『記憶の蜃気楼』鈴木信太郎
2026 JUN 1 0:00:43 am by 西 牟呂雄
改装中の山荘喜寿庵は、2ステップの工程を組んだため、家の中でモノをあっちに動かしこっちに移して何回も引っ越しをしている状況である。そしてそのたびに大量のゴミが出る。片っ端から捨てるのだが、困ったのは大量の蔵書。アルピニストを気取っていた2代前の爺様の分厚い英文の山の本とかドイツ語の科学の参考書(多分、読めないし)などを、泣く泣く捨てざるを得なかった。
だが、その中に目を通すと実にもったいなくなる本が混じっていて、これは困る。例えば、仏文の権威にして同じく泰斗であった辰野隆と『シラノ・ド・ベルジュラック』を共訳した鈴木信太郎の随筆集があった。提題『記憶の蜃気楼』である。1961年初版の旧仮名遣い旧字体のままだ。
東大仏文は第一次世界大戦以前は頗る振るわず、エミル・エック教授がフランス文学科を創設以来25年間に21人しか卒業生がいなかった。鈴木が一高から仏文に行った年に辰野隆が卒業。爾来、鈴木は辰野とともに小林秀雄、今日出海、中島健蔵、三好達治、鈴木力衛、福永武彦、中村真一郎といったキラ星のような俊秀を輩出した黄金時代を築き上げた名伯楽である。この点、森鴎外以来のドイツ文学嗜好が戦争(第一次大戦)に負けた途端フランス趣味に移った感があり,ある面興ざめがしなくもないが(勝ちに乗じた?)いずれにせよそのお陰で芳醇な詩文に接することができたことになる、まぁ遅いか早いかではあるが。
鈴木信太郎は明治28年の神田佐久間町生まれ、実家は米問屋だった(あの辺りは神田川の河口でズラッと米問屋)。淡路町生まれの筆者の感覚で言えば外神田。細かく言えば縄張りの外になるのだが同じ下町である。敷地60坪ほどの家には庭があり苔を育てていたという。そして神田川で泳げた。戦前かつ関東大震災以前の風情を懐かしむ筆致にはそれなりの郷愁を感じる。
このエッセイは至る所に捧腹絶倒の妙味が散りばめてあって、例えば日本の知性とまで言われた小林秀雄。講義にはロクに来ないが試験は受けに来て、著者の出した設問に『こんなくだらない問題には堪えられない』と答案したので憤然と零点をつけたとある。だが翌年の『マラルメの類推の魔について』という設問には見事な論考に満点にした。大らか、かつアカデミックな鍔迫り合いのようなやりとりである。その後の成績は分からないが(小林はフランス語に関しては大したことない、という説もある)卒論「人生斫断家アルチュル・ランボオ」(現行タイトル「ランボオI」)にも舌を巻き卒業認可したそうだ。
又、財界四天王と呼ばれた水野成夫(フジ・メディア・ホールディングス創業者、日経連常任理事、経団体理事、経済同友会幹事)、は法学部仏法卒業の後共産党に入党し転向するが、学生時代から付き合いがあった。フランス語の翻訳家の顔も持ち、アナトール・フランスの小説の翻訳を携えて著者の前に現れた、とある。
盟友である辰野についての記述もあり、読んでいてアッと目が留まった。鈴木曰く『昭和の日本人を代表させるに足る典型的な人格を備えている』『福徳円満なおぢいさん』のユニークな個性の描写に続いて『省線電車の中で初めて会った二人のお嬢さんに話しかけて自宅まで連れてきてしまった』とあった。
これは今年13回忌をやった亡き母とその親友A・Kおばさまのことである。亡母は女学生時代にフランス語に凝り、辰野の講義を聴講していたが、そのきっかけはこれだったのかと驚いた。お茶の水の日仏学院に通っていたが、そこで講義をしていた辰野と電車に乗りあわせたものと思われる。自宅におじゃました、とは聞いていたが、辰野の方から話しかけたとは知らなかった。招かれた辰野宅でご一家とともに好きだったベートーベンのレコードを掛け捲って遊んだと言っていた。そして辰野の退官の際に学内会議室で催された酒宴にも顔を出し、小林秀雄が号泣したのちに酒乱に豹変するのを目撃している。
果たして本書にもその宴席についても記述があった。テーブルの上で踊る日夏耿之介(詩人)、廊下に突っ伏してデカルトを罵る森有正(フランス文学者、森有礼の孫、母は伯爵徳川篤守の娘)本郷通りで倒れる学生、と凄まじい。因みにこのドンチャン騒ぎの後、研究室での宴席は禁止となったとも書いてある。昭和23年のことであった。
古書を読んで偶然にも亡母の思い出話に触れることができたので、書き留めてみた。
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怒れ新庄 日本ハムファイターズ
2026 MAY 23 18:18:49 pm by 西 牟呂雄
出だしの大コケでやる気をなくし、しばらくインドにいたから、ファイターズの事はすっかり忘れていた。
それが帰国してみれば、最下位争いをしていたのが3位に浮上している。ナニ?23勝24敗?五分まで戻しているではないか。
実はやる気はなくしたもののこっそり分析はしていた。この不振の原因は分かっている、有原だよ有原。こいつは左を並べられると連打を喰らうのが全球団にバレてしまったのだ。去年までオレしか知らなかった秘密がバレバレになってもう使い物にならん。鎌ヶ谷に行け。
それと調子に乗って自分は名監督だと己惚れた新庄の増長だよ。
待てよ、昨日から宿敵ホークスと当たっているではないか。そして初戦は達ー斎藤ー菊池で8点取られて10-0の完封負けだァ。シーズンが始まってまだ一度も勝てないとは何事だ、この下手共が!人が8時間のフライトで疲れて帰って来たのに6連敗中とはいくらなんでも負けすぎだろう。
ところがそのホークスも不調で21勝22敗のゲーム差なし3位。なんじゃこれは。
これで一つか二つでも勝っていればもっと上に行けてたのに何たる不甲斐なさ。あわててチェックしてみると、現在首位のオリックスや2位西武とは結構渡り合っているのにホークスには全敗。中島(影の)オーナーの呪いにでもかかったか、本年の滋養神社のお告げにあった対ホークス戦12連敗の予言に絡めとられたか。3位浮上にニンマリしたのも吹っ飛んだ。何とかしろ、このバカ監督が。
で、久しぶりに緊張感とインドで密かに身に着けたヨガ・フォースで試合に臨んだ。ノーノー細野、頼んだぞ!
その細野はいい球を投げ、押し気味に1点先行するが、近藤に打たれてすぐ追いつかれる。栗原にはぶつけて満塁にしたところで柳田だ。ここだ、ヨガ・フォースを全開に放射した。効かない!軽く運ばれてしまった。ふゥ~1-4の3点差(泣)。
それにしてもダブル山本ってセンスがいい。ホークスは育成も補強も上手いもんだ。おまけに松本もいいんですな、これが。万波からカストロまで3者三振だよ、って感心してる場合じゃない。
早々と細野をあきらめたのは監督判断としては正しいのだが、その後が心許ないんだから何とも。案の定、生田目がボカスカ打たれてもう5点。守備もマズイ。清水も火達磨となってしまいにはどいつもこいつも使いもんにならんとばかりに去年は外野手だった矢澤を投げさせる有様。
こるあー!新庄!少しは怒って見せろ。2日で21点取られてこっちは1点じゃ勝てるわけネーだろうが、このボケ・カス・ボス!ついに対ホークス7連敗ってテメーらそれでもプロか!お前ら見よ!敵地にも関わらずけなげに応援する九州のファイターズファンの姿を。
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赤い大地のインド
2026 MAY 19 22:22:07 pm by 西 牟呂雄
インドに来て10日経った。ベンガルール近郊の田舎にいる。日本人エンジニア1個小隊を連れて現地の操業及び品質管理の指導に当たっているが、我々の疲れもピークである。
現地マネジャーとオペレータの意思疎通がイマイチで、一向に技術が定着しない焦りを感じているからだ。
以前から分かっていたことだがマネジャーは英語も達者で理屈は分かる。しかし指示だけして現場に行こうともしない。オペレーターは一生懸命やっているが、前の支持はすぐ忘れる。
無論個人個人はいい奴らばかりで大変気を使ってくれる。だが、そこはさすがにカルチャーの違いがあって、ちょっとしたことが裏目に出てしまう。些末な例ではあるが、彼らは昼飯を実に多量に用意してこれもどうぞあれもどうぞと勧めてくれるが、もうたくさんだとなる。あれは日本人の胃袋との違いなのか、遠慮の塊だと誤解してるのか。向こうの好意が無駄になる典型的な例だ。
オペレーションが進まないのをイライラしながら見ていると、ニコニコしながら『テン・ミニッツ・サー』。
終いには我々の間にも摩擦が生じる所以だ。こっちは休日返上でやってるのに測定装置が使える者がいなかったので今日は中断、と言い出したので私もキレた。ここらで一息入れないと持たない。
因みにここには2年前にも来ていて、その時散々遊んでやった子犬がすっかり成犬になって喜ばしかったが、私を全く覚えていないようで吠え付かれてしまった。
閑話休題、この田舎ではそれなりに見栄えのするホテルに投宿している。プールがあり、広いガーデンがあり、部屋は快適。
ん? しかし朝になるとホテルの廊下にはこんなクジャク(?)の雌がトコトコ歩き、何の役に立っているのか分からない牛はこっちを見ていて、犬は放し飼いで猫も。朝にはガチョウの一連隊がお散歩だ。
そして周りに何もないからそれなりのスポットのようで、どこからどうやって湧いて出てきたのか、パーティーも頻繁に催される。すでに2回ほど遭遇したが、ひとつはどうやらウェディング・セレモニーで、もう一つはカンパニー・ディナーとのこと。
後者は酔っぱらったオニーチャンたちが大音量のインド音楽に合わせて踊り狂っており、珍しがって写真を撮りに近づくと危うく引っ張り込まれそうになった。
街は殺人的渋滞、逆走する車、一家4人の乗るノー・ヘルのスクーター、積載上限の5倍は積んでいるトラック、土埃、牛の群れ、痩せた野犬、人人人人人、無造作なゴミの山、当然暑い。
気分転換に近所の名所とやらに行ってみた。我々が勝手に『牛山』と呼んでいる山だ。遠目にはエアーズロックのような一個の岩に見えるシバ・ガンガ・ヒルだ。近くで見上げるとこちら側にのしかかってくる感じの量感が凄まじい。風化によって落ちてきたらしい巨石も散乱している。
何世紀も前のジャイナ教の寺院跡が中腹にあって、そこまで行く階段が門の先から続いていたがとても上るのは無理。
ジャイナ教はヒンドゥーと仏教を混ぜたような宗教で、解脱と涅槃を目指し輪廻転生を教義とする。開祖マハヴィーラーがクシャトリアの出身だったため、商業関連を営む比較的裕福な信者が多いことで知られる。そのため少数派でインドでは400万人程度しかいない割に金回りがいい宗教だ。裸に白い布を纏っていて、今回空港の検査でいきなり上半身裸になったのを見た。
但し、ジャイナ教の本拠は既にほかに移ってしまい、今はシバ神の像があった。
案内板を読んでみると、その昔あの山頂から世を儚んだ姫君が身を投げてしまい、それを哀れんだ(かどうか知らないが)聖ナントカと聖カントカが結婚した後に泉が湧いたとさ、と書いてあるような気がしてその泉を見に行くと、確かに池はあった。あったが薄汚い緑っぽい色の清潔感のない池だった。
一種の門前町が形成されていて安っぽいお土産を売っていた。そしてそこには何もしないで一日中タムろっているオバーちゃん達。更に驚いたことにそのオバーちゃん達の間を猿がうろついたり座ったり。
果たしてこれは奈良の鹿のような、人と共存する野生生物と言うべきか。
こんなところに来る観光客なんか大したことがないから、オバーちゃんと猿に交じりこんだ日本人は(僕は)は浮いてしまい、逆に多少いたインド人観光客はカメラをかざす始末に。
ドキュメンタリーでも撮ればこの人たちのキャプションには『苦しい生活を懸命に生きる人々』といったテロップがつくのだろうが、僕はその表情にはもっとしたたかなもの、言い方は悪いが小ずるさに近いモノを感じた。そして頭の中は形而上の幸福感に満たされているのではないかと想像する。
核を持ち先端ソフトを縦横に駆使しつつ、鉄鋼生産は飛躍的に伸びている。発展する経済とメチャクチャな格差の光と影は強烈だ。国境問題を抱えつつ独自外交路線を堅持し、十億人を超える人口ながら選挙もする。舌を巻くほどのキレ者エリートに、何もしないオバーちゃん。
ひとつには、英国の統治は長きに及んだが、富を吸い上げるばかりで体制転換に手を付けなかった。マハラジャを殺すことも宗教を体系的に介入・抑圧・絶滅させることもなかったため、社会の下部構造はそのまま続いたのだろう。むしろ統治に利用したともいえる。
インドは大いなる矛盾である。
僕は1990年代に盛んに東南アジアをフィールドにしていて、2000年代は中国大陸にシフトした。その間、90年代は台北・マニラ・クアラルンプールといった首都から次々とスラムが消え、蘇州・杭州がスマートに変貌するするのを目撃した。彼の国々が経済成長を遂げていく様を見た訳だ。
インドの、それを凌ぐ凄まじい勢いには目を見張るものの、ありがたいので拒みはしないがこの古くからの文化はそのままにしてくれ、という人々の意思も感じるのだ。何しろインド1国でヨーロッパ全てよりも多い言語・宗教・民族・階級があるのだから。
わあっ、急に土砂降りに。今は雨期の終わり頃で降ったら降ったでアッという間にアスファルトが赤土でドロドロになってしまった。この辺りの台地は赤土に覆われているのだった。
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P・S 実は工場拡張の計画があって予定地の見学に行ったのだが、ジャングルを切り開いたところに巨大なアリ塚が出現した。我々の膝丈くらいなのは見たことがあるが、これは3m近くあって仰天した。既にアリは別に移ってしまって木が生えている。
ついでにこれは典型的な田舎の四つ角。見えている家屋兼店舗にはトイレなんかない。
県警 VS オレ
2026 MAY 8 9:09:01 am by 西 牟呂雄
本件、筆を取る気になるのにひと月を要した。
まぁ福岡県警VS工藤會のような危険かつ迫力のある話ではなく、遥かに平和でセコい話だが聞いてほしい。
某日、某県の片側1車線の国道をのんびりと走っていた。前にトコトコと軽トラが、まことに春ののどかな峠道を下っていた。もうすぐ多少開けた景色になって山間部の集落になる。
なだらかな坂を下ると、道路工事なのか何かのアラームなのか、おっさんがチェッカー・フラッグのようなものでオレを誘導するではないか。前の軽トラはそのまま走って行ってしまった。あれ、ここは警察署の前じゃないの。
導かれるままにハンドルを切ると、そこには本物のお巡りがいてオレに向かって抜かしやがった。「ここ何キロか知ってますか」「はぁ?40じゃないんですか」「そうです。チョット出し過ぎでしたよ」「エーッ、だって前の軽トラと同じでしょう」「いやー、あっちは引っ掛からなかったんですよ」
やられた!こういう時にやたらと馴れ馴れしいお巡りにムカついた。
まいったなー、と車を降りたらもう1台。オレの後ろを走って来た黒い車だ。アタマの悪そうなアンチャンが下りてきたが、こいつは文句タラタラで「あの軽トラはつかまえねーのかよ!〇〇ナンバーはやんねーのか」と叫んだ。バカだな、ケーサツは一回止めたらゼーッタイ判断を変えるようなことはしない。無駄な抵抗は止めよ。とは言え、目が合った時点で「オレ等あの軽トラを追い抜いたわけじゃないし後を走ってたよなー」などと相槌を打ってしまったが。
で、2点減点されて車に戻り走り出した途端にオレも叫んだ。
「クソーッ、納得いかねー!」
春の交通安全週間の始まりだったのだが、話はこれで終わらない。1週間後、菩提寺に行くところで突然ランプを点灯させたパトカーに呼び止められた、何だよ。するとなりたてのホヤホヤみたいなガキ・ポリが、いかにも新人の手慣らしという感じで寄って来る。
「いやー、慣れない道で(オレは多摩ナンバー)気が付かなかったんでしょうがその角、一時停止です」
一時停止もクソも人も車もいねーの見て分かんだろ、このバカ・ポリが。だが、どうにもならない。そしてこれもまた2点。
えっ、すると1週間前と合わせて4点、即ちあと2点で免停ではないか!私の脳裏にこの胸クソ悪い思い出が蘇る。
から、それに続く屈辱の日々が。
おまけに罰金合計〇万円というイタさ。これは安全週間の期間の免許取り立て新人のトレーニングだったのだろう。
ことここに及んで、オレを目の敵にする〇〇県警に猛烈に腹が立った。このままでは済まないぞ、とばかりに闘うことを決断し、ひそかに復讐の計画を練ったのだ。
要するにオレから巻き上げた罰金以上の無駄なコストを県警に償わせてやる。
ただし、真面目に治安の安定を図る善良な警察官に迷惑をかけてはいけない。あくまで交通に絞っての作戦でなければならない。
速度取締りレーダーは、特定の周波数帯の電波を使って速度を測定している。その周波数の電波を照射してジャミングするのはどうだ。罰金をとれなくなって交通課の収入は激減するはずだ。
しかしこれは、まず周波数の特定が機密事項のため難しい。仮に知りえても、ジャミングに使う機器の開発と取り締まりポイントの調査、並びにこちらのジャミング発生のベースの設営といった手間がかかりすぎ、おまけに組織的に捜査をかく乱していたことがバレると意外に罪が重そうだ。成り立たない。
次に百台近くのコンボイが一糸乱れずテール・トウー・ノーズのビタ車間で、取り締まっているポイントを25kオーバーので通過したら、ネズミ捕り程度の人手で全員捕まえることは無理だろう。意図的にやっておいて『なんであいつらは捕まんないんだ』と暴れ倒して捜査を攪乱するのもいい手だ。待てよ、これも初めの一台は捕まる。そこから芋づる式にやられてしまうかも知れない。
よーし、それでは車高の高さで大きめのドローンを飛ばし、スピード・オーバーでレーダーを撹乱するのはどうだ。
一瞬名案に思えたものの、航空法という法律があってやたらと細かく規制していた。車が常に走行して不特定多数の人がいるところは、航空法上の「人または物件との距離30m未満」の規制に引っかかりうるとか。国交省航空局がドローンなんか取り締まれるものか、と思いきや、取り締まり・摘発は県警だ。
終いには取り締まっているスピード検知器の前に立って妨害する、という肉弾作戦も考えたのだが、『じゃまだ、どけ』と言われてオシマイだろう。アホらしっ。
要するに違反をしなけりゃいいだけなんだが、それにしても一週間に二度も捕まえることはないだろう、〇〇県警!
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ソトーバ
2026 MAY 1 21:21:46 pm by 西 牟呂雄
中国は浙江省の省都である杭州(ハンゾウ)で工場を運営していたことがある。大運河の終点に当たる街で、あまり知られていないが下関条約により日本租界があった。西湖(シーフー)という美しい湖のほとりに古くからあるというレストランでおいしい豚の角煮を食べた。現地の人間が『ここ発祥の料理だ』と自慢したがトンポーロゥのことだった。
その中国人は日本語が達者でその料理の由来を説明してくれた。
「有名な詩人のソトーバがここに左遷されたときに考案した料理ですよ」
その時はうっかり聞き流し、ソトーバ(卒塔婆)?お墓にあるアレか、ずいぶん縁起の悪い名前の詩人だが知らんな、と。
後で気が付いてギョッとした。蘇東坡(ス・トンポー)じゃないか?
宋の時代の文人、蘇軾(そしょく)のことで、書画を良くし禅にも通じた大文化人である。
若くして科挙の試験に合格し進士となり、その時弟の蘇轍も同時に合格したという秀才兄弟だった。
彼が生きた宋の国は、ザッと考えても前後の王朝よりパッとしない感じで、絶えず北方から押されまくり内部もゴタゴタし続けていた。首都も開封から現在の杭州まで押され、モンゴルに止めを刺されて終わる。
そのモンゴルが北に帰った後は極貧・流民から身を起こし側近を粛正しまくった朱元璋が明の洪武帝となっていく。
話は戻って、そういうゴタゴタの中にいると内圧がかえって高まるのか、科挙の制度などはこの宋代に完成し、かの朱子(しゅし)が儒教の体系を朱子学として完成させる。つまり文化の華は咲き誇ったことになるのだ。朱子学はその後宋学として我が国に伝わり流行った。
進士となった蘇東坡はなかなか頑固だったようで生涯で2回左遷されている。二度目の左遷が後に南宋の首都になる前の杭州だった。そこで上記西湖の水利工事に携わり完成を喜んだ現地の人々から豚肉・紹興酒を献上されると、それを煮込んだ料理を振る舞った。その美味なることをたたえて「東坡肉(トンポーロゥ)」と名付けたと言われている。
蘇東坡と言えばこれだ。
春宵(しゅんしょう)一刻値千金
花に清香(せいこう)有り月に陰有り
歌管(かかん)の楼台 声寂寂(せきせき)
鞦韆院落(しゅうせんいんらく) 夜沈沈(しんしん)
この詩を読むたびに、ドンチャン騒ぎが終わった後のライトアップされた桜の美しいシルエットが目に浮かぶ。『寂寂(せきせき)』と『沈沈(しんしん)』の韻が効いている。
比較文学者デイヴィッド・ダムロッシュは、文学は翻訳を通して豊かになりうると述べたが、漢文を訓読で読み下すという優れた味わい方を編み出した日本の先人は、実に感性豊かだったと思う。今や維新の参議院議員になった石平氏は、漢詩は日本語の読み下しの方が味わいが出る、と言っていた。
そこで思ったのだが、同じ漢字文化圏だった朝鮮・ベトナムではどう読んでいたのだろうか。ベトナムの方は語感が想像できるが(中国語のようにコンコンと言った感じ)、日本語のようにテニオハのある朝鮮語はどうだったのか。詳しい人、教えてください、返り点とか付けてたりして。
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六兵衛 維新語り
2026 APR 23 13:13:17 pm by 西 牟呂雄
目が覚めた。夜が明けてきたようで山鳩の鳴き声が聞こえるわい。
さて、今日も一丁稲刈りの指揮に精を出すかいな。秋の刈り入れ時というわけだ。
ワシは甲斐の国〇○〇村の大庄屋である小森家の六男、六男だから六兵衛という。百姓だから表向き苗字はないことになってるから小森という名前ではなく屋号で呼ばれる、『酒屋』とな。通称サカヤの六兵衛だ。
甲斐の国は甲府55万石、谷村3万石で米なんざあまり採れない。だが信玄公亡き後は徳川様の天領で、年貢は二公八民と軽い。もちろんお上に対しては食うや食わずの顔をしてみせるが、余程の飢饉でなけりゃ食べるにゃ困らない。しかも年貢は村全体で納める量が決まっているから大体こんなもんだ、ってオレッチの親父達がお代官様と決めるだけ。田んぼにしたって大雑把な境界線は畦道くらい、広い狭いは違うけどな。そんないいかげんなもんだから、時間が限られる田植えとか稲刈りみたいな仕事は大勢で片っ端からガーッとやる。それで普段は特に争いごとはない、お互い顔見知りだし親戚も多い。
そりゃウチは庄屋だってことでデカい家をオッ立ててるけど女中だのなんだのと人数は多いから、六男のワシは身の置き所なんかない。オマケにヤレ水が出ただの道が崩れたのといっちゃ親父なんかがあれやれこれやれと口やかましく使うから、養子にいくアテもない次男以下は要するにタダ働きの人手でしかない。長男以外は嫁もとれねえ。ワシなんかの暮らし向きは水飲み百姓とそうは違わねえよ。
ただ、抜け駆けだの勤めそこなったりすりゃ村八分はきついよ。ワシが知ってるだけでもこの10年で夜逃げはいくらもあったさ。それがねぇ、ここだけの話この辺は田んぼが少なくて年貢の石高はたかが知れてるけどどこもお蚕もやるんだよ。これはいい小遣いのつもりで地道にやる分にやソコソコ稼げる。だがお蚕の上りは糸を引いて機織りして染付して、とだんだん商いが大きくなっていく。すると中には大きな博打を張ろうとする輩は必ず出てくるが、そういうのが上手く行ったって話は聞いたことがないね。必ず相場が動いたり蚕でデキが悪かったりしてひっくり返る。
何しろ山深い所だから狭い世界に暮らしていて、これがズーッと続くのがいいのさ。そもそも今よりいい暮らしってのが想像もつかねえ。お武家さんは石和と谷村の陣屋にはいるけど、この辺りはその境目にあるから滅多に来るもんじゃない。谷村陣屋は韮山代官の配下でもあるしな。
そうそう、参勤交代の行列がたまに通るけどここには本陣がないから素通りだ。あれもな、土下座してるのが面倒だからみんな隠れちゃってのぞき見してるんだ。行列だって誰も見てないとダラダラ歩いてるよ。
嫁も貰えねえワシらのことは通称「オンジイ」ちゅうんだが、体のいい居候で置いてはもらえるが一人前には扱ってもらえない。女ぁ?まあ、小さな村といえどもそれなりにね。特にウチなんか住み込みの女中もいるし、そこいらにゃ後家さんだっている。もっといえばあそこの赤ん坊はひょっとしたらってのもいないわけじゃない。秋祭りの時なんかはそりゃね。
ところで田んぼや畑の境界線なんかは村内で揉めることもないんだが、隣村との村境じゃ時々大喧嘩にもなる。特に山の中なんか目印も何もないから大きな大木や岩で見当を付けるんだけど、鉄砲水で岩が動いたり木が倒れたりすると双方で『昔から村境はここだった』と言い合って大変な騒ぎだよ。こっそり岩をずらしたりするのを「追い込む」と言ってね。鎌とか鍬や鋸を持ち出せば怪我人だって出るんだ。陣屋のお侍さんは面倒だから庄屋連中を集めては『何とかしろ』と言うだけ。ナニ、下手に騒がれて一揆にでもなったら自分の経歴にキズが付くから大概のことはお目こぼしさ。
嘉永のご時世から安政にかけて、世の中は随分と騒がしかったらしい。ワシの生まれた頃に黒船が来たって大騒ぎになったそうだが、物心ついたのは文久の世で、そん時分はワシもあとあとこんな厄介者になるとは思ってなかったから、のんびり寺子屋で読み書きを教わったりして字も読める。
街道沿いだから行ったこともない都やお江戸がやれ開港したの攘夷だので騒いでるのは知ってた。
この頃からお武家様は何だか物入りでひどく景気が悪くなっていった。ワシらはお蚕をやるから商人とも付き合ってるんで分かるんだが異人さんとの商いが始まるにつれて物が高くなっていった気がする。ところがお武家様は百石取りとかあてがいぶちが決まったままなんで御大名様から旗本までみーんな借金だらけになったみたいだ。
えー、時は流れて慶應のご時世。一挙に世の中はゴタゴタし始めた。将軍様が都まで上洛したらそのままお隠れになって、名望高い一橋様が15代目になられた。そしたら長州をお仕置きしたっちゅうんでこれで安泰か、なんて話してた。
そうしたらいきなり将軍様が政りごとを返上したそうじゃない。いやたまげたね。ワシだって都には帝(みかど)がいて暦を決めたり官位を授けてたのは知ってたけど、まっお上の方は良く分かんないがね。
それで将軍様と都にいた薩摩・長州が戰をやって、アッという間に幕府が負けたって。イヤ驚いたのなんのって天地がひっくり返るような話だよ。おまけに将軍様は舟で江戸に帰って来たなんてホントかね、と思った。
それが本当だってわかったのは慶応4年が明けたら江戸から甲陽ナントカ隊っちゅうお侍達が大砲引きずって鉄砲担いでゾロゾロとやってきて甲府を目指して行った。その数200人くらいだったけど半分はとてもお武家様には見えないような連中で、聞けば都で散々人切りをしてた新撰組が化けた幕府の軍だった。あれじゃちょっとした大名行列の方が見栄えがいい代物だったね。例えばワシがのぞき見してた尾張様の大名行列はあの倍以上だったよ。
ワシ等は八王子あたりは親戚もいたから新撰組はあの辺の道場の奴らだってのは聞いてたんで、百姓上りが大したもんだとは感心したね。
そう思ったのに2~3日したらバラバラになって逃げて来るじゃないか。どうも官軍の方が先に甲府に着いてたもんで、勝沼あたりで戰になり、これがまたあっさり負けたらしい。街道を避けたのもいたらしくて人数もだいぶ少なかったよ。
するとすぐ後に今度は官軍が江戸を目指してやって来た。それが変な赤い被り物をしているのが大将だったんで驚いた。その大将は信玄様の武田二十四将の板垣様の子孫らしく、甲府のあたりではみんなそっちに御味方したそうだ。この辺りは信玄公の時代はその下の小山田様のお下知だったからあんまり関係ないんだが、そこはそれ、勝ちにはすぐ乗る習いなんでワシも炊き出しに行ってみた。だけどあの被り物の連中が喋ってる言葉が分かんない。『キニ』とか『ゼヨ』とか言うのは何なのかね。
ところがワシの気働きが気に入ったのか谷という一隊を指揮していたお武家さんが「人手はいくらあっても足りないキニ。おまん一緒に江戸まで来るがいいゼヨ」とか言うじゃない。まだ3月で暇だしここにいても厄介者だから話のタネについていくことにした。良く聞いたら土佐藩兵で作られた官軍だそうだ。
その谷様という隊長はおっそろしく厳格なお人で、自分にも下にも厳しい。だがワシには『こりゃ、サカロク』と気さくに声をかけてくれた。ワシは屋号が『酒屋』だったからサカロクっちゅうわけだ。若い頃に江戸で勉学に励まれたんで関東訛りに慣れてたからワシも一行の中では話しやすかった。正式名称は東山道先鋒総督府迅衝隊(じんしょうたい)だってさ。
小仏峠を超えれば武蔵の国で八王子宿。ここは幕府お抱えの旗本格である千人同心が守っていたから戦の一つもおっぱじまるかと楽しみにしていた。いや、ワシは戦なんかできないよ、見物だけど。ところがこれが大歓迎だよ。そんなに幕府は評判が悪いのかと思ったら何のことはない。千人同心はモトモト信玄公の遺臣の子孫だから、隊長の板垣様のご威光だ。さっきも話した武田四天王と言われた板垣信方様の十何代後だからって有難がってんだけどねぇ。
ワシも一緒になって酒飲んだりしたけど、ここいらは親戚づきあいもあるんで面が割れやしないかとヒヤヒヤした。
この官軍ってのも面白くて先頭に細長い『錦の御旗』ってのを掲げた後に笛を吹く奴が二列に並ぶ。で揃ってピーヒャーラピッピッピとやると全員が同じ歩調で歩き出すんだよ。おまけに節が付いていて『ミヤサンミヤサンオンマノマエニ』ってな。ワシ等はその節に従って『トコトンヤレトンヤレナー』って音頭を合わせてた。
府中から調布五宿を抜けて高井戸・内藤新宿を通り四谷の大木戸を過ぎればお江戸御府内で半蔵門に着いた。その間大名行列に勘違いした連中が土下座したりして面白かったが、戦なんか何にもない。江戸だって、聞けば官軍の西郷という大将と幕臣の勝っちゅうのの間で話が付いたとかで拍子抜けしたさ。
その後迅衝隊はもっと北に進むって言うからそんな遠くは御免とばかりに隊長には黙って脱走した。聞いた話じゃ会津まで行って大いくさになったそうだ。
ほうほうの体で村に帰ったけど、そのうちに帝が京都から江戸に行幸されて江戸は東京なんて名前になった。東の京都ということらしい。
それから先は藩が廃止されたりしたんだが、ワシ等がたまげたのは地租改正ってやつ。廃藩置県とか言って甲斐の国も山梨県になった。ワシ等は元々将軍様の天領で藩なんかないから全然関係ないけど、今まで村全体で年貢を米で納めればよかったのに、田んぼの土地ごとに銭で払えっちゅうんで参ったよ。それまで自分の年貢米はどの程度か、なんて考えもしない、ましてや銭なんぞ普段さわってもいない五反以下の小百姓はどうすりゃいいのか分かんない。お代官様は鷹揚なもんだったが、新政府の役人になったらやれ土地を測れのお前の田んぼの価格はこうだといちいち杓子定規なことこの上ない。ワシ等は田んぼを売り買いしたことなんかないから値段も何もわかんない。そしたら値段はお上が勝手に決めるんだとさ。
困り果てた百姓共は終いにはうちの親父に『大旦那、訳わからんからウチの田んぼを引き取ってくりょうよ。ワシ等はそこで小作にさしとくれ』って頼み込んでくる始末。親父は親父で『なんだよ。それじゃワシが金とられるばっかじゃねえの。まあしょうがない、預かっとくわ』ってなもんで、おかげでウチは金にもならない土地ばっかり抱え込んで一人で税金を払ってる有様になった。
もっと驚いたのは徴兵令。廃刀令とか言ってお武家様が二本差しをしなくなるんでビックリだったが、まさか百姓が戦をすることになるなんて想像もつかなかったな。二十歳になると体の丈夫な奴は兵隊になってお勤めを果たせって。そんなもんが役に立つとはとうてい思えないんだが、これからは刀を抜いて切りあうことはなくなるっちゅうんだ。働き手を取られるから初めはえらく評判が悪かったが、子供が多い小作人にとっちゃ口減らしにもなると次第に定着した。
西の方では食い詰め士族が反乱を起こし、しまいにゃ官軍の大将だった西郷さんまでが戦を仕掛けた。今度は自分が朝敵になるなんてどういうこった。おまけにその徴兵で取られた兵隊が薩摩の士族に勝っちゃったから妙に納得したね。この時、熊本城で薩摩軍を止めたのが、ワシがくっついて江戸まで行った時の谷様だった。あの人は偉いんだね。
それから20年も経つ間に支那とやるは挙句の果てに露西亜とやるはでいつのまにかすっかり戦争づいちまった。
何しろ戦争やりゃ勝つもんだから軍人さんたちは偉くなるし、ワシのような門外漢も日本が強い国になった気がしたよ、軍人さんや兵隊さんは凄いねってね。ここいらでも兄弟が日清・日露の両方で死んだっていう家はいくらでもある。
東京じゃあれよあれよという間に政党じゃ議会じゃが始まり、小学校はここあたりにもでき、鉄道もワーワーと引かれ、親父は地域の電灯会社の発起人になりすまし、何だか百姓でもほかにやることだらけになって、世の中は便利になってくるけどその分やたらとせわしなくなるばかり。四民平等とかいわれてもなァ。選挙なんかもあったけどありゃお祭りみたいなもんで、そもそもワシなんか投票もできないのにあいつじゃなくてこいつにしろ、とか終いには村同士の喧嘩だ。
喧嘩といえば、鉄道を敷いた時にゃ土方が大勢いたから組同士の大きい喧嘩があったなぁ。ありゃ面白かった。
往時茫々、東京においでなさった帝も身罷りなさったらしい。これからは大正の御代なんだと。
ワシはもういい年になっちまったが、オンジイのまんまで嫁も子供も何にもない暮らしに不足はない。親父も代替わりして、跡取りが大旦那になってる。
御維新の前と後でどうかだって?そりゃ将軍様のご時世の方が良かったに決まってる。気楽だったんでね。
さて、と。稲刈りの仕切りでもやりに行かなくちゃ。
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愛しい(いとしい)と書いて かなしい と読む
2026 APR 13 0:00:32 am by 西 牟呂雄
万葉の時代、『愛し』を『かなし』と読んだそうな。
嘆き悲しむの度を越して、愛する対象がモノであれヒトであれ心の底からいじらしく思うところまで行ってしまうと『かなし』となるらしい。
アッという間に散ってしまう桜なんかを愛でる気持ちなぞは、誠に『かなし』いもの、といえば腑に落ちる。
その『かなし』が『悲しい』と共存していたのか転訛していったのか、興味深い。
古代の大和言葉の単語数が絶対的に不足していたので、日本人は同じ発音の語をその都度使い分けていたところ、便利な漢字が入ってきたので相応しい文字を当てていったのかもしれない。だとすれば、初期の『愛し(かなし)』を当てる際にこめられた『かなし』の、なんと細やかな思い入れだろうか。
たとえて言えば、遠い彼方で異国の兵士が戦いの中で倒れて亡くなっていくのは悲しいが、目の前の赤ん坊が必死に泣いているのは愛しい(かなしい)。
そう考えて似たケースを想像してみると『おそれる』なども『恐れる』『怖れる』『畏れる』と表記するが、このうち『畏れる』は際立ってヤマト的な意味の『おそれる』ではないか。神韻縹渺の清々しさの中で八百万の神々を静かに敬う、という感情は一神教のGodを『恐れ』たり絶対権力者の皇帝を『怖れ』るのとは違う。
この桜の時期にやたらと神主さんや坊さんの話しを聞き、些か我が魂は清らかになったようだ。
改装中の喜寿庵には何と神棚がしつらえてあって、いっそこの際捨ててしまおうかと思ったが、大工さん達が「それだけはヤメろ」と寄ってたかって説得され、おまけに宮司さんまで紹介されてしまい、厳かに『霊移し』と『霊鎮め』の儀をやらされた。改装工事に従って神棚を移動させ戻したからだ。一般に建築・土木の従事者は神事を貴ぶので仕方なくやった。
そのあたりで開花宣言がなされ、満開の頃は亡母の命日で今年は十三回忌にあたる。一昨年身罷った親父は三月(みつき)遅れで三回忌だから面倒なので一遍にお経を読んでもらい、両親を懐かしんだ(オヤジは『テキトーに早めやがって』と怒っていたかもしれないが)。
そして今年も満開になった菩提寺の枝垂れを見て気が付いた。
今、命あるものをいつくしみ、しみじみと思うものが『愛しい(かなしい)』で、すでに亡きモノを儚く感じるのが『悲しい』なのだ。咲いた桜は愛しく、散った桜は悲しい。
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屋形船大川堤桜(やかたぶねおおかわばたざくら)
2026 APR 3 20:20:07 pm by 西 牟呂雄
お花見に屋形船を仕立てて隅田川を巡る、これ一度やってみたかった。
浅草橋から柳橋までいそいそと歩くと船宿の看板。神田川から隅田川に抜けるところです。舟遊びの伝統はお江戸の昔から現代まで綿々と続いています。途中、戦中はそれどころじゃなく、戦後の高度成長時代には水質悪化や埋め立てで消えていましたが、70年代に釣り宿が観光用に今日の屋形船を復活させました。お陰でアタシなんぞもご相伴に預かれるわけです。なんたって柳橋ですからもうチョイとはずめば幇間も呼べますし御姐さんも。ただ、芸者衆は和装のアルバイト・コンパニオンですからお勧めしませんがね。
池波正太郎の江戸話は、このあたりから主人公が女を連れて船宿から上がってくる描写が秀逸で、憧れたもんです。
まだ日のあるうちに船を出せば気分はもう高尾太夫をはべらせた伊達藩主綱宗公。
神田川を下って大川に出ると上流に向かいます。
両国橋を右に見て蔵前橋へ、さらに上って厩橋(うまやばし)、駒形橋、妻橋(あづまばし)、言問橋(ことといばし)、桜橋(さくらばし、歩行者専用のⅩ字型の橋)をくぐったあたりから桜が見えてきます。白鬚橋(しらひげばし)の手前にアンカーを打って宴会が始まりました。
ところでこの白髭橋から勝鬨橋まで14の橋が架かっていて(僕が子供のころは築地大橋はなかった)、かつて全部言えなきゃ江戸っ子じゃねぇ、なんて言われて必死に暗記した覚えがありますが、やってみたら忘れてた。
カラオケが始まります。初めは無難なオジサン・ソング(平均年齢60代後半、僕が上から二番目の72才)でしたが、途中から時期的に『桜しばり』にしようとなったものの、さくら/ 森山直太朗、桜 / コブクロ、次は桜坂 / 福山雅治、あたりで続かなくなり盛り下がってしまった。
ビールでお刺身、熱燗に天婦羅を堪能して酔っぱらった頃に柳橋に戻ってきました。
フラフラと船を降りると気分は池波正太郎が描く『剣客商売』の秋山小兵衛。愛人である女将のおもとに別れを告げてもう一軒行きましたとさ。
さあ開幕だ 日本ハムファイターズ
2026 MAR 28 21:21:56 pm by 西 牟呂雄
ミラノ・コルティナもよかった。WBCも楽しめた。大相撲ものこったのこった。それに春の甲子園ね。
だが、やはり燃えるのはこれから始まる長丁場、プロ野球の開幕である。私にとっては勝っても負けてもイライラとストレスの日々が始まる。
ところで普通リーグ2位のAクラスはフランチャイズで開幕するのだが、まだ寒い札幌を避けてなのか我がファイターズはよりにもよってC・Sで2年連続苦杯を舐めた宿敵ホークスと博多で戦う。
上等である。今後の戦略を立てる意味でも相手にとって不足はない。昨年耐えに耐えていた新庄監督(一昨年まではバカ・ボス、B・Bと呼んでいた)への罵詈雑言を再び再開させるのか、今年は褒め殺しにするのかを占う3連戦と位置づけた。
心配なのはWBCでメッタ打ちされて負け投手になった伊藤が立ち直っているかどうか。この点ではノーヒットでスタメン落ちした近藤を擁するホークスとはハンデ無しと見た。更に今年は、しばらくホークスに預けていた有原を引っこ抜いたからこの点はアドバンテージになる。ひとつ上沢にぶつけてみるのも面白い。
先発は回るか、守備は充実しているか、バントは決められるのか、清宮はチャンスで打てるのか・・・、えーいキリがない。とにかく開幕戦だ。
ホークスは元我がエースの上沢できた。ここは有原と行きたいが、やはりこちらもエースの伊藤だ。ところが間の悪いことに僕は夜桜の花見に行って、酔っぱらって帰って来ると何じゃこりゃ。外野は全部ホークスを応援している、完全アウェーどころではない。こっちも燃えてきたぞ。
すると試合は清宮が打つ、万波が打つ、敵は栗原が打つ、近藤が打つ、山川デブが打つ、ホームランだらけだよ。エースもクソもあったもんじゃない。ふふふ、大味な野球ならフライヤーズ以来の伝統でこっちのもんだ。
と、途端に追加点を取られて伊東は潰れる。小久保監督も上沢からフェルナンデスに代える、やるなぁ。うわっ、水谷H・R、これで5-5。だが古林(グーリン)が1点取られ、杉山に出られて負けた。ふぅ、いい試合でした、先は長い。
よーし、次は負けない達だ。
おォ、きょうも打つ。野村が打つ、新外人カストロが放り込む、いい出だしだ。
だがいくら『負けのつかない』達とはいえ打たれる時はある。あれは新庄監督のミスだよ。近藤に打たれた時点で代えるのを、ナメたのか柳田・山川まで引っ張ることはないだろう。
8回の満塁のチャンスには、何故かド下手キャッチャー清水を代打に送りあっけなく無得点。あいつを使うなとズーッと言ってたろうが、コラ。ついでに去年は二軍暮らしのロートル福谷を不用意にマウンドに上げて山川に二日続けてH・Rとはどういうことだ。
杉山を出されてこりゃダメとあきらめたら、そこから粘った。ここはいいんだよ。それが2点返したところで再び意味不明の出戻り西川を代打に送ってオ・シ・マ・イ。連敗とは何事か。いいゲームだったと言えなくもないが、こういう負け方は2倍堪える。夜までブログが書けなかった。
新庄監督!明日負けたら(影の)オーナー権限を行使するからな。
あしたは満を持して有原。いいか、毎日毎日6点取られてるんだぞ、お前は点を取られるなよ。
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猛獣使いの話
2026 MAR 20 17:17:20 pm by 西 牟呂雄
無分別に使いちらしてみて分かった!AIが飛躍的に進化して便利になるだろうが、人間のバカさ加減や根性の悪い犯罪者が減ることはない。
社会が進歩しようが堕落しようが、現に世界中が19世紀の帝国主義時代に勝手に逆戻りした。さすがに原爆を撃ち合う事態に陥らないのは自分も滅びてしまうからだ。
そう考えたら何も老人のオレが必死になって新時代に追いつく必要も理由もない、それも腑に落ちた。
AI社会に勝者はいない。AIツールを一生懸命開発したところで安住の地にたどり着くことはない。ものすごいスピードで競争者が現れて抜き去っていく。ユニコーンは生まれ続け、新たに出てくる芽はおそらく買収されることになる、そうでなければ追い落とされる。当面はGAFAMが君臨するだろう。
我が国はそちらの稼ぎはほっといて、帝国主義に巻き込まれることなくハリネズミのように、更にガラパゴス化を進めた方がいいと思うがな。まっ、飛び出したい方はどうぞ。
それでですね、悪党帝国が疲れ果てるのをジッ待っていながら、宝石を磨くように日本自身が輝きを増すべくセッセと練磨してりゃ、5年から10年くらいすれば向こうから寄ってくるさ。そもそも30年も失ったんだからどうってことないでしょ。ソフト・パワーで行こうぜ。
問題は30年の間に格差が広がったことか。ところが、数字的にみると実は2000年頃までは大したことない。ジニ係数は2020年あたりから上がり始めた。つまりコロナ禍以後の話だ。
すると時期的には円安の進行とAIの飛躍的進化に重なるのは興味深い。つまり日本はお呼びでない、と。それなのに必死に喰らいつこうとするから歪むのであって、早い話がチャイナが簒奪していった(急速に富を蓄積した)皺寄せだと解釈すれば自ずと解は見えてくる。もっと長い(50~100年)スパンで考えて見ればジタバタしても始まらない。悪党帝国同士が張り合って疲れるのを待てばいい。
その意地の張り合いをかつては冷戦と呼んだが、今は帝国主義の時代になってしまったから核武装でもしないかぎり我が国が食い込む余地はない、とワタシは考える。
話が飛んでしまった。元に戻すと、あまりの便利さに結論だけを聞きたがるような連中はますます自分で思考することをやめて、そのうちに考えることができなくなる。思考も思想も理論も構築することのできない脳になった人間は一体人間だろうか。
モノも考えられない人間がキーボードをサッと叩いて結論はお任せ、これではいかにもマズい。こうして日本人(いや、人類か)が2極分化してしまっても、まぁ私のような老人は構わないのだが、多少なりとも処方箋を考えなければ今まで好き勝手にやった者としては申し訳が立たない。
直感的に、Z世代以下の世代はAIを使うなと言ったところでジャンジャン使うだろうから、せめて中等教育ではAIを仮にに使ったにせよプロセスや結論を音読し、鉛筆でも握って紙に書き取って、口と手を刺激して脳を鍛えた方がよかろう。
というのも、私自身手で書こうとすると簡単な漢字を忘れている時がある(年のせいとの声もあるが)。ましてや「薔薇」だの「憂鬱」だのはお手上げだ(やってみた)。これからは孫の漢字の書き取りにでも付き合わなければならん。
AIは例えて言えば猛獣である。優れた猛獣使いが必要なのだ。ゾウとかライオンやトラといった危険な猛獣を使いこなすノウハウを持ったインストラクターが鍛えてこそ火の輪くぐりのような芸をさせることができる。そうなるとAIに色々な芸をさせる展示会はサーカスのショウになり、それがビジネスになるかもしれない。
そうなるとAIによって最もダメージを受ける仕事はソフト開発のヒューマン・リソースだろう。ナラティヴは熟練が必要だがストーリーは簡単にできる。
その頃はもうベーシック・インカムが導入されて人間は芸術を楽しみスポーツに打ち込み恋愛を謳歌して遊んで暮らせる。僕は年寄りだからボケて桃源郷にいる(生きていれば)はずだ。
ところで「AIは猛獣」という例えを電車の中で思いついて、あまりのハマりようにニヤニヤした。かなりアブナイおっさんに見えただろうな。
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