Sonar Members Club No.36

Since July 2013

プロの領分

2024 MAR 13 0:00:38 am by 西 牟呂雄

 ずっと以前にSMCメンバーの西村さんのブログで『アマチュアの領分』という印象深いものがあった。極めて高度な技量を持つプレイヤーが入場料無料でカルテットを演奏するという内容に感じ入った。無論、本業をお持ちで忙しい合間を縫っての演奏だったと。
 或いは同じくSMCメンバーの中島さんは同好の方々と箱代のためのささやかなチケットで賄ったコンサートを聞いたが、演奏レベルは高く見ていて楽しかった。その後コロナもあり暫く音沙汰無いが、そろそろ活動されるのを楽しみにしている。そしてそのステージは(プロらしくないという意味で)アマチュアの矜持を保った最上位レベルのものと感じた。

 少し前になるが、それなりの金額を払って古い友人のステージを見に行った。場所は渋谷で、食事もできる、無論酒も。で、例によってガブ飲みをして結構な額についた。従って彼らはプロなのだ。
 この友人は学生(高校生)の頃からバンド関連での知り合いである。その頃テクは同じくらいで、いわゆるフォーク・ソング風の音楽をやっていた。その後、僕の方はだんだんやかましい方向にスライスしたが、彼は頑固にそのスタイルを崩さないで通し、彼はものすごく腕を上げ、お兄さんがその方面だった関係もあったのでレコーディンクのバックを務めるレベルになった。
 卒業すると彼は銀行に、僕はメーカーに進み、長いこと疎遠となる。偶然再会したのは30年後である。
 僕は同僚とそれなりにバンド活動を楽しんだが、腕は落ちっぱなしで尚且つパートもドラムに変えた。人前では滅多にやっていない。
 すると風の便りに聞こえてきた、彼がロンドン赴任後に銀行を辞めたと。噂は色々飛び交った。サーモンを日本に輸出することを始めた、音楽プロデューサーになって演奏家を連れてきた、等々。
 往時茫々、再会を祝して乾杯すると、プロとして演奏活動をしているとのこと。「勿論それだけじゃ食えないから色々やってるよ」とも。結構優秀な銀行員だったそうなので辞める時のイザコザも面白かった。
 そして今回はプロの演奏を見極める意味で、リハーサルから聞きに行くことをお願いし快諾を得た。
 メンバーはそれぞれこのバンド以外にも音楽活動をしていて、アルバムを出している人(ギター)、編曲が本職の人(ベース)、誰もが知っているプレイヤー(ピアノ、後ほどクイズを出します)、ジャズまでこなす人(パーカッション・ドラム)、日系アメリカ人(ギター)の編成で、友人はバンマスのポジションである。一曲を通して終わるとなにやらよくわからない用語が発せられて繰り返す。この辺は「アマチュアの領分」も同じだ。主にバンマスである友人が、強弱やリズムについて(結構頑固な)主張をし、他のメンバーは何かを譜面に書き込んだりしていた。
 真剣そのもののリハーサルが進行し、さるコーラスのキメのところで上記有名プレイヤーが言った。
「あんまりハモらないのがいいって話もある」
 この謎めいた言葉にメンバーは複雑な反応を示し、ミーティングが始まった。「確かにそうだけどさ」「だけどあれはライブの音なんだろ」「今のままでいいんじゃね」「セオリーからいったらこの通りなんですがね」と一部険悪なやりとりにもなった。

 30分もやりあっただろうか、バンマスである友人は半ばヤケクソで「一番の高音を半音下げよう」と言ってやり直し。いや驚いた。コーラスの厚みが全く違う。すなわち、お客さんに聞かせるための工夫が見て取れた(いや、聞き取れた、か)。ここが「プロの領分」なのかな、と感心した。
 ところで、さる高名なプレイヤーとはこの写真の真ん中で顔にボカしを入れた人。一番右が僕の友人でその人の弟だ。一体誰だかわかるかな。分かった方、お知らせください。例によって賞金は仮想通貨100万ソナー・ダラーをさしあげます。ヒント、ムーミン・パパ。

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この愛は何処へ インドよ

2024 MAR 4 1:01:47 am by 西 牟呂雄

コーキとブラッキーとチョット

 

 ところでインドの工場には以前ソニーという名前の犬が飼われていて、そいつは去年死んでしまった。インドでは犬の地位は低く、どうするのかと思ていたらなんと火葬にして葬ってやったそうだ。インド人パートナーの優しい心遣いがとても好ましく感じられたものだった。
 すると今回来てみれば、新しい犬がいるではないか、それも二匹も。多少の月齢差はあるようだが、まだ二匹とも子供で、見たこともない日本人が怖いのか珍しいのか、少しづつ距離を縮めてきた。
 そこで僕達が持ち込んだマスコットで遊んでみた。が、少し臭いを嗅いで見向きもしなくなった。
 これは亀のマスコットで「インドでは像・牛・猿が神様だが日本では亀なのだ」とデタラメを言って飾ってあったもの、名前は「コーキ」という。久しぶりにみたら花のアクセサリーを付けてもらっていた。

プロレス

 黒い方が「ブラッキー」小さい方は「チョット」だ。ちなみにチョットは「小さい」の意味で、日本語の源流が南インドのタミル語であるという説の根拠になって・・・いない。
 ブラッキーは少し大きいので慣れて寄って来た時になでてやると喜んでじゃれついて来る。インド人は普通犬なんかかわいがる習慣はないから嬉しいのだろうか。しかし顔を嘗めようとするのは参った。まさか狂犬病ではないだろうがそこはインドだ。どんな雑菌・ダニ・蚤が付いているか分かったもんじゃない。
 二匹でプロレスごっこをしていた。

 通勤途中に忽然と貧しい貧しい集落が出現する。おそらく農村だろうがその営みは慎ましく時間が止まっている感が漂う。そしてその暮らしに似合わない金ピカのお堂があって、たいていガネーシャが祀ってある。裸足で歩いている人も多い。何か楽しみはあるのだろうか。そして現場の大半の従業員はこういった村から来ているのである。

メヘンディー

 ある日、オペレーターの女の子が左手に何かを装飾しているのに気が付いた。
 見せて、と頼むと恥ずかしそうにしていたが、パッと開いた時はタトゥーかと目を見張った。
 これは「メヘンディ」と言って植物の葉をペースト状にしたものを縫って肌に一種の染色を施す縁起物とか。
 普段はしていないのでなぜしたのかを聞くとフェスティバルなのだという。

僕も

 そうか、こうして楽しんでいるのか、大した娯楽もないところで精一杯のおしゃれと微笑ましい。
 となるとやってみたくなるのは僕の悪い癖で、さっそく描いてもらった。
 しばらくスタッフに見せびらかしてよろこんでいたが、当分落ちないと聞かされてギョッとした。帰国しても落ちなかったらどうしよう。出張でインドに被れたバカ、となってしまうと焦って毎日念入りに洗っている(3日経っても落ちないが)。

 とある帰り道。いつもは車なんか通らない村に入った途端騒がしい。ドラミングが聞こえる、インド風の「ドンッ、ドドン」をのんびり繰り返す間延びしたリズム。
 鼓笛隊みたいなドラム・チームがやって来る、わあっ、でっ出たァ!なんじゃこりゃ。
 身長175cmの僕が見上げるような被り物が圧倒的な迫力で向ってきたので、携帯を以て車から飛び出して追いかけた。
 周囲の人たちは突如現れた外国人を排除するでもなく、こっちを見て笑っている。片方は牛でもう一方は人間。『これはGODか』と聞くと『ガシャラグシャラガシャラ』と説明してくれるがさっぱり通じない。誰も英語を喋ってくれないのだ。

 今度は何だ!巨大なタイガー・マスクかと思ったらライオンじゃないか。
 なかなかの迫力だ。
 ところで、インドの神様で言えば象の化身であるガネーシャが定番だが、それは待てども来ない。
 「ガネーシャは来ないのか」
 と聞いてみたがこれにも返事は「グジャラガジャラグジャラ」でさっぱり。
 そこでハッと気が付いた。皆神様(多分)を見てはいるが、それよりも一人ではしゃいでいる僕にも注目していた。
 そのうちの若いインド人がやってきて聞いたのは「アメリカン?」
 この凛々しい日本男児をみてアメリカンはないだろう。
 待てよ、こいつら日本人を見たことがなく色の薄い外人は全部アメリカンだと思ってるのか?

戦士の行進

 オット最後には戦士の登場だ。
 堂々たる体躯にきらびやかな飾りつけ。
 見事な行進にしばし見とれた。
 (ここで本当はついていきたかったが、先程から注目を浴びているため後からゾロゾロ一緒に来そうで怖くてやめた)
 それにしても、何かの信仰か言い伝えに基づいてのパレードだろうが、それに対する情熱には圧倒される。
 凝った飾り付けや細部に至る美しい装飾品の数々は、決して彼等が無知な連中ではなく高い精神性と文化を育んでいることの証左と言えよう。無論カーストはあり、ムスリムも混在し(村で見かけた)貧しい。インド哲学のアヤラ識も知らないだろう。それでも「愛」とでも表現したくなるような心の有り様が根底に見えるのである。
 パレードが過ぎた後も何やら拡声器を使った声が流れて来る。
 何だろうかとその方向に歩を進めると、人だかり。

人だかり

 ここでもジロジロ見られて中まで入る根性はなかったが、ポスターと旗で見当がついた。
 これは選挙運動の一種なのだ。
 それも現与党、ヒンドゥー至上主義のモディ派である。
 そりゃまあ、選挙は尊い。民主主義は尊いが、この無垢な人々の聖なるお祭りの最中に政争に巻き込むのも無粋な・・・。。
 日本でもお祭りやら正月・盆踊りに議員先生が来て握手しているからなぁ。

 現実に引き戻されて振り返るとデカン高原の遥か彼方。一抱えもあるような夕日がドーンと落ちて行くところだった。

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インドで食べたもの

2024 FEB 26 18:18:14 pm by 西 牟呂雄

 この寒いのに熱帯の南インドにいます。
 空港で買った物、タバコ1カートン、寝酒のウィスキィ、お土産お菓子。ここでフライトが2時間遅れたのが今後のヤバさを予感させたが、まあいいか。
 夕方テイク・オフしてまず食事、これはもちろん日本食をチョイス。10時間のフライトで朝の3時頃ランディング、そこからインド特融の能率のわるーいイミグレを通って現地チェック・インは午前6時。8時半には迎えが来てしまって現場に。

ガタガタ

 ここバンガロールで大きな見本市があったらしく使い勝手の良かった常宿が取れず、えらい郊外のナントカ・リゾートという名前はそれなりだったが、これが凄いだった。
 そもそも道が舗装されていない。
 昭和30年代の田舎のイメージである。

 ホテルは周りから隔絶されて何もない。
 一応リゾートとかいうのでコテージ風の建物まではいい。
 スリッパなんか当然なく、ガウンもない。
 シャワーの間仕切りもない。
 一応リゾートらしくプールがあるが水は不気味なエメラルド・グリーンだ。
 更に驚くべきことに朝そこで泳ぐ人がいるのだ(無論インド人)。

 鍵はこのアナログぶり。
 カワイイなどと言うかもしれないがメシは期待できないと覚悟する。

朝食


 

 まずメシはこの心細さ、旨いも不味いもない。
 昼間は気を使ってくれて現場でピザを取ってくれた。
 そして夕食。ここで大問題。
 ビールを頼んだ、地元のキング・フィッシャー。
 それが冷やしてないのだ。ふざけるな。

晩御飯

 『コールドを持って来い』
 『ここにはない、アイスで冷やしてくる』
 泣きながらぬるいビールでつつましい夕食を取る。
 
 そもそもあんなダート道だから移動にものすごく時間がかかるのだ。
 移動中には山羊の大群とすれ違う、牛もいる。
 もはや許容限界を超えたか、という時に更に追い打ちをかけるようなに異物があった。

 これは行く手てを阻む大岩石ではない。
 表面は硬く、叩くと中は空洞のようなボクッっと乾いた音がする。
 実はこれは蟻塚だった。
 これだけ見れば、へぇー珍しい、で済むだろう。
 後で聞いたところによると、中が空洞なためにしばしば蛇が巣にして住み着くという。
 冗談じゃない。インドの蛇と言えばコブラが頭に浮かび引きつった。これよりも大きな蟻塚が散見されるということは、このナントカ・リゾートは毒蛇の巣に囲まれているということではないか。
 実は現場近くにもっと小さいやつがあったので蹴飛ばして見たら白蟻だった。日差しに弱いようでモゾモゾと土に潜っていき、確かに空洞になっていた。

つつましい

 さて、毎日ピザばかりで飽きてきたので現場のキャンティーンを覗いてみると。まぁ、それなりのランチなのでこれにチャレンジする。
 味はねぇ、期待通りの大したことのないインド料理ですね。
 困るのはですな、一緒に食べている作業者が家から持ってきたおかずを親しみを込めて分けてくれるのだ。これを断るわけにはいかないが、こいつらのキッチンで料理したものだからかなり危険だ。水も調理道具もローカルだから下手をすれば風土病。覚悟を決めて神に祈りながら食べた。

 そして再び夕食。こんどは事前にビールを冷やしてくれと頼んでおいたので冷たいビールだった。
 それはいいのだが、ここナントカ・リゾートでは土日には宿泊客がいた(僕は現場に行った)。
 ところが、家族連れが返ってしまうと何と日本人3人だけになったのである。
 確かに広いところでキャンプ・ファイヤーのような火を起こしていたり、粗末ではあるがトランポリンなどもあって子供が遊んでいたが、みんな帰って行った。
 すると、だ。ビュッフェ形式をすると効率が悪いのでアラカルトのオーダーになり、それも3種類くらいしかチョイスがなく、仕方がなく・スープとチキン・カレーを頼んだらこんなだった。
 この圧倒的な野菜不足があと一週間続いたら鳥目になるかインド人になってしまうのか。

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一週間後の朝

これでフロント

プール 実は蛙の養殖場?

贋作 ジェット・ストリーム 青春編

2024 FEB 22 17:17:46 pm by 西 牟呂雄

ーミスター・ロンリーの流れるー
 お久しぶりです
 またお会いできました
 今は旅にでるところでしょうか
 それとも長旅からの帰路でしょうか
 きょうは私たちの世代
 そうロスジェネといわれた
 団塊の世代の後の ちょっとひねくれた
 その青春時代にもどってお送りします

 遠いかなたに日が沈んだあと
 闇が空を覆うようになって
 満天の星が誘うように瞬くのを
 狭い窓から覗いていくと
 漆黒の空と海の境目に溶け合っている
 あの先までまだあと10時間
 一人にはもったいない時間だが

アンタなんか大嫌い
 アタイを何だと思ってんの
 先に惚れたのはアタイだけど
 あんまりナメてるとケガするよ
 オトコなんかいくらでもいるさ
 惚れたのはアタイさ
 だけどなにさ
 アタイはアタイ
 のぼせないで
 そりゃアタイはロクでもない女さ
 でもそんなに見下されたら
 生きてはいけないよ
 さっさとどっかに行きな
 サヨナラも聞かなくていいの

 

ーエデンの東のメロディーが流れるー

 いかがでしたか
 『シラケ』という古い流行語がありました
 『三無主義』『カッタルイ』といった言葉も使っていました
 その世代もすでに前期高齢者です
 これからのことや
 今までの来し方行く末を
 噛みしめるとき
 若かったころの歌をおもいだすのではないでしょうか
 パーサーはジェット・ニシームでした
 また空の旅でお目にかかりましょう

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ハグがどうした

2024 FEB 17 10:10:03 am by 西 牟呂雄

情けない!
 『ハグしたら普通覚えてるでしょう』
 『昭和の男はそういう習慣はありません』
 『協定にサインしたでしょう』
 『したかもしれないが覚えていません』
 これね、学級会のレベルじゃないの。「ナントカちゃんの肩に手をのせました」「おぼえてないもん」
 あのね、政治家は票のためなら握手でもハグでもなんでもするの。相手がまずかったら今後やめりゃいいだけの話。ましてやナントカ協会はもう息の根が止まるんだから昔の話はもういらねえ。それにこの大臣は解散請求をしたご本人だよ。バカどもが。
 それを大真面目で聞く方も聞く方だ。ほかにもっと大事なことがあるだろう。国会で質問する内容とは思えない。聞いてて恥ずかしくないのかね。えっ?恥ずかしくない?帰って質問してる自分の姿みてごらん。

情けない!
 パー券売って上がりをチョロまかしたのがどうした。ワイロ性なし、せいぜい脱税?それにしてはミミっち過ぎる。一切合切含めて億単位になるけど年割りすればゴミ。
 書籍代?支援者がどうでもいい本を書いて寄越すと100冊でも200冊でも買い上げてテキトーに配る。それがどうした。まさかそれを選挙期間でもないのに買収にあたるとでもいうのか。
 使途不明?あんな程度で騒ぐような額じゃないだろ。中にはこっそり焼肉食ってたりして。いいじゃないの、カワイイくらいだ。
 改めて言うけど税金使ったわけじゃないでしょ。ワイロ配ったわけじゃないでしょ。脱税にしてもこんな額じゃ国税だってバカバカしくてやる気はないよ。検察が勢い込んだけど中身みてもう鉾を収めたじゃないの。
 そもそも野党だってやってることは同じ(共産党以外は)なんだからあんまり調子に乗ってるとブーメラン必至。
 私は良い税制・財政・外交・防衛・福祉をやってくれる政治家だったらこの程度のことは不問にしますね。
 ついでに言えば官房長官が辞め際に数千万円引き出したと騒ぐが、毎月1億以上引き出しているのだから別に驚く話じゃない。通常ローテーションの一角でしかない。

情けない!
 派閥なんか無くなるわけない。だからさ、事務所借りて事務局置くから金がかかる。集まってメシ食うから金がかかる。この時代に議員も考えろよ。ラインをつないで秘密結社になっちまえばわかりゃしないしカネもかからん。
 好き嫌い・保守派リベラル・親米反米・財政緊縮リフレ派。同じ党員・議員でも大集団ともなれば全員が同じことを考えるはずもない。意見集約的に人の集団ができるのはあたりまえ。解散なんて大げさなことを言ってみても結果は同じだ。
 そもそも解散騒ぎのきっかけがドーデもいい記載漏れなんだから、何も本当に解散してみせなくても構わない。こんなこと真に受ける奴はいない。
 昔は親分が金を配る集団だったが、さすがに政党助成金がつく今はそれができない。ただの仲間を押し上げて総裁に担ぐための互助会みたいなもんだからあんなセコいパー券売りをやってるに過ぎない。
 小泉元総理は『改革できなければワタシが自民党をぶっ潰す』と言って総裁になったが、誰よりも派閥政治家だったではないか。
 変な『委員会』も『改革』もいらない。政治家のモラルがちゃんとしたレベルだったらいいだけのこと。次から当選しても毎年モラル・チェック・テストでもやってダメだったらその議席ごと抹消して、そんなバカを当選させた選挙区には国会議員がいなくなるというのはどうだ。議員も減るし、少しは真面目に投票するだろう。

情けない!
 お正月の大地震でたくさんの人がひどい目に合い、避難者は今なお寒さの中で大変な思いをされている。孤立した集落には我が自衛隊が駆けつけて救助と復興に必死に取り組んでいる。
 一方で国防の訓練を怠るわけにいかない。その一環として習志野の空挺部隊の初降下について『地震が起きたにもかかわらずそんなことをしてていいのか』という論調が見られた。バカじゃないか。
 災害救助と降下訓練とどっちが大事かって?決まってるだろう、両方なんだよ。どっちもやらなきゃいけないの!自衛隊が普段、災害のないときはブラブラしてるとでも思ってるのか。冗談じゃない、厳しい訓練を受けている。そして災害救助には、地域性、専門性、機動性を考慮した最適な部隊を展開しつつ、今も領海侵犯をしている某国に対処している。シロートがつまんないイチャモンを思いつくな!子供が誤解するだろう。

情けない!
 そこまで言うならお前は何をやってるのかって?よし、秘密の計画を少し披露しよう。このスパイ天国といわれるわが国で、唯一民間の工作員抽出組織を立ち上げたのだ。
 災害非常時及び政治混乱時に世の中を煽り治安を危うくさせる海外勢力を見つけ、監視し、その工作を妨害する。
 名付けてスパイ・メカニカル・センター、通称S・M・C、このブログのことだったりして。

 おっと、頭に血が上ってうっかり筆が滑った。こりゃご法度の政治ネタかな
 LGBT法案は噴飯モノだったが、それ以外政策の失敗はいまのところない。岸田総理よ、是非頑張って低支持率の在任新記録を樹立してくれ!

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雪中行軍生還記

2024 FEB 13 5:05:53 am by 西 牟呂雄

 スキーもスノボも楽しい、がドカドカ降り積もる雪はごめんだ。喜寿庵は寒冷地だが雪は少ない。それでも年に1度くらい積もった日には、芝生は荒れる庭木は折れるハマユウは凍える。ファームに栽培中のスーパー・ニンニ君も埋もれてしまう。それが大雪警報である。
 雪に閉じ込められるのもマズい。十年前の大雪の時は全県交通マヒとなり食料も枯渇した経験がある。車はノーマル・タイヤだから脱出できなかった。

 朝から霙が降っている。小雨の中を時々白い物が飛んでいる。車での移動を諦めて庭木の様子を。
 こいつは去年の雪の際に重さに耐えかねて折れかけて、裂けた所を縄でグルグル巻きにして救った。ありあわせのつっかえ棒を何本か支えにしてやる。
 そうこうしているうちに本格的な雪になった。
 渓谷の奥の方まで真っ白い雪が空間を埋めていて、心なしかせせらぎの音も静かになった。

 急いでネイチャー・ファームを見に行くと、ニンニ君が寒そうにしていた。
 本降りになってまだ30分も経たないのにもうこんなに積もったのか。
 とは言え今更覆ってやることもできない。
 やむを得ず『雪中野営命令』を下し武運長久を祈りつつ踵を返した。
 こちらものんびりはできないのだ。ニュースを見るたびに『交通の乱れに注意』とせかされる。
 元々車はあきらめていたが、渋滞予防措置と称して中央道が通行止めになる。あまりいい気持ちはしない。

 あっという間にこんな墨絵のような景観になってしまった。
 音がしなくなったことは書いた(いや、かすかにせせらぎは聞こえるが)。
 それに加えて色もなくなったのだ。
 静寂・無色・限りなく落ちて来る雪、思わず立ちすくむ。
 見とれる、というのではなくむしろ恐怖感、畏れ、英語のaweに当たる思いにかられた。
 はっきり言えば逃げ出したくなった。

 あたふたと支度をし、鍵をかけ、門をしめようとしてフト声がしたような。
 目をやると、梅の老木にやっと咲いた小さな花達が真っ白に。
 今朝見た時は薄いピンクだったのに、サムイといったのかツレテッテと言ったのか。
 だがそれどころじゃない。埋まってしまったらかならず掘り出してやるからな、と声をかけで電車に飛び乗った。足元に落ちていた木蓮の枝を拾って持って帰る。
 この一瞬が生死を分けた。
 その後の報道によると高尾から運航停止になり、特急かいじ は塩山駅と大月駅 特急あずさ は甲府駅にて朝まで止まったのだった。

 翌週に車の回収がてら戻るとこれが、40cmは積もったらしく悲惨なことになっていた。
 いたるところで枝が折れていて、それもかなり重い松や杉の高い枝だ。
 拾い集めたらこの有様でどうにも処分のメドが立たない。
 つっかえ棒をした木は無事だったが、他にもツツジなどは埋もれてしまっておまけに凍っていた。
 それを何とか掘り出して一服していると、雨樋が落ちている!

 もうそれはほったらかしにしてネイチャー・ファームを見に行く。
 するとさすがはニンニ君、風雪に耐えてサバイヴしていた。
 アッ、そういえば梅の方はどうなった。
 あの、寒さに縮こまっていた梅の花。

 こちらも健気に咲き残っていた。ヤレヤレ。
 ジタバタと忙しくして足元をみると。
 何と咲きかけの福寿草がカワイイ。
 季節は巡っているのだ。

 持って帰った木蓮の枝。
 産毛に覆われているのは蕾だろうか。
 樹木も寒さ対策をするのかな。
 せっかくなので花瓶にさしている。
 花は咲くのかな。

フサフサ

 

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ー追記ー 

 コブシだった!

 
 

続・街道をゆく 落人のみち

2024 FEB 5 19:19:07 pm by 西 牟呂雄

 筆者の勝手な造語に『日本三大落人』というのがある。出雲族・物部・平家である。人目を避けて山中にひそかに暮らし、時の権力者の追求をかわしながら生き延びた人々のことだ。
 筆者の知り合いにその名も『平』さんという人がいて、鹿児島と沖縄の中間あたりの島の出身者だが、筋金入りの平家の落人なのだそうだ。大っぴらに平姓を名乗ったのがいつからかは聞かなかったが、酔うと目を据えて壇ノ浦の無念を語っていた。時を経てそれほどまでに伝わった無念とはいかばかりか、筆者は仰ぎ見る思いで聞き入った。

 さて、今回の旅は多摩川の水源のあたりから始まる。中山介山の大菩薩峠が見渡せる武蔵の国の奥まった所である。これから追うのは三大落人ではないものの、平家のゆかり平将門の足跡である。藤原秀郷に追われた将門は実際には茨城県で戦死するのだが、西多摩あたりには多くの将門伝説が残っている。おそらくは抵抗を続けた弟たちや子供達が流れて来たものが伝承されたと言っていい。その一つに将門が五日市の勝峰山に立て籠もり藤原秀郷軍と対峙し、戦況利有らずと勝峰山を下り青梅に下ったと。そして金剛寺で手に持っていた鞭代わりに持っていた梅の枝を地面に突き立てると梅の枝は立派に根付き、その梅の実がいつまでたっても青いので青梅と称された、と。ご丁寧に藤原秀郷が将門の霊を鎮めるため阿蘇神社に手植えしたシイの木も残っており、樹齢1000年を超えると伝えられる。将門の長男良門が亡き父の像を刻んで祀って社号を平親王社とした社も奥多摩の棚沢にある。
 いずれにせよ、将門のゆかりの人々がこのエリアまで落ちてきたことは事実と思われる。この地は分水嶺から見ても武蔵の国なのだが、現在では甲斐の国山梨県になっている小菅村で、かつてはバスも奥多摩方面しかなかったが、ようやく道路も整備されて上野原あるいは大月へも運行されるようになった。そのことから、この村も落人にとっては安心できる所ではなかった。
 史実で確認できる将門の息子は長男が上記良門、次男将国まで確認できるが、伝承では三男に常門という者がおり、ここから峠を越えて行ったと伝わる。その峠が武蔵の国と甲斐の国の分水嶺になっていることからその険しさが知れる。筆者は峠越えの道を行きたかったが、どうやら整備されておらず通行止めになっていて断念した。代わりに通ったのは距離3066mもあるトンネルだ。一般道のトンネルとしては長く、しかも緩く勾配があって直線にもかかわらず視界は遮られている。このトンネルを通過することにより十分険しさは想像できた。その峠の名は松姫峠という。
 抜けて視界が広がると上和田集落に行きつく。

五輪塚

 将門の愛妾である芙蓉の前が落ち延びた青梅で将門の子を産み落とし、将門の幼名が相馬小次郎であることから相馬治郎丸と名付けられた。冒頭の青梅の将門伝説はこの男子誕生から派生したものかと推察される。
 治郎丸一行はここ上和田に落ち着く前は甲斐の国側の下流である駒宮・瀬戸地区にも居住したようだが、最後はこの地で没した。墳墓跡とされる場所に通称常門塚、五輪塚があった。常門には七人の男子が生まれそれぞれ相馬姓を名乗って今日に至っていて、家紋は将門ゆかりの九曜紋である。

卯月神社

 ほとんど平地のないこの集落の僅かな場所には廃校になった小学校があった。無論過疎地で相馬姓の他に卯月姓が多い。そして卯月家は常門の従者で後から追ってきたという。世を憚るように斜面の僅かな土地を切り開いて相馬神社と卯月神社があるが、両社とも御岳神社・一宮神社とその名を変えていることが落人の歴史を物語っていた。
 相馬家では各代に一人は生涯髪を切らずに修験者のような総髪にする男子がいた、或いは現代にいたっても相馬の血を引く者は成田山新勝寺には参らない、等この辺境にふさわしい話が残っている。新勝寺は将門の乱の際に朱雀天皇が高雄山神護寺の不動明尊像を寬朝上人に託し、成田山にて21日間の護摩行をすると結願の日に藤原秀郷に打ち取られた、とあるからである。

 さて、分水嶺をこえているのでこの幽谷を流れる葛野川は甲斐の国へと向かい桂川に注ぐのであるが、その流れはご覧の通りの深々とした山中にある。下って行くと先程記した瀬戸・駒宮といった集落があるにはあるが、いずれも日当たりも心細いような所に家がへばりつくように点在するばかりで、それは逆に言えば身を隠すには都合がいいに違いない。
 今日整備された道路によって大月・上野原までバスが通るが、かつては猿橋方面に細い道があるのみであった。その猿橋に近い集落は下和田としてかすかに上和田との縁を感じさせるが、交流などはなかったものと思われる。その道は一車線のみの道なので今回は通らなかった。
 途中、コンビニとかガソリン・スタンドの類は一切なく、釣り客用の鉱泉旅館があったのみである。その旅館は『松姫旅館』といい、敷地内には松姫神社がポツンとあった。峠・神社、今回の旅ではノー・マークだった松姫とは誰なのか。

 しかしその神社は社殿もなく朽ちた老木が楼の下に祀られているだけで、由来も何も表示されていない。御神体のつもりの老木は中が空洞になっていて何やら打ち捨てられた感が否めない。旅館に付随した観光施設のようだった。
 だが、松姫は実在の人物で、武田信玄の四女として生まれ、信玄西上の以前には信長の嫡男信忠の許嫁だった。信忠11才松姫7才の縁組である。
 ところがその後、信玄は死去。勝頼は織田方に滅ぼされてしまう。戦乱の最中を松姫は武蔵の国へ落ち延びていく。どうやらその際に超えて行ったのが松姫峠であり、すると今までたどって来た常門のルートを逆に登って行ったことになる。図らずも落人が行き来したみち、それほどに山深い隠れ街道と言える。
 史実によれば、松姫一行は八王子まで無事に逃れていたが、それを聞き知った織田信忠から迎えの知らせが来た。この時代に何と心温まる話か、打ち滅ぼした敵の一族ではあるが落ちて行った元許嫁を改めて迎えようとは天晴な心掛けである。松姫も旅支度にいそしんだであろう時に、無情にも本能寺の変が起きたのだった。
 この過酷な運命にもかかわらず、八王子心源院で出家し信松尼と称した。この時期の八王子は小田原北条氏の支配下にあり、ひたすら祈りの生活を送ることとなる。そのうちに寺子屋のように近在の子供たちに読み書きを教え、機織りなどを生活の糧にしていたようだが、小田原を制圧したのちに江戸入りした家康が、西の守りを固めるために旧武田の遺臣を八王子千人同心として大量に雇い入れた。やって来た彼らにしても旧主の姫は大きな心の支えとなり、松姫もようやく心静かに暮らせるようになったはずだ。険しい峠越えから八年が過ぎていた。
 そして晩年には将軍秀忠公がよそに産ませた子が正室お江の方にバレることにビビったため、異母姉である見性院(けんしょういん、武田信玄次女)とともに育てた。その子は一時八王子にも滞在したと言うが、後の会津松平家の祖となる保科正之である。

岩殿山

 この落人が行き来した道は大月市に至り、中央線の駅から必ず見える巨岩の岩殿山のふもとをかすめる。武田勝頼を最後の最後で裏切ったとされる小山田信茂の砦があったところである。小山田氏はこの大月から富士吉田に至るいわゆる『郡内』エリアの覇者で、初め北条に仕えた後信玄旗下として数々の武功を上げ武田二十四将と記録される。その足跡はまた後稿に譲りこの旅は終る。

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映画 PERFECT DAYS レヴュー

2024 JAN 26 2:02:37 am by 西 牟呂雄

 どういう事情か知らないが、前期高齢者の独身オヤジが毎日繁華街のトイレを掃除する仕事を淡々とかつ誠心誠意こなす。毎日ローテーションをこなし同じ公園でコンビニのサンドイッチを食べ、銭湯の一番風呂に浸かって、帰りにはチューハイを飲みながら簡単な食事をし、古本屋で買った1冊100円の文庫本を読みながら寝る。休みの日はコイン・ランドリーで洗濯をし、仕事中に趣味で撮ったカメラのフィルムを現像に出し撮った写真を受け取る。その足で行きつけの美人女将のカウンター割烹で一杯やる。
 何かがきっかけで実家と疎遠になり孤独な暮らしを続けていて、時々雑音が入る。バカ丸出しの若い同僚が仕事に来なくなる、姪が家出して転がり込んでくる、女将の別れた亭主が現れる。だがそれらのアクシデントはすぐに過去のものとなり、男の日常はまたバランスをとるように元のペースを取り戻す。何も変わらない、何も起きない。

 これだけの話を見事な映像に仕上げたヴィム・ヴェンダース監督の狙いは何か。一言でいえば限りない人間賛歌である。どの人生も平凡であることが素晴らしいというやさしさだ。能登の地震災害がこれでもかと報道されている昨今では骨身に染みる味付けだ。また、世界では戦争・紛争の終結が見えない今だからこそ、カンヌ映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞し主演の役所広司が男優賞を取った佳作と評価される所以である。
 監督は日本でいえば筆者の上の世代、即ちプレ・団塊の世代、全共闘世代に属するゾーンの人で、やはり時代の影響を受けたのだろう、筆者はこの作品に『イージー・ライダー』とか『バニシング・ポイント』といったロード・ムービーの雰囲気を味わった。そして両作品が最後に悲劇的に激突して終わるのに対し、本作品が淡々と生活の継続を描いたエンディングとなるところに時代の変遷を感じた。
 特に監督が選んだという作中に流れる音楽は懐かしさがこみあげてきた。アニマルズ、ベルベット・アンダーグラウンド、オーティス・レディング、パティ・スミス、ルー・リード、ヴァン・モリソン、ニーナ・シモン、ときてはもう涙モン。最もシビれたのは割烹の女将がギターに合わせて歌う日本語の『朝日のあたる家』だった‼ 女将を演じるのは石川さゆりですぞ。

 ところで鑑賞中に気が付いたが、主人公は仕事中はツナギを着ていて、そのファッションたるや喜寿庵で農作業に勤しむ筆者の格好にそっくり。やっていることも、目が覚めてファームに行き、コンビニのジューシー・ハムサンドを食べ、温泉であったまり(回数券で510円)ビールを飲みながら鍋焼きうどん(680円)を食べて本を読んで寝る。違うのは筆者はその後寝るまで焼酎を飲み続けることと、筆者の作業には報酬が無いことである。付け加えると収穫も特に誰からも感謝されないことか(例えばジャガイモはあまりの出来の悪さに受け取りを拒否され筆者自身が消費している)。もう一つ、なじみの美人女将のいる店が喜寿庵周辺にはない(田舎のフィrピン・パブはあるらしいが行ったことはない)。言うまでもなく筆者にはパーフェクトな日々を過ごしている充実感など全く湧いてこないのだが。

 それはさておき、映画化のきっかけはファーストリテイリングの柳井康治が企画した公共トイを刷新するプロジェクトTHE TOKYO TOILETのPR映像をつくろうとしたことだそうだが、監督が短編ではなくストーリイ映画にしたいとシナリオを練ったらしい。何も起こらないので面白くないと言っては身も蓋もない、味わい深い作品だと思うが、私小説が嫌いな人には勧めない(実は筆者は私小説なんか読まないが見てしまった)。

 誠に蛇足であるが、筆者の長年の友人がヒョンなきっかけからこの映画に出演している。モッサリしたオッサンが数秒映るだけなのだがちゃんとエンド・ロールにも名前がクレジットされるという快挙。映画を見てどの登場人物かわかる方はいるだろうか。次の3つから選んで、正解の読者には筆者から仮想通貨100万ソナー・ダラーを賞金として差し上げますぞ(価値はないらしいが)。
 ➀ 銭湯の番台にいるオヤジ
 ➁ 写真屋のオヤジ
 ➂ 割烹でギターを奏でるオヤジ
 まだ上映してます。

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アーサー・ウェイリーおよび井筒俊彦について

2024 JAN 21 8:08:04 am by 西 牟呂雄

 アーサー・ウェイリーは明治に生まれ昭和40年代まで存命だったユダヤ系英国人、源氏物語の英訳をした語学の天才である。パブリック・スクールの名門ラグビー校からケンブリッジに学んだエリートで、ケンブリッジは中退し大英博物館に就職する。そして日本語並びに中国語を独学で学び、源氏物語や老子を英訳した。
 驚くべきことに、当時の印刷技術からして英国に渡っていた源氏物語はおそらくは現代語訳でないどころか書体も毛筆草体だったであろうし、老子に至っては簡略されていない白文(ピリオドも何もない)かつ難解な旧字体だったろう。それを見事に翻訳できたとは余程の読み込みと並外れた想像力があったに違いない。しかも、日本語も中国語も喋れなかったというから凄い。八木アンテナの発明者として有名な八木秀次と交流して多少の発音は分かったらしいが流暢に喋るレベルにはなっていない。こういう人は語学というより文献解釈の天才とでも言うしかない。
 ケンブリッジ時代にギリシャ・ローマの古典からラテン語を学び十数か国語に通じていたそうだから、他言語の意味することを掬い取るコツのようなものを体得していたのではないか。
 ただ、謎があってドナルド・キーンはウェイリー訳の源氏物語で日本文学に目覚めたが、ウェイリーに初めて会った時はアイヌ語の講義していたという。本人の言にも『アイヌ語とモンゴル語はある程度知っており、ヘブライ語とシリア語も多少知っている』とあるがアイヌ語に文字はない。ローマ字表記されたものか、一部ロシア語のキリル文字に起こされたものから翻訳したのだろうか。
 光源氏はShining Prince に、帝はEmperorと訳し、扉には『王子様、ずいぶんお待ちしました』と眠れる森の美女のセリフをあしらった『The Tale of Genji』は、その優れた心理描写でベスト・セラーとなった。特に900年も前に書かれた長編小説ということに賞賛の声が上がった。ただベスト・セラーといっても初年度に7千部くらい、というのもウェイリーはとても格調高い翻訳を試みているので当時の労働者階級にはピンとこない、いわゆるオックスブリッジ出の読書階級といった教養人がマーケットだったろう。とすれば大変な数字ということだ。
 日本のことなどほとんど知らない英国人にフィットするように(本人も日本に行ったことはない)萩のことはライラックとするなど工夫を凝らしているらしい。筆者はその訳文を読んではいないが、他にも『あはれ』などは前後の文脈から sympathy、melancholy、sorrow、beautiful、facination と使い分けるというからもはや日本人より読みこなしているのである。
 そしてこういう天才は見ているだけで訳語が湧いてくるようだから、中国語は(しゃべれなくても)もっと簡単に対応できたのではないか。白楽天を訳し西遊記を訳し論語を訳し、その勢いで The Way and Its Power: A Study of the Tao Te Ching and its Place in Chinese Thought として老子を翻訳した。
 まったくの余談であるがビートルズのレディ・マドンナのB面であるジ・インナー・ライトの歌詞 『Without going out of your door / You can know all things on earth / Without looking out of your window / You can know the ways of heaven』はウェイりー訳の老子の一節『戸を出でずして、天下を知り、牖まどより闚うかがわずして、天道を見る』から採られた。当時ヒンドウーの行者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの瞑想の教えを受けたジョージ・ハリスンに、サンスクリット研究者のジュリアン・マスカロが薦めジョージがインド音楽風に曲をつけた作品である。

井筒俊彦

 この天才のことを書いていて、我が国にも同じようなウルトラ級の天才がいたことを思い出した。コーランを原典から翻訳した井筒俊彦。西脇順三郎にあこがれて慶應に学んだ、筆者の敬愛する池田弥三郎の親友である。伝説によれば一度に10ケ国語を学び全て数か月でマスターした(一説にはひと月に一ケ国語)。曰く、英独仏といったヨーロッパ語は言語的に簡単過ぎる、したがってそれらを難しいという人の気持ちが分からない、ロシア語がやや歯応えがあった、だそうだ。更にペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ギリシャ語とマスターし、ヘブライ語、ラテン語までこなし、全て自在に喋れたと言うから天才どころか大魔神である。ウェイリーとはまた違った意味での才能かもしれない。
 その大魔神は戦前、革命を嫌って来日していたタタール人と知り合ってアラビア語との運命的な邂逅をしイスラム研究にのめり込んだ。本人の言によると、アラビア語は文化語のうちで最も学習困難な言語なのだそうだ(ただ、始めて一月でコーランを読み通すことはできた)。
 この下りは大変興味深い。そのタタール人達もまたは大変なイスラム学者で、伝統に従って一人はコーランの全文、もう一人に至っては質問する全ての文献が頭に入っており、井筒の蔵書をみて『こんな本を持ち歩かなけりゃならんとは情けない学者だ』と笑ったとか。
 ただし井筒も、サンスクリット語の大家である辻直四郎(この人は一高で川端康成の同級生)に文献を借りに行き、辻はどうせ読めないだろうと思いつつ貸した。すると一月経って返しにきたので『ははあ、読めなかったな』と思い質問してみると全部暗記していた、という逸話がある。
 尚、井筒の知名度がイマイチなのは著作のほとんどが英文で書かれているため、日本国内よりも海外での評価の方が高く、研究活動も慶應義塾だけではなくロックフェラー財団フェローとしてイラン、エジプト、シリアおよびヨーロッパでの研究生活が長かったためである。

 どうもこういった天才達はどんどん古典の方にのめり込んで精神世界に行ってしまう傾向があるのではないか。ウェイリーは論語や老子道徳経を解釈して『中国古典哲学の解釈書”Three Ways of Thought in Ancient China”』に至り、井筒はイスラーム・東洋思想を通じて神秘主義哲学者となった。筆者はインチキな英語でビジネスをしながらキリル文字やヒンディー文字であるデーヴァナーガリーを眺めてみることはあってもロシア語・ヒンディー語・タミル語はさっぱりだ。つくづく才の無さを悲しむばかりである。

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ロックがゲレンデに流れる

2024 JAN 14 18:18:38 pm by 西 牟呂雄

 還暦+α とか数え年古希とか言い繕ってきたが、今の僕はロック、即ち69才なのだ。いささか無謀の声も聞こえてくるが、今年もゲレンデに挑戦した。挑戦とは大げさに聞こえるかも知れないが本人は至って本気である。ロックにもなって骨折だの捻挫なぞするわけにはいかない。絶対に上級の急斜面なんかに行ってはならないのだ。
 そもそもビンディング装着の段階で体が硬くなっているし立ち上がる時のバランスも悪い。リフトを降りる時にもうコケそうになる。こりゃ良く体操しないとヤバい。恐る恐るダウン・ヒルを下ると余計な力が入ってもう汗だくという体たらく。ふーっ。
 ところで、毎度来ているこの富士山のふもとのゲレンデは人工スキー場なのだが、スノー・マシンの性能は格段に上がっていることがわかる。昔は本当にザラメとかアラレのような粗い雪モドキだったが、今では圧接した後にはパウダー・スノーのようにきれいな新雪だ。
 オットットと言いながらまたリフトに乗った。すると隣のカップル(4人乗りクアッド)は喋っているのは広東語である。話しかけてみると観光に来てスキーをやってみたくなりトライしているのだそうだ。大丈夫なのか、案の定リフトを降りた途端に転がってしまった。ジャーヨ(加油)!

我が雄姿

 それにしても今年のゲレンデは明るい色が主流のようで、オジサンのようなダークで普段着スタイルはいつにも増して取り残され感が漂う。
 自撮りの後ろにわずかな富士山のカケラが映り込んでいる。
 だが、後何回滑ることができるか、何年やれるのかを思えば今更ファッションもクソもない。現にビンディングが劣化したボードを買うこともなくレンタル。スキーに至っては靴の方がいかれたが買っていない。嗚呼。
 ダウン・ヒルを2本滑って、ようやく体がバランスを取り戻した頃気が付いた。今までは大腿部に疲労感を感じていたのだが、今年は違う。足首に来た。スキーは左右の体重移動だがボードは前後の移動であり、足首への負荷はボードの方が大きいが、久しぶりのせいでターンの際の視線が低く体が棒立ちになったため無理にスライドさせているからだろう。年を取ると足田の痛みでフォームがチェックできるとは知らなかった。
 
 さて、少し調子が出て来たぞ。ゲレンデには聞いたこともない流行りのJ-POPらしき音楽も流れているが、僕にはおよそ冬山には似使わないロックがガンガン響いていた。50年も前の名曲で、曲の出だしは『俺たちゃ氷と雪の国から来た』である。さて、もうひと滑り。

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