六兵衛 維新語り
2026 APR 23 13:13:17 pm by 西 牟呂雄
目が覚めた。夜が明けてきたようで山鳩の鳴き声が聞こえるわい。
さて、今日も一丁稲刈りの指揮に精を出すかいな。秋の刈り入れ時というわけだ。
ワシは甲斐の国〇○〇村の大庄屋である小森家の六男、六男だから六兵衛という。百姓だから表向き苗字はないことになってるから小森という名前ではなく屋号で呼ばれる、『酒屋』とな。通称サカヤの六兵衛だ。
甲斐の国は甲府55万石、谷村3万石で米なんざあまり採れない。だが信玄公亡き後は徳川様の天領で、年貢は二公八民と軽い。もちろんお上に対しては食うや食わずの顔をしてみせるが、余程の飢饉でなけりゃ食べるにゃ困らない。しかも年貢は村全体で納める量が決まっているから大体こんなもんだ、ってオレッチの親父達がお代官様と決めるだけ。田んぼにしたって大雑把な境界線は畦道くらい、広い狭いは違うけどな。そんないいかげんなもんだから、時間が限られる田植えとか稲刈りみたいな仕事は大勢で片っ端からガーッとやる。それで普段は特に争いごとはない、お互い顔見知りだし親戚も多い。
そりゃウチは庄屋だってことでデカい家をオッ立ててるけど女中だのなんだのと人数は多いから、六男のワシは身の置き所なんかない。オマケにヤレ水が出ただの道が崩れたのといっちゃ親父なんかがあれやれこれやれと口やかましく使うから、養子にいくアテもない次男以下は要するにタダ働きの人手でしかない。長男以外は嫁もとれねえ。ワシなんかの暮らし向きは水飲み百姓とそうは違わねえよ。
ただ、抜け駆けだの勤めそこなったりすりゃ村八分はきついよ。ワシが知ってるだけでもこの10年で夜逃げはいくらもあったさ。それがねぇ、ここだけの話この辺は田んぼが少なくて年貢の石高はたかが知れてるけどどこもお蚕もやるんだよ。これはいい小遣いのつもりで地道にやる分にやソコソコ稼げる。だがお蚕の上りは糸を引いて機織りして染付して、とだんだん商いが大きくなっていく。すると中には大きな博打を張ろうとする輩は必ず出てくるが、そういうのが上手く行ったって話は聞いたことがないね。必ず相場が動いたり蚕でデキが悪かったりしてひっくり返る。
何しろ山深い所だから狭い世界に暮らしていて、これがズーッと続くのがいいのさ。そもそも今よりいい暮らしってのが想像もつかねえ。お武家さんは石和と谷村の陣屋にはいるけど、この辺りはその境目にあるから滅多に来るもんじゃない。谷村陣屋は韮山代官の配下でもあるしな。
そうそう、参勤交代の行列がたまに通るけどここには本陣がないから素通りだ。あれもな、土下座してるのが面倒だからみんな隠れちゃってのぞき見してるんだ。行列だって誰も見てないとダラダラ歩いてるよ。
嫁も貰えねえワシらのことは通称「オンジイ」ちゅうんだが、体のいい居候で置いてはもらえるが一人前には扱ってもらえない。女ぁ?まあ、小さな村といえどもそれなりにね。特にウチなんか住み込みの女中もいるし、そこいらにゃ後家さんだっている。もっといえばあそこの赤ん坊はひょっとしたらってのもいないわけじゃない。秋祭りの時なんかはそりゃね。
ところで田んぼや畑の境界線なんかは村内で揉めることもないんだが、隣村との村境じゃ時々大喧嘩にもなる。特に山の中なんか目印も何もないから大きな大木や岩で見当を付けるんだけど、鉄砲水で岩が動いたり木が倒れたりすると双方で『昔から村境はここだった』と言い合って大変な騒ぎだよ。こっそり岩をずらしたりするのを「追い込む」と言ってね。鎌とか鍬や鋸を持ち出せば怪我人だって出るんだ。陣屋のお侍さんは面倒だから庄屋連中を集めては『何とかしろ』と言うだけ。ナニ、下手に騒がれて一揆にでもなったら自分の経歴にキズが付くから大概のことはお目こぼしさ。
嘉永のご時世から安政にかけて、世の中は随分と騒がしかったらしい。ワシの生まれた頃に黒船が来たって大騒ぎになったそうだが、物心ついたのは文久の世で、そん時分はワシもあとあとこんな厄介者になるとは思ってなかったから、のんびり寺子屋で読み書きを教わったりして字も読める。
街道沿いだから行ったこともない都やお江戸がやれ開港したの攘夷だので騒いでるのは知ってた。
この頃からお武家様は何だか物入りでひどく景気が悪くなっていった。ワシらはお蚕をやるから商人とも付き合ってるんで分かるんだが異人さんとの商いが始まるにつれて物が高くなっていった気がする。ところがお武家様は百石取りとかあてがいぶちが決まったままなんで御大名様から旗本までみーんな借金だらけになったみたいだ。
えー、時は流れて慶應のご時世。一挙に世の中はゴタゴタし始めた。将軍様が都まで上洛したらそのままお隠れになって、名望高い一橋様が15代目になられた。そしたら長州をお仕置きしたっちゅうんでこれで安泰か、なんて話してた。
そうしたらいきなり将軍様が政りごとを返上したそうじゃない。いやたまげたね。ワシだって都には帝(みかど)がいて暦を決めたり官位を授けてたのは知ってたけど、まっお上の方は良く分かんないがね。
それで将軍様と都にいた薩摩・長州が戰をやって、アッという間に幕府が負けたって。イヤ驚いたのなんのって天地がひっくり返るような話だよ。おまけに将軍様は舟で江戸に帰って来たなんてホントかね、と思った。
それが本当だってわかったのは慶応4年が明けたら江戸から甲陽ナントカ隊っちゅうお侍達が大砲引きずって鉄砲担いでゾロゾロとやってきて甲府を目指して行った。その数200人くらいだったけど半分はとてもお武家様には見えないような連中で、聞けば都で散々人切りをしてた新撰組が化けた幕府の軍だった。あれじゃちょっとした大名行列の方が見栄えがいい代物だったね。例えばワシがのぞき見してた尾張様の大名行列はあの倍以上だったよ。
ワシ等は八王子あたりは親戚もいたから新撰組はあの辺の道場の奴らだってのは聞いてたんで、百姓上りが大したもんだとは感心したね。
そう思ったのに2~3日したらバラバラになって逃げて来るじゃないか。どうも官軍の方が先に甲府に着いてたもんで、勝沼あたりで戰になり、これがまたあっさり負けたらしい。街道を避けたのもいたらしくて人数もだいぶ少なかったよ。
するとすぐ後に今度は官軍が江戸を目指してやって来た。それが変な赤い被り物をしているのが大将だったんで驚いた。その大将は信玄様の武田二十四将の板垣様の子孫らしく、甲府のあたりではみんなそっちに御味方したそうだ。この辺りは信玄公の時代はその下の小山田様のお下知だったからあんまり関係ないんだが、そこはそれ、勝ちにはすぐ乗る習いなんでワシも炊き出しに行ってみた。だけどあの被り物の連中が喋ってる言葉が分かんない。『キニ』とか『ゼヨ』とか言うのは何なのかね。
ところがワシの気働きが気に入ったのか谷という一隊を指揮していたお武家さんが「人手はいくらあっても足りないキニ。おまん一緒に江戸まで来るがいいゼヨ」とか言うじゃない。まだ3月で暇だしここにいても厄介者だから話のタネについていくことにした。良く聞いたら土佐藩兵で作られた官軍だそうだ。
その谷様という隊長はおっそろしく厳格なお人で、自分にも下にも厳しい。だがワシには『こりゃ、サカロク』と気さくに声をかけてくれた。ワシは屋号が『酒屋』だったからサカロクっちゅうわけだ。若い頃に江戸で勉学に励まれたんで関東訛りに慣れてたからワシも一行の中では話しやすかった。正式名称は東山道先鋒総督府迅衝隊(じんしょうたい)だってさ。
小仏峠を超えれば武蔵の国で八王子宿。ここは幕府お抱えの旗本格である千人同心が守っていたから戦の一つもおっぱじまるかと楽しみにしていた。いや、ワシは戦なんかできないよ、見物だけど。ところがこれが大歓迎だよ。そんなに幕府は評判が悪いのかと思ったら何のことはない。千人同心はモトモト信玄公の遺臣の子孫だから、隊長の板垣様のご威光だ。さっきも話した武田四天王と言われた板垣信方様の十何代後だからって有難がってんだけどねぇ。
ワシも一緒になって酒飲んだりしたけど、ここいらは親戚づきあいもあるんで面が割れやしないかとヒヤヒヤした。
この官軍ってのも面白くて先頭に細長い『錦の御旗』ってのを掲げた後に笛を吹く奴が二列に並ぶ。で揃ってピーヒャーラピッピッピとやると全員が同じ歩調で歩き出すんだよ。おまけに節が付いていて『ミヤサンミヤサンオンマノマエニ』ってな。ワシ等はその節に従って『トコトンヤレトンヤレナー』って音頭を合わせてた。
府中から調布五宿を抜けて高井戸・内藤新宿を通り四谷の大木戸を過ぎればお江戸御府内で半蔵門に着いた。その間大名行列に勘違いした連中が土下座したりして面白かったが、戦なんか何にもない。江戸だって、聞けば官軍の西郷という大将と幕臣の勝っちゅうのの間で話が付いたとかで拍子抜けしたさ。
その後迅衝隊はもっと北に進むって言うからそんな遠くは御免とばかりに隊長には黙って脱走した。聞いた話じゃ会津まで行って大いくさになったそうだ。
ほうほうの体で村に帰ったけど、そのうちに帝が京都から江戸に行幸されて江戸は東京なんて名前になった。東の京都ということらしい。
それから先は藩が廃止されたりしたんだが、ワシ等がたまげたのは地租改正ってやつ。廃藩置県とか言って甲斐の国も山梨県になった。ワシ等は元々将軍様の天領で藩なんかないから全然関係ないけど、今まで村全体で年貢を米で納めればよかったのに、田んぼの土地ごとに銭で払えっちゅうんで参ったよ。それまで自分の年貢米はどの程度か、なんて考えもしない、ましてや銭なんぞ普段さわってもいない五反以下の小百姓はどうすりゃいいのか分かんない。お代官様は鷹揚なもんだったが、新政府の役人になったらやれ土地を測れのお前の田んぼの価格はこうだといちいち杓子定規なことこの上ない。ワシ等は田んぼを売り買いしたことなんかないから値段も何もわかんない。そしたら値段はお上が勝手に決めるんだとさ。
困り果てた百姓共は終いにはうちの親父に『大旦那、訳わからんからウチの田んぼを引き取ってくりょうよ。ワシ等はそこで小作にさしとくれ』って頼み込んでくる始末。親父は親父で『なんだよ。それじゃワシが金とられるばっかじゃねえの。まあしょうがない、預かっとくわ』ってなもんで、おかげでウチは金にもならない土地ばっかり抱え込んで一人で税金を払ってる有様になった。
もっと驚いたのは徴兵令。廃刀令とか言ってお武家様が二本差しをしなくなるんでビックリだったが、まさか百姓が戦をすることになるなんて想像もつかなかったな。二十歳になると体の丈夫な奴は兵隊になってお勤めを果たせって。そんなもんが役に立つとはとうてい思えないんだが、これからは刀を抜いて切りあうことはなくなるっちゅうんだ。働き手を取られるから初めはえらく評判が悪かったが、子供が多い小作人にとっちゃ口減らしにもなると次第に定着した。
西の方では食い詰め士族が反乱を起こし、しまいにゃ官軍の大将だった西郷さんまでが戦を仕掛けた。今度は自分が朝敵になるなんてどういうこった。おまけにその徴兵で取られた兵隊が薩摩の士族に勝っちゃったから妙に納得したね。この時、熊本城で薩摩軍を止めたのが、ワシがくっついて江戸まで行った時の谷様だった。あの人は偉いんだね。
それから20年も経つ間に支那とやるは挙句の果てに露西亜とやるはでいつのまにかすっかり戦争づいちまった。
何しろ戦争やりゃ勝つもんだから軍人さんたちは偉くなるし、ワシのような門外漢も日本が強い国になった気がしたよ、軍人さんや兵隊さんは凄いねってね。ここいらでも兄弟が日清・日露の両方で死んだっていう家はいくらでもある。
東京じゃあれよあれよという間に政党じゃ議会じゃが始まり、小学校はここあたりにもでき、鉄道もワーワーと引かれ、親父は地域の電灯会社の発起人になりすまし、何だか百姓でもほかにやることだらけになって、世の中は便利になってくるけどその分やたらとせわしなくなるばかり。四民平等とかいわれてもなァ。選挙なんかもあったけどありゃお祭りみたいなもんで、そもそもワシなんか投票もできないのにあいつじゃなくてこいつにしろ、とか終いには村同士の喧嘩だ。
往時茫々、東京においでなさった帝も身罷りなさったらしい。これからは大正の御代なんだと。
ワシはもういい年になっちまったが、オンジイのまんまで嫁も子供も何にもない暮らしに不足はない。親父も代替わりして、跡取りが大旦那になってる。
御維新の前と後でどうかだって?そりゃ将軍様のご時世の方が良かったに決まってる。気楽だったんでね。
さて、と。稲刈りの仕切りでもやりに行かなくちゃ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/
をクリックして下さい。
Categories:伝奇ショートショート






