来年は・・・。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
南蛮倭国盛衰記 旋風そして維新
2026 FEB 21 0:00:04 am by 西 牟呂雄
少年達が銛を手にして次々に小舟から飛び込む。小舟は現在のアウトリガー・カヌーで、もう岸からは見えないほど遠くに出ている。シャム湾は浅瀬が続くため湾内の潮の流れは早いが、舵取り役を残し数十人の若者は長く・深く潜り、獲物に銛を突き立てる水練をしているところだった。
やがて息が続かなくなった者から海面に飛び出してくる。早いものはやはり手ぶらだ。現在は乾季のため、チャオプラヤー川から流れ込む茶色がかった水は少なく、ここまで沖合に出れば透明度は高い。未だに潜っているのは二人ほどだがその動きは船上からも良く見えた。一人は獲物を突いて上がって来たが、もう一人はまるで魚のように泳ぎ大物を追っていた。その魚はそう早い動きではなかったものの、獲物がより深い方へと逃げて行こうとする刹那、一瞬大きく体をしならせたかと思うと重そうな銛を一閃させて仕留めた。
そのまま一抱えもある大物を手繰りながら海面から頭を突き出し「ファーッ」と息をつくと船に向かって泳ぎだした。
「お春が一番の大物か」
「またかよ。あいつはまるで魚だ」
アジ科と思われる大物を片手で船に放り上げるとザバッと乗り込んできた。
少年たちは15歳くらい、彼等は南蛮倭国の戦士となるべく訓練を受けていた。皆、頭に布を巻き付け上半身は裸で腰は褌姿、良く日に焼けている。だが、ひとり大物を仕留めた者だけは色白の地肌らしくピンク色をしていた。背は頭一つ高く手も足も逞しく太いのだが、胸元はわずかに隆起し少年のそれとは違っている、女なのだ。
名前はお春。肩で息をしながら笑って言い放った。
「お前ら。陸(おか)の上の武術も水の中の潜りもオイに勝てんじゃろう。こんままでは大船(おおぶね)の船長(ふなおさ)にはオイがなるしかなか」
「ないごて。お春なんぞ誰も嫁とりせんから大船に乗るしかなか」
少年たちはもうすぐに元服を迎え艦隊に乗り込むことになる。その際に厳格な能力審査の上、最初から役割を割り振られる。船長、舵取り、射手、帆方、漕方(こぎかた)、賄・荷方、といった具合である。
そして南蛮倭国の艦隊はシャム国王の親衛隊にも序されるため、新人はラーマ一世の閲兵を受けることになっていた。
アユタヤ王朝は既に滅び、紆余曲折を経て現在のチャクリー王朝が成立していた。それに伴い王宮をバンコクに造営し首都と定めた。南蛮倭国は内政不干渉の原則を貫き、艦隊拠点をレムチャバンに移した。ラーマ一世はその潔さにいたく感服し、親衛隊直属で海上防衛の任に当たらせることとした。言ってみればイングランドのサー・ドレイクやのような合法の海賊・傭兵である。
謁見当日、暑い日差しを浴びながら甲冑を付けた40人の新兵が4列縦隊に整列した。両側にシャム軍自慢の像部隊が控え、正面の一段と高いところにしつらえられた黄金の玉座にラーマ一世が座っていた。その前で新兵に向かって起立している親衛隊長シーゲル王子が姿勢を正して「ワイ!(タイ語で合掌の姿勢)」と号令をかけると一同が兜を脱いで脇に置き合掌の姿勢をとった。
王子は閲兵すべく中央を進み、戻ってくるとラーマ一世に向かい再び「ワイ!」の声をかけた。
式典が終わり南蛮倭国の戦士が後退する時、シーゲル王子が指揮官を呼び止めた。その美貌が印象的だったからだろう。
「待て」
指揮官はお春だった。
「ワイ!」
「お前は日本人なのか」
「チャイ・クラップ!(はい・男語)」
「少し話していけ。ついてまいれ」
実はシーゲル王子の男色はつとに知られており直属の親衛隊は大変な美少年を集めていた。ただし、男色は今日の様な捉えられ方ではなく、特に戦乱の続いたシャムにおいては戦場での結束をもたらす絆と考えられ、事実シーゲル王子の親衛隊は無類の強さで知られていた。
王子は衛兵の守る自室に招き入れるとお茶を勧めた。
「お前たちの艦隊は無敵と聞いている。お前たちのおかげで我らは陸の上の戦闘に専念できることを感謝する」
「コープクン・クラップ(そうです・男語)」
「お前の体を見てみたい」
さすがに多少動揺したようだが、次の瞬間鎧を解きだした、薄く笑みを含んでいたようだったが。そして上半身があらわになるとシーゲル王子の方が驚いた。両の胸のたくましさとやわらかいシルエットに目を奪われた。
「待て!お前は女か。なぜ男言葉を使う」
「普段より海に暮らすのに区別なし。特に我が艦隊は全員が戦士ゆえ」
「む・・・。女ともあれば余の後宮にて暮らすことも許されるが」
「おたわむれを。異民族の女戦士など。殿下なら恥辱を受けた日本人の作法はご存じのはず」
と脇差を抜き刀身に布を巻き付けると自分に向けた。王子もさすがに慌てた。
「もうよい!・・・・お前達はラーマ一世の海の親衛隊でもある。任務を果たせ」
「カオジャイレーオ・クラップ!(わかりました・男語)」
そのまま後ろずさりの礼法でさがった。シーゲル王子は興覚めし深いため息をついていた。
往時茫々、10年の歳月が過ぎた。
この時期、イギリス東インド会社は大航海時代を先行していたスペイン・ポルトガル・オランダを凌駕し、数十隻の大砲を装備した武装商船艦隊を擁して、東南アジアから清国へ進出しはじめた。なお、インドから西側はボンベイ・マリーンとして正式な海軍を持っており、まさに七つの海を支配していた時期に当たる。
この武装商船艦隊はいわゆるロイヤル・ネイビーではないものの、組織・階級・並びに士官などはほぼ同じで、強力な戦力である。当然のことながら南蛮倭国と小競り合いが起きることとなるのは時間の問題だった。
マレー半島で出会い頭での接触だったのだが、イギリス側は艦隊行動ではなくブリタニア号の単独航海だったことが災いした。南蛮倭国側は早い話が海賊だ。砲撃されるやサッサと逃げ回り、得意の夜襲で襲い掛かると瞬く間に制圧、拿捕してしまった.双方に若干の犠牲者がでた。倭国側の果敢な攻撃の船長は逞しく成長したお春であった。
死傷者が少なかったのは日本側の目的が人質と船の確保だったからである。作戦を立てたのはお春だった。
お春は既に武装商船隊の船影を目撃しており、その戦力の充実から南蛮倭国の3拠点を合わせても艦隊決戦に勝ち目はないと判断、乗っ取りを長老会に進言して了承されていた。
武装解除されたイギリス人とインド人の水夫が甲板に集められた。
以下、カタコトの英語・蘭語のチャンポンで会話が進む。お春が訪ねた。
「指揮官は誰か」
ボンベイ・マリーンの制服を身に着けた細身の士官が一歩進んだ。
「私だ」
「名前は」
「コマンダー・ウィリアム・アダムス(アダムス少佐)。あなたは」
「お春ジェロニマ」
言うなり兜を脱いだ。
アダムス少佐の顔色が変わった。その名前と美貌に驚いたのだ。
「あなたが有名な『Jager of hurdle(困難な豹)』か」
Jager of hurdle とは東インド会社が手を焼いていた南蛮倭国の船長(ふなおさ)の呼称で、鮮やかな操船と果敢な戦闘で恐れられていた。だがイギリス東インド会社もジャワのオランダもまさか女とは誰も知らなかった。
「その通り。コマンダー・アダムス。あなた達は人質となった。手荒な真似はしない。あなたがたと交渉したい」
「何の交渉か」
「あなた方の身代金と命の引き換えにこの船をいただく」
「私に権限はない」
「権限のある者に取り次いで欲しい」
「どうやって取り次ぐのか」
ここでお春はカラカラと笑った。
「この船で行く」
「なに!」
「わたしの指揮の元で我々とあなた方で操船する」
「ボンベイで無事ですむと思うのか」
「私は全権をもって交渉を任されている。われら南蛮倭国はこの船を買い、河内(ハノイ)呂宋(ルソン)と協力し東インド会社の商船を護衛する。ボンベイ・マリーンはその武力をインドおよびその西側に集中させるがよかろう。東インド会社への海賊行為もしない。あなた方はカンパニーだろう。損得を考えるはずだ」
アダムスは言葉を失った。
ボンベイの港に姿を現した武装商船には東インド会社のフラッグとともに南蛮倭国の旭日旗が掲げられている。そして初めて見る兜に甲冑のサムライが甲板に整列している様を見て、イギリス人もインド人も目を見張るのだった。
『Jager of hurdle(ジャガー・オブ・ハードゥㇽ)』即ち、後に『じゃがたらお春』として日本に知られることになる伝説の女海賊が誕生した日である。
彼女が指揮を執る船は右舷に『Jager of hurdle』左舷に『じゃがたらお春』と表記され、旭日旗とユニオンジャックを掲げていた。いつもの癖で舳先で水平線をみるお春の背後には金髪を風になびかせるアダムス少佐の姿があった。
お春が振り返るとアダムスと目が合う。アダムスが聞いた。
「フナオサ(船長)どちらに舵をとるおつもりか」
「我らに行先などない。ただ漂い、打ち壊し、奪うばかり」
「そのあとは」
「生き延びることができたら・・・そうだな、ウィリアム。お前の生まれたエゲレスにでもいってみるか」
「それは・・・、あの暗い天気はフナオサに似合わない」
「ではお前たちバテレンが忌み嫌う”地獄”の入り口まで航海するか」
「滅相もない」
「フハハハハハ、どこでもよい。お前はついてまいれ」
振り向いて言うが早いか、見上げるようなアダムスの首周りにタックルをかけた。アダムスは副長として『Jager of hurdle』に乗り込み、お春の影のように寄り添っていた。二人は笑いながら転げまわり、甲板のファーネスに引っかかると互いを見つめ合っていた。ちょうど水平線に夕日が落ちていった。
慶応元年、神戸海軍操練所が閉鎖され無聊を囲っていた坂本龍馬が西郷隆盛に誘われて鹿児島を訪問した。
西郷家に逗留すると早速西郷が誘った。
「あすは枕崎まで行きもんそ」
「そこはどこぜよ」
「みせたいもんがあいもす」
鹿児島から枕崎まで一日がかりである。粗末な旅籠に宿を取ると先客があった。
「せごドン、お待ち申し上げておりました」
「おお、お久しぶり。こん者が海軍を作ろうち奔走しちょる坂本君ごわす」
「尊王の志高き志士としてご高名は存じ奉り候。海軍伝習所が閉鎖されお困りと聞いておりもす」
「おんしは誰がじゃ。勝先生を知っとるがですか」
「拙者は蛇潟老春(じゃがた・らおはる)。勝なる方は幕臣ゆえに我らは面識はなか。ですが我らは坂本さあのやりたがっちょう海軍を持っちょいもす」
薩摩訛りだった。
「なに!かいぐん!」
西郷が遮った。
「蛇潟ドンはオイが島に流されていた時分に世話にないもうした。シャムを拠点に艦隊を率い、河内(はのい)、呂宋(るそん)にいる日本人の子孫たちと力を合わせて海軍を持っちょいもす。無論戦闘においてメリケン・エゲレスといった国の海軍に一歩も引けはといもはん」
「日本人ならエゲレスが薩摩と戦になった時はなんで助けんかったがじゃ」
蛇潟がゆっくりと言った。
「あいはボンベイ・マリーンの船ごわす。オイたちゃその指揮下ではあいもはん。それにご存じないじゃろが、あいはすべて空砲でごわした。要するに幕府に対する見せかけ」
西郷も続ける。
「おいたちはもうエゲレスには話をつけておりもした。後は幕府が困るように仕向けた芝居」
南蛮倭国はオランダ軍を退けた後、一時的にヨーロッパが革命騒ぎで東洋進出が小康状態になった時点で周辺の制海権を握った。そして幕府が鎖国政策を取ったことを逆手にとって交易を発展させた。なに、交易といえば聞こえはいいが、実態は密貿易と海賊行為である。それによって莫大な富を蓄えたのだが、日系3国は内陸での帝国経営には一向に興味を示さず海洋独立国家であり続け、3拠点の総称である南蛮倭国が定着したのだ。
一つには現地人との宗教観が違いすぎて通婚がほとんど進まず、また日本から受け入れられる女の数も限られるため人口は増えるわけではない。第一、暴れまわるのが生業なので陸の領土を広げて帝国を経営するノウハウも資質もない連中だったからである。
時代は進み、ヨーロッパから産業革命が起こった。
資本はダイナミックに躍動し動力革命・軍事革命を牽引する。勢いのついたヨーロッパは海洋を制覇し、アフリカ・アジアの分捕りあいが時代の趨勢となり、英国がその覇権を握りつつあった。
イギリスはインドを飲み込み、清国を侵食し始める。その際に南蛮倭国と歴史的な接触があった。そして倭国勢は伝説の女海賊お春(じゃがたらお春)に率いられイギリス海洋進出の一翼を担ったのは前述の通り。
その操船能力と戦闘技術の高さは大英帝国をしてもなお魅力的だった上、そもそも領土的野心はない。更に異常ともいえる識字率の高さ、同調圧力、好奇心、義侠心とアジアの国にあっては極めて特殊な連中だったのだ。また周辺国は非常に恐れ、実際に戦闘が起きると無類の強さだったため、英国も薄気味悪がって懐柔しようとしたのだった。
倭国艦隊は英国商船を保護しつつ南シナ海から沖縄・薩摩まで自由自在に(時に)暴れまわった。
おまけに新技術に対するチューン・アップは日本人のお手の物であり、動力を学び大艦に砲を載せ反射炉で製鉄までした。元々日本は鉄砲大国でもあったため武装艦隊は手が付けられない存在になりおおせていたのである。
時は流れ、ペリー艦隊が日本に砲艦外交を展開したことも南蛮倭国は知っていた。しかし幕府の開港後も政治に巻き込まれるつもりはなく、英国の先兵に甘んじていた。ところが密貿易のパートナーである薩摩が急速に政治の表舞台に出たことによりそうも言っていられなくなったのだ。
倭国は長年の友好関係と島役人への多額の賄賂によって沖縄ー枕崎ルートは庭も同然、そこで沖永良部に流されていた西郷を物心両面で支え、その復帰後も影に日向にサポートしていた。西郷が龍馬に蛇潟老春を引き合わせたのはその時と縁のなせる運命だった。尚、南蛮倭国の日本人が交流したのは密貿易相手の薩摩藩のみだったので今では老春たちは京言葉も江戸言葉も喋れず薩摩弁が標準語だった。
「坂本さあは今更海軍などつくらんと、おいたちにまかせておればよか」
「なにい!」
「おいたちは海禁をした幕府とは相いれもはん。しかも幕府はフランスに肩入れしちょいもす。おいたちは一度義を交わせば必ず守る」
「西郷さん、ホントか」
「相違御座らん」
「むむッ・・・。手の込んだ仕掛けは西郷さんの絵図かの。ほいじゃあわしはなんをすればいいがじゃ」
「かんぱにーをつくられればよか」
「かんぱにーじゃと」
西郷が引き取って言った。
「坂本さあ、こん老春どんとおいたち薩摩が金を出す。坂本さあはそいを預かり日本と世界を相手に大あきないをすればよか。海からの援護でごわす」
「海からの。そうか!海援隊じゃあ」
その後の維新回天の歴史は読者のよく知るところである。
維新後の倭国海上勢力は2つに分かれて存続した。簡単に言えば龍馬派と西郷派に分類され、龍馬派は岩崎弥太郎率いる九十九商会の商船グループ、即ち今日の日本郵船の礎である。それに対して西郷派はのちの帝国海軍に吸収されていく。帝国陸軍が長州系なのに対し、薩の海軍と言われたのはこのグループのことを指す。倭国の日本語は全員薩摩弁だった。
現地の日本人ソサエティは戦前まで国家の体裁は取らなかったが存続し、タイ(バンコク)・河内(ハノイ)・呂宋(マニラ)はそれぞれ日本軍に協力していた。ところが負けてしまったためさすがに居心地が悪くなり300年近く住み慣れた土地を離れた。タイからはインドネシアに移住し、戦後の独立戦争に参加した後はジャワ島の山地にいるらしい。ハノイは台湾の花蓮(ファーレン)に住み着き密かに存続し高砂族の一派に溶け込んでいる。この一派は強力な民進党支持者だと言われている。マニラの連中は戦中に山下兵団とともに北上し、バギオに潜伏した。その後、密かに山下財宝とも称される金塊を山中に隠し持ってフィリピンの世論を裏から操っているという噂が絶えない。
上記3か国の親日ぶりの遠因ではないだろうか。
尚、今日の歴史研究では南蛮のニシーム・ローザエモンと河内(ハノイ)の室西僧正、呂宋(ルソン)のアントニオ・オエスタは同一人物と考えられている。蛇潟老春は言うまでもなく英国人アダムス少佐とジャガタラお春の子孫であった。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
南蛮倭国盛衰記 シャム湾海戦から鎖国へ
2026 FEB 15 0:00:16 am by 西 牟呂雄
1630年、和暦では寛永七年、メナム川河口にある南蛮倭国の長老会トップであったヤーマ・ナーマサが死去した。壮大な葬儀にはタイのアユタヤ王朝・ベトナムのフエ王国・バタビアのオランダ東インド会社総督といった近隣の国家から弔問の特使が参列した。式典は神道式で神官の短い祝詞が日本語であげられた。
南蛮倭国は人口約1万人、誠に奇妙な都市国家である。成人男子は全て武士で構成され、ごく少数の両替商と大工がおり、両替商は日本からの銀の交易を手掛け、大工は船大工だった。要するに傭兵集団が独立した海洋国家で、かつては倭寇と呼ばれた日本人達なのである。それでも長老会という議決機関を頂き大将を選任しそれなりの国家の体裁を整えてはいた。
世界史に類似例を求めると、ヴェネツイアやマルタ共和国が近い。ただ、この集団の場合は領土的野心も通商概念もほとんどない不思議な国家だった。
これ以外にも同じような日本人軍事国家がヴェトナム北部の河内倭国(河内は現地語でハノイ。はのいわこく)とフィリピンの切支丹呂宋倭国(きりしたんるそんやまとこく)の二つがあった。
このうち前者は公用語である漢文(当時のヴェトナム王朝は漢文を公文書とした)との親和性が高く、また僧兵崩れが多かったせいで兵士全員は僧衣を纏った仏教国の体裁だ。
一方後者は大阪夏の陣で敗れた浪人達を吸収して成立したキリスト教国で、成立当初の中心人物がキリシタン大名の高山右近だったからである。そして当時の現地を支配していたのはカソリックのスペインだったので、キリシタンであることは都合のよい隠れ蓑となったのだった。
三国は巨大ガレオン式帆船である大安宅船を数隻所有し周辺の制海権を握っていた。そういえば聞こえはいいが、普段日常的にやっていることは海賊である。
時は大航海時代。やや遅れて東洋に進出したオランダ東インド会社は、ジャワ島を拠点に先行したポルトガル・スペインを追うように勢力拡張を図っていた。当初は香辛料の交易のみだったが、バタビア(ジャカルタ)に要塞を築き現地勢力を懐柔するなどして次第に植民地経営を強化していた。
タイ・およびマラッカの諸国はこれを警戒し、南蛮倭国に海上防御を要請。ヤーマ・ナーマサの後に長老会の評議により大将に選出されたニシーム・ローザエモンはこれを受け、シャム湾を往来するオランダの帆船を片っ端から襲いだした。要するに本性をむき出しにして暴れまわったのだ。
これに怒ったオランダは大砲を積載した艦隊に正規兵千人と現地兵千人を乗せてシャム湾を威嚇封鎖した、一触即発の艦隊行動だった。
ニシーム大将は長老会を招集して言った。
「ジャガタラの紅毛人ども、ついに我らがシャムを脅かさんとす、我等はアユタヤのプラサートトン様の要請によりこれを撃滅せん」
おおっぴらに思う存分暴れられるのだ、戦士達は奮い立つ。既にヴェトナムの河内国とフィリピンの呂宋国の日系二国に応援を要請してある。二国といってもやっていることもその生業も同じで、総称としては南蛮倭国と言って差し支えないだろう。
河内(ハノイ)の最高指導者の僧侶である建僧都室西(たけるそうずしっさい)、通称室西僧正(しっさいそうじょう)は謎めいた人物で滅多に人前に姿を現さない。年に数回大きな会葬に出てきては良く通る声で一喝していた。
呂宋では現在アントニオ・オエステと名乗る日本人がリーダーとなっていた。アントニオは日本語を話すが、自分はキリストの生まれ変わり、などと胡散臭いことを言い募る怪しげなことこの上ない人物なのだが、用兵は巧で個別海戦には滅法強かった。
シャム湾に大型帆船のオランダ艦隊が姿を現した。潰すべきは南蛮倭国の本拠地で現在のバンコクだ。浅瀬の湾口を包囲するような布陣から自慢の大砲を撃ち始めた。陸上をかき乱した後上陸する作戦である。
ローザエモンは不敵に笑った。
「紅毛人ども、わざわざ波頭を超えて鮫のエサになりに来おって。望み通り切り刻んでやれ」
その頃艦隊後方から大安宅船の艦隊が北上してくるのが見えた。戦闘前に沖合で待機していた南蛮倭国の船である。
するとこのまま割って入られ陸との挟み撃ちにされるのを避けるため、オランダ艦隊はいったん上陸を諦め回避行動を取った。そして現在のカンボジア方面を目指しパッタヤー半島を回ったところに停泊した。何故か追って来るはずの南蛮倭国の艦隊は半島の反対側あたりで追撃をやめていたのだった。
真っ赤な夕日が落ち闇に覆われると、その漆黒の夜半に大安宅船から手漕ぎ小型舟が十数隻ほどヒタヒタと半島を回って行く。得意の夜襲である。
ヨーロッパでの戦闘は通常ヌーンデイ・タイムに行われるものだったのだが南蛮倭国は知ったこっちゃない。大安宅船による追撃は申し訳程度で、日没後を待っていたのだ。
音もなく寄せると直上に向けて火矢を放ち、手鉤縄を船側に絡ませては次々と乗りこみ全員無言のまま抜刀する。撃ち込まれた火矢に気づいたオランダ兵の当直が大声をだそうとするのを一瞬で切り捨てた。帆にも放火する。
騒ぎが大きくなり甲板に兵士が上がって来て白兵戦になった。倭国兵は全員夜目が利く上に日本刀はこういった乱戦では無類の殺傷能力を持っている。縦横無尽に暴れまわると各々衣服を脱ぎ捨て褌に大刀をぶち込んで次々と海面に飛び込んだ。
見ればオランダ船は数隻に火の手が上がりパニックに陥っていた。
結局、消火できなかった3隻を放棄し、他のオランダ軍は艦隊行動をとることなくバタビアに引き上げていった。南蛮倭国の完勝である。
これよりオランダ東インド会社は倭国と友好条約を結ぶ。オランダ船の安全航行を保証するために金をふんだくるという一方的な条約で、同時に南蛮、河内、呂宋の日系3国家に適用された。とりあえずオランダは南シナ海を北上する航路を確保し台湾・日本のルートを抑えることとなった。
激震が走る。寛永十年(1633年)、江戸幕府はポルトガルとの断交とキリスト教禁教のために鎖国令を出した。海外からは自由に帰国することが叶わなくなったのだ。さすがに動揺が走った。今のうちに何とか故郷に帰りたいと言いだす者、故郷のメシが食いたいと言う者、こんな暑いところはもういやだと泣き出す者までいた。
しかし今更日本に帰ってもすることないから構わない、と開き直る者の方が多かった。なんとなればこの荒くれ者たちはほぼ全員が土地も家族も持っていなかったのである。
ローザエモンは長老会を招集した。
「海禁令が出て何やら騒がしいが、お江戸の将軍様も今や三代目じゃ。余程キリシタンとポルト(ポルトガルをこう呼びならわしていた。オランダはホランド)がお嫌いと見える。ホランドの奴らめ丸儲けじゃの」
「我らは今後いかようになりましょうや」
「まあ、しばらくは様子見よ。帰ったところで誰が迎えてくれる。ホランドは長崎で交易が認められる。ということは裏で舌なめずりしている大名がウヨウヨしているに相違ない」
「ローザエモン様、それはいづこの国や」
「まあ待て。関が原で裏目に出たやつらに決まっておろう。交易の旨味を知り尽くしているところよ。ワシは河内(ハノイ)の室西僧正と呂宋のアントニオに話しに行く」
「よろしくお頼み申し上げまする」
僧形の一行が密かに薩摩の坊津に上陸した。一人だけ頭を丸めているが、他の者は僧形ではあるが全員背中まで伸ばした髪を結ぶこともなく風になびかせている異形だった。
浜で待ち構えていた薩摩藩の役人達に向かいこう告げた。
「河内(はのい)の建僧都室西(たけるそうずしっさい)である。薩摩の太守、島津家久公にお目通り願いたい」
「こころえて候。まずは長旅の疲れ癒されたく」
「あいわかった」
扱いは大名並みの待遇だった。だが、薩摩側の心づくしの接待にも室西以外のものは終始無言。また室西の受け答えも型通りに終始し、宴席は盛り上がらない。だがこの連中、酒は一人一升以上飲んだ。
翌日、薩摩側は駕籠を用意していたが室西はこれを丁寧に断り徒歩で鹿児島に向かった。仕方なく駕籠には土産物を載せて移動したのはご愛敬であるが、南国由来の色鮮やかな珊瑚、めずらしい象牙の装飾品などとかなりの重量で、駕籠かきは苦労していた。
表立っての訪問ではないためか、鹿児島に到着した後しばらくは城下に留め置かれ数日を過ごした。鶴丸城は関ケ原後の築城だが、全く防御を想定していない不思議な構造で、天守のような建築物はない。誠に薩摩らしいといえば薩摩振りの武骨な城である。
数日後、島津家久との会見が成った。面を上げよ、の声とともに端座した室西の眼光に家久はいささか違和感を感じた。やや赤みがかっている。
「お目通りかない恐悦至極に拝し奉りまする。ご機嫌麗しゅう」
「苦しゅうない。此度の来薩、誠に喜ばしい。南方の暮らし向きつつがなきや」
「常夏にて、至極」
「して、件の話に相違はござらぬな」
海禁政策により幕府直轄領である長崎の出島でのみオランダが交易できる新体制になったのだが、倭国勢も島津家もオランダに一人儲けさせるつもりなどサラサラなかった。南蛮倭国は自慢のガレオン船も新たに進水させ自ら密貿易に乗り出し、相手として狙いを定めたのは薩摩と東北の伊達藩だった。オランダ船から荷物を強制的に抜いては売り捌き、代わりに物資・銀を調達、更には人材をスカウトする目論見である。
薩摩側も琉球を勢力下に置くことで密貿易の味は知っていたし、伊達藩も遠く支倉をローマに派遣したりと海外展開をすすめていたので、両藩とも渡りに船だったのだ。
その頃の東南アジアでは、フィリピンを支配していたスペインは国王フェリペ二世の死去による混乱の中にあり、徐々に勢いを増した英国がインドから虎視眈々と中国大陸を狙うという状況で、海上の勢力が変わりつつあった。ところが日系の三倭国の評判があまりに悪く、日本人とは下手にちょっかいを出して暴れられると面倒な奴ら、との認識が広まったお陰で矛先は日本に向かなかったのであった。
話は終わり、御酒くだされ、の宴席となった。家久は上機嫌で一献下げ渡すと言った。
「室西殿、我が薩摩は勇武をもって聞こえた国柄。河内(はのい)の武芸者も腕が立つであろう。軽く手合わせはどうじゃ」
「我らの得物は鉄砲にて」
「ふはは、供の者たちの金剛杖は仕込みであろう」
「これは。座興でござりましょうや」
「そうよ。座興も座興。狂乃介、これへ」
一座の末席に端坐していた屈強そうな若者が呼ばれた。室西はその若者を見据えると傍らの小柄な僧侶を即した。二人は庭先にて名乗りを上げた。
「示現流、立花狂乃介」
ごつく太い樫の木刀を持っている。
「大悟坊峻海」
右手で金剛杖を地に突き立てた。
両者は後ずさりした。狂乃介は「チェース」と猿叫の気合を発して切先を天高くつきだすトンボの構えに入るや「きゃー!」と突進した。俊海は自然体。次の刹那、大地を割らんばかりに振り下ろされた木刀が地面にめり込んだ。俊海の体は毬のように転がり狂乃介の背後にスッと立ち上がる。体制を立て直した狂乃介の眼前に金剛杖が突き付けられていた。
「そこまで!」
声を発したのは室西であった。
「さすがはお留流。われらの杖では受けること敵わず。太刀筋をかわすしかできませなんだ。更に戦えば大悟坊は真っ二つ必定、呵々」
「薬丸示顕流、飛田隼人!」
コケにされたかといきり立つ次の若者が名乗りを上げる。だが今度は家久が言った。
「下がれ、隼人!盛んなるかな薩摩武士。こいは戦場ではなか。座興でごわ」
薩摩弁が飛び出したので一同静まった。
以後、坊津は密貿易の港としてオランダ船や明船、更には朝鮮の交易も含めて大いに賑わうのであった。
然しながら流石に大っぴらにやりすぎて、享保八年幕府による手入れが強行され、薩摩藩は大いに面目を失った。俗に言う『唐物崩れ』である。
だが、元々アウトローの寄せ集めの倭国側は痛くもかゆくもないとばかりに、枕崎にその拠点を移し幕末まで密貿易に励み続けるのである。
余談ながら伊達藩に密貿易を持ち掛けたのは呂宋のアントニオ・オエステ率いる船団で、伊達藩士である支倉常長が洗礼を受けたことを知っていたからであった(禁教令によって失意のうちに仙台で没した)。更に伊達政宗の長女で一度は徳川家康の六男・松平忠輝と婚姻した五郎八(いろは)姫がキリシタンであったので、その知己を得られたのである。
現在の石巻港においてしばらくは盛んに密貿易をしたのだが、五郎八姫の没後に幕府の詮索を恐れた伊達藩によりこのルートは廃れた。
更に余談であるが、密貿易船で南蛮倭国に渡ったのは物資や銀だけではない。酌婦・遊女の類も大勢やって来た。 のちの世に言われる「身売り」のような暗い話ではない。この苦しい生活を捨てて新天地に羽ばたくような気概の、多少危ない女達が海を越えてやってきた。一方で南蛮倭国の方も、ただでさえ内部でも無用の小競り合いが絶えない荒くれ者共を慰撫するためにもそれを必要としたが、統制が取れなくならないよう人数は厳しく制限した。
かくて日本人の純血は続いたのである。
つづく
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
がんばれ!スマイル・ジャパン奮戦記(ミラノ・コルテイナ)
2026 FEB 7 22:22:53 pm by 西 牟呂雄
目まぐるしく入れ替わる攻守、激しいコンタクト。4年に一度の楽しみである氷上のフィーメル・レオパード、女子アイス・ホッケーのオリンピックが始まった。ソチでは一つも勝てなかったが、回を追うたびに強くなってきた美しき可憐な選手たちの健闘を祈ります。
特に注目しているのはスウェーデンのチームで活動しているハロラン麗選手。かわいらしいこけし人形のような顔立ちのゴール・キーパー。経歴は良く知りませんが、中学からアメリカで育ち170cmの長身が期待できます。
僕はどういう訳かゴール・キーパーのユニフォーム姿が好きで、あのヘルメット姿と重装備のコスチュームをみるとやたらとワクワクします。一度キーパー目線の動画を見ましたが、パックがうなりを上げて飛んでくるのは恐いですよ。
ゴール・シーンはもつれるとゴチャゴチャになって良く見えないのですが、あの塊の中での攻防は迫力満点、ガンダムみたい。
女子アイス・ホッケーは競技人口が少ないので半数の12人が北京を経験しています。ベテランとのバランスがいい。
その中には姉妹プレイヤーが何組かいます。今回注目は新たに代表入りした双子の野呂姉妹。なかなかワイルドな表情が魅力です。二人ともFWなので息の合ったオフェンスが期待できますね。
そして床(とこ)姉妹として活躍していた亜矢可(DF)秦留可(FW)コンビ。お姉さんは結婚されて人里さんになっています。葵(DF)紅音(FW)の志賀姉妹も健在。この四人とハロラン選手はスウェーデンでプレーしています。日本の女性もMLBほど有名ではないものの、世界で活躍していて頼もしい。
さて、6日の初戦はフランス、去年から3連勝中だ。
第一ピリオド、やや押し気味に攻撃するものの敵も守りは固い。何しろフランスの選手はデカいのだ。190cmなんてのもいる。フォワードは動きがいいのだが、パスがイマイチ通らないなぁ。
第二ピリオド、勢いがついて次々にシュートを打つが跳ね返される。うーん。
だが残り2分のところで浮田がゴールを決めた!だが後が悪い、油断としか言いようのないディフェンスの戻りの悪さを突かれて同点にされた。
最終ピリオド、気合を入れろ。直後にパワー・プレイがあったがダメだった。
怒涛の攻撃が続く、床秦留可選手がいい。アッ、伊藤がゴーール!
後3分、フランスがGKを上げてきたところでカウンターが入った。2点差になった。
ところがそこでペナルティーがあって一人ボックス入りになる。途端に返されて冷や汗だよ。フーッ、何とかしのいで勝ちを拾った。
次はドイツ。デカいんだまたこれが。わぁ、44秒でいきなり得点されたぞ。
おまけにドイツの選手の早いこと早いこと。こっちはフォワードのゴール前の集まりが悪い。
そしてペナルティー2回、押された格好でもう2点を許してしまった。日本もシュートは打っているのだが入らない。
第二ピリオド。日本はGKを増原から川口に代えた。
ドイツのデカ女のコンタクトは、女子では反則のボディ・チェックじゃないかと思えるほど激しい。怒涛の攻撃が続き、また失点につながった。
ところが残り5分あたりで突如スマイルの動きが良くなって相手のペナルティが出た。そしてパワー・プレイになるとたて続けに2点を返す。いいぞいいぞ。志賀紅音選手の動きが実にいい。5-3。
最終ピリオドに意地を見せろ。
オォ!互角に渡り合っているじゃないか、押せ!押せ!押せ!うーんんん。追いつけない、負けた。
返すがえすも立ち上がりの失点がまずかった。
まだまだ来週にイタリア戦・スウェーデン戦があるぞ。気合を入れていけ、がんばれ!スマイル・ジャパン。
「ソナー・メンバーズ・クラブのHPは ソナー・メンバーズ・クラブ
をクリックして下さい。」
















