インド再び
2023 OCT 8 13:13:13 pm by 西 牟呂雄
ロシアに対する制裁どころか、非難決議にも加わらない。クアッドに加わりつつも中国とも対話する。我が道を進むインドは目下順調な経済成長を遂げている。鉄鋼生産はもうすぐ日本を抜き去り、近いうちに2倍の能力を持つだろう。
無論宗教・人権・格差といった問題は山積しているが、そもそもインドは矛盾の塊なのだ。個別の問題にガタガタ言い出してはインドとは付き合えない。重層的な文化の蓄積と現実とのギャップ、同じ空間に最先端と原始的伝統が自然に共存する姿は、仮に全く先入観がなくとも一歩踏み込んだだけですぐ分かる。
高度にゲジタル化されたシステムはあるが、それを使う人間の非効率さ・時間間隔の無さは救いがたい。近代的な外観のハイテク・ビルの横にゴミの山。経済成長にインフラが追い付かず、信号のない交差点の渋滞は殺人的ですらある。救急車が渋滞にハマって立往生していた。
今回の滞在中に隣の州と水争いが起こり、工場が一日止まった。9月は雨期の始まりなのだが、今年は夏の雨が極端に少なくて、ダムの放水を中止したところ、下流の都市が水不足に陥ったので政治問題化した結果だ。以前に滞在した時にも同じことが起こり、その時は下流のチェンナイ市で暴動が起きたため、それを阻止しようと州境に古タイヤを並べて火をつけて防御していた。滞在したカタルーナカ州と下流にあたるタミルナドゥ州は昔から中が悪く、言葉まで違う(カンナダ語とタミル語)。この両州の水利問題を調整したのは今から百年以上前の統治者であるイギリスで、成文化しているのかどうか知らないが、その時の両州のマハラジャが結んだコントラクトが準拠法だと聞いたのだが、本当かね。
さて9月末に降り立った南インドの高原都市は日本よりはるかに涼しく、夜はエアコンいらずの過ごし易さだった。そして8日間ホテル暮らしをしたので、その住環境をお伝えしたい。
場所は中心部から車で2時間程の、まあ田舎町である。ただし前述の殺人的渋滞の2時間だから距離的には30kmくらいだが、幹線道路の両側は十分に田舎だ。
一歩踏み入れるとご覧のようなスラムではないもののゴチャゴチャな村で、道端にはやせて飢え死に寸前の子犬がいる。犬はそこら中に繋がれもしないでウロウロしていて、人間から離れないから野犬ではないのだろうが飼い主がいるのかどうか。
工業団地にも群れがたむろしていた。
ところが、我が工場に繋がれて従業員から愛されていた犬、ソニーは訪問直前に死んでしまった。
パートナーたちはそれを悲しみ、火葬にしてやっていたが犬の社会的な地位は非常に低いため大変奇異な感じがした。
犬にとってはどうでもいいことだろうに。さらにパートナー氏はその辺にノラには何の憐憫の情を示さない。まぁそれぞれ独特のルールがあるのだろう。
さて、そのゴチャゴチャの街の一角のゲートで仕切られたところにホテルはある。
一見洒落た感じのたたずまいの入り口で、フロントを通ると芝生の中庭、そこを通って3階建ての客室棟、禁煙の表示の部屋には灰皿があった。
片田舎のホテルにしてはまずまずの住環境と言える。
ただし、メシは頂けない。
朝はおじやみたいなドロドロのスープがカレー味だったり甘かったり。それにオムレツなんかをトッピングして後はトースト。夜はかろうじてチキンくらいが食べられるが、他に何やらメニューにあった物を食べる根性はなかった。
かといって、外にあるレストランはこの恐ろしさで、中を覗いてみると大きな鍋にドボドボ油を注いで何かを揚げているのだが、その何かは原型をとどめていない塊である。しかもこいつらは本来ヴェジタリアンのはずだが、このレベルの連中はかなり怪しく、そこらの野犬の肉かもしれないと想像するととても食指がわかない。旅人が珍しがって食べてひっくり返ったら迷惑千判だから遠慮した。
その隣には屋台というかホッタテ小屋の露店でココナッツの実を売っている。見ているとこのオッサンが青龍刀のような野蛮な大鉈でガシガシガシッと叩き割り、真ん中あたりのジュースをストローで吸う。問題はそのストローで、誰かが使ったかもしれないものを洗いもしないで使うのだ。
日本では新たなコロナが拡がっていると言うのに、こいつらはこんな暮らしをしていても『もう患者はいない。オーバーだ』というが信じられる訳がない。調べなくなったに違いない。
そもそもこのオヤジが売っているヤシの実にしてから、ヤシの木はそこら中に生えていてご覧の『落ちて来るココナッツに注意』という看板がかかっている。こいつが大きな農園のオーナーなはずはないので、その辺に落ちてたヤシの実を売っているのはミエミエだ。
しかし仮に仕入れがタダでも恐ろしく生産性の低い商売に違いなく、このオッサンもこのジュースだけで生計をたてているのではあるまい。だがそこに厳然とカーーストが張り巡らされ、このジュース売りはエリアを独占している。従ってオッサンはオッサンである種の誇りを持ち、時間を持て余しつつ毎日を過ごしている(多分)。
そもそも、大部分の個人が『形而上』の思考で様々な営みを捉えているから、何百もあるという宗教だのカーストだのといった複雑な社会が成り立つのであって、我々からすれば奇怪な社会がかろうじて成立している。かのエマニュエル・トッドはここ南インドの家族制度を、親は子に対し権威的であり、子供の教育に熱心、女性の地位は高いとし、カースト制度と親和性が高いと考察した。繰り返しになるがインドは一つの国とか民族という概念には納まらない。
それはそれで、日本人の僕はここでは一体何者なんだろう、インドの一角で時間が僕を通り過ぎていくのをジワリと感じながら涼しいベッドで眠った。
翌日、ニワトリだのガチョウだかのけたたましい鳴き声で目が醒める。涼しい。どれ、散歩でも。と中庭に降りた。
すると奥の方には只ならぬ気配がして足を進めた。
子供用のプールなども整備され、リゾート気分が漂うが、ここの水で泳げるのは外国人ではなかろう。
と、遠くからの視線。乳牛がいるではないか。ノラではない。
更に奥の方ではホルスタインではない水牛みたいな白い親子がじゃれあっている。ホテルに牛!!
なかなかワイルドな趣だが、きのうまで楽しんだ朝食のココナッツ・ミルクはやめた。あの牛と落ちたヤシの実じゃ・・・。
やはり僕はヒンドゥー教徒にもインド人にもなれそうもない。
だがそれは彼らも同じ。日本人にはなれない。それでも仲良くはできる。
原色の花があざやかだった。
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