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オジサンの持ち物 お土産編

2015 JUN 26 23:23:34 pm by 西 牟呂雄

 旅先で買ったお土産が手許に残っていないことに気が付いた。無論飲んだり食べたりするものは残らないから身に付けたり飾ったりする物のことだ。

 メキシコで皮のジャンパーを買った。プレスリーの衣装のようなヒラヒラがついているあのカウボーイ・ジャンパーだが、意気揚々と帰国した途端に捨てられた、哀れ40年前の事。
 しかし考えようによってはその方が良かっただろう。そんな物を纏ってウロウロしていたら頭がおかしいと思われたに違いない。
 もっと酷いのはギリシャで買ったオーソドックス(正教会)の牧師のユニフォームで、一度も着なかった(着る機会もあるわけない)上に処分にも困った。街中で売っていたので思わず買ったが、ああいうものを僕以外にも買う人がいたということか。衝動買いだった。引越しを繰り返しているうちにどこかで消えた。
 イタリアには三ヶ月居たことがあるがきれいさっぱり何も買わなかった。この国はどこもかしこも遺跡だらけで観光ガイドにでも案内してもらわないと目に入る物がみんなローマ時代の建造物に見えてしまい、チョっとした物なんか買う気にもなれなかった。そういえば写真すら一枚も残っていない。これが女性だったらグッチだ何だと買えただろうに。グッチの本店には行っているのだ。

 ロシアのコサック帽を買って被ったままウチに帰ると、久しぶりに会った家族が舌打ちをしながら『やると思ったよ。』とぬかしやがってアタマに来たことがあったな。その頃モスクワの市内では旧ソ連軍の放出品の軍帽や軍服が叩き売られていたのを、さすがにマズイと思って止めて帽子にしたのに何だ。これは今もあって冬場に重宝している。
 ロシアのお土産はゲンが悪くて、ハチミツのビンが荷物の中で割れてスーツが一着ダメになったこともあった。

 アメリカではファンだったフットボールのダラス・カウボーイズの大きな一つ星(ローン・スター)付きグッズを随分買った。このチーム何故か『アメリカズチーム』と言われていてデカい空港では大抵買えた。そのTシャツやらバンダナも手許に無い。
 一方、日本の基地に勤務していた米兵が帰国にあたり迷彩服だの何だのを売り払っていく『ジャンク屋』というのがあって、僕は福生でヘルメットや水筒を買っていた。こういうのは逆お土産とでも言うのだろうか。ヘルメットは地震災害対策で今でも車の中にある。

 マニラの国際ターミナルの免税店のお土産は世界一貧弱なのに、木片を組み立てる船のオモチャが気に入って何種類か買った。これらも跡形も無い。子供が遊んだのかどうか。確かにチャチだったな。
 一般に東南アジアの免税店には絶対にロクな物は無く、ブランドものかタバコくらいが無難なところでキンキラ・チャイナ物は絶対に製造原価の100倍で売っている偽者と思われる。いやタバコでさえ北朝鮮のニセ・メヴィウスかもしれない。あんなもの街中でもっと安くいくらでも手に入るだろうに、性懲りも無く売っている。中国なんかもっとひどい。
 さて、人から貰ってうれしいのは一体何だろう。女性ならばアレコレあるのだろうが、オジサンはどうか考えて見ると、これがない。ロシアの連中がくれたロゴが入ったTシャツは気に入って着ている。心がこもった気がするのだ。

 思うに、オジサンはひねくれている上にツベコベうん蓄をかたむけるから、渡す方も困るのじゃなかろうか。昔は万年筆なんかは随分重宝したのだが、今は使う人もあまり見かけない。
 時計ねぇ、腕には巻いているけれど。ネクタイくらいか、それもね。
 

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Categories:春夏秋冬不思議譚

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