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『流れ』は記憶する 方丈記逆バージョン

2018 JUN 10 21:21:33 pm by 西 牟呂雄

 鴨長明は方丈記でこう喝破した。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』
 水が流れて行く様を見て当時流行した仏教的無常観を筆致した名文だ。
 流れない物からすれば全て過去に行ってしまい一人取り残される寂しさを感じさせてくれる。
 
 例えば山の渓流をジッと見ていると、護岸をコンクリートで固められた都心の川の流れとは違い川岸では水が巻き逆流したり、湧きあがるようにうねったりしている。ある日それを覗いているうちに発想が逆転した。
 川の流れの方が流れることによって学習し、流れに潤っている生きとし生けるものは施しを受けているに過ぎないと。
 流れの方で大地の形から自然の造形を記憶しているのではないか。

 流れが止まる湖沼でも浸透し蘇る。大海に行きついても止まらない。
 潮は流れている。静かでやさしい凪の海でさえヒタヒタと流れていることは海で暮らしたことのある者は皆知っている。
 風も同じだろう。山や谷の地形を記憶しながら吹いて行き、止まり、又方角を変える。
 つまり”流れそのもの”がこの地上から天空からその様子を俯瞰して、さらにそれを記憶しているのではないか。
 このノリで方丈記を現代の言葉に書き直してみたらどんな具合だろうとやってみた。

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 我等は流れとどまることはない
 後ろに残されていく者たちよ、再び会える日はあるか

 大地を巡り大海をうねり、再び流れて戻りはしても
 万物はみな変わらないが 営む者はみな違う
 着飾った人 美しい人
 今そこにある瀟洒な造りも
 或いは朽ち或いは焼け落ちる

 我等は記憶する
 ここからはじまり、ここに戻りまた去る
 どこからでもやってきて、どこまでも行く
 我等はまた還る
 さらば 再びまみえることはないにせよ 

 人も花も、無常を嘆くことなかれ
 ただ咲きただ生きよ
 怖れず 待たず 争わず 
 我等が再び戻ることを信じ

 <どうも
 邪念が湧いてきて文章にならない。そして分かった。
 時の流れもそうだったのだ。>

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Categories:古典

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