ハグがどうした
2024 FEB 17 10:10:03 am by 西 牟呂雄
情けない!
『ハグしたら普通覚えてるでしょう』
『昭和の男はそういう習慣はありません』
『協定にサインしたでしょう』
『したかもしれないが覚えていません』
これね、学級会のレベルじゃないの。「ナントカちゃんの肩に手をのせました」「おぼえてないもん」
あのね、政治家は票のためなら握手でもハグでもなんでもするの。相手がまずかったら今後やめりゃいいだけの話。ましてやナントカ協会はもう息の根が止まるんだから昔の話はもういらねえ。それにこの大臣は解散請求をしたご本人だよ。バカどもが。
それを大真面目で聞く方も聞く方だ。ほかにもっと大事なことがあるだろう。国会で質問する内容とは思えない。聞いてて恥ずかしくないのかね。えっ?恥ずかしくない?帰って質問してる自分の姿みてごらん。
情けない!
パー券売って上がりをチョロまかしたのがどうした。ワイロ性なし、せいぜい脱税?それにしてはミミっち過ぎる。一切合切含めて億単位になるけど年割りすればゴミ。
書籍代?支援者がどうでもいい本を書いて寄越すと100冊でも200冊でも買い上げてテキトーに配る。それがどうした。まさかそれを選挙期間でもないのに買収にあたるとでもいうのか。
使途不明?あんな程度で騒ぐような額じゃないだろ。中にはこっそり焼肉食ってたりして。いいじゃないの、カワイイくらいだ。
改めて言うけど税金使ったわけじゃないでしょ。ワイロ配ったわけじゃないでしょ。脱税にしてもこんな額じゃ国税だってバカバカしくてやる気はないよ。検察が勢い込んだけど中身みてもう鉾を収めたじゃないの。
そもそも野党だってやってることは同じ(共産党以外は)なんだからあんまり調子に乗ってるとブーメラン必至。
私は良い税制・財政・外交・防衛・福祉をやってくれる政治家だったらこの程度のことは不問にしますね。
ついでに言えば官房長官が辞め際に数千万円引き出したと騒ぐが、毎月1億以上引き出しているのだから別に驚く話じゃない。通常ローテーションの一角でしかない。
情けない!
派閥なんか無くなるわけない。だからさ、事務所借りて事務局置くから金がかかる。集まってメシ食うから金がかかる。この時代に議員も考えろよ。ラインをつないで秘密結社になっちまえばわかりゃしないしカネもかからん。
好き嫌い・保守派リベラル・親米反米・財政緊縮リフレ派。同じ党員・議員でも大集団ともなれば全員が同じことを考えるはずもない。意見集約的に人の集団ができるのはあたりまえ。解散なんて大げさなことを言ってみても結果は同じだ。
そもそも解散騒ぎのきっかけがドーデもいい記載漏れなんだから、何も本当に解散してみせなくても構わない。こんなこと真に受ける奴はいない。
昔は親分が金を配る集団だったが、さすがに政党助成金がつく今はそれができない。ただの仲間を押し上げて総裁に担ぐための互助会みたいなもんだからあんなセコいパー券売りをやってるに過ぎない。
小泉元総理は『改革できなければワタシが自民党をぶっ潰す』と言って総裁になったが、誰よりも派閥政治家だったではないか。
変な『委員会』も『改革』もいらない。政治家のモラルがちゃんとしたレベルだったらいいだけのこと。次から当選しても毎年モラル・チェック・テストでもやってダメだったらその議席ごと抹消して、そんなバカを当選させた選挙区には国会議員がいなくなるというのはどうだ。議員も減るし、少しは真面目に投票するだろう。
情けない!
お正月の大地震でたくさんの人がひどい目に合い、避難者は今なお寒さの中で大変な思いをされている。孤立した集落には我が自衛隊が駆けつけて救助と復興に必死に取り組んでいる。
一方で国防の訓練を怠るわけにいかない。その一環として習志野の空挺部隊の初降下について『地震が起きたにもかかわらずそんなことをしてていいのか』という論調が見られた。バカじゃないか。
災害救助と降下訓練とどっちが大事かって?決まってるだろう、両方なんだよ。どっちもやらなきゃいけないの!自衛隊が普段、災害のないときはブラブラしてるとでも思ってるのか。冗談じゃない、厳しい訓練を受けている。そして災害救助には、地域性、専門性、機動性を考慮した最適な部隊を展開しつつ、今も領海侵犯をしている某国に対処している。シロートがつまんないイチャモンを思いつくな!子供が誤解するだろう。
情けない!
そこまで言うならお前は何をやってるのかって?よし、秘密の計画を少し披露しよう。このスパイ天国といわれるわが国で、唯一民間の工作員抽出組織を立ち上げたのだ。
災害非常時及び政治混乱時に世の中を煽り治安を危うくさせる海外勢力を見つけ、監視し、その工作を妨害する。
名付けてスパイ・メカニカル・センター、通称S・M・C、このブログのことだったりして。
おっと、頭に血が上ってうっかり筆が滑った。こりゃご法度の政治ネタかな?
LGBT法案は噴飯モノだったが、それ以外政策の失敗はいまのところない。岸田総理よ、是非頑張って低支持率の在任新記録を樹立してくれ!
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雪中行軍生還記
2024 FEB 13 5:05:53 am by 西 牟呂雄
スキーもスノボも楽しい、がドカドカ降り積もる雪はごめんだ。喜寿庵は寒冷地だが雪は少ない。それでも年に1度くらい積もった日には、芝生は荒れる庭木は折れるハマユウは凍える。ファームに栽培中のスーパー・ニンニ君も埋もれてしまう。それが大雪警報である。
雪に閉じ込められるのもマズい。十年前の大雪の時は全県交通マヒとなり食料も枯渇した経験がある。車はノーマル・タイヤだから脱出できなかった。
朝から霙が降っている。小雨の中を時々白い物が飛んでいる。車での移動を諦めて庭木の様子を。
こいつは去年の雪の際に重さに耐えかねて折れかけて、裂けた所を縄でグルグル巻きにして救った。ありあわせのつっかえ棒を何本か支えにしてやる。
そうこうしているうちに本格的な雪になった。
渓谷の奥の方まで真っ白い雪が空間を埋めていて、心なしかせせらぎの音も静かになった。
急いでネイチャー・ファームを見に行くと、ニンニ君が寒そうにしていた。
本降りになってまだ30分も経たないのにもうこんなに積もったのか。
とは言え今更覆ってやることもできない。
やむを得ず『雪中野営命令』を下し武運長久を祈りつつ踵を返した。
こちらものんびりはできないのだ。ニュースを見るたびに『交通の乱れに注意』とせかされる。
元々車はあきらめていたが、渋滞予防措置と称して中央道が通行止めになる。あまりいい気持ちはしない。
あっという間にこんな墨絵のような景観になってしまった。
音がしなくなったことは書いた(いや、かすかにせせらぎは聞こえるが)。
それに加えて色もなくなったのだ。
静寂・無色・限りなく落ちて来る雪、思わず立ちすくむ。
見とれる、というのではなくむしろ恐怖感、畏れ、英語のaweに当たる思いにかられた。
はっきり言えば逃げ出したくなった。
あたふたと支度をし、鍵をかけ、門をしめようとしてフト声がしたような。
目をやると、梅の老木にやっと咲いた小さな花達が真っ白に。
今朝見た時は薄いピンクだったのに、サムイといったのかツレテッテと言ったのか。
だがそれどころじゃない。埋まってしまったらかならず掘り出してやるからな、と声をかけで電車に飛び乗った。足元に落ちていた木蓮の枝を拾って持って帰る。
この一瞬が生死を分けた。
その後の報道によると高尾から運航停止になり、特急かいじ は塩山駅と大月駅 特急あずさ は甲府駅にて朝まで止まったのだった。
翌週に車の回収がてら戻るとこれが、40cmは積もったらしく悲惨なことになっていた。
いたるところで枝が折れていて、それもかなり重い松や杉の高い枝だ。
拾い集めたらこの有様でどうにも処分のメドが立たない。
つっかえ棒をした木は無事だったが、他にもツツジなどは埋もれてしまっておまけに凍っていた。
それを何とか掘り出して一服していると、雨樋が落ちている!
もうそれはほったらかしにしてネイチャー・ファームを見に行く。
するとさすがはニンニ君、風雪に耐えてサバイヴしていた。
アッ、そういえば梅の方はどうなった。
あの、寒さに縮こまっていた梅の花。
こちらも健気に咲き残っていた。ヤレヤレ。
ジタバタと忙しくして足元をみると。
何と咲きかけの福寿草がカワイイ。
季節は巡っているのだ。
持って帰った木蓮の枝。
産毛に覆われているのは蕾だろうか。
樹木も寒さ対策をするのかな。
せっかくなので花瓶にさしている。
花は咲くのかな。
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コブシだった!
続・街道をゆく 落人のみち
2024 FEB 5 19:19:07 pm by 西 牟呂雄
筆者の勝手な造語に『日本三大落人』というのがある。出雲族・物部・平家である。人目を避けて山中にひそかに暮らし、時の権力者の追求をかわしながら生き延びた人々のことだ。
筆者の知り合いにその名も『平』さんという人がいて、鹿児島と沖縄の中間あたりの島の出身者だが、筋金入りの平家の落人なのだそうだ。大っぴらに平姓を名乗ったのがいつからかは聞かなかったが、酔うと目を据えて壇ノ浦の無念を語っていた。時を経てそれほどまでに伝わった無念とはいかばかりか、筆者は仰ぎ見る思いで聞き入った。
さて、今回の旅は多摩川の水源のあたりから始まる。中山介山の大菩薩峠が見渡せる武蔵の国の奥まった所である。これから追うのは三大落人ではないものの、平家のゆかり平将門の足跡である。藤原秀郷に追われた将門は実際には茨城県で戦死するのだが、西多摩あたりには多くの将門伝説が残っている。おそらくは抵抗を続けた弟たちや子供達が流れて来たものが伝承されたと言っていい。その一つに将門が五日市の勝峰山に立て籠もり藤原秀郷軍と対峙し、戦況利有らずと勝峰山を下り青梅に下ったと。そして金剛寺で手に持っていた鞭代わりに持っていた梅の枝を地面に突き立てると梅の枝は立派に根付き、その梅の実がいつまでたっても青いので青梅と称された、と。ご丁寧に藤原秀郷が将門の霊を鎮めるため阿蘇神社に手植えしたシイの木も残っており、樹齢1000年を超えると伝えられる。将門の長男良門が亡き父の像を刻んで祀って社号を平親王社とした社も奥多摩の棚沢にある。
いずれにせよ、将門のゆかりの人々がこのエリアまで落ちてきたことは事実と思われる。この地は分水嶺から見ても武蔵の国なのだが、現在では甲斐の国山梨県になっている小菅村で、かつてはバスも奥多摩方面しかなかったが、ようやく道路も整備されて上野原あるいは大月へも運行されるようになった。そのことから、この村も落人にとっては安心できる所ではなかった。
史実で確認できる将門の息子は長男が上記良門、次男将国まで確認できるが、伝承では三男に常門という者がおり、ここから峠を越えて行ったと伝わる。その峠が武蔵の国と甲斐の国の分水嶺になっていることからその険しさが知れる。筆者は峠越えの道を行きたかったが、どうやら整備されておらず通行止めになっていて断念した。代わりに通ったのは距離3066mもあるトンネルだ。一般道のトンネルとしては長く、しかも緩く勾配があって直線にもかかわらず視界は遮られている。このトンネルを通過することにより十分険しさは想像できた。その峠の名は松姫峠という。
抜けて視界が広がると上和田集落に行きつく。
将門の愛妾である芙蓉の前が落ち延びた青梅で将門の子を産み落とし、将門の幼名が相馬小次郎であることから相馬治郎丸と名付けられた。冒頭の青梅の将門伝説はこの男子誕生から派生したものかと推察される。
治郎丸一行はここ上和田に落ち着く前は甲斐の国側の下流である駒宮・瀬戸地区にも居住したようだが、最後はこの地で没した。墳墓跡とされる場所に通称常門塚、五輪塚があった。常門には七人の男子が生まれそれぞれ相馬姓を名乗って今日に至っていて、家紋は将門ゆかりの九曜紋である。
ほとんど平地のないこの集落の僅かな場所には廃校になった小学校があった。無論過疎地で相馬姓の他に卯月姓が多い。そして卯月家は常門の従者で後から追ってきたという。世を憚るように斜面の僅かな土地を切り開いて相馬神社と卯月神社があるが、両社とも御岳神社・一宮神社とその名を変えていることが落人の歴史を物語っていた。
相馬家では各代に一人は生涯髪を切らずに修験者のような総髪にする男子がいた、或いは現代にいたっても相馬の血を引く者は成田山新勝寺には参らない、等この辺境にふさわしい話が残っている。新勝寺は将門の乱の際に朱雀天皇が高雄山神護寺の不動明尊像を寬朝上人に託し、成田山にて21日間の護摩行をすると結願の日に藤原秀郷に打ち取られた、とあるからである。
さて、分水嶺をこえているのでこの幽谷を流れる葛野川は甲斐の国へと向かい桂川に注ぐのであるが、その流れはご覧の通りの深々とした山中にある。下って行くと先程記した瀬戸・駒宮といった集落があるにはあるが、いずれも日当たりも心細いような所に家がへばりつくように点在するばかりで、それは逆に言えば身を隠すには都合がいいに違いない。
今日整備された道路によって大月・上野原までバスが通るが、かつては猿橋方面に細い道があるのみであった。その猿橋に近い集落は下和田としてかすかに上和田との縁を感じさせるが、交流などはなかったものと思われる。その道は一車線のみの道なので今回は通らなかった。
途中、コンビニとかガソリン・スタンドの類は一切なく、釣り客用の鉱泉旅館があったのみである。その旅館は『松姫旅館』といい、敷地内には松姫神社がポツンとあった。峠・神社、今回の旅ではノー・マークだった松姫とは誰なのか。
しかしその神社は社殿もなく朽ちた老木が楼の下に祀られているだけで、由来も何も表示されていない。御神体のつもりの老木は中が空洞になっていて何やら打ち捨てられた感が否めない。旅館に付随した観光施設のようだった。
だが、松姫は実在の人物で、武田信玄の四女として生まれ、信玄西上の以前には信長の嫡男信忠の許嫁だった。信忠11才松姫7才の縁組である。
ところがその後、信玄は死去。勝頼は織田方に滅ぼされてしまう。戦乱の最中を松姫は武蔵の国へ落ち延びていく。どうやらその際に超えて行ったのが松姫峠であり、すると今までたどって来た常門のルートを逆に登って行ったことになる。図らずも落人が行き来したみち、それほどに山深い隠れ街道と言える。
史実によれば、松姫一行は八王子まで無事に逃れていたが、それを聞き知った織田信忠から迎えの知らせが来た。この時代に何と心温まる話か、打ち滅ぼした敵の一族ではあるが落ちて行った元許嫁を改めて迎えようとは天晴な心掛けである。松姫も旅支度にいそしんだであろう時に、無情にも本能寺の変が起きたのだった。
この過酷な運命にもかかわらず、八王子心源院で出家し信松尼と称した。この時期の八王子は小田原北条氏の支配下にあり、ひたすら祈りの生活を送ることとなる。そのうちに寺子屋のように近在の子供たちに読み書きを教え、機織りなどを生活の糧にしていたようだが、小田原を制圧したのちに江戸入りした家康が、西の守りを固めるために旧武田の遺臣を八王子千人同心として大量に雇い入れた。やって来た彼らにしても旧主の姫は大きな心の支えとなり、松姫もようやく心静かに暮らせるようになったはずだ。険しい峠越えから八年が過ぎていた。
そして晩年には将軍秀忠公がよそに産ませた子が正室お江の方にバレることにビビったため、異母姉である見性院(けんしょういん、武田信玄次女)とともに育てた。その子は一時八王子にも滞在したと言うが、後の会津松平家の祖となる保科正之である。
この落人が行き来した道は大月市に至り、中央線の駅から必ず見える巨岩の岩殿山のふもとをかすめる。武田勝頼を最後の最後で裏切ったとされる小山田信茂の砦があったところである。小山田氏はこの大月から富士吉田に至るいわゆる『郡内』エリアの覇者で、初め北条に仕えた後信玄旗下として数々の武功を上げ武田二十四将と記録される。その足跡はまた後稿に譲りこの旅は終る。
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映画 PERFECT DAYS レヴュー
2024 JAN 26 2:02:37 am by 西 牟呂雄
どういう事情か知らないが、前期高齢者の独身オヤジが毎日繁華街のトイレを掃除する仕事を淡々とかつ誠心誠意こなす。毎日ローテーションをこなし同じ公園でコンビニのサンドイッチを食べ、銭湯の一番風呂に浸かって、帰りにはチューハイを飲みながら簡単な食事をし、古本屋で買った1冊100円の文庫本を読みながら寝る。休みの日はコイン・ランドリーで洗濯をし、仕事中に趣味で撮ったカメラのフィルムを現像に出し撮った写真を受け取る。その足で行きつけの美人女将のカウンター割烹で一杯やる。
何かがきっかけで実家と疎遠になり孤独な暮らしを続けていて、時々雑音が入る。バカ丸出しの若い同僚が仕事に来なくなる、姪が家出して転がり込んでくる、女将の別れた亭主が現れる。だがそれらのアクシデントはすぐに過去のものとなり、男の日常はまたバランスをとるように元のペースを取り戻す。何も変わらない、何も起きない。
これだけの話を見事な映像に仕上げたヴィム・ヴェンダース監督の狙いは何か。一言でいえば限りない人間賛歌である。どの人生も平凡であることが素晴らしいというやさしさだ。能登の地震災害がこれでもかと報道されている昨今では骨身に染みる味付けだ。また、世界では戦争・紛争の終結が見えない今だからこそ、カンヌ映画祭でエキュメニカル審査員賞を受賞し主演の役所広司が男優賞を取った佳作と評価される所以である。
監督は日本でいえば筆者の上の世代、即ちプレ・団塊の世代、全共闘世代に属するゾーンの人で、やはり時代の影響を受けたのだろう、筆者はこの作品に『イージー・ライダー』とか『バニシング・ポイント』といったロード・ムービーの雰囲気を味わった。そして両作品が最後に悲劇的に激突して終わるのに対し、本作品が淡々と生活の継続を描いたエンディングとなるところに時代の変遷を感じた。
特に監督が選んだという作中に流れる音楽は懐かしさがこみあげてきた。アニマルズ、ベルベット・アンダーグラウンド、オーティス・レディング、パティ・スミス、ルー・リード、ヴァン・モリソン、ニーナ・シモン、ときてはもう涙モン。最もシビれたのは割烹の女将がギターに合わせて歌う日本語の『朝日のあたる家』だった‼ 女将を演じるのは石川さゆりですぞ。
ところで鑑賞中に気が付いたが、主人公は仕事中はツナギを着ていて、そのファッションたるや喜寿庵で農作業に勤しむ筆者の格好にそっくり。やっていることも、目が覚めてファームに行き、コンビニのジューシー・ハムサンドを食べ、温泉であったまり(回数券で510円)ビールを飲みながら鍋焼きうどん(680円)を食べて本を読んで寝る。違うのは筆者はその後寝るまで焼酎を飲み続けることと、筆者の作業には報酬が無いことである。付け加えると収穫も特に誰からも感謝されないことか(例えばジャガイモはあまりの出来の悪さに受け取りを拒否され筆者自身が消費している)。もう一つ、なじみの美人女将のいる店が喜寿庵周辺にはない(田舎のフィrピン・パブはあるらしいが行ったことはない)。言うまでもなく筆者にはパーフェクトな日々を過ごしている充実感など全く湧いてこないのだが。
それはさておき、映画化のきっかけはファーストリテイリングの柳井康治が企画した公共トイを刷新するプロジェクトTHE TOKYO TOILETのPR映像をつくろうとしたことだそうだが、監督が短編ではなくストーリイ映画にしたいとシナリオを練ったらしい。何も起こらないので面白くないと言っては身も蓋もない、味わい深い作品だと思うが、私小説が嫌いな人には勧めない(実は筆者は私小説なんか読まないが見てしまった)。
誠に蛇足であるが、筆者の長年の友人がヒョンなきっかけからこの映画に出演している。モッサリしたオッサンが数秒映るだけなのだがちゃんとエンド・ロールにも名前がクレジットされるという快挙。映画を見てどの登場人物かわかる方はいるだろうか。次の3つから選んで、正解の読者には筆者から仮想通貨100万ソナー・ダラーを賞金として差し上げますぞ(価値はないらしいが)。
➀ 銭湯の番台にいるオヤジ
➁ 写真屋のオヤジ
➂ 割烹でギターを奏でるオヤジ
まだ上映してます。
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アーサー・ウェイリーおよび井筒俊彦について
2024 JAN 21 8:08:04 am by 西 牟呂雄
アーサー・ウェイリーは明治に生まれ昭和40年代まで存命だったユダヤ系英国人、源氏物語の英訳をした語学の天才である。パブリック・スクールの名門ラグビー校からケンブリッジに学んだエリートで、ケンブリッジは中退し大英博物館に就職する。そして日本語並びに中国語を独学で学び、源氏物語や老子を英訳した。
驚くべきことに、当時の印刷技術からして英国に渡っていた源氏物語はおそらくは現代語訳でないどころか書体も毛筆草体だったであろうし、老子に至っては簡略されていない白文(ピリオドも何もない)かつ難解な旧字体だったろう。それを見事に翻訳できたとは余程の読み込みと並外れた想像力があったに違いない。しかも、日本語も中国語も喋れなかったというから凄い。八木アンテナの発明者として有名な八木秀次と交流して多少の発音は分かったらしいが流暢に喋るレベルにはなっていない。こういう人は語学というより文献解釈の天才とでも言うしかない。
ケンブリッジ時代にギリシャ・ローマの古典からラテン語を学び十数か国語に通じていたそうだから、他言語の意味することを掬い取るコツのようなものを体得していたのではないか。
ただ、謎があってドナルド・キーンはウェイリー訳の源氏物語で日本文学に目覚めたが、ウェイリーに初めて会った時はアイヌ語の講義していたという。本人の言にも『アイヌ語とモンゴル語はある程度知っており、ヘブライ語とシリア語も多少知っている』とあるがアイヌ語に文字はない。ローマ字表記されたものか、一部ロシア語のキリル文字に起こされたものから翻訳したのだろうか。
光源氏はShining Prince に、帝はEmperorと訳し、扉には『王子様、ずいぶんお待ちしました』と眠れる森の美女のセリフをあしらった『The Tale of Genji』は、その優れた心理描写でベスト・セラーとなった。特に900年も前に書かれた長編小説ということに賞賛の声が上がった。ただベスト・セラーといっても初年度に7千部くらい、というのもウェイリーはとても格調高い翻訳を試みているので当時の労働者階級にはピンとこない、いわゆるオックスブリッジ出の読書階級といった教養人がマーケットだったろう。とすれば大変な数字ということだ。
日本のことなどほとんど知らない英国人にフィットするように(本人も日本に行ったことはない)萩のことはライラックとするなど工夫を凝らしているらしい。筆者はその訳文を読んではいないが、他にも『あはれ』などは前後の文脈から sympathy、melancholy、sorrow、beautiful、facination と使い分けるというからもはや日本人より読みこなしているのである。
そしてこういう天才は見ているだけで訳語が湧いてくるようだから、中国語は(しゃべれなくても)もっと簡単に対応できたのではないか。白楽天を訳し西遊記を訳し論語を訳し、その勢いで The Way and Its Power: A Study of the Tao Te Ching and its Place in Chinese Thought として老子を翻訳した。
まったくの余談であるがビートルズのレディ・マドンナのB面であるジ・インナー・ライトの歌詞 『Without going out of your door / You can know all things on earth / Without looking out of your window / You can know the ways of heaven』はウェイりー訳の老子の一節『戸を出でずして、天下を知り、牖まどより闚うかがわずして、天道を見る』から採られた。当時ヒンドウーの行者マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの瞑想の教えを受けたジョージ・ハリスンに、サンスクリット研究者のジュリアン・マスカロが薦めジョージがインド音楽風に曲をつけた作品である。
この天才のことを書いていて、我が国にも同じようなウルトラ級の天才がいたことを思い出した。コーランを原典から翻訳した井筒俊彦。西脇順三郎にあこがれて慶應に学んだ、筆者の敬愛する池田弥三郎の親友である。伝説によれば一度に10ケ国語を学び全て数か月でマスターした(一説にはひと月に一ケ国語)。曰く、英独仏といったヨーロッパ語は言語的に簡単過ぎる、したがってそれらを難しいという人の気持ちが分からない、ロシア語がやや歯応えがあった、だそうだ。更にペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ギリシャ語とマスターし、ヘブライ語、ラテン語までこなし、全て自在に喋れたと言うから天才どころか大魔神である。ウェイリーとはまた違った意味での才能かもしれない。
その大魔神は戦前、革命を嫌って来日していたタタール人と知り合ってアラビア語との運命的な邂逅をしイスラム研究にのめり込んだ。本人の言によると、アラビア語は文化語のうちで最も学習困難な言語なのだそうだ(ただ、始めて一月でコーランを読み通すことはできた)。
この下りは大変興味深い。そのタタール人達もまたは大変なイスラム学者で、伝統に従って一人はコーランの全文、もう一人に至っては質問する全ての文献が頭に入っており、井筒の蔵書をみて『こんな本を持ち歩かなけりゃならんとは情けない学者だ』と笑ったとか。
ただし井筒も、サンスクリット語の大家である辻直四郎(この人は一高で川端康成の同級生)に文献を借りに行き、辻はどうせ読めないだろうと思いつつ貸した。すると一月経って返しにきたので『ははあ、読めなかったな』と思い質問してみると全部暗記していた、という逸話がある。
尚、井筒の知名度がイマイチなのは著作のほとんどが英文で書かれているため、日本国内よりも海外での評価の方が高く、研究活動も慶應義塾だけではなくロックフェラー財団フェローとしてイラン、エジプト、シリアおよびヨーロッパでの研究生活が長かったためである。
どうもこういった天才達はどんどん古典の方にのめり込んで精神世界に行ってしまう傾向があるのではないか。ウェイリーは論語や老子道徳経を解釈して『中国古典哲学の解釈書”Three Ways of Thought in Ancient China”』に至り、井筒はイスラーム・東洋思想を通じて神秘主義哲学者となった。筆者はインチキな英語でビジネスをしながらキリル文字やヒンディー文字であるデーヴァナーガリーを眺めてみることはあってもロシア語・ヒンディー語・タミル語はさっぱりだ。つくづく才の無さを悲しむばかりである。
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ロックがゲレンデに流れる
2024 JAN 14 18:18:38 pm by 西 牟呂雄
還暦+α とか数え年古希とか言い繕ってきたが、今の僕はロック、即ち69才なのだ。いささか無謀の声も聞こえてくるが、今年もゲレンデに挑戦した。挑戦とは大げさに聞こえるかも知れないが本人は至って本気である。ロックにもなって骨折だの捻挫なぞするわけにはいかない。絶対に上級の急斜面なんかに行ってはならないのだ。
そもそもビンディング装着の段階で体が硬くなっているし立ち上がる時のバランスも悪い。リフトを降りる時にもうコケそうになる。こりゃ良く体操しないとヤバい。恐る恐るダウン・ヒルを下ると余計な力が入ってもう汗だくという体たらく。ふーっ。
ところで、毎度来ているこの富士山のふもとのゲレンデは人工スキー場なのだが、スノー・マシンの性能は格段に上がっていることがわかる。昔は本当にザラメとかアラレのような粗い雪モドキだったが、今では圧接した後にはパウダー・スノーのようにきれいな新雪だ。
オットットと言いながらまたリフトに乗った。すると隣のカップル(4人乗りクアッド)は喋っているのは広東語である。話しかけてみると観光に来てスキーをやってみたくなりトライしているのだそうだ。大丈夫なのか、案の定リフトを降りた途端に転がってしまった。ジャーヨ(加油)!
それにしても今年のゲレンデは明るい色が主流のようで、オジサンのようなダークで普段着スタイルはいつにも増して取り残され感が漂う。
自撮りの後ろにわずかな富士山のカケラが映り込んでいる。
だが、後何回滑ることができるか、何年やれるのかを思えば今更ファッションもクソもない。現にビンディングが劣化したボードを買うこともなくレンタル。スキーに至っては靴の方がいかれたが買っていない。嗚呼。
ダウン・ヒルを2本滑って、ようやく体がバランスを取り戻した頃気が付いた。今までは大腿部に疲労感を感じていたのだが、今年は違う。足首に来た。スキーは左右の体重移動だがボードは前後の移動であり、足首への負荷はボードの方が大きいが、久しぶりのせいでターンの際の視線が低く体が棒立ちになったため無理にスライドさせているからだろう。年を取ると足田の痛みでフォームがチェックできるとは知らなかった。
さて、少し調子が出て来たぞ。ゲレンデには聞いたこともない流行りのJ-POPらしき音楽も流れているが、僕にはおよそ冬山には似使わないロックがガンガン響いていた。50年も前の名曲で、曲の出だしは『俺たちゃ氷と雪の国から来た』である。さて、もうひと滑り。
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『言葉』は言葉であって真実ではない Ⅱ
2024 JAN 7 23:23:11 pm by 西 牟呂雄
前回『法律はそれを『文章』として書いた人と、それを執行する人の間でのみ有効で、大きなお世話だと思う連中には効果はない。人間は自由意志もないにも拘らず社会生活をするために決めごとは必要となると文章は作る』と記した。このことを如実に表すのが誰も守らない法律であることは言うまでもない。
例えば制限速度。取り締まる者がいなければ誰も守らず、事故の際或いは運悪くつかまった場合に『ついてない』と言いながら罪に問われる。普段それを常習的に守っていなくても犯罪意識なんかない。職業的な格闘家になる根性はなくともモメ事と喧嘩が好きでしょうがない大バカは絶えることがない。そしてそのバカ同士がタイマンを張っても傷害罪が適用されることはない。もっと言えばヤーさんが殺しあうのもほったらかしてもいいくらいだ。カタギ相手じゃなけりゃ。
そしてこれらのドーでもいい話はさておき、昨今問題のパー券のショロマカシ問題だが、筆者はそれがどうした、という立場なのだ。賄賂性は無し、被害者なし、せいぜい政治資金規正法という交通違反以下の縛りとぎりぎり税金逃れなのだろうが、5年で150万円の某議員にいたっては特捜部は在宅起訴ができるのか。もともとどこでも誰でも何年も当たり前にやっていたことが内部告発されたのだろうから、とにかく何かしなきゃならん、となって盛り上げるために検察がリークした、という構図が透けて見える。それを軽薄マスコミがワイド・ショー・ネタにしたに過ぎない。特捜も困ってるんじゃないのか。ペイペイが逮捕されてそれで終わりかも。
煽られたおかげで支持率は低下したが、その世論調査が次の総理に押しているのが石破・河野・小泉というレベルだ。本気で怒っているとは少しも思えない。次の総理なんか誰でもいい、といった程度の話、その3人に中身が期待できるのか。高市早苗ならばともかく。
そもそも岸田総理は失敗らしい失敗をしていない。気に入らないのはLGBT法ぐらいで、これに頭に来たのは筆者のような右と二丁目の住民だから支持率低下とは関係はない。気の毒な話で不謹慎ではあるが、地震と航空機事故のドサクサで総裁任期まで持つだろう。で、総裁選は茂木あたりが出てきても勝てるんじゃないか。
そこで冒頭の話に戻るが、筆者もいい大人でありなおかつ性善説であるから、法のハードルは低くして多少のことは目をつぶる、だが気に入らなけりゃ引っ掛けることができるレベルにはしておく、というのが緻密な統治ということは十分理解している。
ただそれは、全ては『個』の話ならば分かりやすいが、一体『お目こぼし』が通用する性善説めいた運用はどの程度まで有効なのか、耐えられるシステムか。家族までか、一族までか、ダチならいいのか、同期ならいいのか、同窓ならいいのか・・・・、行きつくところは好むと好まざるとに関わらず国家でしょうな。
で、条約だ同盟だ国際法だ、とくるのだが、ここに至ると性悪説にならざるを得ないのが目下の世界ということになる。異論はなかろう。何たる無力か。そもそも本当に役に立つ同盟とはどこにある。成程EUができて独仏は二度と戦争はしないだろう。だがウィングを広げすぎて英国は離脱しウクライナ戦争は起きた。いかなる合意文章も提題の通りならば人類は何をやってきたのか。せめて一国でも核を使ったら核保有国はその国に飽和攻撃をする、くらいで縛れないのか。その場合我が国は、復活した新日英同盟で核搭載型原潜をレンタルして・・・、なんのこっちゃ。
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令和六年滋養神社お告げ
2024 JAN 1 0:00:17 am by 西 牟呂雄
迷える人々よ、明けましておめでとう。
ワタクシ滋養様の審神者として昨年の大ハズレを恥じておるものの、今年もお告げがあったのでここに遣わす。
1.台湾選挙は凄まじい大陸の干渉の元、前代未聞のフェイク映像が飛び交う選挙戦だった。ドロドロのスキャンダル暴露合戦になって最後は『アイツは大陸の回し者だ』『アイツこそ上海に愛人がいる』『この親日派め』『アメリカの傀儡だ』と聞くに堪えないものになり果てた。
そこに南シナ海でフィリピンと中国海警局の小競り合いが発生し、これが決め手となって民進党が勝つ。
2.ウクライナ戦線は膠着状態だが、ロシア側に厭戦気分が広がり勝利には程遠い。そんな中、プーチン大統領は再選されるのだが、得票は50%ギリギリで世情騒然となる。戦争をやめるわけにはいかないため、せっかく潰したワグネルを復活させたりチェチェン人の部隊を投入し始め、戦闘を丸投げしようとする。
するとウクライナも外人傭兵部隊を使いだし、その中でも抜群の能力を発揮した東洋人の部隊が脚光を浴びる。正体不明のニッシームと名乗る司令官は日本人ではないかとの噂が広がる。部隊はソフト・マッド・カンパニー(SMC)というらしい。更にそのスポンサーはイーロン・マスクだと推定される。
3.有無を言わせない鋼鉄の意思でマッド・ネタニヤフ首相はガザ全地区を制圧した。しかしその過程で人質が全員殺されてしまい、ネタニヤフは支持を失った。それを見てバイデン大統領も匙を投げる。ガザは国連の委任統治となり非武装中立を維持することとなる。ところがそんな概念は世界中にないため、憲法九条を持っている日本のノウハウに頼ることになり、暫定首長に石破茂、内務大臣河野太郎、財務大臣小泉進次郎、外務大臣鳩山由紀夫が指名され、お花畑国家が樹立。
4.パリ・オリンピックはロシア・イスラエルの参加をIOCが拒否した。するとアメリカもしくはウクライナ選手団へのテロが実行されるという噂が広まり、大会が戒厳令下のようになって盛り下がる。
そんな中日本は大活躍で、特に100✖4のリレー、バレーボール。バスケット、で金には届かないが大金星を上げる。女子ホッケーさくらジャパンが銅メダル。
5.オリンピック・パラリンピックが終わった途端、北の国がまたミサイルを撃った。それが今度は南シナ海まで飛んで中国を怒らせる。習近平は石油の輸出パイプのバルブを捻って虐めると、北はロシアに泣きつく。ついでに日本に盛んに秋波を送って来た。
林官房長官はそれに乗ろうとするが、上川外務大臣が猛然と撥ねつける。すると勘違いした一部の自民党議員と何故か小沢一郎が暗躍し、勲章目当ての外務省のキャリアもジタバタする。売国奴の本性を見せる。
6.岸田首相の粘り腰は凄い。不支持も何のその。安部派や二階派がどうしたか知らんが、オレのせいじゃない、それはそうだろう。安部派は潰れかけ、二階派も身動き取れず。麻生は河野を見限ったので対抗馬は出なかった。石破・茂木・小泉を菅元首相がけしかけるが推薦人が集まらない。結果岸田再選、バンザーイ!
7.アメリカ大統領選挙はフェイク画像、誹謗中傷、ロシアの介入、のメチャクチャな政治ショーに成り下がり、識者は眉を顰める。しかしながらウクライナ支援疲れを前面に押し出したトランプが僅差で大統領にカムバック。早速『サッサと戦争をやめないとオレだって原爆を使うぞ』と言い出してプーチンとの直接会談を持ち掛ける。『クリミアくらいくれてやりゃいいだろう』などと掻き回す。
ただし岸田総理との相性は良くない。
8.中国がいよいよ経済破綻の地獄の門を開けた。コロナ・不動産バブル崩壊・アメリカ対中姿勢強硬の三段跳びで、ついに信用不安に陥る。一帯一路などと浮かれまくった資産の切り売りが始まったが誰も買わない。
困ったときの日本頼みとばかりに接触しようとするが、岸田総理は断固拒否。代わりになぜか小池百合子都知事にすり寄る。すなわち二階ルートなのだがこれも裏金問題で力はない。
さすがに習近平も足元がヤバくなってきた。
9.春闘の賃上げは7%どころではない上昇で一見喜ばしいが、日銀はゼロ金利をやめる。だがインフレ懸念から年初は消費がサッパリ。次の利上げのタイミングを探れない。円は再び110円/$となって株価も3万円レベルに戻る.それだけでGDPは世界第三位にカムバック。
ところが梅雨明けから岸田総理の破れかぶれ感からバラまいた給付金の効果と円高が効いて来る。食品及びガソリンが安くなった。するとリベンジ消費が盛り上がりしまいには不動産まで売れ出してバカみたいに景気が良くなる。気が付けば日本が、岸田総理が世界のリーダーとなる。
10。日本ハムファイターズ不動の最下位に沈む。ついにバカ監督の首どころか球団身売りの運びとなった。すると名乗りを上げたのはメジャー最高のギャラを貰った大谷翔平だった。ただし現金の支払いは10年後の条件らしい。しかし大谷を慕うメジャーのレギュラー・クラスが大挙して入団しようとするので、球団ごとアメリカに行くと噂される。場所はフロリダでライジング・サンズになるらしい。監督はイチロー。大谷は二刀流のまま現役を続ける。
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『言葉』は言葉であって真実ではない
2023 DEC 25 20:20:56 pm by 西 牟呂雄
これは何も病的な嘘つきやハッタリ屋のことを指しているわけではなく、日本人並びに日本語の特徴についてである。要するに書いたり喋ったりしていることと現実が大きく乖離してしまうことを言いたい。
その話をする前に、最近読んだ本で知ったことを少々。最新の脳科学の研究によると、例えば右手を伸ばしてコップを取る行動をとる場合、脳が指示を出す信号のほんの少し前から行動は始まっているということが計測されたというのだ。AIが文章を作る際にある言葉の次にはどういう言葉が最も整合性があるか、で文章を紡いでいくそうだが、人間の行為もそれに似ている。先にどういうことをするのがフィットするかを脳よりも早く反応している。
一方で、フランスの哲学者ジャック・デリダはそういった科学的検証とは別に、自由に発想した考察は必ず時間的な反芻(私の造語。デリダは英語ではdifference と表記)があるはずだ、とした。即ち完全な自由意志といえどもそれは後付けである、と喝破した。
これは虚言壁というようなよく口が滑る人、ハッタリや自慢話の多いオヤジのことを想像してみると分りやすい。ああいう人は自分の願望を述べているので、自分が嘘つきという自覚はない。
私自身はどちらでも構わないが、それはそうだろうと腑に落ちるところがある。そういった事象に普段から囲まれているという感覚はある。
例えば憲法九条。1項はいいとして、いつももめる2項は完全に現実と乖離しているのは誰が見ても明白。にもかかわらず自衛隊がなければ尖閣などアッという間に取られてしまうのも明らか。フィリピンの島しょ部を見よ!一方で護憲派は議論の土俵にも上がらずに断固反対で現実には目を向けない。
今日明らかになった拉致問題を『北〇〇が拉致などする理由がない』と言い放った公党の女党首が当選し続けた。その国会議員は被害者に謝りもしなかったし罰せられなかった。
マスコミは大騒ぎするパー券のちょろまかしはせいぜい政治資金規正法とかいう微罪か税金申告漏れの類で、大問題のような言い方が蔓延るが税金を使ったわけでもなければ不利益を被った人さえいない(利益を享受した人もいないのだから賄賂にすらならない)。ヒステリックに毎日ニュースになるから自由意志を持たない一般人も洗脳されて憤る。利権という言い方もあるが、実態はない。チンピラがくすねる程度のミミッチイイ話しに過ぎない。まっ、次の選挙はヤバいかも知れないが、年が明ければ違うだろう。
『聞く力』と総理は言うが、本当の声を聴くセンサーの問題だ。街頭インタヴューなんぞいいかげんなもので、マイクを向けられればイチャモンを言い出すのは自由意志を持たないバカばかりだからマスコミの誘導に従ってつまらん文句を言い、そうでないものはカットされる。
大騒ぎの末に不愉快な駐日米大使の外圧まで加わりLGBT法ができた。マトモな人は行ったこともないだろうが新宿二丁目のその道のプロ達は喜んだのか。ゲイもビアンも『バカじゃないの?ほっといてよ』と言っていた。業界人はひっそりとやりたいのだ。筆者はその昔悪い仲間とその界隈で散々飲み散らしたが、実に面白い連中ではあったが『オニーさんはノンケね』と言われて相手にはされなかった。あのバカな法律で恩恵を被るのは売名行為に走るごく一部と弁護士なのだ。LGBT法違反の裁判まで始まったらそれは喜劇だろう。
そこで冒頭の話に戻る。法律はそれを『文章』として書いた人と、それを執行する人の間でのみ有効で、大きなお世話だと思う連中には効果はない。人間は自由意志もないにも拘らず社会生活をするために決めごとは必要となると文章は作る。だが声に出して読んだ奴はいるのか。目で見るだけならばあいまいさが抜けはしないのだ。
僕は日本国の愛国者ではあるが『日本国憲法』はその成立のいかがわしさも含めて、ロクに読みもせず実践もせずに不自由がない。言葉・文章は日本では現実を反映しなくてもいいのであれば、十七条憲法と五か条御誓文で十分。後はコモンロウでいいではないか、どうせ解釈はいくらでもできるのだから。法曹関係者の方には理解不能だろうが(できても、そうだ、とは言えないだろうが)後付け自由意志でいいと思っている僕には通用しない。
せめて日本人としての矜持を持てるだけの憲法改正に反対意見を言うのは自由だが、日本の曖昧力を台無しにしないでくれ。あなたがたこそが『いつか来た道』を助長しているのですよ。
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続・街道をゆく 無生野のみち
2023 DEC 19 21:21:53 pm by 西 牟呂雄
中央本線の駅を降りると、見事なまでの河岸段丘が眼前に広がっていた。かつては水田だったであろうそのわずかな平地に現在では家屋が整然と並ぶ。地名はその風景のままに上野原といった。中央線が山梨県に入った最初の駅だ。
その河岸段丘の下を川が流れているが、戦後に建設されたダム湖に通じるためにすでに緩やかな流れとなり満々たる水を蓄えていた。数万年の時を経て大地を削った後が見て取れるようで、思わず覗き込まずにはいられなかった。
近年の開発により、東京西部のベッド・タウンとして発展したのは後背地の方で、長いエスカレーターが設置されている。その奥は甲斐・相模・武蔵の国が接する山間である。従って湖の名前は相模湖でありそこからは相模川が神奈川を潤すがそこまでは桂川と呼ばれている。武蔵野の国からも甲斐の国からも峠を越えなければならず、戦国時代は武田・北条の接点としてしばしば戦場となる緊張感を孕んでいた。
そのため、関東もしくは鎌倉から西へ下る際の隠れ道の役割を果たした、まことに心細いような街道をこれから辿ることになる。
橋を渡りしばし山中の曲がりくねった道は、歩けばさぞ険しかろうと思えるほど山が両法から迫り、更に今日ではトンネルも整備されているがために進んでいく距離が、往時は大変な時間と体力が必要だったか想像すると絶望といった言葉がさほど大げさに響かない。先日放映された『ポツンと一軒家』に今たどっている道を山側に登ったところにある川魚を供する食堂が取り上げられたほど、山深い。
突如、視界に巨大な観音像が現れた。
あまりに唐突なのでそれが観音像であると気づくのに少し間が開いてしまうほどだった。但し近隣には宗教施設はない。台座には『道教観音』と彫り込まれてあるが、観音菩薩は般若心経の冒頭に出て来る菩薩の一人である。それが道教と結びついた例を筆者は知らないが、媽祖信仰と混合した新たな女神だとでもこじつけたのだろうか。付近に由来も案内もない。
その先に温泉施設があり、その道標として建立したとすればむしろその商魂の逞しさに驚く。
我々はこれより無生野(むしょうの)という誠に侘しい場所を目指しているが、この街道に沿うように一山超えた東側を道志道という街道が走っていて、その相模原寄りの地名が秋山である。山中湖あたりを起点とする道志川が津久井に流れており、ここは横浜市の水源となっている。行政上は山梨県であるが、むしろ隣接する相模原市や神奈川県とのつながりを思わせる地域であり、また、住民の距離感も甲斐の国府である甲府への帰属意識は少なかろう。
明治以降の開国にあたってはこの山間で盛んであった養蚕によって基幹産業である絹の輸出は横浜港に直結していた。八王子を抜けて横浜に向かう絹の道を通じてである。冒険的な甲州商人が往来したことであろう。
だが、今回その道をたどるのは、その遥か昔の悲劇をなぞっている。大塔宮護良親王は父帝後醍醐天皇に疎まれ鎌倉に幽閉されたが、滅亡した鎌倉執権北条高時の一子時行が信濃から旗揚げした『中先代の乱』のドサクサに暗殺される。親王の首は打ち捨てられたが、愛妾雛鶴姫(ひなづる)によって拾われる。姫はその首を洗った後、大切に携えながら京都を目指した。筆者が今進んでいるのはそのルートだ。
北条方からも足利方からも追われる身であり、ましてや姫は懐妊していたとされるのでこの山塊の中をさまようのは心細かったに違いない。ついにかの地で宿泊を断られた挙句に産気づき母子ともに落命してしまう。そこを無生野と呼んだ。無情にかけた地名とされている。
寂しげな祠が見えてきた。山間部ゆえに日当たりは悪くひっそりとしつらえられていた。雛鶴神社である。かの姫と亡くなった皇子を憐れんだ地元の人々が祀ったという伝承の神社だ。
更に驚いたことにもう一つの伝承が被さっていた。大塔宮の遺児である葛城宮綴連王が後年この地に流れ着き、この伝承を聞き不思議な縁に導かれるようにとここで天寿を全うした、というのである。
葛城宮綴連王とは地元での言い方であり、正史においては護良親王と北畠親房の妹の間に生まれた興良親王と比定される。建武の体制瓦解の後、後醍醐天皇の後の後村上天皇の元で征夷大将軍(南朝の)となり、東国で・四条畷で・山陽道で戦い抜き、消息を絶った悲劇の皇子である。ただ、墓と伝わるものが兵庫・奈良にはある。
ここにも墓と称する土塚がある。諸説入り乱れてでさすがに興良親王とは言い難いが、無生野の人々が雛鶴姫・綴連王を供養したことは確かであり、それがゆえに伝わる無形文化財までが残っている。無生野の大念仏である。
かつては空也上人や一遍上人が広めた念仏踊りが上記伝承と結びついて病気平癒なども込められた独特の形態をとるものとしてユネスコの無形文化遺産となった。
白装束を纏い太刀、締太鼓、棒を振りかざしながら経典を唱える。さらに鉦・太鼓を打ち鳴らしながら踊る。広く一般で行われる盆踊りの原始的なものであり、辺境であるがゆえに残ったのではないか。山間の渓谷において、おそらくは雑穀を食し炭を焼きあるいは狩猟で生計を立てていたであろう人々がかたくなに守り伝えてきたものが文化遺産と評価されることは誠に喜ばしいが、それを機に『村興し』を展開するとなるといささか違和感を持たざるを得ない。辺境にあるがゆえに残った文化はそのままにしておいてやりたいと思うのだ。
ところで物語はここで終わらない。この場所は行政上は上野原市になるのであるが、もう一つ峠を越えるとそこは都留市になり、不思議なことにそこにも雛鶴神社があるのだ。こちらは雛鶴姫の終焉の地という触れ込みで、舗装道路から更に600mほどの悪路を登った奥に、無生野のそれよりもなお一層人目を避けるように佇んでいた。傍らの姫の墓と称する供養塔が氏子の手で建立されていた。
かつての峠越えはこの参道よりも険しかったに違いなく、いくつかの伝承を組み合わせるとおぼろげに浮かび上がるのは、鎌倉から落ち延びて来た高貴な血統を宿した女性が峠を越えた所で男児を生み絶命、生まれた子はしばらく養われたが不幸にも短い生涯を終える。その墓所が峠をはさみ同じ社名で秘かに祀られた、という想像が成り立ち、恐らくそうであったろう。都留市側の社伝には一緒に落ち延びてきた武士の名前が『菊地三郎武光』『馬場小太郎兼綱』『竹原八郎宗規』と記され、没後百箇日に臣下の木枯太郎並びに馬場正国等が殉死した、とある。
殉死した彼らの墓には墓樹を植えたとされ、2本の松が残っていたそうだが、惜しくも1985年頃松喰い虫の被害により枯れたそうだ。
ところで、舞鶴姫が携えていた大塔宮の首はどうなったのか。無論史実は何も語っておらず、神社に伝わる伝承も記されていない。ところがその首と称するものが実際にあるというのだ。
峠を越えて、都留市朝日馬場に出ると夕刻に近くなり西日が射して一気に視界が広がった。戦国末期は徳川の重臣鳥居元忠が納めたエリアで、江戸初期は谷村藩として秋元家の所領であった。その街道沿いに入船神社がある。社伝によれば後醍醐天皇の御代、延元二年(1337)に住吉三神と言われる水の神、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)を祀った。
そしてどういう経緯かは分からないが護良親王の御首級を奉っている。頭蓋骨に金箔を施し、梵字を墨書きした上から漆に木屑を混ぜたもので肉付けし複顔した首級が御神体として現在も保存されている。両眼には水晶をはめ込んでいたが片方は失われた。調査によれば作成時期は江戸初期とのことが判明しているが、ツラツラ綴って来た伝承が滴って来て氏子の信仰を集めたものだろう。こういった伝承の流れにはなにやらいじらしさと力強さが感じられ、筆者の顔は思わずほころぶのである。
尚、この神社の堂々たる大木には今でもムササビが生息しており、飛翔する姿は確認されている。
また向かって左側には4本の柱に支えられた屋根の元、土俵がしつらえてあり、奉納相撲も行われているらしい。硬く突き固められた土俵に登ろうとしたが、靴を履いたままなのは憚られる空気が流れていた。
この先は冨士みち、浅間神社への表参道につながる。
この項終る
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