ロバート・キャンベル先生の講演
2025 NOV 1 19:19:09 pm by 西 牟呂雄
しばしばテレビに出るロバート・キャンベル先生の講演会「国内外の災害見聞記録から問う人文学の現在地」を聞きに行った。テーマがこわい。
ところが、話しは茶器の逸品、「付藻茄子(つくもなす)」。豊臣家が所蔵していたが、大坂夏の陣で壊れてどこかに行ってしまったが、徳川家康が漆塗師の藤重藤元・藤巌親子に探させたところ、カケラを探し出してそれを復元した、という代物である。続けて、今年の夏頃に危険を冒してウクライナを訪問した際に出会ったアーチストの話になり、キーウの攻撃を受けた集合住宅で拾い集めたお皿について云々、戦火を潜り抜けた生活物資について語った後に平和について考察するというオチでした。
まあ話は面白いのだが、僕は初めの『カケラを探し出してそれを復元した』に引っかかって集中できなかった。
藤重藤元・藤巌親子はあまりの家康の剣幕にビビり、焼け跡のゴミを見てヤバいことを悟り、そこら辺のゴミをかき集めて『ありました』と報告したのではないだろうか。そしてそのゴミからテキトーに復元したとしたらどうだろう。おそらくブツを見たことがあったので、そういう離れ業ができたと考えてみた。すなわち付藻茄子は藤重親子のオリジナルで、来歴は嘘。一方家康もそのことは当然知りつつも『よくやった!大儀である』と誉めそやし、豊臣を倒して手に入れた、という箔を付けて見せびらかした。
それでも名器の風格が損なわれる訳でもなく、今日でも鑑賞に堪えるのだから別にどっちでもいいか。
まっ、それぐらいの腹芸と阿吽の呼吸でこなす配下がいなけりゃ天下を取るという大仕事はできまい。
この話、ウクライナを訪問するにあたってお土産に能登の地震で砕けた陶磁器を元に拵えたモニュメントからの流れの話のようです。
講演の間中、上述の妄想に捕らわれていて後の方はすこぶる印象が薄い、キャンベル先生ごめんなさい。
一つだけ、戦争によって完全に価値が逆転した場合、言葉の意味は捻じ曲がり感情もそれに乗り、書き記されたり残されたりしてとどまる。例えば繰り返し襲ってくる地震(能登・東日本・神戸)なども、あまりに悲惨な映像を見てしまうと、言葉はどうあるべきでどう読み取るのか。圧倒的な逆転に対しては、ひょっとして意味すら失うのか。
どうやら僕はそのあたりから思索を始めることになりそうだ。
ところでキャンベル先生は、話し方からは深い教養と優しい人柄が伝わった。古き良きアメリカン・リベラルの趣があって、トランプのことはさぞ嫌いなんでしょうねぇ。
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