Sonar Members Club No.36

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如来(にょらい)考

2024 OCT 6 21:21:15 pm by 西 牟呂雄

 ウチは浄土真宗で、菩提寺は現在の場所に来たのは遥か後だが鎌倉時代の創建と伝わる。住職は代々『大江』さんと言って鎌倉幕府高官の大江広元の末裔である。
 本堂に鎮座するは阿弥陀如来像で、仏事のお経を聞いている時などにしげしげと見上げているが、なかなかありがたい。阿弥陀様は西方浄土の一尊、如来はサンスクリットのタターガタの漢訳で、この上もなく尊いという意味の呼称である。
 この『如来』という文字をジッと見つめていて心に浮かんだことがある。漢訳は当て字なんだろうが、読み下してみると『来るが如し』。
 形而上の教えはあくまで概念だから現実には起こりえない。だから信用できない、となってしまえば宗教は成り立たない。理論構造を実証できないがゆえに先に進めない、となると現代人の大半はとてもじゃないけど受け入れられなくなる。
 そうはいっても形而上としての心の支えが全くなければ人間には耐えられないことが多すぎる。例えば誰にも必ず訪れる死。いかなる合理的な知性でも簡単に腹落ちする解なぞない。宗教を否定した共産党独裁国家でも宗教が根絶やしになることはなかった。

 しかし生き延びるためには各宗派は凄まじいエネルギーを内部の改革に費やしている。 
 キリスト教は信仰を維持するために、まるで生物が細胞分裂やウィルスから回復するように宗派同士で血を流しあい洗練されてきたかに見える。
 イスラムでは今日ですらシーア派VSスンニ派、他宗教への攻撃と激しい対立はなくならない。ISの戦闘は記憶に新しい。
 ところが日本では多くの仏教宗派を生み出したが、宗門同士での相手の潰し合いのような対立は少なく、明らかに宗教戦争めいたものは物部VS蘇我の丁未の乱と島原の乱くらいだろうか。日本仏教の武装闘争である一向一揆や石山合戦はむしろ権力者と対峙したもので、それはそれで歴史上の自立作用かとも思われるが宗派対立ではない。つまり貴族の仏教(天台・真言・南都仏教)が武士の仏教(禅宗)になり庶民の仏教(浄土・浄土真宗)になるほど仏教が浸透し、その庶民が権力に対峙するほど豊かになった社会的構造変化だろう。しかも最後まで戦った相手は無神論者の信長であった。
 仏教が日本的に変化したところで、宗教戦争に至らなかったのは論争の際にご本尊を『如来 来る如し』としたために、まあそういうことにしておかないと先に進まない、ゴトクということで話を続けると、とやったためではなかろうか。仮説というか思い付きだが。
 当て字の『如来』に意味を込めたかどうか知らないが、そういうことにしてしまったとしたら日本人はうまいことやった。ナンチャッテ、博識の方、ご教示願えますか。ぜんぜん関係ないが『極道』も本来『道を極める』という意味だが今日の口語では全く違った使われ方だ。
 私の主催する『滋養教』もこれから『滋養如来』としようか。アッ、でも神道系だったよな。

 まじめなお坊様、思い付きですので怒らないでください。

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見えてきたディープ・ステートの正体

2024 SEP 28 17:17:48 pm by 西 牟呂雄

 これはある国における分断の真相に迫るレポートである。
 その国は豊かで民主的で常に世界の最先端を行く技術をも持つ。更に他の追随を許さない強大な軍事力も持っている。しかしながら大変若い多民族国家だ。生み出される多様な文化はそのまま世界に伝播して大きな影響を与え続けている。
 一方でこの国はいかにも拙速かつ独善的であり、しばしば洗練されていないむき出しの力の外交で世界を混乱に招く。重層的な異文化を理解しようともせずに、自分たちのデモクラシーを押し付けたがる単純さがある。
 そのくせ自国内にも複雑な分断と乖離を内包していて、人種・格差・宗教と対立のネタは枚挙に暇がない。そしてしばしば銃撃事件だのテロだの犯罪に見舞われている。この国はその成り立ちから矛盾の塊なのだ。
 切り口を政治的に分析すると、陰謀論的なダーク・サイドと一見単純なカウ・ボーイが常に緊張関係を孕んでいる。
 折しも太政大臣の選挙がある。
 軍産複合体と巨大官僚機構に押された針巣氏は、脳梅毒の症状が顕著になった梅田太政大臣の後任として名乗りを上げた。実は対抗馬の都乱府氏の陣営が銃撃事件をゴルゴ13に依頼し、見事に耳だけをかすめるという抜群の演出が大当たりしたせいで梅田では到底勝てないため、焦った軍産複合体を中心とした勢力が候補者を代えたのだった。勿論フェイク銃撃の犯人にはダミーを仕立てて殺させた。 
 この作戦は見事に当たり、針巣の支持は都乱府に肉薄してきた。そして両者が直接対峙する形での公開プロレスでは、もちろん引き分けのシナリオではあるものの、針巣の必殺技アイアン・コブラ・ヘッド(どんな技か不明)を数発喰らって都乱府の受け身の下手さが露呈してしまった。
 焦った都乱府側は、夢よもう一度とばかりに暗殺未遂を仕掛けたが、ゴルゴ13は今回のギャラに20億ドルを要望したので契約は成立せず、素人を使い未遂にもならないで失敗した。
 ついでながら、同盟国である大和国の企業である一本製鉄がこの国の優越製鉄を買収しようとしている。双方ウィンーウィンの買収内容だが、組合員の票欲しさに両候補とも反対のフリをして見せた。どうせ後で理屈をつけて賛成するのはミエミエで、最近のその国の政治判断の幼稚さを物語っている。
 この国のディープ・ステートは明らかにリベラル・グローバリストの仮面を被って身を潜めているつもりだが、他方で力の行使にはあまり躊躇しない。従ってネオコンとの親和性も高い。ネオコンはネオコンで党派には関係なく使いやすい太政大臣ならば分け隔てなくスリ寄る。例えばこの国の利害のための大義名分が立てば戦争に至る緊張感を煽ることでディープ・ステートのご機嫌を取るのはやぶさかでない。
 これに対抗するために都乱府陣営ではことさらに移民問題・貿易不均衡を言い立てる。特に中花国との貿易戦争を厭わない。結果は妥協するにせよ、当面は強硬極まりない姿勢で臨むだろう。それにしても最近の発言は度を越してきた。
 更にディープ・ステート狩りのプログラムを用意して、上院の承認を必要としない政治任用の高官(約4千人)をデータベースに登録して指名する構えである。

 さて、お互い先が短くなった大和国の現木志田総理は梅田太政大臣と最期の傷の嘗めあいなのか、サミットごっこに興じていた。
『お互いいいこともやったんだが最後は足をすくわれたな』
『全くだ。そっちは針巣といういい後継者がいたからよかったけど、オレの周りは裏切り者だらけだ』
『だけど勝てるかどうかははっきりしていない。いい勝負ではあるが』
『万が一都乱府が勝ったら相手をしなきゃならなかったからオレもトンズラして正解だった』
『あの公開プロレスではアイアン・コブラ・ヘッドが決まったからな。あせった奴はますます出鱈目を言い散らして自滅するかもしれん。この前も「移民の好物は犬ソーセージと猫のニャーニャー焼きだぞ」とやったからな』
『こっちも大変だよ。モゴモゴ喋りのヒキガエルが後任だぜ』
『どっちにしろやっかいな不沈や醜金平と渡り合わなくてよくなるからホッとはしたが』
『世界はどうなるんだ。ドンパチが終わる気配もない』
『知ったこっちゃない。勝手にしろ、だ。この国だってあんなメチャクチャなバカに投票する国民なんかどうでもいい』
『おいおい、まさか大和国もどうでもいい、なんて人前で口走しらないでくれよ』
『ん?オレ何か言ったか』
『・・・・』

 太政大臣投票まであとひと月。

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贋作 ジェット・ストリーム 自由編

2024 SEP 23 15:15:06 pm by 西 牟呂雄

ーミスター・ロンリーのインストロメンタルが流れるー

またお目にかかれましたね
パーサーのジェット・ニシ・ムロオです
ご家族とですか
恋人との旅ですか
それとも出張でしょうか
もしかしたら自由を求めての一人旅でしょうか

自由になりたいと思うなら
ひたすら孤独に耐えなさい
自由になることは
群れをなすことではないのです
見てごらん
自由に耐えられなくなって
あんなに大勢が逃げてきた
人恋しくなったのか
寂しくなったのか
あれほど欲しがっていた
自由から
みんな逃げてきた


それでもこの暮らしはいやだ
私には私の望みがあると言うのかい
おぉ!そのような迷いで
得られる自由など
何の普遍性があるというのか
お若いの
あなたが欲しているのは
単なる承認欲求にすぎないよ
地の塩になりなさい
地の塩になりなさい
いつの日か
いつの日か
自由を感じられるはずだよ


ですが、そんなに遠くない過去
いわれのない理由で自由を奪われていた
悲しい思いをしていた人がいました
なぜ、こんな目に合わなければいけないのか
どうして人間らしく暮らせないのか
世界で最も繫栄した
世界で最も強い国で

マーチン・ルーサ・・キングの肉声を聞け

ーインストゥルメンタルのミスター・ロンリーが流れるー

いかがでしたか
これからの旅が
みなさまにとって
心豊かなものでありますよう
また、空の旅でお待ちしています
パーサーはジェット・ニシ・ムロオでした

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昭和99年9月9日

2024 SEP 16 15:15:35 pm by 西 牟呂雄

 恐ろしや恐ろしや。9月1日はかの関東大震災の激甚大災害の日として永遠に記憶される日であるが、私はその前日に喜寿庵に向かった。
 中央道に乗った途端、『カッ』と音がする。何か当たったのかと思ったらフロントガラスの右端に小さなヒビが入っていた。なんだよ、小石でも跳ね上げたのか。まぁ、いいや、とそのまま車を飛ばしたところ、その小さなヒビは見る見るうちに音もなく進んでいくではないか。着くころにはフロントの半分くらいに達していた。
 そのヒビの進行は、どうも車にあるたわみが発生したとき、スッといった感じで数センチくらい進む。このままでは端から一直線に亀裂が生じそうになって慌てた。
 何とかスピードを落としながらたどり着いて事なきを得たが(問題は全く解決していないものの)いやな気持で寝入った。
 翌、9月1日は防災の日である。しかし二日酔いにより昼前まで熟睡していた私は、何かが落下したような大きな音で目が覚めた。屋根でも落ちたのかと周りを見ても何もない。おかしいな、と思いつつボケた頭でテレビをつけると、ローカル・ニュースでちょうど速報が流れた、富士五湖地方で震度4の地震!地震も近いとあんな音がするものなのか。
 関東大震災の震央がどこか、というのはいくつかの説があって、その一つに富士河口湖という説がある。あそこが震源で巨大地震が発生したら、崖の上のここはイチコロ。ましてやそれが富士山の噴火でも引き起こした日には噴火口の向きによってはこの辺全滅だ。宝永の噴火の時は東を向いていたので助かった。
 話は戻って、9月1日は台風通過後の土砂降りだった。桂川は茶色く濁った濁流となり、川幅一杯まで水量が増えた。ここは10m以上ある崖の上だから水害の心配はないものの、ニュースではしきりに土砂崩れを伝えている。多少気になって捨てようとした割りばしを崖っぷちに差し込んでみた。すると気味の悪いことにスーッと刺さってしまうではないか。要するにスカスカな土壌の上にいることになり、地震の衝撃とそれに伴う土砂崩れの二重のリスクにさらされ続けているわけだ。

 ほうほうの体で帰京し(無論ガラスのヒビに注意を払いつつ)どんなものかとディーラーに寄った。因みにここで買った3台を廃車にしてしまい、どうも私のことを秘かに『廃車王』と呼んでカモにしていることを知っている。ナメられてたまるか、と気迫を以て乗り付けた。
『この傷、まだ持つかなぁ』
と白々しく聞くと、待ってましたとばかりにまくしたてられた。
『冗談じゃないですよ。ほっといたら全面ヒビだらけになって真っ白になりますよ。今のガラスは簡単に砕けちゃくれませんからね、運転どころじゃない。しかもこのシトロエン、もう型落ちしてフロントの在庫が国内にあるかどうか・・・。アッ、それどころか車検もう切れますよ。気が付いてよかった。前が見えなくなって事故っておまけに車検切れだったら下手すると交通刑務所行きですね』
 勝負は一瞬にして決まり、車はそのまま引き取られ、又も法外な金を取られることに。

 艱難辛苦はまだ続く。さる事情により仏壇を修理に出すことになった。実は喜寿庵にある古い仏壇を処分して、もっと小ぶりな可愛いものに変えようと考え業者を呼んだのだった。今から考えるとこれが間違いの元と言えなくもない。
 この仏壇は私から3代前の曾爺様が拵えたもので喜寿庵よりも古いから始末に悪い。現れた仏壇屋は抑揚たっぷりにこう言った。
『何ですかこれは。いや驚いた、こんなもん今じゃ作れませんよ。第一職人がもういない。捨てる?冗談じゃありませんよご主人』
『引き取ってもらえませんか』
『お勧めできませんね。これはだれがお作りになったのですか』
『私の3代前ですが』
『ご主人はおいくつなんですか』
『もう古希ですよ』
『では明治時代の造りですね。うん、京都に関係ありますか。これは関東ではできません』
『ありますね』
 しばらくこの調子が続いた。結局仏壇屋さんの熱意に負けて修理に出すことに。
 ご案内の通り、仏壇というのはものすごく重く作ってある。そして、これは知らなかったのだが組み立て式になっていて、全部解体できるのだ。そこで一緒になって解体してヨッコロショッとばかりに取り合えず庭まで運んだ。すると裏側に墨痕鮮やかに『明治廿壱年 〇〇〇〇〇出展』などと書いてある。ここでまた仏壇屋のオベンチャラが始まった。
『ははあ、この年の出展というと江戸期の職人さんが油の乗り切った時代に造ってますから云々』
 もうわかったよ。
 更なる衝撃はその下の台の部分にあった。一番下の台をずらしたところ巨大なネズミのミイラがペシャンコになって姿を現したのだ。一同『アッ!』と声を上げ、今にも動きそうなそのミイラに腰が抜けた。その証拠にそれまで部品を写メで撮っていた業者も私も写すのを忘れた。
 落ち着いてから、なぜこのデカさのネズミでここに死んでいるのか皆で話した。最も恐ろしい仮説は、体の小さかった頃に忍び込んで、クモとかゴキブリを食べて体が大きくなって出られなくなり、それを支えるだけのエサにありつけずに餓死した、というものだった。そうだとすればこのネズミ存命中にこいつに向かって手を合わせてお線香をあげていたことになる。無論不愉快千万だが、ネズミは成仏したことだろう。

 この日は9月9日の月曜日だった。ん?待てよ。今年は昭和換算では99年では。9999の並びとは、あのネズ公はダミアンか。
 その後、仏壇修理代と車の見積もりに苦しめられている。更にこれから・・・・。

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皇軍未ダ屈セズ

2024 SEP 8 15:15:23 pm by 西 牟呂雄

 玉音放送は、竹中中佐の妨害を払いのけて流された。
衷情モ朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ時運ノ趨(オモム)ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 衝撃は甚だしかった。ソ連の南下備える千島の部隊、素通りされたシンガポール・ラバウル、潔しとせずに抵抗を続ける南洋諸島の部隊、個別戦闘ではほぼ負けていない大陸の部隊等、簡単に武装解除できるはずもない。
 現に北方占守島では8月18日にソ連軍が攻撃を開始、果敢にこれを撃退した。フィリピンのルバング島では中野学校の教育を受けた小野田少尉はその後30年に渡ってゲリラ活動を続けた。
 本土においても混乱は生じる。厚木にあった第三〇二海軍航空隊は小園安名大佐の元、一致団結して継戦完遂の意思を固めていた。中央の武装解除命令を無視し、しきりに周囲にビラを撒く。

 一方、一度はフィリピンから追い払われたマッカーサーは、さすがにいきなり日本に上陸することは避け、連合国最高司令官が作成する降伏文書を受理することに関し、十分な権限を有する使者を連合国最高司令官の許へ派遣することを命じて来た。
 『十分な権限』とはすなわち天皇の勅使である。この場合、国体を護持できるか否か、それ次第では決裂し再び戦闘が始まるかも知れない。誰もが引き受けたくない役目として腰が引ける中、恥辱を受けたらその場で切腹する覚悟をもって事に臨んだのは、陸軍参謀本部次長河辺虎四郎、随員として、外務省から岡崎勝男(調査局長)外1名、陸軍から天野正一少将(参謀本部作戦課長)外6名、海軍から横山一郎少将(軍令部出仕)外6名だった。輸送指揮官は寺井義守海軍中佐が指名された。
 この人数を運べる大型機のほとんどを失っていたため、一行を1番機一式大型陸上輸送機と2番機一式陸上攻撃機の緑十字機で沖縄の伊江島まで送り迎えすることとなった。
 緑十字機とは、事実上空を飛べなくなった日本で米軍が飛行を許可した航空機で、その機体は白く塗られて緑の十字をペイントされた。調子に乗ったマッカーサーは『平和の白い鳩』と呼んだ。

 一番機機長の須藤大尉と駒井上飛曹は指揮官寺井中佐に呼び出された。海軍省の一室に通され、待っていると寺井少佐は一人のスーツ姿の紳士を伴って入って来た。思わず立ち上がり敬礼をすると寺井はそれを制した。
『本日は事情により挙手の礼は必要ない。掛けたまえ』
『ハッ』
『これからの話は一切他言しないでくれ。書面による命令も残せない』
 こう告げると一層声を潜めて何事かを告げた。
 羽田から飛ぶと厚木の反乱部隊のゼロ戦に撃墜されるかもしれないので、木更津から要人を乗せて離陸すること。事実、米軍機に対する攻撃は散見されていた。旧式の機体のため沖縄の伊江島経由まで飛び、そこからは米軍機で一行はマニラに向かうこと。そして・・・・、整備兵を二人指名された。
 勅使団は木更津に集合する。
 寺井中佐が、今回同行する整備兵だ、と西兵曹長と室田兵曹長の二人を一行に紹介した。二人とも精悍な印象ではあるが実に暗い眼つきをしていて、ほとんど喋らない。
 須藤大尉は気になったことを寺井中佐に尋ねた。
『中佐。ところで海軍省にいたあの商人服の紳士は何者なんですか』
『聞かない方がいい』
『本作戦は生きて帰れるかどうかわかりません。勅使は恥辱を受けた場合の自決用の拳銃を用意しました。我々もその際には帰れないでしょう。どういう者が関係したかは知っておきたいのです』
『む、一切他言無用。某宮様とだけ言っておこう』
『ハッ』

 それだけ聞くと出発していった。
 厚木の反乱部隊はいまだに健在。その目をかすめるように太平洋上に出てひたすら西に飛んだ。
 命がけの決死行は、その後次々と困難に見舞われる。
 まず、伊江島に着陸の際に1晩期のフラップが下りず、危うく滑走路から飛び出してしまうところだった。その先は崖である。
 勅使はマニラニ行ってしまった。周りは米兵ばかりである。
 ところが、4年にわたった激しい戦闘が終わった解放感からかやたらと明るく、昨日までの敵兵である一行に親切なのだ。それは商社の余裕かもしれないが、明日死ぬかもしれないという恐怖感が亡くなった方が大きいのであろう。扱いも丁寧だったため、寺井中佐以下の面々も多少は打ち解け始めた。
 しかし例の整備兵二人は米兵どころか日本人一行とも世間話一つしないのだ。
 そうこうしているうちに勅使団はマニラから帰ってきてしまう。自決するほどの恥辱こそ受けなかったものの、日本側の要望である国体の護持については言質は与えられず、一方的にマッカーサーの進駐計画を告げられ降伏要求文書を受領したのみ、会談自体は1時間にも満たなかったのだった。
 そしていよいよ帰国の途に就こうとすると、またもトラブル見舞われる。二番機が滑走路へ動き出したところ突如ブレーキの油圧がゼロとなり、制御不能に陥ってそのまま滑走路脇に止まっていたトラクターにぶつかった。結局勅使たちは文書を携えて1番機単独で日本に向かうことになってしまった。
 機が遠州灘の南方を飛行している時点でメインタンクが空になるので予備の増設タンクに切り替えた途端、エンジンは空転しだした。操縦桿を握る須藤大尉の悲痛な声が響いた。
『何だこれは、燃料がないぞ!』
『そんなバカな』
 副操縦士だった駒井上飛曹も目を疑った。これは・・・。
 河辺中将は一瞬にして事態を飲み込んだようだった。この降伏文書がもし届かなければ。停戦はなし崩しになり再び戦闘が始まるかもしれない。何がなんでも届けなければならない。
 須藤大尉には誰が発したかはわからないが切羽詰まった声が聞こえた。
『海岸線に沿って不時着しろ!』
 無論言われなくてもそれが唯一生き残る道だ。須藤大尉と駒井上飛曹は目配せして機体を北に向け、同時に降下し始めた。
 薄暮未明の中、うっすらと遠州灘の海岸線が見えてくる。岩礁のない砂浜の近く、それもあまり海岸に近ければ胴体着陸になり危険が増す、という難しい局面になった。
 全員待機姿勢をとりつつ、機体は水煙を上げながら絶妙な角度で着水した。海は荒れておらず、海岸から20mほどの沖にしばし漂った。
 勅使一行は強い衝撃にもかかわらず全員何とか脱出し、何とかハマに泳ぎ着いた。とにもかくにも降伏文書を持って帰京しなければと必死の脱出だった。

 結局文書は多くの関係者の協力と強い意志で届けられ、マッカーサーは無事に進駐を果たし、ミズーリ艦上での降伏文書に署名ができた。
 だが、この緑十字飛行には多くの謎が残った。度重なるトラブル、極め付けが燃料切れ、あまりにも不審な点がある。整備兵を同行させてまでこうも連続して起こるものであろうか。特に燃料切れについて、関係者は口裏を合わせたように『こちらはリッターでやっているが米軍はガロンで測るので積み込む燃料の量に行き違いがあった』という。そんな程度の意思疎通のミスで増設槽が空で飛ぶとも思えない。
 しかも、その整備兵の名前は正規の軍籍には無く、その後の消息が全く不明なのだ。名乗りは偽名だったのである。そこから推論するに、降伏文書を日本に持ち帰らせたくないさる筋が妨害工作を仕掛けたのではないだろうか。緑十字飛行に関わった海軍の一部が工作し、命を賭しての飛行だった可能性はある。
 冒頭の話に戻る。樋口中将率いる北部軍は樺太・千島を南下するソ連軍と対峙し、大陸には殺気立った部隊が健在。無論邦人の帰還は未だであり、南方での戦闘も燻っていた。
 厚木航空隊の小園大佐は、マラリアの発作を発症した際にモルヒネを打たれそのまま海軍病院に幽閉され部隊は鎮圧された。尚、小園大佐は斜銃搭載夜間迎撃機「月光」の発案者である。
 海軍軍令部の富岡少将は密かに土肥中佐を平泉澄の元に遣わし、国体の護持を三種の神器と皇統の継承であると確認すると、343空の源田司令に九州某所に宮様を動座する工作を始めた。富岡少将はミズーリ艦上での調印に海軍代表として参加している。土肥少佐はその後台湾海軍の創設に深く関わった。
 以上は史実である。
 その後の政治的推移は読者ご案内の通りだが、水面下ではコミンテルンの介入並びに大陸・半島のスパイ活動は激しく、片やアメリカの治安機関の陰謀とそれにスリ寄る日本人、あるいは中野学校関係者による長期に渡る地下工作といった裏の戦いは続き、今も継続されているとしか思えない。
 そのうち抗戦派の流れは民間に継承され、今日なお健在である。皇軍は未だに地下にあり、しばしば姿を現す。SECRET・MACHINATIONS・CONSPTIRACYとして。SMCのことである。

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レイモンド君の夏休み

2024 SEP 1 0:00:05 am by 西 牟呂雄

 ヒョッコリ先生のご葬儀で帰国していたレイモンド君一家はそのまま夏休みを取っているようで、喜寿庵の周りを掃いていたらまた会った。お父さんとお母さんと一緒だった。
『先日はご愁傷様でした』
『痛み入ります。お陰様で大往生でした。最後は一週間くらい食を断ちましてね』
『ほお、お覚悟を決められたのですね。大したもんですな』
『それがのどは乾くらしいんですよ。で、水をもって言って飲まそうとすると「バカヤロウ。ビール持ってこい」ですからね。医者も仰天してました』
『ああ、喪主さんも仰ってましたね』
『人間ビールだけで一週間は生きられるもんなんですなぁ』
『・・・・』
 レイモンド君は何のことかわからない、といった表情で見上げていると急にうちの庭に駆けだした。お父さんもおかあさんも慌てた。
『あっ、コラコラ。かってに入っちゃダメ』
 いや、いいですよ、と言いかけてやめた。この手で何度も子守させられた。
『トゥダーイウィスヒム』
 またコクニーを喋った。この子どういう環境に育っているんだろう。
 それにしても、しばらくは一緒にいなかったとは言え、ひいおじいちゃんが亡くなったのがこの子にはどう伝わっているのか。物心がついたといえ4才そこそこだ。レイモンド君は悲しければ泣く、楽しければ笑う。

 青い相模湾は多少のうねりはあるものの、小網代湾に少し入ってアンカーを打てば静かなものだ。ラットを任せて僕はレイモンド君を抱えながら舳で波の音を聞いていた。レイモンド君は死の恐怖も何もない。溺れるという実感もないから平気で歩き回るし海を覗き込んだりする。心配になった僕は子供のライフジャケットを着せて浮き輪も持たせる。すると艫の方からいきなり飛び込んで慌てた、後からすぐに飛び込んで捕まえるとケラケラ笑っている。湾の入り口は潮が早いからこんな軽い子供はアッという間に流されてしまう。

 喜寿庵のあたりは旧盆だ。暑い夜に盆踊りの音色を聞きながら木戸門の前で小さな送り火を焚いた。この頃は送り火セットのようなものが売られていて苦労して薪を積み上げることはしない。一人でぼんやりとヒョッコリ先生のことを思い出していた。
 そこに偶然レイモンド君一家が盆踊りを楽しんだ帰りに通りがかった。
『こんばんわ』
『オヤ、こんばんわ』
 挨拶を交わしているとレイモンド君が走ってきてギューッとしがみついてきた。僕達は友達なのだ。
『コラコラ、だめでしょう』
 とお母さんがたしなめる。
『はっはっは、いいんですよ。よし、一緒に花火をやろうか』
 僕は花火が好きで一人でもよくやるのでたくさん買い込んである。実は夜に芝生の上にいるときに点けると蚊よけに絶大な効果がある。更に僕の天敵であるモグラの駆除にも大変に役に立つ。モグラの穴に点火して突っ込むと思わぬ処から煙が上がってその一帯の巣は駆除できる。

 ご両親も一緒に芝生の上で花火で遊んだ。色が変わるところが面白いらしく手に持って走っていく。とりわけ箱型で置くタイプで、火花が吹き上がるタイプが好きらしく、しゃがんで見上げていた。そして呟いた。
『オージーチャンパストアウェ』
 また謎のオージーがどうした、が口をついている。お父さんに聞いてみた。
『オージーってオーストラリア人の友達ができたんですか。コクニィみたいな喋り方ですし』
『アハハ、そうじゃありません。大お爺ちゃんって言ってるんですよ。ひいおじいさんのことを言ってます。盆踊りを見に行ってお盆というのは死んだご先祖様が帰ってくる、と話したので。近所のナーサリスクールに行かせているんですけど、そこはロークラスのエリアなんでキングスイングリッシュではないですしね。そのうち日本人学校に行かせますから放ってあります』
 レイモンド君もヒョッコリ先生を思い出していたのか・・・。
 そのうち先生の話をしようか、大お爺ちゃんの思い出を。
『イギリスにはいつ』
『あした東京に行ってあさってのフライトです』
 そうか。またしばらく会えないんだね。

 うっ、目が覚めた。以上は夢でした。
 
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勝負所だぞ 日本ハムファイターズ

2024 AUG 23 13:13:40 pm by 西 牟呂雄

 夏場になってから快進撃が続く。もっと言えば一度ドン底に落ちたチームが7月9日から変調をきたしてオールスターまで9勝2敗。オールスター以後になると6連勝を挟んでお盆休み明けの18日まで12勝7敗2分けの快進撃だった。
 何といっても金村・福島といったピッチャーの台頭と抑えの柳川が育ったのが大きい。
 そして言いたくもないが清宮がたまにH・Rをかっ飛ばすのはご愛敬ではある。しかし私は騙されないぞ。走塁ミスやらアウト・カウントの間違いといったセンスの無さは直りっこないし、チャンスにダメなのは相変わらず。来年はトレード確実なんだからせいぜい高く売れるようにがんばればよいか。
 バカ・ボスは相変わらず毎試合打線をいじるし、見るべき采配は14日ロッテ戦での2者連続スクイズだけ。あれは珍しく(影の)オーナーの私のテレパシーに従った。
 9連戦となった最期のオリックス戦で3タテを食ったのは余計だったが、これだけ勝てばと順位表を見ると・・・。
 2位に浮上したのは結構だが、なんとマジックを7月中に点灯させた首位ホークスとは13ゲームも差がついているではないか。ホークスは負けないのか!今更優勝を目指せもクソもマジックは残り35試合で23!
 おまけに2位といってもロッテとは1厘差でゲーム差はない。そのロッテとホークスに当たる今週が勝負どころだ。いつも通りズルズル行くのか、2位を盤石にしてC・Sに駒を進めるか。特にロッテは前クールで負け越したから気合を入れて来る。
 初戦は金村が試合を作り水谷・水野のH・R2発でしのいで1ゲーム差をつける。
 次の試合も打線がメルセデスをボコボコにして、投げては山崎が軽く捻って楽勝。
 きのうは佐々木が投げてヤバかった。だが清宮の思わぬ活躍と柳川の勝負強さで勝った。角中・ソトのものすごい表情は怖かったが何とかしてくれた、いいぞいいぞ。

 そして宿敵ホークス戦を迎える。ここで(影の)オーナーである私の心は千々に乱れた。どうせかないっこないのに全力で挑むか、この際戦力を温存して相手を油断させるか。作戦を立てるに当たり
迷いに迷う。
 要するに3つ負けなければいいとして1試合目はボロ負けにし、先発が打たれても代えずにダラダラ試合をする。次は投手を使い尽くして勝ちに行く。3試合目は流れに任せる。その際には先発を誰にするか。
 まずは福島、ホークスは有原で決戦の火蓋が切られる。

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民自党総裁選顛末

2024 AUG 14 14:14:32 pm by 西 牟呂雄

『不破ぁ!考えてもみろ。何度もオレの顔に泥を塗ったあいつが総理になって国際会議であのモッサリした喋りをしたらG7の連中が何と思う。トランプと対談が成り立つと思うか?』
 朝生副総理はまくし立てた。相手は立候補に意欲満々の甲野である。
 甲野は立候補に当たって派閥オーナーである朝生の腹を探ろうと面談に及んだが、いきなりまくしたてられて鼻白んだ。実は不破・甲野・大泉のトリオで連合しようと秘かに考えていたのだった。
『お前らの後ろから糸を引いているのは須賀だろう。あいつの口車に乗ってロクなことになった奴はいねえ』
 図星を突かれてさすがに怯んだ。
『金の勘定もできねえ、横断歩道の渡り方も知らねえ、お前に総理が務まるか』
 
 その頃、大泉新次郎は旧阿部派の大物である元総理、大森喜朗と相対していた。
『君を総裁候補と考えている。今の民自党は若返りが必要だ。私と同志は全面的に協力するからウンと言ってくれ。君の親父さんの了解も得ている』
『いや、しかしまだ要職もこなしていない私では短命に終わるでしょう。私もまだ若輩者ですし、以前は不破さんの推薦人になっていますから』
『君、こういう話は一度乗り損なうと次のチャンスは掴めなくなるよ』
『親父は3回挑戦して総理の座を掴みました』
『ふふふ。まさか須賀にそう言えと言われてるんじゃないだろうね。あの男はゴリ押し一本鎗であんまり中身はないんだよ』
『いや、そうではないですが、須賀さんにはお世話になってますから』

 その須賀元総理は不破に向って訴えていた。
『いつものセリフ。そう「国民がどう考えるか」なんて甘っちょろいことを言っていては天下は取れない。自分から取りに行かなければなれないのが総理というものだ。分かっているのか』
 不破は視線を宙に泳がせた。須賀は続けて言う。
『推薦人は何とかしてやる。甲野も大泉も決選投票になったら君を立てる。全て私が根回しした。これが最後のチャンスだ』
 絞りだすように言うのがやっとだった。
『この身を須賀先生にお任せします』
 不破が須賀の軍門に下った瞬間だった。

 一方、したたかな朝生は低支持率に悩む現木志田総理にはこう言った。
『まあ、派閥の解散だの上限5万円のスタンド・プレーは頂けねえが、政策全般に関しては良くやっていると評価できる。防衛費増額なんか阿部のときでもなかなかできなかったしな。賃金アップも何とかしのいだところで裏金問題に足をすくわれた感があるが、この支持率では普通に考えれば再選は難しい』
『何とかご協力願えないでしょうか』
『オレは基本的にはアンタでいいんだが、仲間を説得するには条件がある』
『何でも言ってください』
『アンタが勝手に解散した宏池会の若手には選挙が不安な奴が多い。助けてくれって話がオレんところに引っ切り無しに聞こえてくる。元々オレんところは宏池会の流れなんだからそいつらがウチに来ることを押してくれ。大宏池会の復活を認めろ』
『そんなことは・・・・』
 翌日、木志田は総裁選不出馬を表明した。

 そのニュースを笑いを噛み殺しながら聞いていたのは幹事長の持木である。これで『裏切者』とも『令和の明智光秀』とも言われず思いっきり総理を目指せる、と。
 しかしながらエラソーな物言いと木志田総理に対する露骨なサボタージュで全く人望がない。有力議員が次々に派閥から出て行ったことがそれを物語る。一人では立候補すらできないのだ。平成研の栄耀栄華は見る影もない。そこで持木は暗躍する長老、すなわち既出の朝生・大森・須賀に会食を持ち掛けるが相手にされない。惨敗覚悟で出馬するのか、眠れない夜が続く。

 数日後、正体不明の令和のフィクサーとも日本のディープ・スロートとも呼ばれた集団は密かに一人の政治家を呼び出した。
『目下の民自党の混乱は国益を損ない続けている。木志田に諦めさせたのは我々だが、次は決めていない。目下の総裁候補が小物過ぎて話にならないからだ。あれでは複数候補が立ったとしても戦国時代にはならない。せいぜいチンピラの縄張り争いだろう。そこで我々は次は以下の3条件から絞り込んだ。まず総理経験者の再登板。次に自衛隊容認の憲法改正に積極的である。最後に財務省の言う事を絶対に聞かない。するとあなたの名前が挙がった』
『光栄です』
『官房長官には加藤勝信を起用すること。幹事長は福田達夫にする。これが飲めれば我々が木志田・朝生・大森・須賀を説得してあなたを支持させる』
『しかし・・・』
『絶対に小沢一郎を近づけるな。公明党の連立をやめて国民民主党と手を結べ。維新の会は我々が潰しておく』
『なるほど・・・・』
『では離党届をすぐに出して二階派のあとを継いでくれ。スペシャル・ミニスター・クラブ、我々SMCが全て手はずを整える』
 男たちが席を立った後に盤面を紅潮させた男こそ、阿部元総理の国葬において格調高い弔辞を読み、また故人から捲土重来を即された元総理野田佳彦であった。

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僕は保守派

2024 AUG 11 21:21:01 pm by 西 牟呂雄

世界は、絶えざる運動の中にあるのではない。むしろ、それが耐久性を持ち、相対的な永続性をもっているからこそ、人間はそこに現れ、そこから消えることができるのである。言い換えれば、世界は、そこに個人が現れる以前に存在し、彼がそこを去ったのちにも生き残る。人間の生と死はこのような世界を前提としているのである
 思想家ハンナ・アーレントの言葉である。『全体主義の起源』で名高いアーレントの評価は一旦置くとして、このところの筆者にとってこの言葉はズッシリと腑に落ちた。
 ここで『運動』と表現されているのは、例えば世界史の潮流として現れる社会運動や思想的流行、更に技術開発に伴う構造変化といったものまで大きく網羅していると考えられる。
 例えばグローバル化が進行した、世界は右傾化したといった流れはその時々で観察されるものの、溶液の中の酸化・還元が繰り返されていながら一定の均衡状態を保つようにバランズするごとし、と読み解ける。その中で個人は繰り返し現れては消えていくが、集団としての動的平衡は保たれる。
 無論個人の内在する葛藤やら感情はそれぞれだが、ピースの一つとしてアーレントのいう『耐久性を持ち、永続性をもっている』ところに光をあてればいかなる凡人の人生でも光輝く。
 即ち、相矛盾する事象といえども現実に共存することはごく自然なことで、人間も社会もそうあることこそ自然体だとも言える。
 
 筆者はかつてそのような考え方について『川の流れの方が流れることによって学習し、流れに潤っている生きとし生けるものは施しを受けているに過ぎないと。流れの水が大地の形から自然の造形を記憶しているのではないか』と表現してみた。

『流れ』は記憶する 方丈記逆バージョン

 このブログはそれを言語化しようとした失敗作だが、6年前はといえばすでに還暦を過ぎていたにもかかわらず、この程度の考察しかできていない。
 それがアーレントの言葉をもって安寧を得た。

 障害物に当たった個人は自分と世界の関係を理論化しようとして現実否定のイデオロギーを作り出そうとするが、それは理性の傲慢であり、理性は必ず過去の習慣や先入観に育まれているから、それらを完全に否定すれば方向性をも見失う。それゆえ社会というものは(この場合筆者の好みで言えば保守主義というものは)手入れを怠らずに鍛えに鍛えても漸進的にしか変わらないのだ。
 翻って、バブルの崩壊以後、少子高齢化、就職氷河期、財政健全化、非正規拡大、不法外国人労働者、郵政民営化と30年を失っている間に様々な『運動』があったのだが、その間『改革』と称して俎上に上ったもので効果があったのは『異次元の緩和』くらいだろうか。民主党政権や小泉改革とは何だったのか。
 議論は色々あろうが、そうであれば故安部元総理を除けばほとんどがアーレントの視点を欠いた小手先の『改革』でしかなかったと言えるのではないか。筆者でさえもその視点を6年前は持ち得なかったのだ。

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海に眠る魂

2024 AUG 4 0:00:17 am by 西 牟呂雄

 以前ブログでも紹介したことがある。

海の上の人生 ホントかよ

海でしか生きられなかった人、通称『鮫さん』が亡くなった。先日は山荘で知り合った『ヒョッコリ先生』を弔ったばかりでいささか参った。
 鮫さんは遠縁の親族が荼毘に付したが入るお墓が無かったようで、僕たち海の知り合いがホーム・ポートの沖合に散骨することになった。

手作り献花台

 某日、我が艇のスターンに献花台を置いて生前親しく付き合った数名がお別れをした。写真は今から15年ほど前に4人のクルーで大平洋を横断した時のものを飾った。三浦から33日でサンフランシスコに無事着いた記念写真である。

 出艇すると相模湾は快晴の無風.
 献花してもらった花をたくさん積んで沖に出た。
 僕はそんなに深い付き合いではなかったが、あの独特の人柄がこの海から消えてしまったと思えばさびしい。
 ポイントに来ると仲間の船が7~8艇集まって来て、散骨が始まった。

 箱から遺骨を少しづつ海にながしていき、船団が周りを回航しながら花を添えた。広い海の一角に花の渦巻きが出現したようだった。
 鮫さんは下戸だったのだが、ビールや焼酎をトスして、もう二日酔いもしないだろうからたくさん飲んでくれ、と海に落とす。
 一斉に各艇がマリン・ホーンを長音で鳴らす。
 ファーン、という大音量に送られて鮫さんは大好きな海に眠った。痛みも苦しみもない水底に。

 港に戻って思い出話をしたが、鮫さんのプライベートは謎に包まれている。船のオーナーではなく、仕事が何だったのかも誰も知らなかった。一種のプロのヨット乗りとも言えるだろうが、白石康次郎とか斎藤実ほどの職業的なポジションにあるとも思えない。
 最後は自室で倒れているところを発見されて病院に担ぎ込まれ、一時回復したものの退院することなく亡くなった。即ち、自由と孤独の中で天寿を全うしたともいえる。
 この『自由』と『孤独』は表裏一体のようなもので、自由に死ぬ場合には孤独が必要なのだ。
 鮫さんの場合、極端に言ってしまえば病院に行くことは本意ではなく、そこで最先端の延命治療を拒否できなかったのは痛恨の極みではなかったのか。

 散骨ポイントは、実は過去に何回も行われたところだった。古くは麻生元総理の弟さんも海難事故にあって亡くなったあたりである。
『あの辺で釣れる魚は人骨を食べたりもするだろうからカルシウムは豊富だったりして』
『あの人下戸だったけど、今頃は竜宮城で鯛や平目の舞い踊りを楽しんでるな』

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