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僕の地球放浪記 Ⅱ 

2014 AUG 13 11:11:58 am by 西 牟呂雄

 ダラス往復2泊4日をやっていて気が付いた。これはC・Aのローテーションと同じなのだ。行ったときと帰るときに同じように挨拶していると、先方も顔なじみのように『おかえりなさい。お忙しいのですね。』等と声を掛けてくれる。これで何かが始まれば面白いのだが、そうはならなかった。まぁオチはあるが。

 地球は広い。地上を舐めるように移動すれば一生も二生もかかるだろうが、エアで飛び回れば営業しながら八泊十日で一周できる。本当だ。
 ヨーロッパの片隅にお客さんがいて、普段はメールでしかやり取りしない。しかしコンペティターが嗅ぎ付けて『最近注文がない、どっかのサプライヤーがウロチョロしてないか。』と気付けば勝負にならない。日系の進出を手掛かりに開拓した小さいお客さんに年に一度は顔を出して、価格交渉くらいはやる訳だ。しかし一回行って帰るだけでは経費倒れになるため、他の大手と一筆書きのようにすると何とかやり繰りできる。
 これを思いついた時は西回りでやった。当時喫煙できたエール・フランスでパリに行き、ダブリンからアメリカに飛んだ。あの頃はE-チケットではなかったから、ハード・ペーパーの分厚い束チケットだった。

 因みに僕は出張先で絶対に観光をしなかった。これは職務に忠実だったからではない。『せっかくここまで来たからチョットアレを。』とやると物凄く疲労するからで、従って客先以外は殆どホテルから外出しない。ダブリンの街がどうだったか、夕飯を食いにパブに行っただけだ。
 出国の手続きを終えると、いきなりアメリカの入国審査があるのに驚いた。本当に米国イミグレーションなのだ。察するにアイルランドは米国との人の往来が多いため、離陸前に手続きして国内便の駐機場に着けさせるのではないだろうか。
 それはともかく、何故か入国審査官は僕だけ『チョッと。』と言う感じで
列から外されオフィサー・クラスが寄ってきた。
「あなたは、何の仕事をしているのか。」
「いつもこんな短期間でこんな距離を移動するのか。」
「なぜ、ケース一つなのか。荷物は何も無いのか。」
と矢継ぎ早に質問の雨に不意を食らって動揺した。前ブログで明らかにしたが、メキシコでかっぱらいに合って以来アタッシュ・ケース一個だけで出張をこなしていた。これには色々とノウハウがあるのだがそれは又別途。
「世界中の友達を訪ねているので手ぶらで移動している。」
「この日までに日本に帰らなければならないのでこんなスケジュールになった。」
等とアタフタと答えたのだが、オフィサーは疑わしい目を向けたままでパスポートをコピーさせた。
 実はズッと後になって、マニラの出国の際に同じような目に合った。このときは首に巻いていた金のチェーンに弾丸のアクセサリーを着けていたのがまずかったようで、ネジを外して使い物にならないオモチャであることを示しても没収された。そして荷物を(といってもアタッシュ・ケース一個)全て開けさせられ、何と大田胃酸の缶(毎日飲むので一缶持って歩いている)まで中身をチェックした。例のクスリは”白い粉”だから見りゃ分かりそうなものだが、少量舐めて本当に胃の薬だとなってから、パスポートをコピーして開放された。ダブリンの時も国際テロリストにでも思われたのだろうか、まさか。

 この西回りというのは大陸間の移動が全部昼間のため、結果として非常に疲れた。それに懲りてもう一度やった時には東回りで行ったものだった。
 その出張の終わりはロンドンから成田で、これで帰れるとホッとしたのを妙に覚えている。そして食事の時に息を飲んだ。メニューを聞きに来た美人のパーサーはよく使っていたダラス便の時の人なのだ。しかしこっちは覚えていてもあちらにとっては所詮ワン・オブ・ゼム。
「ダラス便におられた方ですよね。」
と話すと実に怪訝そうにされた。
 後に教えてもらったが、そう言って寄ってくるストーカーが一杯いてC・Aの人は困っているのだそうだ。おかげで僕はロンドンー成田間ズーッと無視された。この場を借りて訴えたい。あれは偶然だったので断じてストーカーではないのですよ。

僕の地球放浪記 Ⅰ

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