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喜寿庵で大名行列

2018 SEP 14 20:20:41 pm by 西 牟呂雄

馬は機嫌が悪かった

 このあたりは江戸末期は天領で、陣屋にお代官様がいたのだが、その前はれっきとした藩があり、ちゃんとしたお大名がいて秋元氏が殿様だった。その秋元氏は川越にて転封してしまうのだが、その際参勤交代の道具一式を下置いていったので、天保年間には「供奉順行(ぐぶじゅんこう)」といって、いってみれば大名行列ごっこのような真似をして秋祭りに華を添えていたらしい。地元では『おはっさく』と呼ばれて今日に続いている。おはっさく、とは旧暦の八月一日のことだ。
 生糸・織物・染物で賑わった戦前から、戦後も『ガチャ万』と言われる程機織り産業が稼いだ時代は結構な賑わいだったようだが、過疎化のおかげで一時はすたれていた。

子供の槍組 かわいい

 その後、観光化を目指して行政の方でかなり力を入れてそれなりのイベントにまで育て、時代祭りと称している。
 四台ある山車は『屋台』と呼ばれ、お囃子が乗る。豪華な飾幕がウリで、下図は葛飾北斎が書いたと伝わっている。
 そして奴姿の赤熊(しゃぐま)、槍組、鷹匠、殿様、姫様、腰元と総勢百人以上の行列が続き、時々『下に~したに』といった掛け声がかかる。先頭の毛槍は『よいやまっかよ~い』の掛け声で投げ渡しが行われて、4本同時に投げ上げるのはかなり練習した成果が見られる。実際に持ってみると結構重かった。

お姫様

 お姫様役は公募で選ばれるのだが大変で、衣装を着たままこの暑いのにズーっと練り歩く。続く腰元の中に青い目の女性がいて地元の大学に通うスイスからの留学生だった、へぇ~楽しそう。
 お祭りらしく出店もたくさん並ぶ。しかしどういう経緯なのかプロのテキヤは見当たらず、商店街の手作り的な屋台がズラリ。
 そういえば大名行列もお姫様も屋台もみんな知っている人ばかりで成り立っているお祭りなのである。
 日が落ちる頃、小学校の校庭ではステージが始まって地元のバンドが演奏を始めた。昼過ぎくらいから各種の出し物が演じられていたらしいが観客はそう多くない。ゆず みたいなユニットがそれなりの演奏をしていてゴザに寝そべって聞いていた。
 最後はブラス・バンドのフィナーレ。するとその曲は何とディープ・パープルのスモーク・オン・ザ・ウォータではないか。こんなのを喜ぶのは僕だけかと思いきや、『イェー』とはしゃぐのがいたので振り返ると、これは留学生とは思えない白人が3人。聞いてみるとクロアチアから日本に来て、マウント・フジに行く途中だと言ったようだが恐ろしく聞き取りにくい英語だった。

ドーン

 そうか、『祭り』とはそこに生活している人が自分達の為に盛り上がり、旅人がそれを楽しむものなのだ。留学生や外人観光客も含めて。
 ところが僕はここで生活はしていないしの途中でもないから、早い話が一緒にはしゃぎ回るとはならない。友達もいないのだから。
 最後まで演奏を聞く気になれなくて暗い夜道を喜寿庵まで歩いて帰った。
 突然、渓谷の対岸のあたりからドンッと音がして花火が上がった。いつもは先ほどの小学校の校庭から上げていたのだが、人が多くなったせいなのか人家のない喜寿庵の向かい側からだ。
 ここからは凄い近い。庭から、まるで花火の傘の下にいるように見上げた。

 オーイ、僕はここにいるよー! って、誰に向かって言ったんだ。

喜寿庵の秋 Ⅱ 地方創生

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Categories:和の心 喜寿庵

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