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本能寺の変 以後

2015 JUN 28 14:14:27 pm by 西 牟呂雄

 前回まで  本能寺の変 以前

 毛利の前線をヒタ押しに押して膠着した羽柴軍の帷幄に一人の間諜が密かにやって来た。
「官兵衛殿にお目通りを。符牒は『藤の花落ちた』と。」
 守りを固めていた雑兵はすぐさま馬廻りに伝え、侍大将に伝える。すると間髪を入れず黒田勢のいる所に召しだされた。間諜は密書を持っていた。
 黒田官兵衛孝高は人を払って目を通すと息子の長政と後に黒田八虎と呼ばれるようになる井上之房、栗山利安、黒田一成、黒田利高、黒田利則、黒田直之、後藤基次、母里友信を招き入れた。この時すでに竹中半兵衛は亡い。
 官兵衛は一同に無言で花押を見せた。それはまごうことなく明智光秀のものだった。
「やはり。」
「シッ。」
 全員に目配せをすると夜を待った。

 備中高松城、名将清水宗治は容易に落ちなず謀略にも応じない。ジリジリしているのはむしろ秀吉の方で、門前村から蛙ヶ鼻までの東南約4キロメートルにわたる堅固な長堤を造り、足守川の水を堰きとめ水攻めを始めたところだった。
 ところが突如羽柴軍の官兵衛から安国寺恵瓊を通じ和睦の提案がなされた。
 毛利は訝った。が、官兵衛の低姿勢に理由も良く分からないまま双方痛み分けで和睦し、堰きを放置したまま羽柴軍は撤退した。俗に言う『中国大返し』である。妙な事に千成瓢箪の馬印は見られなかった。

 同じ頃、堺にいた徳川家康は『光秀謀反。信長討たれる』の報に接し、決死の伊賀越えを決断。急ぎ出立した。供廻は酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政の徳川四天王に服部半蔵以下の僅かの手勢である。
 四條畷を抜け宇治田原、近江国甲賀を経由し伊賀の険しい加太峠を喘ぎながら通過しようとした時。
 突如天地も裂けるような轟音とともに多数の火縄が発射された。家康と服部半蔵の二人を残して共廻りの者達は一発で頭部を打ち砕かれ即死した。
 硝煙が流れていくと、抜刀して構える家康主従を火縄を構えた人数が囲んでいる。忍び装束だった。一同の銃は長い銃身の先に銃剣を装着している見たことも無い武装である。
「曲者!何奴じゃ。」
 一人の男が前に進むとくぐもった声で答える。
「鉄砲名人、筧十蔵と根来三十三人衆。故あって御覚悟召されよ。」
 家康はもはやこれまでと悟り腹を切ることにした。
「いずれの手のものか。真田か明智か。」
「冥途の土産に聞かせよう。黒田の旗下。」
「ムッそれは・・。筑前守の調略か。」
「さにあらず。羽柴殿も既にこの世にあらず。」

  中国大返しで驚くべき機動力を発揮し羽柴軍が上京した.二条新御所(後の二条城)で明智光秀と対面したのは黒田官兵衛・長政親子と黒田八虎。光秀の左右には長曾我部・斎藤・明智左馬之助といった諸将が控える。官兵衛が口を開いた。
「まずはおめでとうございます。」
「恐れ入ります。官兵衛殿も首尾よく。」
「夜半に急をつげ、秀吉様と二人きりになった折に。」
「石田三成はいかに。」
「母里太兵衛の槍の錆と。」
「さすがは官兵衛殿。これで戦はもう終いじゃ。」
「あいや待たれよ。まだ織田の諸将がおりまする。」
「兵を握っているのは柴田殿か。」
「御明察。前田、丹羽はあえて弓は弾きますまい。滝川は手数無し。信雄(のぶかつ・次男)殿、三七信孝(のぶたか・三男)殿はお味方ならざれば捻り潰すのみ。かねての申し合わせにもう一芝居、すべて任されよ。」
「かたじけない。皆の者、再び戦支度じゃ。出陣じゃ。」
 明智軍が慌ただしく北上して行くと、奇怪なことに今度は高々と千成瓢箪の馬印が翻っている。町方では『羽柴筑前が明智と手を結んだ。』と噂した。だが馬上の羽柴秀吉は無論影武者だったのだ。
 
 明智勢が去った後の京では、御所の各門に黒装束に長鉄砲を持ちしかもその銃先に銃剣をを装着している異様な風袋の大軍勢が守りを固めているのである。黒田勢なのは明らかだが、どの兵も町方とは一言もことばを交わさないのだ。
 と同時に約100家族と言われる藤原四家の流れを汲む堂上公家が次々に粛清されていく。京の街には『信長公の祟り』という噂が流れた。何者かの手の者が町に潜み、或いは商人に化けて触れ回っていたからだ。

 ところが、明智軍は主君仇討の怒りをみなぎらせた柴田勝家と近江国伊香郡賤ヶ岳で激突し激戦の末たったの一日で敗れてしまう。信長の妹、お市の方は勝家に嫁しているのだ。
 しかしながら迎え撃つ柴田軍は大将自ら猛烈な突撃を繰り返し、柴田勝家は討ち死にする。敗走する明智光秀と羽柴秀吉もこの戦で討ち死にと伝えられた。
 全国にこれらの話が広がる最中、何と黒田父子と八虎は姿を消してしまった。天に消えたか地に潜ったか。御所にも二条城にもその姿は無い。実は討ち死にしたはずの光秀・秀吉であるが首も発見されない。

 奇妙な平和が流れた。戦乱が無くなってしまったのだ。羽柴も徳川も明智も柴田もいなくなり黒田は消えた。足利幕府も京都にない。それどころか官位の授けられた公家もいない。この世から権力が無くなってしまったのだ。
 前田・毛利・島津・伊達・上杉・北条といった大大名は唯一の権威である帝への上奏を嘆願しようとするのだが、帝へ上奏しようにも誰も御所に入ることもできない。第一上奏に至る手続きさえ知る者がいないのだ。それでいて御所の周りの守りは元黒田勢の黒装束部隊が固めている。やっと辿り着いた柴田残党が勢いを駆って京入りしようとし、猛烈な一斉射撃の前に全滅していた。

 半年を経た頃に突如正親町天皇の勅令が出た。南光坊天海なる怪僧が現れ各大名に発令されたのだ。
「天下布武あまねく至れり。これを以って戦慎み、武装解くべし。もののふこぞりて朕がもとに参れ。金銀とらす。」
 御首が伝えられた「大八島 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風は うみを越えなん」
 ここに戦国時代は終わりを告げたようであった。
 
 各戦国大名は武装解除され、日本は天皇の下に国軍を擁する平和な歴史を歩むこととなる。天皇の信頼が厚い南光坊天海の正体は、第五皇子の誠仁親王とも黒田長政とも噂されたが一切は不明のままだった。

 翌年。巨大なガレオン船サン・ファン・バウティスタ号が帆をはらませて太平洋を行く。イエズス会のヴァリニャーノ神父が囁いた。
「わがエスパニアのアメリカ領(メキシコ)の北にある広大なる無主の地こそ切り取り次第。雨少なく乾いた地。蛮族群れなすも御一同なればたやすき事。」
 かたわらの官兵衛は満足そうに頷き、後ろに控える黒田八虎は鬨の声を上げた。

 もう一艘、こちらはフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロが案内を務めて南に進む。官兵衛と計らい戦国の世を終わらせた明智光秀とその一統はこの後、高砂・呂宋を根拠地とした一大倭寇船団を率いることになる。
 海洋大国日本の夜明けであり、その後の歴史は読者の良く知るところである。

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映画 『花戦さ』

Categories:伝奇ショートショート

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