竜馬パシる
2026 OCT 1 6:06:46 am by 西 牟呂雄
無謀にも京都に進軍し、のちに『禁門の変』として知られる長州藩の暴挙は、御所を守る会津と急遽出動した薩摩の両藩によって鎮圧された。ここで大きな働きをしたのは京都にいた一橋慶喜、そして島流しから復帰した薩摩の西郷隆盛であった。
勝海舟は唸った。一端調子づくとやたらと大騒ぎする一橋公とは(まだ将軍ではない)ソリが合わなかったが、西郷とは一体どういう人物なのか。聞けば一介の側用人でありながら軍賦役として薩摩藩兵を指揮し、あの来島又兵衛率いる長州勢と会津の間に割って入りこれを鮮やかに撃退している。
さて、どうしたものか。この時、勝は幕府軍海軍幹部の要職にありつつ、列強海軍に対する備えのために神戸海軍操練所の運営に当たっていた。いきなり西郷に会うわけにもいかない。
『勝先生、京の話は聞いたが。西郷ゆう薩摩の大将が加勢して長州を追っ払ったちゅう話』
『何だ、竜馬か。早耳だな、女にでも聞いたか』
『長州はいきなり御所に大砲を打ち込んだそうぜよ』
『おう、そうらしい。で、どうした』
『・・・先生、どうしたもこうしたもどがいにするがじゃ』
『あのな、おまえさんが熱くなろうが世の中は関係ねぇ』
『何をいうとる。長州は天子様にも幕府にも弓を引いとる』
勝は例によってせせら笑っていたが、ハッとした。そうか、こいつがいた。やけに明るくモノもわきまえないくせに妙に度胸が良くて腕も立つ。頭は大したことはないが計算はできるし、こいつがいた。
『なあ、竜馬。おまえさん紹介状を書いてやるから一つその西郷に会ってこいや』
『西郷は薩摩の大将じゃろ。先生は幕臣ぜよ。時局柄外様の大藩の者と大っぴらに文のやりとりをしたら差し支えるがじゃ』
『おまえさんの頭じゃそうなってるがな。おい竜馬。それじゃ幕府とか藩とかそりゃいったい何だ。第一それが面倒になったから脱藩浪人になったんだろう。そんなお前さんが会いに行くのなら不思議でも何でもない』
『それは・・・』
『ふふふ、ところで藩も幕府もなくなったらどうなるんだ。おまえさんは一体どこのどなたさんなんだい』
『土佐脱藩浪人・・・』
『だから藩がなくなった日には脱藩浪人なんざ名無しの権兵衛だろ。ただの唐変木か、クククク』
『先生はどうなるぜよ』
『おいらは、にっぽんじん、・・・だ』
『にっぽんじん!』
『いいから京に行って西郷に会ってこい』
薩摩藩邸でも勝安房守の使いであれば無下にもできないが、西郷は京都での軍事上のトップである。型通りの挨拶を交わし竜馬が懐中から出した勝の手紙に目を落とした。
『こいは・・・』
西郷の額から脂汗が浮き上がった。
この時分、託された手紙を盗み見ることはまずありえないから竜馬は何が書いてあるのかは知らない。
『坂本さあ、勝先生はどんなお方な』
『時々何を考えてるのかわからん時もあるがじゃ、にっぽんじんだそうぜよ』
『ほう。半次郎、聞いたか』
傍らの男に話を振ったが男は答えずに竜馬をじっと見つめた。竜馬は北辰一刀流免許皆伝、半次郎は別名人切り半次郎。初対面の武士同士の緊張感は張りつめっぱなしだ。西郷は言った。
『坂本さあ。いかい承知しもしたと勝先生に伝えったもんせ。こん吉之助は勝先生と志は同じごわんど』
『わかったがじゃ。その通りを伝えてええがですな』
『そいでよか。文をしたためるまでもなか』
竜馬が帰った後、西郷は半次郎に問うてみた。
『おはんはあんお人をどう見た』
元々口下手な半次郎は低く呟いた。
『腕は立ちもんそ、スキがなか。じゃっどん考えは分かりもはん』
『わはは、そいはよか。おいはあん人を使うてみっと』
『何に使うと。あれでは密偵には向きもはんど』
『まあよか』
勝の書状にはこう書いてあった。『長州の事、宜シク御高配或ル可シ』
実際、西郷は密偵を使うのが上手く、江戸・京都・大阪には藩を問わず多様なネットワークが張り巡らされていた。半次郎はそのことを言ったのだが、西郷はそのつもりはなかった。まず密偵として使うには目立ちすぎる。おまけにやたらに人懐こく明るいのは、相手に警戒感は与えないだろうがそれとなく腹をさぐるなどという芸当は無理だろう。そうではない、秘密の交渉にせよ情報の収集にせよ相手の懐に飛び込んで単刀直入に切り出すタイプだ。西郷はそこに気付き、以後勝との手紙の寄り取りなどに竜馬を縦横に使った。それだけではない、海援隊結成後は宿敵長州との連絡にも大いに用立てた。
その見立ては勝も同じ。勝の本音は今もって謎が多いが、相当思い切ったことを竜馬に吹き込み、リエゾン・オフィサーとして松平春嶽・横井小楠・三岡八郎といった草莽の士と面談させた。すると、次第にただの脱藩浪人風情から国事を一人前に語る志士という評判が広がっていった。
西郷との面談の後に、勝は竜馬に尋ねた。
『どうだった』
『先生と志は同じ、承知仕ったそうぜよ。一体何を承知したか知らんが』
『そうじゃない。どんな奴だったかを聞いてる』
竜馬は少し考えて言った。
『う~ん、よう分からん。西郷は少しく叩けば少しく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口じゃきに』
勝はせせら笑った。
『それじゃお前さんみたいな野郎かい』
その後、竜馬はあちこちで培った人脈を元に、更に西郷を通じた薩摩藩からの出資を受けて亀山社中、後の海援隊を組織し、今でいうビジネスの世界を切り開いていく。竜馬の実家は才谷屋という質屋を皮切りに、酒屋や呉服商と手広く商意を手掛ける豪商である。竜馬もその血を引いていた。
その白眉は薩摩藩名義で調達した武器を長州に転売し、長州から薩摩へは米を回送するという掟破りの奇策であった。更にはグラバー商会から数千挺の銃を同様のルートで長州藩に斡旋した。このことが後に薩長秘密同盟にまで進展し、そこに立ち会うまでになった。竜馬の虚像が独り歩きを始めるのである。
海援隊は蒸気船いろは丸を運用していたが、この船が紀州藩の明光丸と衝突し沈没する事故が起きた。その際に万国公法を盾に難癖をつけ、しまいには土佐藩の後藤象二郎、薩摩の五代友厚までを担ぎ出し、積んでもいない銃火器・金塊・陶器などの賠償金7万両を紀州藩からふんだくった。
一人悦に入る竜馬だったが、大金を自在に動かし諸藩を斡旋する不気味な存在となっていく。
思想的には穏健な公武合体派であり、要は稼げれば勤皇だろうが佐幕だろうがお構いなしの竜馬に対し、第二次長州征伐の後に薩長は武力討幕の意思を固めつつあった。
慶應3年、ついに将軍徳川慶喜による大政奉還がなされた。幕府側からも薩長からも用済みの竜馬は邪魔者、暗殺まであと一月。
結局紀州藩から巻き上げた7万両を竜馬が見ることはなかった。支払日の前に見廻り組によって暗殺されてしまったのである。
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皇軍未ダ屈セズ Ⅱ
2026 SEP 23 17:17:18 pm by 西 牟呂雄
に書いた話は例によって私の妄想の賜物だが、敗戦処理のため天皇陛下の勅使がマニラのマッカーサー元帥の元に飛んだのは史実である。陸軍参謀本部次長河辺虎四郎、外務省の岡崎調査局長外1名、陸軍少将天野参謀本部作戦課長外6名、海軍少将横山軍令部出仕外6名の陣容だった。
この海軍の随員『外6名』の中に実にユニークな文官が二人いた。
一人は溝田主一、海軍省の嘱託。1930年のロンドン軍縮会議での通訳として大活躍した。日本側の参加者は若槻禮次郎首席全権、財部彪海軍大臣、松平恒雄駐英大使、永井松三駐白大使にアドバイザーとして海軍少将になったばかりの山本五十六といったメンバーだ。その中にあって、流暢な英語と立ち振る舞いから他国の海軍関係者からは『ジョージ・ミゾダ』と称されしばしばアドミラル扱いを受けた。
余談であるが、海軍はアドミラル(提督)の乗船時の栄誉礼は各国とも共通で、まずタラップを上がってくる際に「カンカーン、カンカーン、カンカーン、カンカーン」と鐘(船鐘)を8つ慣らし、館内放送で『アドミラル〇〇、アライヴィング』と伝え、礼装に身を包んだサイドボーイズが8人で迎える。この鐘の数とサイドボーイズの人数が階級を表していて、大佐となると4つ・4人になるという明確な違いがある。
山本五十六とはこの時以来、長きに渡るブリッジ仲間となった。
スタンフォード大学の出身で、当然アメリカ通だから日米開戦には大反対だった。したがって真珠湾以後は海軍省お構いという身分で蟄居閉門の扱いとなっている。しかし面白いことにそれなりに高い給料は出続けていて、負けて激ヤバの交渉であるマニラ派遣団に加えられた。
もう一人は杉田主馬海軍書記官、中尉待遇の文官であった。東大卒業後なぜか海軍に国際法顧問として取り合えずの就職をしたわけだ。そしてケンブリッジのトリニティ・カレッジに留学して英語と国際法に磨きをかけることになる。現地では、まぁ勉学にも勤しんだのだろうが、ケンブリッジ大学管弦楽団でチェロを嗜み、ゴルフを楽しみ、車の運転に熟達した。
先の溝田氏も大変なゴルフ好きであり、晩年まで1ラウンド70台のスコアで回った達人だったが、杉田氏もまた帰国後に海軍省に勤務しつつ盛んにやったらしい。土曜日にはフォードの愛車にクラブを積み込んで海軍省に当庁し、昼過ぎにはプレイに行った逸話が残っている。
実は帝国海軍はロイヤル・ネイビーを範としたためゴルフに関する話は多い。日本人で初めてゴルフをやったのは水谷叔彦海軍機関少将で、英国王立海軍大学へ留学した際にロンドン近郊のブラックヒースでプレイしたのが日本人のプレイの最古の記録である。大正10年、昭和天皇の皇太子時代の訪欧の際、英国アディントン・ゴルフクラブで皇太子がゴルフをプレーされる場に随行したのは海軍中将小栗孝三郎だった。
尚、河辺勅使団には陸軍側からも大竹貞雄少尉・深町専治嘱託という二人が随行していた。
この大竹少尉もまた数奇な運命に翻弄された人で、サンフランシスコで生まれた日系二世、。通称はロイである。1924年、排日移民法が成立したため一家で帰国した。その後は山梨県の父の実家で苦労したが、地頭のいい人のようで東京商大に進む。するとが左翼運動に関与し退学。再び渡米しニューヨークの同盟通信記者として活躍するようになる。
改選前の1940年に本社転勤となって久しぶりに日本に来るが、二世だったことが睨まれたのか左翼運動が尾を引いたのか、いきなり徴兵されて中国戦線に従軍させられた。その間、同じ日系二世の高村悦代と結婚している。3年後、語学力を買われて参謀本部第2部の情報将校に抜擢された。
因みに悦代の弟、統一郎は日本において早稲田を卒業後志願して陸軍の特別操縦見習士官となり、特攻により戦死している。ここから話はさらに劇的になる。マニラに飛んだ大竹貞雄少尉はホテルの警備に当たっていた日系二世を見かけて話しかけたところ、妻の末弟すなわち統一郎の弟高村総二郎だったのだ。ハワイで徴兵され米陸軍情報部で通訳などをしていて、義兄弟の初めての対面であった。
大竹貞雄は戦後共同通信で記者に復帰し、1951年のサンフランシスコ平和条約締結では取材班キャップとして現地入り、記事はボーン国際記者賞(現ボーン・上田記念国際記者賞)を受賞した。
総じて海軍はこういう時のためのキャリアを養成していたのに陸軍は付け焼刃の感が否めない。国際法の専門家はいなかったのか。
さて、陸軍のもう一人の通訳である深町専治については、いくら調べても全くヒットせず前後の経歴も不明である。
それでなくともこの訪問団は帰国時のトラブル等謎が多く、筆者はこの人物は秘密工作員で偽名を使っていた可能性を感じている。そうだとすれば、そのミッションとは何だったのであろう。ここから筆者の悪い癖が出て、バカバカしい妄想に取り憑かれてしまった・・・。
真面目な読者の方は以下の文章は無視してください。
工作を仕掛けるとすれば徹底抗戦派の妨害だろう。3つの陰謀が想定される。
➀ 米側の文書をわざと誤訳して到底受け入れられないと会談を決裂させる
➁ マッカーサー司令部の幹部が集まった際に自爆テロを決行し日本占領を遅らせる
➂ 合意した文書を日本に持ち帰らせないでもみ消す
いずれにせよ、密命を受けた中野学校系の情報工作員あたりで、任務に失敗したためまったく表から消えていったのではないだろうか。ジャンジャン!
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渡航の際に推奨されるが
2026 SEP 18 23:23:18 pm by 西 牟呂雄
インドにいます。ここはスーラトというグジャラート州の街で、北西部の古い港町。
インドの歴史は実に複雑で、ここがどうなって、という具合に一筋縄ではいかないからブログなんかで追い切れるもんじゃない。現在は世界のダイヤモンドの加工の9割がここで行われ、巨大なスーラト・ダイヤモンド取引所があることで有名。そして建国の父、マハトマ・ガンジーや今日の指導者モディ首相もこの州の出身だ。
ただこの州の問題は、ダイヤモンドもモディ首相もどうでもよくて、ガンジーが「酒屋は社会に対する耐え難いのろい」という言葉を残したことである。
ガンジーの偉大な生涯はひとまず置く。筆者は英国で勉学中に神秘思想結社・神智学協会に被れ、創始者であるブラヴァツキー夫人にも会っていたことに注目している。その影響は南アで弁護士として活動するあたりから強く出て、極端に禁欲的になり、酒なんぞは以ての外になってしまう。おかげでガンジーの残した言葉に忠実なここグジャラート州は禁酒、ドライ・ステートになってしまった。一般的にヒンディーもムスリムもシーク教も他のナントカ教も飲酒に関してはうるさいのだが、よその州では平気で飲んでいる。
この田舎町にあるマリオットに投宿し、現地のエージェントが気を使ったつもりでナントカ・アジアという国籍不明の食事をした。するとウナギ・モドキやらスシ・モドキがでてきてビビッたが、親善の根性で食べた。
インドというと渡航の際に検索すれば、破傷風じゃ狂犬病じゃ挙句の果てに腸チフス・日本脳炎の予防接種が推奨されるが、僕はこれらを受けたことはない。気にする人はビュッフェのレタスやニンジンも現地の水で洗ったといって口にしないが、平気で食べる。それでもモドキを食べるのは些かねぇ、ノンアル・ビールで流し込んだが、今頃、日本にはない珍しい寄生虫が繁殖しているかも知れないなぁ。
外国人の場合、所定の手続きを踏めばビールでもウィスキィでも買えるそうだし、空路で入った際にも検査は全くなかった。だがレストラン等衆人環視の公の場では外国人も飲酒禁止だ。不名誉な日本人になるのも気が引けて飲まなかった。
田舎であっても『インドの矛盾』そのものの光景があり、スラム同然の街並みの中に忽然と怪しげなギリシャ彫刻を施した門構えの邸宅が普通に出現する。通りかかったときに住民らしいベンツが門の中に入っていったが運転していたのは若い女性だった。
郊外に出れば、勃興するインドの力強さを感じさせるトラックの渋滞が続き、道端には牛が歩き、働いているのか遊んでいるのか不明の人人人。トラックはことごとく過積載で横に広がっているのじゃなかろうか。マナーの悪さはとても我々では運転不可能の危険さで、胃が痛くなりそうだった。
そして街並みが切れて荒野のはるか先に、目下急成長を遂げている製鉄業のシンボル、高炉が視野に入った。今回の訪問先である。
長丁場の出張で、次の都市はハイテク・シティのハイデラバードに。ホテルについてまずやったことはバーに駆け込んでビール。
ここではイキのいい日本人の青年が迎えてくれた。詳しい話は割愛するが、AIブームはここインドでも当然盛り上がっていて、巨大データ・センター立ち上げのための準備に忙しい。食事の時に妙なる尺八のような音色が聞こえてきて不思議だったが、客室に戻ろうとしたらオッサンが民族楽器なんだろうが横笛を吹いていた。コブラはいませんけどね。
気持ちよくインド・ウィスキイに酔いしれてその日は安らかに眠れた。
翌朝、高級ホテルの窓から見下ろせば・・・やはりスラムが。この国は末恐ろしいよ。
僕はもう古希を過ぎているから若い日本青年と共に夢を見ることはかなわないだろう。が、しぶとく賢くこの地に根を張っていく過程の証人にはなってみたい。一筋縄ではいかないだろうが。
旅はまだ続く。
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覇王殺戮の儀
2026 SEP 13 19:19:19 pm by 西 牟呂雄
ひとたび合戦の場に立ちたるや、命亡きものは覚悟の上にてことさら思うに能わず。義を守り主君を守り、敵を欺いて誅殺することこそ武士の本懐にあれ。大将首取って主君の御前に供えてこそ天晴なる振る舞いと心得る。方や将たる者は知恵を絞り策を練り味方の消耗を少なく敵に大損害を与えて勝利目指すべし。
さりながら、将においては唯、人の死にたるをのみ喜ぶ風ありて、しばしば目を背けたくなるような振る舞いに至る者あり。かようなる者、覇王に多し。
織田信長公に於かれては、天下布武を始めてより京に公方様を据えてより。叡山延暦寺に激怒し一山を焼き討ちにする振る舞いに至る。彼の霊山が燃え盛り逃げ惑う僧侶をなで斬りにし隠れていた郷の者までを磨り潰すように誅殺してから、些かお狂いのタガが外れたかの様子。
一向宗門徒を憎むこと甚だしく、伊勢長島にて願正寺に立て籠もりたる二万にも及ぶ宗徒を焼き殺すに及ぶ。
矛先は加賀にも向けられ、女子供に至るまで山狩りまでしてなで斬りに。降伏した者まで片っ端から磔・窯茹でにして死者は伊勢よりもはるかに多く五万人とか。加えて数万の男女を美濃・尾張に連行して加賀は人が尽きた如く有様となりし。
これより先、謀反を起こした荒木村重の一族など36名を京の町を引き回した末に六条河原で斬首。有岡に残された女・子供を百人ほど磔に、残り数百名は家屋に閉じ込め火を放ち焼き殺す。
また、安土より竹生島に参拝し帰ったところ、女房衆が桑実寺へお詣りに出かけたことに激怒し、いきなりこれを成敗したとは狂気の沙汰なり。
あとを継し太閤殿下も又、戦の振る舞いはさておき晩年の行いはかくも似たり。まるで思い付きのようにかつての家臣を追放し切腹させる。
文禄三年には見せしめなのか石川五右衛門とその家族を油で茹で殺し、一味20人程を三条河原にて磔。
猜疑心の塊に成り果て老醜を晒すに似たり。大和大納言秀長亡き後は千利休に切腹を命じたるはさしたる理由も明らかならず。挙句の果てに甥の秀次を謀反の疑いで切腹させ、秀次の妻妾・子女ら39人が三条河原で処刑される。秀次の家臣たちも片っ端から斬首の憂き目に。利休・秀次の件については寝物語に淀君の讒言アリやナシや。
ついに何のためか皆目分からない朝鮮への出兵で禍根を残した。人たらしは表面だけと見た。
真打東照大権現神君家康公は上記二人より益しかと言えば、若い時分に正妻を粛正し長男を切腹させているものの、晩年に至っても『思い付き』や『突然の激怒』で人を殺しまくった印象は少なし。大阪冬・夏の陣への執拗な豊臣家への挑発はあるが、天下取りのための戦と見れば当時は当たり前すぎて異を唱えるほどの事は無し。むしろ関ケ原で敵対した毛利・島津への処置は寛大とも言うべし。それともいずれも遠すぎてもう億劫になったのか。
その両藩が維新の原動力となったのならば目出度し目出度し。誠に本邦覇王はかの二人を置いてほかに無し。良き国と知れ。
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プロの領分 Ⅱ
2026 SEP 7 17:17:23 pm by 西 牟呂雄
以前のブログでも紹介した友人のライヴである。バンド名は Ichi&Acoustic・Univer・Souls。
初めはフィドル(Fマンドリン・バンジョー・ぼくの友人)、ギター、ギター(ヴォーカル・アルトサックス)、パーカッションのアコースティック・カルテットだったが、やはり音の厚みが欲しくなるらしく、ベースが入りキーボードをスペシャル・ゲストで呼ぶ6人編成になっている。で、提題の通り紛れもなくプロで、プレイヤーとしてはスゴ腕。が、こういう業界はバンド一本で食うのは難しいらしく、皆掛け持ちで活動しているからこのメンバーで出られるのは年に何回もないそうだ。
写真は一番右がバンマス(フィドル)の弟とスペシャルゲスト(キーボード)の兄のM兄弟が二人でバンジョーを弾き比べる珍しい趣向の一曲を写したもの。弟のMCが『兄貴のやっていたサウンドがうらやましくで教えてもらったら上達した』と言うと兄の方が『少し上達したところで、当時日本一のバンジョー・プレイヤーが「キミの弟は僕の次ぐらいの腕がある」と言っていた、とおだててプロデュースした』と応じて受けていた。今でも二人とも見事なモンだが、その日本一とは誰のことだったのだろう。案外自分のことだったりして。
実は時々僕の好きな曲をバンマスに密かにリクエストして気に入るとレパートリーにしてくれる、という楽しみを続けていて影のプロデューサーを自称しているが、今回は2曲も応えてくれた。一つはザ・バンドというグループがボブ・ディランのバックグループから独立してヒットさせた『The Night They Drove Old Dixie Down』という南北戦争の歌。重厚なテーマを歌い上げコーラスが秀逸だった。このDixieが南部を指していて(ディキシーランド・ジャズとかね)歌詞の中のyankeeはが北部人を指す(不良のことではない)。南軍の名将ロバート・リー将軍も出てくる、名画『風と共に去りぬ』の世界ですね。面白いことに作詞作曲したロボー・ロバートソンはカナダ人で、メロディが浮かんだ後に歌詞の構想を練ってわざわざ図書館で調べたそうだ。
もう一曲はドゥービー・ブラザーズの『Long Train Running』ノリが良かったですねぇ。因みにドゥービーは80年代のスラングではマり〇ァナのこどだったんだけど、良く名乗れたもんだ。おまけにブラザーズといっても兄弟は存在しない。動画を撮ってはダメと言われたのでホンモノで勘弁してください。
途中、ある曲についてこんなMCがあった。『次の曲は鬼門なんですよ』『う~ん、リハーサル散々やったよね』『いや、リハーサルやり過ぎたんだよ』『そう、やるたんびに「ここはチョット遅らせて」とか「抜きが早すぎるんだよ」とかみんな言うから終いに初めの頃言ってたこと忘れるだろ』実にふざけた話だと思ったが、演奏はまとまっていた。
しかしオーケストラのリハーサルでは指揮者が指揮棒を譜面台でカチカチさせて演奏を止め、いろいろと指示を出して曲を仕上げていく様子をテレビなどでみたことがあるが、あれはみんなその場で覚えてしまうのだろうか。「クラリネット、3小節前からもっと弱く」「第2ヴァイオリン、ここのアクセントを強調して」「チェロ、テンポが前へ行かないように」とかかなり細かい指示だと思うが、どんなものだろう。6人くらいのバンドなら(忘れるのはどうかと思うが)いざ知らず、あの大人数のオーケストラともなれば大変なはずだ。だが演奏者が譜面に何かを書き込んだりしている姿は見たことがない。
西村さんに会ったら聞いてみよう。
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暗黒徳川実記 後家殺し
2026 SEP 5 21:21:41 pm by 西 牟呂雄
慶長八年、都の東山高台院はようやく春めいてきたところだった。
さて、秀吉は没し関ケ原も激闘の内にかたづき、最早天下は手中にある家康の最後の詰めである。家康は二条城を築城し征夷大将軍の宣下を受けるために京都にいた。そして舌なめずりをするように大阪城に乗り込む算段をするのだった。
巨大な大阪城にはいまだに莫大な金銀があり、秀頼は健やかに成長している。更に何よりもやっかいなのはあの”おふくろ様”が控えていた。さて、次の一手は。
北政所は灯火の前に座し、秀頼と千姫の婚礼の儀式次第を静かに読み返していた。そこへ、侍女がそっと告げた。
「内府様がお見えでございます」
突然の来訪にいささかたじろいだ。こんな時間に無礼であろう。家康の魂胆は北政所自身を利用するためなのは自明のこと。苦々しくも相手は次の天下人、追い返すこともできない。
家康は静かに座した。
「高台院様。秀頼様と千姫の婚礼、滞りなく進めたいと存じます。お力添え頂きとう存じます」
北政所は賢い女だ。戦国の世の荒波を夫である秀吉がくぐり抜けたのをつぶさに見てきた。家康の言葉は丁重ではあったが、その裏にある計算は透けて見える。この男は主人秀吉と虚々実々の駆け引きをしてきた、いずれ大阪を我が物にしようと考えるに違いない。
「秀頼はまだ幼く、内府様がお支えくださるなら安心いたします」
家康もまた北政所の内心の憤懣を見抜いてていた。秀頼が秀吉の実子ではないという噂も耳に入っていることも。
「お寂しゅうははございませぬか」
「あのような戦の明け暮れを味あわずにすむと思えば心安らかな今ほど幸せな日々はありがたし」
北政所はふと家康の横顔を見つめた。戦乱を生き抜いた男の逞しさと深い孤独が刻まれていた。
一方、家康は北政所の手元の儀式次第を見た。近づきすぎたと北政所が後ずさりするとさらに進み出た。
「太閤殿下は内府様を最後まで便りにしておいででした」
「そうでござったか。ならばそれにお応えせねばなりますまい」
北政所の胸が騒いだ。この男も秀吉とは違った趣味の女狂いなのだ。後家好みの狸親父と巷でささやかれている。秀吉の名を口にする家康の声は、静かではあるが不気味に響く。
「内府殿は太閤殿下とは違う方です」
北政所は崩れ落ちそうになるところを気を振り絞って留まった。すると家康は狡猾な笑みをたたえて続ける。
「違いますとも」
家康は北政所の目を見た。
慶長八年のこの時期、北政所も家康もともに京都に滞在しており、北政所55歳、家康60歳である。家康は秀吉没後から廟所(豊国社)参詣の帰りなどに、北政所を見舞っていた。手紙も残っており秀吉の追善供養に関する相談や、彼女の体調を気遣う丁寧な時候の挨拶、また贈り物に対するお礼を述べている。関ケ原直前には自分こそが豊臣家(秀頼公)のために戦っている」という根回しを盛んに訴えた。北政所の心中はいかばかりだったか。いずれにせよ男と女が互いを利用し合って化かし合いの技を繰り出す様を想像するのは一興。北政所にすれば、家臣共がいがみ合う様を静かに見下していたとすれば、それもまた一興。
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真夏のドームの華
2026 AUG 29 0:00:53 am by 西 牟呂雄
都市対抗野球は、プロ野球発足以前に日本一を決めようと昭和2年に開催された歴史ある大会である。大正時代から始まった全国中等学校優勝野球大会(現在の甲子園大会)、東京六大学リーグに次ぐ伝統を誇る。第一回大会は鉄道会社5チーム、クラブ7チームのトーナメントで優勝は大連市・満洲倶楽部だった。都市名・チーム名の独特の表記なのは今でも同じで、発足時にフランチャイズ・システムを手本にしたからだ。
当時の東京日日新聞の島崎記者が発案し、島崎と早稲田の同期だった橋戸を中心に企画されたせいか、応援スタイルは六大学形式のエールの交換が行われ、大団旗を寝かせて受ける。今でも毎日新聞はスポーツ欄で大きく取り上げるから、毎日の読者にはおなじみかと思う。
この大会は企業の士気高揚の効果が絶大なため結構金をかけてチーム造りをする。すると、出場チームをみると産業の盛衰が見えてくる。かつては炭鉱・製鉄・民営前の国鉄・民営前の電電公社・ガス会社といったところが何チームも出ていた。今でもメーカー、それも重厚長大系が多い。この業界で知らぬ者のない鷺宮製作所という強豪チームがあるが、何をしている会社なのか筆者は知らない。
だが昨今の勃興するⅠT系(既に死語?)は動かせる現金が大きいからいきなりプロ球団のオーナーになってしまうので、都市対抗なんかには目もくれない。そういえば故野村監督がシダックスを指導していたことがあったが、あのギャラは幾らだったのだろうか。
筆者はかつて勤務していたチームの応援にしばしば後楽園球場・東京ドームへと足を運んだ。実は応援での入場は企業が負担するのでタダなのだ。そして頑なにアマチュア精神を堅持しているので選手は皆サラリーマン、従って筆者の同僚も選手として出ていたし、同期の一人は法政の4番であの江川卓のチーム・メイトだった。
高校卒業後、まだ体ができていないので社会人で鍛えてからプロを目指す選手もいる。有名どころでは阪急のエース山田久志(新日鉄釜石)やメジャーにも行った野茂英雄(新日鉄堺)、彼らこの大会で活躍後にプロ入りしたが、さすがに突出した選手だったと聞く。更に特筆すべきは某チームと我が日本ハムファイターズは大変に相性が良く、目下リーグ最多勝の加藤(貴)や中継ぎ玉井の両投手がそうである。その某チームの試合を見にドームに行った(タダで)。
久しぶりの東京ドームはやや広く感じられる。ファイターズ主催ゲームと雰囲気が違うのは、それぞれの応援客が内野にぎっしりいてダグアウトの上には華のチア・ガールが陣取っているところ。これも昔は女子社員が同好会的にやっていたのだが、どうもプロポーションといい足の上げ方の高さといい、あれは外部に委託しているのではなかろうか。
一方プロの場合は私設応援団の体裁だから外野に陣取ってやる。わがファイターズは闘将会が応援旗を舞わせるのだ。
そして一般客はほとんどいないので、内野はギッシリ、外野は無人、内野スタンド最上部には人を入れていない。双方攻撃中はブラスバンドに応援コールで会話もままならない。嬉しいことに我がチームの応援歌はアニメ・タイガーマスクのメロディーで『タイガー』の所を『ファイヤー』に変えて歌う。『行け、行け、タイガー、タイガーマスク』のところを『行け、行け、ファイヤー、ファイヤー〇〇〇(都市名)』だから当然声に力が入る。
すると元々社員が観客だから異常に応援に熱がこもり(平日昼間なのに)ビールがバカ売れし、お次はハイ・ボールかチューハイ。昔の同僚や部下には出くわす、世話になっている関係先とバッタリ会う、挙句の果てに元上司がウロウロしている。これじゃ飲み会と変わらん。
都市対抗ではあるが、本社が東京にある企業の大応援団は盛り上がりまくる。大きな声では言えないが某企業は六大学の某国立大応援部OB並びに某私大応援指導部OBを積極的に採用しているという都市伝説がある(筆者の同期にもいた)。これは地方の企業が応援バスを仕立てて苦労してドームに送り込む手間に比べて遙かに効率がいいことは確か。
そもそも平日昼間に幹部が先頭に立って酔っぱらって応援しているのだからサボりと言えなくもないが文句が上がったという話は聞いたこともない。
大体ピッチャーの球速は130キロくらいなのでホームランも良く出るし、トーナメントだから一発勝負の本塁突入、走塁妨害のラフ・プレイと臨場感満載。きょうも担架が使われた。
都市対抗独特のルールに補強枠というのがある。一応地方代表なので、地方決勝で戦った相手のエースなり4番バッターなりの調子のよかった選手を借りてこられる。だがその一方でその借りてきた選手は1イニングなり代打で絶対に使わなければならないという不文律もある。今回の我が軍はよりにもよって同業の最大のライバル会社から補強していた。
接戦だったが、その補強のエースがボカスカ打たれて負けてしまった。日本ハムファイターズが現在主力を欠いて苦戦を強いられているので、せめてドームで溜飲を下げたかったが、夏の夢と散ってしまった。試合終了後に相手を称えるエールの交換まで余韻を楽しんだ。フレーッ!フレーッ!
この雰囲気を味わいたい方、来年はお誘いしますよ(タダだし)。
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あのレイモンド君が
2026 AUG 24 0:00:27 am by 西 牟呂雄
謎の人物ヒョッコリ先生が亡くなって3年がたった。喜寿庵でフト思い立って墓参りでもするか、とこの暑い中〇〇寺まで歩いて行った。庭仕事のついでなのでツナギの作業服だ。
『アッ!』『アッ!』
ほぼ同時に声を上げた、レイモンド君だ。ずいぶん大きくなって少年っぽくなったなー、と思う間もなく駆け寄ってきてギューッとしがみついてきた、覚えてくれていたんだ。以前にもお目にかかったことのあるお父さんとお母さんの3人でお墓を掃除していた。レイモンド君は大きな声でなにかを喋ってくる。『アーイアギャギョーインオージーチャニナヒブ』
『?????』
本当に何を言っているのか分からない、これ英語か。お父さんに挨拶した。
『どうも』
『わざわざお参りに来て頂いたのですか、恐れ入ります』
『いやいや、3回忌でしょう。お世話になりましたからねぇ』
『とんでもない。こちらこそご迷惑にも祖父ともども散々レイモンドを遊んでいただきまして』
『(ホント迷惑だったよ)いえいえ、一緒に楽しんだだけです。もう帰国されたのですか』
『三回忌で夏休みに帰っただけです。まだまだ帰れませんよ』
『レイモンド君、ずいぶん英語(かどうか分からないが)が上達したようで』
『それがコクニィを覚えかけたのでまずいと引っ越しまして今年から現地のプライマリー・スクールに通っています。そうしたら日に日に日本語がおかしくなるんで日本人学校にも土日は行かせるんですが時々混じっちゃうみたいなんですよ』
『ところでレイモンド君は先生のお孫さんかと思ってたらひ孫さんなんですね』
『祖父は96で死んだんですよ。私の父とは折り合いが悪くて父もこっちには来ませんでしたからね。ところで祖父は別に先生と呼称されるようなことはやっていませんよ(笑)』
『そうでしたか。たたずまいで勝手にそう呼んでました。実はお葬式を遠くから眺めていてお父様の挨拶が聞こえてきてひ孫さんと分かってびっくりしました』
『アハハ。レイモンドも懐いていましたからね。そうそう、ヨットに乗せてもらったじゃないですか。まだやっておられますか』
『はい、あさってから海に出ます(シマッタ、言っちゃった)』
『そうですか。レイモンド、またヨットに乗ってみたいか』
『ギョーイヤ!アーイアーイアイ』
『そうか。どうでしょう、私が車を出しますからご都合よければまた連れて行ってくれますか』
『(ハメられた。前にもヒョッコリ先生にやられた)・・・もちろんいいですよ』
マッいいか、と後日お父さんの運転でレイモンド君と三崎に行った。折悪く珍しく東進してきた台風メが近づいていて、房総の方はガバガバに波を被っているようだが、着いてみたら相模湾はそれなりに風はあるが海は静かである。
ゲストが来ると前もって連絡を入れていたのでクルー達も喜んで迎え入れてくれて軽く海水浴でも、の運びとなった。
前もそうだったが、この子は足が立たなくとも全然海を恐がらず、ライジャケを付けて平気で飛び込んでしまう。沈むことはないのだが、湾内は結構潮流もありチョットでも目を離すと流されてしまうから、お父さんはすぐに追いかけるのに忙しい、結局背中に乗せて泳ぐハメに。
こっちは車も便乗だし例によってちょっと舵をとった後は焼酎をガブ飲み。夜半に目が覚めると喜寿庵に着いていた。
翌日にお父さんからメールが来た。お礼が述べられていて『今後ともよろしく』とあったが、面白い写真が添えてあった。
安全対策でGPSをレイモンド君のリュックに付けているので、当日の航跡が記録されたのだ。油壷湾を出てからの航路がプロットしてあった。この海域は定置網が設置してあるので、それを避けて北上・南下の後、諸磯湾でアンカーを打って泳いだことが分かる。
その翌日だった。セッセとネイチャー・ファームにダイコンとニンジンの種を蒔いていると作業服姿のレイモンド君が『ぎょいらあらんヘラトサポイニグ(と言ったように聞こえた)』と言いながら入って来た。お寺で会ったときにこっちがツナギだったので自分も同じ格好で来たのだろうか。どうせこっちの英語も通じないだろうから普通に日本語で返した。
『レイモンド君お早う。今。ダイコンとニンジンの種蒔きしてるんだよ。手伝ってくれるかい』
分かったかどうか分からないが、ニコニコしながらレイモンド語で返事をした。
『アーイワライギョイントゥラビナガロ』
それから掘り起こして腐葉土を盛ったところに水をやり、パラパタと種を蒔いて土を被せる。時々蒔いた土の上を踏んづけたりするので、コラコラ、と怒ったりしながら二人で作業した。どうもこのくらいの子供には言葉が十分通じなくともコミニュケーションはできるものらしい。一段落して二人で座った。
『レイモンド君。ここからここまではレイモンド君の畑にしよう。ダイコンやニンジンができたら写真を撮ってあげるね』
通じたのかな。猛暑の夏でももう秋の日差し。涼しげな秋風が二人の間を吹いて行った。
すると、レイモンド語でボソボソと何かつぶやいている。大人の日本語に訳せば、もうすぐイギリスに帰ります、と言ったんだと思う。大きくなったな、こっちが年を取るわけだ。
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暗黒太閤記 外典
2026 AUG 15 11:11:33 am by 西 牟呂雄
『遅いぞ猿!播磨攻略はにいつまでに終る』
『上様。それがしにお任せあれ』
『その先に控える毛利や目障りな鞆の御所の公方様がしきりにあちこちに書状を送っているのじゃ。わかっておるのか。何か手立てはありや』
藤吉郎は頭を下げたまま、だまって右手を差し出した。そして掌をゆっくりと開いたり閉じたりしてみせた。
『それがしのこの右手のごとく』
『この六つ(むっつ)めが』
と言いつつ信長も苦笑せざるを得なかった。次に表情を引き締めるといつものごとく渋面になりどなった。
『直ちにかかれー!』
『心得てそうろーう』
ほうほうの体で下がるとニタリと笑った。実際手立てなどありはしない。
播磨は土豪・地侍の跋扈する難治の地で、いちいち攻め潰していては味方の消耗も多い。調略し・騙し・脅し・なだめてじっくり攻めるのが上策なのだが、果たして時間はかかってしまう。そこは信長も承知の上の叱責である。
信長の苦笑にはもちろん理由がある。藤吉郎の右手は親指が2本生えた奇形で、これを見せられると相手は一瞬怯み、あるいは恐れあるいは笑い、時に気味悪がるのが常であった。
ところが信長はこういった異形の者を好んだ。広く知られたように、モザンビーク出身で身長180cmはあった黒人の弥助を従者にして面白がった。その弥助を連れてきた宣教師ヴァルニャーノも大柄でお気に入りだった。
藤吉郎は竹中半兵衛を幕僚に招き入れた際にもこの手を使った。半兵衛の稲葉山城奪取の手腕に恐れ入った藤吉郎は、あらゆる裁量を任せると言い切った後、右手を見せたのである。臣従するつもりなどサラサラなかった半兵衛も、あまりの厚遇に心を動かされそうになった時点で六本の指の奇怪な動きに我を失い、以後軍師として仕えることになる。
天下一の人たらし、と言われた藤吉郎の奥の手であった。だが本能寺以後、頂点に駆け上がる間はそのようなふるまいを見せずとも、ひれ伏さないものは捻り潰して事足りた。女もである。しかし3人だけ、例外があった。
淀君は床に招き入れられたときに初めて見せられて失神する。以後、病的な贅沢に浸って過ごした。
もう一人は千利休。
初めて見せられた茶室で眉一つ動かさず、わずかに唇を動かしただけだった。
藤吉郎はいささか不満であるとともに、その唇の動きがある種の哀れみを含んでいたことを悟った。
今の自分という者は人から恐れられ敬われるべき存在のはず、それが・・・。心の中に暗い情念の残り火が燻ぶった。
3人目は徳川家康。出会った時は藤吉郎の方がはるかに小物だったため、長く見せる機会がなかった。小牧・長久手の後の天正14年ついに家康が大阪にやって来ると、登城前夜に突如家康の宿舎を訪問。手を取って奥座敷に招き歓待する。
その時、満を持して右手で酌をした。家康は大いに驚き『さすがは太閤殿下。天下に二無き吉相にござれば』とお世辞を言った。
翌日、大坂城にて臣下の礼をとり藤吉郎への臣従を天下に知らしめることになる。
実は家康はとっくの昔に藤吉郎の右手の事情は承知の上だった。無論、それを見せて相手の度肝を抜くことも心得ており、むしろいつその場が来るのかを探っていた。読みは当たった、家康はこの時を待っていた。そして、大げさに振る舞い心のスキをこじ開けたのだった。
実際に一次資料には記述はないが、宣教師の記述、朝鮮の使者の謁見記録に右手の親指が二本あると書かれている。
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救いがたい男と女
2026 AUG 8 10:10:51 am by 西 牟呂雄
『あなたって最低の男ね』
ベットで伸びをしながら女が言った。男はネクタイを締めながら間髪を入れずに言った。
『オレもそう思うよ』
女は起き上がって呆れ果てたように続けた。
『だからさ、あんたのそういうところが大っ嫌いなのよ』
『そりゃそうだろう。だったらもう帰ってこないから恨みっこ無しにしようぜ』
女は怒りに任せて飛び起きて男の首に両手で飛びつき、力を込めた。
『ウッ、何だそりゃ、ウッ、ウッ、効かないぜ、まだ息ができて話せるし』
『ウワー!!』
女は泣き出した。だが男は気にもしないでうそぶいた。
『かわいそうに。オレ会社行くから私物は捨ててくれ』
『今晩どこ行くのよ』
『分かる訳ないだろ。とにかくノコノコ帰ってきて今度は出刃包丁だったら死ぬかもしれない。泣くだけ泣いたら少しは気が晴れるから、ほらよ。ここの鍵』
キーホルダーから部屋の鍵を外して放り投げるとドアを開けて出て行った。まだ泣き声が聞こえていた。
男は思う。夜中明け方まで愚痴を聞かされてこっちもウンザリだ。反論も何もどのみちこっちが悪い話なんだから返事のしようもない。土下座でもしてみせればその場はどうにか収まったかもしれないが、あまりの退屈さに焼酎を飲みだしたのが更にまずかった。二日酔いどころかまだ酔っ払いそのものだ。
別の浮気をしたとか別れ話を切り出したんじゃない。要するにあまりのいいかげんさに女がキレた。それだけだ。確かにオレは計画性とか将来展望といったモノが欠如している。仕事はしているが、真剣に打ち込んでいるとは言い難い。帰りは良く泥酔して帰る。しばらく歩きながら相手から発せられた罵詈雑言を反芻してはムカついたものの、さて今晩はどこで寝ようかに思いを巡らし、次に切羽詰まりかけている仕事に気が飛んで、職場に着く頃は今晩はどうやって飲むか考えていた。
女はさる輸出関連会社で働くキャリア、美貌のバツイチ。30代後半らしい。男の方が多少若いようだった。女は考えた。なによあんな男。面白かったから付き合ったけど中身なんかないじゃない。時々上の空みたいになって独り言を言ったりメロディーを口ずさんだり。仕事柄キレ者だったり頭のいい男はあきるほど見てきたけれど、気難しかったりナルシストみたいなのにはうんざりしていたから、ちょっと軽めでミョーに明るいのに乗り換えたらこの有様。あれは出たとこ勝負のただのガキじゃない。体調も悪いから今日は休むわ。
さて、帰るところも無くなったしどうすりゃいいんだ。取り合えずコンビニで下着を買って事務所の近くのビジネス・ホテルを何とか確保したが、今更家出なんかどうやっていいのか途方に暮れる。カードはあるが2~3日はいいとして泊まり歩ける奴といえばえーと・・・。捨てられて惜しいのはスーツと靴か。GパンとかTシャツはいいとして、どうにもならない物は実家の兄貴に借りてっと。アレッ、何じゃこれは、女房が忙しいから今日は来るなだと、アノヤロー。アッこいつもだめか、どいつもこいつも役に立たんな。おっ一人いた。
それにしてもあいつの私物はこれしかなかったのかという少なさに今更驚いたの。歯ブラシとかカミソリとか下着・Gパン・Tシャツ以外は靴とスーツくらい。一緒に暮らして半年だからそんなものかしら。オレは物欲がないミニマリストだと言ってたけど、男は本当に何にもなくても暮らしていけるみたいねぇ。女はそうはいかないもの。そう言えば勤め先は聞いたけど、家族がどこで何をしているのかあたしは聞かなかったしあいつも言わなかった。もっともアイツも聞かなかったからあたしのことも何も知らないのじゃないかしら。風みたいにとらえどころのない奴かあ、サッサと忘れなくちゃ。
居候といえばそうなんだけど、悪いと思って家賃は半分出している。それに転がり込んだ手前、機嫌を損なっては悪いから掃除や食器洗いは全部オレがやることにした。もともと前の彼女がだらしない性格だったからオレがやってたし。トイレもユニット・バスもキッチンも食器もピカピカにしてやった。狭い2DKを分けて暮らすことも出来ないから困ったんだが、一応オレはサラリーマンで奴は水商売+芸能関係だから起きるのは早くて昼過ぎ、帰りは朝だから上手くすれば住み分けられる。
食うためには辞めずに続けるのが一番楽だからオレのテーマである『自由に生きる』にはサラリーマンが一番いい。そう思って真面目に就職してから15年。自由に生きるとはなんと不自由なんだろう。
『かしこまりました』電話を切ってサッ見積もりのフォーマットに入力。AIのお陰で仕事は楽勝。イヤな奴との商談も激減したわ。一番助かったのはハイ・スペックの割に使えない男が次から次へとリストラされていったこと。要するに仕事は危機管理そのものだから、納期が合わないとかクレームが起きたとかね。そんな時に反射神経の鈍い高学歴な管理職は全く頼りにならないのがAIが普及してバレたのよ。あたしなんか昇進欲求もないし、これ以上忙しくなるのは勘弁だから構わないけれど、昇進の早かった同期の男や給料の高いくせに無能なオッサンが加速的にリストラされたり転職したりしている。それが不思議なんだけどそういう方々から飲み会の誘いがあるのよね。今日はそんな一人の元上司から誘われているの。
昼飯を食いに事務所を出て、隣の雑居ビルの地下にあるうどん屋に降りて行った。創作ウドンというのかオリジナルなメニューがあって、うどんもツルツルと腰があって旨いんだ。冷やし坦々うどんをトレイに乗せてカウンター形式のテーブルに着いた。すると隣に座っていた女性と目が合ってお互い『あっ』と声を上げた。先程までその女性からAIソースコードのプレゼンを受けていたのだ。『先程はドーモ』と言いながら食べだした。
『さっきはすみませんでした、あたしの説明が下手で。分かっていただけたでしょうか』
『いやいや、十分分かりましたよ。先程言いましたが今回は見送りになりますが次の入札にはまたお願いしますよ』
『あたしどうにも今みたいな営業職が向いてないらしくてなかなか注文いただけないんですよ』
『そりゃそう簡単ではないでしょうね。こういった営業は足でナンボでしょうからね。でもマニュアル読むだけじゃないところは好感持てましたから、大丈夫ですよ・・・』
ギョッとした。女の目から見る見る涙が滲み、目の下は真っ赤になっていた。
『おっ、久しぶり』『ご無沙汰してます、お元気でしたか』『元気元気。そっちはどう?事務所の雰囲気は変わった?』『なんか、しずーかな感じになりましたねえ。リモートも多いし』『そーかぁ、ずいぶん変わったんだろうね。もう1年になるから』『そうですね。活気があるのかないのか、何しろ人が少なくなりましたから。でも決算はいいみたいですよ。オファーも増えてますし』『そりゃそうだろ。世の中景気は上向きだ』『新しい仕事はどうなんですか』『うーん、キツいと言えばキツいよ、年寄りには。まあヒラ社員からやり直しみたいなもんだからね』『そうですか』『うん。でも幸か不幸かDSが進んでないから僕なんかでもまだついていける。ただね、管理職の調整業務みたいなノウハウはお呼びでない』『そっか、あたし達はシステムが変わるたんびに山ほどマニュアル読まされてそっちが半分仕事ですよ。最近はチャットGPTがお友達みたい』
『あたしは何でも一生懸命やりすぎて嫌われるんです』『どういうこと』二人は食事をしながら飲んでいた。『子どもの頃から仲間外れにされないようにガンバるんですけど途中からなんだか潮が引くみたいに人が離れていくんですよ』『ふぅーん、だけど友達いないわけじゃないんだろ』『特定の友達はできなかったんです』『クラブ活動は』『あたし絵が好きで、中学も高校も美術部だったんです。美術部っておとなしい人ばっかりだし基本自分の好きなことをやるって感じですから』『で、そっちに進んだわけか』『違います。好きだってだけで上手いわけじゃないんです。情報系の専門学校に行きました。資格取って今の仕事してるんですけど他の人はどんどん伸びてソース・コード任されたり独立したりするんですけどあたしはドジばっかりで外回りでもやってろって感じです。でもがんばってればいつかいいことあるかな、なんて思ってやりすぎて滑るんです』
『実はな、本当のこというと寂しいんだよ』『はぁ?』『リストラされて転職しただろ。僕なりにさてもう一華咲かせるか、と思ったら女房から離婚を切り出されてねぇ』『ありそうな話ですね』『そうか。まあ僕も至らなかったんだろうな』『お子さんたちは』『それが、みんなもう出ているんだけどね。二人とも「お好きにどうぞ」ってな感じで、見たところカミさん側に付いてるみたいだな』『うーん、あたしもバツイチですけど終わる時は孤立無援ですよ。未練があります?』『うーーん・・・・無いかな』『そうでしょ、そうでしょ。初めから間違ってたんですよ』『えっ』『一生懸命感がウザいって思われてたんですよ』
『それってさ、最初から間違ってんだよ』『えっ』『いつかいいことある、っていつも思ってテンパってると大事なモノがみえなくなるんだよ、きっと』『そうなんですか』『あのさ、発想が逆だよ。人間は生まれてから死ぬまでだれでもロクでもないことの連続なんだ。それでそう思ってると例えば道端に花が咲いてれば、オォッお前もがんばったな、って気になって少しハッピーって感じるさ』『あのう、いつからそう考えていたのですか』『うーん、子供の時からそう思ってたのかなー。昔からこうだったよ』『なんだかお釈迦様みたい』『そうかい。オレって偉いな』『独身ですか』『うん』『彼女とかいないんですか』『ふふ、ちょっと前までいたけどね』『別れたのですか』『いや、捨てられた』『ウソッ』『いや、マジだよ』『何があったんですか』『何もないよ。そうだなー、簡単に言えば相手もオレみたいなやつだったのが上手くいかなくなった理由かなぁ』『似た者同士だってことですか』『そんなもんだよ。日常の生活習慣はまるで違ったけど、詰まるところ考え方の基本は同じだったんだろうな』『要するに「愛」がなかったんですね』『えっ!あい・・・』
『キミは彼氏とかいないのかい』『それって既にセクハラって言われますよ』『そうかー。スマン、撤回します』『別にいいですよ、ついこの前別れたところですよ』『ふぅん。あっさりしたもんだね』『アハハ、あっさりもなにも追い出したんですよ』『そりゃまたワイルドな』『自分かってな奴で一応勤め人だったけど、あれでよくクビにならないなって思うほど自由な感じで、あたしにはアレヤレコレやれって一切言わなかったのが良かったんですけどね』『それってキミみたいな人だった、ってこと?要するに「愛」がなかったのかな』『えっ!あい・・・』
作者はこの4人のその後の運命を知っている。幸せになれるのはこのうちの一人だけである。ヒントのために作中に書かれていない一人一人の秘密を記しておく。
追い出した女 実は上昇志向が強く常に上から目線
追い出された男 実家は大金持ちの資産家
リストラされた男 DVの癖がある
一生懸命な女 その後起業して大成功する
読者諸兄諸姉、この4人の中で幸せな思いの内に生涯を終えられるのは誰か、作者に挑戦せよ。正解者には仮想通貨100億ムロンの賞金が与えられる。正解者が複数の場合はじゃんけんで決める。
尚、追い出した女とリストラされた男、追い出された男と一生懸命な女は結婚することになる。
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