令和八年 滋養神社お告げ
2026 JAN 1 0:00:16 am by 西 牟呂雄
本年もめでたく明けたること慶びかしこみかしこみ申すなり
これなるは滋養様よりくだされしありがたきお告げナリ
こころして聞くべし
ひとつ 高市内閣絶好調
定数是正に手を焼くものの、高市体制は盤石。早い時期に再び日米首脳会談をやることになる。
そしてあまりの中国のヤバさに韓国がやたらと親日をアピールして気持ち悪い。
中国は無視して台湾・フィリピン・ベトナム・タイ・マレーシア・インド・オーストラリアのつながりが強化され『黄金のカーヴ』の盟主の座につく。
亡き安部元総理の亡霊が蘇ったようだ。
ふたつ ミラノオリンピックで日本勢大活躍
開会式の日本選手団入場の際、日の丸を持った大谷翔平が登場して世界を驚かす。その勢いで特に女子選手の活躍が目立つ。氷に強い。スピード・スケート、フィギア、カーリング、更にはメダルこそ取れなかったがアイスホッケーのスマイル・ジャパンが快進撃をして人気者になる。
旗手だった大谷はそのままWBCで大活躍し、軽く決勝まで行くがムムッ。
みっつ 中国大混乱
年末からネチネチと日本への挑発を続けていたが、実態は国内向けのメッセージに過ぎないことはバレバレ。実際にレーダ照射問題は各国防衛関係者の間ではクロ判定で、大国がいじましい、と世界の笑い者。
経済のメチャクチャは覆い隠せなくなっていた。若年失業は50%。地方政府は破産レベル。習近平の健康状態も思わしくない。
粛清されまくった人民解放軍に不満分子が発生し不穏な動きが広がる。どうやらその後ろには台湾に本拠を置くかつての秘密結社である紅般(ほんぱん)の流れを組む反社会勢力が香港から大陸にまでネット・ワークを広げ共産党を揺さぶっているらしい。実はサイバー攻撃までしているという噂がある。
よっつ AIバブル崩壊
データ・センター建設の異常なラッシュにより華々しいAI企業もその借金は莫大。さらに開発競争に競り負けた一角が株価の暴落を受けて破綻する。FRBが慌てて利下げを行い、円安に修正される。
昨年以来利上げをしていた日本も株価は落ちて4万円台になるが、そもそもユニコーンの規模が小さいため物価が下がり景気は落ちない。賃上げは順調
国債の額も税収増でチャラになりプライマリー・バランスは好転する。
いつつ 夏の暑さは常軌を逸する
東京で40度を超える日が続き緊急事態宣言が出る。扇風機を使うと熱い風を浴びてやけどを起こす始末に。おまけに雨も多く鹿児島・高知・静岡・千葉に熱帯雨林が出現し生態系が変わる。密林となったエリアには人は住めなくなる。
するとペットとして買われていたニシキ・ヘビが繁殖してしまい、クマよりも恐ろしい被害が続出する。
ところが、冬になると異常な寒波がやってきて上記エリアにも積雪して全滅する、メデタシメデタシ。
むっつ ウクライナ暫定和平成立
トランプ大統領は中間選挙のために何が何でも戦争を終結させるためにゼレンスキー大統領を脅し上げる。
「いいかげんにしないとウクライナをロシアとポーランドとキエフ大公国に3分割するぞ。そうなったらお前の取り分はキエフとその周りだけになってもいいのか」
ゼレンスキーは慌てて英・独・仏に泣きつくが「その提案を飲めばキエフ大公国だけはNATOにいれてやる」とけんもほろろ。落胆したゼレンスキーはイスラエルに亡命する。
ななつ 衆議院解散
絶妙の舵取りと高い支持率、中国がツベコベ言うたびに支持率はあがる。そしてここがキモだが、定数削減で制度改革をされたら消滅の危機に陥る公明・国民・れいわ・社民・共産といったところも絶対に当選できない比例の連中が『どうしても現行制度で選挙がしたい』となってしまう。
余裕綽々の高市総理は残りの任期1年を切るタイミングでニッコリ笑って解散する。もちろん自民の大勝で衆議院の過半数を押さえた。
尚、参議院対策で維新や参政・国民・公明までを手玉に取る。
やっつ 日本ハムファイターズ日本一
2年連続でC・Sでホークスに敗れたため、新庄監督は頭にきてホークス戦の全敗を宣言する。そしてPAYPAYドームでの試合には二軍を投入した。すると本当に勝てなくなり、札幌のファンが怒り出す(オレも)。仕方がないのでエスコン・フィールドでは真面目にやるのだが、負け癖がついてついにホークス戦12連敗を喫する。
この時点で不思議なことにリーグ2位だったが、その後は互角に戦って優勝する。
C・Sは血みどろの死闘となって辛くも退ける。
日本シリーズではセ・リーグの覇者カープを相手にストレートで勝ち日本一になる。
ここのつ M1グランプリに異色の漫才コンビ
M1グランプリに輝いたのは『ザ・コンプライアンス』の二人。コンプラ違反なのかスキャンダルなのか良く知らんが、芸能界から追放された二人が漫才コンビで復活。SMAPの中居正広とTOKIOの国分太一である。
鉄板のツカミネタは『あなたフジテレビの女子アナを呼び込んだでしょう』「キモこそ日テレでセクハラしたじゃないか」『それがどうしてコンプラ違反なんだ。セクハラなんかテレビ局じゃ日常茶飯事だったじゃないか』「そうだそうだ。厳密に言ったら全員有罪のはずだ。ジャニーズばっかり狙い撃ちにしてジャニハラだよ」
とお 皇統安泰
遂に愛子様が首を縦に振った。旧皇族の血を引く男系男子との婚約相整い、政府は皇室典範の改正に着手した。
すなわち愛子様を皇位継承権1位におなりいただき秋篠宮親王殿下に2位を、悠仁親王殿下を3位とする準備である。
尚、このネタはこの十年連続して外れているが・・・。
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にっ似ている Ⅱ
2025 NOV 19 19:19:53 pm by 西 牟呂雄
僕は以前から公言している日本ハムファイターズのファンです。今年も残念ながらC・Sでホークスに及ばなかったが、最後まで良く戦った。
声の限り罵倒している対戦チームにも、中には敵ながら是非我がファイターズに来てほしい選手はいますね。
かつては松田宣浩が好きでした。宿敵ホークスのアゴ髭『熱男』のことです。痛いところでかっ飛ばされて何度も『このヤギ面野郎!』と叫んだが、実はファン。ファイターズの中田翔とトレードしてくれないかなぁ、と毎年願っていました。特にあの空振りをした時にクルッと反対に向くフォームが好きで、勝手に『奴打法』と呼んだものです。
今は誰かというとイーグルスの村林選手。以前からカッコいいなと注目していました。
そろそろ10年選手で、もっぱら守備固めだったが去年あたりからスィングが良くなってレギュラー入り。
高校時代は143kmを投げるピッチャーだったが、イーグルスは遊撃手としてドラフト指名します。さすがに肩が強く、その守備力も評価が高い。
この人は目付きがいい。隈取りしたような目力があって、打席に入るといかにも打ちそうな雰囲気が漂う。
毎回打席に立つ時は目を閉じて『頼むからファイターズからは打たないでくれ』と念じました。
また私服の着こなしも良くて、御覧の通りですぞ。
トカナントカイッチャッテ、皆さんごめんなさい。
本物は最期の1枚だけ。目力の画像を検索していて目に留まった3人の写真を並べました。
一人目は俳優の山田裕貴、お次は吉沢亮、3人目が本物の村林選手。
4枚目に私の写真にしようとして止めました。
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何てセコいんだ!
2025 OCT 5 8:08:41 am by 西 牟呂雄
小銭をジャラジャラとポケットに入れている。お財布を持たないからだ。そうするとズボンのポケットが傷むという理由で小銭入れを持たされていたが、もうどこかに行ってしまった。
あるヤボ用で某日新幹線に飛び乗った。チケットを買った後に丁度出発する名古屋から東京行きのぞみ、自由席だ。空いていて運良く3人掛けの通路側に、窓側には女性が一人で寝入っていた。間の席に荷物を置くとビールを飲んですぐウトウトした。20時56分発名古屋発、東京行き最終に近い。
1時間ほどしたときにフト目をやると、黒い小物があることに気が付いた。手に取って見るとLANVINの小銭入れではないか。座席前のラックに取り残されたようにあった。ラックにあったから隣の女性のものではないのは明らかだ。手に取ってみると545円入っているではないか。ははァ、だれか忘れたのだな。マッこの金額なら大騒ぎもしないのだろうな、と思いそのまま席の上に放置していた。
だが、しばらくすると急にこの小銭入れと545円が哀れになって来た。どうでもいいモノとして主に冷たくさえて放置されてしまったかわいそうな代物に思える、どうしよう、降りる時にそのまま置いておけば清掃のおじさんが拾って届けてくれるだろうか、いや、そのおじさんは懐に入れるのは別に構わないがその後大事に使ってくれるだろうか、駅に着いてから届けに行くのも面倒だな、とどうでもいいことで心は千々に乱れた。
少し前の小銭入れの紛失について、あの金は今頃どこかで人の役に立っているだろうかなどとも考え、ひょっとしてこれは天の采配かと思えないでもなかったが、丁度車掌さんが通りかかったので「これ、現金が入った忘れものですよ。名古屋までに降りた人です」と渡すことができた、ヤレヤレ。平和ニッポンに貢献したような気分だ。
ところで、もしあれが545円ではなく、もっと多額のお金だったらオレはポケットにいれてしまわないかが気になった。千円だったらどうか、1万円だったら・・・。
結論から言えば迷うのは千円から5千円と思われた。1万円を超えるとなにやら落とし主に悪いような気がする。十万円ならば、これはとてもとても。百万円とでもなればそんな金に触るだけでも犯罪に巻き込まれるのじゃないかとビビる。
するとオレの現金の識別閾値の上限は5千円以下か・・・・ウッ、情けない。
まっ、届けますけどね。
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昭和天皇の孤独
2025 AUG 15 0:00:18 am by 西 牟呂雄
戦後の混乱期、昭和天皇は退位すべきか深く悩まれた。東京裁判はこれから始まる。朝野に退位論が蔓延した。無論、責任論は分かっている。相談する適当な相手も周りにはいない。そもそも側近の侍従たちはそれなりの意見は持っていたのだろうが、明確に奏上する権限もない。
深く悩んだ挙句、捨て身でマッカーザーに面会したことはよく知られている。この間、陛下が誰かと相談した形跡は一切ない。御前会議の決断からどれ程の孤独であったか想像もつかないのである。
マッカーサーは天皇陛下の訪問にはいささかビビり、配下の二個師団に武装させて会談に臨んだ。だが、内容に心底驚き、瞬時に尊敬の念を抱いたことは様々に考証されている通りであろう。
その懊悩の時に、ごく私的に面談したと思われる民間人がいたことに気が付いた。
一人は田中清玄。戦前の武装共産党の指導者であり、戦後は紆余曲折を経て右翼の黒幕となった怪物である。
逮捕され小菅から仮出獄した後に、盲目の高僧山本玄峰の元で禅の修行をする。この玄峰の元には多くの人士が参禅していた関係で人脈が広がった。終戦の10月、ツテを通じて週刊朝日に国体護持の一文を乗せると、これを読んだ宮内庁が侍従次長の木下道雄を通じて賜謁を申し出て(おそらく非公式のため)生物学御研究所接見室にて拝謁が実現した。このことは後に活字になったため広く知られた。
田中は陛下に退位を思い止まるよう言上し、更に皇室財産で国民を救うことを訴え、復興に励ますようにと懇願した。ただ、陛下の方からの記録は無いためどの程度正確かはよくわからない。
しかしマッカーサーとの面談の3か月ほど後なので、すでに陛下の御意思は伝わった後であり、この時点で大御心を占めていたのは退位問題と考えてよい。心強いアドバイスだったことと思料できる。
田中の思想遍歴は複雑で、右翼の巨魁とされながらも児玉一派とは対立し、銃撃されるといった事件に巻き込まれている。更に反代々木ということで全学連の闘士にも資金提供することもあり、本稿で語り切れるものではない。
その後、ローマ教皇からキリスト教への改宗を勧められる書簡が届き、これについても大いに悩まれたらしい。そこに現れたのは謎に包まれた人物、三上照夫だった。臨済宗妙光寺の今津洪嶽老師の元で修業した二十歳の若者だった。天皇とは20歳以上年下で、どういう経緯かわからないのだが、戦後率先して皇籍離脱をした元陸軍中将賀陽宮恒憲王のお導きで昭和天皇と面談する。これもお忍びのため、場所は御殿場で静養中の秩父宮別邸と推定される。
その際、三上はただ「冬枯れの さびしき庭の松一木 色かへぬこそ かがみとせむ」とだけ朗々と謡い後にしたとされる。これはこの年の歌会始の陛下自身の御製だった。筆者が思うに、これで我に返った陛下はキリスト教への改宗はせず、伝統に返る御意思を固められたのではないだろうか。
マッカーサーもキリスト教の普及を勧めたがったフシがあったので、危ないところだったのかもしれない。筆者の子供の頃、それなりのホテルに泊まるとよく新約聖書がしつらえてあったが、あれはGHQの指導の名残だった。
ところでこの三上という人物は極めて興味深い経歴だ。昭和3年に生まれて同志社中学に進学。ご承知の通り同志社の建学の精神はプロテスタントのカルバン派でありキリスト教に触れている。ところが開戦すると3年修了時に陸軍に志願、通信から航空に進んで凄いことになった。
幹部候補生として台湾移動中の輸送船が魚雷攻撃で撃沈され、漂流するも奇跡的に救助された。されたはいいが今度は特攻隊員となり天号作戦に参加。敵艦体当たり寸前に機銃攻撃で片翼が吹っ飛ばされ瀕死の重傷を負ってしまう。台湾の小島に流れ着いて九死に一生を得た。
敗戦後、復学して同志社中学を卒業するが、上記妙光寺での修業はこの時期である。その後同志社外事専門学校にてヘブライ語でキリスト教神学の勉学にのめり込むのだが、そのかたわら辻説法で「大東亜戦争は日本が仕掛けた戦争に非ず」と説いた。そして昭和天皇との面談となる。
皇室との接点はここで一旦途切れるのだが、三上は益々求道者となり、比叡山に上って百日断食行にチャレンジしたり武道の修行に精を出す。この百日断食行は有名な千日回峰行ではなく、天台関連で検索しても出てこない。おそらく九十日間阿弥陀仏の周りを南無阿弥陀仏と称えながら歩き続ける「常行三昧」の行のことではないだろうか。
そして説法を慕ってきた弟子たちとともに日本松栢学会を立ち上げ指導に当たった。
すると、ただ一度の面談から27年も経った昭和51年、再びお召しがあり拝謁する。察するに昭和天皇の心の琴線に触れること大であり、以後10年にわたり月に一度程度の割合で参内し続けた。
前述の田中と違い、表の活動をほとんどしなかったので目立たなかったのが都合がよかったのだろう。試しに検索しても本人の写真と確実にわかるものはない。著作の「第三の文化の時代へ」あるいは宮崎貞行の評伝「天皇の国師」の一部に面談の断片があるのみである。
二度目の拝謁では太平記の「正成一人 いまだ生きて有りと 聞こしめされ候はば」を、翌月の三度目では「うみゆかば」を熱唱した。以下、ホントかよ、という下り。
「自分の耳には、ときどき天上から妙なる音楽が聴こえてくることがあるのだが、これは幻覚なのだろうか、あるいは病気なのだろうか」
「それでこそ天皇陛下なのです。古来、優れた天皇は、陛下のように天と交信し、天の声を聴く力をお持ちだったのです」(『天皇の国師』)
「私が死んだらどうなるのだろう」
「陛下、われわれが行くところとは違うでしょうが、間違いなく地獄です。陛下は先の戦争で戦死した300万人の因縁を受けなくてはなりません」
「そうか」(『第三の文化の時代へ』)
他愛もないと言えば他愛もない、アブナイと言えばややアブナい会話である。
しかし、あのような英明な陛下が単なるオカルトおやじを近づけるはずもなく、三上自身は論理のしっかりした者であったから、このような会話が害になることもない。
むしろ、退位に揺れた時期に石渡荘太郎宮内大臣、大金益次郎次官、入江相政侍従といった面々の必死の思いが伝わってくる。
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私家版 交遊抄
2025 APR 15 22:22:07 pm by 西 牟呂雄
そろそろ時効なのでバラしてもいいだろう。以前に日経新聞の交遊抄の欄に友人が僕をフルネームで書いた。
そもそもその男Aは高校の同期なのだが、〇大名誉教授である。もう一人名誉教授Yというのもいて、ずいぶん前にその交遊抄でAのことを書いた。やたら褒めてあってしばらくAの事とは気が付かなかったと記憶する。実はAは翻訳業界では大物で、知り合いの作家も同じく書き2回目の登場となったところで、日経新聞から同欄の執筆依頼があったそうだ。半年以上前の話である。
Aの性格は偏屈であり頑固でもある。著名人の知り合いも多い。例えば自身英語でも小説を書く村上春樹、その村上春樹よりも先にノーベル文学賞を取ったカズオ・イシグロ等々。日経の編集部もその辺を狙ったと思われるが、奴はこう言った。『それじゃ面白くないからオマエを書いていいか』
高名な作家が面白くなくて僕だとなぜ面白いのかが理解できなかった。『お前の本が売れなくなったり、せっかくの業績がパァになるからヤメロ』と言っておいた。
しばらく音沙汰がなく、やはり作家でも書くのか或いは僕を書いた時点でボツになったか、と安心していた。
さる土曜日の朝、ライン・メールが騒がしい。当然二日酔いだから放置していたら、僕の記事が出ていた。
今から半世紀前の高校生がバンドを組んだり授業をサボって雀荘に入り浸っていた話が書かれていた。まさかそこまで書くとは思わなかった、無論一言も褒めていない。困ったことにウソでもないのでクレームの付けようもない。
僕に執筆依頼があれば一矢報いることができるのだが、あるはずもない。そこでこのブログにあることないこと書き散らして溜飲を下げてみようと考えた。
―交遊抄ー秘密結社『五人会』
わが母校の同期で秘かに集まる『五人会』という秘密結社がある。 当時詩人を気取っていた私だけが後に堅気のサラリーマンとなった。
一人目は仮にA氏としておくが、実は翻訳家かつ〇大名誉教授である。A氏とはバンドを組んだりして遊んだ。平日の昼間、入り浸っていた雀荘で私から大三元を上がった強者だった。
次はC氏。根っからの無頼派で、ロクに教室には来なかった。何とか卒業した後に行方を晦ましていたが、私が上海で仕事をした際に偶然世話になり、旧交を復活させた。何と広告代理店の社長に化けていて驚いた。その後、会社を売り払って目下の職業は自称『プー』だという。C氏はA氏と同様に卓を囲んだのだが、私が親の時に滅多に見られない『流し満貫』を成立させる勝負強さだった。
お次は紅一点。その美貌により全学年の高嶺の華だった。研究者の道を歩むかと思われたが何故か主婦に納まり、受験指導に当たっている。普段はおとなしいのだが時にプッツンする癖があり、ある考査で全科目白紙の答案を出して教師を慌てさせた逸話の持ち主である。
最後は図抜けた秀才だったY氏である。実はこの男も〇大名誉教授であり、その高潔な人格により推されて危うく〇大総長になりかけた。『お前が総長になるとオレ等にどんな旨味があるのか』と聞くと、しばらく考えてこう言い放ったので呆れた。『生協で安くモノが買えるかな』
この結社の特殊性は、なぜこの集まりなのかを外からは絶対に理解不能なことにある。専門・趣味・嗜好・性格全てが一致しない。話題も全くまとまりがない。これも母校の自由と多様性を許容する伝統の結実だとすれば、教育の成果と言えなくもない。
武士の情けで本稿では仮名であるが、万が一本当に執筆依頼があった時は実名をバラす所存である。
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僕は保守派
2024 AUG 11 21:21:01 pm by 西 牟呂雄
「世界は、絶えざる運動の中にあるのではない。むしろ、それが耐久性を持ち、相対的な永続性をもっているからこそ、人間はそこに現れ、そこから消えることができるのである。言い換えれば、世界は、そこに個人が現れる以前に存在し、彼がそこを去ったのちにも生き残る。人間の生と死はこのような世界を前提としているのである」
思想家ハンナ・アーレントの言葉である。『全体主義の起源』で名高いアーレントの評価は一旦置くとして、このところの筆者にとってこの言葉はズッシリと腑に落ちた。
ここで『運動』と表現されているのは、例えば世界史の潮流として現れる社会運動や思想的流行、更に技術開発に伴う構造変化といったものまで大きく網羅していると考えられる。
例えばグローバル化が進行した、世界は右傾化したといった流れはその時々で観察されるものの、溶液の中の酸化・還元が繰り返されていながら一定の均衡状態を保つようにバランズするごとし、と読み解ける。その中で個人は繰り返し現れては消えていくが、集団としての動的平衡は保たれる。
無論個人の内在する葛藤やら感情はそれぞれだが、ピースの一つとしてアーレントのいう『耐久性を持ち、永続性をもっている』ところに光をあてればいかなる凡人の人生でも光輝く。
即ち、相矛盾する事象といえども現実に共存することはごく自然なことで、人間も社会もそうあることこそ自然体だとも言える。
筆者はかつてそのような考え方について『川の流れの方が流れることによって学習し、流れに潤っている生きとし生けるものは施しを受けているに過ぎないと。流れの水が大地の形から自然の造形を記憶しているのではないか』と表現してみた。
このブログはそれを言語化しようとした失敗作だが、6年前はといえばすでに還暦を過ぎていたにもかかわらず、この程度の考察しかできていない。
それがアーレントの言葉をもって安寧を得た。
障害物に当たった個人は自分と世界の関係を理論化しようとして現実否定のイデオロギーを作り出そうとするが、それは理性の傲慢であり、理性は必ず過去の習慣や先入観に育まれているから、それらを完全に否定すれば方向性をも見失う。それゆえ社会というものは(この場合筆者の好みで言えば保守主義というものは)手入れを怠らずに鍛えに鍛えても漸進的にしか変わらないのだ。
翻って、バブルの崩壊以後、少子高齢化、就職氷河期、財政健全化、非正規拡大、不法外国人労働者、郵政民営化と30年を失っている間に様々な『運動』があったのだが、その間『改革』と称して俎上に上ったもので効果があったのは『異次元の緩和』くらいだろうか。民主党政権や小泉改革とは何だったのか。
議論は色々あろうが、そうであれば故安部元総理を除けばほとんどがアーレントの視点を欠いた小手先の『改革』でしかなかったと言えるのではないか。筆者でさえもその視点を6年前は持ち得なかったのだ。
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菩提寺にて
2024 APR 7 6:06:21 am by 西 牟呂雄
ある難民一家と知り合った、というか話をしただけだが。お父さんと娘さん・息子さんの一行は佇まいがとても品が良く、最初は中東から来た観光客だと思った。というのもこの喜寿庵周辺のような田舎でも外国人を観ることは珍しくもなく、欧米人・東南アジア人と思いもよらないところで遭遇する。ほとんどが富士山観光のついで、もしくは宿が一杯なのでここまで泊りに来た観光客である。困っていそうな人には道案内をしてあげたりもして、大抵は英語ですむ。ただし技能研修性のための日本語学校まであるため、そこの生徒たちは英語は覚束ない。
今回はいきなりそのお父さんから日本語で話しかけられた。
『西願寺はどっちですか』
きれいな発音だった。
お父さんは年の頃僕よりは若いのだろうが、頭髪は少し薄くなりひげは真っ白。そして何よりも顔が大きい(身長は低いのに僕よりずっと大きい)。娘さんは欧米人との混血と見まごうような彫りの深い美人で黒髪、息子さんも黒髪で目の大きな少年である。肌は浅黒く、ヨーロッパ系ではなさそうだった。
ちょうど墓参りに行くついでがあったので、こちらですよと案内することになった。
『西願寺に御用ですか』
『いえ、この子達に枝垂桜を見せてやりたくて。有名ですから』
『そうですか。ちょうど行くところですからご案内しますよ』
亡母の命日が近いのだ。
『ずいぶん日本語が上手ですね』
『私はもう30年日本にいますから』
その間お子さん達は聞いたこともない言葉でポツポツ会話をしている。まったく見当もつかないので聞いてみた。
『どこから来られたのですか』
『私はトルコ人です』
『そうですか。トルコ語は初めて聞きました』
『いや、あの子達が喋っているのはアラビア語ですよ』
『へえ、トルコでもアラビア語は公用語なんですか』
『いや、公用語ではないですね』
と話しているうちに着いて。見事な桜のドームが満開で子供さんは歓声を上げていた。それじゃあ、とお墓に行ってお線香を上げて一服。母はタバコが好きだったのでお線香と一緒に添えてやった。もう十年経った。
戻ってくると一家はまだベンチに腰掛けて眺めていた。トルコは伝統的な親日国として知られる。それはエルトぅール号の救助のエピソードや長年死闘を続けてきたロシアに辛勝したことが遠因とされているが、今でもそうだろうか。ここは民間外交の基本として何でも感心して友好に努めようか。
『日本で何をされてますか』
『宝石の輸入をしています』
『そうか、トルコ石とかありますね。私は色々と世界を回ったのですがトルコは行ったことがありません。イスタンブールはどんなところですか』
するとその質問には答えず、桜を見ている視線を僕の方に向けてポツリと発した。
『私は国籍をトルコにしていますが、タタル人なんです』
『えっ、タタル!日本語や中国語で韃靼人とも言われているタルタル・ソースの!』
『ハハハ。よく知ってますねそうですよ』
『司馬遼太郎の本で読みました』
『「韃靼疾風録」ですね。あれは私も読んだけど正確には私達ではなく靺鞨のことです。ジョルシン、後の満州族です。私達はその頃は突厥と呼ばれていました』
なに、読んだ!確かにこのオッサンの言う通りなんだが、日本語でよんだのか、並々ならぬ教養に恐れ入った。これは只者じゃないぞ。
『タタールの方が日本にもいらっしゃるのですか』
『あなたの年齢ならロイ・ジェームスを知ってますね』
『あの日本語の達者な外人タレントですか』
『彼もタタルですよ。彼は私の父の友人でした。革命後ソ連を嫌って日本にやってきて白系ロシア人と言われた人達ですね』
突然世界史が目の前に出現したような気がしてお子さん二人に目をやった。
『あっ、この子たちはタタルじゃありません。上の女の子はクルド人で下の男の子はパレスチナ人です』
今度は国際政治を突き付けられた。
『上の子は両親をISILとの戦闘で亡くしましたし、下の子もヨルダン川西岸の騒動で孤児になりました。クルド人はどこでも弾圧されていますし、パレスチナも似たようなものです。今は戦闘が報じられていますが、あのハマスはテロリストにすぎませんし自治政府というのも腐敗の温床で統治能力はありません。二人とも身寄りがないので私が引き取って東京に連れてきました。言ってみれば難民なんです』
『そうだったんですか』
『この子達は、まあ私もですが祖国というアイデンティティはありません。・・・・桜がきれいですねぇ、日本人は幸せですよ。国内に民族対立はないし、世界のどこに行っても故郷を普段は忘れていても思い出すことができますから。こんないいことはないんですよ』
返す言葉がなかった。逆に、我が国は世界を相手にあんなみじめな負け方をしていながらよくまあ(領土問題はあるにせよ)露骨な分断もされずに今日に至ったものだと先人の知恵に感謝した。同時に苦労をかけた沖縄にもだ。
『あのー、これからどうされるのですか』
『この子達に富士山を見せに行きます。印象に残るでしょうから。そのうちに第二のふるさとだと思えるかも知れません』
『それだったら私の車で送りましょうか』
『ありがとう。周遊券を買っていますし旅はゆっくりするものです。生きた自然を見て人を見て、神の偉大な創造を体験することが真のイスラムの知ですから』
『イスラム!』
『あっ、ご安心を。私たちはスンナの穏健派ですからね』
そういって初めてニッコリ笑った。
そしてアラビア語(だと思う)で子供たちに何か言って立ち上がった。
『私はラシド・ムサーといいます。神のお導きがあれば東京でお目にかかるかもしてません』
子供たちを促すと二人ははじけるような笑顔で『サヨナラ。マタイツカ』と言った。僕もつられて『さようなら。又いつかね』と言って手を振った。
三人は山門の所で振り返り、もう一度手を振ると歩いて行った。
しばらくタバコを吹かしながら桜を見上げ、あの子たちの今後の幸せを密かに祈った。本堂に向かって仏教式に合掌しながら。
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この世の境目
2023 JUL 16 6:06:24 am by 西 牟呂雄
先日、親族が天寿を全うした。パーキンソンを患い、最後は認知症になってしまったそうだ。これは悲しいことでその人にはもう会えないのだが、最後に会っても話はできなかったのだろう。後何年もか生きれば苦痛が続いたことは想像に難くない。そんな苦労をして生きなければならないのか、違うだろう。
コロナが収まった途端に葬儀が立て続けにあった。
一人は無宗教の家族葬。もう一人は上記の方で敬虔なクリスチャンのため教会葬である。
僕の家は浄土真宗で、菩提寺での葬儀も法事も何度も経験しているが、葬儀はこちらも動転しているのでお経も講話も覚えていないし、法事になると退屈だもんだから住職に『短めでお願いします』などと不届きなことを頼んでいる(もう何代もやってる間柄だし)。第一お経なんか何を言ってるのかわからない。
因みに母方は神道で、神主がお経の代わりに祝詞を唱える。そもそも葬式とは言わずに葬場祭(そうじょうさい)というお祭りだ。焼香はしないので、代わりに玉串奉奠(たまぐしほうてん)をする。大抵神主がテープで雅楽を流しながらナントカの儀という手順で進め、確か途中で照明を落とし真っ暗にした。御霊が身体から抜けるのだと聞いてそれなりにしみじみしたものだった。
無宗教は親友だったブログ仲間の故中村順一君のときもそうで、個人の好きだった音楽を流していた。上記家族葬の時はナントカ讃歌という寮歌をかけて、OBたちは多少口ずさんでいた。
そして教会葬は直近のことでもあり、感慨深いものだった。美しい讃美歌は知っているメロディーなので唱和できた。その後に聖書を読むのだがそれに衝撃を受けた。
『だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。私たちの一時の軽い艱難は、くらべものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものはすぎさりますが、見えないものは永遠に存続するからです。ーコリント人への第二の手紙4章16節から18節ー』
僕はクリスチャンじゃないので宗教的な解釈はできない。だが、そもそも葬儀は残された者のためであり、亡くなった人を偲ぶセレモニー。悲しくもないのが義理掛けで大勢来るのはいかがなものかと思っている。
上記、聖書からの引用は信仰者でなくとも腑に落ちる警句であり、尚且つ送る側が同じ教義を固く信ずる場合は、どんなに悲しみをやわらげ、遺族を慰めることだろう。
まっ、そうは言っても今更洗礼を受けてどうこうするつもりもない。フト自分が死んだ後の葬儀を想像してしまったが、クセの強い我が親族と少数のタチの悪い仲間が、ガンガン酒を飲みながら私の悪口を言ってはゲラゲラ笑っている光景が浮かんできてウンザリさせられたからである。
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相撲の始まり
2022 NOV 19 22:22:01 pm by 西 牟呂雄
関西の旅
のつづきー
目下九州場所で一年の締め括りの場所中である。
良く知られた話だが、野見宿禰と當麻蹶速が垂仁天皇の前で力比べをしたのが相撲の始まり。
恐ろしいことに野見宿禰は當麻蹶速の肋骨を蹴り折り、腰を踏み砕いて勝ったというから、現代の相撲とは違ったキックもありの立ち技格闘技だったのだろう。當麻蹶速は命を落としたから、凄まじいデス・マッチだ。その勝利によって野見宿禰が當麻蹶速の領地を授けられたが、その場所は現在の奈良県香芝市『腰折田(こしおれだ)』地区と言われている。そしてその地区はデスマッチの行われたのもその場所だと主張している。腰を折ったから腰折田とはすさまじい。當麻地区からも近く、いかにも當麻蹶速の領地と言うのに説得力はある。
當麻寺の参道で見つけた『葛城市相撲館「けはや座」』はそれにあやかった町興しの施設のようで、実際の土俵が作られていた。立ってみると意外と固い。
建物の前に蹴速の墓と言われる塚があるが、これはちょっと怪しいのではないか。古墳時代の話ですぞ。天皇じゃあるまいしいくら強くてもねえ、古そうな石塔だったが。
一方の野見宿禰は出雲の出身とされている。ところが、この奈良盆地のちょうど東側にある桜井地区に何故か出雲という地名が残っている。そしてその桜井地区には卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳をはじめとする纏向遺跡があり、第11代垂仁天皇の纏向珠城宮(まきむくたましろのみや)と第12代景行天皇(倭建命の父)の纏向日代宮(まきむくひしろのみや)の伝承地である。要するに当時もっとも発達した都市が築かれていた。
その垂仁天皇が力自慢の當麻蹴速と野見宿禰のデス・マッチをさせたのだが、その現場と言われている場所がここにもある。その名も相撲神社。これは行かねば。
ところが、車で行くとまるで『ポツンと一軒家』で山奥に行くような細い道を登っていく。対向車とはすれ違えないだろう。恐る恐る行ったところに相撲神社はあった。鳥居はそれなりだが誠にささやかな社が。野見宿禰を祭ってるらしい。しかしどうも違和感がある。周りに力士像やら土俵やらしつらえてあるのだが。
案内を読んでいると、どうやらこの神社は後付けで造ったのではないかと疑問が湧いた。
ここの地名は古よりカタヤケシという字名で、カタヤとは『方屋』即ち相撲場の四本柱の内、土俵のことである(江戸期以前は俵を四角に配した角土俵だった)。そこから着想を得て、ここが相撲の行われた所だ、としたのではないだろうか。昭和37年10月6日に柏戸・大鵬両横綱がここで土俵入りをしたとある。当時京都に在住していた小説家の保田與重郎に地元の有力者が話を持ち掛けて実現した、そのころの一大イベントだったろう。要するにここも町興しだったのじゃないか。
しかし私が思うに、肋骨を折り腰骨を砕くようなデス・マッチはプロレスのような四角いジャングルで行われたに違いない(猪木がマサ斎藤とやったみたいに)。だからカタヤケシは有りだ。
その両横綱土俵入りの時に使ったと思われる土俵がブルー・シートがかけられて保存されていた。四方の柱は自然木のようで、あんまり使っていないらしい。
先ほどの社の処からこの土俵を見下ろすと、遠景に奈良盆地の雄大な風景が一望できる。ここで天覧相撲を戦ったらそれは燃えるだろう。そう思えばあながちただの町興しだけではないかもしれない。
この神社に続く道はまだ続いていて、先はどうなっているのか気になったので、歩いて行く。登っていくとミカン畑なんかもあり、多少の人の営みの形跡があったその先に、アッ再び鳥居が出た!本物はこっちでは。
山奥に鎮座する姿は物々しく、不気味な雰囲気が漂う。おそらくこちらの神社が親分で相撲神社はその子分というか支店のように創建したのだ。解説によると垂仁天皇2年に倭姫命が天皇の御膳の守護神として祀ったとも、景行天皇が八千矛神(大国主)を兵主大神として祀ったと伝わる大兵主(おおひょうず)神社である。いずれにせよ10~11代天皇の時代、遥か昔からここにいるわけだ。『大和一の古社である』とわざわざ表記しているところはむしろかわいげがあり、社殿の横の来歴は手書きだった。大兵主神は他にも素盞嗚命(スサノオ)、天鈿女命(アメノウズメ)、天日槍命(アメノヒボコ)に御せられるとも、すなわち出雲系、渡来系、とどうも本流ではない神様と言える。
さて、野見宿祢の出身に諸説あることを記述したが、確かに出雲国から力自慢がやってきて天覧相撲をするのはそれなりのスケールとロマンがあるが、どうも桜井市出雲が引っかかる。当時、力自慢を競わせるのに遠い出雲から人を呼ぶほどの”全国的”な統制が行きわたっていたのか疑問だ。
そこで考えた。ヤマト盆地の西の當麻にバカみたいに強い男がいてオレが日本一だと嘯く。すると垂仁天皇は『東で一番強い男と戦ったらどうなるのか』と地元の(桜井市出雲)男達に下問した。口を揃えて『それは野見でしょう』となり、両者が雌雄を決することになる。するとその場所は腰折田でもカタヤケシでもなく、その真ん中である今日の大和八木の辺りの田圃の一角で、両方から多くの応援団がやって来る。ヤマトを上げての一大イベントに群衆は盛り上がり、天皇も最前列で観戦する。
『に~し~、たいまの~けはや~。たいまの~けはや~。ひが~し~、のみのすくね~、のみのすくね~』
ここで世紀のデスマッチの火蓋が切られる。
両者ガッチリ組んで互角だが、蹴速はしきりにロー・キックをぶち込むが野見は巧みにブロックしつつ腕を固める。そして力任せに投げを打つ。蹴速が起き上がって来たところに野見の回し蹴りが決まってダウンを奪い、そこに猛烈なストンピングを浴びせて担ぎ上げバック・ドローップ。すると蹴速が死んでしまった、ナーンチャッテ。
現代の大相撲のルーツにふさわしい闘いではないか(今は蹴りは禁止)。きっとそれで今でも呼び出しは『西、東』であり、天覧がある格闘技なのだ.僕のルーツが『葛城の足跡』の仮説通りなら、僕の先祖はかぶりつきでこの取り組みを見ては歓声をあげていたことだろう。ケハヤ・ボンバイエと。
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葛城の足跡
2022 NOV 6 0:00:41 am by 西 牟呂雄
家系伝説ではヤマトの方から食い詰めて東にたどり着いた藤原の流れとなっている。どうせ誰かが吹いたホラだろうが、もし本当ならヤマトのどこあたりがルーツなのか。それを解く鍵が気になっていた。地名である。
私の本名は全国でも甲斐国の一部に多く、そこから同心円的に分布していた。面白いことにそこは桃太郎伝説がある。そしてもう一つ平家の落人伝説。どちらも知る人は少ない。特に平家の方は清盛一派の伊勢平氏ではなく、平新皇・平将門の息子が流れてきた話。
戦前の電話帳にウチの苗字は東京市に二軒しかなかった。ウチは曽祖父からの下町だったがもう一軒は中野区の女性で、再開発される前の中野駅北口で表札を見たことがある。爺様は冗談で『そのウチはワシの妾宅だ』という嘘をバラまいたらしいが、当人が知ったらさぞ迷惑だったことだろう。最近、八王子の呉服屋さんが同姓で家紋が同じなのを発見した。
また、九州単身赴任時代に歯医者にかかったところ、同じ苗字の女性歯科技工士さんがいて、山梨のご出身ですかと聞かれた。その方は結婚されてその苗字になったが、ご主人の父上は山梨からきたそうだ。『あなたと私が不倫してもバレませんね』とマヌケな冗談を言ったところ口をきいてもらえなくなった。
この写真は奈良県葛城市の電柱の住所表記である。
今回の旅先で見つけた。確かめようもないがここからはるばる東下りで一族郎党が流れたのではないだろうか。
近鉄御所線の単線が通る農村地帯だ。
こころみに近所を歩いても表札に同姓は一軒もない。
或いは、ナントカ一族が逃げ出して落ち着いた後に故郷を懐かしんで出身地を名乗ったかも知れない。
ちっぽけなお寺があったので試しに聞いてみたが、やはり近在にその姓の家はないそうだ。ちなみにそこのお寺の奥さんは大字(おおあざ)のことを『ダイジ』というので初め何を言っているのか分からなかったが、あれは方言なのか奥さんが無知なのか。
仮説が正しければここで農業にいそしんでいたのか、などと思いながらブラブラした。
まことにささやかな小川があって、その向こうの地名は東室であり、遥か南に下った隣の市には室という地名も残されていることも分かった。更に北の斑鳩には三室山という聖徳太子ゆかりの山がある。
古代にあっては土を掘り下げて柱を立て屋根をかぶせる竪穴式住居を『ムロ』と呼んだ。この辺りはそれなりの人口を擁した集落だったのか。
奈良盆地をうろつくと、南東の石舞台がある蘇我氏のフランチャイズ、卑弥呼の墓とも伝わる箸墓古墳のエリア、北にあたる平城京と斑鳩、と中心地が移動している。そしてここ葛城もまたそれなりの政治的勢力の葛城氏が値を張っていたことだろう。
集落の外れまで来ると誠にささやかな神社があった。
春日神社である。春日と言えば藤原。ははあ、それに引っ掛けて『ウチは藤原だ』と言った奴がいたのだな。ただしここから流れたという証拠なんかない。
おもむろに地図を広げて眺めているとすぐ近くに當麻寺があった。聖徳太子の異母弟、麻呂子王によって建立されたと言う伝承の古刹である。今日では当麻寺と表記される。
ここから一山超えれば河内の国になる。古来交通の要所で、しばしば戦乱にも巻き込まれた。
検索してみると、役行者だ空海だと有名どころがテンコ盛りで、元々は三輪宗の寺だったのだが現在では真言宗と浄土宗の二宗兼学の寺院となった。
尋ねてみると広い敷地の大寺院だった。
そして塔が東西とも残っている古い形式で他では見られない。国宝の當麻曼荼羅図(根本曼荼羅)があり、拝観料を払ってみたものの暗くてなんだか・・・・。
この曼荼羅は中将姫という姫君が蓮糸を用いて一夜の内に織った、という伝承があるが実際には錦の綴織りであることが分かっている。藤原鎌足の曽孫である藤原豊成の娘とされているらしい。
やれやれと参道を下り始めた所で、なにやら場違いな『葛城市相撲館「けはや座」』の看板。なんじゃこりゃ。更には『相撲の開祖・当麻蹴速の塚』。相撲?けはや?
この項 つづく
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