日本史 五つの仮説
2025 NOV 8 11:11:01 am by 西 牟呂雄
前回、ロバート・キャンベル先生の話の中から飛躍して、茶器の逸品「付藻茄子(つくもなす)」は大坂夏の陣で粉々になったのを、徳川家康が漆塗師の藤重藤元・藤巌親子に復元させて『これが本物だ』と嘘を言い張ったのじゃないか、という荒唐無稽な想像を楽しんだ。だがひょっとすると、日本史にはそうやっていまだに騙されているような秘密はほかにもあるのではないだろうか。
有名な噂話では豊臣秀頼は秀吉の実子ではないとか、凄いのになると孝明天皇は毒殺され明治天皇は南朝の血を引く大室寅之祐がなりすました、等々。
面白いので有名無名オリジナルのホラ話を綴ってみた。
漢委奴国王印偽物説
1784年、福岡県の志賀島で百姓が水田の耕作中に巨石の下から偶然発見したとされるが、昔から『あれは偽物』説が絶えない。発見された場所が江戸期という比較的新しい時代にも関わらずはっきりとしていない。
黒田藩の儒学者亀井南冥が『後漢書』の金印であると言ったからそうなったらしい。
そもそも志賀島には金印にある奴国の遺跡など全く無いとか『委』に人偏がついてないとかツッコミ所は満載。
お墨付きを与えた亀井南冥が黒田の殿様にニオベンチャラを言う目的で自分でこしらえた、というのが本当じゃないかな。高くついただろうが。
藤原不比等落胤説
藤原家の人々が秘かに伝えてきた噂だが、僕は末裔から直接聞いた。
飛鳥板蓋宮の乙巳の変で蘇我氏中心の政治を改めて改革を始めた。のちに天智天皇と藤原鎌足コンビになるのだが、その前に中大兄皇子時代の愛妾を中臣鎌足に下げ渡し、その時に既に懐妊していた愛妾は男の子を生み、それが不比等だという話。
事実不比等は壬申の乱の後には不遇を囲っていたが、下級官吏から次第にのし上がり、息子たち4兄弟は出世するあたり妙にイミシン。藤原家は他にも一条天皇の第一皇子である敦康親王が道長の養子となっている。臣籍降下しないで養子になるところなんかますます怪しい。『公卿補任』『大鏡』『帝王編年記』『尊卑分脈』といった文書にも記され、平安時代にはある程度知られていたことがうかがえる。
すると天皇家男系男子のY1aの遺伝子を引いていることになるので、皇統維持の有力な候補になり得る人材がいるのではないかな。
そう言えばウチも家系伝説では藤原の流れという事になっている、たぶんウソだろうけど。
北条一族頼朝暗殺説
頼朝は前年末、相模川の橋供養からの帰路で落馬し、直後に体調を崩して翌1199年の1月に死ぬ。だが、吾妻鏡が死因について記述するのはそれから13年も経過してからだ。
北条氏が鎌倉時代を通じて何やら暗い印象を受けるのは、頼朝が死んだ後次々と頼朝と正子の子供達が謀殺されていることが遠因と思う。が、実際の暗殺に関わったとは言わないが実子の死後も平然としている正子の根性を思えば頼朝の死も・・・。
そして今度はウチの母方だが、頼家亡き後に『私も源氏の血を引くのだから次の鎌倉殿は私かな~』と大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で調子に乗って言い放ち、北条に誅殺された先祖がいる。平賀朝雅という。
いずれにせよ源氏3代どころか有力御家人をかたっぱしから片付けて京都から将軍を連れてくるなんぞ、もし策を巡らせてやったのなら大したもんだ。
西郷隆盛龍馬裏切り説
やったのはいまでは見廻組と判明している。しかし龍馬が死んで得をするのは幕府側だけではない。
龍馬は船中八策に見られるように共和制を唱えてはいるが、基本的に公武合体主義者であり、徳川慶喜を新体制のトップにする構想(船中八策は後世の偽書とする説も有力だが)を持っていたようだ。
そして龍馬暗殺時点では薩摩=西郷は倒幕の腹を固めていたと見られ、すでに龍馬は邪魔者だった。
そこで必死に龍馬を追っていた見廻組に潜伏先をチクって殺らせる・・・。
西郷は豪放磊落な人格者であるが密偵の使い方もうまく、人名が明らかになった者だけで三人いる。江戸で焼き討ちを実施した益満休之助、アメリカ公使館員のヘンリー・ヒュースケンを暗殺した伊牟田尚平、後に赤報隊を率いた相良総三の三人。かなりエグい仕事をやったようで、三人とも不審死した。
誰かを使って居所を示唆した可能性はあるかな。
この場合、見廻組にチクったとすると、なぜ新撰組を使わなかったのかという謎は残る。思うに使わずにおいて逆に『やったのは新選組だ』という噂を広め捜査を混乱させたのかも、スゲー。
とは言うものの、プロの間では否定されているそうだ。
帝国陸軍にコミンテルンのスパイ説
ロシアの機密文書の公開でにわかに注目を浴びた説。だが、2・26事件の背景とは言わないが、天皇親政と共産主義は相性がいい、という言説が陸軍内部にあったことは確かである。
盧溝橋事件も日中を離反させるために仕組んだ陰謀だ、とまで飛躍するのだが。そうなると張作霖爆殺も満州事変もみんなコミンテルンの仕業と比定されるので耳障りがいいがどうだろう。
以前チラと書いたことがあるが、国民党の秘密組織であるC・C団のトップ陳兄弟の弟、陳立夫が戦後も台湾で存命していた。歴史家保坂正康がインタヴューしていて『当時の帝国陸軍にコミンテルンのスパイがいたはずだ。こんな簡単なことが分からないのか』と言ったらしい。
1918年、モスクワにおいてボリシェビキの会議が開かれ、日支闘争計画案が決議されていることは史実。
一方で開戦前のアメリカ中枢に多くのソ連スパイがいて、ハル・ノートの原案を作成したハリー・ホワイトは実際にスパイ容疑が掛ったのち不審死している。
大本営作戦参謀だった瀬島龍三は関東軍参謀としてシベリア抑留中にスパイ訓練を受けた、との証言がある。「厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」「これらの人物は共産主義革命のため、モンゴルのウランバートルに存在した第7006俘虜所において特殊工作員として訓練された」「シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」等々。
いっそもう一捻りして開戦前からコミンテルンと繋がっていて、海軍に真珠湾をやらせ関東軍を煽り辻政信を調子に乗せ、実はこっそりゾルゲと酒飲んだりしてた・・・。どうかな。
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